no title
1: 名無しのしばせん 投稿日:2008/03/30(日) 12:21:29
モンゴル人がいなかったらよかったのに
http://www.logsoku.com/r/2ch.net/whis/1206847289/
3: 名無しのしばせん 投稿日:2008/03/30(日) 12:34:35
というかイル汗国関係のスレってたまに立っては消えてくよな。
「ラシード・アッディーン」とか。

2: 名無しのしばせん 投稿日:2008/03/30(日) 12:31:24
アッバース朝の末裔にわずかな護衛を付けてモンゴル軍に特攻させたバイバルスもすごいけどね。

4: 名無しのしばせん 投稿日:2008/03/30(日) 12:41:58
>2
くわしく

モンゴルいなかったらアラブが今の欧米みたいになってたのか

5: 名無しのしばせん 投稿日:2008/03/30(日) 13:20:26
>>4
マムルーク朝スルタンのバイバルス1世のところへアフマド・イブン・アル・イマーム・アル・ザーヒルという
アッバース家の者が逃げてきて、カイロでカリフ・アル・ムスタンスィルとして即位させられた。
バイバルスはこの人をイラクをモンゴルから奪回するという名目で送り出したんだが、数百人の兵しか与えなかった。
ダマスカスから砂漠を渡った頃にはベドゥインやトルクメンの騎兵が加わって1千人以上にはなってたらしい。
で、ユーフラテス河流域の町をいくつか取ったけど、5千のモンゴル軍がやってきて
敗北してその後アル・ムスタンスィルは行方不明。

>モンゴルいなかったらアラブが今の欧米みたいになってたのか

無理でしょ。当時のイスラム圏でもアラブ人は大した勢力じゃないし。

7: 名無しのしばせん 投稿日:2008/03/30(日) 15:37:09
西アジアは朝青龍軍団に井戸だのなんだの
徹底的に壊されてかなり停滞したみたいね

10: 名無しのしばせん 投稿日:2008/03/31(月) 00:35:33
>>7
井戸じゃなくて山から農業用水を引く地下水路な。
というかモンゴル軍が来る前からムスリム同士の争いで結構荒廃してたらしいぞ。

6: 名無しのしばせん 投稿日:2008/03/30(日) 14:56:08
でもペルシアがもっと早く復活した可能性はある

11: 名無しのしばせん 投稿日:2008/03/31(月) 10:57:29
>>6
バグダードにアッバース朝カリフが存続してたらペルシャ帝国復興にむしろ邪魔じゃないのか。

12: 名無しのしばせん 投稿日:2008/03/31(月) 15:45:57
そもそもどの国が復興するの?
セルジューク朝?ホラズム?ゴール朝?まったく新しい勢力?
あるいはイラン人がアッバース朝を乗っ取るとか

13: 名無しのしばせん 投稿日:2008/03/31(月) 18:40:18
サファヴィー以下のペルシアはトルコ+ペルシアの融合で出来た文明だろう。
モンゴルの破壊と支配がなければそれが200年早まる

15: 名無しのしばせん 投稿日:2008/03/31(月) 22:16:40
>>13
あまり詳しくないけど、モンゴル侵攻以前はサファヴィー朝みたいに
王権神授説を唱える(←ココ正確じゃないかも)君主はいなくて
どこもカリフの名代として支配してたわけでしょ?

ファーティマ朝はまた別だったらしいが

17: 名無しのしばせん 投稿日:2008/04/03(木) 01:58:17
モンゴルの征服がなかったらマムルーク朝も成立しないだろうから
あのままエジプトやシリアでアイユーブ朝の王族同士が抗争してる状態だと
十字軍すら追い出せない可能性があるかも

19: 名無しのしばせん 投稿日:2008/04/03(木) 08:55:03
>>17
マムルーク軍団のクーデターが起きたのは十字軍のあとでは?

