1: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 00:06:53.24 ID:CAP_USER*.net
『失われた卑弥呼の金印「親魏倭王」の謎』(ムー・スーパーミステリー・ブックス)
no title


大和朝廷が開かれる以前、この日本には邪馬台国という“クニ”があったとされる。中国の史書『魏志倭人伝』によれば、紀元3世紀ごろ、当時、倭国と呼ばれた日本を統治していたのは卑弥呼という名の女王だったという。

邪馬台国の所在地をめぐっては畿内説と九州説をはじめ、四国説や沖縄説、さらには海外のスマトラ説、エジプト説などが知られているが、今、大きな転換期を迎えようとしている。考古学的な発見により、ほぼ畿内説で固まりつつあるのだ。最近もまた、これを裏づける発見があった。

『魏志倭人伝』によると、倭国は大きくふたつに分かれていた。卑弥呼に従うクニと敵対する“卑弥弓呼(ひみここ)”を支持するクニがあったのだ。

後者を束ねていたのは狗奴国だった。狗奴国は邪馬台国の南にあったとされるため、方位が正しいとする九州説なら鹿児島あたりに比定され、距離が正しいとする畿内説であれば、東海地方から関東地方にあったと考えられてきた。

実は、この卑弥弓呼のものと思われる墓が見つかったのだ。場所は静岡の沼津市で、高尾山遺跡として知られている。問題の古墳は前方後方墳で、長は約62メートルと、当時としては東日本で最大級だ。築造は3世紀前半と見られており、卑弥呼の時代と重なる。規模から考えて、東海地方を治めていた大王の墓だと推測されている。畿内説からすれば、まさしく卑弥弓呼の墓の可能性が高い。

きわめて重要な遺跡が注目されるきっかけは、なんとも皮肉なことに、人域的な破壊の危機に直面したからだ。地元の要請によって計画した国道建設のルートに高尾山古墳が重なってしまったのだ。道路を作るためには、古墳を一度破壊して、移設する必要が出てきた。これに対して、地元の有識者が協会を立ち上げ、移設反対を強く訴えた結果、幸いにして道路のルートを変更することが議会で決定され、古墳は保存されることとなった。

だが、かなり工事は進んでおり、すでに古墳の上にあった神社は取り壊され、古墳はむき出しの状態。調査発掘も行われていたが、昔の面影はない。聞くところによれば、この工事に関連して、ふたりの方が亡くなっており、地元では祟りではないかとも噂されている。

いずれにせよ、全国的に注目されることとなった高尾山古墳だが、改めて被葬者が卑弥弓呼だったと確認されることとなれば、邪馬台国論争は一気に加速、畿内説で、ほぼ決まったと認識されることになるだろう。

だが、もしそうなった場合、最後に問題となるのは方位である。『魏志倭人伝』は狗奴国を邪馬台国の南に位置づける。邪馬台国を畿内とすれば、東海地方は東。約90度の違いがある。これは確定している九州の対馬、壱岐、松浦から見た邪馬台国や投馬国などの方位も同様で、畿内説が抱える大きな課題のひとつだ。方位の読み替えに関しては、太陽運行の季節変化などがあがられているが、定説にはいたっていない。

これに関して、もっとも大胆な仮説を提示しているのがサイエンス・エンターテイナーの飛鳥昭雄氏だ。飛鳥説によれば、『魏志倭人伝』の方位は正しく、かつ邪馬台国は畿内にあった。間違っているのは、昔の地形と今の地形が同じだという認識にあるとし、かつて日本列島は約90度、時計回りに回転していたと考える。逆転列島倭地理観に立てば、邪馬台国は畿内であり、狗奴国は東海地方になると主張する。

高速プレートテクトニクスという激変論に立った邪馬台国=畿内説は、他に類を見ないほど突拍子もない説にも思えるが、これを支持する人々もいる。日本の歴史を裏から支えてきた秘密組織、八咫烏である。彼らは飛鳥説を認めながら、そのしるしとして、なんと卑弥呼が魏の皇帝から送られた「親魏倭王」の金印の写真を見せられたという。

詳しくは本書に譲るが、高尾山古墳が卑弥弓呼の墓として注目される今、いよいよ邪馬台国論争も大詰めを迎えつつあるのかもしれない。

●三上丈晴(みかみ・たけはる)
1968年、青森県生まれ。学研「ムー」の5代目編集長。筑波大学を卒業後、学習研究社(現・学研)に入社。「歴史群像」編集部を経て、入社1年目より「ムー」編集部に所属。

http://tocana.jp/2016/03/post_9187_entry.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1459091213/
8: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 00:13:43.43 ID:1D/o9Y450.net
>かつて日本列島は約90度、時計回りに回転していたと考える 

その手があったか!

