(遅報)歴史まとめ

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http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1437600305/
1: 名無しの司馬遷 2015/07/23(木) 06:25:05.41 ID:3At8DvuR0.net BE:698254606-PLT(13121) ポイント特典
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福岡市美術館は22日、江戸時代の浮世絵師、喜多川歌麿(生年未詳~1806年)が墨で描いた美人画
「花魁(おいらん)と禿(かむろ)図」を新たに発見したと発表した。

歌麿の肉筆画は約50点が確認されているが、墨単色で描かれた美人画は初めて。正面を向いた構図も珍しく、
専門家は「歌麿が様々な模索をしていたことがうかがえる」と話している。

肉筆画は東京の個人蔵。縦117・6センチ、横46・3センチの掛け軸で、画面の下半分に正面を向いた花魁と、
後ろ向きの禿(少女)の全身像を描く。歌麿の自署と印、上部に戯作者、山東京伝(1761~1816年)の
賛文もあった。石田泰弘・国際浮世絵学会理事が確認し、2人の筆跡や、他の歌麿作品との比較から真筆と鑑定した。
画風から30歳代の1790~93年頃の作品とみられるという。

http://www.yomiuri.co.jp/culture/20150722-OYT1T50169.html
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http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1433133089/
1: 名無しの司馬遷 2015/06/01(月) 13:31:29.20 ID:vcY1Dalb0.net BE:595621929-PLT(15000) ポイント特典
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原哲夫のマンガ『花の慶次』(原作 一夢庵風流記)で、かぶきものの前田慶次に惚れ込んだ人は多数いるだろう。
本来は前田家をつぐはずなのに加賀藩祖利家が父を追いやったために大名にはなれなかった。

・前田慶次は2人いた可能性あり!!
ただ「歴史的にその実像は?」というと、利家を冷水風呂に入れたことなどは後世に作られた逸話である可能性が指摘されている。
ところが、こうした破天荒な生き様でのおもしろさではなく、そもそも「慶次は2人いた」という興味深い説がある。初代の前田慶次と2代目の前田慶次がいたというのだ。

・上杉軍で大活躍したのは68歳のとき
歴史研究者の外川淳さんが『新説 前田慶次』(新人物往来社)で提示している。比類なき武将として知られるのは、
東北での関ヶ原合戦と呼ばれる「長谷堂合戦」での上杉軍に属しての大活躍だが、このときの慶次は68歳となる。だが、若い2代目慶次だったらありうる。

・2世代と考えれば不思議ではない
さらに慶次が死んだ場所は上杉家の米沢(山形県)と大和(奈良県)の二つの説があるのだが、これも2人いるとすれば謎ではなくなる。
信長軍の有能な部下であった滝川一益の弟説とおいっ子説(滝川家から前田家に養子に出された)の2つもあるが、これもまた2世代と考えれば不思議ではない。

・証明できる資料
どうも初代の慶次は文化面に秀でた「ひょうげもの」な文化人で、2代目慶次が体力武力ともにあった「かぶきもの」な武将であった可能性がありそうだ。
ただし、そもそも慶次の存在を一次資料で証明できるのは、外川さんの調べでは以下の3点しかない。

1. 天正13年(1585)8月17日に前田利家が能登半島の七尾城を守る関係者にあてた書状に「慶二」とあること。
2. 慶長3年頃(1598)に上杉家に1000石で士官した。
3. 慶長6年(1601年)に京都の伏見から米沢までの旅した。

しかも、3点目は有名な『前田慶次郎道中日記』の記録に基づいているのだが、実のところ日記の筆者は自分の名を「前田慶次郎」ではなく「啓二郎」としか書いておらず、前田姓かどうかもはっきりしない。

http://buzz-plus.com/article/2015/06/01/maedakeiji/
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http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1437559289/
1: 名無しの司馬遷 2015/07/22(水) 19:01:29.41 ID:VTgk6Rbn0●.net BE:194767121-PLT(13000) ポイント特典
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http://www.gamer.ne.jp/news/201507220079/

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ttp://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1437640556/
1: 名無しの司馬遷 2015/07/23(木) 17:35:56.83 ID:qT6WlKtV0●.net BE:194767121-PLT(13000) ポイント特典
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 豊臣秀吉が羽柴を名乗る直前、木下姓で出した“最後”の書状を兵庫県豊岡市教育委員会などが京都市内の民家で見つけ10日、発表した。
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http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201507/0008196981.shtml
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http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1437492759/
1: 名無しの司馬遷 2015/07/22(水) 00:32:39.35 ID:3SmsLCFf0●.net BE:342992884-PLT(13000) ポイント特典
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地域 : 陸軍の至宝「永田鉄山」に迫る 早坂隆さんが評伝刊行

 戦後70年目を迎えるのを機に、諏訪市本町出身で、陸軍の統制派の中心人物だった永田鉄山中将(1884~1935年)の生涯を描いたノンフィクション
「永田鉄山 昭和陸軍『運命の男』」(文藝春秋)が発刊された。著者は、海外紛争地での取材で戦争の悲惨さを目の当たりにしてきた
ノンフィクション作家の早坂隆さん(41)=神奈川県=。「国防は、国民が考えるべき重要な要素。戦後70年、相沢(永田)事件80年の節目に、 戦争に至った経緯や理由、平和について考えてもらえれば」と呼び掛ける。

 陸軍の中枢で、実務家として陸軍改革に手腕を発揮、「陸軍の至宝」などと評された永田。著書では、永田の生涯を時系列で振り返り、 人柄や功績、国防観などについて紹介している。「徹底した合理主義者だが、ユーモアがあって部下からの信任が厚かった」永田は、 軍内での出身地による派閥間抗争の解消、国民の国防意識を高めるための体制構築に尽力。陸軍省軍務局長だった1935年、 派閥抗争により皇道派の相沢三郎中佐に斬殺される相沢事件の経緯などを伝えている。

 早坂さんは「相沢事件が、昭和史において大きなターニングポイントになった。ブレーキ役の永田が亡くなり、関東軍を含む陸軍の暴走が加速化した。
(統制派リーダーが)東條英機でなく永田だったら、先の大戦も違った形になっただろう」と指摘する。

 昨今の安全保障関連論議の活発化に期待する早坂さん。第1次世界大戦中のヨーロッパで軍事分野の研究に取り組み、
当時の日本国民の「国防意識の低さ」に危機感を覚え、国家全体で取り組む「国家総動員体制」を提唱した永田の主張に言及。
「永田は戦争を厭うからこそ、軍事に関する研究や分析を重ねた。国防の重要性を国民全体で論議し、共有したいと切に願った」と記し、
国民による議論の重要性を訴えている。

http://www.nagano-np.co.jp/modules/news/article.php?storyid=34504

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