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1: 名無しの司馬遷 2014/08/02(土) 23:22:15.26 .net
なぜナンバー2が、権力を手中にし、世襲制で天下をとれたのか
さらになぜその異質な体制が維持できたのか
普通、将軍家がTOPで有力家臣団が補佐するのが普通だが
TOPを差し置いて完全世襲の家臣の家が前面に出て天下に号令を
かける・・・なんでこうなったの?

158: 名無しの司馬遷 2014/10/07(火) 01:06:11.04 .net
>>1
単純に承久の乱だろな原因は
実朝時代はまだ義時は頼朝時代のイメージで動いてる感じで、将軍重視
だったと思う
ところが、実朝死んで将軍不在の時に、後鳥羽から合戦ふっかけられてこれに勝った
帝を廃位、三上皇島流し、公家や武家の処刑、それも鎌倉から馬でぴゅーっと指令一本で
粛々とすすんでいくんだからなショックはでかい

つまり、期せずして予想外に天下をとってしまったが、予想外だったんで
北条氏の位置と実際の権力のギャップがうまれても、そのままずーっといった
まず、義時自身はのんびりしてて、幕府体制変える気が全然なかった
泰時んときに執権体制と得宗体制を整備したぐらい

164: 名無しの司馬遷 2014/10/08(水) 20:24:09.59 .net
>>158
義時の頃は政子が健在で、幕府の求心力になっていたからね。
政子が死去して、後に残ったのがいまいち権威に欠ける幼少の
三寅。それでも何とか組織を維持しようと打ち出した対策が
評定衆設置と御成敗式目制定だったんじゃないかな。

4: 名無しの司馬遷 2014/08/03(日) 00:06:54.98 .net
天皇家に対する摂関家のような関係が鎌倉でも真似をされたのかな?
主君の権力が実務担当の部下に移動してしまうことは世界でもよくあることだろうし。
ただその関係が何世代も世襲されたのは珍しいのかも、他国な主君にとって代わって
新王朝を建てるのが普通だろうし。
日本人は一度出来た体制を例え形骸化したとしても極力壊さずに維持しようとする傾向があるみたい。

5: 名無しの司馬遷 2014/08/03(日) 00:14:19.59 .net
時政が将軍になれるだけの出目だったら将軍主権でまとまってたはずだが
自称平氏の怪しい家系だったからな

7: 名無しの司馬遷 2014/08/03(日) 15:24:23.92 .net
後の足利将軍や徳川将軍と比較するから異質に見えるけど、
それらは元々自前の軍事力があるところからスタートしていて、
自前の軍事力がないところからスタートした源頼朝とは決定的に違う。

鎌倉幕府は初めから御家人の方が立場が強くて、
その結果将軍は今でいえば、
何とか協会の名誉顧問とか相談役みたいなポジションになった。

御家人が将軍に求めているのは、
貴種であって中央政界に顔が利き、
内部には口を出さないこと。
それが理解できてないと、殺されたり京都に送還されたりする。

時代によって程度の差はあれ頼朝の時から基本は一緒。

9: 名無しの司馬遷 2014/08/03(日) 16:23:17.16 .net
承久の乱後の北条義時や泰時は一応天下を支配できる勢力を持ってたのに
なぜ将門のように帝位を望まなかったんでしょう?
帝位と言わずともせめて将軍になってもよさそうなのに。
それともやはり当時は家格の縛りが強くて、北条ごときがそんな地位に就いたら周りから非難される状況だったのかな?
天下人なのに「相模守」の官位に甘んじてた北条さんがいじらしいれす

26: 名無しの司馬遷 2014/08/08(金) 20:11:25.30 .net
>>9
天下人の官位が相模守というのもすごいな。
北条一門で武蔵守が補佐役と考えると、

現代風に言うと、神奈川県知事と東京都知事の職権を北条氏で独占したようなもの。


あれ? 現代にあてはめても実質的な権力強そうだぞ。

39: 名無しの司馬遷 2014/08/12(火) 11:18:31.09 .net
>>26
感覚的は大阪府知事と兵庫県知事の連合くらいじゃないの。
政令指定都市制度がないと考えた上でだけど。

16: 名無しの司馬遷 2014/08/03(日) 16:47:29.96 .net
なぜ北条得宗家と藤原摂関家は似ている。どちらもTOPを傀儡化し
何世代も権力を掌握した

