1: 名無しの司馬遷
服部武雄(播州)
藤堂平助(北辰一刀流)
新倉新八(新撰組)
沖田掃司(新撰組)

もろもろ居るんだけど…

21: 名無しの司馬遷
>>1
人物名の後の欄、出身地なのか流派なのか所属組織なのかハキーリしろよ!

32: 名無しの司馬遷
>>1に真面目にお伺いしたい。
何故、沖田総司の名前が掃司で永倉の名字が新倉なんですか?わざと?
それともこっちのが正しいとか?全然詳しくないんで本当なのかネタなのかも見抜けぬのですが。
あと、何故そこに藤堂が入ってるのでしょう。決して弱くなかったとは思うがその3人と並べていいものか。
最後に皆新撰組じゃん。服部と藤堂は裏切り者だと言いたいの?

4: 名無しの司馬遷
沖田はマジで凄かったらしいぞ。
新撰組時代での稽古ではどんな奴でも、ビビッて勝負にならなかったらしい

5: 名無しの司馬遷
坂本龍馬だろう。
拳銃も使うし。

6: 名無しの司馬遷
高杉晋作も結構な使い手らしいぞ
しかしあの時代で活躍した連中は剣士が多かったからし
命賭けていたから皆凄いだろう

7: 名無しの司馬遷
土方歳三は京都では馬鹿馬鹿浪人を斬っていたそうだ

10: 名無しの司馬遷
現実問題で沖田総司は何人位、殺したんだろう?

11: 名無しの司馬遷
20人位だと想う

17: 名無しの司馬遷
>>11
根拠なし。新選組全体でも20人は斬っていないよ。
大半が捕縛だからな。(『新選組日誌』)

12: 名無しの司馬遷
斎藤一は「新撰組でも一二」の腕らしいが

14: 名無しの司馬遷
なにげに抜刀術の名人だったと言われているらしい福沢諭吉かも
んでも幕末期最強の剣客、剣豪は千葉周作

18: 名無しの司馬遷
 幕末期だったら、山岡鉄舟より浅利又七郎の方が強かったと思う。

 あと、武田物外は槍を持った近藤勇と茶碗で立合い勝利したと言う話が伝わっているけど、ちょいソース解らないし、うそ臭い。

 個人的には寺田宗有と白井亨、あと男谷信友を推します。

45: 名無しの司馬遷
>>18
武田物外って物外和尚か?
碁盤の手付金のかわりに拳骨でへこました人だっけ?
で新撰組の稽古を見てて飛び入りして次々なぎ倒し近藤勇にも勝ったって
だれかの筆記録がソースじゃなかったか?

158: 名無しの司馬遷
 >>45
>武田物外って物外和尚か?

 そです。
 武田不遷物外。せんの字はニンベンだけど、でてこないから勘弁。
 通称を拳骨和尚。
 大力で知られ、柔術が有名だけど、槍術や鎖鎌、剣術にも優れていたとか。
 近藤勇に勝ったという話は誰かの筆記録なんですか。
 ふーむ。

 近藤勇に関しては実戦では榊原鍵吉よりも上とか言われたという話も聞いたけど、
どうやら男谷の道場で立ち会った際にしないを落とされ、それでもなお跳びさがって
間合いを取り、構えを取ったところを男谷信友が「これが実戦なら彼の勝ちだ」とか言った
ことからだそうだけど、この話もなにやら嘘くさい。
 けどまあ、平山子竜を兵法の師としていた信友ならば、そんなことを言いそうな気はする。
 小説家の津本陽などは、池田屋襲撃の際に近藤の刀のみがどうにか原型を保っていた
ということに注目し、もしかしたら彼は相当に強かったのではないかと言う論を組んでいた
けど、近藤の刀が単に丈夫だっただけかも知れない。
 一応、養子として天然理心流の宗家に迎えられたのだから、それなりの実力はあったのだろうと
思う。

 伊庭八郎とかはどうかな?
 相続はしなかったけど、心形刀流の宗家を嘱望されていたそうだし。
 この流派は実子の有無に関わらず、門弟中最も優れた者が後を継ぐ、完全実力主義
だったという話だしね。
 
 
 

24: 名無しの司馬遷
坂本龍馬が強いっていうのは結局虚構でしょ?
拳銃云々なんて関係ないし

強さなんて道場か実戦じゃ違ってくると思うんだけど、どっちよ?

25: 名無しの司馬遷
ズバリ、服部武雄。
洛中浪士中第一の遣い手なんて言われてるし、油小路でも凄まじいとしか良いようが
ない奮戦をした。

42: 名無しの司馬遷
勝 こきち(勝麟太郎の父ちゃん)

58: 名無しの司馬遷
>>42
激しく同意

60: 名無しの司馬遷
>>58

おっ知ってる人いたんだ。
新撰組房ばっかだと思ってたけど、ちがったんだね。

62: 名無しの司馬遷
>>60
今、小吉著「夢酔独言也」ニはまってるよ。
男谷小吉と書くのも通だよ。小吉つぁんは男だよ。

63: 名無しの司馬遷
佐々木只三郎。
和歌を諳んじながら寺田屋を立ち去ったとか、カコイイ。

66: 名無しの司馬遷
>>63
近江屋と思われ。龍馬中岡殺害には佐々木は直接タッチしてない
ようだけど(指図役だったので)、でも彼も清河八郎を抜き打ちで
斬ってるしなあ。

65: 名無しの司馬遷
新選組厨だが、小吉と男谷精一郎では、やはり男谷の方が一段上では?

69: 名無しの司馬遷
>>65
いや(w
小吉最強。小吉はDQN。

67: 名無しの司馬遷
斬った人数は、たぶん彦斎が多いようだな。(明らかなのは象山暗殺だけだけど)
岡田以蔵や田中新兵衛とはケタが一つ違う(w
敵にしたくない男だね。

68: 名無しの司馬遷
服部武雄が最高って、今更なんですか…
何か違っている方向に向かっているんですか?

