(遅報)歴史まとめ

歴史関係の記事を紹介している2chまとめサイトです。日本史世界史などの歴史板からまとめています。他にもなんj、vipから歴史関係のスレをまとめています。 良かったらご覧ください。

572: 名無しさん@おーぷん 2016/05/09(月)01:16:24 ID:Yuv
楚成王編
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1454959392/続きを読む
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1: 砂漠のマスカレード ★ 2017/03/22(水) 21:45:12.95 ID:CAP_USER9
キスしている最中、ふとこう思ったことありませんか? あ?、こんなキモチいいことパパやママ、祖父母、先祖代々やってきたのだな、と。
はるか昔から脈々と人類が唇を重ね合わせてきたと思えば、なんだか胸が熱くなりますよね。
キス万歳! というわけで、今回は大学で歴史学を専攻していた筆者が知られざるキスの歴史をお伝えしましょう。 
遅くとも平安時代にキス文化があった?

キスの起源については諸説ありますが、わが国・日本ではいつごろからキスの文化が存在していたかというと、平安時代までさかのぼります。

平安文学として有名な紀貫之の『土佐日記物語』や作者不詳の『今昔物語』などに男女のキスにまつわる記述があるのです。

『今昔物語』では妻の遺体にキスを?

『今昔物語』には、大江定基という男が、病死した妻の亡骸と添い寝して、夜な夜なキスしていたというエピソードがあります。

しだいに妻の口から死臭がするようになったため、泣く泣く妻を葬送して、自分は出家してしまったのだとか。

シチュエーションを想像するとロマンチックというよりホラーですが、はるか昔にこんなラブストーリーもあったのですね。

あの戦国大名が実はキス魔だった?

大河ドラマ『真田丸』にて、堺雅人さん演じる幸村と、長澤まさみさん演じる“きり”との口吸い(キス)シーンが話題になったのは記憶に新しいところ。

このキスシーンは、堺雅人さんの発案で台本に追加されたものだそうで、史実通りかどうかは明らかではありません。

ただ、同時代の人物である豊臣秀吉については、“口吸い”にまつわる資料が残っています。

チューしたくて悶々……

秀吉が幼い息子・秀頼に送った手紙に、「俺の留守中に誰にも口吸いさせるなよ、俺が帰ったら口吸いさせろよ」という内容の記述があります。

一見すると、子煩悩なパパですが、実はこの手紙、側室の淀君に読ませるためのものだったのでは、という説が……。

ちなみに、当時の秀吉はすでにアラカン(還暦)で淀君とは30歳ほどの年齢差があったといわれています。

功名を立てた大人物が若い女にメロメロになり、キスに気もそぞろ……。現代でも似たような事例がよくありますよね。

https://news.biglobe.ne.jp/trend/0322/men_170322_9015816461.html
Menjoy![メンジョイ]3月22日(水)20時0分
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1490186712/ 続きを読む
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1: あずささん ★ 2017/03/17(金) 17:23:02.48 ID:CAP_USER9
エジプトのアナニ考古相は16日、今月カイロの住宅地の地下水中から発掘された高さ8メートルの像について、当初の予想に反し、3000年以上前にエジプトを統治したラムセス2世王の像ではなく、別の王プサメティコス1世の像である可能性が高いとの見解を示した。

プサメティコス1世は、紀元前664年から610年に在位。確認されれば、この王の像としては最大級となる。

当初考古省は、この像がラムセス2世のものであれば最も重要な発見の1つになるとしていた。しかしアナニ考古相は、像の断片を調査したところ、別の時代の特徴が見つかったと説明。記者会見で、頭部にNebaaという名前が刻まれていたことに言及し「Nebaaの名を持つ王はプサメティコス1世1人。この王は、第26王朝の人物」と述べた。

さらに、誰の像か確実に特定するには数カ月を要すると述べた。現在考古学者らが、ほかの部分の発掘に取り組んでいる。

ソース/ロイター
http://jp.reuters.com/article/cairo-idJPKBN16O0A5
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1489738982/ 続きを読む
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1: 記憶たどり。 ★ 2017/03/24(金) 05:11:12.52 ID:CAP_USER9
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170322-00000042-mai-sctch

