http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/nanminhis/1194316331/
1: 名無しの司馬遷 2007/11/06(火) 11:32:11 .net
日本を征服できたでしょうか?

2: 名無しの司馬遷 2007/11/06(火) 11:40:04 .net
アイヌの巫女に大自然のおしおきされるから無理です。

7: 名無しの司馬遷 2007/11/07(水) 19:27:49 .net
そもそも元が当時の日本列島の地理をどれだけ正確に把握してたか・・・
信長の野望じゃあろまいし、いきなり軍隊送り込んでハイ終了ってわけじゃないんよ。

3: 名無しの司馬遷 2007/11/06(火) 12:22:25 .net
名案だな、樺太、北海道を占領して、津軽海峡を渡って、東北の原住民を蜂起させながら北から日本侵攻は、ついてに九州から挟み撃ちなら鎌倉幕府は崩壊だな。

4: 名無しの司馬遷 2007/11/06(火) 12:42:01 .net
確かに蝦夷なら蒙古が得意な集団戦術も使えるし、もし蝦夷が蒙古
の手におちれば、後は補給の心配がない。一度、二度本土進攻に失敗し
てもまた何度でもせめてきそうだ。危うし鎌倉幕府!

5: 名無しの司馬遷 2007/11/07(水) 00:52:21 .net
>>4
肝心の蒙古が武士より弱い以上、どこから何度攻めても負けるだけ

6: 名無しの司馬遷 2007/11/07(水) 02:56:24 .net
>>1

マジレスしてやる、北海道で補給切れ→全滅
誰も済んでいないorほとんど住んでいない土地を攻めるのはゲームだけのバカ機能

13: 名無しの司馬遷 2007/11/08(木) 04:49:33 .net
>>6
史書に書いてない=無い
ってことはないだろう。
それだと歴史上にある時突然沸いてくる存在だらけになってしまう

まあ軍事的に不可能だ

8: 名無しの司馬遷 2007/11/07(水) 19:38:14 .net
元軍はアイヌ蹴散らして樺太占領するとこまでは史実でもやってるんだけどね

9: 名無しの司馬遷 2007/11/07(水) 20:48:12 .net
アイヌ連合軍が元と同盟して西、北両正面から日本挟み撃ち

14: 名無しの司馬遷 2007/11/08(木) 08:33:52 .net
>>9
だからそういう信野暮厨みたいな発想は止めれって

15: 名無しの司馬遷 2007/11/08(木) 12:35:16 .net
あの時期の高麗人の粘りはとても半島人の先祖とは思えない
>>14
それを言ったらこのスレの存在意義が

16: 名無しの司馬遷 2007/11/08(木) 12:42:13 .net
>>15
高麗人は全く粘ってないかいないよ。
ただ30年間モンゴル軍の略奪と奴隷狩りの対象となっていただけで。

10: 名無しの司馬遷 2007/11/07(水) 20:53:01 .net
おまいら蒙古を甘くみるなよ。蝦夷よりはるかに寒いロシアはむろんの
のこと世界中あらゆる気候条件に適応した蒙古が、蝦夷の寒さくらいで
まいってしまうわけがない。それに沿海州と樺太との距離はせいぜい
日本の明石海峡くらい。絶対に補給が不可能ということはない。確かに
日本本土上陸ということになると多少困難がともなうが、おそらく蝦夷
での生活に適応した蒙古は、その後の日本史にすくなからぬ影響を残した
ことだろう。

11: 名無しの司馬遷 2007/11/07(水) 21:29:54 .net
蒙古は江華島に立て籠もった三別抄を滅ぼすのにかなり手間取った。
そしてそれが弘安の役が大幅に遅延する原因となった。
江華島なんて半島の至近距離にあり、離島とさえいえない。
俺は十分蒙古を甘く見るがw
三別抄(さんべつしょう)は、高麗王朝の軍事組織。崔氏政権(武臣政権)において、時々の実権を握った者の私兵として、しばしば政敵の暗殺や現代でいう所のクーデターのための武力として用いられた。後に、高麗のモンゴル軍の襲撃に際しては事実上の国軍に発展したとも言われる。
「別抄」とは、別に組織された「抄」という意味である。「抄」とは没収することを意味し、反乱を起こした地域へ派遣され、当該反乱を鎮圧したのち、没収した財産を分け与えられる臨時の軍組織であった。すなわち初めは国内の反乱鎮圧などのための臨時編成される組織であったが、崔氏政権のもとで拡大されるとともに、続発する反乱により半ば常備軍化したことで、左別抄、右別抄の2部隊となり、のちにモンゴルの捕虜から脱出した人員による「神義軍」を加えて「三別抄」と呼称されるようになった。