70: 名無しの司馬遷
んー、強かったのは強かったんだろうけど、隊の撃剣師範には
就任していないしねえ<服部

少なくとも彼より上手の男が新選組には七人はいたわけだ……

71: 名無しの司馬遷
>>68
服部が最強、に同じく一票。
幕末期と言われると結構迷うけど、新選組では最強だったと思ってる。

>>70
言ってる意味がよくわからないのですが。すまソね、馬鹿で。

75: 名無しの司馬遷
>>71
新選組の撃剣師範は七人いるんだけど(あとその下に教授心得
という役があったらしい)、役職の高低を問わず、副長助勤から
平同士まで実力のあるものが師範に採用されているんだよ。

たしかに服部が強かったことは同時代の人の証言にも
あるんだけど(『史談会速記録』)、撃剣師範に採用され
ていないということは、その七人の剣腕が服部をさらに
上回っていたと考えられる……でしょ。
単純に「新選組最強」とは言えないかもね<服部

76: 名無しの司馬遷
>>75
ガーン・・・
まあでも服部も強いのは確かなんだよね。

72: 名無しの司馬遷
沖田総司が天才だったのは良く言われています
永倉がもっと稽古が進んでいたのも言われている事。

新撰組は結構な豪傑が揃っていたんでしょうね。

龍馬が強いのは知りませんが、デカイんだから強いと思います
 

73: 名無しの司馬遷
おし!

文献から見ても『服部武雄』で決着が付くだろう。

だって死に際でもさ、司馬遼太郎が言ってたろう。
一番上手だったって書いているよ。

79: 名無しの司馬遷
ずっと服部が最強だと思ってマスタ。ショックが激しい…。くそ、司馬遼太郎め…(泣

80: 名無しの司馬遷
沖田が新撰組では師範代で、実際に稽古を見ていたんだから、
京都時代でも沖田が主だったし、襲撃でも肝心な場面では沖田が
一線に立っていたっていう事実では、沖田が最強で良いと思うよ。
近藤や土方でも子供扱いされる程な強さでしょう。

実戦でも、活躍していてさ、新撰組では誰も文句言わないっていう位
だったんだしね。

圧倒的でしょう!

82: 名無しの司馬遷
永倉が強いっていうのは文献でも残っている、沖田よりも稽古が
進んでいるってな。
でも太刀筋では沖田には敵わないっていうのも。

沖田は実戦で迫力が有ったんでしょう。
構える前から、突きで一発だったって。
だから沖田でしょう。
土方も最も信頼していたんだしね

83: 名無しの司馬遷
すまない、沖田が最強と言われると言われるだけ否定したくてしょうがなくなる。
たとえそれが真っ当な意見だとしてもだ…
なんか、沖田を最強だって認めたくない何かもやもやしたものがあるな。
それは多分沖田萌えの奴らの口煩い主張のせいなんだと思ってる…

84: 名無しの司馬遷
 新選組七人の撃剣師範 (出典「壬生浪士始末記」)

●沖田総司(副長助勤)
●永倉新八(副長助勤)
●斎藤一(副長助勤)
●新井忠雄(監察)
●吉村貫一郎(監察)
●池田小三郎(伍長)
●田中寅三(平同士)

ね。平同士、伍長から副長助勤まで、色々な役職の人が就任してるでしょ。
吉村貫一郎は、正月のドラマの主人公だった隊士だね。
服部武雄も吉村や新井忠雄と同役の監察だったけど、撃剣師範には就いていない。

(べつに服部が強くなかったと言っているわけじゃないよ。剣客集団である新選組には
それ以上の猛者が多数いたということだろう)

93: 名無しの司馬遷
>>85
平隊士でも師範になれるってのは、まさに実力主義だなー。

85: 名無しの司馬遷
新撰組では、近藤や土方ですら子供扱いされていた…
っていう文献は残っているし、周囲の連中の手記にも書いてあるよ。

でもそれは武蔵野時代の話だよね。

京都に来てからも、稽古では沖田が大概付けていたし、腕自慢の連中も
相手にしなかった訳だしね。

池田屋でも、沖田の活躍が際立っていた訳でしょう。
彼は2階から1階でも、動き回っていたってさ。

一太刀で倒したっていうしね。

一番強いかは知らないけど、天才的でも、新撰組時代では最も怖かった
人物は間違いないだろうね

87: 名無しの司馬遷
ちなみに副長助勤の三人の師範の中では、よく知られているように
永倉、沖田、斎藤の順に強かったそうだね。
(つまりこの三人では永倉がトップ)

90: 名無しの司馬遷
>>87
しかし、稽古では沖田が怖がられていたらしいね

92: 名無しの司馬遷
沖田は稽古時よりも実戦で凄かったって言うじゃん
土方や永倉新八がいても、前で立っていたのは沖田だろう。
それだけ、皆が認めていたって事だろう。

95: 名無しの司馬遷
>>92
>沖田は稽古時よりも実戦で凄かったって言うじゃん
>土方や永倉新八がいても、前で立っていたのは沖田だろう。

「稽古時よりも実戦で凄かった」と示す資料はないけど、なぜそう思うの?

94: 名無しの司馬遷
池田屋の襲撃でも、沖田が一番の働きだった。
途中で吐血して離れたらしいが、永倉がビビッテいたのに対して
堂々と斬っていたという、近藤が緊張している時にも、沖田が
先頭に立っていた訳だしね。
「えっおぉー」っていう掛け声で近藤が切り込みつつも、
実際は沖田が、先頭で刀振っていたんだしな。
殆どを、突きで仕留めたんでしょ。
最後は刀の先が折れたっていう。
沖田には伝説が多いねー

96: 名無しの司馬遷
>>94
>永倉がビビッテいたのに対して
>堂々と斬っていたという、近藤が緊張している時にも、沖田が
>先頭に立っていた訳だしね。

・・・なんだそれは。そんなことどんな本にも書いてないぞ。

97: 名無しの司馬遷
服部武雄を襲撃した時も、土方や永倉が怖がっていて見ていたんだ
沖田が居なかったからだろうな。
結局は新撰組っていっても強いモノが揃っていても、肝心な場面では
土方であり、永倉であり、それでも駄目なら最後の砦は沖田だった訳だろ
新撰組の手記でも、そういう事が書いて有るしね

100: 名無しの司馬遷
>>97
油小路の指揮を執っていたのは永倉新八と原田左之助だよ。
土方はその場にいないよ。何かの小説を根拠にしているのか?

