http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1239537418/
1: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/04/12(日) 20:56:58
三国志を軍事分析しよう。

6: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/04/13(月) 20:18:11
武将を弩で狙い撃ちとか、人じゃない馬を刺せとか

考えないのかな?

15: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/04/14(火) 20:39:26
>>6
そのくらいは考えてたんじゃない?
>>7
三国時代は唐の時代よりはるかに前だよ?
「唐の時代まであるにはあったが、そのはるか前の三国時代から既に廃れていた」って意味?
だったらわかんないや。実際のとこはどうなんだろうね

7: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/04/13(月) 20:51:25
弩って、戦国時代には廃れていたのでは?
唐の時代までは、残っていただろうが。
製造や管理などを考えれば、
弩より通常の弓の方が、コストパフォーマンス高いし。

8: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/04/13(月) 21:29:15
人口
魏450万
呉200万
蜀95万

一ついえることは100万の軍勢とか嘘っぱち。
かなり無理に動因しても人口の10分の一が限度か。
官渡の戦いも実際は曹操軍はかなりいたらしい。(正史で裴松之に突っ込まれてる)
そりゃそうだ。青洲兵30万は何処いったんだってなる。
おそらく正統王朝の魏を立てるために少数で大軍に勝ったみたいに書いたんだろう。
徳川が後世必要以上に武田を強敵にして持ち上げたように。

9: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/04/13(月) 21:34:18
>>8
人口に関する一次資料はあるの?

10: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/04/13(月) 21:41:14
一次資料なんかあるのこの時代?
正史だって書かれたのは晋の時代だよ。
あちこちから資料をかき集めて書いたとはいえ大抵は何年も後に書かれたもんだろう
ちなみに戸数なら正史か正史英傑伝に乗ってたな。
詳しくは覚えてない。

11: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/04/13(月) 21:48:34
昨日のレッドクリフを見たが、
この時代でも春秋戦国時代のような戈が使われていたのか?
これは戦車戦で敵兵を引っ掛けて落とす武器だと思うが、
戦国時代には戦は廃れ、騎馬兵中心だろうに。
後漢末には既に無いと思うのだが。

13: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/04/14(火) 11:21:17
>>11
騎馬兵と言っても鐙も無いこの時代にどれほど役に立ったんだろうか。

12: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/04/14(火) 02:23:12
曹家の私民も魏の人口に入るの?
後漢期って民屯で豪族の小作になって国の戸籍から外れる(流民扱い)から人口激減したとか…

16: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/04/14(火) 22:25:11 ID:PtBxXCzx
確か学研の本に(後漢?)

魏2800万
呉1300万
蜀600万
くらいと書いてあったような?

蜀は10万が北伐で4万が居残りだったとかも書いてあった?ので
仮に蜀の人口が95万(男は40数万)で14万も動員したら農繁期に
いちいち帰らないと駄目ではないでしょうか?1万戦死しただけでも
農村は大打撃で、孔明は石橋叩いて渡るくらい損害を気にしながら
堅実というか、やばそうだったすぐ漢中に退却・・・

18: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/04/14(火) 23:44:37
正史って気持ち悪いぐらい魏の人物ヨイショしてるよね。
魏を正統とする晋の家臣の立場だからしょうがないとしてもリテン、ガクシンでさえ
もう気持ち悪いぐらいヨイショされてる。
どのくらいかと言うとコーエーゲームで能力オール85超えぐらいヨイショされてる。
カコウトンなんかなんじゃありゃ。
伊達輝宗みたいに人質になってるのにあの戦闘能力は無いわ。これと言った武勲もないのに。

21: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/04/21(火) 21:56:41
何を分析すれば良いのだ? 呂布の強さについてとか?w
結局騎兵部隊を上手く使いこなせると強いのだろうな。

