572: 名無しさん@おーぷん 2016/05/09(月)01:16:24 ID:Yuv
楚成王編
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1454959392/

573: 名無しさん@おーぷん 2016/05/09(月)01:18:26 ID:Yuv
前678年
楚都郢


彡(゚)(゚)「ワイは惲。ワイのパッパ(●゚◇゚●)は2代目の楚王や。」

彡(^)(^)「楚の主はジッジの代から王様を名乗っとる。こう見えてもワイは王子様なんやで!!」

彡(^)(^)「後継ぎはアニキ(*^◯^*)に決まっとるから、ワイが王様ンなることは多分ないやろけど、まあ王子様でも充分やな!!」

彡(^)(^)「将来は重臣になって人生安泰や!!大満足ンゴ!!」


彡(゚)(゚)「そういえばパッパは今日は鄧を攻めに行った。」

彡(゚)(゚)「戦続きでパッパも大変やな…」


楚では、前690年に武王が崩じた後、子の貲が後を継いだ。これが文王である。
文王は武王の拡張路線を引き継ぎ、前688年に申、前680年に息、前678年に鄧をそれぞれ滅ぼした。
なかでも申と息は精兵の産地として知られ、ここを抑えたことで楚の軍事力は一層強化されたのである。
そして、文王には艱と惲という二人の子がおり、艱が後継ぎと決まっていた。
惲はいずれは臣籍に下り、兄とその子孫に仕える予定だったのだろう。

574: 名無しさん@おーぷん 2016/05/09(月)01:19:40 ID:Yuv
前676年
楚都


(●゚◇゚●)「なに!?巴が叛いたのか!?」 ←文王

閻敖「はい。私の居城は巴の大軍に攻められ、恥ずかしながら逃げて参りました…」

閻敖「ここにも巴の軍が迫っております!はやく守りを固めねばなりません!!」


(●゚◇゚●)「よしわかった。すぐに準備させよう。」

(●^◇^●)「よく知らせてくれた。礼を言うぞ。」


(●^◇^●)「ただね…」スッ


閻敖(??)


(●^◇゚●)「…無能は消えろよ。」キラッ


ズシャアッ


閻敖「グハッ!?」バタッ



この年、楚の盟下にあった巴という国が突如叛き、楚の那処という城を攻めた。
攻められた那処の城主の閻敖は防ぎきれず、城を単身脱出して川を泳ぎ、楚都に逃げ込んだ。
すると、文王は怒り、なんと閻敖を処刑してしまう。
かつて武王が羅での敗戦を一切咎めなかったのとは大した違いである。

ちなみにこの年、晋では献公が即位している。

575: 名無しさん@おーぷん 2016/05/09(月)01:20:33 ID:Yuv
(●゚◇゚●)「急いで巴軍に備えろ!!」


ワーワーワーワー


(●゚◇゚●)「ん?何の騒ぎだ?」


(*^◯^*)「お父さん!!大変なんだ!!」 ←艱

(*^◯^*)「閻敖の一族が叛乱を起こしたんだ!!」


(●火◇火●)「なんだとお!!!こなクソが!!」

(●火◇火●)「全くこの忙しい時に!!巴軍はもうすぐそこまできてるんだぞ!!」

(●火◇火●)「今すぐ鎮圧だ!!!皆殺しにしろ!!!」


巴軍と戦う準備を進めた文王だったが、突如重大な危機に陥った。
理不尽な処刑に怒った閻敖の一族が、叛乱を起こしたのである。
これを鎮圧するのに文王は手間取り、その間に巴軍は楚の奥深く侵攻した。

576: 名無しさん@おーぷん 2016/05/09(月)01:21:38 ID:Yuv
前675年
楚の地・津


(●火◇火●)「巴軍め!!来やがったな!!」

(●火◇火●)「やっと叛乱収めて出撃できたんだ!!巴軍なんか一撃で粉砕してやれ!!」

(●火◇火●)「行くぞ!!全軍突撃!!!」

子元松「はっ!!」


ワーワーワーワー


(●火◇火●)「こらっ!!お前らなにをしている!!退がるな!!退がるな!!」

(●火◇火●)「退がる者は斬るぞ!!進めって言ってんだろうが!!」

子元松「…王…この戦どうやら負けみたいだぞ…早く逃げた方がいいんだぞ……」

(●火◇火●)「そんな…なんで…」


(●炎◇炎●)「ちくしょおおおおおおおおおおおお!!!!クソッタレがああああああああ!!!!!」


翌前675年、ようやく乱を収めて出撃した文王だったが、津で巴軍と衝突・大敗した。
叛乱のせいで大軍を動員できず、兵の士気も下がっていたのであろう。

子元は文王の弟である。

577: 名無しさん@おーぷん 2016/05/09(月)01:22:51 ID:Yuv
楚都城門


(●炎◇炎●)「クソおおおおおお!!クソがああああああああ!!」

子元松「王…どうか落ち着いてほしいんだぞ…もう都に帰ってきたんだぞ…」


子元松「…あれ?城門が閉まってるぞ?」

(●炎◇炎●)「なんだとおおおおお!!!門番はだれじゃああああああ!!!」

子元松「門番は鬻(イク)拳とかいうやつですぞ。」

(●炎◇炎●)「鬻拳やとおおおおお!!!早く門を開けろおおおおおおおお!!!!」


シーン


(●炎◇炎●)「シカトこいてんじゃねえぞおおおおおお!!!このうんこダルマ野郎がああああああ!!」


シーン


(●炎◇炎●)「意地でも開けねえつもりかああああああ!!!」

(●炎◇炎●)「こうなったら入城はやめだああああああ!!このまま黄に攻め込むぞおおおおおお!!!」

子元松「ファッ!!??」


鬻拳 ニヤッ


大敗した文王が都に引き返すと、なぜか城門が閉まっていた。
これは門番の鬻拳の独特の諫めであった。楚王が負けて帰るなどみっともない、というわけである。
鬻拳は、かつて別件で文王を諫めた際、剣で文王を脅迫し強引に聞き入れさせておいて、その場で自分の足を切ったという硬骨漢であった。

そして、固く閉ざされた城門を見た文王は、なんと兵を率いて、そのまま巴の盟邦の黄に侵攻したのである。

578: 名無しさん@おーぷん 2016/05/09(月)01:23:10 ID:Yuv
踖陵


ワーワーワーワー


(●炎◇炎●)「押せええええええええええ!!押しつぶせええええええええええええ!!」

子元松「やりましたぞ!!大勝利ですぞ!!」

(●火◇火●)「そうか!!ついに勝ったか!!!」

(●^◇^●)「いや~、一時はどうなることかと思ったよ。」

(●゚◇゚●)「さあ帰国だ!!出発!!」


(●゚◇-●) フラッ

(●゚◇゚●)(…なんだ今の?疲れのせいか?)


黄に侵攻した文王は、踖陵の地で黄軍を大破し、意気揚々と引き返した。

579: 名無しさん@おーぷん 2016/05/09(月)01:24:10 ID:Yuv



子元松「王wwwまた城門が閉まってたらどうされるんだぞwww」

(●^◇^●)「いやwwwさすがにあの鬻拳も今度は門をあけるだろwww」


(●゚◇-●) フラッ

(●゚◇-●)(あれ…なんだこれ…やばい…)フラフラフラフラ

(●-◇-●)(意…識……が…)グルーリグルーリ


ドサアッ


子元松「…王?」

子元松「王!!しっかりするんだぞ!!」


┏━━━━━┓
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┃ /   ヽ ┃
┃{0}/"ヽ{0}┃
┃| ヽ_ノ |┃
┃リ `ー′ リ┃
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 文王崩御


黄からの帰路、湫の地で文王は突如発病し、そのまま死亡した。
巴の侵攻と閻敖一族の叛乱で神経を使い果たしたのだろう。
文王の在位は15年で、武王と比べれば大して長くはなかったが、強引ながら楚の勢力を大きく拡大したことは評価されて然るべきである。
ただ、最期はその強引さが仇となり、寿命を縮めることになってしまった。

580: 名無しさん@おーぷん 2016/05/09(月)01:25:30 ID:Yuv
楚都


彡(;)(;)「まさかあんな元気やったパッパが死んでまうやなんて…」

彡(;)(;)「きっと、ややこしいことが立て続けに起こって、疲れ果ててしもたんやろな…」

彡(;)(;)「なんて不運なパッパ…安らかに眠るんやで…」


(●▲●)「王子。それは本当に不運だったのでしょうか?」


彡(゚)(゚)「ん?誰やお前。」


(●▲●)「私は子文。武王の右腕だった闘伯比の息子です。」

(●▲●)「王子。どうして巴がいきなり楚に叛いたか御存知ですか?」


彡(゚)(゚)「え…いや…知らんな…」


(●▲●)「それは先王が原因なのですよ。」


彡(゚)(゚)「ファッ!?どういうことや?」

581: 名無しさん@おーぷん 2016/05/09(月)01:26:51 ID:Yuv
(●▲●)「先王は昔、巴軍と合同で申を攻められました。」

(●▲●)「そして、往路に鄧に立ち寄られ、そこで鄧公のもてなしを受けられたのです。」

(●▲●)「先王のお母様は鄧の御出身ですからね。」


彡(゚)(゚)「…せやな。」


(●▲●)「ところが先王はこともあろうに、その年のうちに鄧を攻撃されたのです。」

(●▲●)「まさに恩を仇で返したわけで、巴はそんな楚を信用できなくなったのですよ。」


彡(-)(-)「なるほど…つまりパッパが死んだんは、パッパ自身にも原因があるわけか…」

彡(゚)(゚)「武力一辺倒やと、必ずしもうまいこといかんのやな…」


巴の叛逆は、元は楚への不信が原因で、それは文王自身が作りだしたものであった。
文王の末路も、言うなれば自業自得なのだ。
武力に頼って信義を疎かにするとどうなるか、惲は嫌でも思い知らされることになったのである。

ちなみに、子文は闘伯比の子であるが、その出自は謎に包まれている。
伝説では生母は鄖公の娘で、闘伯比が密通したできた子なのだという。
そのため世間体を気にした生母は、産まれたばかりの子文を曠野に捨てた。
ところが子文は死ななかった。なんと、虎が子文に哺乳したのである。
いつまでも死なない子文を見た生母は不思議に思い、結局闘伯比の子として正式に育てることになったという。

582: 名無しさん@おーぷん 2016/05/09(月)01:28:07 ID:Yuv
続きはまた今度

この時期の楚はあんまり記録が多ないから書きにくいな…

589: 名無しさん@おーぷん 2016/05/13(金)00:43:33 ID:gYc
前672年


(*^◯^*)「なんだか惲が目障りなんだ!!殺してやるんだ!!」


彡(゚)(゚)「ファッ!?いきなりなんでやねん!!」

彡(゚)(゚)「とりあえず逃げるで!!」





彡(゚)(゚)「随公!!ワイは楚王に追われて、なんとかここまで逃げて来たんですわ!!」

彡(゚)(゚)「なんとか助けてくれまへんやろか!!後生ですわ!!」


随公松「もちろんいいんだぞ。」

随公松「というか、自分が援助してあげるから、帰国して王になるといいぞ。」


彡(゚)(゚)「ほ、ほんまでっか!!」


この年、文王没後に即位した艱(堵敖)は、なぜか突然惲を殺害しようとした。
なぜか、と書いたのは、史書に一切理由が書かれていないからである。
とにかく惲は堵敖に殺されそうになり、命からがら随へ逃亡した。
すると、なんと随公は惲に協力して、兵を発して楚を攻撃。逆に堵敖を殺害し、惲を即位させてしまったのである。
惲の諡は成王。以下成王に統一する。

594: 名無しさん@おーぷん 2016/05/13(金)15:05:07 ID:74k
おつやでー
随公松って武王の死去したころに従えたあの随の国のこと?

