603: 名無しさん@おーぷん 2016/05/25(水)20:30:43 ID:ZJ0
鄭の穆公の生い立ち好きやからこの流れに感謝やで。
そういえば魯の君主を主人公にする予定ある?

605: 名無しさん@おーぷん 2016/05/25(水)23:34:43 ID:Qxt
>>603 
魯は基本的に天下の趨勢とは無関係やから、あんまり扱う気はない 
扱うとしても孔子だけやな

607: 名無しさん@おーぷん 2016/05/26(木)01:58:34 ID:DQ3
>>605
魯ってそれなりに影響力あるし晋斉呉越の間を上手く立ち回って地味に勢力拡大してるけど、主役は難しいですね。
お隣の宋と共に戦国期まで国力を維持したしぶとさは高く評価したいところですが。

913: 名無しさん@おーぷん 2016/09/17(土)22:56:47 ID:nS5
前636年
鄭都新鄭


彡(゚)(゚)「ワイは蘭。第10代鄭公捷の子供や。」

彡(^)(^)「蘭。なんとも綺麗な名前やろ。聞いただけでええ香りが伝わってきそうやな。」

彡(^)(^)「マッマがワイを妊娠するちょっと前に、夢の中で天使に蘭をもらったらしくて、それでパッパがワイにこの名前をつけたんやて。」

彡(^)(^)「ワイは蘭が大好きやし、この名前もめっちゃ気にいっとるんや。サンガツパッパ!!」


蘭は、第10代鄭文公の子である。母は燕姞という賤妾であった。
ある時、燕姞は夢の中で天の使者に会い、「これをお前の子供とする」といって蘭を授かった。
そしてその直後に燕姞は文公に目をかけられて妊娠し、男子を産んだのである。
すると、いきさつを聞いた文公は、産まれた子に蘭と名付けたのである。

914: 名無しさん@おーぷん 2016/09/17(土)22:58:48 ID:nS5
彡(゚)(゚)「ただ、そんなパッパやけど、実ははめっちゃ気難しい人なんや。」

彡(-)(-)「ちょっとしたことでも誰彼かまわずキレまくって、しかもそれをいつまでも憶えて根に持っとる。自分の子供相手でも全然容赦ない。」

彡(-)(-)「8年前に華ニキは殺されてしもて、ビビった臧ニキは宋に逃げてしもた。」

彡(-)(-)「いっつもなんか空気が殺伐としとって、ワイもパッパの顔色見ながらビクビクせなあかん。」

彡(;)(;)「せっかくの家族やのに…なんでこんなことになってもうたんや…」


鄭文公は異常人格者であった。度を越して怒りっぽく、執念深かったのである。
その異常ぶりは、周王からの贈物が気に入らず、それを延々と憶えていて、なんと36年も経ってから、仕返しに周王の使者を逮捕したほどであった。
そして、文公の激しい怒りは、実の子供たちにも向けられたのである。

陳の公女が産んだ華・臧
江の公女が産んだ士
蘇の公女が産んだ瑕・兪弥
燕姞が産んだ蘭

文公の男子は以上の6人であったが、まず前644年、10年も前の外交上の失態を理由に華が処刑された。
華は当時太子であったにも関わらず、容赦なく殺されてしまったのだ。
そして、これに怯えた臧は宋に亡命してしまった。

ついでに言えば、華と臧の母親は、なんともともとは文公の叔父の妻であった。
文公には、良心や人情などというものは微塵もなかったのであろう。実は精神病質者だったのかもしれない。

915: 名無しさん@おーぷん 2016/09/17(土)22:59:13 ID:nS5
(●゚◇゚●)「おお、蘭じゃないか。」

彡;(゚)(゚)「ワッ!?なんやパッパか…」

(●゚◇゚●)「ん!?なんだ!?何か文句でもあるのか!?」

彡;(゚)(゚)「いやいや、ちゃうねんパッパ。今のはいきなりやったからちょっとびっくりしただけやねん。」ペコペコ

彡;(゚)(゚)「急に大きな声出して悪かったわ。ホンマごめんなさいやで。」ペコペコ

(●゚◇゚●)「…」チッ


彡(゚)(゚)「そういえばパッパ。宋の臧ニキは元気なんやろか。」


(●火◇火●)「あ゛!?」


彡;(゚)(゚)「ヒッ!!」

916: 名無しさん@おーぷん 2016/09/17(土)22:59:57 ID:nS5
(●火◇火●)「臧だと!?お前今臧と言ったのか!!」

彡;(゚)(゚)「ごめんなさい悪気はなかったんやごめんなさいごめんなさい」ペコペコ


(●火◇火●)「あのクズならこの前ぶっ殺してやったぞ!!いい気味だぜ!!」


彡;(゚)(゚)「…え?」


(●火◇火●)「聞こえなかったのか!?ぶっ殺してやったんだよ!!」

(●火◇火●)「いいか!!あいつはな!!育ててやった恩も忘れて逃げ出しやがった親不孝者なんだ!!」

(●火◇火●)「そのくせ粋がって派手な冠ばっかり集めてやがったんだぞ!!そんなこと許せるわけないだろうが!!」


彡;(;)(;)「…ェ…そんな…冠くらいで…」 ガタガタブルブル


(●炎◇炎●)「あ!?何だお前はああああああ!!!お前まであいつの肩を持つってのかあああああ!!」

(●炎◇炎●)「クソガキが調子に乗るなあああああああ!!!何ならお前もぶっ殺してやってもいいんだぞおおおお!!!」


彡;(;)(;)(アカン…狂っとる…逃げな…)


蘭亡命


臧はおしゃれ好きであったのか、鷸の羽の冠を好み、亡命先の宋でも精力的に蒐集していた。
ところが、どういうわけかこれが文公の逆鱗に触れたのである。
怒り狂った文公は、なんと刺客を放ち、臧を殺害してしまった。ただただ理不尽としか言いようがない。

そして、これを見た蘭は震え上がり、晋に亡命した。
当時の晋は晋文公が即位し、国力が急上昇している時期であった。

919: 名無しさん@おーぷん 2016/09/18(日)06:58:14 ID:OOP
(`・ω・´)「鄭公だよ!!」
の時代とは隔世の感があるな

920: 名無しさん@おーぷん 2016/09/18(日)13:02:05 ID:0Ad
>>919
春秋時代の始まりから約150年……丁度、真ん中の時代だものな。
人間も当時生きている人どころか、その頃の話を直接聞かされている世代もいなくなっている頃だ。

今の日本で考えると丁度、明治維新に当たる。
そりゃ、同じ春秋時代といっても、変わってきているよなぁ。

921: 名無しさん@おーぷん 2016/09/18(日)21:21:17 ID:b9L
鄭は春秋最初期に輝いた後は落ちぶれていくだけやな
子産の時代に一瞬持ち直すけど持ち直したってだけで別に輝いたわけでもないし
その後さっくり韓に滅ぼされて終了よ

