34: 名無しさん@おーぷん 2016/10/31(月)02:20:53 ID:Gnp
次は晋成公か斉懿公あたりを考え中
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1477153484/

36: 名無しさん@おーぷん 2016/10/31(月)20:59:53 ID:Xnm
乙やでー
晋成公に斉懿公か
どっちも割りとマイナーやね
成公は長生きしてりゃ士会もいたし
成公本人の質も悪くは無かったっぽいからメジャーになれてた可能性もあるけど

38: 名無しさん@おーぷん 2016/11/01(火)09:44:59 ID:YH0
個人的には魯の三桓が台頭したあたりが見たいけど、
余り見世物にはしずらいんだろうね。
>>36
あと郤缺がもう少しいてくれたらとも思った。

39: 名無しさん@おーぷん 2016/11/01(火)19:03:54 ID:gXj
せやな
郤缺がもう少し長く健在だったらヒツの戦いの元帥が荀林父になることは無かっただろうから
あの敗北も無かったやろな

74: 名無しさん@おーぷん 2016/11/07(月)08:25:24 ID:blN
斉なら懿公よりも恵公のほうがいい気がする。
宋の文公も見たいな

40: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:26:21 ID:z86
続き書くで

晋成公編

41: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:26:41 ID:z86
前607年
王都洛陽


彡(゚)(゚)「ワイは黒臀。パッパは晋の第24代文公やで。」

彡(゚)(゚)「昔、マッマがワイを産んだとき、夢の中で神様がワイの尻に字を書いたんや。」

彡(゚)(゚)「『この子に晋を持たせておいて、三代経ったら驩の子孫に引き渡す』とかいう内容やったらしいけど、今思えばようわからん。」

彡(-)(-)「今はもうアニキの子供が晋公ンなってしもとるし、残念やけどもうワイには即位の目はなさそうやからな…」


彡(゚)(゚)「まあそんなわけで、ワイは『黒臀』っちゅう名前をもろた。」

彡(゚)(゚)「少なくとも、汚ケツが真っ黒、とかいう意味では絶対にないからな。良い子のみんなは、そこんとこ間違えんといてや。」

彡(゚)(^)「ワイとの約束やで☆」


黒臀は晋文公の子である。母は周の王女であった。
その母が黒臀を産むとき、母の夢の中に神が出てきて、黒臀の臀部に以下のように書いたという。
「使有晉國、三而畀驩之孫。」 (『国語』)
そのため、産まれてきた赤子は黒臀と名付けられたのだった。

42: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:27:00 ID:z86
彡(゚)(゚)「ところで、ワイが晋を離れてこんなとこにおるんは、ワイが何か悪いことしたからとちゃうねん。」

彡(゚)(゚)「昔、パッパがまだ若かった頃、晋では御家騒動があって、そのせいでパッパは散々苦労したそうや。」

彡(゚)(゚)「それを反省して、パッパは長男以外の子供を、みんな国の外に預けてしもた。」

彡(゚)(゚)「ワイも、マッマの実家の周に預けられて、今こないして暮らしとるわけや。」

彡(゚)(゚)「まあ王都は華やかで楽しいし、晋公にはなれんまでも、これはこれで充分幸せな人生やな。」


彡(-)(-)「ただ、長男以外追い出して騒動の芽を摘んだはずやのに、こないだも晋では跡目争いがあったそうや。」

彡(-)(-)「ほんで、今の晋公も大臣どもとうまいこと行ってへんらしい。特に宰相と馬が全然合わんそうや。」

彡(-)(-)「ホンマ、人の世っちゅうのは一筋縄ではいかんもんやな…」


晋では驪姫の乱以降、跡目争いを防ぐため、後継ぎ以外の公子を他国に預けてしまう習慣ができた。
晋文公の子の雍・楽・黒臀などが他国に預けられたのはそのためである。
またこの時、晋襄公の子で晋霊公の弟の捷も周に預けられていた。

ただし晋では、公族が全くいないことで大臣がのさばるようになり、結果晋公の権威が下がる結果になった。
それに、晋襄公薨去の際にも結局跡目争いは起こっており、公子分散に本当に効果があったのかはわからない。

43: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:27:35 ID:z86
そのころ
晋都絳
台上