18: 名無しの司馬遷 2014/08/03(日) 16:59:06.35 .net
>>16
藤原摂関家は摂関全盛期こそ外戚政策で外孫を即位させ天皇を傀儡化していたが
平安時代末期以降、摂関家を外戚とする天皇がほとんどでなくなって以降は
ほとんど天皇を超える権力は有していない
ただ鎌倉時代以降公家の家格が固定化したことで天皇との姻戚関係に関わらず
朝廷における天皇に次ぐナンバー2の立場を維持していたというだけ

北条が外戚関係のない摂家・親王将軍を傀儡にしていた状態とは全く違う

19: 名無しの司馬遷 2014/08/03(日) 17:26:39.15 .net
源頼朝の外戚とはいえ家格は諸侯と同格の北条家が覇権を確立したのが権謀術数の凄さを物語っている

20: 名無しの司馬遷 2014/08/03(日) 17:34:37.44 .net
まさに中世として
平安時代とは異なる流血の抗争だね

天皇家に対する摂関家よりも北条氏が将軍の首を簡単にすげ替えられたことや、外戚になる必要がない点は
摂関政治の運ゲーの側面を克服してるね

21: 名無しの司馬遷 2014/08/03(日) 19:14:31.64 .net
北条家の家格は、諸侯以下だろう
坂東平氏に比べたら

22: 名無しの司馬遷 2014/08/03(日) 21:24:34.12 .net
北条の場合もやはり北条政子が凄かったんだよ
源氏3代の後長年の尼将軍時代に鎌倉幕府の基礎を固め
北条こそは鎌倉幕府の統治者であるということを御家人たちに認知させた

25: 名無しの司馬遷 2014/08/04(月) 18:21:47.40 .net
頼朝将軍期

 伊豆・駿河・遠江守護職

頼家将軍期

 遠江守任官、比企の乱後に信濃・大隅守護職獲得

実朝将軍期

 政所別当就任、相模守・武蔵守任官、
 越後守護職(承元年間?)
 和田合戦後に侍所別当就任、美作守護職獲得

政所・侍所を掌握して将軍の命令を代執行できる権限は
大きい。後は、大江・二階堂などの吏僚層を掌握したり、
他の有力御家人が単細胞で、細かい事務仕事を北条氏に
丸投げしたことも有利に働いたか。

28: 名無しの司馬遷 2014/08/09(土) 15:18:07.49 .net
>>25
吏僚層は頼朝死後後継者の頼家じゃなくて政子の配下になってるからな。
そして政子死後はそのまま北条家の配下と化してしまった。

50: 名無しの司馬遷 2014/08/13(水) 11:56:29.62 .net
得宗家の寿命の短さは遺伝?

51: 名無しの司馬遷 2014/08/13(水) 19:03:41.94 .net
30代で死ぬのは当時としては普通では

52: 名無しの司馬遷 2014/08/13(水) 19:50:41.02 .net
平均寿命が低いのは幼児死亡率が高いからであって大人になった者は
昔でも50くらいまでは生きるよ。

53: 名無しの司馬遷 2014/08/13(水) 22:22:19.87 .net
一族の寿命を調べてこいつらは呪われてるんだとか決めつけるのかなり好きやで

56: 名無しの司馬遷 2014/08/13(水) 23:42:04.51 .net
官位にさして興味がないってのは、ある意味異常。
その点ではむしろ内管領平一族の方が常人だな。
よほど合理主義者だったのか、ひねくれ者だったのか?

59: 名無しの司馬遷 2014/08/14(木) 00:09:20.57 .net
官位に積極的に忌避したのは、得宗家と、右大臣返上後の信長くらいのもんだな。

60: 名無しの司馬遷 2014/08/14(木) 02:03:10.55 .net
将軍でもない武家で4位なるのって得宗と北条庶流くらいだろ?
足利だって得宗専制以後は5位止まり官位は武家としては高い部類じゃないか?