922: 名無しさん@おーぷん 2016/09/19(月)14:09:16 ID:KWk
初期に輝いた後落ちぶれるのは、
戦国期の某国と一緒やね

935: 名無しさん@おーぷん 2016/09/28(水)00:42:19 ID:BJ7
前630年
晋都絳


晋文公「おお、ちょっと蘭さん、話があんねんけど。」

彡(^)(^)「あ、晋公。おはようございますやで。」

晋文公「今度ワイらは秦と組んで鄭を攻めることにしたんやけど、あんたも来なはれや。」

晋文公「攻撃がうまいこといったら、あんたを新しい鄭公にしたりまっせ。」

彡(゚)(゚)「なんと!!ほんまでっか!!」

彡(^)(^)「わかりましたで!!すぐに準備さしてもらいますわ!!」


彡(゚)(゚)「…ただ、我儘言うようでアレなんやけど、城攻めの陣には参加したないんですわ。」

彡(゚)(゚)「仮にも鄭はワイの故郷ですねん。それを攻めたてるようなことはしとうないんです。」


晋文公「なるほど。まあそれもそうやな。ワイも亡命しとった身やし、あんたの気持ちはようわかりまっせ。」

晋文公「適当に鄭の隅っこのほうで待っといて下さいな。出番が回ってきたら呼ばしてもらいますさかいに。」


前632年、晋文公は城濮で楚軍を破り、中原の覇者となった。
そしてこの年、晋文公は秦と協力して鄭を攻めた。城濮の合戦で鄭が楚軍に便宜を図ったのを攻める名目であった。
この時、蘭は晋軍と共に鄭に入り、鄭の東辺で待機した。

936: 名無しさん@おーぷん 2016/09/28(水)00:43:12 ID:BJ7
鄭都新鄭


(●゚◇゚●;)「まずい…まずいぞ…あんな大軍相手じゃ手も足もでないぞ…」

詹「なんだかんだと理屈をつけてはいますが、晋軍の本当の目的は昔の恨みを晴らすことでしょうな…」

(●゚◇゚●;)「なんだって!!あいつら本気でウチを滅ぼすつもりだってのか!!」

瑕「やばいよパパどうしようどうしようどうしよう」

(●火◇火●;)「うるさい!!黙れこのクソガキが!!肝心な時にお前は本当に役立たずだな!!」

瑕「…ェ…そんな…」


佚之狐「公。少し落ち着かれませ。まだ鄭は滅ぶと決まったものではありません。」

佚之狐「敵は大軍でありますが、秦はおそらく晋に心服していないでしょう。」

佚之狐「燭之武という者を知っております。彼を使者として秦公に会わせれば、敵は必ず退きます。」


(●゚◇゚●;)「そうか…なら早くしろ…」


大軍に包囲された鄭では、佚之狐という大臣が策を講じた。
即ち彼は、晋軍と秦軍の連帯が必ずしも鞏固でないことを見抜いたのである。
佚之狐の推薦で、燭之武という大夫が使者となり、夜中、包囲網をすり抜けて、秦穆公に謁見した。
そして秦穆公は燭之武の説を尤もと思い、晋に断りなく勝手に和議を結んで撤兵してしまう。

937: 名無しさん@おーぷん 2016/09/28(水)00:43:34 ID:BJ7
函陵
晋軍陣中


晋文公「なんやと!?秦軍がおらんやと!?」

先軫「はい。どうやら勝手に鄭と講和してしまったようです。」

先軫「まさかこんなことになるとは…」


狐偃「公!!なんという無礼でしょうか!!直ちに秦軍を撃ちましょう!!」

晋文公「…いや、それはあかん。ワイは秦公にはさんざんお世話んなったんや。」

晋文公「ワイが今日あるのは秦公のおかげなんやで。それを仇で返すなんざ人でなしもええとこや。」

晋文公「それに秦はワイらの同盟国やろが。わざわざ味方と戦って騒動を起こすんはさすがに無意味やで。」

晋文公「引き揚げや。ワイらも鄭と和解するんや。」


狐偃「しかし、それではこの出兵の意味がなくなってしまいますぞ!!」

先軫「では、講和の条件として、蘭どのを鄭の太子とするよう要求しましょう。」

先軫「やがて蘭どのが鄭公となられれば、晋に恩義を感じて、楚に寝返ることはなくなるはずです。」


秦軍の無断での離脱を知った晋軍は色めき立ち、狐偃は秦軍攻撃を進言したが、晋文公は許さなかった。
結局晋は鄭と講和することになったのだが、ただでは退かない晋は講和の条件として、蘭を太子とするよう鄭に要求した。

938: 名無しさん@おーぷん 2016/09/28(水)00:43:53 ID:BJ7
鄭都新鄭


(●゚◇゚●;)「何!?晋軍も講和してくれるのか!!」

石甲父「よかったですな!!これでなんとか助かりそうです!!」

(●^◇^●;)「いや~、一時はどうなることかと思ったよ。」


(●^◇^●)「で?講和の条件はなんだ?」

石甲父「蘭さまを太子として鄭に迎えること、だそうです。」

(●゚◇゚●)「…なんだと…なんであんな親不孝のクソガキを…」イラッ

侯宣多「…公。お気持ちはわかりますが、ここはなんとか堪えて戴けませんか。」

侯宣多「今晋に叛けば、鄭は本当に焦土にされてしまいます。」

(●゚◇゚●)「…くそっ…仕方ないか…」イライラ


詹「…」

939: 名無しさん@おーぷん 2016/09/28(水)00:44:59 ID:BJ7
詹「公。晋公はほんとうにそれだけで納得するでしょうか?」

(●゚◇゚●)「ん?どういうことだ?」

詹「晋公は恨みを絶対に忘れない性格です。ちょっとやそっとでは鄭への恨みは晴れますまい。衛や曹への態度を見ればわかります。」

詹「聞けば先日、晋公は衛公に毒を盛ろうとしたとか。衛公は怯えて周王と晋公に巨額の賄賂を贈り、なんとか許してもらったそうですぞ。」

(●゚◇゚●)「…うん…まあ…それはそうだが…」


詹「我が国を晋公から守るには、蘭さまの件だけでなく、ここはかなり思い切ったけじめが必要です。そこで…」ハモノダシー


(●゚◇゚●;)「!?」


詹「執政の私が、城濮の失態の責任をとることに致します。では。」ズシャアッ


(●゚◇゚●;)「おい!!なにをするんだいきなり!!大丈夫か!!」


詹「」チーン


(●;◇;●;)「…そんな…どうして…どうして弟が死ななきゃならないんだよ…」

(●炎◇炎●;)「ちくしょおおおおおお!!晋めえええええ!!蘭めえええええええ!!」


鄭では、大夫の石甲父と侯宣多の説得により、蘭の受け入れが正式に決定した。
こうして蘭は、ようやく鄭に帰国がかなったのである。
ところが講和に際し、かつて流浪時代の晋文公を厚遇するよう進言したあの詹が、責任をとるのだと言って突然自殺してしまう。
もしかすると詹は、不本意な撤兵で晋文公の怨みが晴れず、後に更に理不尽な復讐をされるのをおそれたのかもしれない。
実際、同じく恨みを買った衛や曹は晋文公に何度も滅ぼされそうになったのに、鄭はこの後一度も晋文公の攻撃を受けることはなかったのだ。

