1: 餡子先生 ★ 2016/06/26(日) 11:55:04.80 ID:CAP_USER9
 関ヶ原の戦い(1600年)で戦国武将・小早川秀秋(1582~1602年)が西軍から東軍に寝返った際、決断が遅れたのは過度の飲酒で肝硬変から発症した肝性脳症による判断力低下の可能性があるとするユニークな説を、兵庫県姫路市御立東の脳神経外科医、若林利光さん(63)が秀秋の当時の病状などを記した史料からまとめた。

 26日に茨城県つくば市で開かれる日本病跡学会総会で発表する。

 戦いで西軍側の秀秋は寝返りを誘われていたがなかなか動かず、東軍を率いた徳川家康が怒り出すほどだったとされる。戦闘開始から約4時間後、西軍・大谷吉継を襲ったのをきっかけに西軍の武将が次々に寝返り、東軍勝利につながった。

 若林さんは、安土桃山時代から江戸時代初めに活躍し、秀秋も診た医師・曲直瀬玄朔まなせげんさくの診療録「医学天正記」の記述に注目。秀秋について「酒疸一身黄 心下堅満而痛 不飲食渇甚」(大量の飲酒による黄だん、みぞおち付近の内臓が硬く痛みがあり、飲食できずのどの渇きが激しい)の記述から、肝硬変と考えられるという。

 飲酒後に嘔吐おうとし、赤い尿が出たともあり、肝性脳症を併発するほど悪化していた可能性が高いと判断。同脳症では指示への反応や判断が遅くなるため、若林さんは「関ヶ原での決断の遅れの要因では」と推察する。

 国立国際医療研究センター肝炎情報センター(千葉県市川市)も、大量の飲酒は肝硬変の原因の一つで「記述にある症状からは肝硬変が疑われる」という。

 小和田哲男・静岡大名誉教授(戦国史)は「寝返りの遅れは東西どちらが有利か最後まで迷っていたとするのが通説だ」とした上で、「当時は15歳頃からの飲酒も多く、医師の見地からはそのような解釈も成り立つのでは」と話している。

http://www.yomiuri.co.jp/science/20160625-OYT1T50018.html
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1466909704/

125: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 13:35:44.78 ID:f2KRAV8r0
>>1 
それは間違い。 
それだと小早川が大筒に腰を抜かして動き出したことに矛盾する。 
0点。 
提出しなおして来い。

337: 名無しさん@1周年 2016/06/27(月) 12:38:48.29 ID:qpdvEEkd0
>>125 
松尾山の山中にいた小早川の陣からじゃ東軍の陣地は遠すぎて鉄砲の音くらいで驚かないって 
色んな歴史番組がやってみてるから、それは多分、後世の軍記物の創作 

つか、関ヶ原直後の書状や宣教師の手紙から、 
関ヶ原開戦直後に小早川は東軍側について参戦したって記録が残ってたりするので

7: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 12:00:23.28 ID:mrJul4RM0
いずれにせよ、顔だけ手抜き、マヌケ面で肖像画書かれてるから後の時代の奴にも
ダメ人間認定されてたってことだろうさ。

13: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 12:01:38.71 ID:Mf/8vIEq0
>>7
資料は勝者の視点で残されるからね

10: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 12:00:52.64 ID:DnnNz5Ur0
そこまで悪化しているなら戦で采配を取るとか無理だと思うが

53: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 12:22:18.06 ID:1Dt7i8+60
>>10
優秀な家老がいれば戦場での指揮など何でもないことだよw
そして小早川家の家老は徳川方に調略されていたわけだし
神輿は軽くてパーがいいのは今も昔も変わらん

120: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 13:32:34.21 ID:V0VI4J9m0
そもそも肝疾患がひどかったら、わざわざ西軍の松尾山を分捕るなんて派手な事しないだろ

123: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 13:34:34.14 ID:EMEQkuUL0
>>120 
実際に指揮してるのは重臣の稲葉正成と平岡頼勝

12: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 12:01:33.27 ID:c3AcRBpu0
大谷吉継
福島正則
加藤清正

みんな梅毒で死期が迫っていた

どうせ死ぬのなら
関ヶ原を武士として
格好の死様と、したかったのだろう

57: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 12:25:31.88 ID:6PrLlrxx0
>>12
福島正則って1624年まで生きてるんだが…
あと、大谷は梅毒にもハンセン病にも罹ってた確たる証拠はないよな?

