
1: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:28:18 ID:Yl6
ようこそ、ここはワイが淡々と正史三国志について意訳と解説するスレや
暇やったら見て行ってクレメンス
暇やったら見て行ってクレメンス
2: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:29:52 ID:Yl6
始めるで、何かあったらどんどん意見言ってな
關羽、字雲長、本字長生、河東解人也。亡命、奔涿郡。
関羽は字を雲長、元の字を長生といい、河東郡解県の人である。亡命し、涿郡に身を寄せた。
關羽、字雲長、本字長生、河東解人也。亡命、奔涿郡。
関羽は字を雲長、元の字を長生といい、河東郡解県の人である。亡命し、涿郡に身を寄せた。
7: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:32:15 ID:mey
亡命ってどういうことなんやろ
犯罪者やったんやろか
犯罪者やったんやろか
8: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:39:57 ID:L6J
>>7
罪を犯して郷里の戸籍から外れ、逃亡する事
江戸時代の無宿人のイメージに近い
罪を犯して郷里の戸籍から外れ、逃亡する事
江戸時代の無宿人のイメージに近い
9: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:41:29 ID:mey
>>8
ろくでも無いやつではあったんやね
演技のイメージで清廉な印象しか無いけど
ろくでも無いやつではあったんやね
演技のイメージで清廉な印象しか無いけど
12: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:44:27 ID:L6J
>>9
民衆のために塩を密売してたとか後世の後付け設定は色々あるけど
なぜ亡命したかはまったくの謎
大事なのは何を成したかやし、どうでもええと思う
民衆のために塩を密売してたとか後世の後付け設定は色々あるけど
なぜ亡命したかはまったくの謎
大事なのは何を成したかやし、どうでもええと思う
4: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:30:58 ID:Yl6
先主於鄉里合徒衆、而羽與張飛爲之禦侮。
劉備が郷里で徒党を組んだとき、関羽は張飛と共に護衛役となった。
劉備が郷里で徒党を組んだとき、関羽は張飛と共に護衛役となった。
18: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:46:23 ID:Fzn
劉備と会うまでのことは何もわからんのか
21: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:47:50 ID:Yl6
>>18
意外やけど全くわかってない
意外やけど全くわかってない
15: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:45:08 ID:Yl6
先主爲平原相、以羽飛爲別部司馬、分統部曲。先主與二人寢則同牀、恩若兄弟。而稠人廣坐、侍立終日、隨先主周旋、不避艱險。
劉備が平原の相となると関羽と張飛は別部司馬となり部隊を統率した。劉備と二人は寝るところを共にし、恩情は兄弟のようであった。しかし、人の居る場所では、劉備は二人を終日侍らせ、二人は劉備に随行すれば、危険を顧みなかった。
劉備が平原の相となると関羽と張飛は別部司馬となり部隊を統率した。劉備と二人は寝るところを共にし、恩情は兄弟のようであった。しかし、人の居る場所では、劉備は二人を終日侍らせ、二人は劉備に随行すれば、危険を顧みなかった。
23: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:48:39 ID:QqW
ぜってえ3Pしてるわ
17: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:45:56 ID:Yl6
先主之襲殺徐州刺史車冑、使羽守下邳城、行太守事、而身還小沛。
劉備が徐州刺史車冑を殺害したとき、関羽に下邳城を守らせ、太守の仕事を行わせ、自らは小沛に帰った。
劉備が徐州刺史車冑を殺害したとき、関羽に下邳城を守らせ、太守の仕事を行わせ、自らは小沛に帰った。
19: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:46:28 ID:mey
太守の仕事をやらせたってことは読み書きは出来たんやろな
21: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:47:50 ID:Yl6
>>19
春秋左氏伝読めたらしいから確実に出来たと思われる
春秋左氏伝読めたらしいから確実に出来たと思われる
22: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:48:13 ID:Yl6
建安五年曹公東征、先主奔袁紹。曹公禽羽、以歸、拜爲偏將軍、禮之甚厚。
建安五年(200年)、曹操は東征を行い、劉備は袁紹の元へ落ち延びた。曹操は関羽を捕らえ、帰ると、偏将軍に任命し、礼遇すること甚だ厚かった。
建安五年(200年)、曹操は東征を行い、劉備は袁紹の元へ落ち延びた。曹操は関羽を捕らえ、帰ると、偏将軍に任命し、礼遇すること甚だ厚かった。