957: 名無しさん@おーぷん 2016/10/08(土)18:09:14 ID:wx1
パッパの鄭文公みたいなメンタル&モラルが崩壊した倫理道徳と無縁の人物がそこらじゅうにいるのが時代だけど
春秋を代表する名君と言われる晋の文公ですら>>939とか見る限りキチガイの素質があるな・・・

958: 名無しさん@おーぷん 2016/10/08(土)20:03:03 ID:DQk
>>957
恨みって人格を変えるからねぇ・・
臣下をよく活用して覇者になったから晋の文公は名君と呼ばれるけど、
聖人君子ではなかったな。

959: 名無しさん@おーぷん 2016/10/08(土)20:10:47 ID:DQk
途中で送ってしまった。
恨みに報いた件を以てキチガイの素質とは酷ではなかろうか

960: 名無しさん@おーぷん 2016/10/08(土)22:15:40 ID:CrL
誰だって自分が力手に入れたとき、恨みに思ったやつに泡吹かせてやろうと思う事は当然だぞ。
それに重耳は名君であっても、聖人じゃないぞ。

965: 名無しさん@おーぷん 2016/10/09(日)14:07:02 ID:1Nx
>>960
おかしくはないが当然ではないと思うぜ
どこにでもいる亡命公子を厚遇しなかった(自然である)→暗殺未遂→賄賂で許した
っておそらく当時でも非常識よりでしょ

961: 名無しさん@おーぷん 2016/10/08(土)23:18:38 ID:LOs
当然は言いすぎかと。「気に食わなかったから殺す」では感情的すぎ、幼稚と言わざるを得ないでしょう。
倫理観がぶっ飛んだ人が多い春秋期とはいえ当然ではない。

964: 名無しさん@おーぷん 2016/10/09(日)03:39:12 ID:pki
>>961
単純に「気に食わないから殺す」という動機じゃないだろ。
自分が苦しい時にひどい目にあわされたんだぞ。
力関係が逆転した時に「かつて恥をかかされた相手にギャフンと言わせたい」という気なっても、可笑しくないぞ。

特に面子を重んじる国の人間なら。

962: 名無しさん@おーぷん 2016/10/08(土)23:59:08 ID:LOs
春秋は人格キテる人間多いよな笑 ※いちおう戦国になるとマシになる

たぶん単なる超大国のゴリ押し外交やろ
まぁ重耳は覇権国家になるまでずっと金!暴力!詐術!!!の道を突き進んだ
ビックリするほど徳&正当性がない晋室の公子だから暴君気質であっても驚かんが

963: 名無しさん@おーぷん 2016/10/09(日)01:38:09 ID:hu8
言い訳のしようがない呉起さんとかいう戦国期の凶悪犯罪者がいますねw
後代に創作された大袈裟な説話であると信じたいところ。

966: 名無しさん@おーぷん 2016/10/09(日)18:43:27 ID:hu8
どっからどうみても亡命時代のあれこれとか後付けじゃね?
雑魚の分際で晋の覇者ロードを邪魔する障害物を除去しようとしただけっぽい
強大国の君主にばかりやたらと厚遇されている逸話自体眉唾だし

967: 名無しさん@おーぷん 2016/10/09(日)19:45:54 ID:1Nx
それ言っちゃおしめーよ(笑)

968: 名無しさん@おーぷん 2016/10/09(日)21:41:44 ID:cqx
粗探し悪口ばかり言ってたら名君なんていなくなっちまうぞw

969: 名無しさん@おーぷん 2016/10/10(月)17:31:57 ID:1wq
側近に恩人宅放火マン×2いるから実はあまり共感されてなかったのかも。
政治パフォーマンスの要素が濃厚だからか?

970: 名無しさん@おーぷん 2016/10/10(月)20:18:56 ID:2UC
春秋戦国はまともな史料がほとんどない上に統治人口/面積が極小だから粗はそんなに目立たないな

940: 名無しさん@おーぷん 2016/09/28(水)00:46:25 ID:BJ7
前628年


彡(゚)(゚)「ワイはなんとか国に帰って、しかもパッパの後継ぎになった。」

彡(-)(-)「せやけど、以来パッパとは完全に冷戦状態や…」

彡(-)(-)「会っても挨拶もしてくれへんどころか、ワイと目ェもあわしてくれへん。ほんでワイを見た日は一日中機嫌悪いらしい。」

彡(;)(;)「あげく瑕までパッパに嫌われて追い出されてしもた…もうワイの兄弟誰も残ってへんやんけ…」


(●▲●)「太子!!大変ですぞ!!ついさっき公が身罷られました!!」 ←子家

彡(;)(;)「ファッ!?」

┏━━━━━┓
┃ / \ ┃
┃/___ \┃
┃ /   ヽ ┃
┃{0}/"ヽ{0}┃
┃| ヽ_ノ |┃
┃リ `ー′ リ┃
┗━━━━━┛
 鄭文公薨去


彡(;)(;)「…とうとう仲直りできへんかった…」

彡(;)(;)「…ワイはもうひとりぼっち…残っとるんは庭に咲いとる蘭くらいのもんや…」

彡(;)(;)「…パッパ…」


この年、鄭文公は薨じ、後を継いで蘭が立った。
蘭の諡は穆公。以下は穆公で統一する。
この時既に、穆公の異母兄弟の士と兪弥は死んでおり、瑕も前年に楚に亡命してしまっていた。
そのため、穆公を支える近親者はどこにもおらず、穆公が強大な権威を発揮することは不可能になっていたのである。

956: 名無しさん@おーぷん 2016/10/04(火)13:49:17 ID:QxV
鄭の穆公は、本人は傑物ではないけど
同時代に付き合った人物がレベル高いよな

973: 名無しさん@おーぷん 2016/10/14(金)00:23:11 ID:AwA
彡(゚)(゚)「泣いてばかりもおられん。ワイはもう鄭の主になったんや。」

彡(゚)(゚)「ちゃんと国を導いていかなあかん。ボヤボヤしとったら鄭なんざアッちゅう間に滅んでまうんやからな。」

彡(゚)(゚)「子家。頼りにしとるで。」

(●▲●)「はっ。全力で努めます。」

(●▲●)「これまで我が国は、大国に攻められる度に態度をコロコロ変え、他国との盟約を反故にし続けてきました。」

(●▲●)「しかし本来、我が国は周の分家でありますから、周王を奉戴する晋につくのが当然です。それに、公は晋の恩を受けておられます。」

(●▲●)「幸い、今や晋は天下の覇権国で、鄭を守る力は十分に持っているでしょう。」

(●▲●)「これからは、目の前の情勢に左右されず、晋との盟約を守り続けるべきではないでしょうか。」

彡(゚)(゚)「確かにな…パッパはあまりにも節操無さすぎたわな…」

彡(゚)(゚)「よっしゃ。一丁根性あるとこ見せたろやんけ。」

987: 名無しさん@おーぷん 2016/10/14(金)22:46:27 ID:3sA
>>973
君主は臣下のことを、字(あざな)の「子家」
と呼ばずに「帰生」ってよぶんじゃないか?

