待って、唸る朱子学を叩き込むって本当にそういう意味なの!?#nobunaga201X pic.twitter.com/pIK1vJ9KaY

— 劉度(@arther456)Wed May 04 03:55:18 +0000 2016
これは案外便利かも。前方後円墳皿。一枚850円也。
felissimo.co.jp/youmore/wk5751… pic.twitter.com/qhXOjZ40tf

— gurucchi(@gurucchi)Wed May 04 05:41:36 +0000 2016
今日知ったこと。田沼意次の老中罷免が、田沼派の町奉行である曲淵景漸が、天明の打ち壊しに関して発言したとされる
『米がないなら犬を食え。』
が発端だったということ。すこしフランス革命っぽいですねw
— まとめ管理人(@1059kanri)Wed May 04 10:36:51 +0000 2016
Twitter有料化のデマで思い出したけど、かつて吉田兼見とかいう公家ブロガーが『三成が利休の妻子を蛇責めにしたらしい』とかいうクソデマ流したことあったな…普通に考えて三成が蛇責めみたいな残虐なことするわけないだろ。今度からデマ流した奴は全員蛇責めにすべき
— 石田三成(@zibumitunari)Wed May 04 12:50:14 +0000 2016
1821年5月5日、ナポレオン・ボナパルトが死去。岩下哲典『江戸のナポレオン伝説』(中公新書、1999年)は冒頭、吉田松陰が読んだ書物の中に、シーボルト事件で処罰された高橋景保が訳した、ナポレオン関連書物があったことを紹介。近世後期にナポレオンの情報がどのように受容されたか考察。
— 太田鳴雪(@zasetsushirazu)Thu May 05 02:36:08 +0000 2016
「士農工商」がえらく話題になっていたので,大島真理夫「「士農工商」論ノート」(『経済史研究』(大阪経済大)2号,1998年)を読み直してみた。その中で大島氏は,早くは西川如見が「士農工商」という言葉を用いていることを指摘する。→
bit.ly/1rqQ30n
— 塚原哲也(@tsukatetsu)Thu May 05 02:53:52 +0000 2016
→ただし,身分制度を表わす言葉ではなく職分,職業的な区別を表わす言葉としてだという。もともと「士農工商」という4区分は,中国で人々を職業によって分類する際に用いられ,上下の序列ではなかったということなので,西川如見が使った「士農工商」は中国の事例に即したものだと言える。→
— 塚原哲也(@tsukatetsu)Thu May 05 02:54:01 +0000 2016
→ところが,江戸後期になり,次第に「士農工商」を身分として把握し,同時に,社会批判の道具として使う論調が現われる。大島氏はその事例として藤田幽谷を挙げており,そこでは商業敵視論の影響により身分制度を表わす言葉として用いられている,という。→
— 塚原哲也(@tsukatetsu)Thu May 05 02:54:39 +0000 2016
→江戸時代の身分制度を「士農工商」と把握する立場は,明治期になって初めて登場するのではなく,江戸後期,たとえば後期水戸学のなかで社会批判のための言葉として登場していた,ということだ。もっとも,大島論文の脚注によれば,荻生徂徠・太宰春台の段階で既に身分序列としての士農工商論が→
— 塚原哲也(@tsukatetsu)Thu May 05 02:54:54 +0000 2016
→現われているとする研究(植松忠博「士農工商論における中・日比較」『国民経済雑誌』1996.4)もあるようだ。(了
— 塚原哲也(@tsukatetsu)Thu May 05 02:55:05 +0000 2016
小田原城近くにある黒田官兵衛直系の黒田長成別邸「清閑亭」がなんと無料公開されていて、海やお庭を見ながらお茶にコーヒー、ビールまでいただける尋常じゃなく素晴らしいところでしたので関東の黒田クラスタ様方にぜひ訪れていただきたいです! pic.twitter.com/1oWytuV6gk