15: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 12:02:36.32 ID:DfogMkB+0
キムタコも肝硬変だったのか
直前に裏切ったのは仕方のない事だったんだな、うん

16: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 12:02:41.50 ID:dpxOwJXv0
凄いな、小早川秀秋というと木村拓哉が常識化したよww

17: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 12:04:31.07 ID:9ks5Iijx0
若くして亡くなってるけど死因はこれか

27: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 12:11:54.35 ID:y6eXgiNn0
どうせ早死にするなら寝返る必要ないじゃん なんなのこの人 関東人から見てもむかつくわ

131: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 13:40:54.83 ID:sQ27G0Z/0
>>27
戦国武将が背負ってるのは一族含めた家臣を支える家なんだよ。自分の死と引き換えに家を守った人物は沢山いる。
お前みたいな、個人が死んだらそれでおしまいな孤独ニートと一緒の物差しで考えるなよ。

138: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 13:48:03.46 ID:vxie5QTm0
>>131
でも小早川家と全然関係ない養子だし

158: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 13:59:18.14 ID:sQ27G0Z/0
>>138
養子たって一人で養子に来てるとでも思ってんのか?国持クラス大名なら元々の自分の直臣や身の回り衆やら何百人単位の移動だぞ。
小早川の場合は、家老も秀吉の小飼の大名だし、家臣団なんか元々の小早川家なんてみんな閑職ばっかだぞ。

193: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 16:29:59.11 ID:y6eXgiNn0
>>131
お前の言うことはおかしい
寝返りで家名を汚したあげく、早死にして改易され、家康自身に豊臣本家を滅ぼされたじゃん
全然一族のためになってないぞ

28: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 12:12:48.18 ID:H8ZobQ5Y0
19歳で肝硬変って、
どんだけ酒飲みまくったんだ( ゚д゚)ポカーン

48: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 12:20:47.45 ID:A50qthIi0
>>28 >>30
ところが、酒飲みすぎて若死にするというのは、この時代すでに、
足利義尚(室町幕府9代将軍)という先例もあるんですわw

義尚の場合は、酒の飲みすぎではなく、
セクロスのやりすぎでタヒんだ説も有力ですが。

51: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 12:21:40.49 ID:dpxOwJXv0
>>48
酒飲み過ぎ若死にならまず足利義量だろ。

56: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 12:25:19.07 ID:A50qthIi0
>>51
たしかに義量も大酒飲みだったようですが、その割には、
彼は死因がいまいちハッキリしないんですよね。

49: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 12:21:21.47 ID:OWVUw8EL0
>>28
あの時代は、12~16歳で酒を飲み始める

特に、秀吉・北政所寧々(高台院)の縁者・養子ということで、早くから元服し
官位をもらっていた秀秋は、公家や大名と交友しながら10歳前後から
飲酒していたと思われる

保護者であった寧々も、秀秋の飲酒に悩んでいたことは史料に残っている
また、親交が深かった公家の近衛信尹も、秀秋の少年期からの過度な飲酒
について書き残している

55: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 12:24:31.60 ID:kJJXuJTa0
秀吉が晩年常飲してた僧坊酒復元したの飲んだことあるが

あれはたしかに飲み続けたら肝臓痛めるわ
日本酒度-80とかくっそ甘すぎる
ほとんど砂糖

58: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 12:26:21.03 ID:gK+djUwr0
こういうの好きだわ
歴史上の色んな人達の病気とか見ていて面白い
遠山の金さんが痔で苦しんでいたとか調べてみると
色々出てきて楽しい

65: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 12:30:19.67 ID:O6eFa0XK0
小早川秀秋って1602年死去と関が原からそんなに時間が経ってないときに死んでるから
たたりとか言われることもあるけど、関が原の時点でも相当体調悪かったんだな