24: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:49:03 ID:mey
出た、曹操の実らぬ恋が
25: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:49:10 ID:Yl6
紹遣大將軍顏良、攻東郡太守劉延於白馬。曹公、使張遼及羽、爲先鋒擊之。
袁紹は大将軍顔良を遣わして、東郡太守劉延を白馬にて攻めた。曹操は張遼と関羽を先鋒として迎え撃った。
袁紹は大将軍顔良を遣わして、東郡太守劉延を白馬にて攻めた。曹操は張遼と関羽を先鋒として迎え撃った。
26: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:50:08 ID:Yl6
羽、望見良麾蓋、策馬刺良於萬衆之中、斬其首還。紹諸將莫能當者、遂解白馬圍。曹公卽表、封羽爲漢壽亭侯。
関羽は顔良の旗と車を見つけると、万人の中で馬を向かわせ顔良を刺し、その首を斬って帰った。袁紹の諸将は当たろうとするものもおらず、かくして白馬の囲みは解かれた。曹操は即座に表彰して、関羽を漢寿亭公に任命した。
関羽は顔良の旗と車を見つけると、万人の中で馬を向かわせ顔良を刺し、その首を斬って帰った。袁紹の諸将は当たろうとするものもおらず、かくして白馬の囲みは解かれた。曹操は即座に表彰して、関羽を漢寿亭公に任命した。
28: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:52:34 ID:Yl6
関羽にやられたのは顔良だけで文醜は倒してないんやで
30: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:53:31 ID:mey
亭侯に封ぜられてるのが凄い
曹操陣営の譜代格の連中でもそう簡単に叙爵されてへんやろ
曹操陣営の譜代格の連中でもそう簡単に叙爵されてへんやろ
46: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:02:25 ID:L6J
>>30
亭侯は食邑として与えられる土地が十里程度なので戸数は少なく名誉職程度やね
亭侯は食邑として与えられる土地が十里程度なので戸数は少なく名誉職程度やね
51: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:03:40 ID:mey
>>46
あ、そうなんか…
あ、そうなんか…
28: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:52:34 ID:Yl6
初、曹公、壯羽爲人、而察其心神無久留之意
初めは、曹操は関羽を壮士だと思っていたが、その心中に久しく留まる意志は無いと察すると
31: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:53:52 ID:Yl6初めは、曹操は関羽を壮士だと思っていたが、その心中に久しく留まる意志は無いと察すると
謂張遼曰「卿、試以情問之」既而遼以問羽
張遼に言って曰く「張遼よ、試しに関羽の心情を問うてみてくれまいか。」既に張遼は関羽に問うており
張遼に言って曰く「張遼よ、試しに関羽の心情を問うてみてくれまいか。」既に張遼は関羽に問うており
32: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:54:12 ID:Yl6
羽歎曰「吾極知曹公待我厚。然、吾受劉將軍厚恩、誓以共死、不可背之。吾終不留。吾要當立效以報曹公乃去」
関羽は嘆いて曰く「私は曹操殿が厚遇してくださるのをよく知っておる。然れども私は劉備殿にも厚恩を受け、生死を共に誓い、それに背くわけにはいかない。私はずっと留まるつもりはない。功を立ててから曹操殿の元を去るつもりだ。」
関羽は嘆いて曰く「私は曹操殿が厚遇してくださるのをよく知っておる。然れども私は劉備殿にも厚恩を受け、生死を共に誓い、それに背くわけにはいかない。私はずっと留まるつもりはない。功を立ててから曹操殿の元を去るつもりだ。」
33: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:55:00 ID:Yl6
遼以羽言報曹公、曹公義之。及羽殺顏良、曹公知其必去、重加賞賜。
張遼は関羽の言葉を曹操に報告すると、曹操はこれを義があるとした。関羽が顔良を殺すに及んで、曹操は関羽が必ず去るだろうと知り、恩賞を増加した。
張遼は関羽の言葉を曹操に報告すると、曹操はこれを義があるとした。関羽が顔良を殺すに及んで、曹操は関羽が必ず去るだろうと知り、恩賞を増加した。
34: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:55:28 ID:Yl6
羽、盡封其所賜、拜書告辭、而奔先主於袁軍。左右欲追之、曹公曰「彼各爲其主、勿追也。」
関羽は受け取ったものを封じて手紙で以て別れを告げ、袁紹軍の劉備の元へ赴いた。周りの者は追いたいと願ったが、曹操曰く「関羽も各々も主のために行動するのだ、追ってはならぬ。」
関羽は受け取ったものを封じて手紙で以て別れを告げ、袁紹軍の劉備の元へ赴いた。周りの者は追いたいと願ったが、曹操曰く「関羽も各々も主のために行動するのだ、追ってはならぬ。」
35: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:56:01 ID:Yl6