30: 名無しの司馬遷 2008/01/13(日) 15:21:09 .net
>>1
実際に樺太を攻めたらしい

>>11
三別抄が立てこもったのは済州島だろ

73: 名無しの司馬遷 2009/07/10(金) 15:34:03 .net
>>30
確か最初は江華島じゃなかったか?で、すぐ陥落して残党が済州島にこもって
数年粘る。

74: 名無しの司馬遷 2009/07/11(土) 11:56:57 .net
>>73
江華島に逃げたのは蒙古に攻められた際の高麗王

三別抄が最初に立てこもったのは珍島

17: 名無しの司馬遷 2007/11/08(木) 13:34:58 .net
蝦夷まで行かなくても越辺りだったら?
勃海国使はそっちのルートだったような……?

18: 名無しの司馬遷 2007/11/18(日) 23:44:33 .net
うんこ うんこ うんこ
モンゴル軍はどうやっても日本に勝てなかっただろう

20: 名無しの司馬遷 2007/11/19(月) 14:19:44 .net
エゾは日本じゃないじゃん

21: 名無しの司馬遷 2007/11/22(木) 08:08:52 .net
征夷大将軍職の権威が史実の戦国時代よりも早く向上したね。




あれ?

22: 名無しの司馬遷 2007/11/22(木) 15:24:52 .net
まあ、日本は四面海に囲まれてるわけだから別に九州じゃなくてもいい
わけだよね。例えば京都に蒙古が直接出現して天皇の身柄を拘束すれば、
労せずして日本は蒙古の属国。

23: 名無しの司馬遷 2007/11/22(木) 15:42:06 .net
コンパスや正確な海図があるわけじゃないんだから、当時の航海技術では無理

24: 名無しの司馬遷 2007/11/22(木) 18:09:33 .net
>>22
ゲームじゃあろまいし、現地の人間の目をかいくぐって
思い通りの場所にいきなり大軍で現れてわーっ
なんてこと簡単に出来るわけないだろアホ

25: 名無しの司馬遷 2007/11/22(木) 18:20:07 .net
元からすれば小さな島国で助かったな

26: 名無しの司馬遷 2007/11/22(木) 22:01:38 .net
つーか寄せ集めの士気もない捨て駒みたいな連中に勝ても糞もないよな元側も

27: 名無しの司馬遷 2007/11/23(金) 15:53:15 .net
>>26
モンゴル軍は常に寄せ集めの軍隊で戦うのが普通。
元寇でも士気は高かった。
元軍が負けたのは単に武士よりも戦術や兵器の面で劣っていたから。

28: 名無しの司馬遷 2007/11/23(金) 17:14:40 .net
>>27
高麗軍は結構張り切っていたらしいしな。
あの「船をわざと弱く作った」などガセもいいとこ

46: 名無しの司馬遷 2009/05/31(日) 22:55:20 .net
>>28
ちょっと気になってるんだけどさ
高麗軍が張り切ってたのって、国王や将軍たちがではないの?
船大工も張り切ってたの?
いやべつにわざと弱く造った云々の説を肯定するわけじゃないけど

31: 名無しの司馬遷 2008/03/06(木) 08:39:55 .net
長期戦に持ち込めれば日本は勝つ。
元の大群が蝦夷地、奥州で越冬出来るとは思えない。
冬季になれば日本海が荒れ狂い、物資の補給が途絶える
凍死者俗質し、更に地の利を生かした奥州武士がゲリラ戦
を展開する。