605: 名無しさん@おーぷん 2016/05/25(水)23:34:43 ID:Qxt
>>594 
せやで 

590: 名無しさん@おーぷん 2016/05/13(金)00:44:33 ID:gYc
堵敖と成王についてすこし考察。

※スルー可

そもそも、堵敖と成王は何年に産まれたのだろうか。
これを考えるためには、楚・蔡・息の確執の話からせねばならない。
春秋左氏伝には以下のように書かれている。

前684年、蔡を通過した息公の夫人(息嬀)が、蔡の哀侯に無礼な扱いを受ける。
これに怒った息公は、蔡に報復するために楚の力を利用することを考えた。
即ち、楚に息を攻めるふりをしてもらい、息は蔡に救援を求める。
そして出てきた蔡軍を楚軍に攻撃させるのである。
この策謀はまんまと成功し、莘で蔡軍は大敗。哀侯は楚軍の捕虜となってしまった。

ところが哀侯は、莘の合戦の陰に息公がいることを見抜き、復讐の手を打った。
捕虜として楚にいた哀侯は、楚の文王に対し、息嬀の美しさをこれでもかと宣伝したのである。
これに性慾を刺激された文王は息に行き、兵を伏せて息公を食事に招待した。
そして突然兵を起たせ、息を滅ぼし息嬀を連れ帰った。

息嬀は文王の子を二人(堵敖と成王)産んだが、息を滅ぼした仇敵の世話になっていることがくやしく、全く口をきかなかった。
その様子を見ていた文王は、自分が蔡の陰謀に操られたことに気づき、前680年に蔡に攻め込んだという。

さて以上を考えると、堵敖と成王が生まれたのは、前683-0年ということになるだろう。
しかし困ったことに、そうなると文王が前676年に死去した時、二人はまだ5、6歳の幼児だということになってしまう。
前672年の乱でさえ、10歳前後の子供同士の争いということになる。
文王の子供は二人の他にもいたはずで、それを差し置いて幼児の堵敖やら子供の成王やらが即位する、というのはあまりに不合理であろう。

はたして年号が間違っているのだろうか。それとも二人は本当は息嬀の子ではなかったのだろうか。
あえて史書を信じるとすれば、文王の没後に実は記録に残らない後継争いがあり、堵敖一派が年長者たちを抑えて一旦勝利したが、結局成王一派が逆転した、とでも想像するしかないが…

591: 名無しさん@おーぷん 2016/05/13(金)00:45:38 ID:gYc
前671年


彡(。)(゚)「なんかしらん王様になってしもたで…」

彡(゚)(゚)「まあしゃあないな。いっちょがんばるか。」


彡(゚)(゚)「思えば今までの王様はみんな強引すぎたな。パッパはそれで死んでしもたんやから。」

彡(゚)(゚)「ワイはもうちょっと穏やかに、優しさと信用を大事にしていくわ。」

彡(゚)(゚)「北の連中ともあんまり喧嘩ばっかりは良うないやろ。周王に贈り物しとこ。」


子元松「王。周王から返事がきましたぞ。」

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
楚公へ

そなたに大命を授ける。
南方の蛮夷の混乱を鎮めよ。
ただし、中原を侵してはならない。

周王より
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

彡(^)(^)「よっしゃ!!これで周王の名前で領土拡大できるで!!」



成王は即位後、徳を広め恵みを施し、諸侯と旧交を結んだ。
また、周王に使者を送り、貢物を献上させた。形式上ではあるが周に従ったのである。
これに気をよくした周の恵王は、「鎮爾南方夷越之亂」との綸言を成王に与えた。
この綸言は、成王を南方の最高責任者と認めるものであり、これによって楚の権威は一気に上昇した。
楚は一躍南方の覇者となり、千里を拓いていくのである。

596: 名無しさん@おーぷん 2016/05/17(火)20:08:48 ID:WBf
これに気をよくした周の恵王wwww

595: 名無しさん@おーぷん 2016/05/15(日)07:40:07 ID:UMj
周の恵王・・勝手に王を名乗ってるやつ相手にそれはダメだろ・・

604: 名無しさん@おーぷん 2016/05/25(水)23:01:19 ID:Nwf
>>595
周王に遜って臣下になったのだし、まあ妥当でしょう。
このあと楚は戦国時代まで天下の宗主たる周の天子をそれなりに尊重し続けるわけだしね。

611: 名無しさん@おーぷん 2016/06/03(金)17:44:35 ID:l4a
前666年


子元松「息嬀が超美人過ぎて辛いぞ…」

子元松「アニキが息を滅ぼしてまで手に入れたかった理由もわかるぞ…」


子元松「もうアニキはいないし、どうにかして自分のものにしてやるぞ!!」

子元松「息嬀の家の横に豪華な屋敷作って、演舞鑑賞会を開いて自分の威勢を見せつけてやるぞ!!」


ピーヒャラピーヒャラドンドンドン


息嬀「はあ…令尹ともあろう者がこんな昼間から騒々しい…」

息嬀「文王は、戦の前の戦勝祈願の時しか演舞は催さなかったというのに…」

息嬀「子元どのときたら女一人のために仇敵を忘れて…なんと情けない…」サメザメ


子元松「…そうか…息嬀さまがそんなことを…」

子元松「確かにその通りだぞ。自分にはもっと先にやることがあるんだぞ。」


即位した成王だったが、まだ弱年のため、実際の政治は令尹の子元が執り行っていた。
そしてこの年、息嬀の美しさに惚れ込んだ子元は、息嬀を誘惑するため、彼女の宮殿の傍に別邸を建て、万の舞という行事を行った。
「万の舞」というくらいだから、きっと多数の舞が披露される壮大なものだったのであろう。
しかし、息嬀はこれに靡かず、子元が女に迷って国家の大事を忘れていることを泣いて嘆いた。

この年、晋では献公が国防のためと称し、公子たちを辺境に分散している。

630: 名無しさん@おーぷん 2016/06/06(月)06:30:03 ID:xQ7
乙です

>そしてこの年、息嬀の美しさに惚れ込んだ子元は、息嬀を誘惑するため、彼女の宮殿の傍に別邸を建て、万の舞という行事を行った。
>「万の舞」というくらいだから、きっと多数の舞が披露される壮大なものだったのであろう。
春秋期は時々こういう貴族的なラブコール逸話があるのが良い。王朝貴族の文化が継続した日本では珍しくもないけど中国史では貴重だ。
それにしても子元さんはなかなか良いキャラしてる。

631: 名無しさん@おーぷん 2016/06/06(月)19:57:20 ID:rGr
雅味があっていいよね
時代下った戦国以降に比べて明らかに高貴な女性のエピソードが多い

612: 名無しさん@おーぷん 2016/06/03(金)17:45:07 ID:l4a

鄭都新鄭・郭門外


子元松「武王以来、楚は周に代わって中原を制覇することを夢見て来たぞ!!」

子元松「今日はその第一歩だぞ!!手始めに鄭を血祭りに挙げてやるぞ!!」

子元松「全軍総攻撃だぞ!!!」

闘御彊・闘梧・耿之不比「ははぁっ!!」


ワーワーワーワー


鄭文公「いったいなんだあの大軍は…あんなのに攻められたら、さすがにひとたまりもない…」

鄭文公「こうなったら逃げ出すしかない!!都は捨てるぞ!!」


秋、息嬀の言葉で心を入れ替えた子元は、実に600輌もの兵車を率いて鄭都を攻撃した。
600輌の兵車といえば4万5千もの大軍であり、当時そんな大軍など誰も見たこともなかったであろう。
実際、鄭の文公は圧倒的な楚軍の陣容を見ただけで戦意を喪失し、鄭都からの脱走を図った。

613: 名無しさん@おーぷん 2016/06/03(金)17:46:34 ID:l4a
新鄭郭内の市場


子元松「進め進め!!鄭公の首はすぐそこだぞ!!」

子元松「そろそろ城門だぞ!!一気に突破するんだぞ!!」


ガラーン


子元松「なんで城門が開けっ放しなんだぞ…?」

子元松「…うーん…」


子元松「…わかったぞ!!」ピコーン


子元松「これはきっと鄭の作戦だぞ!!城内に罠をしかけてるんだぞ!!きっとそうに違いないぞ!!」

子元松「一旦撤退するぞ!!鄭にも凄い奴がいたもんだぞ!!」


鄭文公「え?楚軍が退いた?」


子元率いる楚軍の先鋒は郭門を突破し、宮城付近の市場に達した。
ところが、なぜか宮城の城門が開けっ放しになっていたのである。
それだけ鄭の城内は混乱していたのだ。

ところがこの好機に際し、子元は無意味な深読みをして、なんと一度兵を退いてしまったのである。
そして、その間に諸侯の兵が鄭の救援に来たため、結局鄭都を落とせぬまま撤兵することになってしまった。

強大な敵に対しわざと城門を開けっ放しにする作戦は、諸葛亮や徳川家康などの逸話が有名だが、これはその元祖ともいうべきものであろう。
とはいえ、この場合は作戦でも何でもなく、単に文公と子元が馬鹿だっただけの話だ。

ちなみに、郭門とは都市の最外郭の城壁の門のこと。
中国の都市は、中心に「城」があり、一般人の居住域である「郭」がそれを囲んでいる。
「城」と「郭」、2つあわせて「城郭」だが、中国の場合、城だけでなく郭の周りにも城壁があり、内部を保護しているのだ。
日本で言えば、戦国時代の小田原城がそれに近い構造である。

633: 名無しさん@おーぷん 2016/06/12(日)09:55:28 ID:gf7
>>612-613
そうかこれが空城の計の起源か・・

634: 名無しさん@おーぷん 2016/06/13(月)04:31:54 ID:iQE
・鄭城の高い防御力、退路を断たれやすい地勢
・春秋初期の覇者である鄭の国力と武威

諸々を考え合わせると
軍を退いた子元の判断は特別おかしいわけではないか

614: 名無しさん@おーぷん 2016/06/03(金)17:47:32 ID:l4a
子元松「自分は令尹様だぞ!!偉いんだぞ!!」

子元松「王はまだまだ若造だぞ!!もうやりたい放題だぞ!!」

子元松「そもそも王は先王の弟、自分は文王の弟なんだから、王と自分はほとんど同格だぞ!!」

子元松「そう思うとなんだか嬉しくなってきたぞ!!こうなったら自分も王宮に暮らしてやるぞ!!」


闘廉「…ちょっと令尹。さすがにそれはやりすぎでは?」

子元松「なんだぞ!!自分は偉いって言ってるんだぞ!!」

子元松「逆らう奴は容赦しないぞ!!お前は牢屋行きだぞ!!」


彡(゚)(゚)「なんやアイツ…ちょっと調子乗りすぎやろ…このままやとワイの身も危ないな…」

彡(゚)(゚)「子文。いくら叔父さんでももう見逃されへんわ。なんとかならんのか?」

(●▲●)「そうですね…」

(●▲●)「わかりました。我ら若敖氏にお任せ下さい。」


鄭から帰還した子元は、次第に増長し、なんと成王を憚らず王宮に暮らすようになった。
そして闘廉(闘伯比の弟)がこれを諫めると、逆上した子元は闘廉を拘束し、手枷をつけて牢に放り込む始末であった。