ここの曹操は度量があってかっこいいンゴねぇ
36: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:56:31 ID:Yl6
※あまり活躍しないので中略
先主西定益州、拜羽董督荊州事。
劉備が益州を平定すると関羽に荊州を統治させた。
先主西定益州、拜羽董督荊州事。
劉備が益州を平定すると関羽に荊州を統治させた。
37: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:57:10 ID:mey
何で曹操は見逃したんやろ
本当に関羽の忠義に感じ入ったんやろか
本当に関羽の忠義に感じ入ったんやろか
38: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:57:42 ID:Yl6
>>37
正史では不明やな
もしかしたらそうかもしれへんね
正史では不明やな
もしかしたらそうかもしれへんね
39: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:58:14 ID:Yl6
羽聞、馬超來降。舊非故人、羽書與諸葛亮、問超人才可誰比類。
関羽は馬超が降伏したのを聞いた。元来の知人ではないため、関羽は諸葛亮に書を送り馬超の才能について誰に匹敵するか問うた。
関羽は馬超が降伏したのを聞いた。元来の知人ではないため、関羽は諸葛亮に書を送り馬超の才能について誰に匹敵するか問うた。
40: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:58:46 ID:mey
>>39
諸葛亮のことは認めてたんだよなぁ、関羽は
諸葛亮のことは認めてたんだよなぁ、関羽は
41: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)22:59:32 ID:Yl6
亮、知羽護前、乃答之曰「孟起、兼資文武、雄烈過人、一世之傑、黥彭之徒。當與益德並驅爭先、猶未及髯之絕倫、逸羣也」
諸葛亮は関羽がプライドが高いのを知っていたため、答えて曰く「孟起は文武を兼ね備え、猛々しさは人を超え、一世の傑物であり、黥布の如きである。益徳と争うべき相手であるが、髯殿の群集を逸していることにはなお及びません。」
諸葛亮は関羽がプライドが高いのを知っていたため、答えて曰く「孟起は文武を兼ね備え、猛々しさは人を超え、一世の傑物であり、黥布の如きである。益徳と争うべき相手であるが、髯殿の群集を逸していることにはなお及びません。」
42: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:00:30 ID:7Qy
>>41
意外と小物な関羽さん
意外と小物な関羽さん
43: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:01:06 ID:Yl6
黥布っていうのは前漢の高祖・劉邦に仕えていた猛将のこと
>>42
小物感バリバリやぞ
>>42
小物感バリバリやぞ
44: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:01:37 ID:Yl6
羽美鬚髯、故亮謂之髯。羽省書大悅、以示賓客。
関羽は美しい髯をしていたので諸葛亮は髯殿といったのである。関羽は手紙を見て大いに喜び、客人に手紙を見せびらかした。
関羽は美しい髯をしていたので諸葛亮は髯殿といったのである。関羽は手紙を見て大いに喜び、客人に手紙を見せびらかした。
45: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:02:10 ID:Yl6
羽、嘗爲流矢所中、貫其左臂。後創雖愈、每至陰雨、骨常疼痛。
関羽はかつて流れ矢に当たり、左腕を貫通された。後にその傷は癒えたが、雨が降るたびに骨が痛んだ。
関羽はかつて流れ矢に当たり、左腕を貫通された。後にその傷は癒えたが、雨が降るたびに骨が痛んだ。
48: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:02:57 ID:7Qy
>>45
癒えてないやんww
癒えてないやんww
50: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:03:34 ID:QqW
>>48
左手の封印がうずくみたいなもんやろ(適当)
左手の封印がうずくみたいなもんやろ(適当)
47: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:02:34 ID:RCe
関羽は演技とのギャップがでかいよなぁ
49: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:03:33 ID:Yl6
醫曰「矢鏃有毒、毒入于骨。當破臂作創、刮骨去毒、然後此患乃除耳」羽便伸臂、令醫劈之。
医者が言うには「矢じりに毒があり、骨に入ったのでしょう。腕を切り傷を作り、骨を削って毒を出せば、その後必ずこの患いは除かれましょう。」関羽は腕を伸ばし医者に斬らせた。
医者が言うには「矢じりに毒があり、骨に入ったのでしょう。腕を切り傷を作り、骨を削って毒を出せば、その後必ずこの患いは除かれましょう。」関羽は腕を伸ばし医者に斬らせた。
59: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:07:42 ID:PlD
>>49
古代史には珍しい具体的な外科医療?