22: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/04/22(水) 20:44:17
しかし正史だと孔明は馬鹿だな。
ケイシュウ留守番してたのに後に関羽が呉に横腹つかれることも予想できないヘタレ軍師だし
あれだけ領地返還要求をのらりくらりかわされ馬鹿にされ続けた呉が攻めてくることも予想できないってありえない。
漢中争奪戦も法正の戦略だし北伐じゃ慎重すぎて日本海軍の南雲、栗田みたいだし
はっきり言って過大評価されすぎ。
むしろ正史だと劉備の方が有能。
バショクが辻、源田みたいな口だけの人間だと見抜いて孔明に重要するなと念をおしてるし
徐州時代の頃から曹操に認められてる。
赤壁も軍を率いて戦ってるし劉備は劉邦と違って有能だと思う。
政治しかできなかった孔明は政治戦略外交の張良に負けるし、戦じゃ韓信に遠く及ばない。
補給線無視で蕭何タイプでもない。
日本で言うと石田三成だね。

23: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/04/23(木) 02:14:02
>>22
北伐しまくっても国を全く傾けさせなかっただけでも十分だわ

24: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/04/23(木) 18:49:58
>>23
>北伐しまくっても国を全く傾けさせなかっただけでも十分だわ
そんなの上杉謙信もやってる。
むしろ孔明が疲弊させたから蜀は苦しくなったんだろ。
あと孔明は発言権も権力もあったのに対しキョウイは権力が無かった。
魏が搦め手から攻めてくるって忠告したのに無視されたりね。
もう蜀は後漢末期なみに腐敗してたんだよ。孔明がいても結果は変わんなかったよ。
北伐してる最中に別方面から本国つかれちゃうんだから。

26: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/04/24(金) 04:20:53
>>22 >>24
自身が率いた戦じゃほぼ負けなしだし、補給担当としても入蜀時に仕事してるだろ。
それに打倒魏は先主からの国是であって、「国力的にきついので10年戦わずに富国政策に専念します」とは言えん。
そもそもそんなことやってても人口的に差がありすぎて国力差はむしろ開いていく。

個人的には張良、韓信、蕭何を足して四で割ったくらいの能力は持っていたと思う。
その三人の仕事を一人でやらねばならなかったことが彼の不幸。

劉備が有能というのには同意。夷陵以外の負け戦は全て圧倒的な戦力差があった場合のみで、指揮官としても優秀だし。

38: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/05/10(日) 14:30:06
>>26
具体的にどの戦いで勝ったの?

劉備生前は自身が軍を率いることなし(参軍なんかの立場では参加してるけど)
南征は現地統治官の功績で、孔明は無関係
北伐は全て作戦目標を達成できず、敗退

戦は苦手、というのは正史の評価でもある

27: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/04/24(金) 08:00:10
>>22=>>24は、補給の重要性に関して無知なんだろうな。

25: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/04/23(木) 20:38:07
単に孔明は、穀倉地帯の荊州の奪回に重視しただけだろ。
北伐に専念したのは、後方を安堵するためだろ。

28: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/04/24(金) 21:14:19
正史だと馬騰って山賊なんだね。演戯だとチョウヒに名門中の名門とか言ってるけど
先祖はバエンだっけ?
結構有名な人らしいけど劉備や孫権なみに出自怪しいね。

41: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/05/11(月) 14:35:54
>>28
馬援は、顕宗孝明帝劉荘の皇后である馬氏の父です。
この時代、初等教育機関としての書館、地方教育機関としての郡国学、高等教育機関としての太学の他、
明帝の作った、皇族や外戚のエリート教育を行う機関がありましたので、
多分そこら辺の戸籍はかなり厳重に管理されていたと思われます。

また、正史には本貫を、馬援の本貫と同じ扶風郡茂陵の人とするのみで、
馬援の子孫とするのは魏の歴史家魚豢の著とされる『典略』の記事によりますので、
敵国の人の記述ともある程度の一致を見ますから、恐らく事実と見て良いものと思われます。

