698: 名無しさん@おーぷん 2016/07/09(土)12:00:01 ID:bxO
秦穆公編やで~
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1454959392/

699: 名無しさん@おーぷん 2016/07/09(土)12:04:49 ID:bxO
前654年
秦都雍


彡(゚)(゚)「ワイの名前は任好。第9代秦公や。今年で即位5年目やで。」

彡(^)(^)「今日はワイの嫁が晋からやってくる日や。」

彡(^)(^)「嫁の名前は伯姫っちゅうねん。頭もしっかりしとって、しかも大層な別嬪さんらしい。」


彡(^)(^)「ほんで、なにより、アラフォーのお姉さんなんや。」


彡(^)q(^)「いや~、やっぱり女は年増に限るわ!!この話するとなんでか知らんみんな妙な顔しおるけどな!!」ジュルリ

彡(●)∀(●)「熟女の良さがわからん奴は人生大損やで!!」ゲスガオ


任好は、第6代秦公の徳公の三男である。
徳公歿後、任好の2人の兄はいずれも即位したが若死にし(宣公と成公)、その子供たちは皆幼弱であったのか誰も即位できなかった。
そのため前659年、任好が即位する。(諡:穆公。以下穆公)
前655年、穆公は隣国晋から夫人を迎えた。この夫人は、晋献公の娘で申生の姉の伯姫その人であった。
この年、虢と虞が滅び、斉では管仲が死去している。

ただ、ここで不思議なことがある。
伯姫は申生の姉であるから、この時既に40歳前後だったはずだ。当時の基準では熟女というよりもはや老女である。
晋献公には他にも若い娘が多くいたはずで、わざわざ伯姫が選ばれた理由は全くわからない。
そして、伯姫は秦で2男1女を産むのである。なかなかの高齢出産だ。

嫁いだ娘は本当は伯姫ではなかったのだろうか。それとも穆公が年増好みだったのだろうか。

もしかすると、伯姫の子を産んだのは伯姫の媵だったのかもしれない。
当時、女を嫁がせる際に、花嫁の妹や姪を添えて2人一緒に嫁がせることが頻繁にあった。この妹を「媵」という。
媵は、花嫁に子ができない場合に備え、代わりに子を産む役割がある。要するに夫人のスペアである。
伯姫に適齢期の若い媵がついていき、伯姫に代わって子を産んだと考えれば、まあ一応の辻褄は合うのだが…

700: 名無しさん@おーぷん 2016/07/09(土)12:05:18 ID:bxO
秦の由来について。


※スルー可


秦の開祖は非子という人物である。彼は犬丘という地の大駱という一族の出身であった。
彼は前900年頃、馬の生産を以て周の第8代孝王に仕え、大夫となって嬴姓を授かり、秦の地に領地を賜ったという。
この嬴姓は、上古、牧畜を以て帝舜に仕えた伯益が嬴姓を賜ったことに因むものであった。
このことから、いつの間にか非子は伯益の子孫だということになり、さらに帝顓頊の末裔であるとか、商の紂王に仕えた蜚廉・悪来の子孫だとか、様々な伝説が生まれることとなった。
とはいえ実際は、非子はただの西方異民族の一人に過ぎなかったのであろう。

さて、非子の曾孫の秦仲の頃、周王は無道の第10代厲王であった。
このため各地で叛乱が起こり、前842年、犬丘の大駱族は西戎の叛乱で滅ぼされてしまう。
結局厲王は王都からも追放されて野垂れ死に、子の宣王が跡を継いだのであるが、宣王は戦を好む王であった。
そして前824年、宣王は秦仲に命じて西戎を討伐させた。

ところが西戎は強く、討伐は捗らなかった。ばかりか前822年、逆に秦仲が西戎に敗れ戦死してしまう。
しかし、懲りない宣王は、秦仲の跡を継いだ荘公に命じ、再び西戎を討たせたのである。
この討伐は成功し、荘公は奪回した犬丘の地をも領有するようになった。

そして、荘公の子の襄公の時、周では暗愚な幽王が後継争いを招き、混乱に乗じて西戎が王都鎬京を攻撃。幽王と太子伯服が殺害された。
そして、鎬京の携王と成周の平王の二王が並び立つ状況が発生する。
この時、襄公は成周で即位した平王に味方し、その護衛に尽力したため、平王から岐山以西の地に諸侯として封じられた。これが秦国の始まりである。
また平王はこの時、秦仲の功績を追尊し、荘公の弟の康を梁に封じたという。

以来、秦は西垂の諸侯として歩みながら、天子しか祀ってはならないはずの上帝をこっそり祀り、秘かに天下への野望を滾らせていた。
ただし、穆公即位の時点ではまだ大した国力はもっていなかった。
秦はもとより西戎に囲まれて絶えずその脅威に曝され、中原と比べて土地も痩せている。
そもそも秦そのものが西戎の一部のようなものであって、文化程度も非常にお粗末であった。

712: 名無しさん@おーぷん 2016/07/09(土)13:22:42 ID:tii
>>700 
秦≒西戎はわりとよく聞く話だが秦の祖先は東方から連れて来られたという説も有力ですね

722: 名無しさん@おーぷん 2016/07/15(金)00:54:46 ID:jSs
続きはまた今度

>>712
kwsk

737: 名無しさん@おーぷん 2016/07/16(土)19:36:00 ID:oUP
>>722
殷周革命、克殷のあと商王朝の遺民による反乱が勃発
周王朝はこれを鎮圧、敗れた遺民(飛廉)は東に走り商奄氏の下に逃亡する
周の成王は商奄氏を討ち飛廉を殺すと商奄の民を西方に遷しました

この商奄の民こそが秦の祖先であるという記述が出土資料(清華簡繋年)にあります

742: 名無しさん@おーぷん 2016/07/17(日)13:11:35 ID:yuk
続きはまた今度

>>737
なるほど…そんな話があるとは全然知らんかったわ
ワイの知識は左伝・史記・国語くらいしかないからな
エエ話サンガツ

747: 名無しさん@おーぷん 2016/07/18(月)14:01:00 ID:q5T
穆公期もそうだけど春秋秦は遠く離れた東方との繋がりが散見される。
もしかしたら故地の縁かもね。

702: 名無しさん@おーぷん 2016/07/09(土)12:05:53 ID:bxO
(❁_❁*)「はじめまして。私は晋公の娘、伯姫と申します。」

彡(^)(^)「長旅ご苦労さん!!こんな田舎までよう来てくれたでほんまに!!」

彡(^)(^)「ワイは任好や。これからどうもよろしゅう頼んまっせ!!」

彡(^)(^)「それにしても噂に違わん美貌でんな~。こんな嫁さん貰ろてワイは幸せもんやで!!」


前655年


彡(゚)(゚)「晋から伯姫の付き人とかいう奴らが来おったぞ?」

(`o´)「どうやら追加の奴隷のようですな。ここで伯姫様の御世話をするのでしょう。」 ←禽息

(`o´)「彼等は元々は虞の首脳だったようですが、虞が滅んで奴隷になったようです。」

彡(゚)(゚)「ああ、あのマヌケかいな。なんやあほらし。」


虞公「…」

(-▲-)「…」


(`o´)(…ん?虞公の隣のあのジジイはなんだ?なんだか気になるな…)


伯姫が嫁いだ翌年、伯姫の使用人として数人の奴隷が晋から送られてきた。
そして、その奴隷の中には、あの虞公の姿があった。
晋の荀息に騙されて晋軍に道を貸し、虢共々滅ぼされた例の虞公である。
そして、虞公とともに虞の大臣たちも秦に送られたのであるが、その中に1人の老人がいた。

703: 名無しさん@おーぷん 2016/07/09(土)12:06:23 ID:bxO
(`o´)「おい。そこのお前。名はなんと言うんだ?」

(●▲●)「私、百里奚と申します。虞公にお仕えしておりましたが、今ではこの有様。お恥ずかしい限りです…」

(`o´)「お前だって虞の家来だったんだろう。主の暴走を止めなかったのか?」

(●▲●)「もちろん何度も御諫め致しました。しかし公はお聞き入れにならなかった。」

(-▲-)「主も守れず…国も守れず…愚かな臣をお笑い下さい…」


(`o´)「…」


(`o´)(…このジジイ…只者じゃないな…)


(`o´)「公。あの百里奚とかいう老人、なかなかの器量と見ました。」

(`o´)「是非お召し抱えになるべきです。」

彡(゚)(゚)「は?あの奴隷をかいな?」

彡(゚)(゚)「なに冗談言うとんねん。もう行くで。」

(`o´)「…」


老人は名前を百里奚と言い、虞公に仕えた臣であった。
そして、どういうわけか、禽息という大夫が、彼に目を付けたのである。
禽息は彼を穆公に推薦したが、さすがに穆公は聞き入れなかった。

704: 名無しさん@おーぷん 2016/07/09(土)12:06:51 ID:bxO
数日後


彡(゚)(゚)「おお禽息。こないだお前が言うとったジジイ、どうも逃げ出しおったみたいやで。」

(`o´)「なんですと!?」


(`o´)(いかん…あの才能を失ったらどえらい損失だ…)


(`o´)「公!!今すぐ百里奚を追われるべきです!!彼は百年に一度の逸材ですぞ!!」

彡(゚)(゚)「…なんやお前。それまだ言うとんのか。」

彡(゚)(゚)「すまんけどワイは車で出かける用があんねん。そろそろ行かしてもらうで。」スクッ


(`o´)「…ェ…しかし公!!」

彡(゚)(゚)「なんやねんしつこい奴っちゃな。どっかおかしなったんちゃうんかい。」スタスタ


やがてある日、百里奚は逃亡。行方をくらましてしまう。

705: 名無しさん@おーぷん 2016/07/09(土)12:07:46 ID:bxO
彡(゚)(゚)「大体、そんな賢い奴やったら、宮之奇みたいにさっさと逃げ出しおったはずやろ。」スタスタ

彡(゚)(゚)「奴隷なんざなっとる時点でもうお察しやで。」バシャノリー


(`o´)(くそっ…このままではうやむやにされてしまう!!)