2: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 00:10:32.03 ID:MDbcduJa0.net
へー高尾山に古墳なんてあるんだ、って思ったら全然違う場所だった

3: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 00:10:44.38 ID:FZq9Ehc70.net
何万年かかったら日本がそんなに動くんだよ

5: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 00:12:10.37 ID:vmk9eLss0.net
>>1
>「歴史群像」編集部を経て、入社1年目より「ムー」編集部に所属。

すげえ経歴だなwww
可哀想なのか、それとも本人幸せなのか。

231: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 09:02:44.05 ID:qGbGU+y40.net
>>5
歴史群像も大概なもの

9: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 00:14:50.10 ID:Qe/nD2730.net
ミステリーがファンタジーになった

10: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 00:15:10.22 ID:XZxwe//D0.net
八王子に遷都した方が良いかも

15: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 00:18:56.86 ID:bxsiImtb0.net
静岡には登呂遺跡があるから日本国発祥の地であることは確実だ
それを発見した家康が脱糞した

20: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 00:20:19.60 ID:m48/y6hC0.net
卑弥弓呼は女王じゃなくて男王だぞ

30: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 00:28:43.62 ID:ZnRaCjjD0.net
>>20
だよねぇ。あれ?って思った。

方角についてだが、
「後漢書」には女王国より東に海を渡って千余里で拘奴国に至る
と書いてある。狗の字が微妙に違うけど。
倭人伝を読んでいると、ここであれ??って思っちゃうんだよね。

129: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 02:42:49.94 ID:zIuZkWHN0.net
>>20で指摘されてるように卑弥弓呼は男の王だ
まあ女王対女王の方が想像が膨らむが

29: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 00:28:16.85 ID:gAbDOSk80.net
何がどうなったらサイエンスとエンターティナーが手を取り合って
歴史アカデミズムに挑めるのかがサッパリわからんwww

71: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 01:16:10.79 ID:MDw63e+x0.net
天皇一派は九州から奈良にやってきて邪馬台国を乗っ取ったわけだけど
なぜ簡単に乗っ取れたか
それは天皇一派が「俺は中国(魏)から来た」って言ったからだよ
魏の王に認められた人間しか持たないものを、天皇と邪馬台国の役人とで見せ合ったと文献には書いてある
それは注意深く読めばわかる

だから邪馬台国は「同じ系列の国なんだね」と納得して天皇に譲ったと文献には書いてある
もちろん文献には皇室を正当化するためのものだから事実はもうちょっと血なまぐさかったとは思うけどね

74: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 01:18:25.71 ID:SrP2P98n0.net
>>71
国譲り
天皇は天照の時代から象徴でしかなかったから

84: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 01:28:34.98 ID:XZNrRY870.net
卑弥弓呼の墓をただ古墳がデカいという理由だけで
静岡や群馬に平定する畿内派にゾッとする
自分らだけで盛り上がってるから他の人間が
ドン引きしてることに気づかないのか

87: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 01:30:11.34 ID:jmSmeG5h0.net
>>84
天皇の墓を発掘できたら何かわかるかもしれないけどそれが出来ないからな

86: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 01:29:13.09 ID:MDw63e+x0.net
天皇一派のヤマトは乗っ取りで大きくなった国
穏健的に表現すれば企業合併だよね
だからこそ初期ヤマト朝廷は蘇我氏や物部氏みたいな、天皇以外の有力豪族がいたわけだ
傘下にした会社の重役はある程度のポストにつけなきゃいけないからね

91: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 01:32:35.60 ID:Hh/X80m50.net
邪馬台国が畿内だとしても狗奴国は熊襲でしょ
魏志倭人伝の方位や距離にこだわりすぎ

97: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 01:35:53.14 ID:nsnFBB8k0.net
>>91
熊襲はあっさりと倭建命に討伐されすぎるから、さすがに狗奴国とは違うと思われる。

むしろ、西南戦争ではないが、神武の東征の際には熊襲がかなり協力したにも関わらず、恩恵にあずかれなかったことが原因で反乱を起こしたのではないかと推察する。

175: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 08:03:02.40 ID:HBtfyDLK0.net
>>91
3世紀の中国の科学知識は無視せん方がいいかと。
ついでに魏志倭人伝(三国志)は後漢書よりも先に成立してるくらいで、成立の頃には文献も豊富だった。
ていうか、邪馬台国の伝聞くらいなら成都まで噂話が伝わっていてもおかしくないし。

106: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 01:42:18.70 ID:9l/HbsM00.net
邪馬台国が大和朝廷のルーツとなるのなら近畿で決まりだろ?

古墳とか、埋蔵品にはその時代時代の特徴があるもんだが、
その全てが近畿ではじまり、それから他方に広がっている。

もし九州に王がいるのなら、九州から他の地方に影響が出るはずだが、それがない。

156: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 07:07:26.76 ID:JPAgFB/H0.net
某大学の某教授に邪馬台国のこと聞いたら 
どこにあるかは分からんが少なくとも畿内には無かった 
との答えだったから選択肢は徐々に狭まってるみたいだね

162: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 07:21:56.69 ID:jmSmeG5h0.net
>>156 
東京大学は九州説で京都大学が畿内説だから 
その学者がどっちの派閥に属してるかによるってだけじゃないの。

108: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 01:44:09.96 ID:JkhpAsAG0.net
>邪馬台国の所在地をめぐっては畿内説と九州説をはじめ、四国説や沖縄説、さらには海外のスマトラ説、エジプト説などが知られているが

エジプト…
マジかよ…知らんかった…

164: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 07:28:32.06 ID:vbLSIZEQ0.net
>>108
確か、戦前のオカルトな人の説
30年くらい前にムーで読んだw

141: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 05:36:34.10 ID:ZPsocBua0.net
面白い話だと思ってたら高速プレートテクトニクスで笑い転げたw

153: 名無しのしばせん 2016/03/28(月) 07:00:54.12 ID:KGyImvmJ0.net
ピザじゃねえんだから>高速プレートテクトニクス