988: 名無しさん@おーぷん 2016/10/14(金)23:58:10 ID:Ewl
まあその通りだけど、大昔のことだし正確なところはわからん。
フツーに字呼びすることも結構あったかもよ。

974: 名無しさん@おーぷん 2016/10/14(金)00:23:29 ID:AwA
前627年


秦穆公「鄭を叩いたれwww」

彡(゚)(゚)「なんのなんの!!」

秦穆公「なに!?意外に手強い…」


楚成王「鄭を叩いたれwww」

彡(゚)(゚)「ヌルい!!ヌルいわ!!」

楚成王「なんで勝てんのや…」


彡(^)(^)「どや!!鄭の底力を思い知ったか!!」


穆公は即位後、これまでの面従腹背の外交を改め、個人的にも恩義のある晋に従うことに決めた。
前627年には秦と楚が鄭を攻撃したが、穆公はなんとかこれを撃退する。
更に前625年には、蔡と晋の和睦の仲介をして、晋の勢力拡大に貢献した。

975: 名無しさん@おーぷん 2016/10/14(金)00:24:05 ID:AwA
前626年

楚成王崩御・楚穆王即位

前621年

晋襄公薨去・翌年晋霊公即位


前618年
鄭都新鄭


彡(゚)(゚)「なんやと!?楚が攻めて来た!?」

(●▲●)「はい。敵はとんでもない大軍です!とても防ぎきれません!」

彡(゚)(゚)「今すぐ晋に使者を送れ!!助けてもらうんや!!」


しばらくして


彡(゚)(゚)「なんや!!まだ援軍は来んのか!!」

(●▲●)「それが、どうも晋では内乱があったそうで…」

彡(゚)(゚)「なんちゅうこっちゃ!!はよ来てくれんとともう持たへんで!!」


穆公即位後、鄭は10年に亘って晋の盟下に留まり続けた。
ところが、やがて鄭をとりまく状況が変化する。
晋襄公と楚成王が死に、晋霊公と楚穆王が即位したのである。
晋霊公は幼児であり、晋文公や晋襄公のような指導力は望むべくもなかった。
これを好機と見た楚穆王は、前618年、大軍を率いて鄭を攻撃した。
穆公はすぐさま晋に支援を求めたが、このとき晋では内紛があり、晋は出兵に手間取ってしまう。

976: 名無しさん@おーぷん 2016/10/14(金)00:24:45 ID:AwA
さらにしばらくして


彡(●)(●)「助けはまだかあああああああ!!!まだ来ェへんのかああああああ!!!」

(-▲-)「はあ…一応晋軍は出撃したようですが、諸侯とゴチャゴチャと相談して手間取っているようです…」

彡(●)(●)「なんやとおおおおお!!!まだモタモタしとんのかあああああああ!!!いくらなんでも遅すぎやろがあああああ!!!」

彡(●)(●)「おかげでワイの子が敵に捕まってもうたやないかああああ!!どないしてくれんのじゃああああああああ!!!」


(●▲●)「公。もはや援軍は間に合いますまい。楚と和議を結びましょう。」

彡(゚)(゚)「なんやて!晋を裏切るっちゅうんか!」

(●▲●)「我々はちゃんと戦いました。にもかかわらず晋は援軍を出さない。これは立派な盟約違反です。」

(●▲●)「先に晋が約束を破ったのですから、もはや我々が約束に拘る必要はありますまい。」

(●▲●)「それに、聞けば今の楚王は非常に兇暴な性格だとか。このまま攻め潰されれば、鄭の国民は皆殺しにされてしまいますよ。」


彡(-)(-)「そうか…しゃあないな…」


晋軍の援助が一向にないまま、鄭軍は楚軍に必死に抵抗した。
しかし衆寡敵せず、鄭軍は苦戦を強いられ、公子の堅と尨、そして大夫の楽耳が楚軍の捕虜となった。
ところが恃みの晋軍は、一応出撃したものの、宋・衛・魯・許の軍と合流してダラダラと軍議を行い、一向に鄭には到達しない。
とうとう穆公はしびれをきらし、勝手に楚に降伏してしまった。

977: 名無しさん@おーぷん 2016/10/14(金)00:25:57 ID:AwA
前616年


彡(゚)(゚)「同盟を破っても、晋は全然攻めて来ェへんな。」

(●▲●)「晋は今は秦との戦争で手一杯なのでしょう。ともあれ、鄭は平和になったのですから結構ではありませんか。」

彡(゚)(゚)「まあそれはそうなんやけどな…ワイは楚はあんまり好かんねん…」

彡(゚)(゚)「今の楚王はどうも乱暴でかなわん。去年なんか、宋公がしょうもないことで睨まれて、仕返しに大恥かかされたそうやんけ。」

彡(゚)(゚)「そういや陳公も早よう楚から逃げたいとか言うとったで。ワイもホンマそないしたい気分や。」

(●▲●)「そうですね…確かに楚は礼儀に欠けるところが多いですな…」


(●▲●)「わかりました。ではこの私、これから楚に行って、陳の離脱を認めるよう楚王を説いて参ります。」

彡(゚)(゚)「ファッ!?そんなことができんのかい!?」

(●▲●)「陳は一昨年に楚軍を破っております。いくら兇暴な楚王でも、おいそれとは手出しはできますまい。」

(●▲●)「陳の離脱は表向きのことだけ、とでも言えば、なんとか認められるのではないでしょうか。」

(●▲●)「そして、これがもし認められれば、我が国は陳に、ひいては晋に恩を売ったことになります。」

(●▲●)「そうすれば将来何かあった時、我が国は簡単に晋に鞍替えできるでしょう。」

彡(゚)(゚)「なるほどな…」


鄭は楚に降ったが、楚穆王は決して信頼できる盟主ではなかった。
彼は徳に乏しく、非常にも周辺諸国を次々と武力で滅ぼし続けたのである。
前617年には、宋を降伏させた際、宋の接待の粗相を見咎め、子舟という大夫に命じて宋公の御者を鞭打たせたという。
こういう楚穆王の振舞を見た鄭と陳は、何とか楚の盟下を離れようと画策し始めた。