20: 名無しのしばせん 投稿日:2008/04/03(木) 21:39:02
バクダードを破壊したっていうのは誇張なの?
タタールのくびきみたいな黄色蔑視はいってるんだろか

21: 名無しのしばせん 投稿日:2008/04/03(木) 21:57:06
杉山先生に言わせると、むしろモンゴル側が他国に対してぶらふ吹く
ために大げさな宣伝をしたんだそうな。

27: 名無しのしばせん 投稿日:2008/04/09(水) 16:06:25
滅亡フラグw

28: 名無しのしばせん 投稿日:2008/04/26(土) 21:12:46
通説ではモンゴルはイスラム圏を破壊したということだが
実際は違うわけ?

29: 名無しのしばせん 投稿日:2008/04/26(土) 21:33:04
針ほどのことも棒ほどのことのように語る極度の被害者意識は、
何もどこぞの国だけの専売特許じゃないってことだろ

33: 名無しのしばせん 投稿日:2008/04/27(日) 01:23:23
>>28
外人のエッセイでササン朝時代のイラン全土から得られる税収と
フレグの時代の税収を比べると90%以上減ってるとか恐ろしい話を読んだことがある。

37: 名無しのしばせん 投稿日:2008/04/27(日) 10:24:35
>>28
モンゴル軍が中央アジアやイランで都市を破壊したって話は実際に当時の年代記とかにそう書かれている
ので良いんだけど、モンゴルだけを問題にするのも少々公平性に欠ける。

フレグがやってくる少し前にはセルジューク朝王家同士の内戦に加え、オグズ諸部族の侵入で
イラン東部中部は大混乱になっていた。さらにホラズムシャー朝によるセルジューク朝の打倒があり、しかもホラズムシャー朝は結局イラン中西部までの支配はほとんで出来ていない有り様だった。
イラン中西部の支配が不十分過ぎたせいもあって、インドからイランへ舞い戻ったスルタン・
ジャラールッディーンも西部周辺のセルジューク朝系のアタベク政権やルームセルジューク朝との紛争にいたずらに費やし四面楚歌になった挙げ句、チョルマグン率いるモンゴル軍に攻められて野垂れ死んでしまった。ジャラールッディーンは各地で掠奪や都市部への攻撃とかモンゴルと大して変わらないくらい盛んにやったせいでイラン西部では非常に顰蹙を買っていた。

実はフレグがやって来た時、ルーム・セルジューク朝やモースル、ファールスやケルマーン地方なのではセルジューク朝系のアタベクたちなどによる地方政権が割拠していて、彼らは結局
皇帝モンケとそのイランにおける代理人フレグに臣従する道を選んだ。特にファールス地方などはモンゴルの侵入をほとんど受けていない。

一方、イルハン朝はフレグ、アルグンの時代は中央アジアやジョチ家のとの紛争で毎年多大な
出費を強いられ、アバカが没したあと国内の王族同士の内戦で財政状況は悪化の一方。臨時徴税の濫発で恒常的に台所具合は全国的に火の車状態だった。

七代目のガザンがかなり強力に綱紀の粛正をやったお蔭で、ともかく徴税が国庫に回ってくるようになり、九代目のアブー・サイードの時代まで徴税システムは機能していた。
イルハン朝の末期に書かれた地理書によると、当時イルハン朝領内20州の歳入総額は
年間3億ディーナールほどだったとかいう記事を見た覚えがある。

モンゴル帝国時代の文化的な影響は実はかなり大きいんだけど、それはまた今度に。

31: 名無しのしばせん 投稿日:2008/04/26(土) 23:05:38
ウマイヤ朝はスンニ派で
アッバースはシーア派?

32: 名無しのしばせん 投稿日:2008/04/26(土) 23:11:18
>>31
> アッバースはシーア派?

ウマイヤ朝を倒す際にシーア派の力は借りたが、アッバース朝自体は、スンニ派。

34: 名無しのしばせん 投稿日:2008/04/27(日) 08:28:15
モンゴルって略奪しか能が無いだろ
都市文明を知らないわけだし
都市の成長から得られる税収なんて理解できないだろ

38: 名無しのしばせん 投稿日:2008/04/28(月) 01:18:09
欧米人のモンゴル帝国の統治のイメージって
ラシードアッディーンの描く「ガザン汗の改革以前の収奪」による所が多いような気が

39: 名無しのしばせん 投稿日:2008/05/02(金) 17:18:33
ちなみに現アフガニスタン北部のバルフの場合チンギス・ハーンが征服した
数十年後に通ったマルコ・ポーロによれば、立派な大都市だがかつては
もっと立派でありタルタル人や外国人に荒らされた廃墟が残っているとの
こと。
さらにその数十年後に通ったイブン・バットゥータによればすっかり荒廃して
おり、それはチンギス・ハーンにより破壊されたからとのこと。

…とするとバルフはチンギス・ハーンの前後にかなり破壊され、イルハン朝
末期の内戦で完全破壊されたのだろうか?

