chart
1: 日本@名無史さん 2013/10/27(日) 01:32:54.65 .net
豊臣家のスレッドないよね?

2: 日本@名無史さん 2013/10/27(日) 01:33:32.15 .net
秀吉が秀次を許していたら豊臣家はその後どうなっていたかな?

5: 日本@名無史さん 2013/10/27(日) 21:09:54.53 .net
豊臣家は幕末まで大名家として続いていました

6: 日本@名無史さん 2013/10/27(日) 22:07:34.48 .net
>>5
豊臣姓には違いないが、秀吉-秀頼の直系ではなく木下家の縁戚に過ぎないけどね

7: 日本@名無史さん 2013/10/28(月) 00:03:45.59 .net
秀次を処罰せずに関白のまま太閤として政務を行って秀次に上手く継がせたら
どうなっただろうか?
まず関白と昵懇の伊達政宗が豊臣政権の一角に躍り出てくるか?

8: 日本@名無史さん 2013/10/28(月) 05:57:56.62 .net
この手の伊達政宗過大評価だけは全く意味がわからん

10: 日本@名無史さん 2013/10/29(火) 01:37:13.96 .net
秀次が関白のままで秀吉がなくなったら
五大老五奉行もなかっただろうな
徳川が勝手に婚姻でもしようものなら
すぐに徳川を朝敵にして関東征伐が開始されただろうな

18: 日本@名無史さん 2013/11/07(木) 23:52:57.93 .net
しかし牢人衆を十万人抱えてたらいかな豊臣家でも短期間で財力尽きるよ
急きょ募集したのでは間に合わない、前から主だった牢人衆には従者含めて金出してたんだろうから

19: 日本@名無史さん 2013/11/10(日) 02:41:37.94 .net
豊臣家って普通にやってたら超有力な徳川の御家門として続いたのは確実なのに
あまりにも安泰なためにはねっかえりがバカなことばっかやって
とうとう家康が秀忠周辺をフォローできなくなって自爆
そんなイメージしかない

20: 日本@名無史さん 2013/11/10(日) 09:37:11.67 .net
ないない

21: 日本@名無史さん 2013/11/10(日) 18:51:16.21 .net
秀頼もおとなしくしていようと思っていたら、家臣がテロリストをヘッドハンティングしだしているからな…
素直に江戸に出仕で家臣団をクビにしたほうが生きながらえたかもね。

27: 日本@名無史さん 2013/11/18(月) 23:39:42.02 .net
俺が秀次なら、秀頼が生まれた時点で関白返上する。
政治と関わりがない部署に異動する。
でも、実際も家臣達が黙ってなかったんだろうな。

29: 日本@名無史さん 2013/11/19(火) 19:16:38.91 .net
>>27
秀次存命時点では、関白の空位は豊臣政権の否定ってレベルだからそれは無理な気がせんでもない

30: 日本@名無史さん 2013/11/19(火) 20:28:39.94 .net
切腹させた後は空位じゃなかったの?
秀吉が復職したのかな。
秀吉に返上を言上するだけでもだいぶ違ったかも。

31: 日本@名無史さん 2013/11/19(火) 21:15:40.91 .net
>>30
秀吉は秀次殺した後は自分の太政大臣の権威で政権を保っている。
秀吉は太政大臣だけは死ぬまで辞任しなかった。

秀次を殺した時点で武家関白制は崩壊し、かといって太政大臣権威による政権機構も形成しきれず
秀吉は死んだ

35: 日本@名無史さん 2013/11/20(水) 19:15:39.10 .net
>>31
>秀次を殺した時点で武家関白制は崩壊

一応、秀吉が没するまでは関白不在
他の五摂家からも関白が任じられない状態だった
秀頼が摂家嫡男にならった昇進方法をとっていることからも
武家関白制崩壊とまではいえない

36: 日本@名無史さん 2013/11/21(木) 06:57:49.02 .net
>>35
武家関白不在の状況で政権が回ってるんだからそれは制度として崩壊してると評価すべきだよ

