93: 名無しさん@おーぷん 2016/11/27(日)00:39:23 ID:wNV
次は楚荘王か斉の誰かの予定
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1477153484/

96: 名無しさん@おーぷん 2016/11/27(日)07:56:27 ID:ryi
既出の質問やったらすまんけど
春秋時代に限定してるってことは晋が三ヵ国に分裂して戦国時代に突入したところで
このスレは終わるんか?

97: 名無しさん@おーぷん 2016/11/27(日)11:40:43 ID:KTh
>>96 
春秋時代が終わる時期に諸説あるからどれを採用するかちょっと気になるな

100: 名無しさん@おーぷん 2016/11/29(火)19:40:53 ID:H1h
ワイ将、趙武と程嬰の逸話で泣く
このスレで語られるんやろか?

101: 名無しさん@おーぷん 2016/11/30(水)23:14:56 ID:Rvr
フィクションぽさが結構あるから微妙かねー。
次は楚か斉だから触れるにしても当分先だろうだけど

102: 名無しさん@おーぷん 2016/12/01(木)17:48:06 ID:lW1
晋公「趙氏プロパガンダのクサさは異常」

でもフィクション系エピソード排除したら春秋戦国(特に戦国)は中身すっからかんになるから・・・

103: 名無しさん@おーぷん 2016/12/01(木)20:40:03 ID:T7M
斉は桓公の後→孝公→昭公→懿公→恵公のうち誰をやるんかな?
さほど目立たない気がするが

130: 名無しさん@おーぷん 2016/12/13(火)00:34:16 ID:aXx
楚荘王編


前617年
楚都郢


彡(゚)(゚)「ワイは旅。第25代楚王商臣の長男やで。」

彡(^)(^)「100年前は大したことなかった楚も、今では南方一、いや天下一の大国や!!」

彡(^)(^)「今日もパッパは宋を撃ちに、大軍引き連れて元気に出ていきおったで!!」


彡(゚)(゚)「最近はなんか、パッパを暴君やなんやと悪口言いおる奴が多いらしい。」

彡(^)(^)「ほんでもワイに言わしたら、そんなもん根も葉もない大嘘や!!」

彡(^)(^)「確かにパッパはジッジを殺してもうたけど、その後はワイら子供にも優しいし、賢い家来もどしどし取り立てとるんやで!!」

彡(^)(^)「その上領土もどんどん広がっとる!!ただの名君やんけ!!」


旅は、第25代楚穆王の太子である。
穆王は父の成王を殺害して即位するや、江・鄀・六といった小国を次々と滅ぼし、鄭・陳・蔡などを服従させて急速に勢力を拡大した。
また、成大心(子玉の子)・潘崇・范山・蔿賈・子越などの有能な臣を次々と登用し、国政を執り行った。
当時の晋・斉は内乱がくり返されて安定せず、楚を抑えうる勢力は中原に存在しなかったのである。

そんな中、前617年、穆王は鄭・陳・蔡と連合して宋を攻めた。
これに対して宋は、大臣の華御事の進言で、宋昭公自ら商丘郊外まで出向いて穆王を迎え、一戦もせず楚に降伏した。
そして、協和の証として、穆王は鄭穆公・宋昭公と共に狩りをすることになった。現代企業のゴルフ接待のようなものだ。

131: 名無しさん@おーぷん 2016/12/13(火)00:35:17 ID:aXx
宋の地・孟諸沢
早朝


宋昭公・鄭穆公 zzz


コッケコッコー


鄭穆公「…ん……ん?朝か?」パチリ

鄭穆公「…なんや…まだちょっと暗いやんけ…二度寝や二度寝…」グー


( ^`公^´)「諸君おはよう!!今日も良い朝だなあ!!」 ←穆王

鄭穆公「ワヒッ!?」ガバッ

( ^`公^´)「絶好の狩り日和だ!!さっそくおっ始めるぞ!!」

鄭穆公「はっ…はい!!わかりましたやで!!」アタフタ


( ^`公^´)「はっはっは!!やはりそうでなくては!!」

( ^`公^´)「馬を兵車に繋げ!!火種の用意も忘れるな!!今日は目一杯楽しむんだからな!!」

( ^`公^´)「なあ宋公!!」


宋昭公 zzz


( ^`公^´) !?