61: 名無しの司馬遷 2014/08/14(木) 02:36:41.93 .net
北条は承久の乱で朝廷を事実上滅ぼしたわけじゃん。
大臣にしろとか将軍にしろとか言って断れる状況じゃないんだよ。
現に北条からどんな官位を希望されてもそれに応える気だったって記録がある。
でもしなかったんだよ。四位とか、当時の北条家の力からしたら悪い冗談といえるくらいの低い位だよw

66: 名無しの司馬遷 2014/08/14(木) 21:55:21.63 .net
将軍とか大臣になったら他の御家人が黙っていないんじゃないか?
北条って軍事力で圧倒していたわけではなく陰謀で成り上がっただけだし
三浦や安達が没落した後でも君主にまではなれない家だと思う

69: 名無しの司馬遷 2014/08/15(金) 23:44:10.41 .net
承久の乱が起きる前までの北条家なら確かにそうだろうけど、
承久の乱で朝廷を事実上滅ぼしたことで北条義時の権威は頼朝に匹敵するくらい絶大なものになった。
その義時や後継者が高い官位を望んでも他の御家人は別に反発なんてしなかったと思うよ。
高い官位なんて欲しくなかったんだろ。

71: 名無しの司馬遷 2014/08/16(土) 07:14:45.97 .net
義時・泰時は執権として幕府の主導権を握ったけど、
他の御家人にすれば同輩だから絶対的権威はないのでは?
下文・下知状・御教書といった幕府公文書はいずれも
「鎌倉殿の仰せ」という形式になってるし、執権はあくまで
鎌倉殿の代行・補佐に過ぎない。だからただの飾り物であっても
将軍を必要とした。

72: 名無しの司馬遷 2014/08/16(土) 08:45:45.17 .net
>>71
だからそれは高い官位を希望しなかったのと同じで、
幕府内でも御家人の同輩という地位以上のもんを望まなかったというだけの話でしかないだろ。
政子死後の北条家は形式的には将軍となんの関係もない。
でもその地位は全然揺るがなかったわけで、それは指導力の源泉が北条家という存在そのものにあったからだよ。

77: 名無しの司馬遷 2014/08/16(土) 09:31:47.81 .net
北条氏はすごいと思うよ。なんでここまで特権化できたんだろうね

79: 名無しの司馬遷 2014/08/16(土) 10:47:00.77 .net
北条の場合、最高官位の低さ自体も変なんだけど、
庶流の方が官位が高いことが多いってのが異常なんだな。
なんで嫡流が大概五位どまりで、庶流が四位なんだろう。
あれほどまでの官位への執着のなさは日本人離れしてる。

80: 名無しの司馬遷 2014/08/16(土) 10:56:53.83 .net
>>79
ローマ帝国でいうなら皇帝以上に権力集中しときながらあくまで世襲の元老院議員の立場維持したような感じで。
貴族共和政みたいな関東武家共和政みたいな。

83: 名無しの司馬遷 2014/08/16(土) 12:26:59.38 .net
>>79
得宗家嫡流で長生きした奴がいない、長生きしても早い時期に出家してるからだろ?
庶流よりも官位昇進速度が遅いということはない。

84: 名無しの司馬遷 2014/08/16(土) 22:32:42.53 .net
北条家の官位が低いのは、
あくまで征夷大将軍の家来という建前だから。

鎌倉幕府はだいたい
将軍が二位(二品)ぐらいで執権が四位ぐらい。

室町幕府立ち上げ当初、
尊氏が正二位で直義が従四位だったのは
鎌倉幕府の前例に倣ったものと思われる。

86: 名無しの司馬遷 2014/08/17(日) 13:24:11.90 .net
藤原摂関家と似たような感じじゃないか?
外戚になったり主君の代理人の体を成して全体を統治するやり方とか
日本に古くからある支配方法だと思うよ。

88: 名無しの司馬遷 2014/08/17(日) 14:37:06.13 .net
だからその殿上人の官位任官である従五位下の地位がそのまま武家の格として
機能していたのが平安時代までじゃないのか?
鎌倉幕府以降は独自の統治法で機能は失っている

93: 名無しの司馬遷 2014/08/17(日) 14:56:04.12 .net
鎌倉武士などの地位低下は所領分割相続で総体的な力が低下したため
頼朝などは同じ源氏でもこの総体的な力を恐れ難癖つけてはこれの力
を削ぐ政策をやってる
北条が継承したのもこれだろ、何とか騒動なんてのははなから仕掛けあり
御内人の専横だの後期は自分らでもコントロールができなくなってるがな

102: 名無しの司馬遷 2014/08/20(水) 00:35:45.09 .net
結局北条氏はなんで滅んだん
新田義貞との戦いとかかなり戦術的な要素も大きいのは分かるけど
後醍醐が蜂起失敗した「天皇(笑)」みたいな雰囲気から数年で激変したのがよく分からん
幕末並みの複雑な心理の変化があったのか?