43: 日本@名無史さん 2013/11/21(木) 17:14:27.94 .net
>>36
鎌倉幕府だって3代実朝が死んでから4代九条頼経が征夷大将軍になるまで
7年間将軍不在で回っている
しかし制度として崩壊していたとはいえんだろ

秀吉が秀次の切腹後、秀吉が死ぬまでの4年間関白を置かなかったところで
秀吉がその間別の関白を任じず、実子秀頼は摂家嫡子に准じた扱いをしているのだから

32: 日本@名無史さん 2013/11/19(火) 23:35:15.27 .net
何で右大臣秀頼より下の内大臣鷹司信房が関白になってるの?

33: 日本@名無史さん 2013/11/20(水) 02:08:40.34 .net
持ち回りが復活したからじゃないの
秀吉がやり散らかした改革で生じた空白を家康がとりあえずもとに戻した

34: 日本@名無史さん 2013/11/20(水) 09:28:21.41 .net
秀頼側は黙ってたのかな。

37: 日本@名無史さん 2013/11/21(木) 08:38:15.34 .net
秀吉が生きている間に秀頼に関白を継承できなかったのが痛い。
むりくりにでもすりゃよかったのにね。

38: 日本@名無史さん 2013/11/21(木) 09:40:13.67 .net
流石に無理

39: 日本@名無史さん 2013/11/21(木) 13:11:35.50 .net
むしろなんで無理だったんかが知りたい。

40: 日本@名無史さん 2013/11/21(木) 13:22:25.70 .net
年齢が若すぎるから
関白になるには他の官職(大臣とかね)を経験してなきゃいけない
史実ですらかなりゴリ押して、あれ

征夷大将軍と違って関白は
そういう制限が多々あるんだよ
名目上、天皇の代わりに政治をみる役職だし
あと5年、10年早くに生まれてたら可能だったろうね

56: 日本@名無史さん 2013/12/01(日) 03:42:09.04 .net
創作説もあるが、秀吉が足利義昭の猶子になって源氏を名乗り征夷大将軍に就いて幕府を開けば、その後の歴史は変ったに違いない

57: 日本@名無史さん 2013/12/01(日) 17:33:41.82 .net
>>56
そうしたら家康が関白目指しただけのような
豊臣家で関白と将軍を独占しないと

58: 日本@名無史さん 2013/12/01(日) 18:55:07.76 .net
関白って天下人の絶対要件だったのかな?
足利義満も太政大臣だったし、晩年の秀吉も太政大臣。
太政大臣の官職を握ってれば、関白も将軍も必要なかったんでは?

59: 日本@名無史さん 2013/12/01(日) 20:28:44.70 .net
>>58
絶対条件は実際の権力。
関白も将軍も太政大臣も天皇権威を立てて自己の権力を正当化するための必要条件に過ぎん。

60: 日本@名無史さん 2013/12/04(水) 04:27:07.75 .net
晩年に適当に理由をつけて
家康を九州に転封すればよかったな
そうすれば京都大坂から遠く
島津と毛利に挟まれることになる

61: 日本@名無史さん 2013/12/04(水) 05:10:33.21 .net
で、ただでさえ朝鮮役に従軍中の九州諸国が大混乱に成って収集つかず秀吉の生きている間に豊臣政権崩壊ですねわかります。

もうちょっと常識的に考えられる訓練した方がいいよ

62: 日本@名無史さん 2013/12/04(水) 05:51:03.82 .net
豊臣政権にとって家康は政権にとっての連立与党みたいなもの
敵と認識するのがそもそもの間違い

64: 日本@名無史さん 2013/12/04(水) 10:50:21.17 .net
>>62
家康の祖国三河を奪ってそれより遠い関東転封にしたのだから
秀吉も家康を全面的に信用してたわけじゃないだろ
信長だって家康を家臣同様に扱い家康暗殺の噂があったくらいだから

