364: 名無しの司馬遷 2014/08/06(水)22:57:25 ID:kwtYBggtr
19世紀後半、中央アジアで熾烈なグレートゲームが展開されている頃。
イスラーム世界中央部ではオスマン帝国・エジプト・ペルシアが揃って借金地獄に落ちつつあった。

オスマン帝国がクリミア戦争とタンジマート改革の経費がかさんで外債を乱発したことは既に軽く触れたけど、マクロな経済のレベルで見れば、産業革命を達成した西洋諸国の生産力に太刀打ちできなかったことが経済危機の根本原因。
これはオスマン帝国に限らない。

近代まで周知のようにトルコやイランは華麗な絨毯をはじめ毛織物生産が盛んだったし、
インドは世界一の木綿産地で、インド洋交易でもっとも盛んに取引されたのはインド産綿布だった。

ところがそこに蒸気仕掛けの自動織機で大量生産されるイギリス産の布だの糸だのが、
丁寧に梱包されて安値で流入してくれば、西南アジアの何百万もの人々は飯の食い上げに追い込まれる。

各国で近代化政策が進められ、港が整備され、鉄道が敷設されれば、その傾向はますます強まる。
イスラーム世界の大部分の人々にとって近代化は財布と胃袋を擦り減らすものだった。

税収も減るけど一度始まった近代化政策は止めるわけにはいかないし、何より軍を整備しなければ列強にいつ滅ぼされるか分からない。この危機感。
365: 名無しの司馬遷 2014/08/06(水)23:11:36 ID:kwtYBggtr
イスラーム諸国は近代化できるものは何でも近代化し、売れるものは何でも売った。

オスマン帝国は1863年に英仏の銀行家たちに紙幣発行権を売り飛ばし、それでも足りず、
75年には債務不履行宣言を発出した。
これつまり、「帝国破産」である。

一方ムハンマド・アリー死後のエジプトは、しばらくは好景気に恵まれた。

第3代国主のサイド・パシャは子供時代に自分の家庭教師を務め、
孫のメタボ化を心配するムハンマド・アリーの目を盗んでマカロニを食わせまくってくれた
フランス人の元外交官レセップスを招き、どーんとスエズ運河を開削した。
運河建設を自国の権益に対するフランスの挑戦と見なしたイギリスが散々妨害したが、
1869年、第4代イスマイルの時代になって地中海と紅海は無事開通。

イスマイルはフランスのパリで青年時代を過ごしナポレオン3世の妃のウージェニーに横恋慕していたらしい。
この美貌の人妻を靡かせるべく西洋文化の導入に燃えまくり、公式の場ではフランス語しかしゃべらず、オペラハウスだの工場だのガス灯だのを建てまくった。

ところが運河完成直後からエジプトの国家財政が急速に傾く。
なんとなれば、遥か大西洋の彼方でアメリカ南北戦争が終結し、しばらく消えていた
アメリカ南部産の綿花が大量に雪崩れ込んでエジプトの綿花を駆逐したのである。

というわけで運河完成からわずか6年後の1875年、せっかくのスエズ運河も
イギリス政府に売り飛ばされたのだった。
366: 名無しの司馬遷 2014/08/06(水)23:31:01 ID:kwtYBggtr
このときいち早くスエズ運河会社の株が大売出しされる情報を察知した英国首相ディズレイリは
議会の承認なんぞ取ってる時間がないので、独断でロスチャイルド銀行から400万ポンドを現ナマ借金し、売りに出された株券を即刻丸ごと買い取ったという。

この決断によって英国はヨーロッパからインドにいたる要衝中の要衝を握り、大英帝国は絶頂期を迎える。

エジプトのその後の運命は対照的である。

イスマイルはスエズ運河を売り飛ばしても利息1回分を払うことしかできず、借金は膨らむ一方。
カイロの町には政府相手の多国籍高利貸し集団が溢れかえり、農民たちも土地を借金取りに取り上げられた。

運河売却の翌年には宗主国様の後を追うように国庫破産を宣言。
そして宗主国様のほうは、懐具合が悪くなって金製ナイフだの札束だのをよこさなくなった
属国の王に愛想を尽かしたらしく、1879年6月に一通の電報をよこした。

「『前』エジプト副王・イスマイル殿へ」

イスマイルは退位した。
367: 名無しの司馬遷 2014/08/06(水)23:34:39 ID:FpTy4HGDt
世の中カネやで

368: 名無しの司馬遷 2014/08/06(水)23:45:48 ID:BGfGPMMB3
うん、カネや

369: 名無しの司馬遷 2014/08/06(水)23:48:35 ID:kwtYBggtr
エジプト政府は、イスタンブルを首都とする名ばかりの宗主国様をさしおき、
最大の債権者たる英仏両政府の共同管理下に入った。
この情けない状況のなかで、軍のエジプト人将校たちが秘密結社を結成し、政府打倒を企てた。

ここで注目すべきは、ムハンマド・アリー朝が元はといえばイスタンブルから派遣された、
アルバニア系の国主を戴く外国人支配の王朝だったこと。

もっと言えば、そもそもエジプトは紀元前6世紀のアケメネス朝ペルシアによる征服以来、
一度も切れ目なく外国人の支配者を戴いてきたという、ある意味「逆に凄い」国である。

おそらく古代エジプト人の遺伝子をいちばん濃厚に受け継いでいるであろう、
先祖代々ナイル流域で暮らしてきた人々が国権を握ったことなど久しくなかったのだが、
ムハンマド・アリー朝のあまりの惨状に、この歴史的伝統も途絶えることと相成った。

