716: 名無しの司馬遷 2014/09/14(日)15:18:12 ID:bmZDXsNYj
2011年9月11日の同時多発テロ後、数日のうちにアメリカ政府はテロの首謀者をアルカーイダの首領、オサマ・ビンラディンであると見極めた。
そこでアメリカは、ビンラディンが潜伏するアフガニスタンのタリバン政権に対して、ビンラディン引き渡しを要求。
タリバンは当然これを拒否する。
で、大正義アメリカは力づくでもビンラディンを逮捕すべく、アフガニスタン侵攻を決定した。
国連もアフガニスタン以外のイスラーム諸国も、ほぼ全員一致でこれを支持した。

アメリカは全速力で開戦準備を進め、アフガニスタン空爆のため、中央アジア諸国に駐留を要求した。
そして10月、アメリカはマスード亡きあともタリバンへの抗戦を続ける北部同盟と手を組み、
タリバン支配地域への空爆を開始。
タリバン政権はあっさりカブールを捨てて敗走した。

マスードの10年間もの戦いはなんだったのか。さすが大正義アメリカである。

首都を回復し、名実ともにアフガニスタンの正統政府となった北部同盟だが、北部同盟は所詮
モヒカン的な軍閥の寄せ集めなので、誰が政権首班となるのかが問題になった。
そこでアメリカは、どこからともなく中立的な「ハミド・カルザイ」なる人物を担ぎ出し、
いまだに生きていた元国王のザヒル・シャーを使ってカルザイを権威づけした。

「野郎ども、ゴチャゴチャ言ってないでカルザイに従え!」
「USA! USA! USA!」

だが、アメリカはこれから嫌というほど思い知る。
アフガニスタンが「帝国の墓場」といわれる所以を。

南部に撤退したタリバンはしつこく抵抗し、山の部族たちも政権内部も内輪揉めだらけで纏まらない。
なにより肝心のビンラディンと、タリバン指導者ムハンマド・オマルの行方がまったく分からない。

「考えてみれば戦争目的達成できてないじゃん」
「帰れないじゃん」

これより何年ものあいだ、アメリカはアフガニスタンに大軍を貼りつけ続ける羽目になる。
718: 名無しの司馬遷 2014/09/14(日)15:38:33 ID:bmZDXsNYj
やられたらやり返す。倍返しで。

アメリカが対テロ戦争を宣言し、アフガニスタンに侵攻するのと時を同じくして、
世界中でイスラーム原理主義過激派によるテロリズムが次々に発生した。
オサマ・ビンラディンの構想した「グローバル・テロリズム」戦略が本格的に始まったのだ。

火の手はまず東南アジアで上がった。
10月28日、フィリピンのミンダナオ島で、現地の過激派「アブ・サヤフ」が診療所や商店街を吹っ飛ばしたのだ。

モンゴル時代からはじまった東南アジアのイスラーム化はフィリピン南部まで達したが、
その後スペインがフィリピン諸島を占領してキリスト教カトリックを布教したため、
フィリピン諸島北部のルソン島周辺はキリスト教、南部のミンダナオ島はイスラームに色分けされた。

長らく南部フィリピンのムスリムたちは、キリスト教を奉じる北の政府に抑圧され、独立を求めてきたのだが、第二次イスラーム復興運動のうねりのなかでアルカーイダの影響を受けて過激派が伸長。
このたびオサマ・ビンラディンの「快挙」を目にして奮起し、この挙に及んだのだった。

さらにインドネシアのバリ島や、インドや、北カフカスのチェチェンでもテロが相次ぐ。
アフガニスタンは言うまでもない。

2004年3月にはスペインで列車が爆破され、2005年7月にはロンドン市街で同時多発テロが発生するなど、テロの脅威はヨーロッパにも及んだ。

ちょうど欧州各国で中東からの移民が増え、文化や雇用をめぐる衝突が増えてきたこともあって
世界的にイスラームとテロを同一視するような言説も広まる。

各地で頻発したテロの多くは、もともと存在した宗教対立や、そもそも宗教とあまり関係のない独立運動がアルカーイダの影響で過激化したものだと思われる。
しかし、実際にアルカーイダと連絡をとり、軍事訓練を受けたうえでテロに走った集団もいくつもあり、もちろん9.11事件と同じくオサマ・ビンラディンないしアルカーイダ中枢部が直接立案指令したテロもあっただろう。

だが、なおもビンラディンの尻尾はつかめない。
焦るアメリカは第二の戦争に踏み切った。
721: 名無しの司馬遷 2014/09/14(日)15:55:37 ID:bmZDXsNYj
00年代の対テロ戦争は従来の国家と国家の戦争ではなく、地図上の領土もなければ明確な中心や組織も持たない集団との戦争である。
どこを攻撃すれば効果があるのか。何をもって勝利とするのか。
アメリカは戸惑い恐慌をきたしていた。

いかに多くの兵士を揃えても、いかに強力な武器を整備しても、巨象の体表を這う蟻のようなテロリストの恐怖を消すことはできない。
惑乱しつつアメリカは、「とりあえずテロリストはどこかの国家の支援を受けているに違いないから、その黒幕を倒そう」と考えた。
オサマ・ビンラディンを「匿っている」タリバンを攻撃したのも、この論理によるものである。

アルカーイダの尻尾を掴めないまま世界各地にテロが飛び火するなかで、アメリカは三つの国を「悪の枢軸」として名指しした。
イラク、イラン、北朝鮮である。

アメリカによれば、どうもこの連中がテロリストに武器やカネを流しているっぽい。
というか、この国々自体が国家規模でもテロ集団であるっぽい。
なぜかというと、どうもこいつらは勝手に大量破壊兵器、具体的には核兵器を開発してるっぽいのだ。
もっとも北朝鮮は、どう見てもアルカーイダと大した関係がなさそうだから後回しでいい。
いちばん怪しいのはイラクだ。

アメリカ大統領ジョージ・ウォーカー・ブッシュ(息子)はイラクのサダム・フセイン大統領に恨みがあった。

自分の父親である2代前のジョージ・ブッシュ(親父)大統領をコケにして湾岸戦争をおっぱじめ、
負けた後も核査察を拒否したり、ホテルのロビーの床に父親の顔を描いて客に踏ませたり、せこい嫌がらせを続け、9.11事件の直後には「アメリカのカウボーイどもがこれまで犯してきた人道に対する犯罪の報いを受けた」など意味の分からない戯言をほざいて米国を侮辱した。

アメリカは世界規模で跳梁するテロ集団を追い回すのに疲れていた。

「すべての黒幕はフセインの髭野郎に間違いなし!」
「USA! USA! USA!」
722: 名無しの司馬遷 2014/09/14(日)16:11:46 ID:bmZDXsNYj
2002年秋、アメリカは国連を通じてイラクに圧力をかけた。
「大量破壊兵器を開発していることはお見通しだ。制裁を覚悟しろ」

だが、実はフセインは大量破壊兵器の開発などとっくにやめていた。
湾岸戦争であれだけとんでもない損害を出して、その後は経済制裁あん経済制裁。
そりゃあ多少はアメリカに嫌がらせはしたとも。
しかし大量破壊兵器の開発なんてできるカネや技術なんてどこを叩いても残っているわけが。

「隠しても無駄だ。知っているんだよ俺は」
「USA! USA! USA!」

イラクは「悪魔の証明」に追い込まれた。
存在しないモノを存在しないと証明するのは至難である。
イラクはあらゆる資料を提出し、査察もなんでも受け入れた。それでもアメリカは納得しない。

「問答無用。真実はいつもひとつ!」
「USA! USA! USA!」

対テロ戦争と核不拡散という大義名分に加え、国連決議という錦の御旗を手にしたアメリカは、
盟邦イギリスとともに、2003年3月19日にイラクに開戦した。

朦朦と吹き荒れる砂嵐が鎮まるのを待ち、米英連合軍がメソポタミアに進撃を開始。
ティグリス河畔でイラク共和国親衛隊バグダード師団を粉砕すると、もはや敵はなかった。
ヒッラに展開しているはずのハンムラビ機械化師団()だのネブカドネザル歩兵師団()だのは
戦う前から勝手に融解し、わずか1か月でイラク全土が陥落した。