106: 名無しの司馬遷 2014/08/20(水) 07:19:18.61 .net
>>102
元寇後、北条が合議制度を形骸化した為

118: 名無しの司馬遷 2014/08/25(月) 10:08:23.08 .net
>>102
太平記にも度々記述があるように、その当時の武士は仰ぐ旗を変えることを恥とは考えていなかった
北条に不満がありつつも渋々従ってたが形勢逆転となると次々幕府から離反するのは当然のなりゆき

120: 名無しの司馬遷 2014/08/26(火) 10:05:07.41 .net
鎌倉時代の武士は所領安堵をしてくれさえすればトップなんて誰でも良かった
頼朝の時代は朝廷との二元政治が敷かれていたが義時の時代に起こった承久の乱で
完全に鎌倉主導を勝ち取ったことで北条得宗は武士から信任を得た
短命ではあったが義時・泰時・時宗・貞時など名君揃いであったことも幸いした

滅びたのは元寇による不満と高時個人の資質と後醍醐・足利両者の野心が合致したことによる

138: 名無しの司馬遷 2014/09/14(日) 20:05:09.11 .net
北条家の内輪もめは時政、義時の頃からあった。
ただ、外部に対して内通したる裏切るような北条一門は1人も見当たらんのよね。
そういうのが家風って奴じゃないのかな。

139: 名無しの司馬遷 2014/09/14(日) 20:38:14.56 .net
家風というより、やっぱりもっと現実的な、得宗体制への過剰適応みたいなのがあったんじゃないかな?
安達氏も一緒に滅びてるわけだし。
足利は得宗から独立してやっていける体制があったんだろうね。

141: 名無しの司馬遷 2014/09/16(火) 19:39:55.39 .net
元寇で恩賞やれず北条が幕府の要職や殆どの国の守護職独占したら一般御家人はそりゃ不満持つわな。
あれほど特権的な立場を独占するなら自腹で元寇の恩賞払えっての。

144: 名無しの司馬遷 2014/09/16(火) 23:46:29.85 .net
当時の武家にしたらほんと北条家は珍しいくらい寝返りがないんだよね。
赤橋家に対して足利側から随分アプローチがあったようだが守時はああいう死に方を選んでるし。
やはり前にも書いたけど家風と言っていいと思う。
内紛はするけど、外敵に対しては一致するという点が。

157: 名無しの司馬遷 2014/10/07(火) 00:29:46.46 .net
家風はありそうだな
政子のかけおちを許してしまうとこ、伊東と対比的だがその頃からさ
義時死後、泰時が京を引き上げた時も、弟は曲者ぞろいだから
泰時はうたれるだろう、と言われたのに、そんなことなかったし
確かに曲者ぞろいの兄弟ではあった

家人たちの団結も成り上がり一家にしては強力だ

159: 名無しの司馬遷 2014/10/07(火) 18:14:40.56 .net
その通りだと思う。
承久の乱で誰がどう考えても北条義時が朝廷を滅ぼしてしまったから
以後形式はともかく実質は得宗家(義時の後継者)が天下人になってしまった。
義時はそこまで考えてなかったろうね。

160: 名無しの司馬遷 2014/10/07(火) 22:15:32.03 .net
続いたのは歴代が有能なのはあるだろ
義時泰時時頼時宗って強力すぎるラインナップ
頼朝や清盛は一代で終わったようなもん

161: 名無しの司馬遷 2014/10/08(水) 05:06:31.05 .net
日本史上もっとも優秀な一族だよね。
庶流にも人材が多いし。

162: 名無しの司馬遷 2014/10/08(水) 09:36:11.98 .net
武家の棟梁としては
源氏将軍よりも北条氏のほうが安定して優秀な感じだ

対外戦の勝率も良い

163: 名無しの司馬遷 2014/10/08(水) 13:49:14.18 .net
乱の中で父祖が築いたポジや体制を子孫が変えるというのはあんまりないな
義満も日本国王めざしてもなんかぽしゃったし
幼子で無力な将軍かついで、得宗が執権になって最高権力者になる
て体制が義時の時にできて、結局そのままな