68: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/17(金) 20:21:27
>>41
レス来てたの気づかなかったすいません。
なるほど先祖はほんとにバエンったんですね。
なんか木を切って生活してたとか書いてあるから絶対違うだろって思い込んでました。

31: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/05/06(水) 01:45:17
兵力もそうだけど距離もアレだよな。日本の戦国の感覚で言うと中原での戦いですら遠征レベルなのに、
蜀から出るとなると消耗も凄いんじゃないか。あの時代ロクに道整備されてないだろ。

32: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/05/09(土) 04:02:44 ID:wuJNZCGK
赤壁で孔明が10万本の矢を手に入れる等と言うのは
恐らく実話では無いだろうが
船を攻撃する場合は火矢を使うから
藁は炎上しないのかだが
藁は濡らしてある可能性も有る訳だろうか

34: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/05/09(土) 08:29:37
>>32
無論創作
たしか赤壁より後に、呉が魏と戦った時に、孫権の乗った船が
矢を片側に受けすぎて傾いたので、逆側にもわざと受けて
バランスを取ったとかいう事実から創られた話しとか

33: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/05/09(土) 04:04:06 ID:wuJNZCGK
三国志の時代では現実には歩兵は殆どクロスボウ兵だろうし
律令制軍の歩兵は接近戦に弱いから
騎兵に下馬してでも突入されれば容易に壊滅と言う事に
成る訳だろうか

40: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/05/11(月) 13:05:55 ID:cU4EiG+5
>無論創作
>たしか赤壁より後に、呉が魏と戦った時に、孫権の乗った船が
>矢を片側に受けすぎて傾いたので、逆側にもわざと受けて
>バランスを取ったとかいう事実から創られた話しとか

こんなに火矢を受けたら炎上しないのかと言う事は
有る訳だろうが
水を染み込ませた布等を張り巡らして居た可能性は有る訳だろうか

48: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/06/28(日) 20:54:48 ID:oDxhu7wP
魏延の長安攻略が万一成功してしまったら
蜀内で魏延の権力が大きくなりすぎるから
孔明は絶対に反対だったんだろうな

50: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/06/28(日) 21:33:27
>>48
魏延の作戦案はほとんど賭博じゃん。
歩兵5千に輜重兵5千で食料は手持ち分だけ。
歩兵が各人穀物を20Kg、輜重兵が各人40Kg携行し、一日一人3000カロリー=0.9Kg供給とすると33日分。
漢中から長安まで片道10日とすると長安攻略のタイムリミットは2週間足らずしかない。
魏延が長安を首尾良く陥落できてもそれ以降の補給は長安に備蓄されている食糧頼みで、もしも魏が撤退時に焼却したら作戦失敗は決定的。
その時点で魏延軍は敗退を余儀なくされる。
そうなったら涼州を制圧途上にある本軍は包囲殲滅を避けるために急遽、出撃拠点の漢中に撤退しなければならない。

余程、魏がアホでも無い限り魏延の作戦は失敗するもので諸葛亮が却下するのは当然だろう。

53: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/06/29(月) 00:22:33
>>50
後詰も、魏延の予想より早かったからね
補給抜きにしても、そのとおり作戦時間が2週間程度しかなく、しかもその片道10日の強行軍も時間的にあやしい、と。

54: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/06/29(月) 00:23:24 ID:gxuQyYRA
>>50
馬超&韓遂ですら成功してるんだから長安攻略はありえるよ

57: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/06/29(月) 09:47:33
55-56
ありがとう
長文すまんかった
>>54
攻め込むルート、それに状況が違う
魏延の場合は子午谷という険しい道を10日で踏破して、20日で長安を落とし
その後に長安を敵からの攻撃を守りぬく、食料は僅か
それに対して馬超は…ねえ?