狩りの当日、穆王は早朝から兵を起こし、早速狩りの準備を始めた。
この時代の狩りは、娯楽というよりは軍事演習のようなもので、戦争と同様、左右中の三軍の陣立てで獣を追い立てるのである。
そのため、その準備も戦争並の周到さが必要であった。
穆王は、自軍だけでなく、宋軍と鄭軍にも準備を始めるよう命じた。

ところが、宋昭公はその命令に従わなかった。

132: 名無しさん@おーぷん 2016/12/13(火)00:35:34 ID:aXx
( ・`公・´)「宋公!!何をしている!!準備だ準備!!」


宋昭公「…うーん…後5分…」


( ●`公●´)「貴様ああああ!!起きねえかああああああ!!」

( ●`公●´)「子舟ううううううううう!!こいつを叩き起こせええええええ!!」

(・8・)「はっ!」 ←子舟


御者「公…楚王が怒ってますぞ…早く起きねば…」ユサユサ

宋昭公「…うるせえなあ…放っといてくれよ…」ブツブツ


(・8・)「起きよ!!これは楚王直々の御命令であるぞ!!」イライラ

宋昭公「…いいじゃねえか…あとちょっとくらい…」ムニャムニャ

(・8・)「何だとおおおお!!王命をなんと心得るかあああああ!!」カーッ

133: 名無しさん@おーぷん 2016/12/13(火)00:36:34 ID:aXx
(・8・)「御者あああああ!!これはどういうことだあああああ!!」

御者「申し訳ございません…もう間もなく目覚められますから…」オロオロ


宋昭公「…一々うっせえんだよ…なにが楚王だ…クソッタレが…」グズグズ


御者「」


(・8・) プチッ


(-8-) ムチトリダシー


御者「お待ちください!!どうかご勘弁を!!」

(●8●)「黙れえええええ!!王命に叛く者はこうだああああああ!!」ムチフリカザシー


ビシイッ


御者「ぎゃああああああっ!!」

宋昭公「ファッ!?」


宋昭公の鈍重な対応に、楚の左司馬であった子舟は怒り、鞭を執って宋昭公の御者を打ち据えた。
さすがに昭公本人を打つことは控えたが、それでも昭公にとってはとんでもない侮辱である。
楚でもさすがにこれはやりすぎだと感じた者がいて、後で「国君を辱めるものではない」と言って子舟を諫めた。
しかし子舟は「官に在って職務を果たすのに、強引と言われることはない。命を惜しんで職責を抛棄できるものか。」と聞かなかったという。

とはいえ、この一件で中原諸侯の楚の印象は最悪となった。
また、子舟自身も宋に深く恨まれることになったのである。

134: 名無しさん@おーぷん 2016/12/13(火)00:37:22 ID:aXx
前614年


穆王崩御


彡(゚)(゚)「ファッ!?パッパが死んだ!?」

彡(;)(;)「そんな…誰でもいつかは死ぬもんやけど…ちょっと早すぎやで…」


鄭穆公「ほんなら楚とはもうバイバイで。」

宋昭公「俺も俺も。今まで世話ンなったなwww」

衛成公「盟約なんかポ~イだ。ポ~イ。」


彡(●)(●)「はああああああああ!!??なにふざけとんじゃああああああああああ!!!!」


この年、楚穆王は崩じ、旅が即位した。
旅の諡は荘王。以下、荘王で統一する。

よく暴君扱いされる穆王であるが、その在位中に臣下を理不尽に虐待したわけではなく、むしろ有能な臣下を多数取り立てて国威を上昇させた。
また、宋昭公に恥辱を与えたことも、かつて楚成王が宋襄公を拘束して宋を荒らし回ったことに比べれば可愛いものである。
父を殺したのも、武力で勢力を拡大したのも、武王・文王・成王という楚の歴代の君主の所業を思えば至って普通のことだ。
続く荘王があまりにも偉大過ぎたため、不当に低く評価されているように思われる。

しかし、それでも宋での一件はよほど諸侯の印象を悪くしたらしく、穆王が崩ずるや、諸侯は一斉に晋に寝返った。
荘王がまだ弱年であったことも原因の一つであろう。
荘王は即位早々、難題に直面することになった。