まさかアメリカがここまで強引に戦争に持ち込むとは予想していなかったフセインはなす術もなく
首都を捨てて北部に潜伏していたところを引きずり出されて拘束され、処刑された。

だが、またしてもアメリカは失敗する。

イラクはアフガニスタンを超えるほどの難治の国だった。
ガートルード・ベルがかけた魔術は百年を経て消滅し、抑圧されてきたシーア派とクルド人が権利を主張。
無政府状態となったイラクには、アルカーイダ系のテロ集団や隣国イランの密偵が入り込む。
次から次に自爆テロが発生し、アメリカは泥沼に捉えられた。

なにより、大量破壊兵器が見つからなかった。

「大量破壊兵器があるって言ったのはアメリカだろう! 騙したのか!」
「すまない。どうやら間違えていたようだ」
「間違いですむか!!」

アメリカの信用は失墜し、世界の混迷はなおも深まっていく。
714: 名無しの司馬遷 2014/09/12(金)18:51:51 ID:mg1dHCBf0
アラブの春も解説やるのかな

723: 名無しの司馬遷 2014/09/14(日)16:41:27 ID:oFvVvcAPt
>>714
やるつもりだよー。

>>719
>>414
歴史学専攻ではあったけど、専門はイスラームじゃなくて中国~東南アジア史だったりする。
(アラビア語の文法が難しすぎて漢文に逃げた)

725: 名無しの司馬遷 2014/09/14(日)20:25:42 ID:NTyKqH2o1
アメリカ・・・なあ

726: 名無しの司馬遷 2014/09/14(日)22:33:52 ID:xI78ipou2
アメリカはアルカーイダの黒幕がアフガニスタンのタリバン政権やイラクのサダム・フセインだと思い込んでいたようだが、
00年代のグローバル・テロリズムの担い手たちは、もはや特定の国家の利害など眼中にない。
どうもアメリカはそれがなかなか呑み込めなかったらしい。
もしかすると呑み込みたくなかったのかもしれない。

かつて、イスラーム世界に「国家」という概念はなかった。
イスラーム世界の歴史を語るうえで様々な王国や帝国が登場してきたけど、それらは近現代の国家とは違いあくまでも特定の一族が世俗社会を統治する「王朝」でしかなかった。
王朝の勢力範囲とは無関係に人は世界を浮遊し、普遍的なイスラーム法学を修めた法官はどこの王朝でも仕官できた。

近代になると、西洋列強の政治的経済的圧力とともに「ナショナリズム」という新しい世界観がやってきた。
イスラーム世界の一部の地域、たとえばトルコなどは「ナショナリズム」を取り入れることで西洋の支配を跳ね返し、そこそこ安定した政治とそこそこ豊かな社会を実現できた。

しかし、中東のアラブ地域ではこれがうまくいかなかった。
トルコがケマル・アタテュルクの救国戦争によって主体的に領土を画定できたのとは違い、
中東地域は第一次世界大戦後に欧州列強によって現地事情にお構いなく好き勝手に分断され、
その状況のまま第二次世界大戦後になし崩し的に独立していった。

同じ国家のなかにも多種多様な部族や宗派が混在する一方で、同質の集団が国境で不自然に切り離される。

1950年代、イスラエルというアラブ諸国共通の敵の出現を機として、エジプトを中心とする
アラブ諸国の統一が模索された。
もともと19世紀のジャマールディーン・アフガーニー以来、イスラーム世界が連帯して
西洋に対抗するという理念が存在し続けていた。それがいよいよ現実へ向かうときが訪れたようだった。

だが、すでに独立国家として歩み始めた各国の利害は噛み合わない。
まもなくイラクで、汎アラブ主義に背を向けて一国の国益を優先するバアス党が成立する。
当の盟主たるエジプト自体も、やがて自国の利益のためにイスラエルと単独和平を締結する。
アラブ統一の挫折後、中東各国は単なる軍事独裁政権の群れと化した。
人々の生活はなおざりにされ、官界には腐敗が広がった。
727: 名無しの司馬遷 2014/09/14(日)22:34:19 ID:xI78ipou2
この状況の中で第二次イスラーム復興運動が始まる。
運動に共鳴した者たちはナショナリズムを批判した。

「主権はアッラーのみに存する。主権在民を唱えて現世の一国家に服従するのは偶像崇拝である!」

彼らが見詰めていたのは唯一にして普遍的なるダール・アル・イスラーム(「イスラームの家」)のみ。
だからサウジアラビア出身のオサマ・ビンラディンがアフガニスタンでソ連と戦い、
フィリピンのアブ・サヤフがビンラディンに追随してテロを起こしたのだ。

90年代のIT革命により、地球世界の情報ネットワークは飛躍的に発達した。
広大な「ダール・アル・イスラーム」のどこであれ、異教徒たる欧米の圧迫を蒙れば
その報は直ちに世界各地の原理主義者たちに共有され、彼らの怒りと復讐の念を新たにさせた。

たとえばアフガニスタン。たとえばイラク。
そして常に思い起こされるのは、イスラーム原理主義者たちが中世の十字軍と同一視するイスラエルによって故郷を追われ、迫害を蒙り続けるパレスチナ難民たちの苦難である。
728: 名無しの司馬遷 2014/09/14(日)22:39:54 ID:5zKYeIyAT
日本に移住したイスラム教徒へのインタビューでムスリムのオッサンがイスラム教国ではポルノが禁止だけど隠れてポルノビデオが売られてるって事に対して、
「アラーも大事ですがマラも大事という事ですね」って駄洒落言ったのに「日本語上手ですね!」の一言で片付けられたのが可哀相だった

730: 名無しの司馬遷 2014/09/14(日)23:31:49 ID:xI78ipou2
右傾化する一部のユダヤ人たちは一線を越えはじめた。

1980年5月。
ユダヤ人過激派がヨルダン川西岸のナブルスとラマッラのパレスチナ人指導者暗殺を企て、両名に重傷を負わせた。
さらにエルサレムに所在するイスラームの聖地、アル・アクサー・モスクの爆破計画も発覚。

二千年の歴史を通じて常に迫害される側で有り続け、なかんずく第二次世界大戦ではナチスのホロコーストによって言語に絶する悲哀をその身に受けたことをもって建国の名分とするイスラエル社会は、一連の事件に震撼した。
パレスチナ人のテロに対してテロで対抗するユダヤ人が出現した。
堂々たる戦争ならまだしも、これではユダヤ人の側が加害者になってしまうではないか!

さらに、リクード党の大イスラエル主義を背景に1982年から始まったレバノン介入では
アリエル・シャロン国防相の主導によって、パレスチナ人ゲリラ組織の苛烈な掃討作戦が展開されたが、
同盟者であるレバノン国内のマロン派キリスト教徒たちが、難民キャンプのパレスチナ人を大虐殺したことが発覚。

「イスラエル国防軍の戦争は常に正義の戦いではなかったのか?!」

イスラエル社会は激しく動揺し、テルアビブでは40万人もの市民が反戦デモに参加した。

リクード党は明らかにやり過ぎた。
1980年代に入るとリクード党の独裁体制は崩れ、イスラエル政界は流動化する。
そんななかで、1987年12月に情勢が大きく動く。

ガザで発生したイスラエル軍とパレスチナ人の衝突が契機となり、ヨルダン川西岸でもパレスチナ人の反イスラエル暴動が勃発。
傍若無人に入植地を拡大し続けるユダヤ人たちへの溜まりに溜まった不満が爆発したのか、
これまでとは違って子供や女性までもが蜂起に加わり、大変な騒ぎとなった。

これは「インティファーダ」と呼ばれる。
パレスチナ人たちはイスラエル軍に石を投げて戦った。
イスラエル政府はパレスチナ人の騒擾を武力によって徹底鎮圧し、実弾も使用した。
大変悲惨なことになったが、それでもパレスチナ人は執拗にインティファーダを継続した。
732: 名無しの司馬遷 2014/09/14(日)23:50:41 ID:xI78ipou2
ここで東西冷戦が終結する。
平和の調停者を自任する大正義アメリカが、イスラエルとパレスチナの和平仲介に乗り込んできた。