また、うっかり歴史に名を残すと名を残さなかった連中の事跡もひっかぶる
ことになるのだろうか。

40: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/17(火) 22:49:37
三大陸周遊記では何も言及されてないわけ

42: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/18(水) 02:06:43
なんだかんだいってモンゴルの最大の被害者はイスラム圏だと思う

支那はフビライの代なので破壊をまぬがれロシアはむしろモンゴルの影響で文明化w

44: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/18(水) 03:31:15
ちゅうか杉山教徒うっとおしすぎ。
大先生のモンゴルマンセー教秋田

45: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/18(水) 06:50:58
欧州を文明化させたモンゴル帝国はすごいと思うけどな。
モンゴルによって西方に伝播した様様な文物を改良した物によって
支那世界は滅んじゃったけどねw

46: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/18(水) 07:30:59
オスマン・トルコはモンゴルによって西へ追われた部族が起源だという。
トルコもロシアもモンゴルに所以を持っている。

47: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/18(水) 07:49:59
ローマの属州になってから文明化されただろ

48: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/18(水) 07:53:24
モンゴルが文明的ってw

58: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/18(水) 20:07:56
ローマとモンゴルの文化を比較してみろや 
議論するまでもないw

60: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/18(水) 20:49:32
ローマ帝国とモンゴル帝国の面積を比較して見ろや 
議論するまでもないw

49: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/18(水) 08:48:22
>モンゴルによって西方に伝播した様様な文物を改良した物

例えばどんなん?

昔日本史板で「弩と鐙は13世紀にモンゴルによってヨーロッパにもたらされた」
と言い張ってる人がいた。今どうしてるんだろう。

51: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/18(水) 08:55:11
印刷機、紙幣、方位磁石、火砲あたりか。

52: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/18(水) 09:22:03
火薬はモンゴルが来る以前にすでに中東で「シナの雪」として使われていたらしいから
イスラム経由ではなかろーか。

当時のアラビア語では石油系の焼夷兵器も火薬を使ったものも両方「ナフト」と呼ぶので
紛らわしいとか。

ガイハトゥがイランで初めて紙幣を導入したことについて
フランク人が何か書き残したりしてないのかな?

50: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/18(水) 08:48:38
支那はむしろモンゴルの反動でダメになったんだよ
間接的にはモンゴルで滅んだことになるがw

しかし、アラブとペルシアは確実にモンゴルで終わった

55: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/18(水) 14:53:45
>>50
モンゴル襲来までは中華文化圏って割と開放的な文化圏だったけどな。
モンゴルがきて漢人を最下層において無茶してから異民族に対する
感情が極端に悪化した。

59: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/18(水) 20:48:05
>>55
つ万里の長城

61: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/18(水) 20:54:47
>>59 
万里の長城が現在のような重厚な姿になったのは明代。

63: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/19(木) 06:02:06
そもそも何故万里の長城が必要なのかと

65: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/19(木) 07:20:03
>>63 
趙や秦やそれ以前から国境侵して侵入したからだろう 
匈奴ら塞外の民の侵入に対して無防備でいられるはずもないだろう。

53: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/18(水) 09:48:29
その伝播道がモンゴル帝国のおかげで太く、大きくなったんだよ

54: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/18(水) 12:23:40
最大の被害者であり、最大の受益者でもあるわな。
極東やウラル地域、高緯度帯にまで信徒を広げることができたのは、
モンゴル人政権の、宗教的な寛容さと、イスラム世界がローマや
エジプトやペルシアから引き継いでいた古代文明の拾遺を高く評価し、
イスラム教徒を積極的に官吏として登用したことで、カザフステップの
北端やウラルの西のヨーロッパロシアや支那の黄海沿岸にまで信徒がある。

56: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/18(水) 14:56:55
>>54
つうか、砂漠の民や草原の民が急激に膨張したから
自前の官僚システムを育成できずに丸々借用せざるを
得なかったと見るほうが実情にちかいんだが・・・
~のおかげと脳内変換して楽しい?