142: 名無しさん@おーぷん 2016/12/15(木)23:25:52 ID:kvr
>>134
どうしたって敵対勢力と対峙せざるを得ない大陸国、それも大国の為政者なら強権振るって批判されてナンボやしなあ

・遊び呆ける→唐突な大粛清→父祖が蓄えた圧倒的な力を使って周辺諸国を圧迫、戦争三昧
荘王も立派な暴君だしw

144: 名無しさん@おーぷん 2016/12/17(土)01:08:09 ID:WLf
>>142
賢臣積極的に登用してるし国力も高めてるしで「暴」は流石に言い過ぎや
乱暴な面もあれば好戦的ではあるがね
まあじゃあ荘王が好きかと聞かれたらワイはムッスコの共王のほうが好きやけど

147: 名無しさん@おーぷん 2016/12/18(日)21:32:13 ID:271
>>144
いや本気で暴君呼ばわりしたいわけじゃないで
意図が伝わらんかったのはワイの不徳の致すところや

イッチの穆王評の流れで暴君と名君は紙一重
暴君とされる人物と名君とされる人物の業績がイコールに限りなく近い場合がある
って言いたかったんや

141: 名無しさん@おーぷん 2016/12/14(水)23:59:08 ID:JQr
お、五覇候補の一人だ。

145: 名無しさん@おーぷん 2016/12/17(土)22:30:08 ID:5IP
俺も共王好き。
なんか優しさが感じられるよね

146: 名無しさん@おーぷん 2016/12/18(日)02:48:41 ID:gAD
楚の荘王・共王といえば、その配下に弓の達人・養由基か。
このスレで上げられるかどうかわからんが。

148: 名無しさん@おーぷん 2016/12/18(日)22:51:16 ID:1do
わずかな差で評価が分かれるのはよくあること

149: 名無しさん@おーぷん 2016/12/19(月)19:03:11 ID:wdA
その評価自体も時代によって変わるからね。
荘王の名声も在世中は限定的なもので全中国的に覇者荘王評が定着するのは後代

151: 名無しさん@おーぷん 2016/12/20(火)15:24:33 ID:97u
>>149
同時代的には、覇者=尊王だったんだよな

150: 名無しさん@おーぷん 2016/12/19(月)21:48:41 ID:XLw
春秋戦国は架空の説話で評価されてる人物も多い時代だし偶然の要素が強い。

152: 名無しさん@おーぷん 2016/12/20(火)19:32:49 ID:sSx
なんだかんだ戦国中期までは,覇者=尊王。

楚荘王を正真正銘の名君にしたのはおそらく晋楚同盟と春秋末~戦国期における楚の北上=先進地域の制圧でしょう。

153: 名無しさん@おーぷん 2016/12/20(火)22:55:12 ID:Wfq
まあ、天下とった劉邦は楚人やし楚の影響力は強いよなー
強まれば遡って創作や美化がなされ新たな歴史が紡がれるのは世の常か

しかし、だとすれば皮肉だな、晋楚同盟の頃は暴君続出なのにw

154: 名無しさん@おーぷん 2016/12/21(水)13:46:21 ID:Jcx
とはいえ楚の国内では当初から名君扱いだったんだろうな

155: 名無しさん@おーぷん 2016/12/21(水)14:08:50 ID:Ofs
直系の子孫である共王以降の君主が荘王をsageる理由がないしね
内乱と粛清の記憶が薄れ武威を輝かせた本人の治世後半からは名君扱いだったのでは?

156: 名無しさん@おーぷん 2016/12/21(水)23:05:19 ID:pMr
歴代楚王が束になっても敵わないほど有名な王ですが
実力はそこまで突出してない希ガス、他の楚王も相当有力だし

163: 名無しさん@おーぷん 2016/12/27(火)01:13:14 ID:4xC
前613年


彡(●)(●)「どいつもこいつも裏切りやがってええええええ!!ワイを舐めとんのかああああああああ!!」

彡(●)(●)「戦争や!!裏切りもんをぶっ殺してこいいいいいい!!」


子孔・潘崇「はっ!!」


彡(゚)(゚)「クソどもが…今に見とれよ…」

彡(゚)(゚)「叔父さん!!主力が出て行って郢は手薄や!!しっかり守りを固めるんやで!!」


(´^ω^`)「大丈夫。守りはは完璧だよ。もう誰も郢には入れないよ。」ゴソゴソ ←公子燮


彡(゚)(゚) ??