(●゚◇゚●)「えいっ!!どりゃっ!!」ヒュンヒュン ←晋霊公


通行人A「痛てっ!!なんだこりゃ!!」

通行人B「石が降って来たぞ!!危ないじゃねえか!!」


(●^◇^●)「ぎゃあはははは!!愚民どもがああ!!逃げ惑え逃げ惑えええ!!!」ヒュンヒュン


ワーワーキャーキャー


(・8・)「公!!これは一体なんの騒ぎですか!!」 ←趙盾

(●^◇^●)「おお趙盾!!良いところに来たな!!」

(●^◇^●)「見てみろよwwwあんなに逃げ回ってwww人がゴミのようだwww」


(・8・)「おやめなされ!!君主が民を苛めてどうなさる!!」

(●゚◇゚●)「あ?俺が楽しいんだからそれで良いじゃねえか。」

(●゚◇゚●)「そんなことより趙盾。今のままじゃ城の垣根が地味でいけねえ。もっと派手に飾り付けようじゃねえか。」

(●゚◇゚●)「増税だ増税!!今すぐだぞ!!」


(・8・)「」


晋霊公は暗愚な君主であった。即位から10年ほど経ち、ようやく霊公も自分の意思をもつようになったが、それでやったこといえば、
・突如重税を課して壁に彫刻を施す
・物見台に上って外に石を弾き飛ばし、逃げ惑う人々をみて楽しむ
・珍味の熊の掌が生煮えだったことに腹を立て、調理した料理人を惨殺する
・賄賂を受け取り、大臣に相談もせず勝手に諸侯会合を解散する
など、頭の悪さを露呈するようなことばかりであった。
趙盾はしばしば霊公を諫めたが、霊公は言う事を聞かないばかりか、次第に趙盾を憎むようになっていった。

126: 名無しさん@おーぷん 2016/12/12(月)08:43:41 ID:rUQ
>>43
突然のラピュタネタwwwwww

45: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:28:06 ID:z86
霊公治世の晋について。


※スルー可


霊公即位は前620年である。
このとき霊公はまだ幼児であり、とても政治を行うことはできなかったため、実質的には趙盾が最高権力者となった。
しかし、霊公即位時の騒動で趙盾はすっかり信用を失っており、とても国家をまとめていくことはできなかったのである。

まず翌619年、箕鄭・先都・士榖・梁益耳・蒯得の5大夫が叛乱を起こし、翌618年1月に先克(先且居の子で中軍の佐)を殺害した。
彼らは先克に昇進を妨げられたり領地を奪われたりして、先克に恨みがあったのだという。
この叛乱はかなり大規模なものとなった。なにしろ、箕鄭は上軍の将、先都は下軍の佐だったのである。
結局、5大夫が全員殺害されて叛乱が鎮圧されたのは前618年3月のことであった。

先克が不法行為を行ったのなら、本来なら被害者は君主に訴えて裁きを下してもらうべきである。
5大夫がそれをせずにいきなり叛乱を起こしたのは、結局のところ霊公と趙盾を信用できなかったからであろう。
5大夫に限らず晋の群臣は、霊公や趙盾に従わずに各自勝手な行動をとるようになった。

そして、対外的にも晋は失敗の連続であった。
まず、令狐の合戦で秦とは決定的に関係が悪化し、毎年のように交戦して城を奪い合った。
秦では、前620年に亡命した士会が重用され、強かな戦略で晋を振り回したのである。
そして前615年には河曲の地で晋秦の全軍が衝突する大会戦が勃発。
この時晋軍は、かつて狐射姑に侮辱されたという、あの臾駢(このとき上軍の佐)の作戦によって優位に立ち、秦軍を追い詰めた。
ところが、趙穿(趙夙の孫)と胥甲(胥臣の子)が勝手な行動を繰り返して晋軍の足を引っ張ったため、あと一歩のところで取り逃がしてしまう。
当時胥甲は下軍の佐であったが、後に彼はこの時の失態を理由に、大臣を首になってしまうのである。

また、秦との抗争に気をとられている間に、中原では楚の勢力がどんどん拡大していった。
蔡・鄭・陳・宋などは次々と楚に服従し、これに対して晋は何ら有効な手段を講ずることができなかった。

踏んだり蹴ったりの晋であるが、更にそれに追い打ちをかけたのが、成長した霊公である。
彼は非常に暗愚であり、前612年には斉を討伐するために諸侯を召集しておきながら、斉から賄賂を受け取って連合軍を解散してしまった。
霊公は事あるごとに趙盾と対立し、そのためにますます政治は乱れたのである。

46: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:28:32 ID:z86
(●゚◇゚●)「趙盾がもういい加減鬱陶しくなってきたな…」

(●゚◇゚●)「俺だってもう子供じゃねえんだ…あんな野郎に一々口出しされるいわれなんかないぞ…」

(●゚◇゚●)「こうなったら…」


(●゚◇゚●)「鉏麑!!趙盾を殺してこい!!」

鉏麑「はっ!!」


夜明け前
趙盾邸


鉏麑「これが趙盾の屋敷か…随分立派な家じゃねえか…」

鉏麑「さて…趙盾はどこにいやがるんだ…」


鉏麑「…ん?あれか?」


ガラーン


鉏麑「なんだwww寝室の扉が開けっ放しだぜwww不用心な野郎めwww」


度重なる趙盾の諫言に嫌気がさした霊公は、鉏麑という刺客を送って趙盾を暗殺しようとした。
早朝、鉏麑は趙盾邸に侵入し、趙盾の眠る寝室を発見する。
すると、寝室の扉は開けっ放しになっていた。

48: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:28:54 ID:z86
鉏麑「さ~て…まだ寝てやがるかな…」シンシツノゾキミー


(-8-) 正座


鉏麑「!?」

鉏麑(なんでこんな時間に起きてるんだ!?もしや気づかれたか!?)


