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1: 日本@名無史さん 2014/05/26(月) 18:58:52.87 .net
宇喜多氏のスレッドです。
宇喜多 直家(うきた なおいえ)は、戦国時代武将備前国戦国大名『太閤記』では、斎藤道三松永久秀に並ぶ悪人としており、また出雲尼子経久安芸毛利元就と共に中国地方の三大謀将と言われる。

7: 日本@名無史さん 2014/05/26(月) 19:20:46.19 .net
松永久秀並に謀略の限りをしたあげく天寿を全うするってすごいよな

10: 日本@名無史さん 2014/05/26(月) 20:34:21.34 .net
宇喜多直家の暗殺歴

島村盛実…直家の祖父能家の仇、復讐として殺害
中山信正…直家の舅、酒席にかこつけて暗殺
税所元常…男色家であり、美少年のハニトラで暗殺
三村家親…狙撃して暗殺
松田元賢…直家の娘婿、攻め滅ぼした後に娘が自害
後藤勝基…直家の娘婿、攻め滅ぼした後に娘が自害
浦上宗辰…直家の娘婿、元主君の浦上宗景の子。毒殺後に娘が自害
浦上久松丸…浦上宗景追放後に傀儡として擁立するも、用済みになったので毒殺
宇垣与右衛門…鹿狩りの際に誤射と称して暗殺
伊賀久隆…直家の謀略に加担していたが、用済みになったので毒殺

12: 日本@名無史さん 2014/05/26(月) 20:41:20.29 .net
>>10
身内も死んでるんだなw

24: 日本@名無史さん 2014/05/27(火) 17:38:05.17 .net
弱小勢力で生き残るために謀略の限りを尽くしてきたのに
息子の代のお家騒動であっさり瓦解してしまうのが悲しい

27: 日本@名無史さん 2014/05/27(火) 18:08:51.20 .net
>>24
重臣に多くの知行あたえすぎた直家のツケを秀家が払った感じ
でも御家騒動~関ヶ原のときは弟の忠家さんも生きてたけど秀家見捨ててるし
詮家さんはむしろ反秀家派の渦中のひとだし
重臣だけじゃなく一門が離反するようじゃどうしようもないね

28: 日本@名無史さん 2014/05/27(火) 18:16:48.58 .net
跡取りが秀吉子飼大名化して在国せず、側近官僚と中央で浪費しまくって、領国はATMのように扱ったら
地元の家臣団はキレるわ

29: 日本@名無史さん 2014/05/27(火) 18:42:44.67 .net
秀家は五大老として在京義務があるので領国に帰れないし
上方に常駐する以上浪費つってもある意味必要なコストではあるけどな
もともと秀家の統制力が弱くて豊臣家の権威で
何とか家中をまとめてたようなもんだから
秀吉死んだらそら重しがとれて崩壊する

36: 日本@名無史さん 2014/05/28(水) 22:25:33.38 .net
直家は舅や娘婿は平気で殺すけど、自分が殺した相手の娘を側室にするとかいう事はしてないな。

37: 日本@名無史さん 2014/05/28(水) 22:28:14.25 .net
それは武田信玄、豊臣秀吉で有り!

38: 日本@名無史さん 2014/05/28(水) 23:19:48.45 .net
そして側室にした女の息子である勝頼や秀頼の代で滅んでる

39: 日本@名無史さん 2014/05/28(水) 23:34:26.97 .net
すなわち敗亡せし敵将の娘を近付けるは亡国の相と言える

48: 日本@名無史さん 2014/06/01(日) 17:20:15.70 .net
ウィキを読んだ限りだがどうも直家という人物はホモなのかドSなのか判らないがかなり女を見下していてイジメるのが好きだったんじゃないかという気がする
でなきゃ何故あんなに我が妻や娘達が死を選ぶほど冷淡で苛酷なことが重ねて出来るのか理解不能
晩年『尻はす』で苦しみぬいて死んだのは女達の呪いだったんじゃないかという気がする
どっちにしても異常人格だったんだろうな

