秀吉を「はげねずみ」と呼んだ信長が「黒鼠」と呼ばれていた? yomiuri.co.jp/local/aichi/ne…
— 桐野作人(@kirinosakujin)Thu Feb 02 00:00:02 +0000 2017
@kirinosakujin 何と。
— 豊葦原 瑞穂(@m_toyoasihara)Thu Feb 02 00:12:20 +0000 2017
同時代人の信長評として、実に興味深いでござる。
秀吉を「禿鼠」と呼んでいた信長が「黒鼠」呼ばわりされていたとはのぉ。
髪の毛がフサフサと黒かったとか(^_^)?
僧 信長を「黒鼠」…豊橋・寺の古文書に : 読売新聞
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— 日々徒然〜ぶらりBURARIボーイ〜(@BlogBurari)Thu Feb 02 03:05:25 +0000 2017
鼠は経典を齧るから仏敵信長にはふさわしいかも twitter.com/BlogBurari/sta…
— 樂々(@raktei)Thu Feb 02 06:29:16 +0000 2017
>RT「鼠」というのは、経典を食い荒らす所業から、仏敵を謗る言葉として使われていたはず。信長擁護派は、特定の宗教を敵視する事は無かったと言うが、逆に仏教側からは万遍なく嫌われていたのでないかな。どっちの言い分についても、善し悪しは別として。
— ドンじょぶお(@urakkun26)Wed Feb 01 22:45:48 +0000 2017
>集雲守藤(別号・江湖散人)という僧の作で1582年6、7月に起きた出来事が書かれている:
別名から見て書いたのは近江の人ですね。近江は安土城建設の時、一国課役で相当むしり取られたフシがあるのでこの思いは解らなくもない
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— まとめ管理人(@1059kanri)Thu Feb 02 00:22:29 +0000 2017
@1059kanri ビンゴですな。近江出身の臨済宗の僧、東福寺の住持で「藤長老」とも呼ばれたそうで。かの文英清韓とも交流があった模様。
— ののまる(@nonomaru116)Thu Feb 02 00:29:03 +0000 2017
大和検地にしろ安土普請にしろ、寺院の既得権を絞りにかかれば等しく仏敵法難扱いだしな。万遍なく嫌われてるイメージはそんなに外れてないか。
— ドンじょぶお(@urakkun26)Thu Feb 02 01:15:47 +0000 2017
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黒はどこからきたんだろう?
幕末の公家も「黒豆」と呼ばれた人がいて、その人は剣術が趣味で顔が黒かったらしいから。
反対に、主家に忠実な雇い人、特に番頭のことを「白鼠」と言うらしい。
信長の時代にも同じ意味で使われてたかどうかはしらんけど。