57: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/18(水) 15:55:33
モンゴル帝国後継諸国の、タタール人等イスラム化した遊牧民族の伝承では
ある日ハンのところへスーフィー教団の聖者がやってきて奇跡を起こして見せ
それでハンがウルスごとイスラムに入信したとかそういう話が多い。
多分イスラムの側でも伝道活動とかいろいろやってたのかね。

64: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/19(木) 06:10:05
日本人はモンゴル支配を受けていないから好意的なんだろな
他人事だということ

77: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/22(日) 09:19:46
>>64
モンゴルが憎むまれ続けているのは、やはり降伏後に虐殺したり卑怯な戦術を常套
としていたからなのかもしれんな。
ローマもイスラムも侵略者に他ならないはずだが、ビザンツは最後までギリシャ人
ではなくローマ人であると称していたそうで、今現在も多くの人々がイスラムに
帰依している。しかしながら、中国人とかロシア人がモンゴル帝国を賛美する事は
ほとんどないそうだね。
昨今モンゴルを再評価されている方々は、グローバリズム礼賛の流れで、
モンゴル万歳、アメリカ万歳、投資家万歳みたいな感じだね。

80: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/22(日) 10:39:04
>>77
「ローマ人」や「ムスリム」という枠組はのちに曖昧化して被征服民を取り込んでいったが
中国やロシアでは遊牧民と定住民という枠組は、生活圏がそもそも違うために
ずっと維持されることになり、最終的に定住民の側が勝利することによって
遊牧民へのネガティブイメージが固定した。その差だろう。

87: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/22(日) 21:45:33
>昨今モンゴルを再評価されている方々は、グローバリズム礼賛の流れで、 
>モンゴル万歳、アメリカ万歳、投資家万歳みたいな感じだね。 
スラヴ人や漢民族などの農耕民はモンゴルに否定的な一方で 
ウズベクなどの中央アジアの遊牧民はモンゴルの後継者を自称した。 
ソ連崩壊後、中央アジアやシベリアの遊牧民達の間ではチンギスハン、ティムール 
の評価が変っており単にグローバリズムの流れとも決めつけられない。

88: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/22(日) 21:51:13
グローバリズムというより、ナショナリズムの高揚でしょ。 
ソ連の衛星国時代はチンギスハンの歴史的評価そのものが 
タブー視されてたし。

93: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/23(月) 00:02:08
>>88 
その通り。 
チンギスハーンの再評価をグローバル化と繋げてる奴とか、馬鹿としか思えん。 
モンゴルでのチンギスハーンの再評価は完全にナショナリズムや民族主義の流れだよ。

94: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/23(月) 01:05:18
>>93 
堺屋太一とかは、日本人向けにグローバル化と関連ずけているのでは?

95: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/23(月) 01:14:58
チンギスハーンの評価と、モンゴル帝国そのものが歴史に果たした評価とは別なんじゃないかと思うが

96: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/23(月) 01:34:55
>>95 
中国とロシアはチンギスハンに絡めた内蒙古や中央アジアへの波及を警戒しているから。 
モンゴル政府の切手の発売にすら露骨な不快感を示して発売中止においこんだ経験あり 
(もう40年以上も前の話だが)

120: 名無しのしばせん 投稿日:2008/12/14(日) 00:05:30
フレグってあの酒飲んでる坊主頭の事か?
Hulagu_1

121: 名無しのしばせん 投稿日:2008/12/23(火) 09:44:59
フレグはバカすぎるよ 
後世同じモンゴル人からもカリフ殺したこと批判されているだろ

122: 名無しのしばせん 投稿日:2008/12/23(火) 10:01:51
同じ征服者でもアレクサンドロスは侵略されたペルシャやエジプトからも英雄として称えられているのに 
チンギス・ハーンを英雄として称えているのはモンゴルと日本ぐらいで嫌われまくっている