魏延が何でこんな作戦を立案したのかがまったく持ってわからん

64: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/15(水) 18:04:04
>>57
私見としては・・・
当時諸葛亮は蜀の史官を廃してるんだよね。
つまり国外の情報を自身しか把握できない形にしてしまった。
しかし魏延は前線指揮官として長安の情報を何かしら握っていたようなので
その情報を元に作戦を立案し提案したのでは?
それに対し、全体の情報を把握していた諸葛亮が却下。
魏延のある意味博打ともいえる作戦は(諸葛亮の)意図的な情報不足によって
起きてしまったのでは?と思っている。

51: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/06/28(日) 22:10:38 ID:XgmF4awJ
蜀漢は軍事面でみても魏には遠く及ばない、人口も激減した時代だったので
下手に出て大敗すれば取り返しのつかないことになる、それ故諸葛亮は慎重な姿勢を守り続けた
戦術的には敵地を攻める際にも自らが守りの陣を敷くという特殊なものであったので敗れても国が崩壊するほどの損害は受けなかった
その地味さ故か現代の人は諸葛亮のことを戦下手と言う、確かに上手とはいえないけれど
小国が大国に当たる際に慎重になるのは当たり前だよ、後に姜維が鄧艾に大敗したのは痛手だっただろう

52: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/06/28(日) 22:22:23
赤壁の戦いって本当にあったの?どんな戦いだったの?
魏の軍勢が80万人はありえない~魏の軍勢は実際には20万人~云々
と聞くけど、仮に10万としてもそれだけの軍がどこに待機してどこから渡河するの?
大軍勢を待機させれるような開けた土地なの?
それに呉を攻めるなら荊州から渡って攻めたほうがよくない?
後、長江は自然の防衛線とか演義にあるけど実際は壁として使えるの?
壁として使えないから合肥を奪おうとしたんだよね?

55: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/06/29(月) 00:24:24
>>52
もうちょっと短くしてくれた方が話し易いし、スレにネタを細く長く供給できて良いと思うよ。


>赤壁の戦いって本当にあったの?

正史およびその注だと赤壁と後世から呼ばれる地点で孫権軍が曹操軍を撃破したということになっている。
黄蓋が偽りの降伏で火計をし、これが決定打となって曹操軍が敗走したというのも史料に書かれている。
史料を信じるならば赤壁戦に相当するものはあったと言える。

>どんな戦いだったの?

赤壁戦に至るまでの経過は大体、小説とそれほど変わらない。
ケイ州中北部を制圧した曹操軍は南郡を出撃拠点として長江沿いに下っていた。
この地域は極少数の都市以外の地域は湿地帯だったり無人地帯だったりして道路状態は悪く、
大軍に食料を供給し効率よく機動させるには長江を利用した船舶輸送に頼るしかない。

曹操は慎重に進軍し、途中、津と呼ばれる長江を横断する輸送拠点を制圧していった。
そしてたどり着いたのが赤壁で、そこから先は孫権軍を撃破しないと進撃できなかった。
質の孫権軍と量の曹操軍の対陣し長期間 消耗戦が展開され、曹操軍は将兵は風土病によって病人だらけになった。
一方の孫権軍も曹操軍の物量に苦戦し、両軍の首脳は苦しんだ。こういう状態の中で黄蓋の偽降の計は使われた。
曹操が黄蓋の計略に嵌められたのは、曹操が決定打が欲しかったという心理状態だったかも知れない。

とにかく曹操軍の船舶部隊は火計によって壊滅し、大軍を維持する手段を失い、かつ瓦解した士気もあって敗走を余儀なくされた。
撤退する曹操軍は孫権軍の追撃によって甚大な損害を受け、これによって三国鼎立の素地ができた。

56: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/06/29(月) 01:11:46
>それに呉を攻めるなら荊州から渡って攻めたほうがよくない?

