1: 筑前鐵太郎 ★ 2016/05/12(木) 21:03:12.14 ID:CAP_USER*.net
2016.5.12 20:40
旧二条城跡に“第3の堀”跡が出土 信長恐れた将軍義昭が造成
戦国時代末期に織田信長が室町幕府第15代将軍、足利義昭のために築いた旧二条城跡(京都市上京区)の内堀と外堀の間から新たな堀跡が出土し12日、民間調査団体「古代文化調査会」が発表した。内堀と外堀には石垣があるが、見つかった堀跡は石垣がない素掘り。義昭が後に対立した信長との対戦に備え、急きょ防御用に設けた“第3の堀”だったとみられる。
堀跡は城の南部分で、内堀と外堀の想定地のほぼ中間地点。最大幅は7メートルで、2段底、堀の北沿いには柵とみられる柱列跡も出土した。素掘りの堀で、内堀や外堀より後の時代につくられたとみられる。
著書「日本史」で知られるポルトガル人宣教師、ルイス・フロイスは、天正元(1573)年に、信長と関係が悪化した義昭が城の守りを強化させるため、堀をつくったとする記述を残しており、記録を裏付ける発掘となった。
http://www.sankei.com/west/news/160512/wst1605120077-n1.html
旧二条城跡に“第3の堀”跡が出土 信長恐れた将軍義昭が造成
戦国時代末期に織田信長が室町幕府第15代将軍、足利義昭のために築いた旧二条城跡(京都市上京区)の内堀と外堀の間から新たな堀跡が出土し12日、民間調査団体「古代文化調査会」が発表した。内堀と外堀には石垣があるが、見つかった堀跡は石垣がない素掘り。義昭が後に対立した信長との対戦に備え、急きょ防御用に設けた“第3の堀”だったとみられる。
堀跡は城の南部分で、内堀と外堀の想定地のほぼ中間地点。最大幅は7メートルで、2段底、堀の北沿いには柵とみられる柱列跡も出土した。素掘りの堀で、内堀や外堀より後の時代につくられたとみられる。
著書「日本史」で知られるポルトガル人宣教師、ルイス・フロイスは、天正元(1573)年に、信長と関係が悪化した義昭が城の守りを強化させるため、堀をつくったとする記述を残しており、記録を裏付ける発掘となった。
http://www.sankei.com/west/news/160512/wst1605120077-n1.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1463054592/
2: 名無しさん@1周年 2016/05/12(木) 21:05:47.99 ID:z5eyjkT00.net
これも、例の少年が、はっけんしたんだな
6: 名無しさん@1周年 2016/05/12(木) 21:15:46.77 ID:OWIAsadI0.net
ブラタモリ取材しておいて
9: 名無しさん@1周年 2016/05/12(木) 21:33:47.39 ID:WycjOYxj0.net
元々ここにあったのか、二条城って
10: 名無しさん@1周年 2016/05/12(木) 21:38:48.39 ID:92pkadnm0.net
>>9
ねっ俺も知らなかった、御所の位置も同じなのかな?
すごい隣合ってる
ねっ俺も知らなかった、御所の位置も同じなのかな?
すごい隣合ってる
12: 名無しさん@1周年 2016/05/12(木) 22:13:34.57 ID:mQnP8XU10.net
京都市営地下鉄作るときに遺跡を全部無視して掘り進んだからな。
当時は笑い話だったらしい。
当時は笑い話だったらしい。
13: 名無しさん@1周年 2016/05/13(金) 01:30:12.81 ID:VHkexKop0.net
堀川通りの下にもなんかあるんでない?
15: 名無しさん@1周年 2016/05/13(金) 02:38:09.50 ID:QoEoypGM0.net
>>13
これ烏丸通り
これ烏丸通り
14: 名無しさん@1周年 2016/05/13(金) 01:33:19.48 ID:4u2Hh/+80.net
京都の市街地はどこ掘ったって何かしら遺跡が出てくるだろ。
二条城の記事。きわめて断片的な成果をもって、二条城全体を囲んだ「第3の堀」と断定し、発表をそのまま報じた新聞。大きな記事になったのはよいけれど、報道機関としての批判と検証は十分か、産経新聞はもう一度振り返る必要があると思います。sankei.com/west/news/1605…
— 千田嘉博_奈良大学(@yoshi_nara)Thu May 12 15:03:49 +0000 2016
義昭の二条城と同時期の、戦国後期の主要な城郭(もしくは巨大な館城)の周囲には、一般的に堀や溝で囲んだ館が群在していました。義昭の二条城の周囲で見つかった断片的な堀を、単純に二条城を完全に囲った堀とする評価は考古学的証明を欠き、著しい飛躍と言わざるを得ません。
— 千田嘉博_奈良大学(@yoshi_nara)Thu May 12 15:16:10 +0000 2016
二条城の発掘で検出した断片的な堀が、義昭と信長の対立時期に存在した可能性は遺物からありますが、だからと言って、文字史料が記した堀と断定できる証拠はありません。考古資料でも、文字史料でも証明できないことを、両者の都合のいいところをつまんで、証明したことにするのは、とても危険です。
— 千田嘉博_奈良大学(@yoshi_nara)Thu May 12 15:23:10 +0000 2016
文化財をめぐる報道の質の問題には、そもそも文化財の知識を備えた専門記者が、全国紙でも、とても少ないという理由があるのではないでしょうか。書き手である記者に、必要な考古学や歴史の知識がなければ、適切な質問も批判も困難です。それができるか否かが、記事の質を規定します。
— 千田嘉博_奈良大学(@yoshi_nara)Thu May 12 16:19:26 +0000 2016
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