(´●ω●`)「…そう…ぼくたちの邪魔をしようとするやつらはね…」ハモノダシーヘイタイヨビー


彡(●)(●)


諸侯の離叛という事態を重く見た荘王はこの年、令尹の子孔(子玉の子、成大心の弟)と潘崇に命じ、舒を征伐させた。
そして荘王自身は郢に残り、公子燮と闘克が郢の防衛を指揮することとなった。
ところが、子孔らが出撃すると、なんと突然、燮と闘克が叛乱を起こした。

この闘克は、かつて楚成王の即位直後に宰相の子元を殺した闘班の子である。
彼は前635年、楚の属国だった鄀の都(商密)が秦軍に攻められた際、屈禦寇と共に自領の兵を率いて防衛にあたっていた。
しかし秦軍の策略によって商密は陥落し、闘班と屈禦寇は敗れて捕虜となった。(楚成王編参照)
その後、前627年に秦は殽の合戦で晋に大敗したため、晋との関係を棄てて楚との和議を求め、見返りに闘克を帰国させたのである。
帰国後、和議は成立したが、捕虜となっていたことが評価を損ねたのか、闘克は満足のいく地位を得られなかった。
また、燮も令尹の位を欲していたが、前615年に成大心が死ぬと、子孔が後を継いでしまった。
そのため、2人は不満を溜め込み、叛乱を起こしたのである。

164: 名無しさん@おーぷん 2016/12/27(火)01:13:42 ID:4xC
彡(●)(●)「お前ええええええええ!!??こりゃどういうことやあああああああ!!??」

彡(●)(●)「こんなことしてただで済むと思っとるんかあああああああ!!!!子孔が帰ってくりゃお前なんかなああああああ!!!」


(´^ω^`)「子孔?アイツはもうこの世にはいないよ。」

(´^ω^`)「腕のいい刺客を送ったからね。今頃は獣の餌にでもなってるんじゃないかな。」

(´^ω^`)「子孔さえ死んじゃえば、もう誰もこわくないよ。やりたい放題だね。」


彡;(●)(●)「…ェ…そんな…」


(´・ω・`)「おや?噂をすればもう刺客が帰ってきたみたいだね。」

(´^ω^`)「どうだった?随分早かったじゃないか。」


刺客「失敗しました…」


(´・ω・`)「え゛!?」


燮は荘王を拘束すると、郢の城壁を修繕して守りを固め、さらに子孔を殺害すべく刺客を放った。
ところが、刺客は暗殺に失敗し、郢に逃げ帰ってしまう。

165: 名無しさん@おーぷん 2016/12/27(火)01:14:11 ID:4xC
闘克「ままままずいですぞ…子孔の軍勢が引き返してきます…」アセアセ

(´・ω・`;)「まずいな…さすがに主力軍に攻められちゃひとたまりもないよ…」オロオロ


(´・ω・`;)「…こうなったら…」

(´・ω・`;)「王!!今すぐここを出るよ!!ついてきてもらうからね!!」

(´・ω・`;)「さあ連れていけ!!」ヘイタイヨビ―


ヘイタイワラワラ


彡;(゚)(゚)「…ちょ…そんな…嫌やて…やめえや…」ズルズル



(´・ω・`;)「商密に向けて出発だ!!一旦郢は捨てるよ!!」


子孔の暗殺に失敗した燮たちは郢の防衛を諦め、荘王を連れて商密に向かった。
荘王は、あわれ叛逆者の人質にされてしまったのである。まるで生きた心地がしなかったことだろう。