ただし幼少の秀頼を愛するあまり盲目となった秀吉は
本来豊臣政権の担い手となるべきだった身内を疑い(秀次切腹、秀次の男子処刑)
秀吉とは血縁もなく接点も薄い外様と形ばかりの姻戚関係を結んで重用した
外様の家康に秀頼と豊臣政権を託したのが間違いだった

63: 日本@名無史さん 2013/12/04(水) 10:15:29.53 .net
織田政権でも重要同盟国、豊臣政権でも重要同盟国だもんなあ。

65: 日本@名無史さん 2013/12/04(水) 10:53:59.50 .net
他に任さられる人材がいねぇ
まぁ秀次殺したのは自業自得だが

71: 日本@名無史さん 2013/12/05(木) 04:56:43.11 .net
太閤蔵入り地(豊臣家直轄地)220万石。
関東移封後の徳川家の石高250万石。
畿内から離れた東国とは言え豊臣家に互する領地を与えてしまう秀吉は、天下を統一する創業の才能はあっても天下を統治する守成の才能はなかったと言える。

72: 日本@名無史さん 2013/12/05(木) 06:16:08.87 .net
>>71
馬鹿かお前は。「蔵入地」ってのは家臣の領地を除いた、文字通りその家の直接の収入となる領地だ。
関東時代の徳川家の「蔵入地」は80万石程度だぞ

79: 日本@名無史さん 2013/12/05(木) 11:49:27.62 .net
>>71
豊臣宗家…220万石
豊臣秀長(秀保)…100万石
豊臣秀次…100万石

豊臣一門を合わせれば420万石ほどあったよ
大和大納言家は秀保で絶え、秀次も豊臣宗家を継いだから
太閤検地後に豊臣の直轄地が増えたんでは?

84: 日本@名無史さん 2013/12/05(木) 16:12:52.63 .net
>>79
秀次家は仕方として
秀長家絶えたのは惜しいな

77: 日本@名無史さん 2013/12/05(木) 09:48:34.16 .net
秀吉は譜代いまくりでしょ

尾張衆の前野・蜂須賀や加藤や、秀吉子飼い系の福島加藤など尾張衆に加え長浜衆一杯で叩き上げ武将だらけ。
譜代衆だから外様に大封やったんじゃなくてただ単に他力本願でなあなあな同盟みたいな関係で
トップにたっただけでいわば公家とか朝廷みたいなもんで武力で押さえつけたわけじゃなく
そんな力秀吉にはなくて 
敵勢力の敵が味方をしたから成っただけのハリボテ政権だから崩れさっただけ。
大体家康なんて天正12年初頭の徳政連発・木曽小笠原石川水野真田とそれによる軍事機密露見による領国崩壊で
めちゃめちゃな状況なのに これで母や妹人質に出す程雑魚なんだからどうしようもない
つうか外様系でも宇喜多なんてもう直家が死んだ時点で秀吉領との一体化が進められてたし
毛利や上杉も、最初から秀吉に敵対せずに協力した時点で家康よりも遥かに豊臣に忠義的。
僅かな期間で築いたとか書いてるけどそれは別に徳川も織田も細川も三好も大内も何も変わらんからいいわけにならん
織田に仕えてる時点での秀吉は家じゃないのかって話だし

82: 日本@名無史さん 2013/12/05(木) 15:07:41.34 .net
直轄地の代官ができる家臣数が不足してると、名義だけ書き換えても指示通りに管理ができないんでは

83: 日本@名無史さん 2013/12/05(木) 16:09:57.51 .net
豊臣家臣団なんて初期からの譜代連中が馬鹿みたいに一杯いるじゃんよ。
長浜時代でいうと一門衆が秀長秀勝三好義房浅野長政杉原家定・家次、木下家定
尾張衆は加藤清正(秀吉一族)福島(秀吉一族)山内・蜂須賀(河波衆リーダー)青木・平野・加藤嘉明・堀尾・宮田光次
美濃衆が竹中・坪内利定・稲葉貞祐・加藤光康・小野木・生駒・石川光政・日根野弘就・谷衛好・仙石秀久
一柳直末・伊藤秀盛・尾藤知宣。
これに近江衆 木村隼人正 片桐且元 寺沢広政 石田三成 中村一氏 増田長盛 宮部継順 速見守久 脇坂安治 長浜衆(伊藤牛介・谷兵介・石川・藤懸・田中など)
他国衆の中川清秀(舎弟) 小西行長 宇喜多秀家 黒田孝高