126: 名無しのしばせん 投稿日:2008/12/23(火) 22:15:59
トルコじゃ偉大な英雄扱いだと聞いたが 
欧州での評判もそんなに悪くない

70: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/21(土) 12:27:17
まぁーなんだあれだけの機動性があり火器を使うモンゴル軍にそりゃイスラム圏の国が太刀打ちできるわけないよな
唯一勝てる方法があるとしたらアフリカから身体能力の高い黒人兵を連れて来れば勝てた
お前らも興味無いか? モンゴル人と黒人の白兵戦なんてシュール過ぎるだろ

71: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/21(土) 13:31:07
>>70
エジプトのマムルーク朝はナイル奥地などから黒人奴隷を輸入していたが
軍事奴隷にはわざわざより遠いステップ地帯からテュルク系遊牧民を買い集めていた。

73: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/22(日) 07:43:26
黒人の居住地域には馬がいないからな
それだけの理由

80: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/22(日) 10:39:04
>>73
ブラックアフリカでもマリ王国とかカネム=ボルヌ王国とか騎兵軍を使ってたが。
むしろ無いのは騎射の技術だろう。

85: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/22(日) 18:35:03
モンゴル高原の中北部、セレンゲ川流域からバイカル湖畔を拠点としていた
メルキト部族は、セレンゲ河畔で黍を栽培していたらしい。

モンゴル帝国が高原全域を制圧し東西に支配地域を広げると、軍の糧秣として
穀物の需要が急拡大したが、高原内外で収穫出来る量はたかが知れているので、
遠征先の土地から収奪した穀物以外にも、華北やウイグル王国など既に開発
されている穀倉地域や天山山脈などに新規に開拓地を広げるなどして米や麦と
いった需要をまかなっていたようだ。

モンゴル帝国以前から、こういった黍や麦、米(勿論、黍より上等)は臼で曵いて
粉にしたものを粥にして食していたようだが、マルコ・ポーロの頃にはウイグルや
中央アジアなど西方からなのか華北あたりからの影響かは分からないけど、麺類も
食するようになっていたようだ。
>で、大体この時代からの食習慣がベースになって現在に至ると。

98: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/23(月) 01:51:12
>マルコ・ポーロの頃にはウイグルや 
>中央アジアなど西方からなのか華北あたりからの影響かは分からないけど、麺類も 
>食するようになっていたようだ。 

イブン・バトゥータのキプチャク草原の遊牧民の描写でも出てきたような

86: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/22(日) 19:28:48
ここまでスレが進んで今さらなんだが、フレグって
大汗になったモンケとクビライ、それに一時的にせよやはり大汗に即位したアリク・ブケに
比べたら兄弟の中で影の薄い感がある。

それでもフレグウルスの創始者ではあるわけで、なんかすげえ兄弟だな。

89: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/22(日) 21:53:51
ちなみに農耕民族が否定的と書いているが、冬にモンゴルの連中が来ると自分の家のように上がりこんで
自分の妻子を好き放題に陵辱していたそういう歴史をロシア人はもっている
そんな歴史もって好意的に見るヤシがどれだけいるのやら。
おまえさんが妻子をDQNに毎日食われても好々爺できるならそれもいいかもしれないがな。

97: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/23(月) 01:48:03
>冬にモンゴルの連中が来ると自分の家のように上がりこんで 
>自分の妻子を好き放題に陵辱していたそういう歴史をロシア人はもっている 

いったいいつの時代の話だw 
まさかタタールのくびきの頃とかいうんじゃないよな

99: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/23(月) 02:45:44
>>97 
タタールのくびきの頃の話だよ。 
だからロシア人はくびきをもたらした連中に良い感情はもってない。 
おまえが同じようにされたらどうおもうんだ?いってみろ。

101: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/23(月) 09:26:14
>>99 
タタールのくびきの頃にいちいちタタール人が冬ごとに来るかよw 
タタール人の襲撃が本格化するのはモスクワ大公国が力をつけてから。