軍隊を動かす場合はまず地図を眺めつつロジスティックスから考えた方が早い。
現地調達はできるかと言えば、荊州南部は人口が少ない=低い農業生産性と思ったので大軍を食わせるのは難しいと思うし、第一、焦土戦術を取られたらアウトだ。
つまり、軍隊が長江を渡るとすると、その軍隊が食う食料も長江をまたぐ必要があるわけだ。
長江は対岸が見えないぐらい幅の広い河川で感覚的には海に近いとされている。レーダーや航空機による監視が出来ない時代なので尚更だろうね。
つまり軍を渡河させても長江の水運を遮断されたらその軍は戦わずして崩壊するわけだ。

ここに水軍の重要性が生じる。

荊州で渡河して行軍しても結局は呉の水軍戦力を壊滅しない限り、その軍は不安定な補給状態で養える程度の規模しか持てず、
それは呉の地上部隊への打撃戦力としては補助的な存在に過ぎなくなることは容易に想像できると思う。


>長江は自然の防衛線とか演義にあるけど実際は壁として使えるの?

長江を渡る軍は長江の水運を利用しなければ存在できず、そしてその水運は水軍に左右され、呉の水軍は三国随一だった。
そのように呉が強力な水軍を擁している条件では呉にとって長江は堅固な城壁として機能したといえる。

58: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/01(水) 09:26:21
漢中から長安まで直線距離約220Km。
そしてその間には日本アルプス級の山岳地帯が横たわる。
10日で行軍は無謀だろーな。

59: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/03(金) 07:27:21
「補給戦」によると徒歩で行軍する軍は、1日24Kmが上限らしい。
この数値は訓練が行き届いた正規軍が、脱落者や疲労で戦闘力が喪失しない範囲内で、平地の良道を歩くという条件。

魏延の長安強襲案は行軍ルートの難易度からすると10日で走破すれば落伍者が大量に発生(特に輜重兵)し、到達した兵も疲労で戦闘力を大幅に減退するというのは想像に難くない。

60: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/05(日) 19:11:32
この頃の補給ってどんなのだったの?
略奪したり、苦労して前線に運んだり、袁紹みたいに燃やされたり
いろいろあるけど実際どんなものだったの?

61: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/05(日) 20:33:29
侵攻軍の補給と防衛軍の補給だと大分違うんじゃね?
取り敢えず巨視的に観ると城塞都市ごとに食料を備蓄しておいてそこから最寄の部隊に運ぶというパターンが王道っぽい。
自国内を自軍が行軍する場合は街道沿いにある都市の貯蔵食料を食いながら歩けばいいのだからシステムが整っていれば輜重隊による行軍中の再補給は余り重要でなくなる。
魏はそんな感じ。呉は輸送力の高い舟艇が主力なのでちょっと概念が違う気がする。

問題は侵攻軍の補給だなぁ。
孫子や補給戦から考えるとマーケットを開いて商人や近隣の農家から買ったり、行軍ルート上にある都市に使者を送って知事を脅迫して収奪するか買うというのが楽チンだろうな。
そうわけで防御側の対抗戦術も中国では編み出されていて”堅壁清野”という焦土戦術が確立されたわけで。

62: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/11(土) 22:28:18
水運を利用できるか否かが重要だな。
曹操は袁紹軍を撃破した後、華北制圧の準備として運河の整備に励み、運河が完成してから袁家殲滅戦に乗り出したぐらいだ。

67: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/17(金) 18:43:29
今チンギスハーンにはまってるけどモンゴル軍、1季節でロシア、ハンガリー荒らしまくってるぞ。
しかもロシア戦なんて真冬だってよ。
魏延は間違っていない。
圧倒的国力差があるんだから一か八かの賭けは必要。
時間が経てば経つほど巨大な国の方が国力上になる。
ガイテイなんて大敗するよりよっぽど実行してみた方がよかった。
孔明みたいのが一番だめ。
孔明みたいな慎重な男ではアルデンヌ、シンガポール快進撃はできなかったね。
孔明って石田三成、井上成実タイプの実戦むきじゃないデスクワークの人間だろ。
軍事は法正、魏延にまかせとけばよかったんだ。
孔明は才能無いから政治だけやっててください。
法正が生きてたらぎえんの策採用してたよたぶん。
孔明の指揮で漢中とれただろうか?
たぶん無理だね。
モタモタしてるうちに魏の大軍やってきて引き返すよ。