ガバッ

m(`o´)m「公!この通りでございます!!何卒お考え下さい!!」


彡(゚)(゚)「ああもううるさいうるさい。奴隷一人の事でそんなみっともないことしなや。」

彡(゚)(゚)「さあ行くで!出発進行!!」


m(`o´)m ワナワナ


m(`o´)m「公!!!!!!」アタマフリカザシー


.∵・m( )m・∵.  グワシャッ


彡(●)(●)「ファッ!?なにやっとんねんお前!!しっかりせい!!」

彡(●)(●)「はっ…血…!?頭割れてもうとるやんけ!!」

彡(●)(●)「医者を呼べ!!」


(;`o´;)「…公…なに…と…ぞ…」ガクッ


彡(●)(●)「…ェ…」


いつまでも百里奚のことを気にかけようとしない穆公に業を煮やし、なんと禽息は穆公の前で頭を地面に叩きつけた。
結果、禽息の頭は割れ、脳髄がこぼれ出て禽息は死亡した。
これには穆公も度肝を抜かれ、百里奚を採用する決意を固めたのである。

706: 名無しさん@おーぷん 2016/07/09(土)12:09:13 ID:bxO
彡(゚)(゚)「百里奚の行方はわかったか?」

('ω`)「はい。それが、百里奚は今楚におるようです。」 ←公孫枝

彡(゚)(゚)「なんと…あんなジジイがよくもまあそんな遠くまで…」

彡(゚)(゚)「ほんで連れ帰れそうなんか?」

('ω`)「それが、楚で奴隷として働いており、持ち主が手放そうとしないのです。」


彡(゚)(゚)「そんなもん簡単や。金払って買い戻したったらええねん。」

彡(゚)(゚)「額に糸目はつけへんで。相手が腰抜かすような大金見せたれや。」


('ω`)「しかし公。それでは、百里奚の才能が楚人に知られてしまいます。」

('ω`)「楚で彼が登用されてしまっては本も子もありませんよ。」

彡(゚)(゚)「…確かに…それもそうやな…」


彡(゚)(゚)「せや。単に逃げた奴隷を捕まえに来たようなこと言うて、キレ気味に取り返したったらええわ。」

彡(゚)(゚)「相手には毛皮でもなんぼか渡したったら充分やろ。」


穆公が百里奚を捜したところ、楚で奴隷をしていることがわかった。
そこで穆公は羊の皮5枚と引き換えに百里奚を買戻し、秦で登用したのである。この時、百里奚なんと70余歳。
このことから、百里奚は「五羖大夫」とも呼ばれるようになった。

登用されると、百里奚は有能な親友の蹇叔を穆公に推薦し、自身は宰相となって秦の政治にあたった。
非常に謙虚で熱心な努めぶりであったため、誰も百里奚の厚遇を嫉まず、その徳に従ったという。
穆公と百里奚・蹇叔の善政により、秦は周囲の西戎を悉く従え、千里を拓いて大発展を遂げることになる。

707: 名無しさん@おーぷん 2016/07/09(土)12:10:37 ID:bxO
百里奚と蹇叔について詳しく。


※スルー可


百里奚は楚の出身で、若いころは諸国を放浪していた。そして斉で困窮していたところを蹇叔に救われる。
2人はたちまち意気投合し、親友となった。

当時の斉は僖公や襄公の治世である。やがて百里奚は、公孫の無知への士官のチャンスを掴んだ。
ところが蹇叔はこれに猛反対。結局百里奚はこれをあきらめたのである。
その後、無知は襄公を弑殺し、やがて自らも兇刃に斃れた。危うく百里奚は難に遭わず済んだのである。

次に2人は周に向かい、そこで百里奚は、今度は王子の頽に仕えることを考えるようになった。
どういうわけか頽は牛好きで、牛の世話のうまかった百里奚と気が合ったのだという。
ところがここでも蹇叔は反対した。そして、百里奚は蹇叔に従い、周を去ってしまう。
すると、やがて頽は叛乱を起こし、一度は王位に就くも結局敗死した。百里奚は再び難を逃れたのだ。

次に2人が向かったのは虞であった。虞公は百里奚を気に入り、大夫として取り立てようとした。
すると、またしても蹇叔はこれに反対したのである。
しかし、今度は百里奚は従わなかった。彼自身、虞公が自分を使いこなせる器ではないことを理解していたが、それでも仕官に拘ったのである。
おそらく、百里奚はこのとき既に5、60代であった。さすがに無難な老後を望んだのであろう。
しかし、不幸にも蹇叔の懸念は的中した。虞公は宮之奇や百里奚の諫めにも耳を貸さず、晋の策略に嵌って滅ぼされてしまったのだ。
百里奚は70余歳という年齢で奴隷の身分に落とされ、秦に送られてしまう。

だが、前記のような経緯で事態は急転直下。百里奚は秦の穆公に見いだされ、国政を執ることになった。
そして、大夫となるや、まず最初に彼は蹇叔を推挙したのである。

百里奚は宰相となり、国中を教化した。文化的に西戎とほとんど変わりなかった秦に、彼は初めて道徳を広めたのである。
また、非常な高齢であったが、疲れていても車中に坐らず、暑い日も馬車に幌を張らず、従者の車や衛士も従えずに国内を巡視した。
その徳は国外にも伝わり、巴国が朝貢し、8つの異民族が来朝し、戎の王に仕えていた由余という賢人も穆公に謁見を願い出たという。

晋文公と同じく、百里奚も長い辛苦の果てに大業をなした。
百里奚が死んだとき、彼を偲んで国民はみな涙を流し、子供は歌をやめ、臼を搗く者は掛け声を上げなかったという。

745: 名無しさん@おーぷん 2016/07/17(日)20:50:32 ID:e2Z
>>707
公孫の無知への士官のチャンスを掴んだのが30歳の時と仮定すると
秦へ来たのはすでに60過ぎということになるからすごい晩成
だよね百里奚

716: 名無しさん@おーぷん 2016/07/15(金)00:35:09 ID:jSs
前651年

晋献公薨去


秦都雍


('ω`)「公。晋の公子の使者とかいう者が来ましたぞ。」

彡(゚)(゚)「ん?晋の公子やと?」


(・8・)「はじめまして。私は晋の公子夷吾の家臣、郤芮と申します。本日は公にお願いがあり、参上仕りました。」

(・8・)「御存知の通り、晋では先君薨去の後騒乱があり、君主が不在の状態が続いております。」

(・8・)「どうか、わが主夷吾の即位のため、公のお力添えを賜ることはできませんでしょうか。」

(・8・)「もし即位できましたら、黄河西岸の5城を公に献上致します。」


彡(゚)(゚)「…うーん…どないしよかな…」


この年、晋では献公が薨去し、その後即位した奚斉と卓子が相次いで大臣の里克と丕鄭に殺害される事件が起こった。
事件後、里克たちはまず、狄に亡命していた重耳を即位させるべく使者を送ったが、重耳はこれを断ってしまう。
そこで里克たちは今度は、梁に亡命していた夷吾に声をかけた。
夷吾はこれを快諾し、家臣の郤芮を秦に派遣して、穆公の援助を求めさせた。

717: 名無しさん@おーぷん 2016/07/15(金)00:35:40 ID:jSs
彡(゚)(゚)「せやけど郤芮さんよ。夷吾さんが晋に帰ったとして、だれか後ろ盾はおるんかいな?」

彡(゚)(゚)「後ろ盾もおらんのに帰ったかて、また騒動が起こるだけで、下手したら命も危ないで。」


(・8・)「そのことでしたら、公子は亡命者でありますから、国内にはもとより与党などはおりません。」

(・8・)「そもそも公子は、幼いころから要らぬおふざけをなさることもなく、喧嘩もほどほどになさる大人しい方でした。長じてもそれは変わりません。」

(・8・)「心優しい方ですから、国内に敵などはおりませんが、然りとて後ろ盾がおらぬのもまた事実でありましょう。」

(・8・)「公をお恃み申し上げるばかりでございます。」


彡(゚)(゚)「…ほ~ん…そうか…」


郤芮は、穆公に堂々と夷吾を売り込んだ。
そしてそのために、なんとぬけぬけと嘘八百を言い散らかしたのである。
夷吾と郤芮の虚言・欺瞞・詐諞の数々は、この後も散々穆公を悩ますことになる。

718: 名無しさん@おーぷん 2016/07/15(金)00:35:54 ID:jSs
彡(゚)(゚)「夷吾か…あんまりええ噂は聞かへんねんけどな…郤芮はあんなこと言うとるけど…」

彡(゚)(゚)「枝、お前はどう思う?あいつ帰国さしてちゃんとやっていけるか?」


('ω`)「私は難しかろうと思いますよ。夷吾は性格に問題がありますから。」

('ω`)「口を開けば出てくるのは人を妬むようなことばっかりです。とても国を鎮めることなどできますまい。」


彡(-)(-)「そうか…やっぱりそうやろな…」


彡(゚)(゚)「まあでもええわ。帰国さしたろやないか。」

彡(゚)(゚)「あいつを送り込んで晋が混乱すんねやったら、ワイらにはむしろ都合がええっちゅうもんやろ。」

彡(゚)(゚)「百里奚!出兵の準備や!」

(●▲●)「はっ!!」


悩んだ穆公であったが、結局夷吾を帰国させることに決めた。
晋が混乱している方が、秦にとって好都合との判断であった。

百里奚が兵を率いて出撃し、斉軍と協力して夷吾を即位させた。
夷吾の諡は恵公。以下はこれに統一する。

ちなみにこの年、宋では襄公が即位している。

719: 名無しさん@おーぷん 2016/07/15(金)00:36:31 ID:jSs
前650年
晋都絳


(・8・)「公。周王が公を正式に諸侯として認めたそうですぞ。」

(●゚◇゚●)「そうか。そりゃよかった。これで俺の権威にも箔がつくってもんだよ。」 ←晋恵公

(●^◇^●)「いや~、俺が晋公だなんて、まったく笑いが止まらないよwww」


(●゚◇゚●)「ただ、ちょっと最近考えてることがあるんだ…」


(●゚◇゚●)「まず、秦に贈ると約束した河西の城だけど、あれはやっぱり大事な拠点だから、秦に渡すのは惜しい気がするんだよ。」

(●゚◇゚●)「それから里克と丕鄭がちょっと目障りになってきたんだ。なんとかできないもんかね?」


(・8・)「…そうですね…方法はありますよ。」


(・8・)「まず丕鄭を使者として秦に送り、城を渡さないことを告げさせます。」

(・8・)「それから、丕鄭が留守の隙に里克を強引に殺してしまうのです。」


(●゚◇゚●)「なるほど!!こりゃまたよく考えたもんだ!!」

(●゚◇゚●)「すぐにそうしよう!!丕鄭を呼ぶんだ!!」


晋恵公は、やはり人格に難のある人物であった。
即位するや、穆公と里克・丕鄭の恩をケロッと忘れ、約束を反故にするべく陰謀を練り始めたのである。

720: 名無しさん@おーぷん 2016/07/15(金)00:36:51 ID:jSs
秦都雍


彡(゚)(゚)「晋から使者?」


丕鄭「私は丕鄭と申します。晋公夷吾からのお手紙を持参致しました。」

彡(゚)(゚)「手紙?見してみいや。」

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
秦公任好どのへ

お約束しておりました河西の5城でありますが、残念ながらお贈りできぬこととなりました。
もちろん私はお贈りしようとしたのですが、大臣たちの猛反対に遭ったのです。
「父祖の地を容易く渡すわけにはゆかぬ」と言うのです。
まあ彼らの気持ちもわからんでもない。結局どうにも説得しきれませんでした。
とにかくそんなわけで、あの約束はなかったということで。悪しからず。

晋公夷吾
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

彡(゚)(゚)「」

(●▲●)「」

(・8・)「」


丕鄭「…」


晋恵公が秦に向けた言い訳は、国内の大臣に反対された、というものであった。
なんとも馬鹿にした話である。秦の君臣はみなあきれ返ったことだろう。
かつて鄭厲公が、即位の支援を受けた宋荘公との約束を、即位後に反故にしたようなものだ。

ただ、宋荘公と違ってどういうわけか穆公は大して怒らず、恵公を追及することもなかったのである。

721: 名無しさん@おーぷん 2016/07/15(金)00:54:09 ID:jSs
使者「丕鄭さま。ちょっとお耳を。」ゴニョゴニョ

丕鄭「…ん?何?里克が死んだと?」ヒソヒソ

丕鄭「なんと…まさか…俺の留守を狙って…?」

丕鄭「やられた…郤芮に嵌められたんだ…」

丕鄭「このままじゃ俺の身も危ないな…こうなったら…」


丕鄭「秦公。一言申し添えておきたきことがございます。」

彡(゚)(゚)「…なんや…」

丕鄭「実は、城の贈与に反対しているのは、郤芮、郤称、呂甥の3人なのです。」

丕鄭「そこで提案なのですが、どうか3人を秦に呼び出して戴けませんでしょうか。」

丕鄭「さすれば私は帰国して夷吾を追放致します。そうしておいて、公が重耳を晋に送り込まれるのです。」

丕鄭「そうなれば、河西の5城は公のものとなるでありましょう。」


彡(゚)(゚)「…お、おう…」

彡(゚)(゚)(なんやこいつ?なんか態度が妙やぞ?)