(-8-)


鉏麑(…いや…違う…)


(-8-)zzz


鉏麑(坐ったまま寝てやがる…)

鉏麑(もうとっくに起きて…服も着替えて出仕の準備も全部済ませて…)

鉏麑(それで…まだちょっと時間があるから坐ってウトウトしてやがるんだ!!)


なんと、趙盾は既に礼服に着替えて参内の支度を整えていた。
そして、束の間坐って転寝をしていたのである。

49: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:29:12 ID:z86
鉏麑(やべえぞやべえぞ…趙盾ってこんな良い奴だったのかよ…)

鉏麑(間違いなく趙盾は宰相の器だ…こういう人間を殺しちゃ国のためにならない…)

鉏麑(でも俺は君主の命令を受けてるんだ…殺さなきゃ命令に逆らったことになっちまう…)

鉏麑(どうしよう…どうしよう…)


(-8-)zzz


鉏麑(どうしようどうしようどうしようどうしよう)


(-8-)zzz


鉏麑「う゛…あ゛…」(どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう)


(-8-)zzz


鉏麑「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!」ダッ


(-8・) !?


ドゴッ

51: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:29:39 ID:z86

朝廷


(●^◇^●)「へへへへへwww趙盾の野郎めwww今頃はもうあの世行きだなwww」

(●^◇^●)「きっとションベン垂らして泣き叫んだんだろうなwww土下座して命乞いなんかもしちゃったりしてwww」


(●^◇^●)「よし!!もううるさい奴は消えたんだ!!今すぐ宴会だぜ!!」


(・8・)「いいえ。今からは大事な会議です。」


(●゚◇゚●;)!?

(●゚◇゚●;)「…ェ…なんで…」


(・8・)「おはようございます。朝ちょっと自宅で騒動がありまして、参内が遅くなってしまいました。申し訳ございません。」

(・8・)「さあ今日も一日予定が盛りだくさんでございます。宴会はまたの機会になさいませ。」


(●゚◇゚●;;)「」


(・8・)(…今朝…庭の木の傍で死んでいた男…刃物を持っていた…)

(・8・)(…それに公のこの反応…まさか…)


勤勉にして恭謹な趙盾の姿を目の当たりにした鉏麑は、国家と君主の板挟みになって苦悩した。
そしてその苦しみに耐えかね、なんと槐の木に頭をぶつけて自殺したのである。
同じ刺客でも、流浪時代の晋文公をつけ狙った披とは随分性格に差がある。

52: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:30:08 ID:z86
九月


(●火◇火●)「鉏麑め仕損じやがったな!!クソッタレが!!」

(●火◇火●)「こうなったら次の手だ!!絶対に逃がさねえぞ!!」

(●火◇火●)「宴会の準備だ!!」


宴席


(●^◇^●)「いや~やっぱり酒は良いもんだねwww」

(・8・)「…」

(●゚◇゚●)「ところで宰相。俺最近新しいペットができたんだよ。」

(●゚◇゚●)「獒っていう犬なんだけどな。とんでもなくでかくて恰好いいんだ。」

(・8・)「はあ…それはそれは…」


(ハ・Д・ム)(なんだ…なんだか変な妙な気配だな…あちこちから殺気がしやがる…) ←提弥明

(ハ・Д・ム)(…もしかして…伏兵か!?)


趙盾の暗殺に失敗した霊公だが、懲りずに次の策を考えた。
即ち、宴席に兵を伏せ、趙盾を招いて殺そうとしたのである。
ところが宴席では、趙盾の車右の提弥明が陰謀を察知した。

54: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:30:27 ID:z86
(●゚◇゚●)「今日は宰相にも見せたくて、ここに連れてきたんだよ。」

獒「ガルルルルルルルル」

(・8・)「はあ…確かに立派ではありますが…いささか兇暴そうですな…」

(●^◇^●)「大丈夫大丈夫。俺にはよく懐いてるからな。言う事は何でも聞くよ。」

(●^◇^●)「ただ…獲物を見つけたら最後、なんにでも嚙み付いてずたずたにしちまうんだ。」

(●゚◇゚●)「…たとえそれが人間でもね…俺が襲えと命令さえすれば…」


(・8・)「!?」


(ハ・Д・ム)(はっ!?まずいぞ!!盾様が襲われる!!)


