196: 名無しさん@おーぷん 2016/08/11(木)20:46:08 ID:z75
受け良さそうだし馬謖とかやるか
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1470897759/#

207: 名無しさん@おーぷん 2016/08/11(木)23:54:47 ID:UFV
馬謖…泣いてkillされた山頂布陣の人なイメージしかないけど、イッチの解釈楽しみンゴ

209: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)00:06:22 ID:vSb
良弟謖、字幼常、以荊州從事、隨先主入蜀。

馬良の弟の馬謖は字を幼常といい、荊州従事として先主(劉備)に従って蜀に入った。

※字の法則として伯仲叔季というものがあるンゴ
 それぞれ長男次男三男末っ子を指すンゴ
 兄の馬良が季常なので四男、馬謖は五男だと思われるンゴ
210: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)00:11:42 ID:vSb
除緜竹成都令、越嶲太守。

綿竹・成都令、越嶲太守となった。

※それぞれ益州にある
212: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)00:15:22 ID:vSb
才器過人、好論軍計、丞相諸葛亮深加器異。

才能は人より抜きん出て、軍計を論じることを好み、丞相の諸葛亮はとても才器が深いと感じた。
213: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)00:19:21 ID:zRN
劉備「ほーん」

215: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)00:21:06 ID:vSb
先主臨薨謂亮曰「馬謖、言過其實。不可大用、君其察之」

先主(劉備)が死ぬ際に諸葛亮に言って曰く、「馬謖は言葉が実質を過ぎている(伴っていない)、大事に用いるな、亮よそのことを察してくれ!」

※劉備は馬謖のことを見抜いていたンゴねえ
 まあ、蔣琬やホウ統の件を考えるとプラマイゼロやけどな
217: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)00:25:54 ID:vSb
亮猶謂不然、以謖爲參軍、每引見談論、自晝達夜。

諸葛亮はそれでも馬謖を参軍とし、会うたびに論議して、それは夜にまで及んだ。
218: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)00:26:24 ID:gWQ
>>217
孔明も似たようなタイプやったんやろなあ

221: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)00:29:16 ID:vSb
ここからは裴松之の注や
陳寿の本文の情報が少ないので後世の人が入れた記載だと思ってくれればええ

222: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)00:31:34 ID:vSb
襄陽記曰。建興三年、亮征南中、謖送之數十里。

襄陽記曰く。建興三年、諸葛亮が征南に赴く際、馬謖は数十里これを送った。
226: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)00:35:59 ID:zRN
陳寿のころにはそんなに馬謖の情報がなかったんか?
そこまで昔でもないと思うんやけど

227: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)00:37:29 ID:vSb
>>226
五十年近く離れてるんやで

230: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)00:43:06 ID:zRN
惨敗の詳細は陳寿には確信持って説明できなかったってことかな、サンガツ

231: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)00:46:17 ID:YFa
裴松之の時代ならまだそこそこリアルな情報が語り継がれてるかもしれんけど
資治通鑑とかは何をもって過去の史書と異なる意見を述べてるんやろうな

227: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)00:37:29 ID:vSb
亮曰「雖共謀之?年、今可更惠良規。」

諸葛亮曰く「共謀すること数年であるが、今また良計を提案してくれないか。」
229: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)00:42:56 ID:vSb
謖對曰「南中恃其險遠、不服久矣、雖今日破之、明日復反耳。今公方傾國北伐以事彊賊。彼知官勢??、其叛亦速。

馬謖は答えて曰く、南中は険しく遠く、服従せずに久しくあります。今日これを破ろうとも明日には再び背くでしょう。公(諸葛亮)は国を傾けてまで北伐に向かい強い賊(曹軍)を破ろうとしております。彼らが国を空けることを知ればすぐにでも背くでしょう。
232: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)00:47:41 ID:vSb
若殄盡遺類以除後患、既非仁者之情、且又不可倉卒也。夫用兵之道、攻心爲上、攻城爲下、心戰爲上、兵戰爲下、願公服其心而已。」

もし遺族まで殲滅して後顧の憂いを絶てば、それは仁者とは言えず、またすぐには出来ません。兵を用いることは、心を攻めることを上策とし、城を攻めることを下策とし、心を戦わせることを上策とし、兵を戦わせることを下策とします、どうか心を服従させて下さい。」
233: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)00:50:21 ID:vSb
亮納其策、赦孟獲以服南方。故終亮之世、南方不敢復反。

諸葛亮はその策に納得して孟獲を赦すことをもって南方を服従させた。そのため諸葛亮が死ぬまで南方は再び背かなかった。

※劉冑っていう人物が背いて馬忠や張嶷の活躍で乱を治めている
 この記述の信憑性は少し低いンゴ
236: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)00:53:08 ID:Kpj
信ぴょう性が低いっていうのは他の資料で名前が見つからないとかそういう?