100: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/23(月) 05:34:13
兵士が指揮官の許可なく女を強姦したりす略奪したりるとその兵士は私物化の罪に問われる。 
実際には漢人にもロシア人にも漢人世候やアレクサンドル・ネフスキーなどモンゴルに協力する者が出て 
(当人等は認めたくないようだが)人口の少ないモンゴルの支配を支えた。 
モンゴルが手当たり次第に強姦略奪をしていた無秩序集団だという中国やロシアの言い分は 
割り引いて見るべき。

102: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/24(火) 01:27:52
そういえば、ロシア人はモンゴル人に復讐しなかったのかな?
タタールのくびき時代の。
モンゴル系の人々がクリミアで自治権を要求してるけど、俺がウクライナ人だったらそういう連中ブチ殺すけどなあ。

106: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/25(水) 02:08:03
>>102
もともとクリミアにロシア人が入ってきたのはクリム汗国滅亡後だったのに
ソ連時代の公式史観で「クリミアは有史以来スラヴ人の土地です」
とか捏造してタタール人を追い出したんだが?

103: 名無しのしばせん 投稿日:2008/06/24(火) 01:37:17
アッバース朝はエジプトに行って続いただろ。
権威を維持したければすればよかったんだよ。
アラブが勝手に放棄しただけ

111: 名無しのしばせん 投稿日:2008/07/13(日) 11:47:58
マルウィヤ・ミナレットとモスクはモンゴルによって破壊されたの?
今は螺旋のミナレットが残るだけだが
モンゴルってマジでくずだな

112: 名無しのしばせん 投稿日:2008/07/13(日) 12:16:50
マルウィヤモスクは世界最大のモスクだったようだが
アッバース朝の遺跡も残っていたらよかったのにねえ

113: 名無しのしばせん 投稿日:2008/07/13(日) 12:55:17
サーマッラーのマルウィーヤ・ミナレットのこと? だったら時期が全然違うw

836年のアッバ-ス朝第8代カリフ・ムウタスィム(在位833-842)によるサーマッラー遷都は
端的には先代のマアムーンの即位以来急激に拡大した中央アジア系のマムルーク親衛軍団と
バグダード市民との対立を疎んで、ムウタスィムがマムルーク軍団と市民の直接的な接触を
避けるためにバグダードから離れたサーマッラーに軍団(と自分自身)を隔離するために
軍営都市を建設したのがはじまり。

その後も数代は首都として存続し、892年に曾孫で第十六代カリフ・ムウタディドの即位で
バグダードに再び首都が戻されるまでサーマッラーは首都としてモスクとか宮殿の建設が続いた。

有名なマルウィーヤ・ミナレットが附属する大モスクが建設されたのは、ムウタスィムの息子
第十代カリフ・ムタワッキル(在位847-861)の頃。この人在位中に2つも大モスクを建設
しているんだが、892年の再遷都でサーマッラーは完全に放棄されたため、アッバ-ス朝時代の宮殿とかモスクがそっくり手付かずで残ることになった。特に他の都市がモンゴルの侵攻も含め戦災による破壊や時代の変遷による都市構造の変化が著しいのに対し、九世紀のアッバ-ス朝の建築様式がそのまま残されているのが大きな特徴で、むしろ「破壊されていない都市」であることで有名。
>サーマッラー 何も残っていないのは主要建築材が泥レンガなせいで風化に極端に弱いため。

第十六代カリフ・ムウタディドの遷都でバグダードが再び首都に返り咲いた訳だけど、その時にはマンスールが建設した有名な円城の荒廃が激しかったので放棄。代わりにチグリス東岸に
カリフの宮殿と市街地の城壁を新たに作り直し、これがフレグの西征時代までバグダードの都市として機能し続けるんだが、これはブワイフ朝やセルジューク朝のようなチグリス東岸からやって来る勢力からの圧力を直接受け易くなり、カリフ権力の弱体化に拍車を掛けたと後世に評されたように色々問題になっていく。

116: 名無しのしばせん 投稿日:2008/07/14(月) 01:41:35
最近オスプレイから「サラセンの城塞」って本が出てたけど
なんか読んだらマムルークとバグダード市民の対立のほかに
サマラの方が軍馬のためのいい牧草地があったとか書いてたね。