86: 日本@名無史さん 2013/12/05(木) 16:35:33.16 .net
>>83
豊臣政権はやたら細かく指示を出しているのを見ると、下級官僚の数がたりないんじゃない

88: 日本@名無史さん 2013/12/05(木) 17:18:31.79 .net
>>86
普通に考えて統制力の高さを示すだけでしょ。
例えば上杉領国とかも謙信時代は領国内の統治はおざなりで
家臣たちに投げやり状態だったけど御館の乱の克服や本能寺の変、豊臣政権への服属など
経て領内が安定してくると、家臣たちに対する発給文書が次々増えてくるし

85: 日本@名無史さん 2013/12/05(木) 16:13:31.43 .net
傀儡化した大名権力と、言う事を聞かず専横しまくる家臣という腐りきった支配構造を抱えた守護大名とかと違って
秀吉は言う事を聞かず邪魔になるような先代からの旧臣とかがいなかったから
その分自分の都合よく動かせるよく言う事を聞く好きな家臣を生え抜きの叩き上げで育成できたからね。

87: 日本@名無史さん 2013/12/05(木) 16:51:34.64 .net
すでに秀長を失ってるのに何で秀次を殺したんだろうかな
秀長を失った段階で焦ってしまったのだろうか

89: 日本@名無史さん 2013/12/05(木) 17:23:50.39 .net
秀吉は本能寺以前の織田家みたいな与力制の間接統治ではなく軍閥化・軍制改革に取り組んで
直轄支配・直接支配体制に変革させて陣立書によって今までのような一揆的秩序の貫徹する軍隊内部に
命令系統と上下秩序を持ち込む戦争史の画期といえるもので
これを以って中世の軍隊との決別する新たなる公儀的軍隊編成となったとされている。
これにより、特定の戦争を想定し、自己の軍勢を最も効率的に配置し布陣することが徹底されることになる軍事革命である。
これが可能になる条件は徹底した検地を通じて軍役や普請役の統一的賦課基準を確立しなければならない。

90: 日本@名無史さん 2013/12/05(木) 17:25:25.61 .net
最も格の高い池田や丹羽ですら清洲会議の時点で秀吉に臣従同然だった上に
これまでのような委任制の軍団方式から直接命令型・直轄支配体制に切り替えて逐一書状で命令指示を事細かに申し付けてるのに
秀吉軍の敗戦理由を烏合の衆だったからとか相当馬鹿だな
むしろ織田…清洲会議以降に従った領主が大半・木造家の実権支配により信雄は傀儡状態・重臣連中まで秀吉の馬と化し
信雄は仕方なく津川・岡田などの粛清に踏み切る
徳川…ほとんど旧今川系旧武田系の外様連中、譜代連中も三河一向一揆で過半に割れるような雑魚統制部隊、石川も秀吉にこの頃既に
篭絡されていた様子と遥かに烏合の衆だったといえるわ。
現に会戦当初から信雄方では尾張では石田毛利氏、毛利秀頼、松ノ木近辺の諸将、伊勢では神戸関田丸八重羽津田富田小島榊原岡田津川
美濃では池田・森、木曽谷の木曽など重臣連中が寝返りまくってるが秀吉方では何ら寝返りが起きてないし

118: 日本@名無史さん 2013/12/06(金) 20:15:21.10 .net
家臣団統制が小牧長久手時点で行き届いていたようなのに、なぜ崩壊したのだろう