— なす(@nasuo48)Thu May 05 10:27:26 +0000 2016
@machi82175302 グローバル幕末史でホームが偶然長州藩士を見かけ、薩摩藩士が合わせて欲しいと言ったと書かれています。坂本龍馬がグラバー商会から資金援助を受けていたと言う事を他で聞きました。果たしてホームは偶然見かけたのでしょうか?それとも意図して合わしたのでしょうか?
— あきら(@akiboh)Thu May 05 11:36:09 +0000 2016
「坂本龍馬がグラバー商会から資金援助を受けていた」ということを、私は存じ上げません。ホームが偶然長州藩士を見かけたと思います。 twitter.com/akiboh/status/…
— 町田 明広(@machi82175302)Thu May 05 12:14:25 +0000 2016
【第二次大戦】マイナーなファシスト政党7選 |歴ログ
reki.hatenablog.com/entry/2014/08/…
— 消印所沢(臨時)(@KCin_Tokorozawa)Thu May 05 12:49:43 +0000 2016
蛤御門の由来、定説「大火で開く」覆す資料発見 : 読売新聞
yomiuri.co.jp/culture/201605…
— 吉川弘文館営業部official(@yk_sales)Thu May 05 13:56:03 +0000 2016
幕末の「禁門の変」の舞台として知られる京都御苑の蛤御門の名前の由来について、定説に見直しを迫る新出資料が。宝永の大火で門が開かれたことから、焼くと貝殻を開くハマグリになぞらえたとされていたが、その前年の資料に「蛤門」の記述。
yomiuri.co.jp/local/kyoto/ne…
— 町田 明広(@machi82175302)Thu May 05 13:48:29 +0000 2016
経営の問題などがささやかれる英ガーディアン紙の第一号の紙面(1821年)。最初はマンチェスター・ガーディアンだったのか…。 twitter.com/GuardianArchiv…
— Kazuto Suzuki(@KS_1013)Thu May 05 16:07:23 +0000 2016
時々書く話だけど、韓国では国内でも何かしら問題が起こった時には厳しい謝罪要求が行われ、その際には「真正な謝罪」といった日韓間の問題と同じ用語も使われる。徹底的な道徳的批判が行われるのも同様で、よくも悪くも一つの「文化」だと考えた方が良いと思っている。
— Kan Kimura (on DL)(@kankimura)Wed May 04 23:33:29 +0000 2016
一般的に「強い道徳的批判」が行われ、「謝罪のパフォーマンス」が執拗に要求される所は一つの特徴でしょうね。逆に経済的保証は(関係者は求めていても)議論では後方に退き、民事罰を超えて刑事罰が求められる。日本も似ている所はありますけどね。 twitter.com/digit96/status…
— Kan Kimura (on DL)(@kankimura)Wed May 04 23:38:08 +0000 2016
違う書き方をすれば、米国では「補償金額」に議論が行きがちの所を、ポイントが「謝罪」とその「謝罪」に込められた(計測不可能な)「誠意」に置かれてしまう。また、多くの問題が行為者の道徳的問題で説明される事が多いので、問題再発防止に繋がるような制度的改革にはなかなか繋がらない。
— Kan Kimura (on DL)(@kankimura)Wed May 04 23:41:30 +0000 2016
以下は講義ネタですが、大きな問題が起こった時にそれを制度的な問題としてではなく、実施者の個人的問題として把握すると、同じことを繰り返してしまう、というので有名な事例に、「アヘン戦争」→「第二次アヘン戦争」があります。清朝は前者の敗北の教訓を制度改革に生かすことができませんでした。
— Kan Kimura (on DL)(@kankimura)Wed May 04 23:49:11 +0000 2016
小牧山城では、絵図や旧測量図、発掘成果をもとに、徳川家康が小牧・長久手の戦いに際して構築した山麓横堀の復元が進んでいました。南面の横堀を、旧小牧市役所本庁舎が破壊していましたが、本来の姿がよみがえりつつあります。小牧市すごいですね。 pic.twitter.com/zCY89cloay

— 千田嘉博_奈良大学(@yoshi_nara)Sun May 01 07:02:17 +0000 2016
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