165: 名無しの司馬遷 2014/10/09(木) 00:41:34.84 .net
政子はそれほど求心力ないと思う
死んでもたいして違いない程度に
政子には北条が必要だった
承久で負けたら、私は山奥に行かなければ、と言うぐらいに
まあ、北条の娘だからな

166: 名無しの司馬遷 2014/10/09(木) 06:27:53.43 .net
実朝の死後、幕府公文書(下知状)は執権(義時)単独署判になるけど、
末尾には必ず「仰せによって下知件の如し」と入ってるんだよね。

義時に仰せることができるのは、将軍不在の状況下では頼朝御台所で
実朝生母の政子だけだし、政子の存在がなければ、下知状には
何の効力も生じない。 伊賀氏の変も政子がいなければ
義時の後継を巡って血みどろの争いになっていたかもしれない。

167: 名無しの司馬遷 2014/10/09(木) 07:48:06.97 .net
政子はミトラかついでたじゃん伊賀局事件のとき
義時がいないと単独では権威 ないからだろ
公文書に女の仰せてことはねーわ
単純に慣例化した文でその後も一緒

168: 名無しの司馬遷 2014/10/09(木) 08:26:40.76 .net
「吾妻鏡」には単独で北条政子の尼将軍の章があるけど?
逆に政子がいないのに義時が単独で権力持てたかが謎だわ

169: 名無しの司馬遷 2014/10/09(木) 12:47:27.82 .net
政子にちからあったら、泰時を執権に指名した後、一月も兵が鎌倉を
走り回ったりしない
北条家がおさまらないとどうにもならん
だから政子はわざわざ 三浦に頭下げにいったわけで

170: 名無しの司馬遷 2014/10/09(木) 23:31:29.05 .net
つうか、得宗権力集中まで鎌倉幕府に絶対的権力者は存在しなかったと思う。
頼朝さえも御家人の顔色を見なきゃならない場面もあったし。
頼家、時政は追放喰らってる。
実朝政子は北条と持ちつ持たれつだし。

171: 名無しの司馬遷 2014/10/10(金) 11:00:21.61 .net
頼朝死後は政子が絶対的権力者に近い存在だよ。
13人の合議制や比企追討、時政追放、承久の乱の朝廷への侵攻、いずれも政子以外に裁断者は存在しない。
当時の後家は本人に才覚があり、当主が不在か幼い場合はかなりの権力者になる場合があったからね。

承久の乱で実質的リーダーだった義時が勝利した事で初めて北条本家当主に権威が発生したと見るべき。
だから承久の乱以後の政子は相対的に権力が低下している。

176: 名無しの司馬遷 2014/10/12(日) 22:30:17.14 .net
政子にはべつに絶対的権力なんてない
あくまで将軍の母としてのみ力発揮した
源家のことには口を出すが、御家人に直に命令は出さん
比企の乱は源家の後継争いがらみだから口をだした
時政追放は、きっかけは実朝の身柄を義時亭にうつしたことだがこれも実朝がらみ
逆に、和田の乱や畠山討伐は政子には口を出せないから合戦になった
承久の時の演説は気合いいれる意味はあるが、それで作戦が決まったり御家人が動いたわけではない
だから、演説後も京に出陣するかどうかでもめた

政子については、比企討伐や泰時が執権になる正統性確保するために
北条があとから過度にもちあげただけで実際はそこまでは力なかった

204: 名無しの司馬遷 2014/10/15(水) 20:53:31.31 .net
>>176
『吾妻鏡』では政子の演説の後に、幕府最高幹部が集まって
作戦を協議したけど意見がまちまちで結論が出ず、義時が
足柄防衛と京都進撃の二案を持って政子の所に赴き、政子が
京都進撃を命令したとあるから、最終決定権は政子だろう。
「尼将軍」の異名は伊達じゃないよ。

177: 名無しの司馬遷 2014/10/13(月) 03:59:10.04 .net
政子は婚家滅ぼしちゃったからな
どうしたって、実家の傀儡だろ、といわれるわな
源家の御曹司を棟梁にたてて、それを北条やら御家人が支える体制を守るでなくて
義時が頼家の息子たちを次々と殺していくの黙認してたわけで
政子が黙ってるんだから、外様の御家人たちも黙ってるわなそりゃ

政子からすれば、だって源家よりも北条のが優秀なんだもん、かもしれんが
外からみたら政子に実力が足りなかったと見える

178: 名無しの司馬遷 2014/10/13(月) 04:06:08.30 .net
実家の傀儡?
頼朝死後は政子あっての北条だろ。
だいたい頼朝と駆け落ちしたり、頼朝の愛人にうわなり討ちするような女が大人しく実家の言う事聞くだけの女だと思う方がどうかしてんじゃねえの?