615: 名無しさん@おーぷん 2016/06/03(金)17:48:00 ID:l4a
若敖氏についてちょっと説明。


楚王室の系図は以下の通り。

若敖┳霄敖━┳蚡冒━□
   ┃     ┗武王┳文王┳堵敖
   ┃         ┗子元┗成王
   ┣闘伯比┳子文━子揚
   ┃     ┗子良━子越━賁皇
   ┗闘廉━━闘班

楚公若敖の子の伯比と廉は、臣籍降下して闘氏を名乗り、一大勢力を築いた。
闘氏はまた若敖氏とも呼ばれる。
若敖氏は王族と時に協力し、時に争いながら、楚の政治を牛耳っていくのである。

616: 名無しさん@おーぷん 2016/06/03(金)17:48:43 ID:l4a
前664年


闘班「よくも親父を馬鹿にしやがったな!!」

闘班「喰らえ!!」


ズシャアッ


子元松「グボッ!?」バタッ


彡(^)(^)「やっと叔父さんは片付いたな。」

彡(゚)(゚)「ワイもエエ加減ガキやないんや。そろそろ自分で本格的に政治をやらんとな。」


彡(゚)(゚)「ところで令尹の席が空いたな。」

彡(゚)(゚)「子文!!お前がやれ!!」

(●▼●)「はっ!!全身全霊で務めます!!」


この年、闘廉の子の班が子元を殺した。
これを機に成王は本格的な親政に乗り出し、空いた令尹の席に子文を据えた。

617: 名無しさん@おーぷん 2016/06/03(金)17:49:27 ID:l4a
(●▲●)「子元様が滅茶苦茶やったせいで財政が危ない…」

(●▲●)「仕方ない。私の財産を使おう。」


彡(^)(^)「子文。令尹の仕事はどないや。」

((●)▲(●))「は…はい…なんとかやっております…」ゲッソリ

彡(゚)(゚)「ん?なんかお前痩せたんちゃうか?」


((●)▲(●))「いや…実はここ数日何も食べていないもので…」

((●)▲(●))「国の赤字を補填しようとしたのですが…そしたら今度は私の家がすっからかんになりましてね…」


彡(゚)(゚)「ファッ!?それはあかん!!すぐ給料増やしたるわ!!」

((●)▲(●))「いえ…それでは意味がありません…おやめください…」

((●)▲(●))「どうしても給料を増やされるのでしたら…私は辞任します…」


彡(゚)(゚)「え…せやけど…でも…」


彡(゚)(゚)「わかったわ。こないしよ。」

彡(゚)(゚)「毎朝お前には弁当を渡すことにするわ。これで文句ないやろ。」


((●)▲(●))「そうですね…その程度でしたら…」

((-)▲(-))「ありがたき幸せです…」


子文は令尹に就任すると、なんと私財を投じて国家財政を立て直そうとした。
これは、子文の清廉さを示すものと考えてもよいが、国庫を支えられるほど若敖氏の勢力が大きかったとも理解できるだろう。

ともあれ、これで子文は私財を使い果たし、極貧の生活を余儀なくされてしまう。
見かねた成王は子文の俸禄を増やそうとしたが、その度に子文は下野し、増給を取り消すと戻ってきたため、ついに諦めてしまった。
代わりに、子文には毎朝干肉一束と朝飯一籠が贈られるようになったという。
この習慣は、後の楚の令尹に受け継がれていくことになる。

英明な成王と有能な子文のもと、楚は飛躍的に国力を増大させていった。
しかし、やがて2人の前に大きな壁が立ちふさがるのである。

618: 名無しさん@おーぷん 2016/06/03(金)17:50:19 ID:l4a
前659年

彡(゚)(゚)「また鄭を攻めるで!!」

前658年

彡(゚)(゚)「またまた攻めるで!!」

前657年

彡(゚)(゚)「またまたまた攻めるで!!」


斉都


管仲「公。最近楚が調子づいてますな。なんとかせねばなりませんぞ。」

斉桓公「確かにそうや。一発懲らしめたらんとな…」


国力を充実させた成王は、前659年から3年連続で鄭を攻撃した。
楚軍の攻撃は激しく、鄭の耼伯という大臣が捕虜になり、鄭文公自身も降伏しようとして大臣に止められるような有様だった。
しかし、楚軍の動きは派手すぎたと言えるだろう。
斉の桓公を起たせてしまったのである。

619: 名無しさん@おーぷん 2016/06/03(金)17:51:05 ID:l4a
前656年



彡(゚)(゚)「なんやと!?諸侯の大軍が攻めてきおったやと!?」

彡(●)(●)「北の連中がワイをなめおって!!すぐに使者を送って追い返せ!!」


諸侯軍陣中


使者「私、楚王の使いで参りました。」

管仲「おお、ご苦労さま。私は斉の宰相、管仲と申します。」


使者「貴方様は北の海に住まわれ、私は南海に暮らしております。遠く離れ、相思う雌雄の牛馬でも行き交うことはありません。」

使者「そんな貴方様がこんなところに一体なんの御用ですか。」


管仲「そもそも我が国は開祖以来、天下の諸侯を征し、周王をお助けするのが務めです。」

管仲「最近、楚から周への貢物が納入されていません。そのために周は祭祀に不自由しているのです。」

管仲「また、かつて周の昭王は南方へ巡幸されたきり戻られなかった。我々はこれを責めにきたのですよ。」


使者(昭王だって!?一体いつの話をしてるんだ!?)

使者「…え…まあ、貢物が滞っているのは我らの責任です。すぐ手配致しましょう。」

使者「しかし、昭王のことは訊かれても困ります。川にでもお尋ねになってはどうでしょうか…」


この年、斉の桓公は諸侯の大軍を率いて南下。蔡を一蹴して、更に楚に攻め込んだ。
驚いた成王は使者を送りこんだが、使者に対応したのは管仲であった。

さて、対話に出てきた昭王は第4代周王である。彼は新たに六師を編成して積極的に外征を行い、東夷26邦を従えた。
しかし前977年、楚を攻めて大敗し、六師は全滅。自らも漢水で溺死したという。

成王の使者に対し、管仲はいきなり300年以上も前の話をもちだしたのである。
当然使者は困惑し、しどろもどろな返事をした。言葉の応酬で管仲にやりこめられたと言っても良いであろう。
結局、諸侯の軍は停止しなかった。それどころか更に深く侵攻し、陘に達したのである。

620: 名無しさん@おーぷん 2016/06/03(金)17:52:00 ID:l4a

楚都郢


彡(゚)(゚)「アカン…あいつら本気やぞ…」

使者「敵はとんでもない大軍でした。なんでも8国の軍が参加しているとか。」

(●▲●)「大将はあの斉公です。さすがに戦っても勝ち目はありませんな。」


彡(-)(-)「しゃあないな…くやしいけど、ここは降参しとくしかないわ…」

彡(゚)(゚)「屈完。お前ちょっと行ってくれや。」


召陵


屈完「楚王の代理で参りました、屈完と申します。」

斉桓公「どうも。斉公の小白ですわ。」


斉桓公「ワイが諸侯を率いて来たんは、ワイとあんた、お互いのためなんでっせ。」

斉桓公「ワイは決しておたくらを敵やとは思てへん。ここはいっちょ仲良うしましょうや。」


屈完(ここまで大軍で脅しといて、よくもまあいけしゃあしゃあと…)


桓公率いる大軍の威勢は非常に盛んであり、さすがの成王も威圧され、降伏の使者として屈完を派遣した。
これに対し、桓公は少し兵を退き、召陵に駐屯した。

621: 名無しさん@おーぷん 2016/06/03(金)17:52:47 ID:l4a
屈完「…そうですね。貴方様が我が国に良くしてくださるのでしたら、それはもとより我らの願うところです。」


斉桓公「そうでっか。それやったら話が早いでんな。」

斉桓公「せやけど忘れてもろたら困るで。ワイのこの大軍があれば、誰にでも勝てるしどんな城でも落とせるんやで。」


屈完(くそっ…ちょっと宥めたとおもったら今度は脅迫か…)

屈完(落ち着け落ち着け…ここで折れたら王の面目に関わる…)


屈完「然様ですか。それは結構なことです。」

屈完「もし公が徳を以て諸侯を安んじられれば、従わぬ国などないでしょう。」

屈完「されど、もし武力をふるわれるのでしたら、我が国は方城を墻壁とし、漢水を濠として戦いますから、如何な多勢でも役には立ちますまい。」


斉桓公「…」

斉桓公「…ははは。冗談や冗談。マジにせんといてや。」

斉桓公(ほほ~ん。こいつなかなかやるやんけ。)


桓公は強大な武力をちらつかせ、屈完を圧倒しようとした。
しかし、屈完は毅然とした態度を貫き、楚の面目を保ったのである。
結局屈完は諸侯と盟約を交わし、楚は斉の盟下に入った。
すると、これに満足した桓公は兵を退いた。

622: 名無しさん@おーぷん 2016/06/03(金)17:54:03 ID:l4a
前655年


彡(゚)(゚)「斉公の力があんな強いとはおもわなんだ…」

彡(゚)(゚)「なんとか帰ってくれたけど、もうこれで北に侵略はできへんな…くやしいンゴねぇ…」


(●▲●)「いいえ。まだ方法は残ってますよ。」

(●▲●)「斉の盟下にない国を攻めれば良いのです。それなら斉は出てきません。」


彡(゚)(゚)「なるほど…ほんならちょっとお前やってみてくれや。」

(●▲●)「はい。お任せ下さい。」


弦滅亡


桓公の猛威を見せつけられた成王だったが、それでも彼は勢力拡大を諦めなかった。
この年、成王は子文に命じ、弦という国を攻撃させ、これを滅ぼした。
弦は斉の盟下になく、そこを狙われたのだ。
弦は一応、斉と友好関係にあった黄・江・道・柏といった国々と姻戚関係を結んでいた。
しかし、それで斉の庇護下にあると勘違いし、防禦を怠っていたため滅んだのである。

その後、成王は前648年には全く同様にして黄を滅ぼし、さらに前645年と前644年には徐を攻撃・大勝した。
前640年には随が漢水以東の諸侯と連合して離反したが、すぐさま子文が出撃して一蹴している。
斉に牽制されても、なお楚は勢力を拡大しつづけたのである。

623: 名無しさん@おーぷん 2016/06/03(金)17:54:51 ID:l4a
前643年

斉桓公薨去


彡(^)(^)「よっしゃwwwとうとう邪魔な奴が消えよったwww」

(●▲●)「斉公が死んで、斉ではいきなり内乱が起こったそうですな。」

彡(^)(^)「これで斉なんかもう怖ないわwwwついにこのワイの時代が来たんやなwww」


翌年


彡(^)(^)「いきなり鄭公が貢ぎ物贈ってきおったわwww斉公が消えた途端に薄情な奴やでwww」

(●▲●)「鄭へのお返しはどうなさいますか?」

彡(^)(^)「銅のでっかい塊でええやろwww大量の武器の材料見せつけてちょっと脅かしたれやwww」

彡(^)(^)「贈った銅で武器を作らへん約束さしたら完璧やろwww」


前643年に斉桓公が薨ずると、成王を抑えるものは何もなくなった。
そして翌年には、楚の猛威に怯えた鄭が楚に朝貢しはじめる。
この時、成王は返礼として大量の銅を贈った。銅は剣や矢鏃の材料であり、即ち楚の軍事力の強大さを示すものだったのである。
ただし、後に後悔した成王は、返礼の銅は武器の製造には使わない、という約束を鄭に押し付けた。
そのため、鄭は3つの銅鐘を鋳造したのである。