99: 名無しの司馬遷
沖田総司対河上彦斎って、見たいよなー(w

101: 名無しの司馬遷
沖田総司は何処でも話題の中心だね(笑)
それがスターの条件ってか?

103: 名無しの司馬遷
沖田フリークには史実は関係無いんだろう。
突っ込みは無駄だと思う、沖田君は最強っていう事にしとけば幸せかな

104: 名無しの司馬遷
新撰組ヲタって、あまり史実に忠実じゃないんだな、ヲタのくせに(藁

105: 名無しの司馬遷
燃え剣を書いた司馬遼太郎だって、いい加減だから…

107: 名無しの司馬遷
>>105
ここにいる厨房の何割かは、司馬に責任があるだろうな(w

112: 名無しの司馬遷
新撰組ネタで史実を求めても無理、だって新撰組はロマンだから

109: 名無しの司馬遷
実際には新撰組は、5人位で1人(それも酔っ払い状態)を襲っていた訳
だろう。
それが強いって言われてもどうかと思うが

113: 名無しの司馬遷
永倉は一人で三人を相手した記録があるよ。鳥羽伏見の敗戦後、江戸に戻ったときに。
もっとも人数よりも相手の腕なんだろうけどな、要するに。

114: 名無しの司馬遷
話題は新撰組だけじゃないぞ、幕末だろう

115: 名無しの司馬遷
漏れが以前斎藤一関連の本で読んだ「斎藤は新撰組でも一二」ってのは
どうなん?

117: 名無しの司馬遷
>>115
斎藤はナンバースリーというのが、新選組研究者の間の通説です(w
より正確には永倉・沖田・斎藤の三人の中でだが。
でも沖田も斎藤もまだ若かったし、さらに鍛練を積めば年長の永倉に
並んだんじゃないかな。

118: 名無しの司馬遷
新撰組は盛り上がるな

119: 名無しの司馬遷
永倉は史実で言われているから、どうしても有利だね。
彼の京都での活躍ップリは如何だったんだろうか?
池田屋の襲撃位だろう残っているのは、稽古っていってもな。

124: 名無しの司馬遷
>>119
むしろ沖田よりも出動記録は多いよ<永倉
『新選組日誌』を読んでみ。
つーか、沖田はあの武田観柳斎よりも出動記録が少ないのが実際です(w
(もちろん、判明している分でだよ)

128: 名無しの司馬遷
>>124
やっぱ病気で伏せがちだったからかなー・・

120: 名無しの司馬遷
人気の沖田、実力の永倉

122: 名無しの司馬遷
ここのネタ元は、司馬遼太郎か(笑)

127: 名無しの司馬遷
ぐそー司馬遼を信じてたのに・・

129: 名無しの司馬遷
服部武雄が八番手か…
納得が行かないぞ、しかし服部が名声得たのも死ぬ時がカッコ良かったから
だろうか

130: 名無しの司馬遷
>>129
それはもう感情論ですな(w

134: 名無しの司馬遷
>>129
決して弱かったわけじゃないからいいじゃない。
それよりも強い男達がいたということだよ。
個人的には平隊士で剣術師範になった男に興味ある。

131: 名無しの司馬遷
沖田が強いには事実だろう、しかし近藤や土方と同郷だったから人気が
あって贔屓してもらえたんだろうな

133: 名無しの司馬遷
土方は剣はどうだったのかな?

135: 名無しの司馬遷
>>133
天然理心流目録の腕前らしいよ<土方
塾頭の沖田はもちろん免許ね。

つーか、新撰組から離れようよ少しは(w

140: 名無しの司馬遷
>>135
土方が理心流に正式入門したのは、たしか沖田よりもずっと遅かったからな。
早めに入門しておけば、浪士組上洛前に免許も取得できたのかもしれないな。

139: 名無しの司馬遷
服部武雄の戦いぶりは際立っていたんだろう、実際に死に際でも
奮闘したんだし、あんな場面に逆に会っていたら、永倉や原田だって
どうしたものかね

143: 名無しの司馬遷
>>139
原田が負傷しながら服部を仕留めたんだったと思うよ<槍で突いた
服部の致命傷は胴への突き傷だったね。遺骸の検死書によれば。

146: 名無しの司馬遷
>>143
20箇所以上も斬られていたらいしね。
でも服部氏は、電柱を背にばしばし斬っていたんだろう。
相手の新撰組は甲冑着ていたって言うしね。
服部氏は丸腰でしょう、それで闘ったんだから立派だろうに。
あの場面に土方は居なかったって本当かいな?
怖がって、自分が行かなかっただけだろう?
だから原田が行ったのかな?*

149: 名無しの司馬遷
服部が奮戦し得たのは、服部の剣腕に加えて、彼だけが高台寺党で
ただ一人鎖を編み込んだ綿捲きをしていたこともあるんだね。
だから手足に傷は多くて、胴体には原田の槍の突き跡が一カ所だけ
だったでしょ<服部の検死書

154: 名無しの司馬遷
>>149
それに対して防具のない毛内有之助は、五体がバラバラになったしな。

150: 名無しの司馬遷
それは何かで読んだ気がする。服部だけが鎖を着ていたって。

151: 名無しの司馬遷
鎖を編み込んだ綿捲き → 鎖を編み込んだ綿入れね。

152: 名無しの司馬遷
頼む。これ以上俺の夢を壊さないでくれ・・

161: 名無しの司馬遷
服部は他の奴ら逃がす為に自分が盾になる気で着込んで行ったからな。
漏れは服部強いと思うよ。しかし毛内五体バラバラか…泣けるな…

165: 名無しの司馬遷
>>161
毛内は剣術は得意ではない方だったんだよな。文学師範だし。
でも毛内も襲撃されたとき「諸君逃げろ。逃げてくれ」と叫んだというな。

服部と毛内と藤堂の三人が逃げ遅れたのは、この三人が伊東甲子太郎の
遺体を籠に入れようとしてたからなんだよね。(篠原や鈴木たちは見張っていた)

153: 名無しの司馬遷
坂本竜馬も強いと思うけどどうよ?