1991年にスペインのマドリードでイスラエルとアラブ諸国、そしてヨルダン川西岸とガザの
パレスチナ人代表団が和平会議を開催した。
だが、東エルサレムのパレスチナ人たちはイスラエルの圧力で会議に参加できなかったし、
なによりパレスチナを語るうえで避けて通れないPLOの姿がなかった。
イスラエルに追われて中東各地に離散したパレスチナ人たちを代表できるのはPLOだけである。

イスラエル政府、とくに労働党には危機意識があった。
東西冷戦が続いているあいだ、イスラエルは中東諸国の共産化を阻止するための橋頭堡として
アメリカから絶大な支援を受け続けることができた。
しかし世界は変化した。
唯一の勝者となったアメリカにとって、イスラエルはもはや大した見返りを提供できない。
早いところパレスチナと手を打って周辺情勢を安定させておかないと。

1992年6月。
15年ぶりに労働党が政権の座に返り咲く。
首相イツハク・ラビンはさっそくPLOとの和平に乗り出し、翌1993年にアメリカのワシントンDCで
ついにPLOのアラファト議長と握手を交わした。

このときの合意により、イスラエル政府はPLOをパレスチナ全体の代表として承認した。
今後5年間にわたってPLOのアラファト議長がパレスチナを暫定的に統治し、そのなかで難民の帰還や占領地の返還、入植地と国境の画定など具体的な和平プロセスを進めていく。そういう手筈になった。

だが、かつてのエジプト大統領サダトと同じ悲運がラビンを襲う。

「神に与えられたイスラエルの国土を異教徒に売り渡した罪人には死あるのみ」

1995年11月4日、熱狂的なユダヤ教過激派青年がラビン首相を暗殺したのだ。
733: 名無しの司馬遷 2014/09/15(月)00:06:12 ID:UKVucJMfO
パレスチナ側でも和平の行方には暗雲が垂れ込めていた。

PLOが留守にしているあいだに、パレスチナでは別個の対イスラエル抵抗組織が生まれていた。
1987年、イスラエル軍の車両が4人のパレスチナ人を轢き殺したことを契機にムスリム同胞団が設立した「イスラーム抵抗運動」、通称「ハマス」である。

それにしてもムスリム同胞団、本当にあちこちに顔を出すことよ。

ハマスはイスラエルに対する徹底抵抗を主張し、イスラエルとの和平に猛反対していた。
PLO政権の基盤となるのはかつてアラファトが設立した「ファタハ」だが、イスラエルへの果敢な抵抗と地道な慈善活動を通じて多くのパレスチナ人に支持されるハマスは、政界においてファタハと拮抗していた。

1996年になると、ハマスはアラファトの意向を無視してイスラエルへの自爆テロ攻撃を連発。
これを受けたイスラエルでは、またしてもリクード党が政権に復帰し、党首ネタニヤフが首相となった。

ハマスとリクード党が出てきたことで、和平プロセスは停止してしまった。
2000年7月にアメリカ大統領クリントンが再度イスラエルとパレスチナの和平仲介を試みるも、
エルサレムの帰属とパレスチナ難民の帰還をめぐる問題に決着がつかず、交渉は決裂。

その2か月後、例のリクード党のアリエル・シャロンが余計な挑発をしたせいで、
和平プロセスは完全にぶっ壊れた。
734: 名無しの司馬遷 2014/09/15(月)00:26:21 ID:UKVucJMfO
アメリカ同時多発テロから間もない2001年9月28日、シャロンは突然エルサレムの
イスラーム聖域地区に乗り込んだ。
朝の礼拝に集まっていたパレスチナ人ムスリムたちは、憎きシャロンを罵声で迎えた。
直後にパレスチナ人たちがシャロンを警備する警官たちに投石を開始し、警官側は発砲。
たちまち騒擾は東エルサレム全体へ、さらにパレスチナ暫定自治区全土へ拡大し、
「第二次インティファーダ」が始まってしまったのだ。

これはシャロンの思う壺だった。
彼は激化するパレスチナ人の「テロ」に対する徹底報復を唱えて国民の支持を集め、労働党を政権から追い落とすと、突如パレスチナ暫定自治区に侵攻し、ラマッラの暫定自治政府を包囲し、アラファト議長を軟禁状態とした。

もはやPLOを対等な交渉相手として認める気はない。
これは「テロとの戦い」なのだ。ファタハはタリバン、ハマスはアルカーイダみたいなもんだ。
大正義アメリカはこの論法に納得してイスラエルを応援した。

以後、シャロンの独壇場である。
彼はPLOとハマスを潰し、残るパレスチナ人たちをイスラエルの領域外に追い払うつもりだった。
アラファト軟禁に続き、2004年にはガザを拠点とするハマスの指導者アフマド・ヤーシーンを爆殺。
2005年にはガザの入植地からユダヤ人入植者を撤退させて世界を驚かすが、別に転向したわけではない。

ガザ撤退と並行してヨルダン川西岸の入植地を拡大し、パレスチナ人テロリストの侵入を阻止するためと称して高さ8メートル、全長700キロに及ぶ「分離壁」の建設を開始。
これは「ベルリンの壁」の再現みたいなものだった。
分離壁は過去の協定で決められたラインよりも東へ食い込む形で建設され、パレスチナ人の居住地は分断された。
イスラエルは分離壁を既成事実化して、入植地を拡大しようと目論んでいるようだった。

だが、ノリノリだったシャロンは2005年12月、突然脳卒中で倒れて人事不省となる。
その後2014年1月11日に死亡するまで、シャロンは二度と意識を回復しなかった。
735: 名無しの司馬遷 2014/09/15(月)00:51:42 ID:UKVucJMfO
シャロンが強制退場となったあと、求心力を失った右派政権は闇雲に戦争を始める。

まず、レバノンのシーア派組織ヒズボラが2名のイスラエル兵を拉致したことを理由にレバノン空爆を開始。

「対テロ戦争って呪文唱えてればなんでも許されると思ってるんじゃないだろうな?」

たった2名の兵士を取り戻すために隣国に無差別空爆をして地上軍を投入したイスラエルは世界中に批判され、国連に停戦命令を出された。
そこで今度は、シャロンが撤退したはずのガザを標的にした。

パレスチナ自治区ではアラファトが軟禁されたあと、ファタハ党のマフムード・アッバースが
暫定自治政府の大統領となってハマスと協調しようとしたが、2007年にハマスが独断でガザ地区を占領したことでファタハとハマスの対立が決定的となった。

PLOと直結し、比較的「穏健」なファタハはヨルダン川西岸でなんとかイスラエル政府と外交交渉を続けたが、「過激」なハマスはガザからロケット弾をイスラエル領内に打ち込みまくった。
もともと2つの領域に分かれていたパレスチナ自治区は、政治的にも2つに分裂してしまったのだ。

これ以後、イスラエルは現在に至るまでガザ攻撃を何度も繰り返している。

イスラエルはガザのハマスをテロリストと位置づけ、ガザ攻撃をテロから善良な市民を守るためのものとしている。
一方ガザの内部は経済的に困窮を極め、ハマスが辛うじて住民の生活を支えている。
ガザのパレスチナ人たちの多くは10代や20代の若者で、明日への希望などとうてい持ちえぬまま
次々にハマスに加わってイスラエルと戦っている。

2014年夏、イスラエル軍の大攻勢でガザは崩壊寸前に追い込まれた。
ガザへのイスラエルの攻撃があまりにも容赦なく非人道的だとして、イスラエルは世界各地から強く批判されているが、イスラエル人にはこれはとても心外であるらしい。

「善良な市民にロケット弾を撃ち込むテロリストを掃討するのが悪いのか!」
「そのためにガザの何千人という一般市民を虐殺して恥じるところがないのか!」

たぶん本音を言えば、壁の向こうの得体の知れない連中と、リアルに思い描ける同胞とでは
生命の価値づけが全く違うのだろう。もっとも、そんな思考はイスラエル人に限ったことではないのだけど。

今夜はここまで。
737: 名無しの司馬遷 2014/09/15(月)07:16:32 ID:GKqAUiLAJ
1乙
いっぱい書いてくれて嬉しいや
真っ黒な未来しか想像出来ないー

738: 名無しの司馬遷 2014/09/15(月)08:09:15 ID:kuTQcoBYj
パレスチナもイラクも、過激か穏健か問わずまとめ上げるスキルのある人間を片っ端からぶっ殺してカオス化したって印象だったけど実際どうなの?