丕鄭が秦で言い訳をしている頃、晋では里克が自殺に追い込まれていた。
奚斉・卓子・驪姫・荀息を死なせたことを責めたてられたのである。(晋文公編参照)

そして、この報せは秦の丕鄭のもとにも届いた。
恵公と郤芮の陰謀を察知した丕鄭は、窮余の一策として、穆公を利用しようとした。

725: 名無しさん@おーぷん 2016/07/15(金)17:13:26 ID:jSs

晋都絳


泠至「私は泠至と申す者です。秦公の使いとして参りました。」

(●゚◇゚●)「ああどうも。一体何の御用ですか?」

(●゚◇゚●)「あ、先に言っときますが、河西の城の話ならしても無駄ですよ。もう終わったことですから。」


泠至「…いえ、今日参りましたのは全く別件であります。」

泠至「我が君任好は、晋公の善政を常日頃より褒め称えておられます。」

泠至「そしてこの度、晋公を支えておられる郤称・郤芮・呂甥の御三方を秦にお招きしたく思われ、私を派遣なさったのです。」

泠至「これはほんの御挨拶です。どうかお納め下さい。」キンギンザイホウ


(●^◇^●)「おっ!!これはまた大層なものを!!」

(●゚◇゚●)「郤芮!!秦公がお招きだ!!行ってきてもいいぞ!!」


丕鄭 ニヤッ


(・8・)「…」


穆公は丕鄭の誘いに乗った。
冬に泠至を晋に送り、多数の礼物を添えて、三大臣を招待させたのである。

ちなみに、郤称は郤芮の兄である。

726: 名無しさん@おーぷん 2016/07/15(金)17:14:08 ID:jSs
(・8・)「呂甥よ。いきなり秦公に招待されたわけだが、なんだか妙じゃないか?」

呂甥「そうですね。大量の贈り物といい使者の口上といい、どうにも話がうますぎますな。」

(・8・)「もしかして秦公は俺たちを誘い出すつもりなのか…?」

呂甥「そう考えるべきでしょう。これは絶対に陰謀ですね。」

(・8・)「と、すると…」


数日後


丕鄭「…よし…これで後は夷吾を追い出せば…」ニヤニヤ


(^8^)「丕鄭どの。」キラッ

丕鄭「わっ!?」


ズシャアッ


丕鄭「グギョッ!?」バタッ


(^8^)


郤芮は罠にかからなかった。ばかりか、陰謀の陰に丕鄭がいることをも見抜いたのである。
郤芮・郤称・呂甥は協力し、丕鄭とその協力者たちを皆殺しにした。
この時丕鄭の子の丕豹は秦に亡命し、穆公に面会して晋を攻めるよう説いたが、穆公は受け付けなかった。
陰謀にかけては、郤芮の方が穆公より何枚も上手だったのである。

結局、穆公は河西の地を得ることができなかった。
そして一連の事件により、秦と晋の関係は微妙なものとなってしまう。

727: 名無しさん@おーぷん 2016/07/15(金)17:14:20 ID:jSs
前647年


秦都雍


('ω`)「公。晋公からまた手紙が来ましたぞ。」

彡(゚)(゚)「あ?また夷吾か。今度は何を企んどるんや…」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
親愛なる我が義兄、秦公任好様へ

拝啓

山々の草木も色づく仲秋のこのごろ、秦公におかれましてはますますご健勝のことと思います。
さて昨年に続き、晋は今年も凶作に見舞われました。これも私の君主としての徳量のなさによるものであり、慚愧に堪えません。
とはいえ、民には罪はなく、このまま民が餓えるに任すのは忍びなく思います。この身に替えてもなんとか救ってやらねばなりませぬ。
もはや、公のお力に縋るより他ございません。どうか、わが民を憐れみ、我が国に食糧をお分け与えくださいませ。
夷吾、一生のお願いでございます。

敬具

晋公夷吾
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

彡(゚)(゚)「ほ~ん、晋は凶作かいな…」

彡(゚)(゚)「しかし、困ったときだけ文面もえらい腰の低いことやな…」


この年、晋が2年連続で饑饉に見舞われた。
すると晋恵公は、かつて裏切った穆公に、なんと食糧支援を求めたのである。

728: 名無しさん@おーぷん 2016/07/15(金)17:17:01 ID:jSs
彡(゚)(゚)「さてどないしたもんかな…」

彡(゚)(゚)「もし援助したっても、あの夷吾からいつか恩が返ってくるとはとても思えんからな…」


('ω`)「私は援助すべきかと思います。」

('ω`)「どうせ返礼はありますまいが、そんなことを続けていれば、いずれ晋の民が晋公に叛くでしょう。」

('ω`)「そうなってから晋を撃てば、必ず勝つことができます。」


(●▲●)「私もそう思います。」

(●▲●)「そもそも饑饉のような天災は各国に代わる代わる起こるものです。天災に遭った隣国を助けるのは道理から言って当然のことでしょう。」

(●▲●)「正道を行けば、きっと良いことがありますよ。」


彡(゚)(゚)「…まあせやな…ほなそないしよか…」


丕豹「公!甘すぎますぞ!!晋は必ず裏切ります!!そんな晋を助けるなど百害あって一利なし!!」

丕豹「饑饉で晋は弱っているのです!!これを機に晋を撃たれませ!!」


彡(゚)(゚)「いや、それはあかん。」

彡(゚)(゚)「確かにワイは晋公が嫌いや。ほんでも民には罪はないやろ。」


穆公は悩んだ末に、晋を援助することに決めた。
黄河の水運を使い、秦都雍から晋都絳まで穀物を運んだのである。
この輸送は大規模なもので、雍から絳まで途切れることなく舟列が続いたという。
人々はこれを「汎舟の役」と呼んだ。

739: 名無しさん@おーぷん 2016/07/17(日)13:07:16 ID:yuk
前646年
秦都雍


彡((゚))((゚))「今度は秦が不作や…どこにも食いもんがあれへん…このままやとみんな飢え死にしてまう…」グー

彡((゚))((゚))「晋に助けてもらうしかないな…使者送ろ…」ゲッソリ


晋都絳


使者「…というわけでございます。どうか我が国に穀物をお送り下さいませ。」

(●゚◇゚●)「ふ~ん…どうしようかな…」


虢射「公。私は送るべきではないと思います。むしろ、この機に乗じて秦を撃つべきでしょう。」

虢射「敵は饑饉で弱っているわけですから、必ず勝つことができますよ。」

(●゚◇゚●)「なるほど!!そりゃいい考えだな!!さっそく準備しよう!!」


この年、今度は秦が凶作になった。やむなく穆公は晋に援助を求めた。
ところがなんと晋恵公は、秦を援助するどころか、逆にこの機に秦を攻めようと言い出したのである。

740: 名無しさん@おーぷん 2016/07/17(日)13:08:00 ID:yuk
(*^◯^*)「ちょっと待ってほしいんだ!!いくらなんでもそれは酷すぎるんだ!!」 ←慶鄭

(*^◯^*)「お世話になった秦を裏切って、秦の不幸を喜ぶようなことしてちゃ、とても国は守れないんだ!!」

(*^◯^*)「秦をあまり怒らせちゃまずいんだ!!」

虢射「何言ってんだお前。それを言うなら秦はもうとっくに俺たちにキレてやがるよ。」

虢射「皮衣だって、皮がなきゃ毛があったってどこにもくっつけないだろうが。今更努力したって秦が敵なのは変わんねーよ。」

(*^◯^*)「それにしてもやりすぎなんだ!!こんなことしてちゃ、この先何かあってももう誰も助けてくれなくなるんだ!!」

虢射「そんなことはいいんだよ。それより今食糧なんか送ったら、敵に力をつけさせることになっちまう。絶対駄目だ。」

(*^◯^*)「でも、恩を忘れて人の不幸を喜ぶような奴は、親戚の間でも嫌われるんだ!!」

(*^◯^*)「ましてや相手は仲の悪い秦なんだ!!絶対悪いことになるんだ!!」


(●゚◇゚●)「もういいよ慶鄭。お前は下がれ。」

(●゚◇゚●)「出兵の準備だ!!」


(*^◯^*)「」


出兵談義に対して、慶鄭という大臣は猛反対し、虢射という大臣と激しく論争した。
しかし結局、晋恵公の意思を覆すことはできなかったのである。
晋軍は秦に侵攻を開始した。

741: 名無しさん@おーぷん 2016/07/17(日)13:08:26 ID:yuk
前645年
秦都雍


('ω`)「公!晋軍が攻めて来たそうですぞ!!」

彡(゚)(゚)「な…なんと…」ワナワナ


彡(●)(●)「どういうつもりじゃああああ!!あのクソガキンチョがああああああ!!!」

彡(●)(●)「もう我慢の限界や!!こうなったら出陣して叩きのめしたるわ!!アイツ絶対許さんぞ!!」


晋軍陣中


虢射「公!秦軍が出撃してきましたぞ!!」

(●゚◇゚●)「おっ!ついにおいでなすったな!!!」

(●゚◇゚●)「兵力はこっちの方が多いんだ!!一気に揉み潰してやれ!!」


ワーワーワーワー


(●゚◇゚●)「…ェ…なんで勝てないんだよ…」


晋のとんでもない背信行動に激怒した穆公は、この年、全軍を率いて晋に侵攻した。
そして晋軍と交戦し三戦三勝。晋の奥深くまで侵入し、韓原の地で晋軍と対峙した。

743: 名無しさん@おーぷん 2016/07/17(日)15:11:06 ID:EfG
腹を減らしている不意を衝かれた少数の軍隊が、満腹の多数の軍隊を打ち破るとは用兵学の全ての常識に喧嘩を売るような結末w

やはり晋の将兵にも「これはひどい」と思って戦意の乏しいのが多かったのかな?

749: 名無しさん@おーぷん 2016/07/18(月)14:04:41 ID:vC1
>>743
餓えてるからこそ
略奪行為出来る豊な晋領への逆襲は
兵の士気上がるという・・・
元々兵の質は辺境>中原

744: 名無しさん@おーぷん 2016/07/17(日)20:41:31 ID:e2Z
食料を送ってくれた恩のある秦公とは戦いずらかったろうな

748: 名無しさん@おーぷん 2016/07/18(月)14:02:50 ID:q5T
乙でした。
ところで虢射って虢国の生き残りかな?