なんか彼は別のところで活躍してるから
誇張されてるんじゃないの?
て思いたくもなる気持ちはわかるけど。

御膳試合では優勝してるし。
カツラコゴロウにも勝って。
剣術の上達だってかなり早かったんでしょ。
確か子千葉の塾頭だったよね。

お~い!竜馬
では沖田の三段突きもかわしてるし。(だからどうした)

155: 名無しの司馬遷
>>153
史実を追うとどうも疑問符が付くものばかりらしいが。

肝心なところで暗殺されるような人は実戦では弱そうだ(w

156: 名無しの司馬遷
>>153
いちおうネタレスと思うが、坂本対桂小五郎の御前試合は真っ赤な嘘だぞ。
(平尾道雄『坂本龍馬海援隊始末記』、『龍馬のすべて』読め)

157: 名無しの司馬遷
がーん!がーん!
頼む。もうこれ以上俺の夢を・・

164: 名無しの司馬遷
 >>157
 御前試合云々は武市瑞山のうそっぱちですが……。

 北辰一刀流からは竜馬に対して免許は発行されていないと言う話を聞いたような気が。
 そも砲術を学びに通っていたという話も。

162: 名無しの司馬遷
いま、>>157が静かに大人の階段を昇ろうとしている……

172: 名無しの司馬遷
まあ、小栗流免許は間違いないことだし、北辰一刀流の
剣術免許は確認されていないけど、千葉定吉道場の塾頭
だったことは、千葉さな子の遺談で確かなようだしね。

でも桂小五郎といい、武市瑞山といい、大道場の塾頭を
務める人間って、やっぱりどこか違うのなー。

173: 名無しの司馬遷
 塾頭ともなると人望がいるからねぇ。
 当時の大道場は各藩の血気盛んな連中の交流するサロンみたいな場所だった
らしいし、そー言うところではただ強いだけでは塾頭にはなれなかったかのかも。

 
184: 名無しの司馬遷
>>173
ただ強いだけで人格が全く伴わず塾頭になれなかった。
DQNの勝小吉が最強だって。。

176: 名無しの司馬遷
斎藤 一に一票。彼は昭和初期まで生きていて剣道の竹刀で紐でつるした空き缶に一突き
で穴を開けたらしい。
竜馬は剣豪というより銃豪だな。最近の調査によると北辰一刀流の免許皆伝は身を守るため
しょうがないからあげた免許らしい。多少は剣の心得はあると思うが。事実、暗殺されると
きも刀は使わなかった。

178: 名無しの司馬遷
服部武雄が撃剣師範にならなかったのは、
彼が二刀流だったからじゃないかな。
二刀流ってのはやっぱりちょっと特殊だし、
撃剣師範には不向きだったのではないかと思うんだけど。

180: 名無しの司馬遷
>>178
べつに服部が二刀を用いる流派を取得していたという確証はないんだよ。
単に油小路で二本の刀を使ったことが知られるだけ。
服部の流儀は不明。

181: 名無しの司馬遷
スマソ。
二刀流じゃなくて、二刀使いって書けばよかったかな。

>単に油小路で二本の刀を使ったことが知られるだけ。

でも、やっぱり普段から稽古してないと、
いきなり二本の刀を使うのは難しいと思う。

194: 名無しの司馬遷
>>181
>いきなり二本の刀を使うのは難しいと思う。

いや、そうとも限らないんだよ。例えば、桜田門外の変のときに井伊直弼の
籠脇にあった河西忠左衛門は、べつに二刀を使う流儀ではなかったけど
浪士が襲撃したときに二本の刀を振るっているでしょ。(『桜田義挙録』)
心得がない者でも、とっさの場合二刀を使うこともあるんだね。

ちなみに「二刀流」というのは俗称で、宮本武蔵の流派を指す場合は
「二天一流」だね。江戸時代では肥後藩のみに伝えられた。
まあ二天一流だけが二刀を使う流儀ではないけど。

200: 名無しの司馬遷
>>194
河西忠左衛門も二刀流じゃないけど、井伊家の剣豪として
知られていた人だよね。
この人だけが浪士の襲撃にすばやく対応しているんだよね。

195: 名無しの司馬遷
刀を片手で振り回す膂力があれば二刀の方が強いだろ。
武蔵って馬鹿力だったらしいし。
なんだっけか、旗印に使う竹竿を選ぶのに地面に叩きつけて
片端から叩き折って折れなかった一本を選んだとかなんとか。

って幕末スレじゃねーかさげ

199: 名無しの司馬遷
まあ、服部が撃剣師範に任命されなかったのは、年齢的な問題もあるんじゃないかな。
伊東一派の中でも年長者だし、腕が立つのも確かだろうけど、剣客としてのピークは
過ぎていただろうからね。
やっぱり二十代の師範メンバーたちの方が腕は上だったろうね。

206: 名無しの司馬遷
二刀と言えば活躍時期は少しずれるが逆二刀の
奥村左近太(1842~1903)
松崎浪四郎、逸見宗助、上田馬之助等と互角以上の戦いをした。
常態的な二刀使いとしては最高の人物じゃないかと思う。

207: 名無しの司馬遷
>>206
そうだね。幕末の二刀の使い手と言えば、

●奥村左近太(直真影流、奥村二刀流)
●高橋筅次郎(田宮真剣流)
●三橋鏡一郎(武蔵流)

の三人だろうね。ただ、この人たちは道場剣術では
有名だったけど、実戦の経験は無いんだよね……。

213: 名無しの司馬遷
>>207
三橋鏡一郎は、明治の剣道界でも二刀で鳴らしたらしいな。
実戦の経験はなくとも、名人には違いないね。

208: 名無しの司馬遷
宮本武蔵の子孫は幕末は何をしていたの?