1881年9月。
軍は反乱を起こし、ナイルデルタの農民出身のウラービー大佐が陸軍大臣となって政府を掌握した。

ところが列強は自分たちにコントロールできない新勢力の台頭をこれっぽちも歓迎しなかったので、お約束のようにアレクサンドリア沖に英国艦隊が展開し、砲撃開始。

押し込められていた太守のテウフィークが「あいつら叛徒、わしが正統国主」と英国軍に逃げ込んだので英国軍は中立地帯のはずのスエズ運河から上陸し、ウラービーをひっ捕らえてスリランカに流罪にした。

こうしてエジプトは事実上、大英帝国の属領と化した。
370: 名無しの司馬遷 2014/08/07(木)00:01:41 ID:c4lhv9dDd
>一度も切れ目なく外国人の支配者を戴いてきたという、ある意味「逆に凄い」国
歴史って面白いな

371: 名無しの司馬遷 2014/08/07(木)00:15:54 ID:wGRYaNI9L
イランのガージャール朝ももちろん借金地獄に墜落していった。

1828年のトルコマンチャーイ条約で治外法権と南カフカスの領土とカスピ海の制海権(制湖権?)と莫大な賠償金をロシアに持っていかれたガージャール朝は、さすがに「このままではいかん」と悟る。

いちおうアッバース・ミルザーだのアミール・キャービルだのと改革政治家が出てくるのだが、
アッバース・ミルザーは早死にし、アミール・キャビールは有能な部下を嫌った国王に暗殺される。

1834年に第2代国王のファトフ・アリー・シャーが死去。
ファトフ・アリー・シャーは稀によくいる「昼間は無能、夜は有能」とか「治世の暗君、後宮の名君」とかいう類の王で100人以上も子供がいたらしい。

というわけで誰が王位を継ぐかが問題になるのだが、ここで呼ばれもしない大英帝国がくちばしを突っ込み、100人の子供たちのなかでいちばん無能そうなモハンマド・シャーを王位に押し上げた。
もちろん無能だからである。わかりますね?

モハンマド・シャーはロシアに与えたのと同じ利権を英国にもプレゼントした。


以後、北のロシアと南の英国がグレートゲームの西側の草刈り場としてイランを食い荒らすなか、
イラン国内ではイスマーイール派だのバーブ教だのの宗教反乱が続々発生。

日増しに財政が悪化するなかで政府の官職が売りに出され、農民からは絞れるだけ税を絞りまくる。
民衆反乱を押さえるためには遊牧部族の族長たちに地方支配を丸投げし、それでも抑えきれない時には英露両軍がサポートしてくれるという約束を取り付けた。

これ、世間では「保護国」というわけだが。
372: 名無しの司馬遷 2014/08/07(木)00:28:11 ID:wGRYaNI9L
要するにガージャール朝ペルシアの支配者たちは総じて無責任でその場しのぎで過ごしていたっぽい。

1872年、カネがないのでイギリス人のジュリウス・ロイター男爵なる実業家に、
イラン全土の鉱山採掘権と未開拓地の開発権と鉄道敷設権と関税利権をセットで売り飛ばした。

これにロシアが横槍を入れる。イギリス人を優遇し過ぎだろうというわけだ。
ところが当のイギリス政府もロイター男爵を助けてくれない。ユダヤ人だしドイツの爵位を持つのが気に入らないらしい。

進退窮まったロイター男爵はほとんどの利権を放棄するが、その代わりに「ペルシア帝国銀行」の設立を認められ、イラン国内で流通するオカネは全部自由に作れるようになった。
373: 名無しの司馬遷 2014/08/07(木)00:47:23 ID:wGRYaNI9L
この事件をきっかけに「イランは利権をたたき売りしている」というのが定評となり、
世界中(=ヨーロッパ中)の強欲連中がイランに殺到して利権を争奪した。
そのひとつとして、1890年にイギリス人のタルボットなる人物に、
イランにおけるタバコの生産・販売・輸出の権利一切を今後50年間一括売却する契約を結んだ。
これがイスタンブルのペルシア語新聞にすっぱ抜かれて大騒動になった。

イラン人はタバコ、正確にいうと水タバコが大好きである。
鉱山だの関税だのにはピンと来なくても、身近なタバコが異教徒の商人の思うがままになるというのはイラン人たちを激しく憤激させたらしい。

イランの事実上の国教はシーア派だが、シーア派の中心はイランではなく、イマーム・フサインの墓廟たる南イラクのナジャフである。このナジャフが動いた。

当時シーア派聖職者の最高位にあったナジャフの法学者、ハサン・シーラーズィーは名前の通り、イランのシーラーズ地方出身で、このあたりの農民たちの気持ちをいたく理解していた。

彼はタバコ利権を激烈に非難し、イラン全土のシーア派信徒たちにストライキを呼びかけたのだ。
「帝国タバコの契約が破棄されるまで、一人としてタバコを吸うなかれ!」

水タバコが三度の飯より好きなイランの髭親父たちも、このファトワー(法勅)には喜んで従った。
全国のバザールの商人たちは店を閉鎖し、法学者たちは「タバコは異教徒が触っているから不潔」と新説を発表した。

かくて国王ナッセロディーン・シャーは、やむなくタバコ利権の付与を撤回する。

違約金50万ポンド。

払えるわけがないガージャール朝はペルシア帝国銀行から金を借り、底なしの借金地獄へ落ち込んでいく。

この世にいう「タバコ・ボイコット運動」が広まるなか、とある人物が活躍する。
彼の名は「ジャマールディーン・アフガーニー」。
19世紀末イスラーム世界における最大の思想家であり、その影響は今日なお巨大である。

今夜はここまで。
374: 名無しの司馬遷 2014/08/07(木)01:05:37 ID:p9J3OiJEP
おつかれ
お金が無いとつらいのう
汎イスラーム主義とドイツ帝国の台頭と大英帝国の衰亡1850~1900年