751: 名無しさん@おーぷん 2016/07/18(月)21:43:35 ID:RTN
>>748
魏万とかみたいに、もともと晋の大夫だった人が滅ぼした虢を封邑としてもらったときに、虢を姓にしたのかもしれんな
むろん虢公室の一族だった可能性もあるけど

750: 名無しさん@おーぷん 2016/07/18(月)18:47:09 ID:q5T
略奪を有効に使えれば遠征軍は迎撃側より有利になるね。

兵質が秦>晋っていうのは違うと思うぞ、晋は強兵の国だし
一概に中原=強兵はではないよ。中原が強兵を生み辺境が弱兵を生む時代もある。

752: 名無しさん@おーぷん 2016/07/19(火)20:58:04 ID:v6g
両方有り得るけど、虢室傍系の可能性が高そう
>>750
中原ど真ん中の鄭兵も強いし、ケースバイケースやな
経済都市が発達して富裕になると怠惰に流れて戦争忌避≒弱兵化する傾向はあるが

754: 名無しさん@おーぷん 2016/07/20(水)23:12:34 ID:Mwk
九月
晋の地・韓原
秦軍陣中


彡(●)(●)「どうや夷吾め…追い詰めたったぞ…」

('ω`)「公。ここはもう引きあげるべきです。既に3度も勝ったのですから、戦果としては十分でしょう。」

('ω`)「兵力は敵の方が多いのです。あまり調子に乗ると手痛い反撃を喰らうかもしれませんよ。」

('ω`)「そもそも公が夷吾を即位させなさったのは、晋を秦に服従させるためです。」

('ω`)「もし晋を従わせられず、しかも晋と戦って敗れたとあっては、秦は天下の笑いものになってしまいますぞ。」

彡(●)(●)「何を言うとんねん!!夷吾がここまでどんだけやりたい放題やってきたと思っとるんや!!」

彡(●)(●)「この世に天の裁きがあるんやったら、なにがなんでも絶対ワイの勝ちや!!」


晋軍陣中


(●゚◇゚●;)「まずい…勝たなきゃ…勝たなきゃ…」

(●゚◇゚●;)「おい…慶鄭よ…どうすりゃ勝てるんだよ…」

(*^◯^*;)「いや…そんなこと言われても困るんだ…こうなったのももとは公のせいなんだ…」

(●火◇火●;)「な…なんだとおおお!!この無礼者がああああ!!」


公孫枝は会戦を避けるよう進言したが、穆公は聞かなかった。
そして一方、晋恵公は慶鄭に八つ当たりしていた。

755: 名無しさん@おーぷん 2016/07/20(水)23:12:51 ID:Mwk
(●゚◇゚●;)「と…とにかくまずは占いだ!!俺の車右と御者を決めるぞ!!」


ウンブラブレー


占い師「車右は慶鄭どのが適任です。」


(●火◇火●;)「はあああああ!!??あのクソ野郎がかああああ!!!???」

(●火◇火●;)「もう占いはやめだあああ!!車右は歩揚、御者は家僕徒でいい!!」

(●火◇火●;)「はやく馬車に馬をつなげえええ!!鄭からもらった一番いいやつにしろおおお!!!」


(*^◯^*;)「ちょっと待ってほしいんだ!!戦争に使う馬は晋の馬でなきゃ駄目なんだ!!」

(*^◯^*;)「他の国の馬なんか、土地の人間に慣れてないし、道も地形もわかっちゃいないんだ!!」

(*^◯^*;)「戦に駆り出したりしたら気が動顚して、頭に血が上って鼻息ばっかり荒くなって、御者の命令も聞かなくなるに決まってるんだ!!」


(●炎◇炎●;)「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!お前ええええええええ!!!まだ口ごたえすんのかああああああ!!!」

(●炎◇炎●;)「一々うるせえんだよおおおおおおおお!!!お前はもうすっこんでろおおおおおおおお!!!!」


(*^◯^*;)「」


慶鄭は晋恵公を諫めつづけたが、その献言は悉く無視されてしまう。

756: 名無しさん@おーぷん 2016/07/20(水)23:13:47 ID:Mwk
(●゚◇゚●;)(ふうふう。ちょっと落ち着かなきゃ。)

(●゚◇゚●;)「韓簡!!秦軍の様子を見て来い!!」


韓簡「ただいま戻りました。」

(●゚◇゚●;)「で?どうだった?」

韓簡「敵は兵力こそこちらより劣りますが、闘志のある兵士はこちらの倍ほどもおります。」

韓簡「晋は秦にこれまで様々な恩を受けてきましたからね。戦意の差は倍どころではないかもしれません。」


(●炎◇炎●;)「なんだとおおおおおお!!!そんなことがあるもんかあああああああ!!!」

(●炎◇炎●;)「こうなったら宣戦布告だああああああ!!!敵にこちらをみくびらせるなあああああああ!!!!」

(●炎◇炎●;)「韓簡!!!お前が行ってこいやああああああ!!!!」


韓簡「…はい…」

韓簡(だめだこりゃ)


晋恵公は、晋軍と秦軍の戦意の差を知ってなお、戦うのをやめようとしなかった。
これを見た晋の大夫韓簡は思わず
「吾幸而得囚。」 (『春秋左氏伝』)
と漏らしたという。
今からの戦いでたとえ捕虜になっても、命が助かればまだ幸運と思わねばならない、ということである。

757: 名無しさん@おーぷん 2016/07/20(水)23:14:09 ID:Mwk
韓原の戦についての逸話を一つ。


※スルー可


前650年、晋公となった夷吾は、悲劇の亡兄・申生を改葬しようとした。
夷吾は帰国早々、里克を殺したり申生の正妃であった賈君を犯したりと、何かと無道を繰り返していたため、これを機にイメージアップを図ったのだろう。
ところが、申生の墓を掘り起し、棺桶を開いてみると、そこから強烈な異臭が立ち上った。屍骸が腐っていたのだろう。
申生の霊を慰めるつもりが、かえって恥をかかせてることになってしまったのだった。

そしてその年の秋、申生の教育係だった狐突が曲沃に行くと、なんとそこに申生の亡霊が出現したのである。2人は以下のような会話をした。

申生「夷吾は無礼である。もはや私は晋を秦に与えることにした。既に天帝の許可もとってある。私の祭祀は秦にしてもらうことにしよう。」
狐突「そんな…秦が太子の祭祀をするとは思えませんよ。晋が滅べばあなたの祭祀も絶えてしまうでしょう。」
狐突「それに民に何の罪がありましょうか。民を不当に苦しめ、ご自身の祭祀も絶やしてしまうような真似はどうかお止め下さい。」
申生「…わかった。もう一度天帝に相談してみる。7日後、曲沃の外れに巫人が出るから、そこでまた会おう。」

そして予言通り7日後に巫人が現れ、申生の霊を降ろして
「天帝のお許しが出たので、私は夷吾だけを罰することにする。韓の地で夷吾は大敗することになるであろう。」
と語ったという。

758: 名無しさん@おーぷん 2016/07/20(水)23:14:34 ID:Mwk
壬戌


(●炎◇炎●;)「全軍突撃!!秦軍を叩き潰せ!!」

虢射・韓簡・梁由靡「はっ!!」


秦軍陣中


彡(●)(●)「ついにきおったか!!こっちも突撃や!!」

彡(●)(●)「1人も逃がすな!!絶対許すなよ!!」


ワーワーワーワー


彡(●)(●)「くそっ!!なんで今日はうまいこと進めんのや!!」

('ω`)「公!!敵軍が間近く迫っております!!ここは危険ですぞ!!」

彡(●)(●)「くそおおおおお!!!!なんでやああああ!!!!なんでワイが退かなあかんねやああああ!!!!!」


壬戌の日、両軍はついに激突した。
また秦軍の圧勝となるかと思いきや、今回は晋軍は容易く崩れず、それどころか秦軍が劣勢となった。
兵力差に加えて、秦軍の連勝に対しての危機感が晋軍を奮い立たせたのであろう。

759: 名無しさん@おーぷん 2016/07/20(水)23:15:49 ID:Mwk
晋軍陣中


(●゚◇゚●;)「お…押してる…こっちが押してるぞ…」

(●^◇^●;)「よし!!こうなったら俺自ら突撃して、一気に勝負をつけてやる!!」

(●^◇^●;)「全速前進!!」ガラガラガラガラ

(*^◯^*;)「あっ!!公!!気をつけないと!!」

(●^◇^●;)「お前は黙ってろ!!突撃突撃!!!」ドドドドドドドド


グラッ


(●゚◇゚●;)「!?」


ボチャン


(●゚◇゚●;)「おい何だこれは…なんで泥濘にはまってるんだよ…」

(●゚◇゚●;)「御者はなにやってやがるんだ!!泥濘くらい避けられただろうが!!これじゃ動けないぞ!!!」

(●゚◇゚●;)「慶鄭!!ちょっと助けてくれ!!」


(*^◯^*;)「…嫌なんだ…もう知ったこっちゃないんだ…」

(*^◯^*;)「…何もかも自業自得なんだ…戦争も…占いも…馬も…」タチサリー


(●゚◇゚●;)「」


戦は晋軍有利で進んでいた。
ところが、なんと晋恵公の兵車が泥濘にはまり、抜けられなくなってしまったのである。鄭出身の馬が暴走したのであろう。
そして、恵公は慶鄭に助けを求めたが、あまりのことに呆れ果てた慶鄭は、命令に背いて恵公を放置した。

760: 名無しさん@おーぷん 2016/07/20(水)23:16:10 ID:Mwk
秦軍陣中


('ω`)「公!!早くお逃げ下さい!!敵がもうそこまで!!」

彡(●)(●)「うるさいいいい!!黙れえええええ!!こんなとこで引き下がれるかあああああ!!」


虢射「お!?おれは秦公じゃないか!?」

梁由靡「やったぞ!!とっ捕まえりゃこっちの勝ちだ!!」

韓簡「行くぞ!!全速力だ!!」ドドドドドドドドド


彡;(●)(●)「あ…しまった…敵に見つかった…」


虢射「晋の大夫虢射見参!!!秦公、覚悟!!」ドドドドドドドド

韓簡「御命頂戴つかまつる!!!」ドドドドドドドド


彡;(●)(●)(あかん!!逃げきられへん!!)

彡;(-)(-)(くそっ!!こんなとこで…こんなとこでワイは死ぬんか!!)