ダッダッダッダッ


(ハ・Д・ム)「盾様!!いけませんぞ!!」

(ハ・Д・ム)「臣下が君主に酒を3杯以上も戴くのは無礼にあたります!!」

(ハ・Д・ム)「さあもう帰りましょう!!」カカエアゲー


(・8・)「…お…おう…」


陰謀を察知した提弥明は、宴会の行われている堂上に馳せ登り、趙盾を抱え上げて堂下に降ろした。

55: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:30:45 ID:z86
(●゚◇゚●)「チッ!!逃がすかよ!!獒よ!!行け!!」

獒「グルガアアアアアアアアアア!!!」ダッ


(・8・;)「ヒッ!?」

(ハ・Д・ム)「公!!危ない!!」


グワシャッ


獒「」チーン


(●゚◇゚●;)「ファッ!?素手で!?」


(ハ・Д・ム)「逃げましょう!!急いで!!」

(・8・;)「…あ…ああ…」


(●炎◇炎●;)「ちくしょおおおおおおおおおおお!!者共であえええええええ!!であええええええ!!」

(●炎◇炎●;)「奴らを逃がすなああああああ!!八つ裂きにしてしまえええええええ!!」


伏兵「よろしくニキ―www」

伏兵・伏兵・伏兵「よろしくニキ―www」


(・8・;)「」

(ハ・Д・ム;)「」


趙盾が逃げ出そうとするのを見た霊公は、猛犬の獒をけしかけた。
ところが、なんと提弥明はこれを素手で撲殺してしまう。恐るべき剛力である。
するとこれに怒り狂った霊公は伏兵を起たせた。

56: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:31:24 ID:z86
(ハ・Д・ム)「喰らえや!!」ホコフリマワシー

伏兵A「べッ!?」バタッ


伏兵・伏兵・伏兵「よろしくニキ―www」


(ハ・Д・ム)「くそっ!!きりがねえ!!」ブウンブウン


伏兵B「よろしくニキ―www」モノカゲカラー

(ハ・Д・ム;)「しまった!!そんなところから!!」

(・8・;)(まずい!!殺られる!!)


???「死ね!!」


ドシュッ


伏兵B「ゲッ!?」バタッ


(・8・;)「!?」

(ハ・Д・ム;)「!?」


提弥明と趙盾は必死に戦ったが、伏兵は次々と湧いてくる。
2人とも、ほとんど生き延びるのを諦めたことだろう。
ところがその時、突然伏兵の一人が矛を転じ、趙盾たちの味方になって戦い始めた。

57: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:31:39 ID:z86
???「死ね!!死ね!!」ホコブンマワシー


(・8・;)(なんだこの男…急に味方になったぞ…)


(ハ・Д・ム;)「盾様!!今の内です!!お逃げ下さい!!」ブオンブオン

(ハ・Д・ム;)「ここは私が食い止めますから!!」ブオンブオン


(・8・;)「!?」

(-8-;)「…わかった…すまん…」ダッ

???「…」ダッ


(ハ・∀・ム;)ニヤッ

(ハ・Д・ム;)「よしゃああああ!!伏兵ども!!ここからは一歩も進ませねえぞ!!」

(ハ炎Д炎ム)「束ンなってかかってきやがれえええ!!全員地獄へ道連れだあああああああ!!!」


伏兵・伏兵・伏兵・伏兵・伏兵「よろしくニキ―www」

58: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:31:56 ID:z86
晋都郊外


???「ここまでくればもう大丈夫です。」

(・8・;)「ハアハア…ありがたい…」


(・8・;)「ときに…あなたは何者だ…どうして私を助けたんだ…」

霊輒「…私が宰相にお会いするのはこれで2回目です。」

霊輒「翳桑の乞食、と言えば思い出していただけますか?」

(・8・;)「はっ!あの時の!!」

(・8・;)「名前は何と申される!?お住まいは何処か!?」


霊輒「…名乗るほどの者ではありません…」

霊輒「…もう行きます…早くせねば追手がきますぞ…」タチサリー


(・8・;)(なんだったんだ…)

(;8;)(提弥明…)


結局、提弥明は戦死したが、趙盾と謎の兵士は逃げのびた。
そして趙盾が兵士に助けた理由を尋ねると、兵士は「翳桑之餓人也。」(『春秋左氏伝』)と答えた。
しかし、それ以上は名前も住所も答えず、速やかに立ち去ったのである。
趙盾もそのまま、亡命のためすぐに移動し始めた。