そして前616年、まず陳が楚との盟約を破棄し、晋の傘下に入った。
この時、穆公は子家を楚に派遣し、言葉巧みに陳の離脱を認めさせたのである。

978: 名無しさん@おーぷん 2016/10/14(金)00:28:09 ID:AwA
前614年


楚穆王崩御、太子旅即位


鄭都新鄭


彡(^)(^)「よっしゃあああ!!とうとうあのケダモノが死におったで!!」

(●▲●)「後継ぎの旅とかいう王は、年も若い上にとんでもない愚か者らしく、、親の葬式もそこそこに毎日遊び暮らしているそうです。」

彡(^)(^)「ほんまか!!ますます好都合やんけ!!」

彡(^)(^)「よっしゃ!!今すぐ晋に使者を送れ!!楚とは絶交や!!」


この年、楚穆王が崩御した。
楚穆王の在位年数は13年と大して長くなかったし、武力一辺倒で周辺諸国を滅ぼし続けたあたり、王としての資質も楚成王にはとても及ばなかったのだろう。
しかし、晋・秦・斉など、同時代の大国はいずれも人材不足にあえいでおり、楚穆王はうまくそこにつけこんだと言えるだろう。
後を継いだのは太子の旅であった。諡は荘王。以下荘王で統一する。
ところが荘王はこの時まだ弱年であり、全く政治を顧みなかった。
ばかりか、「諫める者は殺す」と嘯いて、穆王の喪中であるにも関わらず、日に夜を継いで遊び暮らしはじめたのである。

穆公にとってはチャンス到来である。
この年、彼はすぐさま子家を魯に派遣し、魯を仲介として晋に乗り換えた。
この時、同時に衛も晋と盟約しており、更に宋も晋に降ったため、中原は再び晋一色に塗り替えられることとなった。

979: 名無しさん@おーぷん 2016/10/14(金)00:30:03 ID:AwA
前612年

鄭都新鄭


彡(゚)(゚)「楚は内乱に大飢饉でもうグダグダみたいやな。」

彡(^)(^)「いや~、なんとも幸運なことやで。もうこのまま滅んでくれたらええのになwww」


(●▲●)「公。晋から招集がかかってますぞ。」

(●▲●)「なんでも、魯を勝手に攻めた斉を制裁するそうです。」

彡(^)(^)「よっしゃ出撃や。晋もとうとう本気出すんやな。」


十一月



彡(゚)(゚)「魯には一昨年に世話ンなったわけやし、この遠征はなんとしても成功させたいンゴねえ…」

彡(^)(^)「まあ、こんだけ味方がおったらさすがに負けんやろ。なんせ8ヶ国連合の大軍やからな。」


彡(゚)(゚)「せやけど…なんでいつまでも進軍せんのや…晋公は一体なにやっとる…」


晋霊公「やっぱやーめた。はい解散解散。」


彡(゚)(゚)「ファッ!?」


この年の秋、斉軍が魯を侵した。斉はこの頃、晋の盟下に入るのを嫌い、独自の勢力を築こうとしたのである。
これに対し、魯は季孫行父を晋に派遣し、晋軍の出動を求めた。
そこで、同年十一月、晋・鄭・宋・衛・陳・蔡・曹・許の君主が扈の地で会盟し、斉を攻撃する連合軍を編成した。

ところがこの時、斉公はこっそり晋軍陣中に使者を送り、晋霊公に贈賄したのである。
そしてあろうことか、晋霊公はこの賂に目が眩み、勝手に連合軍を解散してしまう。
これを見た斉軍は調子に乗り、更に曹をも攻撃する有様であった。

晋霊公はこの時まだ年少であったとはいえ、この行為はさすがに諸侯を失望させた。

980: 名無しさん@おーぷん 2016/10/14(金)00:30:59 ID:AwA
前610年
鄭都新鄭


彡(゚)(゚)「なんか、晋もあんまり当てならんな。ちょっと不安になってきたンゴ。」

彡(゚)(゚)「最近は楚がだんだん復活してきおったし、どうも嫌な感じやで。」


(●▲●)「公。また晋から出撃要請です。今度は宋の内乱の裁定だそうですよ。」

(●▲●)「将は大臣でよいそうなので、石楚を向かわせます。」

彡(゚)(゚)「なんやねん…今度はちゃんとやんねやろな…」


宋国境


石楚「ここまで来てから、全然進軍命令がでない…」

石楚「まさか…」


荀林父「やっぱやーめた。はい解散解散。」


石楚「ファッ!?」


この前年、宋では内乱があり、宋昭公が暗殺されて弟の宋文公が立った。
宋昭公は無道の君主であり、暗殺されても仕方なかったのだが、名分の上ではこれは立派な弑逆である。
そのためこの年、晋の荀林父を中心に鄭・衛・陳の連合軍が組織され、宋を詰問することになった。
ところが、宋がこっそり荀林父に贈賄したため、またしても連合軍は無為に解散することになってしまう。
晋の信用は失墜してしまったのである。

この頃、楚では楚荘王が英明ぶりを発揮し、国力を急上昇させていた。
即位直後の乱行は臣下の良否を見極めるためのものであり、ある日突然、数百人もの佞臣を粛清し、数百人もの能臣を登用したのだ。
晋は信頼を失い、代わって楚が擡頭する。天下の情勢はまた新たな局面を迎えることになる。

989: 名無しさん@おーぷん 2016/10/15(土)16:54:17 ID:MeS
>>985
真の小国「おまいら準大国は最初から信義なんてどこにもないやん」

984: 名無しさん@おーぷん 2016/10/14(金)05:29:41 ID:Oct
こっから半世紀の鄭を筆頭に衛その他有象無象国家の振り回されっぷりほんとひで

985: 名無しさん@おーぷん 2016/10/14(金)10:49:26 ID:oCl
>>984 
???「大国に信義がないのに、どうして我らが信義を発揮することがあろうか」

986: 名無しさん@おーぷん 2016/10/14(金)21:30:09 ID:7JR
お、次の春秋五覇候補者、登場してきましたな。
本人が主役の回が楽しみ。

990: 名無しさん@おーぷん 2016/10/15(土)17:35:42 ID:3kA
楽しそう

3: 名無しさん@おーぷん 2016/10/23(日)01:26:20 ID:BnI
宋の内乱について。


※スルー可


宋襄公の子の宋成公が薨じたのが前620年である。成公の子の杵臼(昭公)が後を継いだ。
この頃、朝廷では宋穆公や宋襄公の子孫が威勢を張っていた。晋献公の時の桓荘之族のようなものである。
そして、晋献公の如く、宋昭公も彼らを排除しようとした。