210: 名無しの司馬遷
 >>208
 武蔵の子孫は伊織の末裔が小笠原家に仕えていたそうで。
 現在の子孫は医者をやっていたと思いますが?

 武蔵の剣は誰にも伝えられなかったとかよく言われるけど、幕末ごろは結構残っていた、はず。

 具体的には武芸流派大事典とか見てくださいな。

211: 名無しの司馬遷
宮本家は伊織が継いだけど、二天一流は武蔵の高弟に伝えられたね。
武蔵の死後、肥後藩の藩校時習館で藩士に教授されてきた。(藩外不出)
幕末の頃も三派が残っていたよ。
現在は二つの派が残るのみ。(野田派、山東派)

214: 名無しの司馬遷
現在伝えられている二天一流は 後の人が「こうであったに違いない」という推測で体現したものです。だって、誰にも教えてないし書き残してもいないんだもの。

215: 名無しの司馬遷
>>214
ていうか、どの古武道でも弟子がどんどんアレンジしていくものでしょう。

220: 名無しの司馬遷
>>215 まず創始者ありきの、誰かに相伝しーの、の上でならそうですが、実際に武蔵が二刀で立ち合いをしたことはない(とされている)し、二刀で構えてる姿でさえ自画像でしか残ってないんだから この場合「アレンジ」とは言えないのでは。

223: 名無しの司馬遷
>>220
今日内容が判明している武蔵の18度の勝負のうち、
二刀を使ったケースが、少なくとも五つあるよ。
(久保三千雄『宮本武蔵とは何者だったのか』)

228: 名無しの司馬遷
>>223
その本は……武蔵の経歴に関してはほとんどゴシップにしてしまっていますが、それ以外ではまともな内容だったでしたっけ?

私も無双英信流はちょいと上っ面を舐めたことがありますが……。

最近読んだ山東派の人(だと思う)の解説書では、二天一流は大小の刀を持ちながらも二刀流ではないとかどうとか書かれていました。
解説するには読解力が不足してまして……。

230: 名無しの司馬遷
>>228
久保の著作には不満な点もあるけど、武蔵が二刀で臨んだ試合のことは他の本にも
記されていることだし通説だよね。
(宍戸某、三宅軍兵衛、徳川義直家士某、松平直政家士某、松平直政の五試合)

現在の二天一流関係者は、常に二刀で鍛錬するのではなく、一刀の勢法と
二刀の勢法があります、とよく主張しているよね。

233: 名無しの司馬遷
>>230
んー。
三宅軍兵衛の仕合とかはなかったとか言う話もありますが……。
高田又兵衛の仕合は二刀じゃなかったかな?
いずれにせよ、武蔵が二刀を使わなかったというのはなさそうです。

現在の二天一流については、派によって解釈が違っていたりするので、ちょっとね……。
(一刀の技法を円明流と称して体系に組み込んでいる派もあるそうだし)

 ちょいと幕末から外れてきたので松浦静山。
 確か心形刀流の達人で、なにやら夜中に正体を隠して剣客を襲い、刀を奪ってたとか言ううそ臭い話があったような……。

221: 名無しの司馬遷
>>214
一応言っておきますが、五輪書は技法についてかなーり細かくかいております。
それと武蔵の弟子は武蔵流の頃に石川主悦とかがいて、この弟子が由比正雪です。
円明流時代の弟子には竹村与衛門などがいて、みの人は讃岐藩に仕えて二刀正流を創始しました。
二天一流は寺尾孫之丞と求馬之助の兄弟と古橋惣左衛門の三人の相伝者がいて、古橋は柔術も伝えられていたとか。
他に夢想権之助との対決から棒の理を悟った武蔵によって創始された宮本流棒術とかもあったそうです。

234: 名無しの司馬遷
幕末維新期の二天一流(山東派)継承者・山東新十郎は、
西南戦争で熊本隊幹部として薩摩軍に投じたね。
実際に戦いの場で二刀を振るったのだろうか・・・

235: 名無しの司馬遷
中村半次郎は軒から雨だれが地面に落ちる間に、抜刀して構えてまた鞘に戻す、
この一連の動きを3回できたそうだとなんかの竜馬読本で読んだ。
なんかわからんがすげぇと思った。

236: 名無しの司馬遷
それが俺が見た鹿児島の偉人伝みたいな本では、
実はそれをやったのは藩中最高の使い手である大山格之介で
半次郎はそれを見て舌を巻いた・・・と書いてあった。
この種の逸話の食い違いは島津家には凄く多い。

244: 名無しの司馬遷
>>236
なんだぁ…(´・ω・`)ショボソ

241: 名無しの司馬遷
近江屋の時、中村半次郎は無名だからしょうがないが大山格之助がリーダー
格に選ばれているのはやはり実力が買われたのだろうな。

246: 名無しの司馬遷
>>241
「近江屋」ではなく「寺田屋」だよ…(´・ω・`)ショボソ

249: 名無しの司馬遷
抜刀術なら河上彦斎。

251: 名無しの司馬遷
河上彦斎vs中村半次郎。見てえ。

252: 名無しの司馬遷
>>251
抜刀術の撃ち合いだネ!見たい・・

253: 名無しの司馬遷
示現流対抜刀術だろ。彦斎の抜き打ちの早さによるな。

255: 名無しの司馬遷
 中村半次郎は示現流じゃなくて薬丸自顕流だけど、確か「抜き」と言う抜き打ちの技がありましたな。
 河上彦斉の不知火流はフェンシングっぽい片手持ち半身の構えだったと言う話を聞いたことがあるけど、具体的にどう言う技法だったのかはさっぱり解らないです。誰か知っている人がいたら教えて欲しいですが。
 まあ、なんと言うか、この人の凄みは人を野菜のように斬れるような心根だと思います。

256: 名無しの司馬遷
彦斎の流儀を「不知火流」としたものをネットでよく見かけるけど、
これは作家の山田風太郎が創作した架空の流儀であって(『おれは不知火』)、
肥後藩にそういう流儀が存在したわけではないよ。
山田の創作を真実と思いこんだ『るろうに某』の作者が広めた俗説です(w