実はこれより先、趙盾が狩りの途中に翳桑という地で一泊した際、霊輒という餓えた男に出会った。
趙盾が哀れに思って霊輒に食事を与えたのだが、何故か霊輒は半分しか手をつけない。
その理由は、故郷の母への土産にしたい、というものであった。
これに感動した趙盾は、食事を全て霊輒に食べさせ、母親のために弁当をもう一つ与えたのだった。

59: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:32:42 ID:z86
乙丑
桃園


(●゚◇゚●)「くそっ!!逃がしたか!!」

(●^◇^●)「まあいい!!これで俺もやりたい放題だ!!」


趙穿「公。」キラッ


ドシュッ


(●゚◇゚●)「グべッ!!」バタッ

┏━━━━━┓
┃ / \ ┃
┃/___ \┃
┃ /   ヽ ┃
┃{0}/"ヽ{0}┃
┃| ヽ_ノ |┃
┃リ `ー′ リ┃
┗━━━━━┛
 晋霊公薨去

国境周辺


(・8・)「なに!?穿が公を!?」


趙盾を排除して大喜びの霊公だったが、乙丑の日、桃園で遊んでいるところを趙穿に暗殺されてしまった。
この時趙盾はまだ国境を越えておらず、報せを受けて直ちに絳へ引き返した。

霊公の在位中、一貫して権力を握っていたのは趙盾であり、その政治は必ずしも公平ではなかった。
例えば、河曲の合戦での失態で、胥甲は処罰されたのに趙穿は処罰されなかったのだ。
霊公が趙盾の独裁に対して反抗しようとしたのは事実であり、それは道義的に正しい行動だったかもしれない。
しかしながら、正義を断行するには霊公はあまりにも幼く、愚かで無能過ぎた。
たとえ趙盾の暗殺に成功し、趙穿を排除していたとしても、結局は別の臣下と争い、ロクな死に方はできなかったことだろう。

60: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:32:58 ID:z86
晋都絳
朝庭


(-8-)(結局こんなことになってしまうとは…あんなに無理して即位してもらったのに…)

(-8-)(私なりに頑張ったつもりだったんだがな…何が悪かったのだろうか…)


(・8・)「ん?あの立札はなんだ?」

――――――――――――――――――――――――――――――――――
正史記録告示

九月乙丑、趙盾がその君主夷皐を殺害した。

文責:大史董狐
――――――――――――――――――――――――――――――――――

(・8・)「は!?どういうことだ!!私は殺されそうになった側だぞ!!」

(・8・)「董狐どの!!これは事実とは違いますぞ!!訂正して戴きたい!!」


董狐「…」


趙盾は絳に戻ったが、趙穿を処罰することはなかった。
すると、晋の史官の董狐は、なぜか「趙盾弑其君」 (『春秋左氏伝』)と記録し、朝廷に告示したのである。
驚いた趙盾は、すぐさま訂正するよう董狐に詰め寄った。

61: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:33:16 ID:z86
董狐「何を仰る。弑逆は全くの事実ではありませんか。」

董狐「貴方は晋の正卿です。逃げられた時も国境を越えていないのですから、その任務は今も変わりません。」

董狐「ところが貴方は主殺しの犯人を処罰しない。これで、責任が貴方以外の誰にあると仰るのですか?」


(・8・)「…」


(-8-)「…確かにその通りです…」

(-8-)「…思うところが多すぎて…結局禍根が残される…」

(;8;)「私はそんな気持ちですよ…」


董狐「…」


董狐は趙盾の威厳に屈することなく、整然と反論した。
これには趙盾も黙するしかなく、ただ、詩の一節を呟いただけであった。

我之懷矣
自詒伊慼  (『詩経』)

霊公のことで悩み続け、しかも汚名を残すことになった趙盾の無念がひしひしと伝わってくる逸話である。

62: 名無しさん@おーぷん 2016/11/03(木)19:33:37 ID:z86
趙穿「…ということがございました。」

趙穿「そこで、群臣一同、ぜひ黒臀さまを晋公としてお迎え致したく、参上仕った次第です。」


彡(゚)(゚)「ファッ!?ワイが」

彡(^)(^)「わかりましたわ!!是非行かしてもらいまっせ!!」


彡(^)(^)(なんや!!なんでかしらんけどワイが晋公やて!!)

彡(^)(^)(やっぱりマッマの夢は正夢やったんやな!!)


