再来年の大河「西郷どん」で原作者か脚本家がボーイズラブを描くとかコメントしたそうで反響を呼んでいる。もちろん否定的な意見が多そうだ。ドラマの本筋ではないから、先が思いやられるのもたしかである。もっとも、ありえない話かといえばそうでもない。西郷にはその類いの話が残っている。
— 桐野作人(@kirinosakujin)Wed Nov 02 13:21:14 +0000 2016
http://tihourekisimatome.blog.jp/archives/1062169620.html
承前)慶応3年(1867)、西郷が四侯会議(久光・春嶽・容堂・宗城)の根回しのため、土佐を訪れたとき、坂本龍馬の本家にあたる才谷屋に宿泊した。そのとき、同家の息子が「水もしたたる源三郎」という美少年だった。西郷が連れて帰りたいと申し出たので、才谷屋も断るのに往生したという。
— 桐野作人(@kirinosakujin)Wed Nov 02 13:25:23 +0000 2016
いかん。反響が大きすぎる。火に油を注いだかもしれない(爆)。薩摩の衆道は有名だが、原点はやはり戦国時代、「無双の美童」と呼ばれた平田三五郎だろう。三五郎は庄内の乱で、相方の吉田大蔵とともに壮烈な戦死。時代が下って似たような事例は城山で戦死した桐野利秋か。
— 桐野作人(@kirinosakujin)Wed Nov 02 13:40:14 +0000 2016
@kirinosakujin 桐野先生、衆道とBLは似て非なるものなのです。
— 暁のうた(@hitomaroaka)Wed Nov 02 13:45:01 +0000 2016
@hitomaroaka 詳しくないのですが、私も何となく違うのではと思っています。薩摩の衆道はどちらかというと、年長者と年少者の保護・被保護(もっといえば、支配と被支配の関係)というような関係かと。
— 桐野作人(@kirinosakujin)Wed Nov 02 13:55:27 +0000 2016
島津の男色話(お稚児とか)、本を読んでいると、出て来るのだが、資料的には、どういった(記述された)物が存在しているのだろうか? twitter.com/kirinosakujin/…
— ・3・{はにゅ(@Hanyu_craft)Wed Nov 02 14:01:03 +0000 2016
意外と一次史料があったりします。戦国と明治が比較的多いような。戦国だと、島津義久に近衛前久が美少年を紹介した書状とか。また義久の寝所から美童の取次が出てきたとか。 twitter.com/Hanyu_craft/st…
— 桐野作人(@kirinosakujin)Wed Nov 02 14:06:06 +0000 2016
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