古代史には珍しい具体的な外科医療?
52: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:04:02 ID:Yl6
時羽適請諸將飲食相對、臂血流離、盈於盤器。而羽割炙引酒、言笑自若。
そのとき関羽は諸将を呼んで食事をしており、血は腕から流れ、器に満ちていた。しかし、関羽は炙り肉を食べ酒を飲み、言葉は笑っていた。
そのとき関羽は諸将を呼んで食事をしており、血は腕から流れ、器に満ちていた。しかし、関羽は炙り肉を食べ酒を飲み、言葉は笑っていた。
53: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:04:34 ID:Yl6
二十四年、先主爲漢中王、拜羽爲前將軍、假節鉞。
二十四年(219年)、劉備は漢中王になり、関羽は前将軍となり、假節鉞を拝した。
二十四年(219年)、劉備は漢中王になり、関羽は前将軍となり、假節鉞を拝した。
55: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:06:06 ID:Yl6
是歲、羽率衆、攻曹仁於樊。曹公遣于禁、助仁。秋、大霖雨、漢水汎溢。禁所督七軍、皆沒。禁降羽、羽又斬將軍龐悳。
この年、関羽は衆を率いて樊城にて曹仁を攻めた。曹操は于禁を遣わして曹仁を助けさせた。秋に大雨が降り、漢水が氾濫した。于禁の七軍は皆水没した。于禁は関羽に降伏し、また関羽は将軍龐悳を斬った。
この年、関羽は衆を率いて樊城にて曹仁を攻めた。曹操は于禁を遣わして曹仁を助けさせた。秋に大雨が降り、漢水が氾濫した。于禁の七軍は皆水没した。于禁は関羽に降伏し、また関羽は将軍龐悳を斬った。
58: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:07:14 ID:7Qy
>>55
于禁の命乞いは演義?
于禁の命乞いは演義?
60: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:08:06 ID:Yl6
>>58
正史にもあるで
正史にもあるで
56: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:06:48 ID:Yl6
演義やと関羽が水没させたことになっとるが正史だと偶然溺れたみたいやな
57: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:07:11 ID:Yl6
梁郟、陸渾、羣盜或遙受羽印號、爲之支黨。羽威、震華夏。曹公、議徙許都以避其銳。
梁郟、陸渾ら盗賊の中には関羽から印綬を受け、関羽を支持したものもいた。関羽の威は華夏(?)を震撼させた。曹操は議論して許昌を移してその攻撃を避けようとした。
梁郟、陸渾ら盗賊の中には関羽から印綬を受け、関羽を支持したものもいた。関羽の威は華夏(?)を震撼させた。曹操は議論して許昌を移してその攻撃を避けようとした。
60: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:08:06 ID:Yl6
華夏が不明なんでわかる人教えてクレメンス
74: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:14:43 ID:RCe
>>60
これやないか?
かか【華夏】
〔「華」は文華,「夏」は大の意〕
①
中国人が自らの国を誇っていう語。中国。
②
文化の開けた地。都。京都。 「 愷悌がいていして-に帰り/古事記 序訓」
これやないか?