624: 名無しさん@おーぷん 2016/06/03(金)17:55:07 ID:l4a
前639年


彡(^)(^)「桓公がおらん今、ワイはもう怖いもんなしや!戦って負ける気遣いなんかあれへんで!」

彡(゚)(゚)「まあほんでも、ワイは中原の国を攻め滅ぼしたりする気はないねん。」

彡(゚)(゚)「ワイの言う事ちゃんと聞く連中は、別に生かしといたってもええと思っとるんや。」

彡(゚)(゚)「つまりは覇者になれたら満足、っちゅうこっちゃな。」


(●▲●)「王。宋公から手紙が来ましたぞ。」

彡(゚)(゚)「ん?宋公やと?」

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
楚公惲どのへ

私は茲父と申します。
この度、鹿上の地にて、斉公とともにあなたと盟約を結びたく愚考し、一筆啓上致しました。
これを機に、我ら三国の旧来の友好を一層深めようではありませんか。
盟会の首座は、及ばずながら、この茲父が務めさせて戴きます。
是非ともお越しください。斉公ともども、貴公の御来駕を心よりお待ち申し上げております。

宋公茲父
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

彡(゚)(゚)「ファッ!?こいつが司会役すんのか!?」

彡(●)(●)「宋みたいなチンケな国が何を偉そうに!!なめくさってこのドアホが!!」

625: 名無しさん@おーぷん 2016/06/03(金)17:55:38 ID:l4a
(●▲●)「しかし王。この宋公、なかなかの人物のようですぞ。文面が礼儀正しい。」

(●▲●)「斉の内乱も、この宋公が鎮めてしまったそうではありませんか。」

(●▲●)「聞けば、桓公もこの宋公を大層高く買っていたとか。」


彡(゚)(゚)「…そうか。意外に手強いかもわからんな。」

彡(゚)(゚)「よっしゃ。ほな今回は宋公の好きにさせといたるか。」

彡(゚)(゚)「会合でじっくりその面拝んだろ。」


鹿上


宋襄公「本日ははるばるお越しくださいまして誠にありがとうございます。ほんま嬉しいですわ。」

カクカクシカジカ


彡(゚)(゚)(なんやこいつ…確かにしっかりはしとるようやけど…)

彡(゚)(゚)(桓公と比べたら大したことないやんけ…)


この年、宋襄公(茲父)が成王と斉孝公を鹿上に招き、会合を開いた。
当時、中原ではほとんどの国が問題を抱えており、中原を代表できる有力者が襄公しかいなかったのである。
とはいえ、楚に比べれば宋はずいぶん小さい。
成王は、襄公が桓公の後を継いで諸侯会合を主催することを、内心苦々しく思っていた。

626: 名無しさん@おーぷん 2016/06/03(金)17:56:00 ID:l4a


宋襄公「こんどはもっと大規模に会合するで!!」





宋襄公「やあやあ皆さん。お忙しいところようお越し下さいましたな。」

鄭公・陳公・蔡公・許公・曹公 パチパチ


彡(゚)(゚)(チッ…小国風情が調子乗りおってからに…おもろないな…)パチパチ

彡(゚)(゚)(一発大恥かかしたらんと腹の虫が収まらンゴ…)

彡(゚)(゚)(せや!)

彡(゚)(゚)「子玉!!宋公をとっ捕まえてこい!!」

(■R■)「はっ!!」 ←子玉


鹿上の会合で自信をつけた宋襄公は、同年秋に今度は盂の地に6諸侯を招集し、再び会合を開いた。
しかし、首座で得意満面の襄公を見た成王はたまらなく不愉快になり、子玉という将軍に命じて、なんと襄公を拘束したのである。
そして更に子玉に兵を与え、襄公を人質にとりながら宋国内を荒らし回らせた。
諸侯が成王に要請したため、冬に襄公は釈放された。しかし、その威信は地に堕ちてしまったのである。

636: 名無しさん@おーぷん 2016/06/14(火)00:06:28 ID:h5o
前638年
三月
楚都郢


彡(^)(^)「いや~スッとしたわwwww宋公のあの間抜けヅラは傑作やったなwww」

鄭文公「はい。まことその通りです。宋公もこれで、王の威厳を思い知ったことでしょう。」

彡(^)(^)「wwwwwwwwwwwww」


彡(゚)(゚)(なんやこいつ…いくらなんでも節操なさすぎやろ…態度コロッと変えて、こんなとこまで出てきておべっか遣いおって…)

彡(゚)(゚)(ちょっとは恥ってもんを知らんのか…ホンマ信用できん奴やで…)


(●▲●)「王!大変ですぞ!」

(●▲●)「宋軍が鄭に攻め込んだそうです!!」


彡(゚)(゚)「なんやと!?アイツまだ懲りてへんかったんか!!」

鄭文公「なんということだ…まずい…とてもまずい…」オロオロ


彡(゚)(゚)「…しゃあないな。ワイが助けたるで。」


鄭文公「本当ですか!!ありがとうございます!!」

鄭文公「王の前では宋公など塵も同然!!まこと王は天下の覇王にてあらせられますな!!」ニコニコ


彡(゚)(゚)「お…おう…せやな…」

彡(゚)(゚)(駄目だこりゃ…こいつどうしようもない…)


楚の猛威を見た諸侯は、争うように楚に服属した。
中でも極端だったのはやはり鄭で、成王のご機嫌取りのために、なんと文公自身が楚に出向いたのである。
これを不快に思った宋襄公は、この年の三月、兵を率いて鄭を攻撃した。

637: 名無しさん@おーぷん 2016/06/14(火)00:06:59 ID:h5o
彡(゚)(゚)「ほな、鄭に向けて出発しよか。」

(■R■)「王。ここは鄭でなく、宋を直接攻めましょう。そちらの方が、宋公への脅しになります。」

彡(゚)(゚)「なるほど。それもそうやな…」

彡(゚)(゚)「せやけど、相手の本拠地で戦うことになるやんけ。ちょっと不利にならへんか?」

(■R■)「大丈夫です。地の利があろうがなかろうが、楚軍が宋軍ごときに負けるわけがないのです。」

彡(゚)(゚)「そうか…」


十一月己巳朔
泓水河岸


彡(゚)(゚)「宋公め。鄭からあわてて引き返してきおったわ。」

(■R■)「ご覧ください。宋軍はあれっぽっちの小勢です。」

(■R■)「策があるわけでもなさそうですし、負けは致しませんよ。」

彡(゚)(゚)「よっしゃ!!突撃や!!」


成王は鄭を救援するにあたり、鄭に向かうのではなく、いきなり宋に攻め込んだ。
これにおどろいた宋襄公は慌てて帰国し、両軍は泓水で衝突する。
このとき襄公は、楚軍が隙を見せているにもかかわらず、わざわざその機を見逃し、楚軍に真っ向勝負を挑んできた。
しかし、多勢に無勢。楚軍が圧倒的な勝利を収めた。襄公自身に矢傷を負わせるほどの大勝であった。
覇権は完全に楚に移ったのである。

638: 名無しさん@おーぷん 2016/06/14(火)00:07:17 ID:h5o
彡(^)(^)「宋は叩いたし、鄭の様子でも見にいくで!」


同月丙子
鄭の地・柯沢


羋氏「ようこそ鄭へ。我ら2人は寡君の夫人であります。寡君に代わり、王をお迎えにあがりました。」

姜氏「この度は我が国をお救い下さり、誠にありがとうございます。今後は君臣一同、末代まで王の御恩を忘れず、大楚王国のため尽して参る所存です。」


彡(^)(^)「おおこれはどうもどうも。ご苦労さんやで。」

彡(^)(^)「安心してや。鄭の敵はワイがしっかり懲らしめたったからな。」


彡(^)(^)「ほら、こんな風に。」ペロン

羋氏・姜氏「…王…これは一体なんでございますか…?」


彡(^)(^)「ん?自分らこういうの見たことないんか?」


彡(^)(^)「宋兵の耳や。まだまだようけあるし、心行くまで見ていってええで。」


羋氏・姜氏「あ…いや…はい…」ドンビキ


泓水で宋軍に大勝した成王は、そのまま兵を率いて鄭を訪問した。
これに対し、鄭文公は2人の夫人を派遣して成王を出迎えさせた。
ところが成王は、なんとこの2人に、泓水で斬った宋兵の耳を見せたのである。
成王自身はただ戦果を自慢したかっただけであろうが、そんなものをわざわざ夫人に見せつけたこの行為は、さすがに諸侯をドン引きさせることとなった。

ちなみに、このように戦場で敵兵の左耳を切り取る行為を「馘」という。
当時、斃した敵の数をかぞえるのには、この馘の数を用いるのが一般的だった。耳は首より切り取りやすく、持ち運びにも便利だからである。
後に豊臣秀吉も、朝鮮征討でこの制度を利用したという。

643: 名無しさん@おーぷん 2016/06/14(火)07:30:30 ID:SMz
乙です!
国君の夫人、女性が外交官みたいな事するんやね
羋氏という鄭文公夫人の姓が気になる

644: 名無しさん@おーぷん 2016/06/14(火)09:32:50 ID:ll0
>>643
羋って楚王室の姓だったはず

645: 名無しさん@おーぷん 2016/06/14(火)19:03:08 ID:9GD
羋は大国楚の国姓だけどこの姓は滅多に表に出ないので少し不思議

639: 名無しさん@おーぷん 2016/06/14(火)00:07:39 ID:h5o
翌丁丑
鄭都新鄭


鄭文公「王。ようこそお越し下さいました。宴の準備ができておりますので、どうぞこちらへ。」

彡(^)(^)「そりゃどうも。準備のええことやな。」


鄭文公「さあさあ王。どんどんお飲みください。」

彡(^)(^)「いや~おおきにおおきに。ガンガン飲ましてもらいまっせwww」

彡(^)(^)「しかしさすがは中原のど真ん中の国や。旨いもんがようけありまんな~」

鄭文公「これは天子をもてなす特別な宴式なのです。この日のために、国中から珍味をかき集めて参りました。」

彡(^)(^)「天子でっか…そんな持ち上げられると照れてまうンゴねぇwww」


彡(゚)(゚)(なんや…ワイが王者やと本格的に認めおったで…周王のことはもうええんかい…)

彡(゚)(゚)(だいたいロクに政治もできんくせに宴会の準備ばっかり張り切りおって…やっぱこいつ、ほんまもんのクズやな…)


柯沢で2夫人の出迎えを受けた翌日、成王は鄭都に入り、鄭文公の饗応を受けた。
この時、宴席では成王に9回も酒が勧められ、100もの料理が宴会場を埋め尽くしたのである。
すなわち、周王をもてなすのと同じ礼式がとられたのだ。
文公の繰り出した、究極のおべっかである。

640: 名無しさん@おーぷん 2016/06/14(火)00:08:15 ID:h5o
彡(^)(^)「いや~、今日は楽しかったわ。サンガツ!!」

鄭文公「いえいえ。王のためには労苦は惜しみませぬ。なんなりとお申し付け下さいませ。」

鄭文公「宿営まで羋氏がお送り致します。お気をつけてお帰り下さい。」


彡(^)(^)「ほ~ん…なんなりとな…」


彡(^)(^)「ほな、おたくの娘さんを2人ほど貰っていきまっせ。」


鄭文公 ピクッ


彡(^)(^)「ん?結婚話は互いのためでっしゃろ?」

彡(^)(^)「それとも、何か気に入らんことでも?」


鄭文公「…はい。承りました。お好きな者をお連れ下さいませ。」


彡(^)(^)「そしたら遠慮なく。」


鄭から帰国する際、成王は鄭文公の2人の娘を連れて帰ってしまった。無論、人質である。
その場の気分で一国の公女でも思うがままにものにできる。
成王の威勢は、まさに王者そのものであった。