前線では、恵公の有様など知らない晋軍が、いよいよ秦軍を崩壊させんとしていた。
そして、韓簡の兵車(御者:梁由靡、車右:虢射)がついに穆公を発見。猛然と襲い掛かる。
穆公、絶体絶命。

761: 名無しさん@おーぷん 2016/07/20(水)23:16:39 ID:Mwk
虢射「その首、もらったあああああああ!!!」ホコフリカザシー

彡;(-)(-)(…みんな…すまンゴ…さいならやで…)


???「待つんだ!!」


梁由靡「ん?」キキーッ


(*^◯^*;)「梁由靡!!大変なんだ!!公が泥濘で立ち往生してるんだ!!」

(*^◯^*;)「敵に構ってる場合じゃないんだ!!早く助けなきゃまずいんだ!!」


梁由靡「…」

韓簡「…なんと…」

虢射「…仕方ない。引き返すぞ。」チッ


彡;(゚)(゚)「…なんか知らんけど助かった…一安心やで…」

彡(^)(^)「…せや!!ほっとしとる場合ちゃうんや!!これは絶好のチャンスやで!!」

彡(^)(^)「敵は晋公に気イとられて腰がひけとるぞ!!いまこそ押し返したれ!!全軍突撃!!」


穆公を救ったのは、なんと敵の慶鄭の一言であった。
慶鄭は、穆公に襲い掛かる虢射をわざわざ引き止め、晋恵公の状況を知らせたのだ。
その隙に穆公は逃げおおせたのである。

そして、これを機に戦況は一変した。
恵公の危機を知った晋兵は戦意を失い、秦軍に圧倒された。
結局、秦軍は大勝。なんと逆に恵公を捕虜にしたのである。

763: 名無しさん@おーぷん 2016/07/20(水)23:31:33 ID:U33
乙。

虢射……そこで目の前の穆公を討ち取っておけば恵公がどうなろうと最悪でも痛み分けだったんだぞ……

768: 名無しさん@おーぷん 2016/07/21(木)08:40:55 ID:BK7
乙やで
>>763
言われてみれば確かに

769: 名無しさん@おーぷん 2016/07/21(木)14:13:19 ID:Utm
乙でした
後の覇権国だけあって晋軍の武勇は脅威やな、負けたけど

777: 名無しさん@おーぷん 2016/08/09(火)00:57:02 ID:oXU
帰路


彡(^)(^)「いや~。またまた大勝利やったな~。なんせ晋の君主を捕虜にしてもうたんやからなwww」

彡(^)(^)「まあ途中危ないとこもあったけど、結局ワイの方がツイとったな。これも天の思し召しやで。」

('ω`)「公。晋公はどうなさるおつもりですか?」

彡(^)(^)「決まっとる。雍に帰ったら処刑して、御先祖様と天へのお供えもんにするで。大勝利のお礼をせなあかんからな!!」

(●゚◇゚●;)「!?」


彡(゚)(゚)「ん?そういえばさっきからワイらをつけとる奴らがおるみたいやぞ。」

('ω`)「どうやら晋の大夫のようですね。晋公のことが心配で後を追ってきたものと見えます。」

彡(゚)(゚)「ほ~ん…こんなクズの心配をな…あんなボロボロんなってまで…」


彡(-)(-)「…なんかエエ話やな…」ホロリ


彡(゚)(゚)「よっしゃ。あいつらにこう伝えたれ。」

彡(゚)(゚)「ワイは晋公に手荒な真似はせんつもりやから安心せい、とな。」


大勝し凱旋する秦軍を、郤乞という晋の大夫らが追いかけた。晋恵公のことが心配だったのである。
髪も結わず野宿して進んだというから、おそらく乞食同然の薄汚い風体になっていたことだろう。
これを知った穆公は憐れに思ったのか、恵公に危害を加えるつもりがない旨を郤乞らに伝えさせた。

すると、伝言を聞いた郤乞は三拝して額を地につけ、
「君履后土而戴皇天,皇天后土,實聞君之言,群臣敢在下風」  (『春秋左氏伝』)
と答えた。穆公の厚意に感謝しつつ、一方で天地が聞いた約束だから違えることのないように、と念を押したのである。
温情に縋る立場の人間の発言にしてはなんとも強気なことだ。
晋の君臣の厚かましさは秦に大敗しても全く変わらなかったのだ。

778: 名無しさん@おーぷん 2016/08/09(火)00:57:28 ID:oXU
秦都雍郊外


彡(^)(^)「とうとう帰ってきたで!!みんな喜んどるやろな!!」


彡(゚)(゚)「ん?何やあれ?あんなとこに物見楼なんかあったか?」

('ω`)「なんだか様子が妙ですね…楼の上に人がいるようですが……」


彡(゚)(゚)「待てや!!ありゃ伯姫と子供らやないか!!」

彡(゚)(゚)「それに楼の下に薪なんか積んどるし!!火ィついたら危ないやんけ!!」


凱旋の秦軍は、ついに秦都雍の郊外にまで帰ってきた。
すると、それを聞きつけた伯姫は、なんと喪服を身につけ、子の罃・弘・簡璧を引き連れて高楼に登り、楼下に大量の薪を積み上げさせたのである。

779: 名無しさん@おーぷん 2016/08/09(火)01:00:00 ID:oXU
使者「公!!伯姫様よりお手紙です!!」

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
公へ

天は秦と晋に禍を下され、両国の君主を戦場に相見えさせました。
もし公が晋公を都に連れ込まれるのであれば、私はすぐにでも焼け死ぬ所存。
どうかよろしくお取り計らい下さい。

伯姫
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

彡(-)(-)「なんと…弟のことがそこまで心配なんか…」


彡(゚)(゚)「しゃあないな。夷吾は殺さんといたろ。都の外に泊めたれや。」

縶「公!!いけません!!晋公がこれまで何度我らを裏切ってきたかお忘れですか!!」

彡(゚)(゚)「いや…まあ確かにそれはそうやけど…」

彡(゚)(゚)「伯姫は本気やで。せっかく夷吾捕まえたかて、それで伯姫と子供らが死んでしもたら本も子もあれへん。ワイに喪服着て帰れっちゅうんかい。」

彡(゚)(゚)「それにワイは、ついてきおった晋の大臣と約束したんや。約束破ったらそれこそ恨み買うことになるやんけ。」


伯姫は決死の覚悟を示し、晋恵公の助命を嘆願した。
すると、さすがの穆公もこれには心を打たれ、恵公の処刑を思いとどまったのであった。
恵公は雍郊外の霊台というところに拘留された。

781: 名無しさん@おーぷん 2016/08/09(火)01:00:39 ID:oXU
十月
秦の地・王城


呂甥「初めまして。晋を代表して参りました、大夫の呂甥と申します。」

彡(゚)(゚)「おお御苦労さん。お名前はかねがね聞いとりまっせ。」


呂甥(何がかねがね聞とりまっせ、だ。前に俺を殺そうとしたくせに…)

彡(゚)(゚)(こいつが呂甥か…なるほど、いかにも悪人面やな…)


彡(゚)(゚)「呂甥さんよ。晋の国は今はちゃんとまとまっとるんか?」

呂甥「いいえ。まとまっておりません。」

呂甥「事情に暗い小人たちは、先の敗戦を恨み、太子のもと団結して軍備を増強し、夷狄に服従してでも秦に報復せんと息巻いておりました。」

呂甥「しかし一方で、もののわかった君子たちは、過去の過ちを認めており、公をお救い下さった秦公に感謝しております。」

呂甥「そのため、進んで軍備を増強し、秦公の御恩に報いんと指示を待っておるのです。」


彡(゚)(゚)「そうか…」

彡(゚)(゚)(なんや…結局軍拡しとるんやんけ…こいつ、もしかしてワイを脅すつもりなんか?)


十月、穆公は王城の地で呂甥と会盟した。現代風に言えば、講和条約を結んだのである。
その際、穆公の問いに対し、なんと呂甥は言葉巧みに晋の軍拡を匂わせ、晋が決して言いなりにならないことを強調したのである。

782: 名無しさん@おーぷん 2016/08/09(火)01:01:28 ID:oXU
彡(゚)(゚)「ほんなら、晋では晋公のこれからをどない予想してはるんや?」

呂甥「小人共は、散々迷惑をかけられた秦公が我が君を許すわけがない、と考えております。」

呂甥「しかし君子は、きっと許されるだろうと安心しております。なにしろこちらは反省して罪を認めているわけですから。」

呂甥「叛く者は捕え、従う者は許す。これぞ至上の刑罰であり、これをなせば秦は覇者となるでしょう。」

呂甥「かつて我が君を晋に送り込んでおきながら、後になってこれを廃し、恩徳を恨みに変えるようなことを、よもや秦がするはずはありませんからね。」


彡(゚)(゚)「…お…おう…せやな…それはワイもそない思とったわ…」


呂甥の厚かましさは脅迫に留まらなかった。
晋国内の小人と君子に仮託し対比することで、道徳を盾にとり、遠回しに晋恵公の赦免を要求したのである。
まったく、晋の厚顔無恥ぶりには呆れるほかない。

しかし、これに対し穆公は怒ることなく、晋恵公の解放を決定した。
十一月、太子の圉を人質として秦におくことを条件として、恵公は晋に帰国する。
帰国した恵公が何より先にやったことは、憎い慶鄭を処刑することであった。

783: 名無しさん@おーぷん 2016/08/09(火)01:02:31 ID:oXU
韓原合戦後の晋について。

※スルー可


霊台に囚われた晋恵公は、直ちに郤乞を帰国させて状況を報告させた。
すると、報告を聞いた呂甥は一計を案じ、まず朝廷に群臣を集め、君命の名のもとに褒賞を与えた。
そして恵公の言葉と称して、郤乞の口から以下のように言わせたのである。
「私は帰国は叶うであろうが、国家を辱めた責任を取らねばならない。我が子・圉を即位させることの可否を占ってほしい。」
これを聞いた群臣は、みな恵公を憐れに思い、こぞって号哭した。

そして、ここで呂甥が進み出て、感極まっている一同を前に滔々と述べた。
「我が君は自らの危難も脇において、群臣のことを心配して下さっている。なんとありがたいことではないか。
かくなる上は、我らもできることをやろう。即ち、軍備を増強して幼君を輔弼し申し上げるのだ。
国君を失っても新君が立ち、群臣は一致団結、甲兵も増強された、と諸侯が聞けば、盟邦は我らを励まし、敵は我らを恐れるであろう。」
これに一同は賛成し、ここから晋では易田と州兵の制度が始まったのである。

無論、恵公には退位の意思などないのだが、呂甥は国内を取りまとめるため、ぬけぬけと大嘘をついてみせたのだ。
そして、それから呂甥は徐ろに秦に赴き、半ば脅迫するようにして恵公の返還を勝ち取ったのである。
晋の首脳の謀略の真骨頂がこれであった。

784: 名無しさん@おーぷん 2016/08/09(火)01:03:16 ID:oXU
前642年
秦都雍


彡(゚)(゚)「晋はボコボコにしたった。これで当分大人しゅうしおるやろ。」

彡(゚)(゚)「去年には、あんだけ偉そうにしとった斉公がとうとう死んだそうや。そろそろワイも遠慮のう勢力拡大さしてもらおかな。」

彡(゚)(゚)「まずねらい目は梁やな。一応同姓やけど、まあそんなことは関係あれへんわい。」


('ω`)「そういえば、梁は最近城を増築したそうですね。今の梁公は昔から土木工事が多い。」

('ω`)「そして、新たにできた区画に国民を移住させようとしているようですが、なかなかうまくいっていないそうです。」


彡(゚)(゚)「そうか…」

彡(゚)(゚)「せや!!ええことおもいついたぞ!!」

彡(゚)(゚)「今すぐ兵送ってそこ占領したれ!!城壁作って、いつまでも居座ったるんや!!」


梁は秦と晋の間にある小国である。かつて晋恵公は、晋に近く秦の援助を受けやすいこの地を亡命先に選んだ。
さて、この頃の梁公は非常な建築好きで、何度も新しい宮殿を建設した。当然、国民はその度に夫役に駆り出された。
そして国民が疲弊してくると、なんと梁公は「○○の国が攻めて来るぞ」などと言いふらし、国民を脅しつけたのである。
ところが、そうまでして作った宮殿がいざ完成すると、梁公はなぜかそこにロクに住まぬまま放置するのが常であったというのだから、最早意味不明だ。
おそらく梁公が好きなのは工事そのものであって、宮殿には興味はなかったのだろう。

そしてこの年、梁公は城の増築を行い、そこを新里と名付けた。しかし、新里への植民には失敗してしまう。
すると、ここに穆公が目を付け、なんと兵を送って占領してしまったのである。
翌春には秦軍は新里に新たに城壁を築き、完全に居座る態勢を作り上げた。

城の一部を秦軍の基地にされてしまった梁の国民は生きた心地がしなかったことであろう。
ところが、ただ一人だけ、全く危機感のない人物がいたのである。
それは梁公であった。