69: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/18(土) 00:34:53
>>67
では、どうやったら魏延の作戦が成功するか聞かせてくださいな

70: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/18(土) 00:54:28
>>69
では、どうやったら孔明の作戦が成功するか聞かせてくださいな

魏延のなんて素晴らしい策じゃん。
孔明たち主力部隊が魏軍をひきつけてる間に裏道を通って強襲。
蜀だってこれやられて滅亡したんですけど。馬鹿?
どうやったら成功するか聞かせてくださいな だってw
馬鹿じゃねーのこいつ。
お前正史読んだことねーだろw

72: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/18(土) 09:04:21
>>70
いやwだからね、どうやったら成功するか説明してください

>孔明たち主力部隊が魏軍をひきつけてる間に裏道を通って強襲

これは言わなくてもわかってるから、これがどうやったら成功するか説明してもらわんことには
どうしようもない。まさか、魏が同じやりかたで成功したから蜀も成功する、と言いたいの?

73: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/18(土) 20:20:23
成都落としたら戦争終結する公算高いから特攻ありだけど
長安落としても洛陽とかからがんがん後続が奪回しにくるし、蜀の生産力で維持するの無理だろ

75: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/25(土) 21:53:43
>>73
むしろ荊州の奪回に専念した方が、
蜀にとって現実的のような。

78: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/26(日) 11:13:12
>>75
いや、それやったらニ正面で終了でしょ。
あくまでも蜀・呉で連携するのを前提としないと。
まぁ荊州を維持していれば呉の対応が違っただろうけどね。

79: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/26(日) 14:25:29
>>78
蜀から見て、穀倉地帯を押さえないと致命的だよ。
ジリ貧になること必至だし。

80: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/26(日) 14:52:41
>>79
食糧の自給って面では同意するけど。
その「穀倉地帯を押さえる」行動自体で終了するって事。
魏が黙ってみてるんならいいけどね。

74: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/18(土) 21:20:58
トウガイの成都強襲みたいな特攻作戦は、仮に強襲部隊が全滅しても優位性が維持できなければ採用されんよ。
魏と蜀の国力・人材層を考えたら一緒くたにするなんて普通の人はしない。

76: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/25(土) 22:22:37
俺が横山三国志のアニメ版を見て思った感想としては
劉備がヒトラーで孔明がロンメルだな。と思ったよ

77: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/25(土) 22:33:22
そして宇禁は女の子だな。と思ったよ。

81: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/26(日) 14:54:48
こいつら馬鹿だな。
魏の大軍が後方にいるからなんていったら中国の王朝は一度も滅びないだろーが馬鹿?

82: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/26(日) 19:57:19
煽りはイラネー

83: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/26(日) 21:02:07
煽りも何も事実だろばーか
何で大国明は破れた?
何で金は万里の長城まであったのに敗れた?
馬鹿なこと言ってんじゃねー雑魚ども。

84: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/26(日) 21:06:40
王朝が滅びるにはそれなりに条件が揃う必要がある。
諸葛亮の北伐時に魏が滅びる要素があると言うならそれを列挙しろ。
列挙できないなら唯の無能煽り

88: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/27(月) 16:01:10
>>84氏が言うように
「王朝が滅びるにはそれなりに条件が揃う必要がある。」
その条件を当て嵌め、可能性を探って諸葛亮が出したのが
蜀の北伐+呉のアクション+何らかの魏内部のミス
更にこれを繰り返す必要があったから、蜀は博打が打てない。
煽ってる奴はこの魏のミスでも列挙できれば話になるんだけどねぇ。
逆に言えば魏はミスを犯さないことで勝ちになる。
それをきっちり認識していたのが魏の強さでしょ。