ところが、穆襄の族は甘くなかった。彼らは先手を打ち、逆に朝廷に攻め込んで、公孫固と公孫鄭を殺したのだ。
この公孫固は、かつて泓水の合戦で襄公を諫めた、あの公孫固である。
恐怖を覚えた昭公は、やむなく穆襄の族と和解したのだった。

一方、この時襄公の夫人の王姫も存命であった。彼女は周襄王の姉であり、襄公に嫁いでいたのだ。
王姫は翌前619年、昭公が彼女を礼遇しないことに腹を立て、戴氏(宋戴公の子孫)を動かし、昭公の腹心の大夫数名を殺害した。
しかし昭公の政治は無道であったため、国人の支持はむしろ王姫の方に向いたのである。

そして前611年、王姫は昭公に孟諸沢で狩りをするように仕向け、刺客を放って昭公を殺害した。
この時、昭公は陰謀を察知しており、財産すべてを持って狩りに出発していた。
しかし、結局その財産は全て側近衆に与えて去らせてしまい、自らはひとり進んで殺されたという。
曰く「大夫や王姫、国人たちと敵対した自分に行き場などないし、亡命して他人の家来になるのも御免だ。死んだ方がましである。」
昭公の死を確認した王姫は、昭公の弟で人望の高かった鮑を即位させた。これが宋文公である。

4: 名無しさん@おーぷん 2016/10/23(日)01:26:35 ID:BnI



彡(゚)(゚)「結局宋はお咎めなしやった。諸侯みんなで宋と和睦することンなって、みんなここに集まってきた。」

彡(゚)(゚)「それにしても晋は一体なんやねん…金さえ払ろたら侵略も主殺しも何でもありかいな…」

彡(゚)(゚)「将来なんかあった時、ホンマにワイ等を守ってくれるんやろか…」

彡(゚)(゚)「一遍晋公に直接会うて念押しとかなあかんな…」


(●▲●)「公…それが…晋公は公とは会いたくないそうです…」

(●▲●)「我が国が楚に通じているのではないかと疑っているようで…」

彡(゚)(゚)「ファッ!?一体どういうことや!!こないだもちゃんと兵隊出したったやんけ!!」

彡(゚)(゚)「まだなんかせいっちゅうんかい…こうなったら一発意地見せたらなあかんな…」


宋の攻撃をやめた晋は、改めて諸侯を招集して扈で会合を開き、宋と講和しようとした。
しかしこの時、斉がまたしても魯を攻撃したため、魯文公は参加できなかったのだ。
賄賂ひとつでこのありさまである。諸侯はさぞ呆れかえったことだろう。

それはさておき、この場でもう一つ事件が起きた。
なんと晋霊公が穆公との面会を一方的に拒絶したのである。
晋霊公は、鄭が楚と通じているのではないかと疑っていたのだ。

5: 名無しさん@おーぷん 2016/10/23(日)01:26:52 ID:BnI
晋軍陣中


(・8・)「公が鄭公との面会を断った!?いったいどういうことですか!!」 ←趙盾

郤缺「さあ…最近の公は何をなさるかわかりませんからな…」


荀林父「宰相!!鄭の子家がこんな手紙を!!」

(・8・)「ん?見せて戴けますか?」

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
趙盾様

我が君は即位以来、貴国との盟約を守って参りました。
これまでにも何度も貴国に朝見しておりますし、蔡や陳が貴国に服従する手引きを行ったこともあります。
今、貴国は我が国の努めぶりが物足らぬと仰せのようですが、我が国は小国ゆえ、さすがにこれ以上のことは致しかねまする。
もし、それでも貴国が我らに無理強いなさるのでしたら、我らも追い詰められたる鹿の如く、道徳も盟約も構うつもりはございません。
国中の兵を集めてお待ちしますので、どうかよくお考え下さい。
そもそも我が国は先代より、斉や楚などの大国に次々と従って参りました。
されど、小国が大国の圧力に屈するのは果たして悪いことなのでしょうか。
そのあたりを斟酌して戴けねば、もはや我らも致し方ありません。

鄭宰相子家
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(・8・)「なんということだ…このままでは鄭が離叛してしまうではありませんか…」

(・8・)「すぐに講和しましょう!!必要とあらばこちらから人質をだしても構いません!!」

郤缺・荀林父「はっ!!」


晋の対応に怒った穆公と子家は、すぐさま趙盾に書翰を送りつけ、猛然と抗議した。
その内容はほとんど最後通牒のようなもので、仰天した趙盾はすぐさま鄭と和議を申し入れた。
ここでは趙盾は鄭に非常に気を遣い、趙穿と公壻池という二人の大夫を人質に出すほどであった。

とはいえ、書翰の末尾は、居直って鄭の面従腹背を認めさせようとするかのような書き方である。
もしかすると、鄭は本当に楚と通じていたのかもしれない。実際にこの後、鄭は楚に寝返ってしまうのである。
しかし、その上で白を切って強弁したとすれば、穆公や子家の強かさは想像を遥かに上回る。
大国の狭間で小国が生き残るには、こういうきわどい駆け引きが必要なのだろう。

6: 名無しさん@おーぷん 2016/10/23(日)01:27:08 ID:BnI
鄭都新鄭


彡(゚)(゚)「はあ…晋もいよいよアテんならんな…」

(●▲●)「晋公と宰相とが全く反りが合わないようです。もう一貫した政策はとれないでしょうね。」

彡(゚)(゚)「…そうか…晋はもうあかんな…」


彡(゚)(゚)「…楚に乗り換えるか…」

彡(゚)(゚)「子家。楚に使者を送れ。」

(●▲●)「わかりました。」


度重なる晋の失態に、ついに穆公は晋を見限り、楚に寝返った。
晋一色だった中原の一角がついに崩れたのである。

7: 名無しさん@おーぷん 2016/10/23(日)01:27:19 ID:BnI
前608年
鄭都新鄭


(●▲●)「公!!晋軍が諸侯の軍を率いて攻めてきましたぞ!!」

彡(゚)(゚)「来おったか…いつかは来ると思とったけどな…」


蔿賈「こんにちは。私、楚の大夫の蔿賈と申します。楚王の命によって鄭をお助けに参りました。」

彡(^)(^)「おお!来てくれはりましたか!!はるばる御苦労さまやで!!」

蔿賈「晋軍は兵は多くても、所詮は諸侯の寄せ集めです。今から出撃して叩いてきますよ。」


数時間後


蔿賈「戻りました。あっさり勝ちましたよ。やはり晋軍など腰抜け揃いですな。」

彡(^)(^)「ほんまでっか!!こらごっつおおきに!!」


彡(^)(^)(やっぱり楚について正解やったな!!)