186: 名無しの司馬遷 2014/10/13(月) 16:43:42.81 .net
政子には権力なくてただの象徴だろう
実際、御家人が出陣する時には義時の館にいって名簿出して出陣してる

政子と御家人の間には距離があるが、怖がられてたんじゃないかな
このスレでも政子はそれほど可愛く思わないから孫見殺しにしたといわれてるが
感情的で何しでかすかわかったもんじゃない、みたいな
実朝のご機嫌損ねたと言っては義時に泣きつく御家人続出してるが
政子の逆鱗にふれたやつも義時に泣きついてそうだw

187: 名無しの司馬遷 2014/10/13(月) 17:17:54.59 .net
>>186
そう考えるのは無理な事象が多すぎるんだよ。
13人の合議制、比企追討、頼家誅殺、時政追放、承久の乱の決断、政子以外に誰が決断権持ってんだよ。
政子を傀儡と考える場合はどこかに実質的決定権者が要るんだぞ。
いずれも単なる御家人には無理な決断だろ。謀反になるんだからな。
ところがいずれの場合でも幕府の組織は崩れず整然と行われた。
謀反だったらどこかで組織は瓦解してなきゃおかしい。
幕府の最高権力者の決断だったから組織は崩壊しなかったんだよ。

189: 名無しの司馬遷 2014/10/13(月) 17:36:02.41 .net
実質的な決断は義時だろ
公暁だって勝手に処刑命じてたやん
禅ぎょうも政子が命令下したのかな
義時はかなり自由に動いてて、都合によって政子持ち出したり出さなかったりしてる
謀反がどーのって、関東武士はリアリストで上皇にも兵を向けるぐらいだから気にしねーよ
稲毛兄弟襲撃なんて完全に私闘だがみんな知らんぷりで見逃されてる

実朝が幼い時に北条が沙汰するパタンがなんだかんだ残ったんだと思うな
実朝親政になってもなんとなく
和田に館下すという将軍の裁定が覆って義時にいくぐらいだもんな

194: 名無しの司馬遷 2014/10/13(月) 17:54:21.79 .net
なんで政子の決断になるんだ
実家の傀儡だからできるんだろ
息子や孫を殺されるのは

196: 名無しの司馬遷 2014/10/13(月) 18:19:24.88 .net
>>194
政子は本気で守りたいと思ったら安達の時みたいに身を挺して守りに行くぞw
赤の他人の安達であそこまでやるのに息子や孫の時はそこまでしなかったのは納得づくだからだよ。
どっからどう考えても他人の傀儡になるような玉じゃねえだろ政子はw

197: 名無しの司馬遷 2014/10/13(月) 18:42:12.06 .net
頼家も親に対して不孝を働いたという面もあるからな
冷徹な判断をせざるを得なかった政子も嘆いていたそうだが

198: 名無しの司馬遷 2014/10/13(月) 18:46:46.30 .net
政子の激情はちょっと普通じゃないよね。
あの激情は外に対する攻撃に向かうだけじゃなくて、
内側では政治的判断を優先して自分の愛情を封殺する方にも向かうんだろう。
それが子や孫を切り捨てるという冷徹な判断になってる。
普通の女性じゃあり得ないから傀儡だの悪女だのといろいろ言われてしまうんだろうけどね。

200: 名無しの司馬遷 2014/10/13(月) 20:34:06.54 .net
賢かったら自分の血筋をトップにすえて、北条を筆頭に有力御家人が
それを支える頼朝的な体制を維持したさ

実際はその能力がないから、完全に実家のいいなりになってしまった
安達を身体はって守ったのは相手が頼家だったからだ
息子や孫を守らなかったのは、相手は北条だったから
それだけの違い