166: 名無しさん@おーぷん 2016/12/27(火)01:14:26 ID:4xC
道中


(´・ω・`;)「ふうふう…なかなか商密は遠いね…」

(´・ω・`;)「人質がいるから誰も手出ししてこないけど、手助けもしてくれないからね…」

彡;(゚)(゚)「…」


闘克「燮さま!!良い報せですぞ!!」

闘克「廬城の大夫が我らに味方して、食糧などをそろえて歓待してくれるそうです!!」


(´^ω^`;)「なんだって!?そりゃよかったよ!!」

(´^ω^`;)「すぐに行こう!!ちょっと休憩だ!!」

167: 名無しさん@おーぷん 2016/12/27(火)01:15:09 ID:4xC



戢黎「ようこそ廬へ。王を奉じての長旅、誠に御苦労さまでございます。」

叔麇「我らは王の臣でございます。王のために身命を賭する所存でございますので、どうぞなんなりとお申し付け下さい。」


(´^ω^`;)「おうおう!!やっぱそうこなくっちゃ!!」

(´^ω^`;)「君達の言う通りさ!!王はぼくたちが握ってるんだから、ぼくたちこそ正義なんだよ!!」

(´^ω^`;)「遠慮なくゆっくりさせてもらうよ!!」


戢黎・叔麇「そうですか…」キラッ


ドシュッ


(´●Q●`;)「グバッ!?」バタッ

闘克「ゲボッ!?」バタッ


彡;(゚)(゚)「ファッ!?」


戢黎・叔麇「王。よくぞ御無事で。」


彡;(゚)(゚)「お…おう…どうもおおきに…」


逃走した燮たちだったが、廬という城の戢黎・叔麇という二人の大夫の計略に嵌り、燮と闘克は殺害された。
荘王は九死に一生を得たのである。

ちなみにこの年、斉では斉桓公の子の昭公(潘)が薨じ、昭公の子の舍が即位したが、桓公の子の商人が叛乱を起こして舍を弑殺し、自ら即位した。(懿公)

168: 名無しさん@おーぷん 2016/12/27(火)01:15:32 ID:4xC



彡(゚)(゚)「なんとか助かった…危ないとこやったで…」

彡(゚)(゚)「それにしても油断も隙もあれへんな…一体誰が味方で誰が敵なんやらさっぱりわからんぞ…」

彡(-)(-)「このままやとまた同じことの繰り返しや…どないしたもんか…」


彡(゚)(゚)「せや!」ピコーン


彡(^)(^)「子孔!!今からワイはパーティーするやで!!」

子孔「ファッ!?政治はどうなさるのですか!!」

彡(^)(^)「そんなこと知らん!!ワイは遊びたい気分なんや!!国中の美人集めてこいや!!」

子孔「…ェ…しかし今は先王の喪中ですぞ!!派手なことは慎みなされ!!」


彡(゚)(゚)「あ゛!?お前ワイに逆らうっちゅうんか!?」

彡(●)(●)「黙ってワイの言う事聞いとけや!!次口ごたえしたらぶっ殺したるからな!!」


子孔(アカン)


なんとか生き延びた荘王だったが、郢に戻るや、突然狂ったように遊びまわりはじめた。
連日宴会を開いて政治を顧みず、「諫める者は殺す」とまで嘯いたのである。

169: 名無しさん@おーぷん 2016/12/27(火)01:15:58 ID:4xC
前611年



ピ~ヒャラ~ピ~ヒャラリ~ドンドン


彡(^)(^)「あ~、お前のおっぱい、形も触り心地も最高やなあ~。」モミモミ

鄭姫「あ…王…こんなところで…うふん…」モジモジ

彡(^)(^)「こっちもエエ体しとんな~。ムッチムチの太腿ほんまたまらんでえ~」サワサワ

越女「うふふ…王は本当にお好きですねえ…」クネクネ

彡(^)(^)「あああ~酒に女に食いもんに~ほんま極楽やあああ~」

彡(^)(^)「伍挙ぉ~お前も一杯飲めやあ~」ウイ~

(●▲●)「…」 ←伍挙


(●▲●)「…王。今年は作物が大凶作だそうです。このままでは餓死者が出るかもしれません。」

彡(゚)(゚)「…なんやまた政治の話か。せっかく楽しい時に水差しなや…」

彡(゚)(゚)「口ごたえする奴は死刑やぞ。忘れんなよ。」


(●▲●)「…」


荘王は3年間遊び呆けた。
その間楚の政治はなおざりになり、諸侯はみな楚から離れていった。
そして追い打ちをかけるように、3年目のこの年、楚は大凶作となった。

170: 名無しさん@おーぷん 2016/12/27(火)01:17:28 ID:4xC
(●▲●)「…では王。宴席の余興になぞなぞでも如何でしょう。」

彡(^)(^)「おっ!ええやんけ!!なんやなんや!?」


(●▲●)「あるところに鳥がいます。この鳥は三年間鳴きもせず飛びもしません。」

(●▲●)「さて、これはなんという鳥でしょうか。」


彡(゚)(゚)「…」

彡(゚)(゚)(こいつ…できる…信用できそうやな…)