741: 名無しの司馬遷 2014/09/16(火)22:24:16 ID:WTmLNEJkR
>>738
おおむね間違ってないと思う。
イラクにいたっては従来のイラク国家の枠組みを維持しようとする限り、
サダム・フセイン以外に纏められる人間はいなかったかと。
地政学的にもっと無理のない国境に改変しようとするならば、
ISISに任せとくという選択になってしまう。

739: 名無しの司馬遷 2014/09/15(月)16:18:38 ID:vsEHMhrya
先のことはわからんが日本人で日本に産まれてよかった・・・

742: 名無しの司馬遷 2014/09/16(火)23:04:45 ID:WTmLNEJkR
1970年代の末に突然始まった「第二次イスラーム復興」は、過激なテロリズムだけを生み出したわけではない。
むしろ原理主義の跳梁は復興のひとつの側面でしかない。

かつて、近代化とともに社会は脱宗教化するのが当然と考えられていた。
実際、第二次世界大戦が終わってからしばらくのあいだは、おおむねどこの地域でも社会は世俗化の一途をたどり、イスラームは時代遅れの文化と見なされるようになっていった。
ところが何故か、20世紀後半になるとイスラームに限らず世界各国で諸宗教の復興が生じたのである。

近代化が進めば、どうしても貧富の差が広がり、都市と農村や世代間や職業間での価値観の断絶も生まれる。
まして中東アラブ諸国は総じて軍事独裁政権だったから、抑圧を感じる人々は膨大である。
彼らがイスラームを自分たちの拠り所とした、というのがまずある。

近代化の恩恵を受けた都市の中流層にしても、政治的に抑圧されていることには変わりない。
イスラームの価値観を見直した中流層は、宗教に立脚する福祉活動や教育活動を通じて貧困層に富を分かち与えた。
これが草の根のイスラーム復興を後押しした。

各地でモスクと礼拝者が増加し、スーフィー教団が再び活性化した。

また、交通革命によるメッカ巡礼の激増や、通信革命によるイスラーム世界の情報交流の活発化、ソ連の崩壊による中央アジア諸国の再イスラーム化、湾岸諸国の繁栄なども復興の背景として見逃せない。

豊富な油田を抱えるペルシア湾岸の小国群は、二度のオイルショックを通じて世界の石油相場の支配を確立した。
有り余る富を手にした湾岸諸国は、それをさらに増殖させるべく、金融分野に食指を動かした。
だが、重大な問題がある。イスラーム法では利子を取ることが禁止されているのだ。
地域によっては法網を潜って利子を導入しているところもあるが、湾岸諸国は一世代前までは砂漠の遊牧民だった。
なんだかんだいって伝統的な宗教法を軽視することは許されない。

西洋の銀行は金を貸して利子を取り立てることで儲けているが、利子を取らずにカネを増やす方法はないものか。

そこで彼らは頭をひねり、いろいろと技を考え出した。
たとえば、銀行がこれはと見込んだ有望な商人にカネを出資し、利益が出たら一部を配分してもらう。
株式会社のパクリっぽい。
あるいは、誰かが何かを買いたいときに、銀行が購入の仲立ちをして手数料を取る。
これは商社のパクリか。
さらに、銀行自体が貿易事業や慈善事業を運営して収益を得るなんてのもある。

こういういろいろな技を駆使して利子に頼らず利殖をするのを「イスラーム金融」というのだけど、
こういう創意工夫はまさにイスラーム法の再解釈、「イジュティハード」そのものなのだ。

石油に加えて金融の大発展。
湾岸諸国の繁栄はとどまるところを知らない。
ことにアラブ首長国連邦のドバイは砂漠のなかに摩天楼を連ねた幻想的な国際経済都市として、世界に名を馳せている。
743: 名無しの司馬遷 2014/09/16(火)23:25:34 ID:WTmLNEJkR
だが、それはそれとして2000年代のイスラーム世界が原理主義によって翻弄されたことも事実。
それに加えて波乱を呼ぶのはアメリカの存在である。

アメリカ合衆国はユーラシア大陸から大洋によって隔てられたアメリカ大陸で誕生した。
19世紀を通じて対外不干渉政策を貫き、二度の世界大戦を通じて欧州に帰還してからも、
長らく大洋と沿岸を支配するだけで、広大なユーラシア大陸内部に直接手を出そうとはしなかった。

ところが、2001年の同時多発テロを機にアフガニスタン、ついでイラクに大兵を動員。
歴史上はじめてアメリカがユーラシア大陸中央部に本格的な介入を始めたのだ。

数千年の歴史を持つユーラシア大陸。
そこは砂漠や大山脈によっていくつかの区域に分断され、何世紀ものあいだ、
おのおのに巨大な帝国が興亡を続けてきた。

その系譜の末に現存するのが、たとえば東ユーラシアの中華人民共和国であり、
北ユーラシアのロシア連邦である。

同時多発テロを機にアメリカが中央アジアに軍事拠点を置き、ユーラシア内部に進出したことは
この両国を非常に刺激した。

ほどなく中露両国は「上海条約機構」を締結する。
名目は経済提携と対テロリズム。だが、真の意図が対米同盟であることは隠しようもない。
上海条約機構には中央アジアの諸国も加盟した。
中露両国はアメリカの影響を中央アジアから排除したうえで、この地域を自国の勢力圏に取り込みたいのだ。

それ以外の国々にもアメリカの存在はさまざまな波紋を投げかけた。

たとえば、二つの聖地の守護者であるとともに伝統的に親米政策をとるサウジアラビア王国は
湾岸戦後よりはるかに規模を大にして中東に居座るアメリカを前に、更なる苦悩を味わう。

また西洋指向を続けてきたトルコも、存在感が強くなりすぎたアメリカに困惑した。
トルコ東部からイラク北部にかけての山岳地帯に少数民族クルド人が存在するが、
イラク側のクルド人に対してアメリカがどのような態度で臨むのかに一喜一憂。
イラク国境から流れ込む膨大な難民への対処にも頭を抱える。

トルコには他にも悩みがある。
ケマル・アタテュルク以来百年も西洋化に努めて来たのにも関わらず、欧州諸国が
トルコを異物扱いし、長年申請しているEUへの加盟をあくまでも認めないのだ。
トルコ国内でも農村部では伝統的なイスラームの文化や価値観が根強く残っており、
地方住民は「もう西洋化なんて辞めたほうがいいだよ」と主張し、国論分裂。

対照的に反米一筋のイランに対しても、アメリカの中東進出は大きなインパクトを与えた。
744: 名無しの司馬遷 2014/09/16(火)23:33:59 ID:Xj18buLia
なんかただ単に教科書まがいなこと書いてるだけだなー。
パレスチナとか含めイスラム側の意見を聞いてみると自分流の意見がもてるよ。

746: 名無しの司馬遷 2014/09/17(水)00:12:28 ID:sxTVdbtHu
>>744
たしかに教科書的になっちゃってるね。現代は書きづらいというのもあるけど。

自分流の意見っていうのはなんだろなあ。
いろいろと思うところはあるんだけど、イスラーム側の視点も非イスラーム側の視点も理解したうえで
敢えてどちらにも入り込み過ぎないのが歴史の基本的な書き方だと思うんだ。
どっちが良いとか悪いとか、対立の原因とか構造とかは読み手がそれぞれ自由に考えるのがいいと思う。
それでも、結局偏ってしまっているかな。

そろそろ終わりが見えてきてるな。

747: 名無しの司馬遷 2014/09/17(水)00:16:35 ID:FT6Xggr0K
>>744 が読んだ教科書ってなんだ。俺の教科書はこんなに出来良くなかったよ

>>745 ブッシュはなんでハタミ政権を崩壊させたの?イランを混乱させたかっただけ?