201: 名無しの司馬遷 2014/10/13(月) 20:39:56.18 .net
単にやきもちやいて女をいじめてたぐらいでいいなりになるタマでない
なんていえんだろw
義高を殺した御家人を誅殺するように頼朝にしいるぐらいのバカ女だよ
判断ってものができてない
まあ、御家人たちに御台所は怖いから触らないようにしよう、と思わせる効果はあったな
あと、自分がバカだとわかってるから、政治に口を出さずに、義時に任せきったとこは
よかった
ここは女の利点だな

203: 名無しの司馬遷 2014/10/15(水) 19:30:25.60 .net
政子の功績
1、父親の反対を押し切り頼朝と結婚。(のちの北条家を考えれば大成功)
2、頼朝が側室を作りづらかったため男系が少ない。(のちの北条家を考えれば大成功)

214: 名無しの司馬遷 2014/10/29(水) 05:47:05.61 .net
>>203
父親の反対を押し切りってのも、嘘じゃないのか?って説がある。

205: 名無しの司馬遷 2014/10/16(木) 00:09:40.00 .net
でも御家人がぐずぐずしてやっぱ鎌倉防衛にしよう、という声がでたんだろ
だから、泰時が18騎でとにかく出陣するというハメになった
とても尼将軍には見えないね

過大評価だよ承久の政子はさ
大江のが活躍してるぐらいだ

206: 名無しの司馬遷 2014/10/17(金) 20:46:13.87 .net
政子がお飾りなら、協議の内容をわざわざ知らせる必要はないと思うけど。
義時は執権として幕政を主導したけど、実朝や政子を推戴して補佐役に徹し、
内心思う所はあっても、立場をわきまえて主君の意向は尊重していたように見える。
イメージとしてはリシュリューとかビスマルクのような感じかな。

207: 名無しの司馬遷 2014/10/18(土) 14:13:42.83 .net
>>206
そんな感じ。
義時は出しゃばらんで無理をせず、それでいて周囲の人間の利益にも目配りしたから信頼を得ていた感じがする。
実朝をお飾りにしてたというイメージが何故か出来てるけど、
史料見る限りではそんな気配どこにも感じられんのよね。
多分、後世の得宗支配時代のイメージから逆算して得宗体制の創始者の義時のイメージが勝手につくられらのだろう。

215: 名無しの司馬遷 2014/10/29(水) 05:57:16.69 .net
頼朝は人格形成期を合戦と流刑で過ごしたから人格障害が有り猜疑が酷かったので政子の存在は家臣にとっても安心の拠り所であり婿を取ったも同然だった北条家が意思決定にコミットする事は最初から当然だった

216: 名無しの司馬遷 2014/10/29(水) 08:33:21.39 .net
疑心暗鬼な頼朝

快楽戦闘狂な義経

源氏は変人だらけやな

217: 名無しの司馬遷 2014/10/30(木) 00:17:09.59 .net
まぁ、源氏は共食い上等な連中ですから

220: 名無しの司馬遷 2014/11/05(水) 22:36:53.58 .net
世界史の知識が豊富な人に訊きたいのだが、北条や藤原のように、ナンバー2を代々世襲して
政権を運営した家はどんな家があるの?
フランク王国の宮宰時代のカロリング家 高麗の武臣政権の崔氏ぐらいしか知らない。
征夷大将軍もそうだが、こういう政治スタイルは日本独自のものだな。

221: 名無しの司馬遷 2014/11/09(日) 01:32:01.84 .net
ティムールだな
モンゴルのチンギス統を据えて、自らはキュレゲンと名乗った

あと、マムルーク朝のようなカリフを保護したスルタンとかもどうだろ

222: 名無しの司馬遷 2014/11/09(日) 08:05:13.81 .net
遼→金→元と王権は変わるけど、何代も丞相を出し続けた耶律氏とかもかな。

232: 名無しの司馬遷 2014/11/10(月) 15:11:57.46 .net
権威と権力は別。
北条氏の権力は有力豪族の討伐によって幕府内の地位を固めた。特に三浦氏の滅亡は大きい。
義時・泰時時代の鎌倉幕府は北条と三浦の連立政権みたいなところがあった。
結局 北条氏は武家の棟梁としては家格が低すぎた。
よって 宝治合戦以降も、自らの代わりに新たに皇族将軍を迎えた。