52: 日本@名無史さん 2014/06/02(月) 21:25:07.73 .net
>>48
自害したのがおそらく確実なのは先妻と美作の後藤家に嫁いだ娘くらいで
あとの娘や妹はそもそも自害したっていう史料的根拠が軍記物にすらない
直家のせいで死んだとされてる娘以外にも、直家には娘がいっぱいいて
その子らはふつうに結婚して別に自害とかしてないし

どう考えても正室・継室以外に側室が複数いないとこんなにこども生まれないし
美女と誉れの高かったお福を継室に迎えてることを考えても
ふつうに直家は父ちゃんや息子と同じレベルでかなりの女好きだと思うけどなー

54: 日本@名無史さん 2014/06/02(月) 22:16:19.49 .net
大勢力の狭間に位置する勢力には、顔色伺いのスキルこそが、生き残る要諦なのである。

55: 日本@名無史さん 2014/06/02(月) 22:19:44.69 .net
息子にそのスキルが受け継がれなかったのが悲しいけどなw

70: 日本@名無史さん 2014/06/06(金) 02:23:26.34 .net
実質的に宇喜多は直家という出来星が一代で土豪から戦国大名に成りあがったので
譜代の家臣っていってもほとんど直家の代からだし
もともと宇喜多も家臣も備作の土豪で出自はかわらないわけですし
三河武士のような代々の忠誠心を期待されてもさぁ

72: 日本@名無史さん 2014/06/06(金) 03:46:12.70 .net
延原や明石は浦上家の家臣としては宇喜多と同格だったし
直家の代で出自に大差ない国人を短期間で吸収して家臣化したから
知行面でも宇喜多は大身の家臣が多く大名直轄領少ないわけだし
家臣の意識の面でも結果的に秀家による家臣統制が弱くならざるをえなかったわけで

73: 日本@名無史さん 2014/06/06(金) 19:27:27.02 .net
三河武士が代々の忠誠なんてのは後付けの伝説じゃん。
別段他家と違いなんてないしな。
謀反もあるし一族間争いもあるし普通の戦国の家。

74: 日本@名無史さん 2014/06/06(金) 20:29:27.56 .net
>>73
関東移封で急激に領地拡大する前の徳川家の直轄領と家臣の知行の割合どのくらいよ?
宇喜多はのちに備中半国くわえたあと太閤検地で最大限見積もってもMax57万石
しかないのに2・3万石越えの家臣がごろごろいて大名直轄が石高のわりに明らかに少ないのよ

82: 日本@名無史さん 2014/06/07(土) 01:36:25.76 .net
>>76
忠義とか忠誠心メンタルうんぬんより宇喜多と徳川には家中の構成・統制に
構造的な違いがあったってことだろ
>>78の言うとおり豊臣政権下での移封の有無は大きいと思う
宇喜多は移封がなかったので家臣の国人領主の既得の権限が強固に残った

>>81
直家が暗殺してるのは家臣というより金川も松田、後藤や伊賀も
姻戚関係にあるほぼ対等な国人の同盟者だから一門になるべき候補を
殺してしまった面もある
宇喜多の場合、上に守護代(浦上)も守護(赤松)も残ってるなかでの
下剋上だからどうしても国人をつなぎとめるために妥協・譲歩せざるを
えなかったっていうのはあると思う

黒田も万石越えの大身の譜代がごろごろいる家だから家中の統制がままならず
忠之の代に御家騒動で潰れかけたしね

75: 日本@名無史さん 2014/06/06(金) 20:35:15.89 .net
宇喜多家が生き残るには直家が長生きして暗殺なり何なりで
家臣たちの知行を削っておかないと駄目だったな

77: 日本@名無史さん 2014/06/06(金) 21:25:16.25 .net
宇喜多って大名にのし上るまでの経緯が経緯だからな。


>家臣たちの知行を削っておかないと駄目だったな

平和な時代ならともかく、まだ戦いの続いたこの時代に
家臣の知行削ったりしたら、それこそ収まり尽かないと思う

79: 日本@名無史さん 2014/06/06(金) 22:18:10.38 .net
後世まで生き残った大名はどっかで君権を確立してるよな。
君権を確立したからといって生き残れるとは限らない点で甘くないが、
君権を確立しないと生き残れない。