霊公の後継として、趙盾は黒臀を選んだ。
本来なら雍を迎えたかったところだろうが、霊公即位時の騒動で、それは永遠に不可能になってしまっていたのである。

68: 名無しさん@おーぷん 2016/11/04(金)12:22:06 ID:S8k
>>62
イツチ乙やでー
それにしてもよりによって趙穿を迎えの使者にするとは・・

66: 名無しさん@おーぷん 2016/11/04(金)00:14:35 ID:72t
晋襄公編の時に「宰相趙盾・前編」って、言ったけど
今回が「宰相趙盾・後編」な感じだな。

78: 名無しさん@おーぷん 2016/11/10(木)16:38:34 ID:qfq
次回は黒臀(成公)の即位か

83: 名無しさん@おーぷん 2016/11/27(日)00:27:04 ID:wNV
かなり久しぶりに続き書くやで
晋成公編完結やで

84: 名無しさん@おーぷん 2016/11/27(日)00:28:56 ID:wNV
十月壬申
曲沃


彡(゚)(゚)「今日から晋公ンなった黒臀や!!」

彡(゚)(゚)「今の晋は国の内にも外にも問題だらけや!!みんな協力して頑張るんやで!!」


大臣一同「はっ!!」


彡(゚)(゚)「まずは制度改革や。大臣の子供らの序列をはっきりさすやで。」

彡(゚)(゚)「一族の跡取りが公族、それ以外の子は余子、妾腹は公行や。」


(・8・)「…公。我が趙氏は弟の括を公族にしたいと思います。」

(・8・)「括のお母様には大変お世話になりましたから。あの方がおられなければ私は今でも狄で暮らしていたことでしょう。」

彡(゚)(゚)「ん?ほんならお前んとこの子供はどないすんねん?」

(・8・)「うちの子は余子で構いません。というか私自身を余子に格下げして下さい。」

(-8-)「宰相は辞めさせて戴きます…もう疲れました…」


彡(゚)(゚)「ファッ!?」


十月壬申の日、黒臀は即位し、曲沃の武公廟で群臣の朝見を受けた。
黒臀の諡は成公。以下は成公で統一する。

さて、即位した成公はまず、大臣諸氏の子供達の格付けを明確にするため、公族・余子・公行の三官を設けた。
するとこれに対して趙盾は、自分を格下げして弟の趙括を公族にするよう求めた。
なんと趙盾自らは余子の官に降り、宰相を辞任したのである。
15年に及ぶ趙盾政権はあっさり終了した。宰相の位は郤缺が継ぐことになった。

趙盾の在任中を通じて、晋は軍事的に非常に不活発であり、楚・秦・斉に後れをとることが多かった。
また、就任以来の制度改革で大臣の権勢が強くなり、大臣同士の権力闘争が激化してしまった面も否定できない。
しかし結局のところ、彼の辞任時には、中原諸侯は鄭を除いて全て晋の盟下にあったのだ。
暗君と人材不足の時代にあって、晋が覇権を維持し続けられたのは、紛れもなく趙盾の能力によるものである。
地味ではあるが、名宰相と呼んでよいであろう。

85: 名無しさん@おーぷん 2016/11/27(日)00:29:12 ID:wNV
趙盾について詳しく。


※スルー可


重耳(晋文公)が居城の蒲を脱出して狄に亡命したのが前655年である。
狄は重耳を歓迎し、更に廧咎如という狄の部族を攻めて、捕虜となった叔隗・季隗という2人の女を重耳に献上した。
すると、重耳は季隗を自分の妻とし、叔隗を趙衰に与えた。
やがて叔隗は盾、季隗は鯈・劉という子を産んだ。

しかし前644年、晋恵公が重耳に刺客を放ったため、重耳は狄を脱出する。
この時、叔隗・季隗とその子供たちは、みな狄に置き去りにされた。
あてのない逃避行に、女子供を連れて行く余裕などとてもなかったのであろう。
出発に際して、重耳の季隗に曰く「25年待ってくれ。それでも私が戻らなければ再婚しなさい。」
これに対して季隗は「私は今25歳です。25年経てば、再婚しようにもとっくに棺桶の中でしょう。あなたをお待ちしております。」と答えた。
趙衰と叔隗もおそらく同じような心持だったことだろう。

ところが、重耳は諸国を放浪し、幾多の苦難を乗り越えて、前636年にとうとう晋公となった。
狄では季隗を晋に送ることになったが、跡目争いの種になることを恐れたのか、鯈と劉は狄に残された。
一方、趙衰は叔隗や盾を呼び寄せようとはしなかった。
この時、趙衰は既に重耳の娘の趙姫を正夫人として迎えており、同・括・嬰斉という三人の男児までいたのだ。
もはや趙家に叔隗や盾の居場所はなかったのである。

しかし、意外にも趙姫がこれに異議を唱えた。彼女は叔隗と盾を呼び寄せるよう、嫌がる趙衰に迫ったのである。
曰く「文公に今気に入られているからといって、昔のことを忘れてしまうようでは、人の上に立つことはできません。」
仕方なく趙衰は叔隗と盾を迎えることになった。
すると、趙姫は盾の才器を見抜き、なんと文公に頼んで盾を嫡子、叔隗を正夫人としたのであった。
趙盾はこのことを恩義に感じ、後に後継ぎに括を指名したのである。