かか【華夏】
〔「華」は文華,「夏」は大の意〕
①
中国人が自らの国を誇っていう語。中国。
②
文化の開けた地。都。京都。 「 愷悌がいていして-に帰り/古事記 序訓」
75: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:14:48 ID:L6J
>>57
華夏=中華
ここでは魏の事
夏ってのは中国の意味となる雅言
なので西夏が出来た時宋と揉めた
華夏=中華
ここでは魏の事
夏ってのは中国の意味となる雅言
なので西夏が出来た時宋と揉めた
76: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:15:28 ID:Yl6
>>74>>75
サンガツ
そのまま魏を震撼させたでええっぽいね
サンガツ
そのまま魏を震撼させたでええっぽいね
62: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:08:54 ID:mey
唐突に名前が出てくる盗賊は何者なんやろ
65: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:10:34 ID:Yl6
>>62
正史やとそこしか記述あらへんって武将も多いんやで
正史やとそこしか記述あらへんって武将も多いんやで
63: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:09:21 ID:Yl6
司馬宣王、蔣濟以爲「關羽得志、孫權必不願也。可遣人勸權躡其後、許割江南以封權。則樊圍自解」曹公從之。
司馬懿と蒋済は「関羽が成功するのを孫権は願っていないでしょう。人を遣わして孫権に背後を襲わせ、江南に孫権を封じるのを許すのです。必ず樊城の包囲は解けるでしょう。」曹操はこれに従った。
司馬懿と蒋済は「関羽が成功するのを孫権は願っていないでしょう。人を遣わして孫権に背後を襲わせ、江南に孫権を封じるのを許すのです。必ず樊城の包囲は解けるでしょう。」曹操はこれに従った。
66: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:11:09 ID:Yl6
先是、權遣使、爲子索羽女。羽、罵辱其使、不許婚。權大怒。
これより先、孫権は関羽の娘を自分の子供と結婚させようとしたが、関羽は、使者を罵り、結婚を許さなかった。孫権は大いに怒った。
これより先、孫権は関羽の娘を自分の子供と結婚させようとしたが、関羽は、使者を罵り、結婚を許さなかった。孫権は大いに怒った。
67: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:11:38 ID:RCe
>>66
犬にやれるか!
犬にやれるか!
70: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:12:24 ID:7Qy
関羽って娘いたのか
69: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:12:06 ID:Yl6
又、南郡太守麋芳在江陵、將軍傅士仁屯公安、素皆嫌羽自輕己。羽之出軍、芳仁供給軍資、不悉相救。羽言「還、當治之」芳仁咸懷懼不安。
また、南郡太守麋芳が江陵、士仁が公安に居る時、二人とも関羽が己を軽んじていると嫌っていた。関羽が軍を出すとき、麋芳と士仁は軍事物資を供給したが、助け合うことに全力ではなかった。関羽は「帰ったら、これを治めよう」と言い、麋芳と士仁は恐れを感じて安心出来なかった。
また、南郡太守麋芳が江陵、士仁が公安に居る時、二人とも関羽が己を軽んじていると嫌っていた。関羽が軍を出すとき、麋芳と士仁は軍事物資を供給したが、助け合うことに全力ではなかった。関羽は「帰ったら、これを治めよう」と言い、麋芳と士仁は恐れを感じて安心出来なかった。
71: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:13:21 ID:Yl6
於是、權、陰誘芳仁。芳仁、使人迎權。而曹公遣徐晃、救曹仁。
これにおいて、孫権は密かに麋芳と士仁を誘った。麋芳と士仁は人を遣わして孫権を迎え入れた。曹操は徐晃を遣わして、曹仁を救出させた。
これにおいて、孫権は密かに麋芳と士仁を誘った。麋芳と士仁は人を遣わして孫権を迎え入れた。曹操は徐晃を遣わして、曹仁を救出させた。
72: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:13:55 ID:Yl6
羽、不能克、引軍退還。權、已據江陵、盡虜羽士衆妻子、羽軍遂散。權、遣將逆擊羽、斬羽及子平于臨沮。
関羽は勝てず、軍を引き返した。孫権は既に江陵に寄って関羽の兵士の妻子を捕らえおり、関羽軍は遂に離散した。孫権は将を遣わして逆に関羽を討ち、臨沮において関羽とその子関平を斬った。
関羽は勝てず、軍を引き返した。孫権は既に江陵に寄って関羽の兵士の妻子を捕らえおり、関羽軍は遂に離散した。孫権は将を遣わして逆に関羽を討ち、臨沮において関羽とその子関平を斬った。
73: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:14:22 ID:Yl6
追諡羽曰壯繆侯。
壮繆侯と諡された。
壮繆侯と諡された。
77: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:16:35 ID:Yl6
本文はこれで終わりや
見てくれた人サンガツ
質問等あれば答えるで
見てくれた人サンガツ
質問等あれば答えるで
81: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:19:49 ID:L6J
>>77
乙やで
乙やで
78: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:16:58 ID:mey
関平もここで名前しか出てこないんだよなぁ
82: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:20:30 ID:mey
よくも悪くも正史は簡潔やね
84: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:21:26 ID:Yl6
>>82
あくまで歴史書やから簡潔なんや
あくまで歴史書やから簡潔なんや
88: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:27:15 ID:L6J
>>82
当時は竹簡に書いてたからね
以下に簡潔に要点を書くか
三国志だけでも竹簡なら部屋いっぱいになるでよ

当時は竹簡に書いてたからね
以下に簡潔に要点を書くか
三国志だけでも竹簡なら部屋いっぱいになるでよ

83: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:20:49 ID:5qO
読んでで楽しかったで
乙や
乙や
87: 名無しさん@おーぷん 2016/10/12(水)23:25:53 ID:PlD
乙やで
他の歴史書にくらべても三国志は簡潔明瞭
編者のポリシーなんやろな
他の歴史書にくらべても三国志は簡潔明瞭
編者のポリシーなんやろな
コメント
コメント一覧
くすりと笑える
他の人の伝でやたらと撃破される関羽さんじゃないか!!