66: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 12:31:44.73 ID:uiJFhEicO
大谷は裏切りを予測して備えもしてたけど、脇坂などの予想以上の裏切りがあったのが悲運だったな

141: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 13:49:13.22 ID:sQ27G0Z/0
>>66
消耗戦に入っていた数千の兵と元気一杯な一万五千の兵じゃ準備も糞もない。
籠城戦なら策もあるかもだが、野戦じゃ寝返った時点で勝負にならないよ。

72: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 12:37:00.88 ID:gFZnoaqK0
>>1
小早川隆景も策士の黒田官兵衛にひどい養子を押し付けられたせいで
後世の小早川の家名に悪影響が出て可哀想だったな

養子選びは慎重にしないと駄目だね

79: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 12:50:36.78 ID:A50qthIi0
>>72
早々に小早川家で引き受けないと、
毛利本家に押し付けられるところだったんだから、仕方ないでしょ。

228: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 20:18:36.69 ID:5o5ux8090
>>72
毛利本家に回る毒を未然に防いだ。代わりに小早川隆景は隠居料を6万石もらい
金満な老後だったとか

229: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 20:19:45.67 ID:A50qthIi0
>>228
官位も、家格も上がりまくり、毛利本家に肩を並べた。

280: 名無しさん@1周年 2016/06/27(月) 00:20:41.53 ID:9AYKFpAH0
>>228
そもそも小早川隆景は毛利家裏切って秀吉についたに等しい行動とってるからな
吉川元春とかはそれとは正反対で反秀吉の筆頭で対立してた

そもそも隠居も何も吉川元春は無理やり戦場に引っ張り出されて病死する羽目になるし
関ヶ原での吉川広家の行動の遠因にもなってる

小早川隆景は裏切り者に近くて、薩摩の伊集院一族とかと同類に毛利家家臣なのに
半独立みたいな扱いだったし、養子迎えて本家救ったって聞こえはいいけど

281: 名無しさん@1周年 2016/06/27(月) 00:32:17.61 ID:XQjCbdh40
>>280
そりゃあ毛利家の大本営発表、薩長史観でも、
吉川広家に文句は言っても、広家、吉川家を冷遇しても、
小早川隆景に対して悪口を言わないわけだから、
乗っ取りを防いだのは事実と考えて何の問題もないでしょう。

284: 名無しさん@1周年 2016/06/27(月) 00:51:17.67 ID:XQjCbdh40
>>280
それこそ薩摩藩の大本営発表は、伊集院忠棟に対して、
罵詈雑言を連ねているわけだから。

小早川隆景との差は、一目瞭然です。

353: 名無しさん@1周年 2016/06/27(月) 19:25:31.31 ID:ikwM9Aoc0
>>280
それを置いても小早川隆景は毛利の長老として尊敬された。

不始末の多い当主輝元を堂々ぶち殴れるし
毛利家の家臣からすれば実質的な当主は小早川隆景だったからその人の
意向に逆らえるはずが無く。

100: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 13:15:57.66 ID:7z5+h6ICO
朝鮮征伐の時めちゃくちゃ強かったんだっけ

117: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 13:29:41.42 ID:UlIV9jVG0
>>100
朝鮮の役では軽率な振る舞いと三成と秀吉に怒られて左遷されたし
首を大量に獲ったのも非戦闘員の朝鮮の女子供ばかり
だったという説もある

104: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 13:18:21.49 ID:Tc0Cu37q0
元々、人脈も経緯も東軍寄りだったのに領地と成り行きで西軍になっちゃった一人
戦前からいつ寝返るかと言われていたのに動かなかったことで話をややこしく両軍を疑心暗鬼にさせたんだけど、
結果的には一番良いタイミングで仕掛ける形になった
これが理由だとすると、家康は悪魔と契約してんじゃないかってくらい持ってるなw

105: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 13:18:25.71 ID:EMEQkuUL0
健康の自己管理を徹底できる家康はすごいなと思った
さすが家康は薬学部卒なだけはあるな

112: 名無しさん@1周年 2016/06/26(日) 13:26:37.81 ID:Z3/mxQyu0
うまい物ほど体に悪い
肉、酒、煙草、ラーメン