86: 名無しさん@おーぷん 2016/11/27(日)00:30:57 ID:wNV
前606年
晋都絳


彡(゚)(゚)「趙盾はあっさり引退してしまいおった。」

彡(゚)(゚)「まあ、先代の馬鹿っぷりに10年もつき合わされたんや。ホンマお疲れさまやで。」

彡(゚)(゚)「郤缺!!いよいよ新しい時代が始まるんや!!よろしく頼むで!!」

('ω`)「はっ!!懸命に努めます!!」 ←郤缺


('ω`)「最近の晋は、外交はどちらかというと穏健志向で、あまり軍事行動は多くありませんでした。」

('ω`)「出撃した場合も、ノロノロ進軍したり、賄賂を受け取って引き返したりして、武力を見せつけるようなことはほとんどできませんでした。」

('ω`)「しかしこれからは、叛く者に対しては、必要に応じて武力を示していくべきかと思います。」


彡(゚)(゚)「なるほどな…」

彡(゚)(゚)「ほんならまずは鄭を叩きにいこか。出撃の準備をせい。」


この年、成公は早速兵を繰り出し、中原で唯一楚に従っていた鄭を撃った。
晋軍の猛威に震え上がった鄭は、直ちに降伏し、和議を結んだ。

この後、前604年に陳が楚と講和すると、すかさず晋は荀林父を将として出兵し、陳に侵攻、屈服させた。
趙盾ならしばらく様子を見ようとしたことだろうが、成公は素早く軍事行動を起こし、服従させる方針をとったのだ。
成公と郤缺の指導のもと、晋の外交姿勢は次第に強硬路線へと転換していくのである。

87: 名無しさん@おーぷん 2016/11/27(日)00:31:52 ID:Lu3
ワイにわか、よく知らないが宮城谷小説はすこ

88: 名無しさん@おーぷん 2016/11/27(日)00:32:41 ID:8nh
大学で列伝を少しだけ勉強したがエピソードの多さに驚いたわ

89: 名無しさん@おーぷん 2016/11/27(日)00:33:17 ID:wNV
郤缺について。


※スルー可


郤缺は、かつて晋恵公と晋懐公を補佐していた郤芮の子である。
晋文公が即位した前636年、郤芮は叛乱を起こし文公を殺害しようとしたが、失敗して処刑された。
記録がないので確かなことは言えないが、この時郤缺は逃亡し、隠居したのであろう。

ところが、郤缺の才能は見過ごされなかった。
ある日郤缺が草刈りをしていると、そこを偶然胥臣が通りかかったのである。
この時、郤缺の妻が郤缺のところへ食事を運んできたが、その様子はまるで、夫婦が互いを賓客として敬い、もてなしているかのようであった。
この光景に驚き、郤缺の大才を見抜いた胥臣は、なんとそのまま彼を連れて絳に戻り、文公に推薦したのである。
曰く「敬意は徳の結晶です。敬意を持って行動できる者は徳が高く、上手く民を治めることができます。どうか郤缺を登用して下さい。」

当然文公は嫌がった。自分の命を狙った者の子を信用できるはずがない。
しかし胥臣は諦めなかった。
「帝舜は鯀を処刑しましたが、その子の禹は登用しました。また、斉桓公は敵だった管仲を許し、登用して覇業を成し遂げたではありませんか。
カブやダイコンは根が悪くとも、葉は摘んで食べることができます。その長所だけを取り上げればよいのです。」
結局文公は折れ、郤缺は胥臣が佐を務める下軍で大夫として働くことになった。

それから時は流れ、文公歿後の前627年、狄が晋に侵入し、晋軍と箕で交戦した。元帥の先軫が戦死した合戦である。
この時、郤缺は兇暴な狄兵を相手に奮戦し、狄の君主である白狄子を捕獲する大戦果を挙げた。
晋襄公はこれを賞し、郤缺を卿に任命して、父の旧領の冀を与えた。
そして胥臣にも、郤缺を推薦した功績で褒賞を与えたのである。

やがて襄公が薨去し、趙盾が政治を主導するようになると、郤缺は彼に絶大に信用されるようになった。
上軍の将として趙盾に次ぐ地位に上り、相談に乗りつつ、時には厳しい言葉も吐いた。
前618年には、衛の問題に関連して、趙盾に向かって以下のように言い放っている。
「上に徳がなければ下は楽しからず、それが離反の原因となる。あなたの徳など、歌頌できるものなど何もなく、誰も従いません。」
しかし、趙盾はこれに怒るどころか、むしろ深く納得したのである。郤缺の能力をさぞ高く評価していたのであろう。
また、秦に亡命していた士会の帰国を趙盾に提案し、実現させたのも郤缺である。

