1: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 18:04:00.33 ID:lzoSYARR0●.net BE:194767121-PLT(13001) ポイント特典
sssp://img.2ch.sc/ico/nida.gif
 山口県下関市の消防出初め式が9日、同市豊前田町3の海峡メッセ下関を主会場に開かれた。消防関係者ら約1180人が参加し、防災への誓いを新たにした。

 消防団員8人が海峡まとい太鼓、市消防職員と団員計約120人が、はしご乗り演技をそれぞれ勇壮に披露。同演技では、乗り手18人が、はしご(高さ7メートル)の上で、手足を広げて源義経の八艘飛びや、富士山などを表現する妙技を繰り出すと、見守る市民から歓声が上がっていた。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20160110-OYT1T50003.html
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1452416640/
4: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 18:06:08.26 ID:bslD5ip/0.net
ああ本当だよ

3: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 18:04:58.86 ID:AZmC8Lk50.net
よく考えたら源氏ってテロリストだよな

14: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 18:21:33.57 ID:5qMRnVr00.net
>>3
つ 以仁王の令旨

49: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 19:32:06.56 ID:ugFqXv0z0.net
>>3
革命と反乱の違いは成功したか失敗したかの違いなんだぜ

63: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 20:00:19.86 ID:PWFxoAPx0.net
>>3
源氏も平氏も皇族だぞ

79: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 20:26:39.17 ID:QIBRBB2L0.net
>>63
臣籍降下した段階(源姓、平姓を貰った段階)で、皇族では無い。

7: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 18:09:44.11 ID:ORlQifE6O.net
ハッスル飛びだよ
8艘も跳べるわけないじゃん

37: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 19:16:35.63 ID:QIBRBB2L0.net
>>7
八艘分飛んだわけでは無い。
船から船へと連続して八艘飛んだのだ。
相手は逃げ足の速い義経についていけなかった。

9: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 18:17:04.51 ID:CacLq3en0.net
泣く泣く首をぞかいてんげる

113: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 22:59:08.32 ID:pieSapu00.net
>>9
敦盛はん・・・(´;ω;`)ウッ…

10: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 18:19:15.93 ID:dGo2py5t0.net
漕ぎ手を弓で射るのは

戦時国際法違反

18: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 18:29:02.87 ID:jgWrKKlB0.net
>>10
それ創作だらか
序に八艘飛びも創作
義経はどちらかというと、平家討伐司令官としてよりも
対朝廷(含む後白河院及びその近臣)対策という政治的
対応を頼朝より委任されている。それと五畿内及び周辺の
治安対策。

東国御家人を主核とする、範頼を司令官とする平家討伐軍が
思いの外「戦果」を挙げられず、結果義経が「搦手司令官」
として投入され、結果平家を滅亡へと追いやっている

11: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 18:19:42.20 ID:3qj7N26d0.net
大鎧着込んで船を飛ぶとか正直無理だよな

22: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 18:32:18.55 ID:rhlRFd0PO.net
後のチンギス・ハーンである

24: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 18:33:07.55 ID:jgWrKKlB0.net
付け加えていえば「鵯越の逆落とし」も創作

25: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 18:46:09.67 ID:Mrm877ly0.net
義経が八艘飛びしつつ頼朝馬鹿にしていた
見つけ次第殺せ

27: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 18:57:09.18 ID:jgWrKKlB0.net
>>25
頼朝を馬鹿にはしてないよw
ただ対京都対策司令官として頼朝は義経を重視していたから、頼朝は
義経の検非違使兼伊予守叙任には静観を極め込んでいる(他後家の、
頼朝推薦のない叙任には鎌倉追放や開発地没収という厳しい処置で
望んでいる)。義経的には後白河院に取り込まれ、かつ頼朝への忠誠
という板挟み状態で冷静な判断を奪われている(平時忠娘を嫁として
迎えるなどなど)。

そうした中で、頼朝の義経への期待度が下落し、平宗盛、重衡などの
護送のために鎌倉凱旋を果たそうとした義経の鎌倉入りを拒否、揚げ句
頼朝と義経は対立する羽目に陥る。

38: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 19:17:23.45 ID:Lwew1M5CO.net
>>25
「兄上のバ~カバ~カ」って言いながらペンペン跳ねる義経を想像しちゃっただろ!