81: 日本@名無史さん 2014/06/06(金) 23:23:49.58 .net
一番理想なのは、大身重臣の勢力を悉く削減したうえで、間もなくこの世を去って、ホッとした家来たちが新リーダーたる秀家のもと求心力を集める…といった姿だろうか。
黒田において、死期を悟った如水がわざわざ家臣に嫌がらせをし、早く死んでくれとばかりに恨みを集め、死後、倅長政のもとに家来の求心力を集めようとしたように

だが、直家の粛正やら暗殺は、あれでもまだおっつかないほど、道半ばだったのだ

87: 日本@名無史さん 2014/06/07(土) 09:11:55.03 .net
宇喜多家が幕末まで続いてたら直家の所業も
「乱世で生き残るには手段を選んではいられなかった」「弟や重臣たちを大事にした」とか
擁護されてたんだろうな。

103: 日本@名無史さん 2014/06/08(日) 19:15:34.39 .net
直家は平和主義者で人が死ぬのを極端に嫌うんだよな
だから領土拡大の時も戦という手段を極力避けて、犠牲者を減らしている

106: 日本@名無史さん 2014/06/13(金) 17:52:49.65 .net
>>103
暗殺や謀略も極めれば芸術に足りえると考えてそうだなおまいw

107: 日本@名無史さん 2014/06/13(金) 19:58:56.34 .net
>>106
昔はそう考えたのでないの?
日本神話のヤマトタケルの物語を見たら

104: 日本@名無史さん 2014/06/08(日) 19:31:06.52 .net
宇喜多家が幕末まで続いていれば実際そういう擁護意見もあっただろうよ

108: 日本@名無史さん 2014/06/13(金) 21:38:06.39 .net
謀多ければ勝ち、少なければ負けるというからな。

117: 日本@名無史さん 2014/06/22(日) 21:06:42.10 .net
宇喜多騒動の火種は、御家が羽柴秀吉に臣従する前からずっとあった。
太閤秀吉の重みで一時的に栓をしていたようなもので、秀吉が亡くなれば、忽ちにして騒動の骨格は浮き彫りになってくるということ、これである。
換言すれば、家康が根回しして改めて起こさせるまでもないものにほかならない。
このようにして、備前宇喜多家は戦わずして空中分解すべく運命づけられていたのである。

134: 日本@名無史さん 2014/08/10(日) 23:48:06.86 .net
>>117
秀吉の後ろ盾がなかったら直家が死んだ時点で空中分解してた可能性が高いな。

141: 日本@名無史さん 2014/09/10(水) 11:36:23.13 .net
家老ほとんどと一門衆にまで逆らわれるんだから凄えわ
ほんと一体当時の宇喜多の内情はどんな有り様だったのやら

143: 日本@名無史さん 2014/09/10(水) 12:20:53.82 .net
>>141
大阪詰めで国許を全部家老に任せきりだったんでしょ。
変なの登用しないで宇喜多忠家に家政を丸投げしてたらどうなってたんだろうな。

142: 日本@名無史さん 2014/09/10(水) 12:13:54.02 .net
元々宇喜多家は直家が一代で無理やり作り上げた家なんだから直家が死んだ時点で終了なんだよ。
秀吉が居たからなんとかその後も家の形をなしていただけで。
その秀吉の忠実な部下が長船なわけだから、秀吉死んだらこうなるのは必然。
他でも秀吉死後上杉、毛利、島津で似たような騒動があったろ。
宇喜多みたいに家中が解体しなかったのはそれぞれの家がそれなりに伝統や力があったからにすぎない。
島津なんて内輪で合戦までやってんだからな。

144: 日本@名無史さん 2014/09/10(水) 12:24:24.66 .net
>>142
まあ、一代で築いた勢力は脆いってのもあるな。
蒲生も秀郷死後はヤバかったし。加藤嘉明のところもダメだった。
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/history/1401098332/