751: 名無しの司馬遷 2014/09/17(水)20:34:00 ID:6EEJ5s3yd
>>746
でもあなたは歴史の先生でもないし記者でもないわけじゃん
ただ史実を書いていくのではなく、「イスラムの人はこういってた」とかオリジナルを入れてもいいと思う
>>747
日経新聞で連載してた池上彰さんのとか読むといいよ

752: 名無しの司馬遷 2014/09/17(水)21:50:28 ID:YD4kczYV5
俺は>>1の淡々と史実をわかりやすいストーリーとして書くスタイルがすごく好きだけどね
自分は全然知らない話だし
影響されて井筒俊彦の「イスラーム文化」を買った 読むの楽しみだ

754: 名無しの司馬遷 2014/09/17(水)22:14:40 ID:FT6Xggr0K
>>751 池上...
読み手が考えるスペースを与えたいって事でこの形式な訳だし、それでいいと思う。実際その通りになってるし。
それに>>1が考える中立的な目線もわかるから、このままで十分面白いよ。

760: 名無しの司馬遷 2014/09/18(木)21:31:22 ID:9LH6jxA2C
おお、盛り上がってる?

>>751
いちおう歴史学を学んだ人間なので全くの虚構は書けないけど、ぎりぎりの範囲内でデフォルメはしまくってるよ。
>>25のウマルがハーリドに送った書簡を例にとれば、まさか本当に「おまえクビwww」なんて、
2chみたいに書いてあったわけないw
他にも史実か確認できないエピソードを持ち出したり、有名人の名セリフを微妙に脚色したり、
>>745みたいに民衆の代表意見らしきものを喋らせたりぐらいならしょっちゅう。

>>752
あれは読む人をけっこう選ぶ本だと思うので、はまればいいね。
あちこちに引用されてる古代アラビアの武勲詩がかっこいい。

761: 名無しの司馬遷 2014/09/18(木)21:37:07 ID:9LH6jxA2C
>>747
アメリカがハタミ政権を積極的に潰したわけではないけど、そのきっかけは作ってるね。
いろいろ理由は考えられるけど、ようするに「ブッシュが馬鹿だったから」ではあるまいか・・・

ま、9.11以降アメリカ社会は明確な敵を求めていたし、ハタミ個人はとにかく
国家単位では不穏な動きばかりするイランは敵性認定するのに相応しかったんじゃないかと。
結局のところテヘラン事件以来、西南アジアでアメリカがいちばん警戒していたのはイランだしね。

745: 名無しの司馬遷 2014/09/16(火)23:58:21 ID:WTmLNEJkR
イランのハタミ大統領は保守派の抵抗による開放政策の挫折とアメリカによる「悪の枢軸」発言で挫折に追い込まれ正反対の政治姿勢をとる「マフムード・アフマディネジャド」が2005年にイランの大統領となった。

アフマディネジャドは貧しい家庭に生まれて頑張って勉強し、イスラーム革命の実行部隊「革命防衛隊」に加入した経歴の持ち主で、「私は原理主義者である」と堂々公言。
でもって選挙スローガンは「やればできる!」。
少し後にアメリカの某大統領が打ち出したスローガンとなんとなく似てる。
でもって、二言目には「アメリカは滅ぼされるべきである」と発言。
そんな経歴と思想信条と政治姿勢でもって、彼は保守派と貧困層の心をがっちり掴んだ。
革命の元闘士アフマディネジャドは最高指導者ハメネイを大いに尊敬し、二人はしばらくうまく協調した。

だが、熱気が冷めるのは早かった。

アフマディネジャドはアメリカを罵倒し、貧困層にカネをやたらとばら撒くだけで
国家経済の運営はいたってお粗末だったので、アフマディネジャドへの支持は急落。

そんななかで2009年に中間選挙が行われる。
アフマディネジャドの支持は急落しているはずなのに、なぜか選挙では圧勝。

「ごまかし発見!」

たちまち10万人ものデモが沸き起こり、再選挙要求を怒号した。
ところがここで最高指導者のハメネイが失策を犯す。

「アフマディネジャド君おめでとう。負けた方は去れ」

この発言がイランを揺るがすことになった。
デモに集まった大衆はたちまちハメネイ批判を連呼し始めたのだ。
「法学者の統治」を標榜するイラン・イスラーム国家において、イマーム代行である「最高指導者」が公然と批判されるなど、ホメイニ時代には考えられなかった。

短いけど今夜はここまで。
762: 名無しの司馬遷 2014/09/18(木)21:52:07 ID:9LH6jxA2C
>>745の続き。
革命集団が最も恐怖するのは、自分たち自身が革命によって倒されることである。
「ハメネイに死を!」と怒号する市民たちを前にして、アフマディネジャドとハメネイは
革命防衛隊をはじめとする治安部隊を投入し、「緑の波」と呼ばれるデモを力ずくで抑え込んだ。

イラクには巨大なアメリカ軍が駐留し、中東諸国に自由化と民主化の圧力を突き付けている。
それをもって、アフマディネジャドとハメネイはデモをアメリカの陰謀だと決めつけ、
多数の民主派知識人を投獄した。
(間違ってないような)

2003年に「民主主義と人権の擁護」を理由にノーベル平和賞を受賞していた女性弁護士の
シーリーン・エバディも、デモの鎮圧に反対したというので平和賞の賞金を押収された。
アフマディネジャドによるとノーベル平和賞も、イランの国政を動揺させようとするノルウェーの陰謀らしい。
(間違ってないような)

再任されたアフマディネジャドは一層強硬に核開発を進め、国連総会で「ナチスのホロコーストは捏造」とか「イスラエルは世界地図から抹消すべき」などと演説をして欧米諸国の代表団に全員退席されたり、元気に活躍した。
しかしイラン政府内では、蜜月だったアフマディネジャドとハメネイが対立しはじめる。
763: 名無しの司馬遷 2014/09/18(木)22:17:43 ID:9LH6jxA2C
革命権力も時とともに腐敗する。

イランのシーア派法学者たちも政治に深く関わるにつれて、さまざまな利権に染まり、国庫の収入を私物化しつつあった。
世俗の統治者たるアフマディネジャドは法学者たちの権益を解体し、国家財政を再建しようとした。

「最高指導者」ハメネイは、もとよりシーア派法学者としては二線級に過ぎない。
くわえて2009年の選挙でアフマディネジャドに肩入れしすぎたために、中立的な最高権威としての威信も失った。
権力を確保するため、彼は利権を追求し、カネを支持者にばら撒いていた。
ところがアフマディネジャドは軍の力を背景にハメネイの息子が経営する不動産企業を閉鎖させ、
自動車企業や鉄道の利権を奪い、銀行から大金を借りっぱなしの法学者たちに即時返済を迫った。
石油産業の管理権も法学者たちから政府に移管させようとした。

2010年、最高指導者ハメネイは大統領一派に「逸脱傾向」が見られると批判しはじめた。
ハメネイは最高指導者としてアフマディネジャドの命令や指示に拒否権を行使しまくり、
宗教系の新聞には連日のように「異端へ向かうアフマディネジャド」など煽情的な見出しが躍った。
最終的にハメネイは「大統領制を廃止せよ」とまで主張するようになる。

こんな状況のなかで、アフマディネジャドの頼みの綱の軍部が反旗を翻した。
といってもハメネイの画策が功を奏したわけではない。
アフマディネジャドが軍の利権にまで手を入れ始めたのが理由だった。

加えてアフマディネジャドの強硬な言動や、レバノン・シリア・バーレーンなどへの介入が祟って
諸外国の締め付けは厳しくなる一方で、市民生活は年ごとに窮乏。
2012年にイラン北西部で大地震が起こるが、政府の対応が後手後手にまわったことで
「アフマディネジャドはレバノンのヒズボラは助けてもイラン国民は助けねーのか!」と庶民の怒り爆発。

そんな次第で追い込まれていったアフマディネジャドは、ついに白旗をあげた。

「次の選挙で政界引退して大学教授になるわ」

というわけで2013年夏に総選挙が行われ、とうとうアフマディネジャドは退場した。
ところが、最高指導者ハメネイはアフマディネジャドとの対立に気を取られ過ぎて、思わぬ失策をする。

