期待しちゃいけないとわかりつつも池田屋期待して待機 #花燃ゆ
— 名前はまだ決まらない(@namaehamada_nai)Sun Jun 21 10:58:09 +0000 2015
【ここまでの高杉晋作くん】
来島のじい様に罵倒されて劇おこ→桂さん!ちょっと進発派止めるの手伝ってよ!と勝手に京都へ→脱藩と見なされちゃって獄へ入れられる→先生と同じ獄に入れたぜ嬉しいなーという句を読む #花燃ゆ
— いが(たろに)(@iga_iganao)Sun Jun 21 11:03:25 +0000 2015
まぁ、高杉晋作は何回も脱藩してる=何回も赦されているので長州藩はそもそも高杉を都合よく利用してたと見るべきかも?(´・ω・`)
#花燃ゆ
— 山本八重さん@会津ディスティネーションC(@aizu_sniper_yae)Sun Jun 21 11:04:41 +0000 2015
なんで島津久光と一橋慶喜がケンカ別れしたのかというと攘夷・開国に対するスタンスで横浜鎖港問題で揉めたからですな(´・ω・`)
薩摩に付け入る隙?については公武合体支持してる西郷隆盛が京に残ってましたから……。
#花燃ゆ
— 山本八重さん@会津ディスティネーションC(@aizu_sniper_yae)Sun Jun 21 11:10:53 +0000 2015
長州大河って聞いた時、桂さんと久坂の京都潜伏シーンが丹念に描かれて(たまに故郷の文さんとの手紙が挟まれたりして)、そして桝屋喜右衛門との交流も作られて、長州がどんどん追い込まれてついに元治元年に至る…的なものを想像したんだ。してたんだがなあ。はあ。 #花燃ゆ
— ルルフ@如法錺劔(@hervorruf)Sun Jun 21 11:12:58 +0000 2015
今日のそうせい:1
合計そうせい:9 #花燃ゆ #そうせいカウンター
— わた@呉鎮守府(@them_isto_cres)Sun Jun 21 11:14:41 +0000 2015
元徳様の素敵なところ
・高杉や聞多といういろいろとアレな奴らが小姓を勤めていた
・同い年の高杉が何かやらかそうとすると自ら馬にのって止めに行った
#花燃ゆ
— いが(たろに)(@iga_iganao)Sun Jun 21 11:16:03 +0000 2015
【悲報】この世界には土方さんはいない #花燃ゆ
— いが(たろに)(@iga_iganao)Sun Jun 21 11:18:15 +0000 2015
あれ、古高俊太郎を拷問にかけるのは歳の役目だろ。しかも、足の傷口に蝋を垂らすというあれ。 #花燃ゆ
— fujii h(@fujiih)Sun Jun 21 11:18:45 +0000 2015
長州藩邸と池田屋は同じ河原町通で200メートルしか離れてない。池田屋から長州藩に逃げ込めば安全で、新選組は逃したくない。この争いが重要。#花燃ゆ
— 一二三(@nunonofuku123)Sun Jun 21 11:25:32 +0000 2015
Q.なぜ桂さんだけ逃げたのですか?
A.あの桂さんがあの場に残っていると新撰組を壊滅させてしまう恐れがあるためです
#花燃ゆ
— いが(たろに)(@iga_iganao)Sun Jun 21 11:26:45 +0000 2015
・桂さんは池田屋にいた←諸説あり、いなかった説も
・攘夷派は放火計画etcを企てていた←諸説あり、佐幕派側の捏造説もあり真偽不明
・沖田が池田屋で血を吐いた←創作
・階段落ち←創作
・沖田はイケメン←創作
・歳さん「待たせたな!」←三谷幸喜の創作
#花燃ゆ
— いが(たろに)(@iga_iganao)Sun Jun 21 11:29:07 +0000 2015
高杉晋作「稔麿が殺られたようだな…」
久坂玄瑞「…くくっ、奴は松下村塾四天王の中で一番の小物…」
入江久一「京都で死ぬとは松下村塾四天王の面汚しよ…」 #花燃ゆ
— エノテンザ@10thドーム両日(@enotenzan)Sun Jun 21 11:29:26 +0000 2015
新選組というか会津側が「京都焼き討ち」を捏造したという説はあるが、半日で思い付いて新選組だけで触れ回るとか不可能だろ。 #花燃ゆ
— 天河真嗣(@tenkawa_shinji)Sun Jun 21 11:30:38 +0000 2015
吉田稔麿に死に場所……
1、異変を察して池田屋付近に戻って包囲側に立ち向かい斬り死
2、「みんなを置いて逃げた?」と言われ憤慨、戻って見つかり斬り死
3、長州藩邸に戻ったら「関係ないから」と開門してもらえず無念の自刃
本当はどれなのか……?