652: 名無しさん@おーぷん 2016/06/28(火)00:03:16 ID:rVb
楚都郢


(●▲●)「王。晋の公子と名乗る男が、王にお会いしたいと言っております。」

(●▲●)「本人が言うには、自分は今の晋公の兄で、王のお力添えで帰国したいのだとか。」

彡(゚)(゚)「晋の公子やと?それ本物か?」

(●▲●)「兵車を数十乗連ねた大所帯です。本人も家来もなかなかしっかりしているようですし、おそらく本物かと。」

彡(゚)(゚)「そうか…ほんなら会うてみよか。」


重耳「はじめまして。ワイは重耳っちゅうもんです。」

彡(^)(^)「おお、よう来はったな。ワイは惲や。どうもよろsh…」


彡(●)(●)


彡(●)(●)(こいつ…できる…)

彡(●)(●)(宋公どころやないで…斉の桓公…いや、それ以上の大物かもしれんな…)


彡(゚)(゚)「子文!今すぐ宴会の準備や!あの公子をもてなせ!!」

彡(゚)(゚)「周王と同じ形式やぞ!!国中の贅沢品かき集めてこい!!」

(●▲●)「!?」


鄭から帰国した成王のもとに、援助を求めて1人の亡命公子が訪ねてきた。
彼の名は重耳。後に晋の文公として中原の覇者となる人物である。
重耳に会った成王は、一目で重耳の大器を見抜き、彼のために歓迎の宴会を催した。
その宴会は、「楚成王以周禮享之、九獻、庭實旅百。」というもので、なんと成王は天子をもてなす礼で重耳をもてなしたのである。
かつて鄭文公が成王をもてなすのに用いた九献の礼を、成王は寸毫の領地もない重耳に行ったのだ。
もはや気前が良いとかそんなレベルではない。桁外れの気宇、桁外れの器量であるとしか言えない。

653: 名無しさん@おーぷん 2016/06/28(火)00:04:05 ID:rVb
宴席


彡(^)(^)「重耳はん。あんたは晋公になりたいんやな。」

彡(^)(^)「もしワイの助けで晋公になれたら、お礼に何をくれるんかいな?」

重耳「うーん…あんまり思いつきまへんな…珍品奇物の類はだいたい楚王はもう持ってはりますからな…」

彡(^)(^)「いやせやけど、それでもなんかあるやろ。」


重耳「そうでんな…」


重耳「もしワイが晋公になって、楚王と戦場でお会いすることになったら、ワイは軍を三日分退くことにしますわ。」


彡(゚)(゚)「…」

彡(^)(^)「…ハ……ハハ…」

彡(^)(^)「ワハハハハハハハハハハ!!」


宴席で、成王は重耳への援助を快諾した。そして戯れに、帰国後の返礼について問うた。
すると、なんと重耳は、成王との交戦時に3日分兵を退く、と答えた。所謂「三舎を退く」というやつである。
無礼と言えば無礼な返事であるが、成王は怒ることはなかった。
それだけ重耳の大器を認め、尊重していたのであろう。

654: 名無しさん@おーぷん 2016/06/28(火)00:04:58 ID:rVb
(■R■)「王!あの重耳とかいう奴をどないされるおつもりですか!!」

(■R■)「三舎を避く、など無礼千万!!帰国などさせれば必ず楚に叛きますぞ!!今すぐとっ捕まえて殺してまいましょう!!」


彡(゚)(゚)「あかん。あいつに手エ出したらあかんで。」

彡(゚)(゚)「あいつは礼儀もしっかりしとるし、志も大きい。家来衆もみんな賢いんや。」

彡(゚)(゚)「おまけに今の晋公は国の内からも外からも嫌われとる。これはもう天があいつを守っとるとしか思えん。」


(■R■)「…で、ではせめて狐偃を人質にしてまいましょう。」


彡(゚)(゚)「またそんなみっともないこと言うて。天の意思には背かれへんのやで。」

彡(゚)(゚)「それを邪魔しようとしたら、こっちに悪いことが起こるやろ。余計なことはせんに限る。」

彡(゚)(゚)「あかんもんはあかんのや。絶対あかん。」


重耳の返事を聞いた子玉は怒り、重耳を殺すよう成王に進言した。
しかし成王はこれを聞き入れず、重耳の支援を申し出た秦に重耳を送り届けたのである。重耳は翌年帰国して即位する。
よほど重耳のことが気に入っていたのであろう。

とはいえ、子玉の懸念は後に的中することになる。

656: 名無しさん@おーぷん 2016/06/28(火)00:06:03 ID:rVb
前637年


(●▲●)「王。どうやら、陳は宋に通じているようです。」

彡(゚)(゚)「そうか。まだ懲りてへん奴がおるんやな…

彡(゚)(゚)「子玉!陳を叩いてこい!!力の差っちゅうもんを見せつけたるんや!!」

(■R■)「はっ!!」


(●▲●)「ところで王。この私、もう年ですゆえ、そろそろ引退しようかと思います。これまで大変お世話になりました。」

彡(゚)(゚)「ファッ!?なんやと!」

(●▲●)「後任には子玉が良いでしょう。彼の業績はかなりのものですからね。」

彡(゚)(゚)「…」


叔伯「令尹殿。ほんとうにお辞めになるのですか?」

叔伯「子玉では令尹殿のかわりなど務まりませんよ。あなたは国家を一体どうなさるおつもりなのですか?」

(●▲●)「…私はこれで国が安定すると思っていますよ。子玉にはちゃんと業績があるのですから。」

(●▲●)「むしろ、大功をたてたのに陞進できないと、それが騒動のもとになるでしょうな。」


この年、陳が宋に通じたため、成王は子玉を派遣して陳を攻撃した。
子玉は難なく任務をこなしたのだが、すると突然、なんと子文が令尹の位を退くと言い出したのである。後任には子玉が推薦された。
子玉に政治はわかるまいと思った叔伯という人物が子文を諫めたが、子文は聞かなかった。

657: 名無しさん@おーぷん 2016/06/28(火)00:06:46 ID:rVb
前636年


彡(゚)(゚)「陳め…去年あんだけ痛めつけたったのに、まだワイに従わへんつもりか…」

(■R■)「もう一度出兵して叩きのめしましょう!!骨の髄まで恐怖を染み込ませてやるのです!!」

彡(゚)(゚)「…いやいや、ちょっと待てや。」

彡(゚)(゚)「陳が頼りにしとんのは宋や。宋をなんとかせんことには埒が明かん。」

(■R■)「では宋を攻めましょう!!滅ぼしてしまえばよろしいのです!!」

彡(゚)(゚)「う~ん、あんまり過激なことは反感買うからやりたないんやけどな…それしかないんかな…」


宋成公「…あの…降伏します…」


彡(゚)(゚)「ファッ!?ほんまか!!」


この年、ついに宋が楚と講和し、楚の盟下に入った。これで中原諸侯はほぼ楚に服従したことになる。
成王の覇業は、いよいよ完成まであと一歩のところまで来たのである。

ちなみに宋成公は襄公の子である。

658: 名無しさん@おーぷん 2016/06/28(火)00:07:48 ID:rVb
前635年


(■R■)「王!秦と晋が鄀を攻めおったそうですぞ!!」

彡(゚)(゚)「なんやと?またいきなりやな。」

彡(゚)(゚)「ほんで今はどないなっとんねん。」

(■R■)「申と息の城主が城兵を率いて防衛にあたっています!!すぐに国軍を出動させましょう!!」

彡(゚)(゚)「せやな。お前行ってくれや。」


鄀都商密郊外


(■R■)「それにしても、秦はともかく晋はなんや!!あれだけ世話したったのに恩を忘れおって!!」

(■R■)「すぐにぶっ潰したるわ!!」


(■R■)「ん?敵はどこや?どこにもおらんぞ?」


斥候「大変です!すでに商密は落ち、敵は引き揚げました!!」

斥候「申公と息公は捕虜となって連行されたそうです!!」


(■R■)「なんやと!!クソ野郎どもがあああああ!!!」

(■R■)「今すぐ追うぞ!!全速前進や!!」


この年の秋、秦と晋の連合軍が、楚の属国である鄀を突如攻めた。
これに対し、申の城主の闘克と息の城主の屈禦寇は、城兵を率いて鄀都の商密を防衛した。
申と息の兵は精兵揃いであり、まともに戦えば、商密が陥落することはなかったであろう。

ところが、秦将(名前不詳)はまず、商密の近くの析をわざわざ掠めるように通過し、その上で自軍の兵を捕虜のように縛った。
更に、秦兵は夜間に城壁の傍に穴を掘り、牛の血を盟書に灌いで、闘克・屈禦寇と密約を交わしたように見せかけた。
析が陥落し、楚の守兵が裏切ったように見せかけたのである。
この偽装に商密の城兵たちはまんまと引っかかり、なんと秦軍に降伏してしまった。不意を衝かれた闘克と屈禦寇は捕虜となってしまう。
救援に子玉がやってきたが間に合わず、子玉は秦軍を追撃したが追いつけなかった。

これに子玉は怒り、その矛先を転じて陳に向け、そのまま陳を包囲し降伏させた。
結局子玉は、軍事で敵を押しつぶす事は得意でも、臨機応変に策謀を巡らす力はなかったのである。

659: 名無しさん@おーぷん 2016/06/28(火)00:09:07 ID:rVb
前634年
楚都郢


遂「はじめまして。私は魯の公子、遂と申します。」

臧孫辰「魯の執政、臧孫辰であります。今日は楚王にお願いがあって参りました。」

彡(゚)(゚)「おお御苦労さん。いったい何の用や?」

遂「実は、斉と宋を討って戴きたいのです。斉はいまだに王に心服しておらず、また宋も近頃、晋に気脈を通じているようなのです。」

遂「晋は昨年周の内乱を収めましたから、宋は晋を信頼するようになったのでしょう。」

臧孫辰「是非お願い致します。御出兵の暁には、我らが先導致します。」


(■R■)「なんと!!それは一大事ですな!!」

(■R■)「王!!今すぐ出兵しましょう!!魯も王のために尽くすと申しておるのですぞ!!」


彡(゚)(゚)(臧孫辰め…やるに事欠いて告げ口かいな…)

彡(゚)(゚)(しかも脳筋の子玉をコロッと丸め込んでしまいおった…ほんま油断ならん奴やで…)

彡(-)(-)(まあ、せやけど斉はいずれは叩いたらなあかんしな…)


彡(゚)(゚)「よっしゃ。ほなお前行ってこいや。」

(■R■)「はっ!!」


この年、斉軍が魯に侵攻して魯都の北の城を攻めた。
これに対して軍事力のひ弱な魯はまともに抵抗できず、斉軍の陣中に使者を送ってなんとか許してもらうという体たらくであった。
これがよほど口惜しかったのか、斉軍が撤退すると、魯はなんと公子遂と臧孫辰を楚に送り、成王に出兵を乞うたのである。
この時、臧孫辰は一策を講じた。即ち、子玉に会い、楚軍の道案内を申し出て、子玉の歓心を買ったのだ。
そして更に、一旦は楚に降った宋が晋に近付いていることを告げ口したのである。