785: 名無しさん@おーぷん 2016/08/09(火)01:03:41 ID:oXU
前641年


梁公松「今年は宮殿の外に濠を作るぞwww」

梁公松「オラオラwww働け働け国民どもwww早くしないと秦が攻めてくるぞwww」


国民A「なんだって!?とうとう攻めてきやがったのか!!」

国民B「みんな早く逃げろ!!皆殺しにされるぞ!!」


ワーワーキャーキャー


梁公松「」


彡(^)(^)


この年、懲りない梁公は今度は宮殿の周囲に深い濠を掘ろうとした。
そして疲弊した国民に一言。「秦が攻めてくるぞ。」
ところが、これは今度は冗談では済まなかった。秦の脅威を間近く感じていた国民たちは、なんと悉く逃亡してしまったのだ。
無人となった梁を秦軍は易々と占領したのであった。

787: 名無しさん@おーぷん 2016/08/09(火)01:13:09 ID:FpM
恵公は清々しいほどのクズやな

792: 名無しさん@おーぷん 2016/08/11(木)11:26:18 ID:Iib
>>787
あと梁公もダメな人だな

794: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)19:55:15 ID:QGA
イッチ乙

勝ち組の晋文と秦穆、覇者説話に挟まれて完全に小人化してる恵公陣営だけど
やらかして負けた後の当座凌ぎと軍事能力拡充の国策は的確、パーフェクトに近い
賢君であっても運が悪いと負けるし地政学的な問題で上手くいかない事もある
呂甥みたいな才能は貴重だわ

795: 名無しさん@おーぷん 2016/08/12(金)22:23:41 ID:P4R
戦国策で持ち上げられるタイプ、過渡期にはこういう厚かましい才能がいるな。
七雄の時代に生まれたら張儀みたく大人物扱いされそう。

802: 名無しさん@おーぷん 2016/08/14(日)14:53:34 ID:iFD
>>795
戦国と違ってまだ何でもありの時代じゃないからねぇ・・
それゆえに郤芮は過小評価されたとみることもできるけど、
信義のなさで時代を先取りしていたといわれてもあまりありがたみがないな

804: 名無しさん@おーぷん 2016/08/15(月)20:21:23 ID:XTW
>>802-803
要人の貴族的で優美なパフォーマンスで上品に見える春秋期と戦国策のかなり偏ったイメージで語られる戦国期

しかし実際は言うほど差はないかと、
「室町時代と戦国・安土桃山時代、どっちがマシだった?」みたいな。

797: 名無しさん@おーぷん 2016/08/13(土)16:16:09 ID:y38
晋は天下最強の覇権国家になってからは時々ええかっこするけど統一前とか献公期は基本的に外道なんで恵公期の君臣が特別アレなわけじゃない晋人のDNAに厚顔無恥の因子があるんでしょう(笑
名君・文公でさえわりと狭量だし

798: 名無しさん@おーぷん 2016/08/13(土)17:20:18 ID:F8N
まぁ数多くの失敗を繰り返しながらもゴリゴリ無理を通して道理を打ち負かした国だからな(曲沃→晋)

803: 名無しさん@おーぷん 2016/08/15(月)13:59:26 ID:XMp
春秋も信義のなさじゃ負けてない気がするよ、何しろアレな晋と楚が牛耳ってる世界だし

805: 名無しさん@おーぷん 2016/08/16(火)05:52:07 ID:A6C
美談も多いけどそれ以上に小物&ド畜生が多い春秋
どうしようもない人物も君子も少なくなった戦国、特に君子は絶滅寸前

小並感

806: 名無しさん@おーぷん 2016/08/16(火)23:44:37 ID:yPQ
弱小国は情け容赦なく滅ぼされまくってるもんな>春秋

807: 名無しさん@おーぷん 2016/08/18(木)11:42:40 ID:Sgg
戦国期は滅ぼしまくるほど小国がなかった説

808: 名無しさん@おーぷん 2016/08/18(木)11:52:40 ID:sHg
>>807
周「」
魯「」

809: 名無しさん@おーぷん 2016/08/19(金)16:56:11 ID:WWS
>>807
七雄を除くと、戦国期の小国は宋、中山、周、魯、衛、鄒、滕くらいしかないな
戦国初期に滅ぼされた晋、鄭、越や七雄によって封ぜられた薛などの国を含めるともっとあるが

811: 名無しさん@おーぷん 2016/08/20(土)22:46:33 ID:Jii
春秋期と戦国期の史料が編纂された時代(前者は主に戦国前期、後者は主に漢初だろう)の空気が関係してるんじゃね?

>>809
宋、越、中山は小国ではないね
戦国初期の越はまだ覇を争う国に数えられるレベルだし
宋は戦国中晩期に五千乗の国と称された七雄に次ぐ強国

周の権威は戦国期でもある程度は通用している印象

812: 名無しさん@おーぷん 2016/08/21(日)10:39:03 ID:ZY0
春秋は点のような国が当たり前のように滅ぼされてるからな。
魯とか衛が弱い国といっても戦国期まで残ったフィルターの上でだからな
(ちなみに衛は始皇帝の頃でもまだ残ってた)

813: 名無しさん@おーぷん 2016/08/21(日)23:45:08 ID:wRQ
弱いとは言っても魯や衛はそれなりに力ありますからね。戦国時代でも

810: 名無しさん@おーぷん 2016/08/20(土)08:05:50 ID:FwC
同レベルの陰謀でも、
春秋「信義無い!クズ!」
戦国「頭いい!天才!」
なぜなのか

824: 名無しさん@おーぷん 2016/08/24(水)23:42:09 ID:hss
>>814
春秋時代の著名人は孔子が直々に評価をつけてるからな
たとえそれが儒教バイアスフルスロットルやったとしても、やっぱり後世の人間にとったら説得力があるわな

春秋時代だけ儒教史観が強いのはそのせいやと思う

826: 名無しさん@おーぷん 2016/08/25(木)19:24:31 ID:X9t
>>824オッツ
春秋には儒家系バイアス
戦国は弁士バイアス+太史公史観
極端よね

816: 名無しさん@おーぷん 2016/08/24(水)23:29:39 ID:hss
前638年


('ω`)「公!大変です!!晋の太子が晋に逃げ帰ってしまったようです!!」


彡(゚)(゚)「な…なんと…」

彡(●)(●)「クソッタレがあああああ!!せっかく嫁までつけてやったというのに!!どこまでワイを馬鹿にしおるんじゃあああ!!」


彡(●)(●)「こうなったら最後の手段や!!重耳を呼ぶぞ!!」

彡(●)(●)「重耳を晋に送り込んで、晋公にしてまうんや!!」


韓原の合戦後、晋恵公の太子圉が人質として雍に送り込まれていた。
穆公は圉に娘の懐嬴を嫁がせ、それなりに丁重に扱っていた。
ところがこの年、圉は突如脱走して晋に帰国してしまう。晋国内に残った自分の兄弟たちに太子の座を奪われるのを恐れたのである。
翌年、恵公は薨去し、圉が即位した(諡:懐公)。

とはいえ、これは明確な盟約違反である。またしても穆公は晋に裏切られたのだ。
穆公はとうとう恵公・懐公父子への愛想をつかし、当時楚に身を寄せていた重耳を招いた。

817: 名無しさん@おーぷん 2016/08/24(水)23:30:41 ID:hss
前636年
正月


彡(゚)(゚)「さあ公子。いよいよ時がきましたぞ。」

重耳「そうでんな!!一気に晋に行ってしまいましょ!!」


重耳(晋文公)即位


三月
秦の地・王城


晋文公「秦公。いつもお世話になっとります。」

彡(゚)(゚)「公子、いや晋公…あんた即位したんちゃうんかい…なんでこんなとこにおんねん…」

晋文公「いや、それが叛乱が起きましてな…命からがら逃げて来たんですわ…」



彡(^)(^)「よっしゃ!安心しなはれ!!ワイがもっかい助けたりますわ!」


彡(゚)(゚)(なんやこいつ…性格はマトモなようやけど…国内全然まとめられてへんやんけ…)

彡(^)(^)(まあええわ!!律儀な無能とはなんとも都合のええことやなないか!!)

彡(^)(^)(こんだけ恩売ったったら、晋はもうワイに絶対刃向わんやろ!!もうやりたい放題やで!!)


この年、穆公は晋に侵攻し、懐公を駆逐して重耳を即位させた。これが晋文公である。
そして、三月に晋で呂郤の乱が起こると、穆公は文公を保護し、乱の首謀者の郤芮と呂甥を殺して、更に三千の精兵をつけて文公を帰国させた。

信義に篤い文公に絶大な厚意を見せることで、恩を売り、秦に忠実な手駒に仕立て上げようとしたのである。
晋を利用しつつ勢力を拡げ、ゆくゆくは天下の覇者になろうとさえ考えていたかもしれない。

しかし、その目論見はまたしても外れることになる。

818: 名無しさん@おーぷん 2016/08/24(水)23:31:01 ID:hss
前635年
秦都雍


彡(゚)(゚)「周から使者やと?」


左鄢父「はじめまして。周王の使いで参りました左鄢父と申します。」

左鄢父「現在王は夷狄の乱に遭われ、鄭に亡命しておられます。どうか、王に秦公の援助を戴けませんでしょうか。」


彡(゚)(゚)(なるほど…これはワイの力を見せつけるチャンスやな…)

彡(゚)(゚)「わかりましたで!ワイがお助けしますわ!!どうぞ任しとくんなはれ!!」

819: 名無しさん@おーぷん 2016/08/24(水)23:31:16 ID:hss
黄河


彡(゚)(゚)「周王を助けにいくで!!一気に渡ってまえ!!」


('ω`)「公。晋から使者が来ましたぞ。」

彡(゚)(゚)「ん?晋やと?」


使者「こんにちは。晋公重耳の代理で参りました。」

使者「我が君重耳は、先ごろ秦公より受けたる御恩に報いるため、この度是非先陣を努めたいと申しております。」

使者「秦公の御手を煩わすことのないよう、晋国君臣一同懸命に努めます。どうぞ先遣の任を我が国にお申し付け下さい。」


彡(゚)(゚)(なんや…?晋だけで周王助けにいくつもりなんか…?)

彡(^)(^)(まあ、どうせ重耳1人やったら何もできへんやろ。すぐワイに泣き付いて来おるわ。)


彡(^)(^)「おお!そりゃありがたいことやな!!ほなワイは国に帰って応援だけさしてもらうで!!」


前636年、周では王子帯の叛乱があり、帯と結んだ狄が王都を陥落させた。
鄭に逃げ込んだ周襄王は各地の諸侯に助けをもとめたのだが、これを実力誇示の機会ととらえた穆公は、いち早く乱の鎮圧のため兵を発した。

ところが、これと同じことは晋文公も考えており、晋も出兵することになった。
そしてこの時文公は手柄を独占するため、なんと使者を送って秦軍の出動を丁重に断ったのである。

穆公は黄河のほとりで使者に会ったのだが、何を思ったか晋の要請を受け入れてそのまま兵を退いてしまう。

820: 名無しさん@おーぷん 2016/08/24(水)23:32:03 ID:hss
前635年
四月


彡(^)(^)「そうか!!王は無事王都に戻らはったか!!めでたいな!!」


前632年
三月


彡(^)(^)「秦晋斉の三国同盟?エエ話やんけ!!やったろやったろ!!」


四月


彡(^)(^)「なんと!!晋軍が楚軍に勝ったんか!!とんでもないな!!ワイも嬉しいで!!」

彡(^)(^)「ほんで重耳は覇者か!!全くあのボンクラがエライ出世やな!!おめでとうやで!!」



彡(^)(^)(…ん?待てよ?これそんなめでたいか?)