262: 名無しの司馬遷
大石進はどう?左片手一本突きというと、この男だよね。
まあ男谷精一郎の方が一枚上手のようだが。

264: 名無しの司馬遷
 >>262
 日本剣豪百選によれば、一日目はやっぱり花の一本しかとれなかったけど、翌日、翌々日と日を改めてくるごとに大石の工夫は進み、ついにはどうやっても左片手一本突きを外せなくなり、男谷はその技量に感嘆して諸藩にあれこれと紹介したとのこと。
 ただ、男谷は六尺竹刀については考えるところがあったらしく、その後竹刀の定寸を定め、これが定着したとか言う話も。
 
 それと、林崎流には名前は忘れたけど、当時の師範で大石に勝った者がいるという話が伝わっているようで……。

263: 名無しの司馬遷
そう。一度は大石が勝ったようだけど、男谷の方が人間的にも
技量的にも一枚も二枚も上手のようだな。

266: 名無しの司馬遷
「最強」でなくても構わないから、オススメの幕末剣士がいたら教えてよ。

273: 名無しの司馬遷
 >>266
 オススメの剣士となると、私的には寺田宗有。
 上の方でも推していますけど。
 詳しい経歴はさておき、型剣術にこだわりながらも竹刀剣術奨励の中西道場で高い地位を得ることができた人です。
 それで禅とか煉丹法などにも通じ、六十三歳で二十八歳の白井亨を圧倒したと言う、まるで漫画に出てきそうな名人。

 男谷も捨て難いけど、寺田よか遥かにメジャーな人だし。

276: 名無しの司馬遷
岡田以蔵は道場剣術でもすごかったのかな?

277: 名無しの司馬遷
>>276 ここに以蔵を持ち出すのは、その辺のチーマーとピーター=アーツとどっちが強いかと言ってるみたいなモンで。

278: 名無しの司馬遷
いやいや、それでも鏡心明智流士学館の門下生でしょ?<岡田

280: 名無しの司馬遷
>>278 イナカの道場でただ習ってた/そこそこ強かった、というレベルの人はゴマンとおりますがな。

281: 名無しの司馬遷
>>280
は?だから岡田は桃井春蔵の門下生なんだってば。
単なる田舎の剣術使いじゃないよ。

285: 名無しの司馬遷
>>280
マジで春厨だな。三大道場も知らずに語ってる

293: 名無しの司馬遷
つーか桃井春蔵って誰よ。有名人?

296: 名無しの司馬遷
>>293
一応、士学館は斎藤弥九郎の錬兵館、千葉周作の玄武館と並び江戸三大道場と並び称されたそうです。
ちなみに桃井春蔵の四代目。直正が以蔵の師匠。
この人については色々とおかしな話もあるけど、悠揚、重厚な剣風から世間では「位の桃井」と呼ばれるようになったとか。

491: 名無しの司馬遷
桃井春蔵<もものい しゅんぞう>(1825-1885)幕臣・幕府遊撃隊
沼津藩士・田中十郎左衛門の次男として生まれ、初めは田中甚助と名乗る
17歳で鏡心明智流の初目録を取得する
その腕を見込まれて桃井家の養子になる
そして、23歳で免許皆伝、25歳で奥伝、28歳で4代目桃井春蔵を襲名する
1863年に講武所剣術教授方、1866年に講武所師範役となる
1862年、将軍上洛にあたり、護衛役として同行し、この時、遊撃隊頭取並となる
徳川慶喜に従って大阪に戻り、1867年に大坂玉造講武所に出仕するもすぐに辞任する
その後、浪華隊の監軍兼剣術師範役を勤める
明治に入ってからは大坂で道場を開く
1885年、コレラにより死亡
享年60歳と言う人物だよっ>>293
でも剣豪と言えば神道無念流の斉藤弥九郎だな

298: 名無しの司馬遷
桃井道場の出身なら以蔵も、そこそこの使い手じゃないのか?

299: 名無しの司馬遷
でも以蔵って中伝どまりだし、暗殺もほとんど一人でやってないじゃん。

300: 名無しの司馬遷
>>299
いや、少なくとも我流とか田舎剣法でなかったことが分かっただけでも良し<以蔵

301: 名無しの司馬遷
某武田鉄也の竜馬漫画で、以蔵は牙突っぽい技ばっかやるけど、
あれは史実にもとづいてるの?作者の妄想なの?

302: 名無しの司馬遷
>>301
とくにどんな技が得意だったかは伝わっていないよ。
ただ太刀筋が隼のように早かったと伝わっているね。
(『海南義烈伝』)

311: 名無しの司馬遷
天然理心流ってイナカの道場だろ
イナカ道場内で沖田や永倉が強いと評価されても
どの程度のもんかわからん

316: 名無しの司馬遷
>>311
永倉は神道無念流免許皆伝なんだが(w

317: 名無しの司馬遷
新選組最後の隊長相馬主計が、流刑先の新島で、徳島藩士
海部六郎からしつこく立ち会いを臨まれ、猛烈な竹刀の刺突で
海部の体を隣家の垣根まで突き飛ばしたという話があるね。

324: 名無しの司馬遷
島田虎之助先生にきまっちょるよ。

325: 名無しの司馬遷
島田虎之助なら、男谷精一郎がさらに上っしょ。
同郷の人を支持する福沢先生の気持ちは分からんではないが……。

337: 名無しの司馬遷
 >>325
 中里介山の日本武術神妙記には、二人の仕合の時の目撃談ってのが収録されていましたが。
 仕合の様子は一進一退の互角の様子だったのだけど、面を外したら男谷はいつもどーりで、島田は汗がだらだらで蒼ざめていたとか。
 記憶に頼っているからちょいと自信ないけど、確かそんな風でした。