てっきりハメネイの息のかかった政治家が大統領になるのかと思いきや、
しばらく存在を忘れられていた改革派が地滑り的に大勝利。
イラン国民は革命原理主義者アフマディネジャドと腐敗宗教家ハメネイに飽き飽きしていたのだろう。

予想外に大統領となった改革派の法学者ロウハニは、さっそく自由化路線に舵を切り、
アメリカとの国交回復にも動き出した。
イラン情勢は複雑怪奇である。
764: 名無しの司馬遷 2014/09/18(木)22:48:09 ID:9LH6jxA2C
一方、アメリカ軍が駐留を続けるイラクではどうしようもない混乱が続いていた。

予言か呪詛か、サダム・フセインは処刑される直前に「アッラーは偉大なり。イラクは勝利に満ちる」と言い残したという。

米軍進駐後、旧イラク国軍が地下に潜って武装蜂起を繰り返した。拙劣な占領統治に対して民衆は暴動を起こした。
スンナ派はフセイン時代の優遇政策が終わることを恐れ、クルド人は独立国家の建設を目指した。
シーア派はフセインに処刑されたバーキル・サドルの遺児、「ムクタダ・サドル」のもとに民兵を組織し、イラクを自派の国家に塗りかえようとした。
イラクはアフガニスタンに代わって「帝国主義からイスラームを守護するための聖戦」の主戦場となり、イスラーム世界全土から聖戦志願者が殺到し、米国が「狂犬」と呼んだ「アブー・ムスアブ・ザルカウィ」の指導のもとで
「イラクのアルカーイダ」として対米ゲリラ戦と自爆テロを繰り広げた。

2004年にはファルージャで武装ゲリラと米軍の大規模戦闘が起こり、何千人もの民間人が巻き添えで殺された。
アメリカ軍の兵士たちは恐怖と怒りに駆られてイラク軍捕虜への虐待を繰り返した。
これが明るみに出ると反米蜂起とテロはさらに激化した。

2006年には米国がイラク暫定自治政府を発足させるが、内乱は収まる気配もない。
スンナ派とシーア派の抗争、地元住民とアルカーイダの抗争も広がり、
アルカーイダは「聖戦」に反対するイラクの民衆をもテロの対象としはじめた。

2008年、シーア派指導者ムクタダ・サドルは軍を組織して暫定政府と交戦し、占領地を拡大。
北部では独立を求めるクルド人民兵の「ペシュメルガ」が、これまで散々フセインに虐められてきた仕返しとばかりアラブ系住民の虐殺を開始した。
このクルド人とトルコ軍が衝突し、トルコ軍が国境を越えてイラク北部に進駐する事態に発展する。

アメリカも、今となっては一日も早くイラクを捨てて逃げ帰りたい。
だが、パンドラの箱を開けたのはアメリカなのだ。放り出せるわけがない。
765: 名無しの司馬遷 2014/09/18(木)22:59:12 ID:ZTRfngLv2
ハメネイ
所詮二流って感じやね

767: 名無しの司馬遷 2014/09/18(木)23:17:44 ID:9LH6jxA2C
>>765
小物臭あふれる

766: 名無しの司馬遷 2014/09/18(木)23:11:20 ID:9LH6jxA2C
2009年に「テロとの戦い」を主導した共和党のアメリカ大統領ブッシュ(息子)の任期が終わり、
民主党のバラク・オバマが次の大統領となった。
オバマは早期にイラク暫定政府に統治を移管し、イラクからアフガニスタンに戦力を振り替える戦略を発表した。
アメリカの関心がイラクに向いているあいだに、アフガニスタンでは別に根絶されていたわけではないタリバンが再び勢力を盛り返しつつあったのだ。

そんななか、2011年に驚きのニュースが世界に流れる。
あのオサマ・ビンラディンが9.11事件から10年を経て、ついに殺害されたのである。

ビンラディンはパキスタン北部の田舎町に要塞のような屋敷を構えて潜伏していた。
アメリカの公式発表によると寝室にはポルノ雑誌も備えていたとやら。

潜伏生活に入ってからのビンラディンがどの程度世界各地のテロリズムに関与していたのかは不明だが、イスラーム原理主義過激派の象徴だったビンラディンが殺害されたことは、ひとつの区切りにはなった。

ビンラディン死後1か月半を経て、ビンラディンの「副官」と見なされていた「アイマン・ザワヒリ」が
アルカーイダの次期総司令官となることが発表された。
ザワヒリのもとでアルカーイダは相変わらずテロを繰り返し、米軍はなんだかんだいって
イラクから撤退しきれないままに血と汗を流し続ける。

だが、貧困と政治的抑圧への不満から原理主義の主張に共感しがちだったアラブ諸国の民衆は
もういい加減、過激なテロの連鎖に嫌気が差してきていた。

「いくら聖戦とやらをやったところで世の中は変わらない」
「聖戦とか言って、アルカーイダは何の罪もない普通の市民まで殺しているじゃないか」
「そもそもイスラームは、あんな血なまぐさい宗教じゃない。あいつらは頭がおかしい」

テロなんてただの逃避。政治に不満があるなら正面から立ち上がればいいじゃないか。
こんな当たり前のこと、なんで今まで気が付かなかった。
思えば、ちっとやそっとの不満があってもムスリム同胞団みたいな宗教団体が生活を助けてくれたからね。
だけど、いつまでもそれじゃ駄目だろうよ。

2011年1月。
「アラブの春」、開幕。

今夜はここまで。次で完結かな。
768: 名無しの司馬遷 2014/09/18(木)23:33:06 ID:WxKfwCUYJ
最近の話題は「イスラム国」かなぁ…?
汎イスラーム的な思考からするとあれはあれで正当?な気も。
新たなレコンキスタとなりうるか?
1さんはどう思いますかねぇ

783: 名無しの司馬遷 2014/09/20(土)01:37:18 ID:GyCOfrkzH
>>768
もともと「イスラーム世界」ってレベルにとどまらず、ユーラシア大陸には
固有の歴史のリズムみたいなのがあると思うんだ。
一定の範囲が共通の文明圏になり、そのなかで数世紀ごとに統一と分裂が繰り返される。

ところが近代に入ると、ユーラシア大陸外縁部から海を通ってやって来た西洋列強が
大陸内部の歴史のリズムを強制的にストップさせた。

そのせいで内圧が溜まりに溜まった結果、最近の過激派の跳梁とかISISみたいな形で噴出したんじゃないかと。
ISISがシリアとイラクにまたがる国家を作ろうとしているのは、歴史的・地政学的にはむしろ自然でもある。
そういうのをこれまで抑制してきたアメリカが、今回はなかなか腰をあげなかったんで、
ISISの基盤はけっこう固まってしまっている。

だから今からアメリカによる従来からの抑制圧力と、ISISによるユーラシア大陸の歴史的内圧との
力比べになるんじゃないかと。
結果がどうなるかは分からない。なんだかんだ言ってアメリカが勝つ気はするけど、どうだろう。
アメリカが勝てばしばらくは見慣れた世界が続くだろうけど、ISISが勝てば世界は大きく変わるだろうね。

772: 名無しの司馬遷 2014/09/19(金)23:12:19 ID:OmedNzxHs
発端は2010年12月17日、北アフリカの小国チュニジアで26歳の露天商が女役人に野菜と秤を奪われたことだった。

チュニジアは石油が出ないアラブ諸国の中では比較的豊かな部類に入るが、それでも世界の大半の途上国と同様に若者が余って仕事が足りず。若年失業率が30パーセントに達していた。

この露天商も定職にありつけないまま、大勢の家族の生活を支えるために道端で野菜を売っていたのだ。
ところが、あいにく彼は営業許可証を取っていなかった。
何故かと言えば、許可証を取るための賄賂を払えなかったからだ。