そして前607年、趙盾が引退し、とうとう郤缺は晋の宰相となった。
叛逆者の子が宰相になったわけであり、晋の人材活用機能の高さが窺い知れる。

90: 名無しさん@おーぷん 2016/11/27(日)00:33:55 ID:wNV
前603年


彡(゚)(゚)「なんやと!?狄が攻めてきおった!?」

('ω`)「はい。敵はとんでもない大軍で、懐と邢丘が包囲され、周囲の領土は荒れ放題になっているそうです。」

彡(゚)(゚)「ほんならすぐ出陣や!!野蛮人どもに好き放題さすな!!」


( ・`公・´)「お待ちください。今は撃って出る時ではありません。敵は大軍ですぞ。」 ←荀林父

( ・`公・´)「しばらく待って、敵の勢いが衰えるのを待ちましょう。出兵は敵にとっても大きな負担ですから。」

( ・`公・´)「狄が自分の民を苦しめるに任せておき、極限にまで至れば、その時こそ一撃で斃すことができるでしょう。」


彡(゚)(゚)「なるほどな…確かにそれもそうや…」


この年、赤狄が大挙して晋を侵し、懐と邢丘を包囲した。
これに対し、成公は出撃して迎え撃とうとしたが、荀林父の諫言で断念した。
楚の脅威が高まっている時に、狄との戦いで兵力を損ないたくないという判断であろうか。

しかし、この後も狄は晋の領土を侵し続け、晋を悩ませ続けるのである。

91: 名無しさん@おーぷん 2016/11/27(日)00:34:18 ID:wNV
前600年


彡(゚)(゚)「なんやと!!また陳が寝返りおったんか!!」

('ω`)「陳と鄭は楚に近いですからね…昔から彼等は寝返ってばかりです。」

彡(゚)(゚)「すぐ出陣や!!今度は諸侯連合の大軍でどやしつけたるわ!!」


九月辛酉



彡(゚)(゚)「しっかし…中原の連中は何遍叩いてもすぐ裏切りおるな…」

彡(-)(-)「今回大軍で脅かしたっても、楚が兵隊同じ数出してきおったら結局無意味やしな…」

彡(-)(-)「なんとかうまいことできへんもんやろか…」


ドクン


彡(●)(●)「うぐっ!?」


バタッ


┏━━━━━┓
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┃/   \┃
┃ (゚)(゚)ミ ┃
┃ ノ   ミ ┃
┃ つ  ( ┃
┃  )  ( ┃
┗━━━━━┛
  成公薨去

92: 名無しさん@おーぷん 2016/11/27(日)00:35:40 ID:wNV
この年、成公は扈で諸侯会合を実施し、宋・衛・鄭・曹の君主が参加して、晋に従わぬ諸侯への対策を話し合った。
そして、会合に陳公が出席しなかったのを理由に、荀林父を将として諸侯の軍が出動、陳を攻撃した。
この前年、陳は再び楚に攻められて、楚と講和していたのである。

ところがその最中、なんと成公が突然薨去してしまった。死因は不明である。
成公はこの時、おそらくまだ30歳前後であった。壮年での死を誰も予想しなかったことだろう。
訃報に接した荀林父はやむなく兵を退いた。
後を継いだのは成公の子の拠(景公)である。またしても未熟な弱年君主が即位したのだ。

成公の在位期間はたったの7年間であり、その賢愚のほどは定かではない。
狄を撃とうとした時に荀林父の建言を受け入れたのは賢明な判断であったかもしれないが、それだけでは何もわからない。
もちろん郤缺・荀林父・士会などの賢臣を活用し、覇権を維持した功績は認められるべきであろう。
しかし、真価を試されるような一大事は成公の在位中には一度もなく、結局その器量は量りようがない。
襄公歿後に後継として取沙汰されなかったくらいだから、実際のところ大した器量ではなかったのかもしれない。

ただ、趙盾の穏健外交を改めて、武力による秩序維持を目指したのは画期的なことであった。
晋が楚に真っ向から対抗し、武力一本で中原諸侯を奪い合う時代になったのである。
成公の在位中はその方針は上手く行っていたと言えるであろう。中原諸侯はほぼ晋の盟下に収まっていたのだ。

しかし、これによって晋楚の緊張は急速に高まって行く。
そして成公歿後の前597年、鄭の帰属を巡り、ついに晋と楚の全軍が邲の地で向かい合い、正面衝突する。
この一大決戦で、楚荘王率いる楚軍によって、晋軍は粉々に打ち砕かれてしまうのである。


晋成公編おわり

97: 名無しさん@おーぷん 2016/11/27(日)11:40:43 ID:KTh
>>92 
あっさり亡くなってかなC 
ただ、襄公歿後に後継として取沙汰されなかったのは単純に年少だったからではないかと