32: 名無しの司馬遷 2008/05/04(日) 23:38:42 .net
その時代、蝦夷は未開の大地で、侵略する意味があるのだろうか。

東北地方からの侵略の可能性は高い。
奥州武士の血の気の荒さと、勇猛さに期待するしかない。
しかし、海の荒れ方を考えると、北のほうも海上停泊は危ないかもしれない。

33: 名無しの司馬遷 2008/05/06(火) 14:41:40 .net
蒼き狼を心ゆくまで楽しめ
no title

35: 名無しの司馬遷 2008/07/11(金) 21:14:58 .net
モンゴルは実際に樺太に侵攻して 
「骨鬼」(=樺太アイヌ?)も撃退されたじゃんよ。
モンゴルの樺太侵攻とは、13世紀半ばから14世紀初頭にかけて断続的に行われたモンゴル帝国(元朝)による樺太(サハリン)アイヌ(骨嵬)への攻撃を指す。史料が少ないこともあり、その実体には不明な点が多い。同時期にモンゴルによって日本の九州北部に対して行われた元寇(文永の役・弘安の役)と比較されて「北からの蒙古襲来」「もうひとつの蒙古襲来」「北の元寇」などと呼ばれるが、両者の間に関連性があるかどうかは疑わしい。

36: 名無しの司馬遷 2008/07/28(月) 19:21:21 .net
まず、海を「馬」で渡れない限り、蒙古側の負けだろ

37: 名無しの司馬遷 2008/08/04(月) 20:05:44 .net
鹿は海を渡れるのに馬はつまらんな

38: 名無しの司馬遷 2008/09/20(土) 00:40:26 .net
間宮海峡ー宗谷海峡ー津軽海峡
冬はいまでも難所。 ここで補給銭が切れる。
人口密度が低いので、征服地から徴兵もできない。

その前に、樺太と日本の位置関係がわかってないと思われる。

39: 名無しの司馬遷 2008/09/24(水) 02:17:21 .net
当時は、「日ノ本の國」は、道東のアイヌ国ですね。

クイ(クキ)は、樺太から、道北に分布してて行き来してたから、位置関係判ってたよ。

47: 名無しの司馬遷 2009/05/31(日) 23:56:23 .net
そもそも当時の元が樺太や蝦夷周辺の正確な地理を
把握できていたとは思えない。あいつら日本本州の地理把握できてたのすら怪しい。

40: 名無しの司馬遷 2008/09/24(水) 21:44:59 .net
アイヌの分布地はカムチャッカやアムール川河口,千島列島,樺太,蝦夷地から東北地方までにわたる
no title

41: 名無しの司馬遷 2008/09/25(木) 12:13:15 .net
神風ならぬ、ヒグマに喰われてるよ!

42: 名無しの司馬遷 2008/10/02(木) 08:16:03 .net
大自然のおしおきされて終了

43: 名無しの司馬遷 2008/12/21(日) 10:09:32 .net
モンゴルは、カラフトアイヌとやりあってたよな、確か。
中には万の兵でアイヌを攻めたという記述も。

45: 名無しの司馬遷 2009/05/31(日) 17:02:52 .net
もし越後からきたら奥羽越後の武士が応戦し、さらに本場の関東御家人が
大挙北上。甲信東海からも続々来援。

48: 名無しの司馬遷 2009/06/02(火) 00:28:46 .net
蒙古人はイルクーツク以北まではいきたがらないと思う、
極東アムール人はアイヌ人と交易船で行き来してたらしいけど、
兵員乗せるような船で夏場半年だけ戦闘して半年戻るの?出稼ぎかよ
若しくは熊が出る山穴見つけては冬篭りかよ、投資者続出だなwww

56: 名無しの司馬遷 2009/06/17(水) 17:08:23 .net
たとえ東北地方までモンゴルが攻めて来ても 箱崎インターで足止めを喰らう

57: 名無しの司馬遷 2009/06/17(水) 18:14:02 .net
樺太の蝦夷は結構強かったようで、元に従っていた現地の別の民族に助けを求められて
蝦夷と何度か戦ってるな。

61: 名無しの司馬遷 2009/06/24(水) 14:30:35 .net
【韓国】世界の弓、どういうものがあるのか 韓国の伝統弓は「角弓」で330メートル以上の射程距離を誇る[06/23]