237: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)00:55:07 ID:vSb
>>236
死ぬまで背かなかったと言いながら劉冑という人物が背いた記述が張翼、張嶷、馬忠伝などにあるんや

238: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)00:57:29 ID:Kpj
>>237
ちょっとガバガバすぎませんかね・・・
三国志演義なら許せるが・・・

244: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:04:51 ID:ihF
>>238
魏書「劉備と戦って負けたンゴ、疫病酷かったンゴねぇ……」
蜀書「曹操と戦うって言ったら孫権が周瑜と程普と魯粛貸してくれたンゴ」
呉書「曹操と正面対決して打ち破ってやったわ、劉備もちょっと手伝ったで」

同じ戦でこのくらい記述がバラッバラやからな
同じ人が書いてるのに

239: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)00:58:35 ID:zRN
>>237
ガッバガッバで草

245: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:07:10 ID:vSb
襄陽記書いた人は習鑿歯いうて東晋の人やで
ガバガバなのは多分習鑿歯が正史に沿わず想像で書いたからや

234: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)00:50:53 ID:vSb
ここまでが裴注や

次から本文いくで

241: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:02:11 ID:vSb
建興六年亮出軍、向祁山。

建興六年、諸葛亮は進軍し、祁山へ向かった。

※いわゆる第一次北伐のことやな
243: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:03:26 ID:vSb
時、有宿將魏延、?壹等。論者皆言以爲、宜令爲先鋒。

このとき、宿将に魏延、呉壱(呉懿)らがいた。諸将は皆彼らに命じて先鋒にするように言った。
246: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:07:29 ID:vSb
而亮違衆、拔謖、統大衆在前、與魏將張?戰于街亭。

諸葛亮は諸将と違い馬謖を抜擢し、大軍を統率させて前軍とし、魏の将張?と街亭において戦わせた。
247: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:09:18 ID:vSb
爲郃所破、士卒離散。亮進、無所據、退軍還漢中。

張郃に破られて兵は離散した。諸葛亮は軍を進める場所が無くなり漢中へ撤退した。
248: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:10:45 ID:zRN
あれ記述あっさりなんやな

250: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:14:08 ID:vSb
>>248
三国志は三国演義と違って記述あっさりなんや
ワイも初めて読んだとき簡素すぎてびっくりしたやで

262: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:25:38 ID:zRN
>>255
短くて草

255: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:20:19 ID:vSb
本人の伝に書いてへんでも他人の伝に書いてあることもしばしばあるで

249: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:11:52 ID:vSb
謖、下獄物故、亮爲之流涕。

馬謖は獄中で物故し、諸葛亮は涙を流した。

※物故は劉璋伝曰く動けなくなることらしいで、即ち死や
251: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:15:07 ID:Kpj
あれ、正史だと山登りないの?

252: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:18:49 ID:vSb
>>251
張郃伝より
謖依阻南山、不下據城。

馬謖は険阻な南山により、城によらず。
260: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:24:39 ID:Kpj
>>252
サンガツ
この人が山の上に陣を張った理由ってどこかの資料にのってるの?

263: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:28:10 ID:vSb
>>260
正史には載ってなかったはず
後世の人の推測ならググれば出て来ると思うで

266: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:31:31 ID:Kpj
>>263
明確な資料はないのか
参考になったで サンガツ

256: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:20:56 ID:vSb
寄り道してスマンな
これで最後やで

良死時年三十六、謖年三十九。

馬良は三十六歳で死に、馬謖は三十九歳で死んだ。
257: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:23:07 ID:vSb
馬謖って若武者扱いされるけど意外と歳言ってるんやで

次からは諸葛亮伝の抜粋

259: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:24:14 ID:vSb
亮使馬謖督諸軍在前、與?戰于街亭。謖、違亮節度、舉動失宜、大爲?所破。亮、拔西縣千餘家、還于漢中。戮謖、以謝衆。

諸葛亮は馬謖を諸軍を監督させて前軍とし、張?と街亭で戦わせた。馬謖は命令を違え挙動はまともでなく、張?に大いに破られた。諸葛亮は西県の千余りの家を引き抜いて漢中に帰った。諸葛亮は馬謖を殺して諸将に謝罪した。

※これが有名な泣いて馬謖を斬るやで
265: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:29:23 ID:zRN
>>263
挙動はまともではないってどんな負け方したんやろってレベルやなぁ

267: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:33:57 ID:vSb
舉動失宜の訳の部分やな、大げさに訳しすぎたかもしれへん
宜がよろしいって意味やから挙動がよろしさを失っていたくらいでええかも

269: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:35:33 ID:zRN
>>267
普通に負けた感が増してしまったンゴねぇ…
そこが馬謖の限界やったんやな

264: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:29:06 ID:vSb
朗素與馬謖善、謖逃亡、朗知情不舉。
ちな向朗伝の記述

向朗は平素より馬謖と仲が良く、馬謖が逃亡した際、向朗は知ってて情報を(諸葛亮に)提供しなかった。

※馬謖は実は逃亡したんやで
 斬られて残当
268: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:34:15 ID:zRN
>>264
撤退じゃなくて逃亡なのか、死罪待ったなし

270: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:36:35 ID:vSb
これで全部終わりや

280: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:55:23 ID:zRN
乙やで、次も楽しみにしとる

284: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)01:58:28 ID:Kpj
とりあえず乙やで
原文見る機会なんてめったにないから楽しかったわ