90: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/27(月) 18:07:06
>>88
アホ。
なら孔明の北伐事態否定することになるだろ。
孔明に任せても大敗するんだからギエンの策やってみた方がよっぽどよかった。
漢中争奪戦でも孔明は持久戦なんてアホなこと言ってるからやばかった。
劉備が法正の策を採用してほんとによかった。
このときなんて孔明の北伐より難しかったな。
曹操は生きてるしお前らの言う大軍も控えてるしw
漢中奪った後に魏の大軍やってきたけど見事守りきってるしね。
おかしいねぇお前らの言うとおりなら漢中維持なんて出来ないはずなんだけど。
400年前の劉邦もなんで5万も持たなかったのに蜀から中央まで一気に抜けたの?
当時の蜀と楚なんて三国時代より国力差あったんですけど。

91: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/27(月) 18:50:58
>>90
どこが否定に見えるんだかw
諸葛亮の北伐の時は必ず呉へアクションを起こすよう働きかけている。
それに加えて魏がミスを犯すことを期待乃至はミスを誘引しようとしている。
漢中争奪はなんといっても漢中内部に協力者がいる状態。
それが対魏にも対比できるというなら、最低でも漢中争奪戦と同様の規模の
魏内の分裂があったことを証明しないとね。
劉邦なんかも言わずもがな。
項羽方に漢中以上の内部崩壊が起こっている。
(劉邦側の切り崩しも当然ある)
戦闘で寡兵を持って大兵を打ち破ったとでも思っているの?

92: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/27(月) 19:18:29
>>90
> 曹操は生きてるしお前らの言う大軍も控えてるし> 漢中奪った後に魏の大軍やってきたけど見事守りきってるしね。

夏侯淵達が漢中の民移住させてたし来んの遅くて戦いの流れは完全に劉備側
正に鶏肋で本気で戦う理由なんてない
諸葛亮の時代はこの援軍が洛陽発で時間短縮されてる
そもそも魏延の策なんて諸葛亮との合流が大前提なのに曹真どうすんだよ?
趙雲は曹真に負けてるから魏延と合流なんてすぐには無理だ

> 400年前の劉邦もなんで5万も持たなかったのに蜀から中央まで一気に抜けたの?
> 当時の蜀と楚なんて三国時代より国力差あったんですけど。

韓信の軍略がすごいってのもあるが当時の関中は項羽が強盗、放火、殺人とかやらかしてるから秦の三王は関中民から恨まれてるし韓信をなめてかかったから序盤に一気に叩けた
それに項羽自身が反乱鎮圧に奔走してて援軍はない状態
おまけに諸侯からも反感買ってて
当時の魏とは天と地の差でお話にならない

144: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/09/24(木) 15:03:31 ID:eGtwlY4y
>>90

みんな判ってない、
長期の安寧があると政治官僚腐敗があって民はやっぱり苦しむ。李氏朝鮮

孔明の狙いは、
天下三分の計の維持、

戦国領主10個くらい乱立・・・戦争で民が苦しむ。
長期安定中央集権で、政治官僚腐敗・・・もっと民が苦しむ。

適度に他国に対し緊張感を維持し経済を円滑に・・・となったほうが、そのほうが苦しむ人が少なくなる。


北伐・・・・攻勢防御(そら被害を少なくしょうとするわな。)
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日本でも腐敗した安土桃山時代より、戦国時代の方がGNPが高く
民の生活は楽だった。

85: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/26(日) 21:29:14
魏延の策+呉との連携なら倒せた、とかか?
それでも結構きつそう

86: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/27(月) 14:15:18
魏で大規模な内乱でも起きれば良いんだけどねえ。
起きたのは辺境での小規模なヤツばっかり。

87: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/27(月) 15:05:37
蜀は高句麗を利用すれば良かったような。
その内に荊州に進出するという。

89: 名無しの司馬遷 投稿日:2009/07/27(月) 17:27:50
>>87
当時の高句麗はそこまで強大じゃないよ。
あと、呉が遼東の公孫氏と連携して魏を挟撃する
似たような策を試しているけど、これは失敗している。