彡(゚)(゚)「その鳥は三年飛んでへんけど、一遍飛んだら天にも届くやろ。三年鳴いてへんけど、一遍鳴いたらみんなびっくりするくらいの大声やろな。」

彡(゚)(゚)「言いたいことはわかっとる。下がれ。」


(●▲●)「!!」


完全にボケてしまったように見えた荘王であったが、頭の中には別の想念があった。
ある時宴席で、伍挙という臣が荘王に謎をかけた。
「有鳥在於阜、三年不蜚不鳴、是何鳥也?」 (『史記』)
直諫すると処刑されるおそれがあるため、鳥に仮託して、婉曲的に荘王を諫めたのである。
すると、荘王答えて曰く
「三年不蜚、蜚將沖天。三年不鳴、鳴將驚人。」 (『史記』)
伍挙の意図を読み切り、壮大な野望を吐露してみせたのである。
この逸話がもとになって、「鳴かず飛ばず」という成句が生まれた。

171: 名無しさん@おーぷん 2016/12/27(火)01:18:04 ID:4xC
数か月後


彡(^)(^)「あああああ!!お前は最高やあああ!!最高の女やあああああ!!」カクカク

鄭姫「あっ…見られてるっ…こんな大勢のまえでっ…」ガクガク

彡(^)(^)「ワイもう限界や!!イクで!!イカしてもらうでええええええええ!!!」パンパンパンパン


彡;(^)(^)「う゛っ!?」ビュルンビュルン


彡;(^)(^)「…ハアハア…ワイはお前が大好きやで…」

鄭姫「…ありがとう…ございます…」ビクビク


彡(^)(^)「それにしてもお前はほんま変態やな~人に見られると燃えるやなんてな~」

鄭姫「…そんな…はずかしい…」ポッ

彡(^)(^)「なに言うとんねん。そのために家来どもにあそこに集まってもろたんやからな。」


群臣「」ポカーン


彡(^)(^)「みんな来てくれてありがとうやで!!用事はこんで終いや!!」

群臣「ファッ!?」

彡(^)(^)「wwwwwwwwww」


蘇從「王!!いい加減になさいませ!!」


彡(゚)(゚)「あ゛!?」

172: 名無しさん@おーぷん 2016/12/27(火)01:18:30 ID:4xC
蘇從「今は大饑饉です!!城の外は行き倒れの屍骸で足の踏み場もないほどですぞ!!」

蘇從「今すぐ政務に復帰なさいませ!!さもなくば楚はまもなく滅びますぞ!!」


彡(●)(●)「だまれえええええええ!!誰に向かって口利いとるかわかっとんのかあああああああ!!」

彡(●)(●)「逆らう奴は処刑やあああああ!!何遍も言うたやろがああああああああ!!」


蘇從「いいえ黙りませぬ!!黙るわけには参らぬのです!!」

蘇從「お望みならどうぞ私を処刑されよ!!私が死んでも王が反省されるのなら望むところです!!」


彡(●)(●)(なるほど…腹の据わった奴やな…こいつも信用できそうや…)


彡(●)(●)(しかし…そろそろ潮時やな…あんまりやりすぎたらホンマに国が滅んでまうわ…)


彡(゚)(゚)「よっしゃ決めた。今から死刑を執行するで。」

蘇從「」ガクッ


彡(゚)(゚)「ただし、死ぬんは蘇從ちゃう。」

彡(●)(●)「後ろでヘラヘラしとるお前らや。」


群臣「」


伍挙の謎かけから数か月後、荘王の淫蕩はいよいよ激しくなった。
すると見かねた蘇從という臣が進み出て、堂々と荘王を諫めた。
荘王が「有敢諫者死無赦」という法を持ちだすと、蘇從はこう答えたという。
「殺身以明君、臣之願也。」 (『史記』)
すると荘王は、なんといきなり行動を全面的に改めて淫蕩を断ち、さらに数百人の佞臣を誅殺した。
楚の政府は空っぽになったことだろう。