この日、通りかかった女役人が営業許可を取っていないことを理由に彼の店の野菜と秤を押収し、平手打ちを食らわせ、「貧乏人乙wwww」とプゲラして去っていった。

「売り物返しておくれよう、秤も友達に借りたんだよう!」

彼は役所に行って必死に訴えるが、頭から無視される。何故かというと賄賂が出せなかったから。

チュニジアでは20年以上もベンアリ大統領の独裁が続き、行政の末端まで腐敗が蔓延していた。
賄賂が通れば道理が引っ込む。カネがなければ何もできない世情である。

絶望した露天商は役所の前で頭からガソリンを被り、怒りの焼身自殺を敢行した。

この事件がたちまちツイッターやフェイスブックやYouTubeでチュニジア全土に知れ渡った。動画音声つきで。

そもそもイスラームは自殺を禁じているし、火葬の習慣もない。
死者は最後の審判の日に墓から呼び起こされて神の御前に召集されるので、土葬以外はあり得ない。
生きている人間が自らの身体に火を点けて悶えながら死んでいく姿は計り知れない衝撃を読んだ。

「これは他人事じゃない。俺たちはこんなイカレタ社会をぶっ壊す!!」

チュニジア全土の若者たちは怒りを爆発させ、その怒りは20年以上にわたって独裁を続ける政権そのものに及んだ。

ベンアリ大統領はビビった。
なまじチュニジアはそこそこ豊かで、テロや内戦が日常のような国ではない。
だからこそ、軍を投入して市民を虐殺するような強硬手段を取る決心がつかなかった。
腰が引けたベンアリは譲歩に譲歩を重ねて政権延命を図ったが、
最後は治安部隊の長官に「あんたはもうオシマイ」だと宣告され、政権を捨てて国外へ去った。

チュニジアを代表する花であるジャスミンにちなみ、これは「ジャスミン革命」と命名された。
774: 名無しの司馬遷 2014/09/19(金)23:27:13 ID:OmedNzxHs
ベンアリ政権の呆気ない崩壊は、これまたツイッターやフェイスブックやYouTubeで、瞬く間にアラブ諸国に伝わった。
これに刺激を受けて、北アフリカから中東にいたるアラブ諸国で次から次に民主化運動が発生し、長年続いた諸国の独裁政権がドミノ倒しのように倒壊しまくった。

2011年春のこの大変動を、世に「アラブの春」という。

1月にエジプトで大規模なデモが発生した。
SNSを使って連携した若者たちがカイロのタハリール広場を埋め尽くし、30年間独裁を続けたムバラク大統領を放逐。
ガマル・アブデル・ナセルに始まったエジプトの軍事政権が終焉したのだ。

アラビア半島南部のイエメンでも33年間君臨したサーレハ大統領が退場した。
アルジェリア、モロッコ、レバノン、モーリタニアなどでも小規模ながら民主化運動が発生し、政権は譲歩を余儀なくされた。

そしてアラブの春によって最大の痛撃を受けたのが、リビアの独裁者「ムアンマル・カダフィ」である。
775: 名無しの司馬遷 2014/09/20(土)00:01:09 ID:GyCOfrkzH
エジプトの西に位置するリビアは、国土の大半を不毛なサハラ砂漠が占めている。
この地は長くオスマン帝国に支配された後、イタリアや英仏の植民地にされていたが、
1951年に「サヌーシー朝リビア王国」が成立。

が、エジプト大統領ナセルの主導による汎アラブ主義が中近東を風靡した1960年代、
リビアでも王制を打倒してナセルに続こうという青年将校たちが出現し、隣国をパクって「自由将校団」も結成。

1969年、リビア版自由将校団はついにクーデターを起こし、「リビア・アラブ共和国」を樹立した。
共和国は「革命評議会」によって指導されるとされたが、この評議会の議長だったのがカダフィ、通称「カダフィ大佐」である。
以後カダフィは「革命指導者」として、事実上リビアの最高権力者となる。

カダフィは『緑の書』なるものを執筆し、自分の国家論を滔々と論じた。
それによれば国家は人民によって直接支配されるべきであり、憲法だの議会だの国家元首だのは不要だという。
なのでカダフィは公式には国家元首ではない。あくまでただの大佐であって、1979年以降は何の公職にもついていない。
それでも彼は「革命指導者」であり、議会も憲法も持たない国家の中で無制限の自由を手にして、思うが儘に権力を振り回した。

カダフィは誰に頼まれもしないのにナセルの後継者を自任し、支離滅裂な外交を展開した。
強硬な汎アラブ主義者でパレスチナ人への共感を熱く語りながら、いざパレスチナ難民が来ると
彼らを国境に放置して飢えさせ、チュニジアやエジプトに急接近して合邦まで持ちかけながら、
突然癇癪を起して武力衝突を発生させた。
本当の「ナセルの後継者」であるサダトも呆れ果て、「奴は頭のてっぺんから足のつま先まで狂ってる」と言ったものだ。

おまけに、一国の支配者でありながらアルカーイダより早くから欧米諸国に対するテロを繰り返し、イギリスで警官を射殺したり、飛行機を爆発させたりしていたっぽい。

そういうことをやっていたので経済制裁を食らい、さすがに多少は大人しくなる。
大人しくなったので2009年には初めてニューヨークで国連総会に出席することができたのだが、
このとき「俺は遊牧民だ」と宣言してテントで寝起きし、国連総会での演説冒頭でいきなり国連憲章を放り投げ、
「ケネディはイスラエルに暗殺されたので調査しる」とか「オバマはムスリムだ」とか
「豚インフルエンザは製薬会社が開発したんだ」とか、「余はアフリカの王の中の王である」とか
愉快な演説を一時間半も続けた。
延々続く意味不明な演説のせいで疲れ果てた通訳が途中で交代し、欧米諸国の首脳たちはもとよりイランのアフマディネジャドさえも途中で退場したという。
776: 名無しの司馬遷 2014/09/20(土)00:03:04 ID:w2zytSrCc
参考画像
no title

778: 名無しの司馬遷 2014/09/20(土)00:20:42 ID:GyCOfrkzH
カダフィとその一族は国民を貧困のなかに放置したまま莫大な富を貯めこみ、権力をかさにきて好き放題に振る舞った。
とくにカダフィの息子のハンニバルなんぞ、ムスリムのくせに酔っ払って妻や乳母を暴行しまくり、
パリのシャンゼリゼ通りを猛スピードで逆走し、スイスで婦女暴行の疑いで逮捕された
真正DQNとして世界的に(悪)名高い。

『緑の書』によればリビアは大衆による直接民主主義国家であり、カダフィと国民は一心同体ということになる。
「俺がリビアだw」「俺と意見が違う奴は非国民だw」という超理論により、カダフィは国民の意志など歯牙にもかけなかった。

だが「アラブの春」の波はついにリビアにも及ぶ。

長年の滅茶苦茶な独裁に対してリビア国民が一斉蜂起すると、泡を食ったカダフィはサハラ南方のアフリカ諸国から傭兵をかき集め、自国の国民に対して遠慮会釈なく砲撃を浴びせ、空から爆弾の雨を降らせた。

「ありえねー、非道にも程があるわ」

カダフィの強引な抵抗を見て、NATOやアラブ諸国がリビア内戦に介入し、反政府派を強力に後押しした。
カダフィは配下の傭兵軍を駆使して頑強に抵抗したが、8月に首都トリポリを失った。

そして10月20日、カダフィは故郷のシルトで下水管に潜んでいたところを反政府軍に引きずり出されタコ殴りされて血塗れになり、凄惨な最期を遂げたのである。
779: 名無しの司馬遷 2014/09/20(土)00:40:47 ID:GyCOfrkzH
だが、諸国の腐敗した政権を倒して人々に平和と繁栄をもたらすかに見えた「アラブの春」は、
徐々に暗転しはじめた。

北アフリカ諸国では独裁政権が倒れた後に、統治を担う力量を持った勢力がうまく登場せず、
無政府状態に陥ったり、間隙に乗じて原理主義勢力が「民主的に」台頭したりした。

エジプトの先のリビアでは民衆蜂起に直面したアサド政権がリビア以上に頑強に抵抗したことや、
兵器輸出利権を守りたいロシアがアサド政権を支援したため、民主化運動は泥沼の内戦に変質した。