この工作は功を奏し、楚軍は出撃することになった。
冬に、子玉率いる楚軍は宋を侵し、緡という城を包囲した。そして余勢を駆って斉に攻め込み、榖という城を落とした。
榖には斉桓公の子の雍が入り、申公の叔侯が城を守った。そして、あの料理人の易牙が雍を補佐した。
いつでも斉都を落として、楚の息のかかった雍を斉公にできる状態になったのである。

660: 名無しさん@おーぷん 2016/06/28(火)00:10:01 ID:rVb
前633年夏
楚都郢


(■R■)「王。斉公が亡くなったそうですぞ。」

彡(゚)(゚)「そうか。いよいよ雍を即位さす時やな。」

彡(゚)(゚)「まずは宋を踏み潰して、そのまま斉もいてまおか。」

彡(゚)(゚)「今度はワイが自分で行くで。」



宋都商丘


彡(゚)(゚)「一気に包囲してまえ!!蟻一匹逃がすなよ!!」

陳公・蔡公・鄭公・許公「はっ!!」


彡(-)(-)(これで宋と斉はワイのもんになる…いよいよワイが天下の覇王になるんや…)


彡(゚)(゚)(さて、晋の重耳はどないしおるかな…)


この年の冬、成王はついに自ら大軍を率いて出撃し、陳・蔡・鄭・許の兵を連れて宋都を包囲した。
宋都を落として完全に宋を屈服させ、さらに斉孝公が薨去したばかりの斉を攻めて、雍を斉公に据えるという遠大な作戦である。
もしこれが実現すれば、もはや誰も成王を止められなくなり、周も早晩滅ぼされる。まさに天下分け目の大作戦であった。

宋成公は、独力ではとても楚軍に敵わないことを悟り、宋都に籠城して晋文公に助けを求めた。

661: 名無しさん@おーぷん 2016/06/28(火)00:12:47 ID:rVb
この出兵の直前の逸話を一つ。


出兵直前に、成王は前令尹の子文に治兵を行わせた。
すると、子文はなぜか、早朝から朝食までのわずかな時間で調練を済ませてしまい、刑罰を執行することもなかった。
さすがにこれでは不十分であるので、成王は今度は子玉に命じて治兵をやり直させた。
すると子玉は終日かかって調練を行い、刑罰として7人を鞭打ち、3人の耳を矢で刺し貫いた。
これを見た楚の元老たちは、子玉のつとめぶりを頼もしく感じ、宴席で子文に口々に祝辞を述べた。
おそらく子文は、こうなることを予想して、子玉の顔を立ててやったのであろう。

ところが、蔿賈という若い大夫は、宴席になぜか遅れてやってきて、しかも祝辞を述べることもなかった。そしてわけを尋ねられると、こう答えたのである。
「一体何をお祝いするのでしょうか。かつて子文様が子玉に国政を譲られた際、これで国を安定させるつもりだ、と仰ったそうですね。
しかし、国内を安定させられても、国外で失敗すれば元も子もありません。
子玉が失敗すれば、それは子文様の推挙の結果なのです。推挙して国を失敗に導くのなら、とてもお祝いなど言えませんよ。
そもそも子玉は強気で礼を知らず、とても兵を統率しきれません。
300輌以上の軍を率いて出撃すれば、おそらく無事に帰ることはできますまい。無事帰還してからお祝いしても遅くはないでしょう。」

なんとも辛辣な発言である。
実際、子玉の政治家としての能力は子文にはとても及ばなかったのであろうが、それにしても思いきったことを言うものだ。
おそらく、叔伯や蔿賈のように、子玉の令尹就任を批判する勢力は少なからずいたのであろう。

ただ、子文の前任は子元だったのだから、子玉だけが無能だ不適格だと批判されるのはいささか酷な気もする。
まあそれだけ子文が偉大だったとも言えるし、楚が文化的に発達した結果とも言えるであろう。

ともあれ、子玉へのこういった批判は子玉にも伝わり、子玉はどんどん鬱屈を溜め込んでいった。

662: 名無しさん@おーぷん 2016/06/28(火)00:15:16 ID:rVb
前632年
二月
楚軍陣中


(■R■)「王。晋が衛を攻撃しているようです。」

(■R■)「救援の兵を出してやるべきでしょうか。」

彡(゚)(゚)「いや、あかん。宋と斉を潰してからでええ。」

彡(゚)(゚)「どうせ、宋を助けられん限り、晋は信用なくしてまうんや。そのうちむこうからかかってきおるやろ。」


三月


(■R■)「どうやら、衛だけでなく、曹まで晋にやられたそうです…」

彡(゚)(゚)「ここは我慢や。相手はワイらと直接ぶつかるのが怖いから、ちょこちょこ動きまわっとるんやで。」

彡(゚)(゚)「サシの勝負なら絶対負けへんねん。どっしり構えといたらええんや。」


宋の要請を受け、晋は文公自ら三軍を率いて出撃した。
しかし、晋軍は宋に向かわず、衛に向かう。そして衛と曹を攻撃してこれを降伏させた。
これは楚軍が救援のため宋の包囲を解くことを期待してのことである。要は、楚軍と直接戦うのが怖いのだ。
しかし、この策は成王には通じなかった。楚軍は微動だにせず、宋都を圧迫し続けたのである。
もはや晋軍には、楚軍と戦う以外の道は残されていない。そして、そこで百戦錬磨の楚軍が負けることはありえない。
成王は勝利を確信したであろう。

ところが、晋の強かさは、成王の予想を上回っていた。

663: 名無しさん@おーぷん 2016/06/28(火)00:16:07 ID:rVb
四月


子西「王!斉と秦から使者が来ましたぞ!」

彡(゚)(゚)「なんやと?いきなりなんの用や?」

子西「そ…それが…我らに宋の包囲を解けと…」

子西「解かぬ時は、両国は開戦も辞さぬと…」


彡(゚)(゚)「」

彡(゚)(゚)(なんでや!!なんで斉や秦が口挟んできおるんや!?)

彡(゚)(゚)(晋だけが相手やったら楽勝やけど、それに斉と秦が加わるとなると…)

彡(゚)(゚)(今ついて来とる同盟国なんかみんなクソザコやし、いつ裏切りおるかもわからん連中で全然頼りんならん…)

彡(゚)(゚)(せやけど楚軍だけで三国相手にすんのはさすがにキツイ…)


彡(゚)(゚)(やられた…重耳にまんまとしてやられたんや…)


なんと晋は、謀略を巡らして斉と秦を味方につけ、三国で楚を迎え撃つ態勢を作り上げたのである。

664: 名無しさん@おーぷん 2016/06/28(火)00:17:03 ID:rVb
彡(゚)(゚)「…退くで。」

(■R■)「はっ!?今なんと!?」

彡(゚)(゚)「撤退や。榖からも兵を退くんや。」

(■R■)「なんと!!戦いもせず引き揚げると仰るのですか!!」


彡(゚)(゚)「考えてもみいや。今の晋公は19年も流れ流れて、とうとう君主ンなった奴やで。」

彡(゚)(゚)「徳もあるし、苦労しまくって、国民の裏も表も知り尽くしとる。」

彡(゚)(゚)「これはもう天の御加護があるんや。絶対間違いない。そういう奴と戦ったかてロクなことあれへんねん。」


(■R■)「しかし王!!」


彡(゚)(゚)「あかんもんはあかん。絶対やぞ。」

彡(゚)(゚)「ワイは先に帰るで。後始末頼むわ。」


三国同盟の構図を見た成王は、宋の攻撃をあっさり諦め、子玉に後始末を任せてさっさと帰国してしまった。
晋文公の強運と天命を直感したのであろう。

665: 名無しさん@おーぷん 2016/06/28(火)00:18:26 ID:rVb



彡(-)(-)「…思えば、ワイは今まで何遍も強敵に邪魔されてきたな…斉桓公…宋襄公…」

彡(-)(-)「ほんで今度もまた重耳に邪魔された…これも運命やろか…」


(`o´)「王。私は子越と申す者です。令尹どのの使いで参りました。」

彡(゚)(゚)「おう、御苦労さん。撤退は進んどるか。」


(`o´)「…王。令尹には撤退する意思はございません。」

彡(゚)(゚)「ファッ!?何を言うとんねん!!手柄欲しさにワイの命令が聞けへん言うんか!!」


(`o´)「いいえ。令尹は何も手柄に目が眩んでいるわけではありません。」

(`o´)「蔿賈のような、令尹を中傷する連中の鼻を明かしてやりたいだけなのです。」


彡(゚)(゚)「…」

彡(゚)(゚)「…そうか。ほんなら勝手にせいや。」

彡(゚)(゚)「ただし、兵隊は分けたらんぞ。どうなっても知らんからな。」


帰国し、申に留まった成王だが、そこで信じられない報せを聞いた。
なんと、子玉が勝手に晋軍と戦おうとしているというのである。
偉大な前任と常に較べられ、批判されてきた子玉にとって、これは名誉を得る最大のチャンスだったのであろう。
しかし、これは明確な独断専横であり、怒った成王は、子玉にほとんど兵を与えなかった。

ちなみに、子玉の使者として口上を述べた子越は、子文の弟の子良の子である。
子越が生まれたとき、子文はこう言って子良に警告したという。
「この子を殺しなさい。姿は虎や熊の如く、声は山犬や狼のようだ。きっと若敖氏に害をなす。」
なんとも過激な発言である。さすがに子良は子越を殺さなかった。
虎に養われた子文が虎を嫌うのだから、なんとも皮肉というか滑稽というか…
しかし不幸にも子文の予言は、後に的中することになるのである。

672: 名無しさん@おーぷん 2016/07/01(金)03:09:51 ID:WAu
晋文公編の時にやった晋vs楚の戦いを、楚側から見た話か。
こういう一つの戦いを裏表両面で見るのも面白いな。

673: 名無しさん@おーぷん 2016/07/01(金)21:44:54 ID:YBM
秦穆公編では重耳の即位を三視点目で見ることになりそうやな

675: 名無しさん@おーぷん 2016/07/04(月)23:14:09 ID:z2i
城濮


(■R■)「とうとう決戦やな。やれることは全部やったはずや。」

(■R■)「こっちは兵力は少なくても精鋭や。腰抜けの晋軍になんか負けへんで。」

(■R■)「さて、もう遅いし寝るか…」


(-R-) zzz


…………………
……………………………………
………………………………………………………


???「子玉よ…」


(-R-)「…ん…なんや…なんか今名前を呼ばれたような…」


???「子玉よ…目覚めよ…」


(-R■)「…またや…一体誰やねん…」


???「目覚めよ…目覚めよ…」


河神「目覚めよ…私は黄河の神だ…」


(■R■)「ファッ!?」

676: 名無しさん@おーぷん 2016/07/04(月)23:14:44 ID:z2i
(■R■)「神様が俺に一体何の用でっか?」

河神「お前、なんだかとても綺麗な馬飾りを持っておるな。」

河神「私はそいつが気に入った。私に寄越せ。」


(■R■)「なんやて!?いきなり何を言うとんねん!?」

(■R■)「あれ作るのになんぼかかったと思っとるんや!人にわたすわけないやろ!!」


河神「もちろんただでとは言わんよ。かわりにお前には孟諸沢をくれてやるぞ。」


(■R■)「は?なにを偉そうに訳のわからんこと言うとんねん。」

(■R■)「大体黄河の神様がこんなとこまで出てくるわけないやんけ!!」

(■R■)「どうせお前なんか偽物やろ!!とっとと去ねや!!」


河神「…わかった。もういい。後悔するなよ…」


………………………………………………………
……………………………………
…………………


(-R-) zzz


子玉は晋軍との決戦を望んで北上し、城濮で晋軍と対峙した。
そして決戦前夜、子玉の夢に、なんといきなり黄河の神が現れたのである。
神は、子玉が特別に作らせた馬の頭冠と胸飾りを要求し、見返りとして、孟諸沢を与えると言った。
孟諸沢は宋の有名な狩場であり、それを与えるということは、宋を与える、もっと言えば晋との戦いに勝たせるということに他ならない。
ところが、子玉は物惜しみをして、神に馬飾りを捧げなかった。