彡;(^)(^)(…いつの間にか重耳の方がワイより偉なってもうとるやんけ…)


前635年4月、晋文公は襄王の救助を無事に果たし、非常な名誉と褒賞を得ることになった。
これ以降、文公は覇道を驀進し、前632年、城濮で楚軍を破ってとうとう中原の覇権を手にすることとなった。

ところが一方の穆公には目立った行動はなく、ただ文公の栄光を見守っていただけであった。
即ち、穆公がボーっとしている間に、晋が秦を凌ぐ強国になってしまったのである。

こうなってはもう文公は穆公のいいなりにはならない。むしろ穆公が文公に気を使わねばならなくなった。
重耳を走狗にして勢力を拡大するという穆公の企みは、完全に裏目に出たのだった。

821: 名無しさん@おーぷん 2016/08/24(水)23:32:31 ID:hss
前630年
秦都雍


('ω`)「公。晋から出兵要請が来ておりますぞ。」

('ω`)「鄭を攻撃して、晋と秦で領土を山分けしたいのだそうですが…」


彡(-)(-)「…鄭か…ちと遠いな…重耳のためにあんなとこまで…」

彡(゚)(゚)「まあエエわ。一応行くだけ行っとこか。」


九月甲午
鄭都新鄭近郊の川・氾水の南



彡(゚)(゚)「重耳め…エライ大軍で来おったな…なんか恨みでもあんのかな…?」

彡(゚)(゚)「まあ包囲は晋軍に任してワイらはここらで見物しとくか…下手に前線出て行って反撃されても馬鹿らしいしな…」


('ω`)「公!鄭から密使が来ましたぞ!!」


燭武子「はじめまして。鄭公の代理で参りました、燭武子と申します。」

燭武子「秦公。お願いがございます。晋に内緒で、こっそり鄭と講和を結んで戴けませんでしょうか。」


彡(゚)(゚)「!!」


この年、秦は晋の要請に従い、共同で鄭を攻撃した。「城濮の戦いで鄭が楚軍に便宜を図ったのを責める」という名目である。
ただ実際は、晋文公がかつて流浪時代に鄭で冷遇された、その恨みを晴らす目的をも多分に含むものであった。
九月甲午の日、晋秦連合軍は鄭都を包囲し、晋軍は函陵、秦軍は氾南に陣取った。
ところがその日の夜、包囲をすりぬけ、燭武子という鄭の使者が秦軍の陣地を訪れたのである。

822: 名無しさん@おーぷん 2016/08/24(水)23:33:03 ID:hss
燭武子「鄭は秦からあまりに遠く離れております。そのため、鄭の城を秦公がお取りになっても、維持することができません。」

燭武子「即ち、秦晋で鄭を滅ぼしても、晋ばかりが大きくなって秦には得る物がないのです。」

燭武子「そもそも晋は昔から信義のない国です。下手に晋を強くしてしまうと、後で秦に牙を剥くかもしれませんよ。」

燭武子「ですから、今こそ我らと和議をお結び下さい。」

燭武子「鄭を存続させて戴けるのでしたら、今後、秦公の東方出兵に際しては、鄭は喜んでご奉仕いたします。」


彡(゚)(゚)「なるほど…確かにそれはそうやな…」

彡(゚)(゚)「考えてみれば、ワイが重耳のいいなりンなったらなアカン義理なんか何処にもないんや。」

彡(^)(^)「よっしゃ。ほな晋は放っといてワイらだけで和睦しよか。」


燭武子の説に心を動かされた穆公は、この出兵の無益さを悟り、勝手に鄭と和睦して帰国してしまった。
これを知った晋軍は色めき立ち、狐偃などは激怒して、秦軍を撃つよう晋文公に進言したほどであった。
さすがに文公は、過去の恩を思って攻撃はしなかったのであるが、この一件で秦と晋の関係は微妙なものになってしまったのである。

さてこの時、穆公は鄭都の防衛強化のため、杞子・逢孫・揚孫という3人の大夫を鄭都に残していった。
このことが、やがて秦と晋の大会戦へとつながっていくのである。

828: 名無しさん@おーぷん 2016/09/01(木)02:18:19 ID:9wq
続き書くで~
秦穆公編完結やで~

829: 名無しさん@おーぷん 2016/09/01(木)02:19:11 ID:9wq
前628年
十二月
秦都雍


彡(゚)(゚)「杞子から使者やと?」


使者「鄭の杞子様のお使いで参りました。」

使者「杞子様は現在、新鄭の北門の鍵を預かっておられます。」

使者「公がこっそり兵を出して新鄭を急襲して戴ければ、杞子様が門を開いて、新鄭を占領することができるでしょう。」


彡(゚)(゚)「なんやと!!ほんまか!!」

彡(^)(^)「いや~、なんともチョロい話やないか!!よっしゃ今すぐ出陣や!!」

彡(^)(^)「孟明視!!行ってこいや!!」


( ・`公・´)「はっ!!」 ←孟明視


この年、新鄭の防衛にあたっていた杞子が、どこにどう取り入ったのかわからないが、なんと新鄭の北門の鍵を入手した。
杞子はこれを、鄭を占領する好機と捉え、穆公に使者を送った。そして穆公もこれに意欲を示したのである。
遠征軍の将は、百里奚の子の孟明視と蹇叔の子の西乞術、そして白乞丙に決まった。

830: 名無しさん@おーぷん 2016/09/01(木)02:20:12 ID:9wq
(●▲●)「公、私は反対です。奇襲をかけるには鄭はあまりにも遠すぎます。着いた頃には兵はヘトヘトになってしまうでしょう。」

蹇叔「私も同感です。あんな遠くまで誰にもバレずに行けるわけがありません。邪魔が入ったり、敵に察知されてしまうのがオチです。」

彡(゚)(゚)「は?何を知ったような口利いとんねん。そんなことお前らにわかるわけないやろが。」

彡(●)(●)「ワイはもう決めたんや!!一々口出しすんなボケが!!」


(●▲●)「…」


(;▲;)「ああ…蹇叔殿…なんということだ…」ハラハラ

蹇叔「悲しいことですな…孟明殿の出陣は見送れても、帰還は見られそうにありませんな…」サメザメ


西乞術「父上。私も出撃することになりました。」

蹇叔「そうか…仕方ないな…」

蹇叔「途中できっと晋軍が迎え撃ってくる…おそらく殽山の谷間だ…」

蹇叔「お前はそこで死ぬだろう…骨はワシが拾ってやるよ…」

西乞術「!?」


彡(゚)(゚)「なんやと!?あいつらがそんなことを!?」

彡(●)(●)「ホンマ胸糞悪いジジイどもやで!!なんもわかっとらんくせに偉そうにゴチャゴチャと!!」

彡(●)(●)「あいつらが60か70くらいでくたばっとりゃ、今頃は墓に植えた木もエライでかなっとったことやろな!!」


百里奚と蹇叔はこの遠征の無謀を説いて反対した。
穆公は2年前には「遠すぎて占領地を維持できない」という理由で鄭の攻略を諦めたのである。
それを今回鄭を攻め取ったところで、やはり得る物は少ないだろうことは明白であった。

しかし、穆公は2人の話を聞かなかった。
それどころか穆公はこの諫言がよほど不愉快だったらしく、既に超高齢であった2人に後から嫌味を言って気を晴らす有様だったという。
十二月、秦軍は出撃した。兵車300乗の大兵力であった。

831: 名無しさん@おーぷん 2016/09/01(木)02:20:46 ID:9wq
前627年
二月
滑近郊


弦高松「いや~www中原は人が多くて商売がやりやすいぞwww毎度ぼろ儲けだぞwww」

弦高松「ん?」


ドドドドドドドドドドドド

( ・`公・´)「進め進め!!まっすぐ新鄭を目指すのだ!!」


弦高松「ありゃ何だぞ…なんで秦軍がこんなところにいるんだぞ…」

弦高松「もしかして鄭を攻めるのか…あんなのに鄭を荒らされちゃ商売の邪魔だぞ…」

弦高松「早く鄭公に知らせないとまずいぞ…でもそれだけじゃ間に合わないかもしれないぞ…」

弦高松「こうなったら…」


この年の2月、秦軍は王都を素通りし、鄭の近隣の小国である滑に到達した。
しかしそこで、周に向けて移動中だった、弦高という鄭の商人に見つかってしまう。

832: 名無しさん@おーぷん 2016/09/01(木)02:21:24 ID:9wq
弦高松「秦将どの!!」


( ・`公・´)「ん?なんだお前は?」


弦高松「我が君鄭公は、貴方が兵を率いてお見えになると聞いて、私に接待を命令されましたぞ。」

弦高松「一日ここでお世話させていただきますぞ。ゆっくりして戴きたいですぞ。」

弦高松「ついでに粗末なものですが、是非お納め戴きたいですぞ。」ミツギモノダシー

( ・`公・´)「ファッ!?」


西乞術「まずい…どうやら鄭公に勘づかれてしまったようですね…」

白乙丙「こうなっては奇襲になりませんな…もう新鄭を攻めても無駄でしょう…」

( -`公-´)「仕方ないな…引き揚げるか…」


弦高は急使を新鄭に送ると同時に、秦軍を足止めするため一芝居打った。
即ち、孟明視に鞣革4枚と牛12頭を贈り、鄭公の指示と称して秦軍をねぎらったのである。

鄭に奇襲を察知されたことを悟った孟明視は、鄭の攻略を諦め、滑を滅ぼして引き返した。

833: 名無しさん@おーぷん 2016/09/01(木)02:22:38 ID:9wq
鄭都新鄭
杞子・逢孫・楊孫の宿舎


杞子「ククク…鄭の奴ら…何も知らずに暢気なもんだぜ…」ニヅクリシー

逢孫「まったくだな…これでもう鄭は秦のものだ…」ブキミガキー

楊孫「そうだな…そうすりゃ俺たちゃ英雄になれるぜ…」ウマニクサクワシー


皇武子「おや御三方。お出かけのようですな。」


杞子・逢孫・楊孫 ビクッ

杞子「こ…これは皇武子どの。なんの御用でしょうか。」


皇武子「今日は公のお言葉をお伝えに参りました。」

皇武子「御三方が我が国に滞在されてもう長くなりますゆえ、召し上がる穀物や肉類も尽きてまいりました。」

皇武子「今、御三方はお出かけのようですが、我が国には原圃と申す狩場がございます。」

皇武子「ひとつ、そこでご自分で狩りでもなさって、我が国を楽にして戴きたい。」

皇武子「どうでしょうか。」ニヤリ


杞子「…ェ…ウ…」

杞子・逢孫・楊孫(まずい…バレちゃった…)


弦高の急報を受け取った鄭公は、秦の三大夫の宿舎を探らせた。
すると、三大夫はいつでも動けるよう荷造りを済ませ、武器を磨いて馬に秣を食わせていたのである。
秦の陰謀を察知した鄭公は、城の防禦を固めると同時に、皇武子を宿舎に派遣して口上を伝えさせた。
これに驚いた三大夫は陰謀を諦め、処罰を恐れて、杞子は斉に、逢孫と楊孫は宋に亡命してしまった。