#花燃ゆ
— 山本八重さん@会津ディスティネーションC(@aizu_sniper_yae)Sun Jun 21 11:30:40 +0000 2015
稔麿が文に惚れていたかもしれないエピを、忘れないでもう少し出していればここで効いたのになあ #花燃ゆ
— のぐちよしあき(配役宝典の中の人)(@noyorin)Sun Jun 21 11:31:23 +0000 2015
【悲報】
大河史上、一番ショボい池田屋事件…でした。
#花燃ゆ
— 東区の人(@Higashikunohito)Sun Jun 21 11:31:49 +0000 2015
宮部鼎蔵「自刃をカットされた…」来原良蔵「脱藩した松陰を庇って謹慎したのに出番が少なかった…」江幡五郎「名前しか出番がなかった…」鳥山新三郎「お前ら、登場したり、名前が出ただけでもマシだろ!松陰を寄宿させたり、保釈運動やってたのに出番すらなかったんだ!」#花燃ゆ
— アメージング太郎(@project_Mr_A)Sun Jun 21 11:32:36 +0000 2015
フラグが立ったように見えるが実はタイムスクープ社に戻るだけかもしれない #花燃ゆ
— のぐちよしあき(配役宝典の中の人)(@noyorin)Sun Jun 21 11:32:52 +0000 2015
本編とは全然関係ないけど、池田屋時沖田さんが使ってたのが加州清光ね。で、あの夜に刃零れ多数に帽子が破損して筅になりました。事件後の研ぎ屋に「沖田総司、加州清光、刃こぼれ多数」の記録有。 #花燃ゆ
— みかん(@hutakigusa)Sun Jun 21 11:35:48 +0000 2015
新選組!と八重の桜を併せて観れば、 #花燃ゆ が完成します
— 週末審神者さまんさ(@thavasa1002)Sun Jun 21 11:36:18 +0000 2015
文ちゃん、それはいくらなんでも空気読めてない励まし方だよ #花燃ゆ
— ルルフ@如法錺劔(@hervorruf)Sun Jun 21 11:36:21 +0000 2015
新選組のスポンサーのひとつが大坂の豪商、加島屋です。そして、この加島屋に嫁いできたのが後に大同生命を創業する広岡浅子でした。秋からの朝ドラ『あさが来た』は、この広岡浅子がモデル。ちなみに、大同生命には新選組借用書などの史料が残っています。
#花燃ゆ #あさが来た
— おいでよ関門(@ei__yu)Sun Jun 21 11:39:29 +0000 2015
この久坂はこの時点で即今攘夷なのか開国攘夷なのか倒幕まで考えてるのかさっぱりわかんない大河すごい(でも微妙な萌えはあるのがまたすごい、流石はでーさん) #花燃ゆ
— いが(たろに)(@iga_iganao)Sun Jun 21 11:39:53 +0000 2015
(そういえば浮気事件?がいつの間にかうやむやになってるな……) #花燃ゆ
— わた@呉鎮守府(@them_isto_cres)Sun Jun 21 11:40:33 +0000 2015
私、希望は捨ててなかったんですよ。どんなにイケメン大河や幕末ホームドラマという安っぽいキャッチコピーやコンセプトでも蓋を開けてみなければ分からないって。でも、分かりました。コピーやコンセプト通りの大河にしかならないってこと。 #花燃ゆ
— 雷茄(@rainax0512)Sun Jun 21 11:42:24 +0000 2015
長州ファン・新選組ファン・幕末全般ファン・大河ドラマファン・山口県民…ここまで全員を敵に回す大河も珍しい気がするな… #花燃ゆ
— りんこ(@_t_rinko)Sun Jun 21 11:43:48 +0000 2015
あ、この流れ……
宮部鼎蔵の仇を討とうと上京した河上彦斎を長州の攘夷志士たちが唆して邪魔者だった開国派・佐久間象山先生を暗殺させた件をやらない流れだ…
#花燃ゆ
— 山本八重さん@会津ディスティネーションC(@aizu_sniper_yae)Sun Jun 21 11:45:55 +0000 2015
『八重の桜』では確かに会津が主役であるため薩長は敵役であったが、それでも薩長方の義を感じさせる言動を取り扱い、会津藩士にもその義を語らせていた。『花燃ゆ』は長州が主役ではあるが、あまりにも会津の扱いが軽く、また敵役として酷い扱いをされているように感じる。スタッフの差か。 #花燃ゆ