 弓は北東アジアで特に発達した。モンゴルの弓は射程距離150メートル程度に過ぎないものの耐久性が
抜群で、中国では満州族が使う弓が最も強力だった。一方、刀が発達した日本は、弓の性能で大きく
後れを取った。竹や杉など1種類の素材で作る日本の弓は、相手を威嚇するために長さが2メートルを
超える反面、射程距離は60-70メートルに過ぎない。

91: 名無しの司馬遷 2009/08/01(土) 14:43:55 .net
>>61
弘安の役を例にとろう

防塁は敵軍の内陸部への侵攻を止めるには効果的だが、
累上の武士を守る遮蔽としては効果がない。
つまり飛び道具には無力。

したがって本当に和弓より威力も射程も勝る弓を大量に投入できていたなら
防塁の上の武士を矢で射散らしてから上陸すればいい。

ところが実際の元軍は防塁の前になすすべなし、
結局防塁がない陸継島に上陸を試みている(結局今度は武士の白兵戦の能力の前にここからも敗走するが)

つまり元軍にも高麗軍にも
海上から、あるいは海岸線から有効な射撃ができるほどの弓はなかったことになる。

66: 名無しの司馬遷 2009/06/30(火) 22:37:32 .net
安東水軍、蝦夷の騎馬隊、実は強い。

75: 名無しの司馬遷 2009/07/12(日) 03:30:56 .net
元は凍結した間宮海峡を犬ソリで渡って樺太を攻めたのでは無いか?

88: 名無しの司馬遷 2009/07/23(木) 14:47:11 .net
間違なく、樺太、千島、蝦夷地(北海道)陸奥、出羽(東北)辺りにモンゴル、ツングースから大陸馬が、モンゴル系、ツングース系と共に伝来し。
現地、ニブヒ、アイヌ、和人、と混血し、更にモンゴル馬で日本に本格的遊牧技術や騎兵隊が誕生する。
南部、伊達、北条、佐竹、上杉、長尾、武田、が本格的騎兵隊を編成に加えてしかもモンゴル馬で。

90: 名無しの司馬遷 2009/07/26(日) 16:01:48 .net
一時的に勝てても
どのみち正規の武士に出会うまでの話だな

モンゴルは本州上陸したとたんに敗走するだろう

97: 名無しの司馬遷 2009/10/22(木) 00:05:08 .net
実は侵攻してたらしいな
元は満州国があったところへんを抑えてる
満州国あたりは、金朝の根拠地なんで、金朝を征服したモンゴルの領土でもある
ここから樺太に侵攻して、樺太のアイヌ系民族を服属、
そして北海道の当時のアイヌ系民族「骨嵬」を服属。
これがえらい時間掛かったらしく、1308年まで掛かった。
(当時のアイヌどんだけ強いんだ)
日本側の当時の最北の支配者安東氏までは元朝に支配されなかった事は
俺らが学ぶ日本史では当然の史実だが、
どうもこの樺太、北海道アイヌ支配が安東氏に相当圧迫が掛かったようで
蝦夷大乱に繋がり、蝦夷の情勢は1328年まで不安定になる。
これが鎌倉幕府滅亡の直接の原因だという説もある

98: 名無しの司馬遷 2009/10/23(金) 07:54:05 .net
毛皮欲しいだけだったんだろ

99: 名無しの司馬遷 2009/10/23(金) 21:56:00 .net
wikiだから信用していいのか分からないが
元軍が樺太に派兵した人数は3000人だそうだ。
アイヌが強いっていうか、元軍がやる気なかったんじゃね?

100: 名無しの司馬遷 2009/10/23(金) 23:15:43 .net
そもそもアイヌと敵対する部族に援軍送っただけだから。
国家プロジェクトとして侵攻した日本やベトナムとは違うよ。

101: 名無しの司馬遷 2009/11/05(木) 00:21:24 .net
蒙古は樺太までやってきて
「白主土城」って砦を樺太最南端に作った。
現在は土塁だけが残ってるそうだが、中国様式の建築らしい。
この城についてもっと詳しく知りたいが、検索しても情報が少ないのが悲しい。