ちなみにこの鄭公は、鄭の穆公(名は蘭)である。前628年に薨去した鄭文公の後を継いで即位した。
元々蘭は鄭文公の庶子であるのだが、鄭文公が気に入らない子を次々と殺したため、身の危険を感じた蘭は一度晋に亡命した。
そこで晋文公の保護を受け、前630年の出兵時に、講和の条件として、太子として帰国することができたのである。

834: 名無しさん@おーぷん 2016/09/01(木)02:23:11 ID:9wq
帰路
晋の地・殽山


( -`公-´)「結局ほとんど成果がなかった…親父の言ったとおりだったな…」

西乞術「そうですね…まったく親父たちの知恵には敵いませんね…」


西乞術「…そういえば、出撃前に親父が他にも何か言ってたような…」


ドドドドドドドドドドドド


白乞術「ん?何の音だ?」


先軫「ハハハハハ!!よろしくニキーwww」

姜戎「ここは通さねえぞ!!全員ぶっ殺してやるぜ!!」


(; ・`公・´)「いかん!!待ち伏せだ!!早く陣を立て直せ!!」


西乞術「まずい…これは…死ぬ…」


ドドドドドドドドドドドドドドドドドド


秦軍は滑から撤退し、帰国の途中に晋の殽山にさしかかった。
ところがそこで、なんと晋軍と姜戎の待ち伏せ攻撃に遭ってしまう。
すっかり油断していた秦軍はひとたまりもなく壊滅し、三将軍は全員晋軍の捕虜となってしまった。

882: 名無しさん@おーぷん 2016/09/13(火)20:47:48 ID:2Nf
>>831>>834 
勝手ながら捕捉させてもらうンゴ 
後で楚荘王編で出てくる人物(だよね?)王孫満という人は、 
秦軍が鄭を急襲しようとして周の王城の北門を通過した時に 
「秦軍はきっと天罰がくだります。その軍は軽薄で驕慢であり、 
軽薄であれば謀が少なく、驕慢であれば礼節がありません。 
礼節がなければ軍の統制が取れず、謀が少なければ窮地に陥ります。 
窮地に陥って統制が取れなければ、 敗れないはずがありましょうか」 
と言ったという。

835: 名無しさん@おーぷん 2016/09/01(木)02:23:48 ID:9wq
秦都雍郊外


(; ・`公・´)「ハアハア、なんとか帰ってこられたな。」

西乞術「そうですね。まさか晋を脱出できるとは思いませんでした。」

白乞術「まだ晋公が子供でよかったですな。」


(; -`公-´)「ただ…どっちみち我々は責任をとって処刑だろうな…」

西乞術「仕方ありませんよ…2万以上の兵を死なせてしまったのですから…」


白乞術「ん?あれはなんでしょう?」

( ・`公・´)「見ろ!!ありゃ公じゃないか!!」


彡(゚)(゚)「おお!!お前ら無事帰ってきたか!!」

彡(゚)(゚)「ワイはお前らを処罰するつもりは毛頭あれへん。百里奚や蹇叔の言う事聞かんかったワイが悪いんや。」

彡(^)(^)「一遍失敗したくらい屁でもないわ。これからも頑張るんやで。」


捕虜となった3将軍であるが、なんとか晋を脱出し、雍に帰りついた。
すると、雍の郊外では穆公が白の喪服を着て3人を迎えた。
そしてなんと、全く3人をとがめず、そのまま政務を続行させた。一切の責任を自分で被ったのである。
曰く「且吾不以一眚掩大德。」 (『春秋左氏伝』)
一度失敗したくらいで、大きな徳をもった人物を損なうことはしない、というわけである。

かつて楚成王が城濮の敗戦後に子玉を死なせたのとは大した違いだ。
この一事だけで、穆公を名君と断定しても良いかもしれない。

836: 名無しさん@おーぷん 2016/09/01(木)02:24:53 ID:9wq
前625年


彡(゚)(゚)「そろそろ晋に仕返ししたらなあかんな!!先軫が一昨年死んだそうやし、こりゃ大チャンスやで!!」

彡(゚)(゚)「孟明視!!行ってこい!!」

( ・`公・´)「はっ!!今度は負けません!!」


秦の地・彭衙


( ・`公・´)「今度は絶対勝つぞ…今に見てろよ…」


ドドドドドドドドド


( ・`公・´)「ん?何の音だ?」


先且居「ハハハハハ!!よろしくニキ―www」


(; ・`公・´)「は!?待ち伏せだと!?」

(; ●`公●´)「なんでこんなとこに晋軍がいるんだよおおおおおお!!クソがあああああああああ!!!」


この年、殽の敗戦に報復するため、孟明視は再び出撃した。
ところが、あろうことか秦領内の彭衙の地で、先軫の子の先且居率いる晋軍の奇襲を受け、あえなく大敗してしまう。
晋軍の戦術の強かさは全くもって驚くべきものだ。

さて、大敗した孟明視であるが、穆公はなんと、またしても彼を許した。
そして宰相の座を与え、政務を続行させたのである。
これを見た晋の趙衰曰く「秦師又至、將必辟之、懼而增德、不可當也。詩曰、毋念爾祖、聿脩厥德、孟明念之矣、念德不怠、其可敵乎。」
敗戦によって恐れることを知り徳を増した秦軍とは、もはや戦ってはならぬというわけだ。

837: 名無しさん@おーぷん 2016/09/01(木)02:25:18 ID:9wq
前624年
黄河


彡(゚)(゚)「報復や報復や!!今度はワイが自分で行くぞ!!」

彡(゚)(゚)「絶対勝ったるで!!帰りの便なんか要らんから、河渡ったら舟全部焼いてまえ!!」


王官・郊包囲


彡(゚)(゚)「誰も出て来エへんみたいやな…ヘタレどもが…」

彡(^)(^)「もうええわ!!?山で戦死者の墓作ってから帰るで!!」


この年、穆公は今度は自ら兵を率いて晋に侵攻した。
このとき、黄河を渡ると舟を全て焼き棄て、決死の覚悟を見せたという。
そのまま穆公は王官と郊を包囲したが、晋軍は趙衰の教えに従い、固く城を守って出撃しなかった。
そこで穆公は茅津で黄河を渡り、殽山で戦死者の墓標を建てて引き揚げた。

838: 名無しさん@おーぷん 2016/09/01(木)02:26:37 ID:9wq
前621年


彡(-)(-)「あああ…体調が悪い…もう寿命やろか…」

彡(-)(-)「とうとうワイも死んでまうんやな…思えばこの世の名誉なんか儚いもんや…」

彡(-)(-)「死ぬときは一人やもんな…寂しいもんやで…」


彡(゚)(゚)「せや!!みんな道連れにしたったらええんや!!」

┏━━━━━┓
┃ / \ ┃
┃/   \┃
┃ (゚)(゚)ミ ┃
┃ ノ   ミ ┃
┃ つ  ( ┃
┃  )  ( ┃
┗━━━━━┛
  穆公薨去


この年、穆公は薨去した。
穆公の業績は決して小さなものではない。
百里奚・蹇叔・公孫枝といった異邦人を活用して西戎諸族を悉く従わせ、秦を一気に大国へと成長させた。
はるか後に秦が天下を統一する、その基盤が築きあげられたのである。

しかしながら、晋との付き合い方ははっきり言って下手であった。
晋を混乱させたいなら重耳を即位させるべきではなかったし、晋を安定させたいなら夷吾を即位させるべきではなかっただろう。
裏切るべき夷吾を信頼し、信頼すべき重耳を裏切った、と表現しても良いかもしれない。

つまるところ穆公には、重耳の優秀さと夷吾のクズっぷり、どちらも見抜けなかったのであろう。
要するに晋を甘く見ていたのである。
そのため、滅亡寸前だったはずの晋にいつのまにか追い抜かれ、圧倒されてしまうことになった。

さて、穆公薨去に際し、秦では177人もの臣下が殉死してしまったという。
このため、国力が大きく損なわれ、秦は長い低迷期に入る。
秦の長い長い低迷期は、戦国時代の初期まで、なんと250年も続くことになるのである。


秦穆公編おわり

840: 名無しさん@おーぷん 2016/09/01(木)08:30:57 ID:esH
>>838
イッチ乙やでー
長い低迷期といっても、大連合軍を撃退したりしてたから
あまり弱く見えない・・

841: 名無しさん@おーぷん 2016/09/01(木)12:50:07 ID:3rB
後に遠交近攻を国策として採用したのも、范雎の提言のほかにこの鄭をめぐる失敗経験が教訓になっていた面もあるのかな。

ところで穆公は覇者扱いされることがあるけど、会盟を開いたり周王から称号を賜ったりするシーンはあったっけ?

842: 名無しさん@おーぷん 2016/09/04(日)04:25:33 ID:ABa
ないな
会盟を主宰(牛耳る)してかつ侯伯(諸侯の長)の策命受けたのなんて斉桓晋文だけじゃねえかな

855: 名無しさん@おーぷん 2016/09/06(火)00:52:53 ID:MIe
>>842 

穆公が周王に何か認められたことはほとんどあれへんな 
晋恵公の頃に、王子頽の叛乱を晋秦共同で鎮めたことがあるんやけど、春秋左氏伝の書き方やと、中心になっとったんは恵公の方や 
ただし、晋の内乱鎮めたのは穆公やし、ちょっと覇者っぽいことも一応やっとるで 

まあでも、後々秦が天下取ったわけで、それに引きずられて穆公も過大評価されてるとこはあるかもしれん 
斉桓公・楚成王・晋文公に比べりゃずいぶん小物ではあるわな

860: 名無しさん@おーぷん 2016/09/06(火)22:40:23 ID:6CS
>>855
東周英雄伝では随分かっこよく描かれていたので、好きだったな。<秦穆公。

843: 名無しさん@おーぷん 2016/09/05(月)16:25:15 ID:TXz
思いついた名君を並べ立てて覇者と呼ぶようなケースもあったからね

863: 名無しさん@おーぷん 2016/09/07(水)21:34:06 ID:Hy1
穆公の晋への判断ミスは歴史に操られたかのやう。
個人の資質としては充分名君だろう

865: 名無しさん@おーぷん 2016/09/08(木)11:32:40 ID:yE3
>>843 >>863 
名君であることと覇者であることはイコールではないもんな。 
でも間違いなく名君だな

866: 名無しさん@おーぷん 2016/09/08(木)11:41:04 ID:XcW
隣国との戦争に勝ち
西の蛮族切り従えた実績
これで覇者認定かな?
馬盗人許して命救われてるから人徳込みで

867: 名無しさん@おーぷん 2016/09/08(木)17:53:59 ID:MKE
でも五覇だと普通に挙げられる事多いよな秦の穆公って

869: 名無しさん@おーぷん 2016/09/10(土)01:35:56 ID:k1N
秦の穆公は名君であることは間違いないで(まあ判断ミスも散見されるけど)
ただ哀しいかな出発点が低過ぎて一代で斉桓晋文や楚王みたいな本当の覇者にまで昇れるほど恵まれてなかったんや

ぶっちゃけ穆公以前の秦って国力も大したことねえ小国に毛が生えた程度の国やったし
そもそもずっと蛮族扱いで諸侯として認められたのも東周に入ってからやし
位置的にも辺境も辺境の端っこやし

晋文のじいさんが覇者になれんかったのと同じや