この年、楚荘王は陳に侵入し、次いで宋を攻めて大勝。兵車500乗を捕獲した。
これを受け、晋は救援のため、趙盾を将として宋・陳・衛・曹の軍と棐林で合流し、鄭に侵入した。
そして、これに対し楚は蔿賈を将として兵を出し、鄭を救援したのである。
蔿賈は果敢にも新鄭から出撃し、北林で晋軍と遭遇してこれを敗走させた。
鄭は完全に晋の支配から脱したのだ。

23: 名無しさん@おーぷん 2016/10/28(金)13:58:41 ID:Ymc
蔿賈できる人やなあ

8: 名無しさん@おーぷん 2016/10/23(日)01:27:33 ID:BnI
前607年

鄭都新鄭


彡(^)(^)「いや~、楚軍は強かったな~。もうこれからは楚の時代やな~。」

彡(^)(^)「今の楚王は大層ようできた人らしいし、ワイらを無下に扱ったりはせんやろ。」

彡(^)(^)「それにワイは楚サイド一番乗りやから、きっと優しゅうしてくれるで。」


(●▲●)「公!!大変です!!楚王から使者が来ました!!」

彡(^)(^)「ん?何用や?何かくれるんかいな?」

(●▲●)「それが…我が国に宋を攻めるようにと…楚は手助けしないから独力で頑張るようにと…」


彡(゚)(゚)「ファッ!?全然優しないやんけ!!」

彡(-)(-)「すまんゴ…ちょっと行ってきてほしいんゴ…」

(●▲●)「はい…」


この年、楚荘王は鄭に対し、独力で宋を攻めるよう命令した。
服従したばかりの鄭の忠誠度を試そうとしたのであろう。
仕方なく、子家を将として鄭軍は出撃。宋を侵し、大棘の地で迎撃の宋軍と向かい合った。宋軍の将は華元と楽呂であった。

9: 名無しさん@おーぷん 2016/10/23(日)01:27:47 ID:BnI
二月
大棘


(-▲-)「う~ん…別に自分たちは宋に恨みなんかないんだがな…」

(●▲●)「本気で殺し合うのも馬鹿らしい。ちょっと戦ったら引き揚げよう。それで恰好はつくだろう。」

(●▲●)「全軍突撃!!」


ワーワーワーワー


(●▲●)「う~ん…やっぱり宋軍は強いな…早く日が暮れないもんか…」


華元「やあこんにちわ。」


(●▲●)「わっ!?」

10: 名無しさん@おーぷん 2016/10/23(日)01:27:59 ID:BnI
(●▲●)「お、お、お前ええええ!!華元じゃねえかあああああああ!!!」

(●▲●)「者共!!であえであえ!!こいつをひっ捕らえろ!!」

華元「おっとこれは参ったな。お手柔らかに頼むよ。」

(●▲●)「何暢気なこと言ってやがる!!なんでお前がこんなところにいるんだ!!」


華元拘束


華元「いや、兵車に乗ってたんだが、御者がいきなり暴走して、気づいたらこんなところまで来ちゃってたんだよ。」

華元「まったく、食の恨みってのは恐ろしいもんだねwww」

(●▲●)「…は?」


大棘での合戦の最中、突然宋将の華元が鄭軍の中に突入し、あっさり捕獲された。
なんと、羊斟という華元の御者が、前日の食事の分配が不公平だったことに腹を立て、勝手に兵車を暴走させたのだ。
このため宋軍は浮足立ち、合戦は鄭軍の圧勝に終わった。楽呂をも拘束し、兵車460乗・捕虜250人・馘耳100を得たのである。

14: 名無しさん@おーぷん 2016/10/24(月)15:35:40 ID:LLa
>>10
乙やでー
この件は、
華元「羊斟に羊の肉を出したら共食いみたいで縁起が悪い」
羊斟「ファッ!?(憤怒)」
って話だっけ。

16: 名無しさん@おーぷん 2016/10/24(月)18:56:26 ID:h2E
お、次スレ継続しとったんか

>>14
それやな
華元は名臣ではあるんだけど割りとうっかりというかぬけてるところがある人物やしな
まあ鄭に捕虜にされて逃げて帰ってきたときに民に悪口の歌を歌われても笑った済ませたりと
良くも悪くも細かいことを気にせず笑い飛ばしちまうタイプなんだろう
磊落豪雄ってやつやね

18: 名無しさん@おーぷん 2016/10/24(月)22:37:36 ID:RAF
>>16
華元が主役の小説読んだことあるけど、
軽快で楽しかったンゴねぇ

15: 名無しさん@おーぷん 2016/10/24(月)15:36:44 ID:elV
こんなスレあったんか
最初から参加したかったな
今は華元か

19: 名無しさん@おーぷん 2016/10/25(火)10:16:11 ID:v76
>>15
今は鄭の穆公主役でやってるけど、
それでも華元は印象に残りやすいね

24: 名無しさん@おーぷん 2016/10/28(金)13:59:40 ID:9Ln
ここのスレの住人は宮城谷の小説好きそう

72: 名無しさん@おーぷん 2016/11/06(日)21:42:54 ID:NrF
>>24
日本の春秋時代ファン(ごく少数)の8割↑は宮城谷経由なんじゃね?
続く人がいないし、この時代ではそのくらい大きな存在。

75: 名無しさん@おーぷん 2016/11/08(火)00:58:14 ID:tQl
>>72-73 
安能務の春秋戦国史もわりと影響力ある(あった)かも

しかし宮城谷さんはもう御年、小説十八史略とかは若い人には古すぎる
どれも過去形になってるなあ……

77: 名無しさん@おーぷん 2016/11/09(水)14:31:29 ID:Z4F
>>72
日本は古代中国から大きな影響を受けたから?
古代中国を描くことで日本を描くことになるんだって
言ってたけどなぁ・・

73: 名無しさん@おーぷん 2016/11/06(日)21:56:42 ID:l7x
ワイは小説十八史略から入って東周英雄伝でさらに好きになった
宮城谷昌光は読まなきゃなーと思いつつ他に積んでいる本が多くて手が回らない状況

76: 名無しさん@おーぷん 2016/11/08(火)18:26:51 ID:AOP
しゃーない、三国志ですら斜陽でマニア層高齢化してるし
ガチの中国歴史モノが売れる時代じゃないよ。