平安・鎌倉時代の歌人、藤原定家(1162~1241年)が日記「明月記」に
書き残した「赤気(せっき)」という現象は、太陽の異常な活発化によって京都の夜空に連続して現れたオーロラだった可能性が高いと、国立極地研究所や国文学研究資料館などのチームが米地球物理学連合の学術誌に発表した。
連続したオーロラの観測記録としては国内最古という。

明月記には、1204年2~3月にかけて、京都の北から北東の夜空に赤気が連続して現れ、定家は「山の向こうに起きた火事のようで、重ね重ね恐ろしい」と書き残している。

オーロラは太陽から噴き出した高エネルギー粒子が、地球の大気を光らせる現象。
北極や南極などで観測され、京都で連続して発生することは考えにくい。
赤気の現象が何を指しているかは長年の謎で、彗星(すいせい)説もあった。

片岡龍峰(りゅうほう)・極地研准教授らのチームが過去2000年の地磁気の
軸の傾きを計算した結果、北米大陸方向に傾いている現在の軸が1200年ごろには日本列島側へ傾きオーロラが出現しやすい時期だったことが分かった。
また、中国の歴史書「宋史」の同2月の記録に「太陽の中に黒点があり、ナツメのように大きい」と書かれているのに着目。太陽活動が活発化していた可能性が高いと分析した。

太陽の活動が活発化するとオーロラが発生しやすくなるといい、宋史にも900~1200年代に赤いオーロラの観測例が十数件記述されているという。
屋久杉などの年輪に残る太陽活動の痕跡と照合した結果、オーロラが観測された
年と太陽活動が活発だった年がほぼ一致したという。
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1490299872/ 続きを読む
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※10年前の記事です
創られた“軍師”山本勘助 丸島 和洋

2007年のNHK大河ドラマは「風林火山」。戦国大名武田信玄のもとで、縦横無尽に活躍する“軍師”山本勘助が描かれるが、ドラマのなかの勘助の物語は、はたしてどこまでが事実なのであろうか。新進気鋭の武田氏研究者が山本勘助の実像と虚像を紹介し、歴史事実を明らかにするとはどういうことかを考察する。

第1回 山本勘助の史料はたったの1点!
 
http://kaze.shinshomap.info/series/kansuke/01.html
第2回 見直された『甲陽軍鑑』 
http://kaze.shinshomap.info/series/kansuke/02.html
最終回 幻の武田騎馬隊 
http://kaze.shinshomap.info/series/kansuke/03.html 
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uesugi
98: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/02/26(日) 16:06:40.34 ID:dwTOuM3n0
今川さんって何であんな堕ちたん?当主死んだらもう終わりか?
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1488091606/ 
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halloween_cosplay_majo
1: 世界@名無史さん 2010/09/10(金) 01:35:45 0
魔女狩りや異端審問の全盛期である
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nigaoe_komatsu_kiyokado_tatewaki
1: パイルドライバー(愛知県)@\(^o^)/ [US] 2017/03/20(月) 19:28:49.82 ID:SqkmtDXb0● BE:544270339-PLT(13000) ポイント特典
<幕末の動乱と明治維新>第8回~クーデターで政権樹立

倒幕の密勅

 徳川慶喜が大政奉還を朝廷に申し出た1867年11月9日、「倒幕の密勅」が出されていました。
これは公家の岩倉具視ともみらが画策した、「賊臣慶喜」を「殄戮てんりく 」(殺害)せよと命じる詔書です。
朝廷の会議も天皇の裁可も得ていない「偽勅」でした。

 天皇側近である議奏ぎそう(宮中の業務を統括する職務)の正親町おおぎまち三条さんじょう実愛さねなるから、
長州藩の広沢真臣さねおみと薩摩藩の大久保利通に手渡されました。
京都出兵をためらっていた薩摩藩主と重臣たちに出兵を促す狙いがあったとされます。

 朝廷は大政奉還を受けながら、これまで通り、慶喜に「庶政を一切委任」します。
慶喜は、19日には征夷大将軍の辞表も提出しました。
しかし、混乱をきたした朝廷は、諸侯が上京するまで待つよう指示するだけです。諸侯会議はなかなか開かれず、政権に空白が生じます。

 一方、幕府内では「政権返上」の取り消し要求が噴出し、会津・桑名など佐幕諸藩は、薩摩藩への反感を募らせます。

http://www.yomiuri.co.jp/culture/history/20170309-OYT8T50042.html
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1490005729/ 続きを読む
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