一方イエメンの先のサウジアラビアおよび湾岸諸国では、そういう血なまぐさいことにはならなかったが、「アラブの春」は別の意味で変質した。
ここで注意すべきは、この地域では君主制が悪で民主制が善と単純に判断することができないということ。

サウジアラビアでも湾岸諸国でも、王家は確かに独裁政権ではあるが、有り余る石油の富を国民に配分し、経済は発展し社会は安定し、大多数の国民はさしたる不満を持っていない。

たとえばバーレーンでは、名君ハマド国王がアラブの春を待つまでもなく自分から立憲改革を推進していた。
バーレーンには多くのシーア派住民がいるが、ハマド国王は「国民融和」を理念に掲げて
スンナ派とシーア派の平和共存を維持することに努め、政府内にも多数のシーア派閣僚を登用していた。
「アラブの春」が波及すると、機に乗じてイランがバーレーンのシーア派住民を煽動して蜂起させようとしたが、これが発覚するや湾岸諸国の首脳はバーレーンに集合し、バーレーン政府の徹底援護を宣言している。

オマーンのカーブース国王も名君で、「アラブの春」が波及して民主化デモが発生すると、
間髪を入れずに次々と民主化政策を打ち出して肩透かしを食わせる一方で、暴力行為はきっちり取り締まった。

というわけで、アラビア半島で「アラブの春」の大津波は単なるさざ波に変わったのだった。
780: 名無しの司馬遷 2014/09/20(土)00:48:52 ID:GyCOfrkzH
他方、「アラブの春」の影響でとんでもないことになった地域もある。

カダフィはリビア内戦が始まると政権維持のためにサハラ砂漠の向こうから傭兵たちをかき集めた。
彼らの主な出身地は、以前から内戦が続いていたスーダンやチャドだった。

カダフィ政権が崩壊すると彼らが故国に舞い戻り、今まで以上の勢いで暴れはじめる。
そこにイスラーム原理主義過激派もやって来て、「サハラのアルカーイダ」なる組織を結成。
こうした動きのせいでサハラの南のサヘル諸国は大混乱になる。

ダルフール紛争の激化、ジャンジャウィードの暴虐、南スーダンの独立あたりの動きは、
カダフィ政権崩壊と密接に関わっているようだ。
781: 名無しの司馬遷 2014/09/20(土)01:26:06 ID:GyCOfrkzH
かくのごとく「アラブの春」は希望のうちに拡大し、幻滅とともに「アラブの暑い夏」に変質した。

シリアで始まった内戦は2012年になっても収まる気配がなく、激化の一途をたどった。
もともとシリアは中東の要衝であり、かつ多種多様な民族や宗教が混在する複雑な国である。
またしてもパンドラの箱が開かれたのだ。
ロシアとイランがシリア政府を支援し、例のごとく聖戦志願者も殺到した。
なんといってもシリアの隣はイラクなのだ。そこには山のように過激派がいる。

ありとあらゆる勢力がシリアとイラクにまたがる地域で乱闘を繰り広げる。
そんな大混乱のなかから、急速に台頭してきた新興勢力がある。
「イラクとシャーム(シリア)のイスラーム国」、通称「ISIS」と呼ばれる原理主義集団がそれである。

これは、2000年代半ばにイラクでアメリカ軍を翻弄した「狂犬」ザルカウィの築いた軍事組織が発展したものらしく、要はアルカーイダの一系統なのだが、あまりの苛烈さゆえに、2013年5月にアルカーイダ総帥のアイマン・ザワヒリから解散を命じられた。

「おまえら自重しる・・・さすがにワロえない」
「知らんわ」

ISISはザワヒリの命令など黙殺し、事実上の独立勢力となった。

果てしない争乱と流血の渦のなかで磨きに磨かれた、もっとも苛烈残虐にして徹底的なイスラーム原理主義集団、アルカーイダの最右翼がさらに凝縮して母体を飛び出したものがISISといえるだろう。

彼らは自らの「聖戦」の前に立ち塞がる敵にたいして何らの容赦もなく殺戮を行う。
シリア反政府派から供与されたり米軍から鹵獲した最新鋭の兵器を大量に保有し、豊富な資金も持ち、シリア東部からイラク北部にかけて勢力圏を確立。

彼らはこの地域で住民に課税し、行政事務を開始し、非ムスリムには貢税か域外退去かの選択を迫った。
もはや国家である。

2014年に入るとISISは北部イラクの要衝モスルを陥落させ、ティクリートでイラク政府の正規軍を真っ向から撃破し、バグダード前面まで進出した。
そしてISISの謎に満ちた最高指導者「アブー・バクル・アルバグダーディー」は「カリフ」を自称。
イスラーム原理主義思想の極致、彼らはかつてのウマイヤ朝・アッバース朝・オスマン帝国の最大領域までを統一し、カリフを頂点とする「原始イスラーム国家」なるものを「再建」しようと構想しはじめたのだ。

アメリカのオバマ政権は、ブッシュ政権の時代にアフガニスタンとイラクで散々苦労したことを踏まえ、戦争の規模を拡大するのを嫌い、ISISへの正面反撃をためらい続けた。
だが、ここまで来るとさすがに捨て置けない。
2014年9月、アメリカ政府はついにISISに対して本格的な空爆を開始することを宣言した。

終わり
782: 名無しの司馬遷 2014/09/20(土)01:28:38 ID:GyCOfrkzH
やっと終わった・・・

書き始めた時はまさかこんなに続くとは思わなかったし、
もともと近代以前の方が好きなのに19世紀以降にここまで比重が傾くとも思わなかった。
だけど書いてみると、教科書がなんであれだけ近代にページ割くか理解できた。
どうしても詳しく書かないと経緯を説明しきれないんだね。

とんでもなく長い長いスレになりましたが、ここまで読んでくださった方々、
どうもありがとうございました!

以下、質問などあれば。

784: 名無しの司馬遷 2014/09/20(土)02:15:30 ID:w2zytSrCc
お疲れ様でした
まだまだイスラムからは目が話せませんな

785: 名無しの司馬遷 2014/09/20(土)07:23:42 ID:ctbff29EV
イスラム教以前の中東って書いたっけ?

787: 名無しの司馬遷 2014/09/20(土)09:49:10 ID:ynE382Cws
おつかれさまでした!

788: 名無しの司馬遷 2014/09/20(土)10:39:06 ID:QikfQD8Id
ほんとに乙でした!
面白かったです(小学生並みの感想だがww)

790: 名無しの司馬遷 2014/09/20(土)13:22:41 ID:B7rMfYR7B
イッチはお疲れ様です
無学な俺でも楽しく勉強させて頂きますただ

最近だと石油関連の地政学なんかが
ヒートアップしてるよね

そこあたりはどうなってるの?

791: 名無しの司馬遷 2014/09/20(土)20:10:55 ID:le5e91RQb
長おことお疲れさんでした

しかしカダフィ・・・リビアの独裁者ってことくらいしか知らんかったが
何かもう完全にアレな人だな
よくこんなんで今まで独裁政権維持できたもんだと感心する
北朝鮮ですらもうちっとマトモじゃないか?

792: 名無しの司馬遷 2014/09/21(日)08:36:57 ID:U6M4TgqCj
カダフィはそれなりに自国では人気はあった(ホント、ホント)

民主化運動さえなければ
終世のほほんと独裁者の椅子にすわってたよ

794: 名無しの司馬遷 2014/09/22(月)22:19:19 ID:kUza1wCOw
>>784>>787>>788
どうもありがとうございます!

>>785
書いてないよ。
そのうち書いてもいいけど、ササン朝ペルシア以前の西アジアは馴染みがなさ過ぎて盛り上がらない予感。

>>789
書いた甲斐があったよ。

>>790
ごめん、それはあまり詳しくないんで難しいな。
ただの歴史好きより商社の人とかの方が知っていそう。

>>791
>>792です。
スレでは単純化して書いてる部分もあるので・・・

>>793
はーい。
忘れたころに中国とかヨーロッパとか日本とかの歴史をダラダラ解説するスレを建てるかも知れない。
それか補訂加筆してブログにでもするかな。

ではでは、どうもありがとうございました。
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1405776434/