29: 名無しさん@おーぷん 2016/10/31(月)02:16:42 ID:Gnp
続き書くで

鄭穆公編完結

30: 名無しさん@おーぷん 2016/10/31(月)02:18:01 ID:Gnp
九月


晋霊公薨去、成公即位


前606年
鄭都新鄭


(●▲●)「公!!また晋軍が攻めてきましたぞ!!」

(●▲●)「直ちに楚に救援を求めましょう!!」


彡(-)(-)「…いや、それは要らん。晋に降伏するんや。」


(●▲●)「なんと!?よろしいのですか!?」


彡(゚)(゚)「考えてもみいや。楚は去年ワイ等を守るどころか、パシリに使いおったんやで。」

彡(゚)(゚)「もうワイ等をちゃんと守ってくれる国なんざどこにもないんや。一々約束守んのもアホらしいわ。」

彡(゚)(゚)「こうなったら柳に風や。攻められたら降伏。これでええ。」


(●▲●)「…」


前607年、晋では晋霊公と宰相趙盾の争いが表面化し、混乱の挙句に晋霊公が殺害された。
後を継いだのは襄公の弟で周に預けられていた公子黒臀であった。これが晋成公である。
そして晋成公は即位間もなき前606年、さっそく鄭を攻撃し、郔(エン。延におおざと)に達した。

ところが、これに対して穆公は、楚の援軍を待つこともなく、あっさりと降伏してしまった。
原因はよくわからないが、おそらくは前年の楚の仕打ちに失望し、楚を見切ったのであろう。
またしても鄭は晋の盟下に入ることになった。

31: 名無しさん@おーぷん 2016/10/31(月)02:18:36 ID:Gnp



彡(-)(-)「…ああ…また裏切ってもうた…もうこれで何度目や…」ゲホゲホ

彡(-)(-)「…これやったら結局パッパとなんも変わらんやんけ…何のためにワイは今まで頑張ってきたんやろか…」ゲホゲホ

彡(-)(-)「…最近はなんか体調も悪いし…なんかもう…どうでも良うなってきたわ…」ゲホゲホ


(●▲●)「公!!今度は楚が攻めてきましたぞ!!どうなさいますか!!」

彡(゚)(゚)「…ファ…なんと…そらまた…随分早いことや…な…」ゴホゴホ

(●▲●)「…公?大丈夫ですか?」


彡(゚)(゚)(…なんでや…なんでワイばっかりこんな目に遭わなあかんねん…)フラフラ

彡(-)(-)(…なん…で…)グラッ


バタッ


(●▲●)「ファッ!?公!?」

32: 名無しさん@おーぷん 2016/10/31(月)02:19:44 ID:Gnp

病床


彡(゚)(゚)「…ワイはもうあかんな…この病気でワイは死んでまうんやろな…どうせ来年まではもたんやろ…」ゲホゲホ

彡(-)(-)「…せや…きっと蘭が枯れる頃にワイも死ぬんや…ワイは蘭のおかげで産まれたんやからな…」ゴホッゴホッ

彡(-)(-)「…思えばワイの一生…なんかわけのわからん気苦労ばっかりやった…」ヒューヒュー

彡(-)(-)「…ああ…もういっそ…野山の蘭にでも生まれたかったな…」ゴフッ

彡(-)(-)「…ほんならこんな……めんどくさい………人生なんざ…………」

┏━━━━━┓
┃ / \ ┃
┃/   \┃
┃ (゚)(゚)ミ ┃
┃ ノ   ミ ┃
┃ つ  ( ┃
┃  )  ( ┃
┗━━━━━┛
  穆公薨去


この年、ついに穆公は薨去した。
末期の床で穆公は、蘭が枯れれば自分も死ぬであろう、と語っていた。
そして、実際に蘭が枯れて刈り取られると、穆公も死んだという。

穆公の業績は、はっきりとわかるようなものは殆どない。
鄭は常に晋楚の係争の地となる宿命を背負っており、戦乱の度に鄭は国土を荒らされ、穆公は厳しい選択を迫られ続けた。
その中では穆公は比較的うまく立ち回った方ではあろうが、度重なる難題に、穆公の心が休まる時はほとんどなかったことだろう。

結局穆公は、鄭の衰頽を遅らせることはできたが、止めることはできなかった。暗君ではなくとも、決して名君ではなかった。
鄭はこの後も、同様の凡庸な政治家が続き、晋楚の間で右往左往しながら弱体化してゆくのである。
子家の後に宰相となった公子去疾(子良)は前598年にこう語っている。
「晋楚は徳もなく武力で争っているのだから、我らは攻めて来るたびに服従すればよい。晋楚には信がないのだから、我々にも信は必要ない。」
大胆な改革を行って活路を見出す気概もなく、ジリ貧になるのをただ待つだけ。それが鄭という国であった。

71: 名無しさん@おーぷん 2016/11/05(土)14:40:35 ID:0Do
追記
公子去疾(子良)は穆公の子の中で
一番賢哲だと言われていた・・
>>32 の言葉を見るにかなり疑問だが

33: 名無しさん@おーぷん 2016/10/31(月)02:20:08 ID:Gnp
さて、穆公には以下のようにたくさんの男子がいた。若いころ家庭的に恵まれなかった反動であろうか。









去疾




このうち、夷が穆公の後を継ぐ(霊公)のだが、即位後まもなく子公という大臣に殺害されてしまう。
その理由は、宴席で霊公が意地悪をして鼈料理を子公に食べさせなかった、という意味不明なものであった。
霊公の後継者としては去疾の名が挙がったのだが、去疾はこれを辞退し、結局堅(襄公)が即位した。

そして、他の男子はやがてみな大臣となり、権勢を揮うようになった。
なかでも喜・騑・平・偃・舒・発・去疾の七人の子孫は巨大な勢力を形成したので、まとめて七穆と呼ばれた。
七穆の威勢は君主をも圧倒し、鄭の政治を擅断してゆくのである。


鄭穆公編おわり

70: 名無しさん@おーぷん 2016/11/05(土)14:12:55 ID:0Do
>>33
穆公の主な子たちの字(あざな)とか補足
公子喜(子罕)→罕氏(七穆)
公子騑(子駟)→駟氏(七穆)
公子平(子豊)→豊氏(七穆)
公子偃(子游)→游氏(七穆)
公子舒(子印)→印氏(七穆)
公子発(子国)→国氏(七穆)
公子去疾(子良)→良氏(七穆)
公子嘉(子孔)→孔氏
夏姫(陳の夏御叔夫人、後巫臣夫人)
公子発(子国)の子が名宰相の子産である。
また、公子嘉(子孔)は謀反しようとしたのがばれて、
滅ぼされた。

35: 名無しさん@おーぷん 2016/10/31(月)07:51:12 ID:AUY
乙やでー
鄭の外交が安定するのは、
ここからおよそ半世紀くらい先のことなんだよなぁ・・
穆という諡には徳を広めたという感じの意味があるから
内政面で何か業績があったのだろうか?

37: 名無しさん@おーぷん 2016/10/31(月)21:58:35 ID:dao
なんか可哀想な君主だったな。
強国に挟まれた弱国の定めだけど。
★( o∀o ) ハッピィハロォウィン