41: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 19:25:29.75 ID:jgWrKKlB0.net
>>38
腰越(藤沢市)で足止めされ、鎌倉凱旋という夢を立たれた後の義経は
ある意味そんな感じw
叔父の行家らと謀り、後白河院に頼朝追討宣旨まで出させているからね
(もっともそれも僅か数日で反故にされたけれど)

114: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 23:03:54.42 ID:pieSapu00.net
>>41
腰越は鎌倉市なのでは・・・・ 

26: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 18:50:16.03 ID:j5yUpgNT0.net
母の常磐が平治の乱の後清盛の妾になって子を産むってのがそそるんだよな

28: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 18:57:51.46 ID:0ua+d+Xs0.net
>>26
平安三大美女って
小野小町も藤原道綱母と常盤だっけ?

32: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 19:03:51.55 ID:jgWrKKlB0.net
>>26
その後、頼朝とは縁戚等で関係の深い一条氏に常盤御前を下賜している
頼朝が範頼や希義、また潜在的脅威を有する甲斐源氏(武田氏、安田氏等)を
然して重んじることなく、義経や彼の同母兄たる阿野全成を重用したのは、
偏に対朝廷対策を如何に重んじていたかの傍証ともなる

29: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 19:01:56.89 ID:x74CWO4n0.net
義経は陽動で、本当に活躍したのは範頼だな。
でも謀殺されたから運はなかったな。

36: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 19:15:24.28 ID:jgWrKKlB0.net
>>29
しかし軍勢としては機能し切れなかったんだよね。東国武士を御されては
頼朝として面目も立たないから、平家討伐軍総司令官に範頼を任じたのは
ある意味慧眼w

45: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 19:29:23.41 ID:CacLq3en0.net
>>36
なるほど!
では宇治川の先陣などは古い武士の形態なんだな
ということはいくら前例があったとしても義経の奇襲戦法は古い武士には受け入れられなかったとは考えられないか?
古い価値観と新しい価値観のぶつかり合いがあったと思うんだが

55: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 19:49:34.87 ID:jgWrKKlB0.net
>>45
名乗りに関しては、今昔物語で有名な村岡五郎(平良文」と蓑田源次
(源宛)が、その後の矢合わせ等と共に一人歩きしている感はあるね
「名乗り」は関ヶ原戦役でも多用されているけれど、それは後に感状
等出世の証拠を得るための手段に過ぎないからね
義経の戦略・戦術は受け入れられていたと考えて如くはないだろうね

30: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 19:03:08.83 ID:CacLq3en0.net
義経の戦法は当時としては画期的
夜討ちとか朝駆けとか
それで戦果を上げたが名乗りを上げて戦う当時の戦法からすると非礼そのもの
しかも手柄を独り占めしようとしたため味方の御家人からも評判が悪かった
おまけに朝廷からかわいがられたために朝廷を形骸化しようとする頼朝に嫌われた
これが義経討伐の理由
と俺は思ってるんだが

36: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 19:15:24.28 ID:jgWrKKlB0.net
>>30
四行目以降は概ね同意
ただ、当時は戦績保障のため「名乗り」以外には戦法、戦術は勝手千万
夜討ち朝駆けは「保元の乱」でも義朝進言により重用されている。
一の谷戦役の真の勝者は宗盛を騙る書簡を送った後白河院だし、戦略戦術で
いえば、例えば義経の場合「調略」を用いている点が枢要。
例えば屋島戦役では、平家方の田口氏を調略、自身の軍事力へと加えた上で
僅かの小船で、僅か四日で阿波国に上陸、背後から平家を攻めた戦略戦術が
彼の真骨頂

55: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 19:49:34.87 ID:jgWrKKlB0.net
問題は>>30の四行目にある通り、手柄を自らの物として申請し続け、
それが他御家人(梶原景時・景季親子等)のそれと余りに異同があり、
そのような実情もあって例えば一の谷戦役を例外に、対京都対策等の
専従として頼朝は義経を巧く使おうと考えていたのだろうね

33: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 19:07:12.56 ID:dGf2HaaJ0.net
no title

34: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 19:12:11.25 ID:rld5K6Id0.net
ヘイケガニって壇ノ浦の戦い以前は何て呼ばれてたの

39: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 19:17:47.70 ID:q0QTq45O0.net
範頼も悲劇のヒロインなのにあんま注目されんよな

50: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 19:33:36.69 ID:jPLYra6w0.net
>>39
範頼の縁戚関係は凄い
清盛の姪が義理の母
土御門天皇の義理の大伯父
順徳天皇の義理の伯父

52: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 19:39:09.87 ID:jgWrKKlB0.net
>>39
範頼の家系は吉見家という「御門葉」として栄えたからね
本家は足利流の渋川氏に簒奪されたけれど、一族は全国各地に
広がり、戦国期を経て江戸期まで残る家もあるからね

40: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 19:24:11.65 ID:XZSjkIaP0.net
安徳天皇が入水して天皇家は滅んだ。
今の天皇家は偽物じゃないのか?