 ちなみに福沢諭吉は上の方でも誰かが言っていたけど、
立身流(立身新流だったっけ?)の達人で、知人の家に飾ってあった大太刀を見て
「使うのか?」と質問し、「抜くこともできないよ、あれは飾りだ」
みたいな返事を返されると、それを手にとっていともたやすく抜いてみせたとか。
それで「使えもしないものをおいておくな」みたいなことを言ったそうな。
 それと、毎朝米俵を持ち上げることを三十回(だったと思う)と、
居合抜き十本をするのを健康のための鍛錬として続けていたそーです。

340: 名無しの司馬遷
>>337
さすが福沢先生。文武両道ですな。

367: 名無しの司馬遷
芹沢鴨って強かったんじゃないの?
史料とか全然知らんので、誰かおせーて。

368: 名無しの司馬遷
そういえば、芹沢鴨の肖像画とか見たことないけど、
どんな面構えだったんだろう?名前だけ聞くとかわいいなあ。藁

369: 名無しの司馬遷
>>368 いろんな書物を読んだところによると、相当コワモテだったらしい。
芹沢を良く書いてるものって見たことないよなぁ。粗暴で嫌われ者だったらしいし。

371: 名無しの司馬遷
>>369
芹澤の風貌は「色白で目が小さかった」と伝わるだけで(八木為三郎遺談)、
とくにコワモテとは伝わっていないようだけど……

401: 名無しの司馬遷
山岡鉄舟って幕末の頃、新徴組にいなかったっけ?

403: 名無しの司馬遷
 >>401
 清川八郎と一緒に尊王攘夷党を起こしたとは聞いてるけど、詳細は知らないですな。

404: 名無しの司馬遷
>>401
まだ「新徴組」という隊名はなかったけど、浪士組の責任者ではあったね。
清河暗殺後、江戸城明け渡しまで、ずっと干されていたよ、たしか。

405: 名無しの司馬遷
調べたら新徴組の取締役をしていたのは確かなようだ。
新撰組でレスがたくさんついていたので、新徴組で絡めたらレスがつくと思ったんだが…
ネタ的には美味しいのにこの人では盛り上がらないのか?

409: 名無しの司馬遷
確かにロマンは入る。それで言うなら永倉新八ダントツ。
孫と散歩中チンピラに絡まれた新八が、気合を発するとチンピラが退散した
って話、マジかいな?阿修羅の戦いを知ってる老人の目を見てみたい!

411: 名無しの司馬遷
>>405
隊士個々人の小伝も一般には知られていないし、基本文献が少ないからだろう。

>>409
永倉の直孫が語った逸話だね。池波正太郎が取材したんだ。(『新選組異聞』)

412: 名無しの司馬遷
>>411
山岡鉄舟は有名だろ?
と言うか、幕末の剣豪について話すなら外せないんじゃないの?

446: 名無しの司馬遷
新徴組の剣客を教えて欲しい。

447: 名無しの司馬遷
>>446
他は知らないが
俺の郷里(群馬)の中沢貞祗。
法神流剣術(金子甚内系)この流派の正統筋からは
昭和の剣聖、持田盛二を生み出した。
新徴組の剣術世話人心得(剣術師範)を勤め後に庄内藩主
酒井忠篤の支配下に移り庄内藩剣術指南役に。
慶応4年7月27日の戦いに功を挙げ酒井より「忠勇比類なし」
と賞賛される。
明治になり藩知事となった酒井の下で武術指南を続けるが明治7年
官を辞し帰郷。
県内の利根・勢多郡内で300百以上の門弟を抱え、その他新潟、栃木
千葉、埼玉、東京にも門弟が居た。
酒と剣を愛した貞祗は脳溢血で63年の生涯を閉じた。
余談として、「群馬国人記」には妹が剣の達人で貞祗に付いていき男装で
活躍したというのが、あったと思う。
余談以外の参考文献「上州剣客伝」永岡慶之助

448: 名無しの司馬遷
おおー、新徴組にも剣術師範がいたんだね。
法神流剣術というのは知らなかったけど、群馬に伝わる流派なのかな。

527: 名無しの司馬遷
じゃ、佐々木只三郎って事でいいな?

531: 名無しの司馬遷
>>527
佐々木只三郎も強かったんだろうね。
幕府講武所で教え、清河を抜き打ち。
すごいね。

533: 名無しの司馬遷
>>531
いえ、清川を斬ったのは速見又四郎です。
佐々木は直接手を下してはいないよ。
それから、佐々木が講武所の教授だったという事実はないよ。

546: 名無しの司馬遷
清川の首は山岡鉄舟が自宅の軒下に隠したんだよね、たしか。
慌てていたので塩漬けにするところを砂糖漬けにしてしまったので
悲惨だったそうな<清川首

547: 名無しの司馬遷
そうです。鉄舟の、そのおっちょこちょいぶりを維新後暴露したのは勝海舟。

554: 名無しの司馬遷
桂小五郎だと思う。強いからこそ逃げるのが得意だったんだろう。殺気を瞬時に感じ取るっていうか。

556: 名無しの司馬遷
ていうか桂の場合、殺気を感じとる以前に逃走しているんですが。

564: 名無しの司馬遷
554-562
それで、桂小五郎のどの辺りが幕末最強の剣豪なわけ?

565: 名無しの司馬遷
>>564
最強かどうかは判断できるわけもないが、桂が江戸三大道場の
一つ練兵館の塾頭を務めていたからだろうな。

566: 名無しの司馬遷
まあ練兵館でトップだったということは、江戸剣術界屈指の剣客であった
とは言えるだろうね。

577: 名無しの司馬遷
人斬りじゃない剣術家とかに強い人いるんじゃないの?

578: 名無しの司馬遷
>>577
仏生寺弥助、千葉栄次郎、宇野金太郎あたりは強いんじゃないかな。

579: 名無しの司馬遷
>>578
千葉栄次郎は本当に強かったらしいですね。
早逝してしまって惜しかったですが。
当時、江戸剣術界で最強という噂もあったとか。

580: 名無しの司馬遷
幕末の剣聖男谷が最強だって人間的にも

581: 名無しの司馬遷
>>580
はい、私もそう思います。
ただ、そういう噂が当時江戸であったらしいと。
個人的には男谷だと思いますよ。

582: 名無しの司馬遷
白井、大石進も当時からすごかった

583: 名無しの司馬遷
>>582
そうですね!
私個人としては、
男谷精一郎
島田虎之助
白井 亨
大石 進
千葉栄次郎
このへんがすごいなぁ、と。

584: 名無しの司馬遷
たぶん実戦では河上彦斎だろう。

586: 名無しの司馬遷
そうなんですか?
河上彦斎については佐久間の暗殺と、
非業の死くらいしか知らないものですから。
なにか関連資料とかってあるんですか?