数は少ないが、蒙古も北海道の目と鼻の先までは実際来てる。
97が言うように北海道のアイヌも服属されてたのかな。
安藤氏だけは結構危機感感じてたろうね。

112: 名無しの司馬遷 2010/08/06(金) 19:32:52 .net
確か元寇は蝦夷でも有ったんじゃなかったかな
撃退した上に逆に攻め上がって
元側から講和を引き出した稀有な例だと聞いたが

115: 名無しの司馬遷 2011/02/02(水) 21:42:52 .net
元時代、蒙古軍は九州に2度、北方地域(当時北海道・樺太・千島はアイヌの
領土だった)に3度来襲していますが、九州の件は台風で蒙古が戦わずして船が
沈没しておわりましたが、樺太の戦いは大規模なもので3度とも

アイヌの大勝利だったのですが

116: 名無しの司馬遷 2011/02/07(月) 12:30:04 .net
文永の役と弘安の役で元軍が戦わずに沈没して終わったと
本気で思ってるなら無知にも程がある。

120: 名無しの司馬遷 2011/05/26(木) 00:48:10.25 .net
>>115
樺太の戦いは3度とも元軍の大勝利で、樺太は元に占領されてアイヌは降伏に追い込まれてるんだが

121: 名無しの司馬遷 2011/05/27(金) 00:19:09.79 .net
1266年
フビライ・ハーン「日本国王に国書を送れ」
:
:(国書届いた)
:
日本側役人「日本国王って誰のことだろう?
天皇?上皇?征夷大将軍?執権?北条家得宗?」

124: 名無しの司馬遷 2012/02/14(火) 13:29:47.71 .net
寒さはともかく大陸とくらべて積雪量はんぱないから無理だな


127: 名無しの司馬遷 2012/05/06(日) 15:39:10.70 .net
一ヶ月で鎌倉陥落だね。
大東亜戦争終盤のソ連軍侵攻も同様。やられてたね。

128: 名無しの司馬遷 2013/02/27(水) 18:05:34.01 .net
奴ら日本の北国の冬越せねーだろ

131: 名無しの司馬遷 2013/04/14(日) 20:47:06.53 .net
>>128
当時、6m越える熊がゴロゴロしてたんだが・・・

132: 名無しの司馬遷 2013/04/15(月) 07:32:54.09 .net
>>131
阿寒の羆はアカン

129: 名無しの司馬遷 2013/03/05(火) 17:43:37.69 .net
北海道を占領したとしても当時の北海道の人口程度しか人間を養えない
故にそこから本州を攻める人数は限られる
だから無理
沿海州~樺太~北海道の補給線をきっちりひいて青森に攻めるとか無理無駄
画期的な生産方法を発見して北海道の生産量を上げて人口ふやしてから攻めないと無理

134: 名無しの司馬遷 2013/05/28(火) 08:32:21.79 .net
でも、蒙古軍もバカだよね。
二度目のとき、わざわざ迎撃の準備万端の所を攻めたわけで…
(何とかの一つ覚え?)

日本海側も範囲が広いから攻めるポイントが沢山あるわけじゃん。

二回目は九州以外を攻めていれば、今の日本は無かったね。

俺が指揮官なら、佐渡島を攻めて軍事拠点とし、次に能登を攻めるね。

144: 名無しの司馬遷 2014/11/26(水) 18:37:52.08 .net
>>134
当時は、正確な海図どころか大まかな日本地図すら無く、無線通信もないし
適当に上陸しても、自軍や目標の場所も不明、味方と連絡も取れない

兵站補給には、当時の船で行き来し易い、まともな港も必要

136: 名無しの司馬遷 2013/08/01(木) NY:AN:NY.AN .net
蝦夷よりも誰かも書いていたけど若狭からいきなり都へ攻め上るほうが脅威だと思う
例え天皇の身柄は確保できなくても都を押さえられれば当時の日本人は大ショックで必死で取り返そうと大戦さになり結果元軍は追い払われたとしても直後に鎌倉幕府は崩壊し、挙げ句の果てに室町時代をすっ飛ばして戦国時代が来てたかも知れない
ふとそんな気がした

145: 名無しの司馬遷 2014/11/26(水) 18:55:46.93 .net
>>136
若狭には対馬海流で軍を送り易い=帰路が逆流で大変だから海賊もあまり来ない

