元治元年5月14日(1864年6月17日)、「幕府、大坂船手を廃止し、所属船舶人員を神戸海軍操練所に附す」(『維新史料綱要』)。松浦玲『勝海舟』(筑摩書房、2010年)曰く、この日を「神戸海軍操練所正式発足とみなすことができる」。同日、勝海舟は軍艦奉行に昇進、安房守と称した。
— 太田鳴雪(@zasetsushirazu)Fri Jun 17 02:17:36 +0000 2016
神戸海軍操練所について、池田敬正『坂本龍馬』(中公新書)や飛鳥井雅道『坂本龍馬』(講談社学術文庫)など、特に古い文献は、龍馬が操練所の塾頭を務めたとする。だが、松浦玲『坂本龍馬』(岩波新書)曰く、龍馬ら脱藩者はそもそも操練所への入所資格がなかった。私は、松浦氏の見解に賛成である。
— 太田鳴雪(@zasetsushirazu)Fri Jun 17 13:07:36 +0000 2016
@zasetsushirazu 龍馬が操練所の塾頭をしたとする、そもそも入塾していたとする一次史料が皆無です。私も松浦氏を支持しています。
— 町田 明広(@machi82175302)Fri Jun 17 13:21:24 +0000 2016
神戸海軍操練所について、通説では龍馬は塾頭とされている。また、勝海軍塾の塾頭とされている場合もある。しかし、松浦玲氏は操練所の入塾資格は関西在住の旗本御家人の子弟および四国・九州・中国辺の諸家家来であった事実が軽視されており、そのため、重要な事実が見落とされていると指摘する。
— 町田 明広(@machi82175302)Fri Jun 17 13:29:58 +0000 2016
つまり、龍馬たちは操練所に入れるはずなどなく、近藤長次郎は「勝阿波守家来」として入塾させたが、「龍馬は正規の役職に就けなかっただけではなく、練習生として操練所に入ることもできなかった」(『検証・龍馬伝説』)と極論される。
— 町田 明広(@machi82175302)Fri Jun 17 13:30:30 +0000 2016
@machi82175302 こんばんは。はじめまして。興味深いお話を拝見しております。
先日から書かれている勝海舟の呼び名は「勝阿波守」ではなく「勝安房守」ではないでしょうか。
もし何かの論文に使われるのであれば…と思い伝えさせていただきました。
突然で申し訳ございません。
— 8kotetsu(@8sk_kotetsu)Fri Jun 17 13:49:34 +0000 2016
@8sk_kotetsu ご指摘の通り、「勝安房守」ですが、一次史料では「勝阿波守」となっており、ここでは、そのまま括弧付けで使用しました。当時、氏名を含め、当て字は当たり前のように使用されておりますね。
— 町田 明広(@machi82175302)Fri Jun 17 13:58:41 +0000 2016
繰り返しになるが、確かに、龍馬が操練所の塾頭をしたとする、そもそも入塾していたとする一次史料(同時代の確実な史料)が皆無なのである。松浦説を支持したい。
— 町田 明広(@machi82175302)Fri Jun 17 13:30:55 +0000 2016
@machi82175302 ありがとうございます。そもそも、龍馬が操練所にいたと解釈すること自体、けっこう無理がありますよね。松浦玲さんの言うように、従来の研究において、坂崎紫瀾が書いたものを無批判に信用したからでしょうか。
— 太田鳴雪(@zasetsushirazu)Fri Jun 17 13:45:56 +0000 2016
@zasetsushirazu このあたり、知野文哉『「坂本龍馬」の誕生: 船中八策と坂崎紫瀾』を多くの方に読んでいただきたいです(^^)
— 町田 明広(@machi82175302)Fri Jun 17 14:04:30 +0000 2016
龍馬は江戸・大坂間を幕府の船で行き気を繰り返している。龍馬はどのような資格で乗船したのだろうか。そう簡単に、一介の浪人風情の人物の乗船を許可するであろうか。勝の雇い・家来だとすると、勝と一緒に乗船していなければおかしい。龍馬といえども、実は分からないことは多いと感じている。
— 町田 明広(@machi82175302)Fri Jun 17 13:32:28 +0000 2016
松浦玲氏の指摘ですが、勝は坂本らのことを日記で「龍馬子」などと敬称をつけて呼ぶ場合があります。また坂本は姉乙女宛ての書簡で「きやくふん(客分)」のようなものとして扱われているとも記しています。強いて言えば、資格は勝の客分ですかね。 twitter.com/machi82175302/…
— 下田 悠真(@shiuymoma)Fri Jun 17 14:29:39 +0000 2016
坂本龍馬に興味を持った人には、伝記の中ではさしあたり、平尾道雄『龍馬のすべて』(久保書店、新版は高知新聞社)、松岡司『定本 坂本龍馬伝』(新人物往来社)、松浦玲『坂本龍馬』(岩波新書)の3冊を薦める。史料を読みたい人には、宮地佐一郎『龍馬の手紙』(講談社学術文庫)。
— 太田鳴雪(@zasetsushirazu)Fri Jul 17 22:01:14 +0000 2015
史実の坂本龍馬、特に最近の研究に興味がある人には、松浦玲『検証・龍馬伝説』、同『坂本龍馬』、知野文哉『坂本龍馬の「誕生」』はオススメ。知野氏は船中八策の虚構を暴く。また、町田明広『攘夷の幕末史』は、龍馬や海援隊の構想に、近代日本の東アジア侵略に繋がる思想を読み解く点が新鮮だ。
— 太田鳴雪(@zasetsushirazu)Sat Jun 18 03:17:57 +0000 2016
以前、坂本龍馬の伝記の中で、松浦玲『坂本龍馬』(岩波新書)と共に、平尾道雄『龍馬のすべて』と松岡司『定本坂本龍馬伝』を推奨したことがある。平尾については、龍馬論や土佐の維新史研究に与えた影響が良かれ悪しかれ多大だからである。
twitter.com/zasetsushirazu…
— 太田鳴雪(@zasetsushirazu)Sat Jun 18 09:43:37 +0000 2016
コメント
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坂本龍馬否定論にこだわってる感じがして色眼鏡で見てしまうわ
入塾させてもらう立場である必要もない
それがない以上は想像でしかない
これを否定したいのなら、真の塾頭というのがいた証拠を提示しなければならない
それをしてないのに、竜馬がなれるなんておかしい!だからこの話は嘘だなんて主張をしても誰も相手にしてくれないよ
大勢に理解される証明の仕方をしらないから、こんな陰謀論みたいなのに何の疑問も持つことなく引っかかってしまうんだろうな
塾頭が誰かという証拠は何もない
そしてそれは龍馬も同様
塾頭は佐藤与之助ってわかってるだろ
(塾頭というポスト自体ないかもしれないから実質的塾頭と呼ぶべきかも)
何でもかんでも陰謀論扱いしないほうがいいよ