43: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 19:28:13.64 ID:jgWrKKlB0.net
>>40
後鳥羽天皇は安徳天皇の弟宮(異母弟)

47: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 19:29:55.99 ID:n57PL6eT0.net
安徳帝を入水に追い込んだ源頼朝が朝敵扱いされてないのは何故なんだ

53: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 19:43:21.80 ID:L+GyTUFb0.net
>>47
平家討伐も皇族の命令だし。
むしろ安徳天皇を抱いて入水した(という)二位尼こそ最大の朝敵だろう。
ある意味、蘇我馬子以来の天皇殺害。

51: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 19:37:28.70 ID:0ifEhqnO0.net
三種の神器も海に沈んで揃えられなくなったし、南北朝時代に天皇の血筋もうやむやになってしまった稀ガス

62: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 20:00:10.73 ID:jgWrKKlB0.net
>>51
それはない
例えば藤原仲麻呂が叛乱を起こした折に重視されていたのは駅鈴
所謂「三種の神器」はその後の後付に過ぎないし、治承寿永内乱期以前から
「治天」の御世は確立していたから、寧ろ「治天の意向」の方が重きを置く
場合も少なくない。そのような先蹤を踏まえ、治天の存在や継体帝の先例を
引き、後光厳天皇の践祚が実現する

61: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 19:56:04.42 ID:7OEfj6L70.net
あの頃の天皇家と藤原、平家、源氏には本当辟易するわ
揃いも揃ってって感じ

64: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 20:00:55.22 ID:B1ubIl5h0.net
義経っておまえらがバカにしてるドチビなんだが

68: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 20:07:12.83 ID:B1ubIl5h0.net
ただ源氏の世になってからあきらかに文化は雅がなくなって劣化したけどね

71: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 20:10:28.18 ID:1YtTAsIV0.net
政治にかかわってたころの皇族てクズの権力闘争って感じで
今の皇族のほうがずっといいですわ

78: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 20:25:18.39 ID:jgWrKKlB0.net
>>71
一概には言えない
例えば後醍醐帝のようなヒトラー的反動的分子も時に出でるけれど
堀河天皇や二条天皇の「親裁」は、荘園整理と国衙よりの収入出納を
明確化するなど、賢帝は折々お出でなさいます

75: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 20:20:39.03 ID:Aj12TNug0.net
源平の合戦の重要なところは二氏の対立を後白河法皇がコントロールしていたところ。
そもそも後白河も天皇になれるような皇子ではなかったというところが平安末期、武家政治の
妙。
戦国の始まりもキリスト教布教であったように、様々な政治的な術数が日本に伝わってきていた。
奈良時代の仏教伝来とも一致する。

82: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 20:31:52.31 ID:jgWrKKlB0.net
>>75
ちょっと訂正してよい?
戦国の始まりは、西日本においては応仁文明大乱期
東国は南北朝動乱期からそのままスライド

仏教伝来は奈良期(天武朝期)ではなく、はるか遡る
用明天皇~蘇我氏絶頂期

84: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 20:34:17.78 ID:JU494VGy0.net
>>82
そこらへんは日出処の天子よめばいいよね

87: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 20:51:37.65 ID:jgWrKKlB0.net
>>84
仏教伝来とか、所謂聖徳太子辛みならね

80: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 20:28:28.87 ID:gDXMIiNu0.net
考えてみろよ、征夷大将軍の自分の実の弟が
出っ歯、チビ、猿のような奴だったら。こりゃ
理由を付けて消そうとするだろ

101: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 22:17:17.33 ID:SEMs05s90.net
ちびっこの義経が単に逃げ回ってたたげ

107: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 22:28:55.67 ID:3qmj3BBZ0.net
平家物語読むと源氏はただの反乱軍なんだよねぇ・・・

116: 名無しのしばせん 2016/01/10(日) 23:30:34.50 ID:8/nJg+fW0.net
いるんでしょ!分かってるのよ、家にいれなさいよ!こんなに尽くしてるのにどうしてよ!的な性格のちょっと前まで見ず知らずの男が今は弟です(白目