朝鮮→九州よりは若狭まで日数かかり、計画狂い易く、兵も疲れ、馬も持ち込み困難
さらに江南軍が遠い若狭まで、となると過酷過ぎる

若狭から京都への鯖街道などは大軍を一気に送り難いし、地理知らないなら尚更だ

日本側の戦力として

既に、当時の国際港である敦賀は、東山道・北陸道の兵が防衛していたとあるし
それを突破しても
畿内には万単位の幕府の予備戦力、さらに延暦寺など僧兵も防衛参加

元は九州に戦力集中しても勝てないのに、若狭に戦力分けても勝率下がるだけかと

137: 名無しの司馬遷 2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN .net
軍二つか三つに分ければ余裕でしょ。

140: 名無しの司馬遷 2014/05/08(木) 21:03:17.94 .net
>>137

逆に蒙古が軍を幾つかに分けて、九州と蝦夷と都と鎌倉に同時多発的に
出現していたら、鎌倉幕府はどう対処してたんだろ?

143: 名無しの司馬遷 2014/10/18(土) 08:52:46.32 .net
武士にあんだけやられてる所を見るとどこに攻めても同じだろw
蝦夷から入っても南下して同じ連中と戦う事になるんだし

147: 名無しの司馬遷 2014/11/29(土) 01:05:18.77 .net
ちなみに福岡は豊臣秀吉の朝鮮出兵の時には、立花宗茂が明・朝鮮をぼこって、
やたらめったら恐れられて歴史がある。太平洋戦争中も福岡の確か18師団が
前方にいると聞いただけで、中国軍の動きが鈍くなったとかで、とにかく兵は
むちゃくちゃ強いっぽいな。蒙古も博多なんかに上陸したのが運のつきだったのかも?

149: 名無しの司馬遷 2014/11/30(日) 15:53:43.09 .net
>>147
熊本の部隊だと敵は逃げてしまって寄ってこない
関西の部隊に交代すると敵はウジャウジャ寄ってくる
(NHK戦争アーカイブス)

150: 名無しの司馬遷 2014/12/01(月) 00:33:27.59 .net
外国の海賊は九州・隠岐あたりは襲ってたが、海流の関係で敦賀まで往復は難しいようで
北海道に至っては存在知ってたかどうか、それだけ行き来し辛い、コストかかる場所ってこと

151: 名無しの司馬遷 2014/12/04(木) 13:17:12.69 .net
北海道には、昔は馬がいなかったらしいな

153: 名無しの司馬遷 2014/12/27(土) 11:34:07.95 .net
日本は北方も警戒していたし、国際港である敦賀も防衛していたが
元はアムール川以東の地域を詳しく知らなかったらしいぞ

>刀伊の入寇 - Wikipedia

>また、いわゆる元寇(文永・弘安の役)前後に
>日本側は北方からの蒙古の来襲を警戒していた事が知られているが、
>これに反して元朝側の資料で
>アムール川以東の地域の地理概念上に日本は含まれていなかったようである。

>この認識の差異も内陸のアムール水系への
>交易路のシフトが大きく原因していることが推測されている[9]。

154: 名無しの司馬遷 2015/01/01(木) 15:37:58.86 .net
地理に詳しくないし、樺太アイヌを攻めた件は、日本侵攻と別件でしょうね

155: 名無しの司馬遷 2015/01/01(木) 20:42:40.44 .net
ともかくも日本周辺の海流は無茶苦茶荒いからな。日本が他国に侵略されず、太平洋戦争
までこれた最大の理由はやっぱそれ。一方西欧人にとって海というのは、新大陸まで延々
続く一本の通路だからな。もし日本周辺の波がすべて地中海のように穏やかだったら歴史
は全く違っていた。

156: 名無しの司馬遷 2015/04/16(木) 22:07:06.53 .net
当時の航海技術では多々良浜辺が精一杯なのだよ
地理が充分に分かっていたのも、そこだけ。充分と言ってもアレだが
かりに若狭にたどりついたとしても、
日本側にとっても、九州までよりはるかに内線が充実した地域なので
迎撃戦力を集中しやすい。
元10余万以上の戦力を即座に並べられる。
それと馬の輸送は史実でもなかったはずで、物理的に不可能