— 会津藩・白虎隊士末裔@東京(@immature2010)Sun Jun 21 11:48:36 +0000 2015
死闘が2時間も続いていたのか!って驚きを隠せない今日の池田屋事件 #花燃ゆ
— のんびり(@nonbiri_yo)Sun Jun 21 11:49:28 +0000 2015
ちなみに池田屋跡は居酒屋になってて、そこの居酒屋のコース料理に確か「土方歳三コース」とか「沖田総司コース」とかがあるんだけど、いや、そいつら討ち入った側だから!!「吉田稔麿コース」か「宮部鼎蔵コース」はねえのかよ!!! #花燃ゆ
— マサナンティウス(@asutalt)Sun Jun 21 11:50:12 +0000 2015
吉田稔麿がどれほどの才覚の主であったかを山縣有朋が高杉晋作に尋ねたら「人として比べられる対象になれると思ってんの?稔麿が座敷に座れる人ならオマエじゃ玄関番にもなれねーって。ことわざで言う「味噌もクソも一緒にする」とはオマエこの事だな」と返したって話。
山縣ェ……
#花燃ゆ
— 山本八重さん@会津ディスティネーションC(@aizu_sniper_yae)Sun Jun 21 11:51:42 +0000 2015
吉田稔麿は、何らかの急用でどこかに出立することになったらしく、6月5日早朝、塩屋に使いを送って夕方までに旅装を整えて欲しい旨を依頼した。塩屋は早速その依頼品を届けたが、更に注文品があり、これを夕方届けたところ、稔麿は上機嫌に礼を述べている。#花燃ゆ
— 町田 明広(@machi82175302)Sun Jun 21 11:51:59 +0000 2015
その時、稔麿は4,5人と既に密談をしていた。桝屋の手入れは辰五ツ時(午前6時40分頃)から巳四ツ時(午前9時30分頃)なので、古高奪還を目的としての依頼品所望ではなかった。#花燃ゆ
— 町田 明広(@machi82175302)Sun Jun 21 11:52:13 +0000 2015
届先であるが、塩屋兵助の妻である雪女書簡(里村宛、6月13日)には「日暮に源助池田屋迄持ち来り候」とあり、2回目は源助が夕方に池田屋まで持参していることが確認できる。#花燃ゆ
— 町田 明広(@machi82175302)Sun Jun 21 11:52:38 +0000 2015
そうなると、志士たちは既に夕刻までには池田屋に集まり始めていたことになり、その中心人物であった稔麿は最初からそこに居合わせていた。更に、2回目の依頼品を池田屋に直接届けさせていることから、その夜の会合は古高の捕縛の有無に関わらず、既に予定されていたことが確認できよう。#花燃ゆ
— 町田 明広(@machi82175302)Sun Jun 21 11:53:12 +0000 2015
その後、稔麿は巳四ツ時(午後10時30分頃)、池田屋から一旦長州藩邸に戻っていた。つまり、新撰組が池田屋に突入した巳四ツ時には池田屋にはいなかった。稔麿は京都での古高奪還計画等の後事を桂小五郎に託し、自らは明日の出立に備えて帰邸した。#花燃ゆ
— 町田 明広(@machi82175302)Sun Jun 21 11:53:40 +0000 2015
そこで、「吉田様始皆々様御立の御酒にて、夢にも御存じなき処へふいをうち」、池田屋脱出者の注進があった。よって、奇しくも池田屋での戦闘が終わろうとしていた子九ツ時(午前零時頃)、再度池田屋に向かうため藩邸を飛び出した。#花燃ゆ
— 町田 明広(@machi82175302)Sun Jun 21 11:54:11 +0000 2015
しかし、早くも加賀藩邸前の「しなの屋」という酒屋の門口において、二条通から御用改をしながら新選組と三条付近で合流するため、南下していた会津藩兵等多数に遭遇し、討死してしまった。その遺骸は6日夜明け前に長州藩邸に収容され、7日には霊山に葬られることになる。 #花燃ゆ
— 町田 明広(@machi82175302)Sun Jun 21 11:54:26 +0000 2015
これによると、稔麿は池田屋での異変の注進が届くと、杉山松介とともに藩邸を飛び出したが、途中で会津藩兵等に遭遇し、稔麿は即死、杉山は重傷を負いながらも藩邸に戻り、翌日の夕方に死亡している。#花燃ゆ