677: 名無しさん@おーぷん 2016/07/04(月)23:15:32 ID:z2i
翌朝


(■R■)「…ということがあってな。」

子西「…ェ…」

(・8・)「…なんと…」 ←成大心

栄黄「令尹!!どうして馬飾りを神に捧げられないのですか!!」

(■R■)「は?お前、こんなアホな話ほんまに信じとんのか?」

(■R■)「あの飾りは俺の大事な宝物なんや。そんなことに使えるわけないやろが。」


栄黄「しかし令尹!宝物とはいえ所詮は土くれではありませんか!」

栄黄「国のためなら命でも捨てることがあるのに、そんなものを惜しんでどうするのですか!!」

栄黄「それで軍が勝てるなら安いものではありませんか!!」


(■R■)「黙れ!!お前はワイが負けるっちゅうんか!!」

(■R■)「神の助けなんざ要らんわい!!そんなもんあれへんでも勝ってみせるわ!!」


栄黄「」

栄黄(アカン)


翌朝、夢の内容を知った子西と成大心(子玉の子)は、栄黄に子玉を諫めさせた。しかし、それでも子玉は聞き入れない。
退出した栄黄は子西と成大心に語った。
「非神敗令尹,令尹其不勤民,實自敗也」 (『春秋左氏伝』)
民を忘れた子玉が敗れるのは自業自得だということである。

678: 名無しさん@おーぷん 2016/07/04(月)23:16:12 ID:z2i
己已


(■R■)「とうとう決戦や!!全軍突撃!!」

(`o´)「はっ!!」


ワーワーワー


(■R■)「おっ!?敵が崩れたぞ!?」

(■R■)「今がチャンスや!押せ!押しまくれ!!」

欒枝「わひいいいいいっ!!」

(■R■)「ははは!追っかけろ!どこまでも追っかけたれ!!」


ドドドドドドドドド


(■R■)「ん?」


先軫「わははははははは!!見事に引っかかりおったわ!!!」

郤溱「側面から一気に突き崩せ!!!」


(■R■)「くそっ!!伏兵かっ!!!こんな時に!!!」


四月己已の日、ついに晋楚両軍は激突した。
序盤こそ子玉は晋の中軍を突き崩したが、晋軍元帥の先軫の側面攻撃を受け、逆に窮地に追い込まれてしまう。
子玉は一応は冷静に部下をとりまとめ、大敗は免れたのであるが、それにしても負けは負けである。

この敗戦で、楚は宋と斉を取り逃がしたばかりか、衛・曹・鄭という中原の主要与国を悉く失った。
斉桓公が存命だった頃の勢力にまで押し戻されてしまったのである。

679: 名無しさん@おーぷん 2016/07/04(月)23:16:48 ID:z2i
楚都郢


彡(゚)(゚)「…そうか…子玉が負けたか…」

彡(-)(-)「やっぱり重耳にはかなわんかったか…これも天の意思やな…」

彡(-)(-)「子玉にもちょっとかわいそうなことしたな…まさかあんな思いつめとるとは…全然気付いたれんかったわ…」


彡(゚)(゚)「まあ、せやけどアイツの独断専横で負けたんやから、やっぱりキツく叱ったらなあかん。」


連榖


(;R;)「負けた…負けてしもた…この俺のせいで…」

子上松「残念だぞ…悲しいんだぞ…」

子西「仕方がない…帰って王に裁いて戴くしかないな…」


(・8・)「父上!王から手紙ですぞ!!」

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
子玉へ

お前は余の命令に背いて勝手に敵に戦いを挑み、しかもボロ負けしおった。
一体どういう了見か。どうやって責任をとるつもりなのか。
この戦いで子を喪った申や息の老人たちに顔向けできるのか。
よくよく反省し、処罰を待て。

王より
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(;R;)「…その通りや…もう合わせる顔なんざあらへん…」

(;R;)「…みんな今日までありがとな…さいならやで…」


グエッ


敗報を聞いた成王は、使者を送って子玉を譴責した。
すると子玉は、責任の重大さを痛感したのか、連榖というところで自殺してしまった。
実は成王は、譴責の使者を送ってからすぐに、自殺してはならぬと慰める使者をも送ったのであるが、不幸にも間に合わなかったのである。

680: 名無しさん@おーぷん 2016/07/04(月)23:17:21 ID:z2i
践土


狐偃「公。鄭が和議に応じたそうでございます。また与国がひとつ増えましたな。」

重耳「…うーん…そうか…」


狐偃「…公?せっかく楚軍を破って覇者となられたのに、どうかなさいましたか?」

重耳「…いや…これからのことが心配でな…」

重耳「あの子玉のことや。いつか絶対復讐しにきおるで。あいつが生きとる限り安心なんざできへんわ。」

重耳「今回は楚軍の一部に勝っただけや。次に全軍でこられたら負けるかもしれんやろが。」


趙衰「公!!子玉が自殺したそうですぞ!!」

重耳「ファッ!?ほんまか!!」

重耳「よっしゃwwwこれでもう晋は安泰やなwww」


城濮での戦勝後、晋文公は子玉の復讐をおそれて浮かない顔をしていることが多かった。
しかし、子玉の自殺の報を聞くや、文公は安心して喜びをあらわにしたという。

実際にこの後、文公が存命中に楚軍が北上して中原を脅かすことはなかった。覇権は完全に晋に移ったのである。
子玉を死なせたことで楚の敗北が確定したと言ってもよいかもしれない。
子玉の能力の限界を見誤り、その剛直な性格・その鬱屈した感情を斟酌できなかったことが、成王の真の敗因であろう。

681: 名無しさん@おーぷん 2016/07/04(月)23:18:56 ID:z2i
前628年


晋文公薨去


前627年


楚都郢


彡(゚)(゚)「とうとう重耳が死におった…覇者ンなってからは意外に短かったな…」

子上松「王!これは好機ですぞ!!新たに立った晋公の驩はまだ子供らしいんですぞ!!」

子上松「既に許は我が国に交誼を求めていますぞ!!また王の時代がやってくるんですぞ!!」

彡(゚)(゚)「せやな!!今度こそ…今度こそはワイが天下の主になるんや!!」


彡(゚)(゚)「まずは陳・蔡・鄭あたりから叩いたるで!!」

彡(゚)(゚)「子上!!行ってこい!!」

子上松「かしこまりましたぞ!!」


晋文公の在位中、楚は押えこまれて全く動きをとることができず、その間に中原諸侯は軒並み晋の傘下に入っていた。
しかし、前628年、文公は薨去する。後を継いだ驩(襄公)はいまだ幼少であり、文公に匹敵する政治力は望むべくもなかった。
斉桓公が薨去した頃の状況とよく似ている。楚に好機到来である。
前627年、令尹となっていた子上が兵を率い、まずは陳・蔡に侵攻した。
成王、天下の覇権へ三度目の正直。絶対に負けられない勝負であった。

682: 名無しさん@おーぷん 2016/07/04(月)23:19:21 ID:z2i
子上松「陳と蔡は降伏させたぞ!!次は鄭の番だぞ!!」


鄭都新鄭郭門


子上松「配置につくんだぞ!!合図で一斉攻撃だぞ!!」

瑕「令尹!!いよいよ総攻撃ですな!!私も一緒に頑張りますぞ!!」

子上松「おおこれは瑕どの。危ないから後ろに下がっておいてほしいんだぞ。」

瑕「いえいえ御心配なく!!私に油断はありません!!」

子上松「…ェ…いや…まあそこまで言われるなら…」


(・8・)「令尹!!配置完了です!!」

子上松「よし!!突撃だぞ!!」


瑕「よっしゃああああああ!!行くぞおおおおおおおおおおおおお!!!みんな私に続けえええええええええええ!!!」

瑕「いやっほおおおおおおおおおおおおううううううwww」ドドドドドド


グラッ


瑕「!?」

瑕「ああああああああwwwれえええええぇぇぇぇぇぇぇ…」マッサカサマ


子上松「あ…濠に…」

(・8・)「」


陳・蔡を降した子上は、そのまま鄭にも攻め込んだ。
その主たる目的は、鄭文公の子の瑕を後継ぎとして鄭に送り込むことであった。
瑕は鄭文公に憎まれ、前629年に楚に亡命していたのである。

さて、子上は鄭都を包囲・攻撃した。
ところがその最中、なぜか瑕の兵車が城の濠に転落し、瑕が戦死してしまう。

683: 名無しさん@おーぷん 2016/07/04(月)23:19:49 ID:z2i
(・8・)「令尹。救援の晋軍が、蔡に侵攻したそうです。」

子上松「…そうか…ここにいてももう意味ないし、蔡に行くぞ。」


泜水


子上松「晋軍と川を挟んで向かい合ったぞ。」

子上松「攻めかかりたいけど、先に動くと川を渡ってる途中に攻撃されるぞ…」

子上松「でもそれは相手も同じだから、結局どっちも手を出せないぞ…手詰まりだぞ…」


(・8・)「令尹!晋の将軍からお手紙です!」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
子上どのへ

「文ある人は順を犯さず、武ある人は敵を避けず」という。
もしあなたが戦う気なら、私は後退して待つから、遠慮なく川を渡られよ。時期はいつでも結構である。
されど戦う気がないなら、こちらに渡渉の余裕を与えられよ。このまま対陣が長引き、軍資を空費しても無益であろう。
善処されたし。

太傅陽処
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

子上松「わかったぞ。そこまで言うなら堂々と河を渡ってやるぞ。」


楚軍の北上に対して、晋からは襄公の太傅(教育係)の陽処が兵を率いて南下し、楚に降った蔡に侵攻した。
すると、子上は鄭から蔡に移動し、泜水という川を挟んで晋軍と向かい合った。
既に瑕を喪った楚軍は鄭を攻める意義を失っており、無用な滞陣を嫌ったのであろう。
しかし、今度は川を挟んで楚軍と晋軍が睨み合い、両者動けない状態になってしまう。

684: 名無しさん@おーぷん 2016/07/04(月)23:20:06 ID:z2i
(・8・)「お待ちください。敵は策の多い晋軍ですぞ。」

(・8・)「信義のないあいつらのことですから、退くと見せかけて、こちらの渡渉を襲う気かもしれません。」

(・8・)「負けてしまっては取り返しがつかぬのです。ここはこちらが退いて、相手に川を渡らせましょう。」


子上松「確かにそれもそうだぞ…城濮じゃ晋の作戦に散々苦しめられたんだぞ…」

子上松「よし。一旦退くぞ。」


晋軍陣中


陽処父「そうか!!楚軍が退いたか!!」

陽処父「臆病者めが!!晋軍に怯えて尻尾巻いて逃げおったわ!!