119: 日本@名無史さん 2013/12/06(金) 21:12:32.42 .net
秀吉一人の力に頼りきってから?
よく言われるけど秀吉の藩屏となる一族一門の少なさはどうしようもない

93: 日本@名無史さん 2013/12/05(木) 17:44:48.72 .net
叩き上げ武将達が悉く豊臣家を見捨てて家康に篭絡され 
前田や浅野が家康の示威行動に対してビビって即効ヘタレ土下座し 
総大将であり首謀者の毛利輝元が馬鹿すぎて100%かてる状況にもかかわらず 
何もできず兵力を分散しまくり大敗したのが、豊臣家衰退の原因。 
三成や宇喜多や小西などの恩顧系・親藩系の諸大名はそこそこ頑張ってたが 
前田や浅野や毛利や豊臣武功派系などあまりにも情けない馬鹿な大名らが多すぎたのが痛かった。

130: 日本@名無史さん 2013/12/07(土) 20:03:06.08 .net
関ヶ原における毛利と石田は違う戦略目的で動いていたと考えれば、
輝元が大坂城を動かなかったほうが当然かも知れない
西軍の「不統一」は行為に根差すものではなく成立経緯に根差すもので、
不統一を責めるならば西軍という存在そのものが成立する余地がなかった

131: 日本@名無史さん 2013/12/07(土) 20:33:42.73 .net
そりゃ大名と奉行では利害問題が全く違うからな。
つか奉行の間ですら利害の一致が見られていない。
「家康を排除する」という唯一無二の目標すら、それぞれの勢力の間に強い温度差がある。

159: 日本@名無史さん 2014/02/24(月) 13:15:52.43 .net
太閤=豊臣秀次
関白太政大臣=豊臣秀頼
八大老
徳川秀忠、毛利輝元、宇喜多秀家、小早川秀秋、上杉景勝、結城秀康、加藤清正、福島正則

161: 日本@名無史さん 2014/02/24(月) 15:01:32.53 .net
>>159
秀頼が生まれている段階で秀次は確実に死んでるし、秀頼が成人してる段階で
史実と大して変わらん流れだろうよ。

淀が間男して拷問でぶち殺されてれば、もっと早くに崩れる。豊臣政権は、
織田の権威の傘の下で勢力を伸ばした以上、織田の血を否定すれば
織田の同盟者に屠られるわな。

そんな政治バランスだよアホが。

199: 日本@名無史さん 2014/06/02(月) 08:47:54.91 .net
フロイスの日本精通ぶりというか理解度は異常。

201: 日本@名無史さん 2014/06/02(月) 14:17:38.50 .net
>>199
坊主は、洋の東西を問わずまめなやつが多い。
日本でも坊主の日記は第一級史料。

204: 日本@名無史さん 2014/07/04(金) 13:29:19.58 .net
202
古代から色んな記述を残してきたのはそういう人らだからね
頭を剃り上げただけのなんちゃって坊主とは違う
そういうのは大体、肉欲の権化になるもんだ

205: 日本@名無史さん 2014/07/04(金) 16:33:39.54 .net
延暦寺の僧兵たちですねわかります

210: 日本@名無史さん 2014/07/07(月) 18:56:49.67 .net
国松も大坂の陣の前に城を出て出家してれば助命されたかもな。

215: 日本@名無史さん 2014/07/08(火) 13:08:38.01 .net
>>210
国松と奈阿姫は大坂の役後に京極家が家康に差し出しており
大坂の役以前から大坂城にはいなかったとみられている
国松に関しては京極竜子が処刑後の遺体を引き取り、
国松の墓の隣に自分の墓を造らせるなど並々ならぬ思い入れが見られ、
京極竜子や淀殿の妹初など京極家が国松・奈阿姫の養育に関わっていたとみられている
千姫に遠慮して脇腹の国松らを淀殿が京極家に託していた可能性があるらしい