240: 名無しの司馬遷 2014/11/10(月) 17:25:27.56 .net
時政・義時が滅ぼした豪族
 梶原  比企  畠山  和田

ポスト頼朝の権力争い

242: 名無しの司馬遷 2014/11/11(火) 19:30:08.10 .net
権力闘争はどんな時代にもある。
政権に求心力がないと、権力闘争は室町時代みたいなgdgdなもんになる。
鎌倉時代の権力闘争は承久の乱と幕末除いて所詮宮廷内闘争の域を出ない小規模なもん。
これは一見派手に見える時政、義時時代の御家人どうしでの争いでもそうだ。
鎌倉での数100単位の市街戦だからな。

247: 名無しの司馬遷 2014/11/15(土) 13:14:46.23 .net
初期は分をわきまえた立ち回りで上手く実権を握ってた北条が、何で他の御家人の不満を買う独占体制をするようになってしまったの?
傲慢になったのか、まずいと知りつつせざるを得なかったのか。

248: 名無しの司馬遷 2014/11/15(土) 13:39:10.80 .net
>>247
そりゃ、元対策をしなけりゃいけなかったからじゃないの?

249: 名無しの司馬遷 2014/11/15(土) 20:57:58.15 .net
北条が恨まれてたのかね?
その場の勢いで滅ぼされてしまったような感じ。

251: 名無しの司馬遷 2014/11/15(土) 21:51:07.63 .net
武家ってその場の勢いで勝ち馬に乗るというのが体質だからな。
鎌倉幕府成立の時の流れから、徳川幕府滅亡の時の流れみてもこの辺は一貫している。
新田義貞が挙兵してあっという間に滅亡するまで、幕府の動員にみんな従ってた。
北条が憎いとかなんとかで動いた武家はほんの少数ってのが現実だと思うよ。
その証拠にすぐ中先代の乱とかで大軍が時行の味方になってるw
その中には義貞に従って鎌倉に攻め入った連中もかなりいたはずだw
武家ってほんと利己的で、自分の家の盛衰以外はほんと考えないもんなんだよ。

252: 名無しの司馬遷 2014/11/15(土) 22:57:00.91 .net
>>251
鎌倉末期は元寇に冷水害に食糧難に徳政令の失敗に悪党による治安の悪化で年貢だけでは国も家も成り立たなくなったらしいしな

一所懸命は正に命懸け
忠義は二の次にもなる

だから足利は土地独占を断念して貨幣経済を導入せなあかんかったわけだ

291: 名無しの司馬遷 2014/11/22(土) 10:38:16.29 .net
武家政権でこれだけ壮絶に散った一族は他にないしな。
実に濃い一族だ。

足利なんて馬糞の川流れのような消え方をしてるからなあw

292: 名無しの司馬遷 2014/11/22(土) 11:03:09.90 .net
北条は身を律した武家生活
足利は公家かぶれの堕落生活のイメージw

339: 名無しの司馬遷 2014/12/13(土) 14:52:50.25 .net
ナンバーツーが天下を取ったなんて本当に思っているのか。
征夷将軍がナンバーワンなんて後世の権力者が勝手に決めたことで、
有名無実の官職だったのを誰かが頂点に持ってきただけのこと。
鎌倉幕府の頂点は執権北条氏。

もし日本史が鎌倉時代で終わって、
その後1350年くらいからスペインかトルコにでも支配されてたら、
「将軍=武家の頂点」の概念は存在しなかった。"将軍"をジェネラルともアドミラルとも訳さなかった。
"別当"くらいの意味で消えていた。

349: 名無しの司馬遷 2014/12/15(月) 17:42:01.85 .net
北条は何か嫌々やっていたって説あるけどどうなんだろ

350: 名無しの司馬遷 2014/12/15(月) 20:11:55.55 .net
一見御内人の専制のようだけど、
実は有力一門の均衡の上に立ってただけって説も有るみたいだね。
どの面を重く見るかってだけの気もするが。

352: 名無しの司馬遷 2014/12/15(月) 22:47:53.23 .net
結局日本じゃ専制政治なんて無理でしょ。
他人の顔を伺わなければ何もできない。
無理にやろうとしても大概は数年で瓦解。
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1406989335/