陽処父「みんなで笑ってやれ!!楚軍は逃げた、とあちこちに言いふらすのだ!!」


ゲラゲラゲラゲラ


陽処父「じゃあそろそろ帰るぞ!!」


陽処父の提案に一旦は乗りかけた子上だったが、成大心に諫められて、先に晋軍に川を渡らせるべく、泜水から退いた。
ところがこれを見た陽処父は、楚軍は逃げた、と言いふらしてからさっさと撤兵してしまったのである。

685: 名無しさん@おーぷん 2016/07/04(月)23:20:31 ID:z2i
楚軍陣中


子上松「いつまでも晋軍はかかってこないぞ…どうなってるんだぞ…」


(・8・)「令尹!大変です!なんと、晋軍は既に引き揚げたそうです!!」

(・8・)「我が軍が晋軍を恐れて逃げた、などと言いふらしているようですが…」

子上松「なんだぞそりゃwww逃げ出したのは一体どっちだぞwww」

子上松「もういいぞ。俺たちも帰るぞ。」


楚都郢


彡(゚)(゚)「…で、戦わずに帰ってきたと。」

子上松「はい。陽処父とかいう将軍、かなりの腰抜けとみえますぞ。」

子上松「あんなのが太傅とは世も末ですぞ。もはや晋などまったく恐れるに足りませんぞ。」

彡(゚)(゚)「…」


彡(●)(●)「このドアホが!!!!」


子上松「!?」


彡(●)(●)「戦うチャンスくらいなんぼでもあったやろが!!それを腰のひけた無難な対応ばっかりしおって!!」

彡(●)(●)「何が腰抜けや!!腰抜けはお前やないか!!」

686: 名無しさん@おーぷん 2016/07/04(月)23:21:21 ID:z2i
彡(●)(●)「ええか!!ワイはこれまで斉や晋に何遍も何遍も邪魔されて、その度に口惜しい思いをしてきたんや!!城濮のことはお前もよう覚えとるやろ!!」

彡(●)(●)「それでもワイは我慢して我慢して、今やっとチャンスが巡ってきたんや!!それをお前はフイにしおってからに!!」


子上松「…いや…しかし…」


( ・`公・´)「父上!!これは大問題ですぞ!!」 ←商臣

( ・`公・´)「晋から賄賂を受け取って会戦を避けるなど、楚にとってはとんでもない大恥です!!」


子上松「ファッ!?賄賂!?テキトーなこと言わないでほしいんだぞ!!」

子上松「王!!私は決して賄賂など受け取ってはおりませ…ん…」


彡(●)(●)


子上松「…王…?」


彡(●)(●)


彡(●)(●)「…死刑や…」


彡(炎)(炎)「お前はもう死刑や!!今すぐ死ね!!ここで死に晒せえええええええ!!!!!!」


子上松「」


( ^`公^´)ニヤッ


子上が撤兵すると、なんと成王は激怒し、これを殺してしまった。
これは、成王の太子の商臣が、子上を中傷したからであった。
実はかつて、成王が太子を商臣にしようとしたとき、子上が反対したことがあった。
その恨みをここで晴らされたのである。

とはいえ、成王があっさりその中傷を信じてしまったのであるから、殺された子上は哀れとしか言えない。
讒言で臣下を殺すとは、成王らしからぬ不明である。それだけこの戦いに込める情熱が強かったのであろうか。

687: 名無しさん@おーぷん 2016/07/04(月)23:21:56 ID:z2i
前626年
楚都郢王宮


彡(゚)(゚)「なんか、後継ぎ選び間違えた気がしてきた…」

彡(゚)(゚)「たしかに子上が昔言いおったように、商臣は目つきも悪いし濁声やし、なにより性格が冷たい。」

彡(゚)(゚)「職の方が良いような気もするな…どないしよかな…」


東宮


潘崇「どうも最近、王が商臣を廃嫡しようとしている、という噂が立っているようです。」

( ・`公・´)「そうか…確かに俺もそれは聞いたことがあるな…」


( ・`公・´)「ただ、それは本当のことなのか?誰かがテキトーなこと言ってるだけかもしれんぞ?」

潘崇「確かにそうです。なんとかして確かめねばなりません。」

( ・`公・´)「うーん…でも親父に直接聞くわけにもいかないしな…」


潘崇「方法はあります。」

潘崇「江叔母さまを東宮の宴席にお呼びになればよいのです。」

潘崇「わざと無礼に扱ってみて、反応をみればよろしい。」


この年、成王は商臣を廃嫡し、職という子を立てようと考えた。
ところが、この考えは事前に商臣に知られてしまう。
この時、商臣の師の潘崇は、事実を確認するため一計を案じた。
即ち、成王の妹の江を宴会に招き、わざと無礼に扱ったのである。

結果、粗略な扱いに怒った江は興奮し、
「宜乎王之欲殺若而立職也!」 (『史記』)
と、その場であっさり秘密を暴露してしまう。

689: 名無しさん@おーぷん 2016/07/04(月)23:22:12 ID:z2i
( ・`公・´)「やっぱり噂は本当だったか…」

潘崇「太子。このまま黙って職様にお仕えされますか?」

( ・`公・´)「…そんなことは絶対嫌だ。」

潘崇「では、挙兵致しましょう。できますかな?」

( ・`公・´)「もちろんだ!!やってやろうじゃないか!!」


十月
王宮


彡(゚)(゚)「…そろそろ廃嫡の時期やな…堪忍やで商臣…」


ワーワーワーワー


彡(゚)(゚)「ん?なんか騒がしいな。何事や?」


( ^`公^´)「よろしくニキ―www」


彡(●)(●)「」


成王の廃嫡の意思を確認した商臣は、潘崇と相談し、十月、東宮の甲士を率いて王宮を攻撃した。

690: 名無しさん@おーぷん 2016/07/04(月)23:22:26 ID:z2i
( ・`公・´)「父上。今すぐ死んで戴きます。」


彡(゚)(゚)「マジか…」

彡(;)(;)「…わかったわ。これもワイの自業自得やな。自殺したるわ。」


彡(゚)(゚)「…ただ、死ぬ前に一つだけ願い事聞いてくれや…」

彡(゚)(゚)「熊の掌がワイは大好物なんや…せめて熊の掌喰ってから死にたいんゴ…」


( ・`公・´)「…は?駄目に決まってんだろが。」

( ・`公・´)「なに甘えてんだ。今すぐ死ねって言っただろ。死ねったら早く死ねよ。」


彡(●)(●)



┏━━━━━┓
┃ / \ ┃
┃/   \┃
┃(●)(●)ミ┃
┃ ノ   ミ ┃
┃ つ  ( ┃
┃  )  ( ┃
┗━━━━━┛
  成王崩御


商臣に捕えられ死を悟った成王は、死ぬ前に珍味の熊の掌を食べたいと願った。
しかし、商臣は冷酷にもこれを拒み、そのまま成王を自殺させた。
楚を大発展させ、幾度も中原を覗った英雄の、あまりに呆気ない最期であった。

691: 名無しさん@おーぷん 2016/07/04(月)23:22:43 ID:z2i
( ・`公・´)「さて、親父の諡だけど、どうしようかな…」

( ^`公^´)「やっぱり俺を困らせようとしたわけだから、『霊』あたりでいいだろう!!」


ジー


( ・`公・´)「…ん?なんだか視線を感じるな…?」


彡(●)(●) ジー


( ・`公・´)「ああなんだ、親父の屍骸か。はいはい、瞳を閉じて、っと。」


彡(-)(-)

彡(●)(●) ジー


( ・`公・´;)「えっ…どういうことだよ…目が閉じないぞ…」


彡(●)(●) ジー


( ・`公・´;)「…」

( ・`公・´;)「…わかったよ親父。『霊』はやめとくよ。」

( ・`公・´;)「かわりに『成』にしよう。これなら文句ないだろ。」


彡(●)(●)

彡(-)(-)


( ・`公・´;)「なんだよもう…」

692: 名無しさん@おーぷん 2016/07/04(月)23:24:12 ID:z2i
成王崩御後、即位した商臣(穆王)が成王の諡を決めるにあたり、初めは「霊」という号を用意した。
諡号には決まりがあり、生前の行いに即して決定される。その決まりは「逸周書」などの書物に記されているが、「霊」については
「死而志成曰靈。亂而不損曰靈。極知鬼神曰靈。不勤成名曰靈。死見神能曰靈。好祭鬼神曰靈。」
とあり、非常に低い評価を意味するものであった。

ところが、なんとこの時、成王の屍骸の目が一向に目を瞑らなかった。
そして、不気味に思った商臣が、諡を評価の高い「成」に変えたところ、やっと目を瞑ったという。
成王の無念の大きさがひしひしと伝わってくる逸話である。


成王は、名君か暗君かで分ければ、間違いなく名君である。超名君と言ってもよい。
成王の代で、楚は南方の超大国として不動の地位を築き上げた。
以降の春秋時代は、北の晋と南の楚の勢力争いを中心として進んでゆくのである。

ただ一方で、成王は圧倒的な国力と軍事力を持ちながら、ついに中原を制することなく死んだ。
その原因の多くは、斉桓公や晋文公といった稀代の英雄に出くわしたことであり、不運といえば不運である。
しかし、斉桓晋文をも打倒しうる力を成王は持っていたのであり、それでも勝てなかった理由は、やはり人使いの不味さであろう。
具体的には、子玉や子上などの人材を活用しきれず、結局死なせてしまったことだ。

楚の人材活用術の拙さはこの後も延々と続き、滅亡までの400年間、天下を取る機会を逃し続けることになるのである。


楚成王編おわり

693: 名無しさん@おーぷん 2016/07/04(月)23:25:23 ID:z2i
次は秦穆やで~

長かった…
次はもうちょっと短めにするわ…

694: 名無しさん@おーぷん 2016/07/05(火)12:10:13 ID:hU5
おつやでー
長くても面白いからええ!

696: 名無しさん@おーぷん 2016/07/08(金)11:03:42 ID:Apr
乙! おもしろかったで

しかし大国楚が中原を取れなかった理由→人材活用の劣後が主因
とは言えない希ガス、荘王でさえ自重した
呉起にしても彼はしっかり活用されたわけで人使いの不味さとは少し違う

701: 名無しさん@おーぷん 2016/07/09(土)12:05:45 ID:4pg
>>696
王族以外のものが令尹になることがほとんどなかったのは、
やはり硬直化を招いたといわれても仕方ないのでは

709: 名無しさん@おーぷん 2016/07/09(土)12:20:35 ID:bxO
>>696
「楚材晋用」というくらいやったからな。
苗賁皇やら巫臣やら伍子胥やら、人材に関しては致命的なミスが多すぎるんや。
子玉、蔿賈、屈原、春申君あたりもそうやろな。
呉起も死んでから全部リセットされたし。

710: 名無しさん@おーぷん 2016/07/09(土)13:18:02 ID:tii
ほとんどが有力氏族の闘争&粛清という春秋各国に共通する現象
臣下にあるまじき裏切り行為を敢行した巫臣の処置は妥当でしょう

大国を維持できず四分五裂した晋の人臣に勝るとも劣らないような

713: 名無しさん@おーぷん 2016/07/09(土)16:52:10 ID:y7H
春秋戦国を生き抜き、広大な地域に深く浸透し中華を広げた楚
最後の最後に異常な軍事力を持つ強秦に敗れはしたものの間違いなく七雄上位の強国
急速に巨大化しても大過なく国を運営した戦国期の統治力は何気に凄い(末期はアレだが)