国松は8歳なので出家するにはまだ幼い
普通に大坂の役後に寺に入れれば良かっただけでは
家康に助けるつもりがなかったから幼児を処刑したんだろうが

211: 日本@名無史さん 2014/07/07(月) 19:51:11.16 .net
千姫が秀頼の男子を生んで、秀頼が大阪の陣の前に隠居し、千姫の子が家督を継ぎ、大阪が幕府からの付家老を受け入れていれば、豊臣氏が存続いていたかも鱈レバーだな。

212: 日本@名無史さん 2014/07/08(火) 09:16:04.92 .net
>>211
家康は身内に対してもかなり冷酷だよ
実息子でも殺害したり改易・幽閉したりしている
たとえ外孫が当主でも徳川家にとってあまりにも危険すぎる豊臣家存続は認めないだろう

ありうるのは秀忠の外孫であることに免じて死一等を免じられ
外祖父徳川秀忠の養子となって豊臣姓を捨てて松平を名乗るか他家の養子に入って別姓を名乗り
豊臣出身であることを伏せて何食わぬ顔をして生き延びる道だろう
しかしそれでもやっぱり出家させられただろうな

213: 日本@名無史さん 2014/07/08(火) 09:56:24.88 .net
関東か東海に転封して江戸定府というのはどうだろうか。

214: 日本@名無史さん 2014/07/08(火) 13:03:31.75 .net
>>213
家康は織田家に対して織田秀信を改易・高野山で出家させ、
かつて小牧・長久手で自ら担ぎ上げて共に戦った織田信雄に対しても
織田家当主であるのに奈良の山奥に5万石しか与えず
信雄自身は生涯領地に入ることを許さず京都で軟禁していた
家康が織田家以上に豊臣家を優遇するとは思えない

217: 日本@名無史さん 2014/07/08(火) 15:55:45.83 .net
「家康が」豊臣を潰したかったとしたら、
秀忠将軍就任のときに秀頼が上洛拒否った時点で何かしら強硬な介入を始めているという意見もあるがな

218: 日本@名無史さん 2014/07/08(火) 17:15:55.90 .net
秀忠が関ヶ原に遅参して、加藤、福島らの兵力に頼ったのが、初期に強硬に出られなかった原因だからな。
秀忠の将軍宣下当時に強行策はまだ無理だろう。
そのころから、豊臣が下手に出るほど利口だったらどうにかなっていたかもな。

233: 日本@名無史さん 2014/09/22(月) 18:43:36.02 .net
中村からの豊臣創設のみんなは秀吉含め若く亡くなってるよね
百姓時代、あまり良い食べ物をとっていなかったのも要因かな?

とはいえ大政所と日秀尼は極端にご長寿なんだけども

234: 日本@名無史さん 2014/09/22(月) 20:01:47.77 .net
>>233
過労だったり、不摂生だったりと色々あるだろうね。
家康みたいに、医学知識があって節制してるような戦国武将が希だったわけで。

243: 日本@名無史さん 2014/12/08(月) 22:32:09.75 .net
>>233
秀吉も織田家時代からあれだけ働きまくって62歳まで生きれば十分長寿。
秀長も52歳まで生きたから若死にって感じでもないような。
秀次も粛清されなければ相当長生きしたような感じはする。

241: 日本@名無史さん 2014/11/23(日) 15:44:46.44 .net
大坂の陣、最後の秀次娘は生かして欲しかったな

246: 日本@名無史さん 2015/01/02(金) 00:55:04.85 .net
皇室に入った豊臣の血は、秀勝→完子の血だな。
完子の子孫の九条家出身の貞明皇后が昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮をお生みになられた。

247: 日本@名無史さん 2015/01/20(火) 12:27:59.58 .net
豊臣は滅びたわけではないんだな
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/history/1382805174/
徳川家康って例の事件がなかったら日本史上最高の完全無欠の英雄やろ

本願寺や雑賀衆ってイスラム国みたいな感じだよな


イスラエルとかいう中東に君臨する最強国家

伊達政宗のキチガイ逸話で打線組んだwww