— 町田 明広(@machi82175302)Sun Jun 21 11:55:52 +0000 2015
近野・原は当時京都藩邸におり、しかも、この書簡は池田屋事変後に最も早く認められたことから、池田屋への新選組突入時、稔麿がそこにいなかった確かな証左と言えるものである。稔麿は池田屋に向かうために藩邸から出てしまったために、全く偶然に遭難していることが確認できる。 #花燃ゆ
— 町田 明広(@machi82175302)Sun Jun 21 11:56:43 +0000 2015
#花燃ゆ は、つまるところ「背景は面白そうなのに、いざ主人公が出る場面になると、とたんに平板な家庭ドラマになってしまう」というところが厳しい理由だろうな。
— 斉藤久典(@saitohisanori)Sun Jun 21 11:56:56 +0000 2015
杉山松助は、ほぼ知られていないが、山県有朋や品川弥二郎から極めて高い評価を得ている。その品川いわく、「吉田稔麿が第一じゃ。生きて今頃いるなら据え置きの総理大臣で。次は杉山松助、これは大蔵大臣だ。#花燃ゆ
— 町田 明広(@machi82175302)Sun Jun 21 11:59:56 +0000 2015
久坂は万能に通じ、高杉は奇智に長け、佐世八十郎(前原一誠)は勇、入江九一に寺島忠三郎、此の二人も豪かった。先ず此の七人が傑出の人物であろう。中んずく吉田は特別豪かった」。稔麿もさることながら、杉山松助の評価が高い。#花燃ゆ
— 町田 明広(@machi82175302)Sun Jun 21 12:00:15 +0000 2015
桂小五郎は手薄な中央政局において、稔麿の周旋能力を大いに期待したため、その出府は当面見合わせとなった。八月十八日政変以降、長州藩は朝譴を被り、留守居役以外は在京できなかった。稔麿はこの時点で、関口敬之介という変名を用いていたが、まさに命がけの周旋活動が継続されていた。#花燃ゆ
— 町田 明広(@machi82175302)Sun Jun 21 12:05:57 +0000 2015
会津「アレはスルーだべか?」薩摩「コレもスルーで?」土佐「コレはどうかのぅ?」新選組「アレはあるだろ?」
長州「何もかもスルーですよ」
「「「「えっ?」」」」
長州「私もスルーされてます」
「「「「えっ?」」」」
#花燃ゆ
— うめしば(@star_k_night)Sun Jun 21 12:08:06 +0000 2015
吉田稔麿の突然の死は、長州藩と幕府、双方にとって調整弁を失ったことになり、計り知れない痛手となったことは間違いない。それは、長幕融和の唯一の可能性を逸することになり、その訃報は池田屋事変という衝撃的なニュースとともに、長州藩内に激震を走らせたことは疑いない。#花燃ゆ
— 町田 明広(@machi82175302)Sun Jun 21 12:09:08 +0000 2015
吉田稔麿は、死の数ヶ月前に著した『東風不競密話』の管見の中で、当面は「猛虎の深山によるの勢をなし、徒然動くべからず」として、藩地に割拠し人心を鎮静化して規律を整え、倹約に励んで武備充実・富国強兵を図れば、いずれは中央政局での覇権を握れるはずであると断言している。#花燃ゆ
— 町田 明広(@machi82175302)Sun Jun 21 12:11:11 +0000 2015
ちなみに、吉田稔麿の事績、例えば朝幕融和運動、屠勇取り立て、朝陽丸事件解決などが、残念ながら、今回はそのすべてがスルーであった。稔麿がせっかく準メイン級で登場しながら、多くの視聴者には記憶に残らないであろう。#花燃ゆ
— 町田 明広(@machi82175302)Sun Jun 21 12:13:24 +0000 2015
宮部鼎蔵は松陰が刑死した後、弟子たちが起こした乱闘事件の責任をとって軍学師範を辞して隠棲…
そこを清河八郎が訪ねて国事を語り奮起を促し、尊王の志士として活動を開始。
その頃には開国論を掲げた実学党の横井小楠が福井藩に招かれ移っていた点もあって熊本藩も勤王に向かう流れに…
#花燃ゆ
— 山本八重さん@会津ディスティネーションC(@aizu_sniper_yae)Sun Jun 21 12:25:07 +0000 2015
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