587: 名無しの司馬遷
>>586
高杉晋作のクーデターに参加して、かなり活躍している。
長州人の間で評判になったことが肥後藩の調査記録に残っているよ。

597: 名無しの司馬遷
>>593
補足すると、十人の兵に囲まれ、内三人の首を討ち取り
残り数名に重傷を負わせて敗走させたらしい<彦斎

昔は俺もしょせんは人斬りの剣だと思っていたけど
見方が変わった。彦斎はやっぱりすごかったんじゃないかな。

600: 名無しの司馬遷
>>597
そのレコードだと、一度に数人を相手にした事例として
林田左門や柳生三厳の次に並ぶね。

599: 名無しの司馬遷
大石進あたりが本気で人斬りになったら
正直、一対一では誰も勝てそうにないんだか
フィジカルが違いすぎでは?

601: 名無しの司馬遷
>>599
大石は反則なくらい大男だったからなぁ。
でも剣技は男谷には及ばなかったんだろ?

626: 名無しの司馬遷
>>599
大男が鎖着て長刀持ったら剣技云々じゃなくて強いような気はするな。

611: 名無しの司馬遷
でもさ。大石が振るっていたのは竹刀でしょ?
日本刀で大石の竹刀ほどの長刀(1M以上あったよね)を
持たせたら重すぎて、さすがの大石も振り回せないだろう。

614: 名無しの司馬遷
>>611
しかし、他の人より長い刀を使えるのが有利なのは同じこと
剣の長さが決まっていなければ、体格差はもろに出る

615: 名無しの司馬遷
>>614
でも大石も後には自分の長竹刀のハッタリ性に気づいて
使用するのを止めたんじゃなかったっけ?
そこが大石の偉いところだと思うんだけど。
(当時、大石の竹刀には批判が多くあった)

778: 名無しの司馬遷
昔、新撰組の刀の修理記録のような史料を見た覚えがあるなぁ。
ほとんどの幹部の刀が、折れたり曲がったりしているが、
土方の刀は無傷だったような。

779: 名無しの司馬遷
虎徹
>>778

780: 名無しの司馬遷
>>779
いや、刀研ぎの記録によれば、土方の刀は無傷だったんだよ。
増援部隊の指揮官なので抜かなかったんだろう。

近藤の虎徹も無傷だったと手紙にあるが、実際は刃が
欠けていたことを、後に近藤が佐藤彦五郎に告白してる。

812: 名無しの司馬遷
幕末の剣豪として強さが良く言われるのは男谷精一郎でしょう。
3本のうち1本は相手に勝ちを譲っていたとか。島田虎の助の逸話も有名なのでは?

813: 名無しの司馬遷
あ、あのね、3本のうち2本先取った人が、3本目を譲るのは
恥をかかせないための、思いやりというか暗黙のルールで、
みんなしてたみたい。
剣道の化け物といわれた、若き日の桂小五郎(木戸)もそうしてた。

817: 名無しの司馬遷
>>813
男谷と桂を一緒にすんなよ。錬兵館のレベルなんてたかがしれてる。

820: 名無しの司馬遷
>>817
いや、桂はね、他流試合が来ると助っ人に呼ばれる立場なんだ。
たぶん真剣じゃ弱いんだろうけど、剣道だと小ざかしい技で勝つらしい。

824: 名無しの司馬遷
>>813
男谷の場合は自分が二本取ってからではなく
相手に先に取らせるか、自分が一本取ってから取らせていたようです。

837: 名無しの司馬遷
赤報隊(一番隊)の渋谷総司。隊きっての剣客で
相楽のボディガードだった。

846: 名無しの司馬遷
>>837
相楽総三を斬った男も剣の達人として知られているね。
板橋で近藤勇を斬首したのもこの男だ。

873: 名無しの司馬遷
「幕末」ではなく、「幕末京都」に焦点を絞った場合、最強は新撰組の上位三人
と河上彦斎の四人の中にいるね。そして、その中でも戦場に最も左右されにくい
「突き」の一番の名手が本物の最強だろうな。今となっては比べようもないけど
よ。 とりあえず、江戸の剣聖やら達人だの挙げてったら、きりねーもんな。
服部、今井も残ってる情報が少な過ぎる。アンド、小説の引用はナンセンス

874: 名無しの司馬遷
彦斎も人斬り以外に、禁門の変、長州内戦、幕長戦と
実戦経験が豊富なんだよな。
でも新選組のやつらは日々訓練を重ねているし、
直接対決させたらどうも分がありそうだ。

908: 名無しの司馬遷
幕末期柳生真(新?)陰流の著名な剣客ってだれ?

天然理心流も新当流なんだ
てことは新撰組は永倉に加え沖田なんかも新当流の流れを汲んでるわけか

910: 名無しの司馬遷
>>908
いわゆる「剣客」ではないが、高杉晋作が柳生真陰流の
皆伝者であることはよく知られているよ。
高杉も若い頃は剣術に打ち込んでいた。

911: 名無しの司馬遷
>>910
長州の剣客は、ほとんどの人が神道無念流の前に新陰流を学んでます。

927: 名無しの司馬遷
なーんもかんけー無いけど、
近藤の剣は虎徹じゃないそーです。源清麿作の剣だったそーで。
少なくとも、池田屋の時点では源清麿だったそーな。

幕末なら、最強とは違うかもしれないが、高柳又四郎を押しまつ。
大菩薩峠の主人公のモデルとなった人物で、竹刀を打ち合わせずに
相手に勝つ事から、その構えは音無しの構えと呼ばれた・・・っていいじゃ
ないですか。