いや、強いし一武将の癖に他の人の伝によく登場するのも大きさの表れ・・・
劉備が事細かに書かれているから、二人に関する記録を陳寿が知らない訳はないんだけど。
或いは劉備の伝の大半が創作なのかな。
そもそも関張に限らず古参連中が簡潔すぎる
だからこの辺はぱぱっと終わらせて他のやつ行くで
くらいの感覚だったのかも知れん
おかげで後の時代になっていろいろわかんない部分ができたと
つまり正史に将軍傅士仁と書いてあったのを傅士仁が名前だと勘違いしちゃったんだな
出自が卑しすぎて、記録なんか残ってなかったのを、拾い集めてもこれで精一杯というところでは?
劉備の部下に婚姻政策って孫権も随分へりくだったんだな
呉との外交を大事にしてたらもう少し上手くいったろうか
それだと漢中がすぐガタガタしたろうか
よくこれを言う奴いるけど
楽進伝、李通伝、文聘伝どれも
関羽を撃、討などと書かれてるが、破とは書いてないんだけどな
撃も討も攻撃を加えると言う意味で、結果は別であって
だから撃破、討破で初めて破ったことになる
撃~不利、討~敗なんて記述もあるから、逆のケースもある
于禁軍やホウ徳軍との戦いの記述が簡素なように思えますかね。
于禁伝では、「関羽に大船で攻撃されたので降伏した。」
ホウ徳伝では、「関羽に大船で攻撃され、夜明けから日暮れ近くまで戦い抜き、
関羽軍は矢を大量に放ち、ホウ徳軍も応戦し、その後で白兵戦になり、
最終的に小舟で脱出しようとしたけれど、捕らえられた。」
的に書いてありますから、どちらも関羽軍が洪水の中においても、
水軍で攻撃してきたり、激しい戦闘を行った結果として、降伏したり、
あるいは捕らえられたりしておりますのに、関羽伝だと簡素な感じですから、
まるで洪水で水没した于禁軍やホウ徳軍が自発的に降伏したり、
ろくに戦わずに捕らえられたりしたように、関羽伝だけだと読んだ人に
考慮されてしまいそうにも思うのですけれど、
主役のいい所を書くのが基本の紀伝体ですのに、
少々、不可思議なる感じのようにも思われたりしますかね。
もし、※13の人が書いている事が正しいのでしたら、
関羽は各地で相手側よりも寡兵の兵力を率いて侵攻しながら、
互角にわたりあったりしていた、という事になり、
当時からの豪将としての評価も、
「名将」と魏側からも評価されている事とかも、
色々と了解がしやすくなったりもするように思われますかね。
確かにその通りですね。これの要因としましては、
1.陳寿自身が何度も三国志の中において書いている、
蜀関連人物の「事績散逸」によるものか、、
2.あるいは「基本的には他の伝で書かれた事は、重複しないようにする。」
という陳寿の基本スタンスによるものか、
(ただ、それだと魏書の方が蜀書よりも先に書かれた事になりそうですかね。)
3.陳寿自身が蜀出身だから、なるべく贔屓してると思われないように、
簡素に書いた事によるものか、
(ただ、それでも曹操の魏王就任の記述が凄く簡素なのに対し、
劉備の漢中王即位において、それに使われた檄文まで載せていて、
熱の入りようが明らかに違うとか、色々言われたりしてますけれどね。)
4.陳寿自身が、魏から禅譲された晋に仕えた事から、
その立場的に色々と気を使って、蜀関連の事は簡素に書い事によるものか、
(ただ、それでも春秋の筆法、を使って、直接書かずに簡素に書いてあっても、
言外にわかるようにしている、と言う意見もありますけれどね。)
5.あるいは1から4までの理由の複合によるものか、
といったところなのでしょうかね。