そうしておいて、荘王は伍挙や蘇從をはじめ、有能の士を新たに数百人取り立て、親政を開始した。
大粛清によって政府を改造した荘王は、いよいよ野望の実現に向けて動き始めるのである。

177: 名無しさん@おーぷん 2016/12/27(火)12:18:44 ID:atg
鄭姫かわいそうすぎて吹いたwwwwwwwwwwwww

イッチ乙
(●▲●)このキャラ伍挙にするとは意外だった

179: 名無しさん@おーぷん 2016/12/27(火)23:12:30 ID:bNt
子孔はあれからどうしてたんだろう。
最初にいさめたから最初に殺されたのだろうか?

178: 名無しさん@おーぷん 2016/12/27(火)22:50:41 ID:KN8
この古代中国の覇者荘王の逸話は美談のはずだが
改めてじっくり読むとなんか違うような気もするwwww

180: 名無しさん@おーぷん 2016/12/27(火)23:39:20 ID:atg
>>178
公開Hさせられた鄭姫ェ・・

183: 名無しさん@おーぷん 2016/12/28(水)21:35:00 ID:ji6
>>178
まあなんか荘王はね
業績は間違いなく赫々たるもので総合評価で名君であることは疑いないんだけど
細かく見てくとちょいと人格面にアレなところも見え隠れしとるんや

宋と戦争したくて家臣(申舟)に「おいお前、戦争の口実欲しいからちょっと死んでこい」なんてさせたのもあったしね
良くも悪くもワンマン経営者タイプ(ただし周りの意見は聞ける)なんやろ

という訳でワイは業績的には若干劣るけど(と言ってもこっちも十分名君)人格的にはムッスコの共王のほうが好きなんや
144でも言ったけど

185: 名無しさん@おーぷん 2016/12/28(水)22:55:11 ID:qsx
>>183
申舟は何か自業自得感ある。
わざわざ指名した王に責任があると言えばそれまでだけど

186: 名無しさん@おーぷん 2016/12/28(水)23:43:11 ID:ji6
>>185 
んーまあ元々申舟も宋の恨み買ってたけど 
荘王も指名しただけじゃなくてわざわざ「(宋国通行するのに)宋への挨拶無用」とまで指示して送り出してるしなぁ 
挨拶もせずに勝手に入国して通行してくのって確か属国に対する扱いだしぶっちゃけこれ不法入国よ 
属国でもない独立国相手にこんなんしたら恨まれてなくてもとっ捕まって処刑される確率大や

199: 名無しさん@おーぷん 2017/01/04(水)01:22:17 ID:QD6
ちなみにどうでもええことやけど、鄭姫の公開Hは史実ちゃうで
ワイの勝手な想像やから深く考えんといてや

201: 名無しさん@おーぷん 2017/01/04(水)16:51:37 ID:XvJ
春秋時代の史実もわりと勝手な演出の都合で書かれているし似たようなもんやで
上で話題になった伍氏・伍子胥の伝記がそれで亡命復讐(ようするに叛国)を正当化するために
伍氏の賢人イメージ誇張&都合の悪い説話の削除、改変が為されており半分以上フィクションや

188: 名無しさん@おーぷん 2016/12/29(木)09:14:08 ID:W1A
力でオラオラ系の穆王から覇者荘王が生まれ、
優しくて徳のあった共王からアレな王が生まれるのがなんとも


191: 名無しさん@おーぷん 2016/12/31(土)00:32:14 ID:Jj5
>>188
かの平王の子供たちもなかなか出来が良いという・・・まぁ父王も才能は結構あったような気がしなくもないけど。

共王の子から暴君が出たのは、共王(と康王)が良くいえば賢明、悪くいえば無難な君主だったことが原因でしょうね。
楚みたいな大国は複雑でまとまりに欠けるから無難な君主続きだと弛緩する。
穆王、荘王が大きく拡大した版図を引き締めるプチ暴君が間に入ってたら上手くいったかもしれない。

192: 名無しさん@おーぷん 2016/12/31(土)06:15:47 ID:1C6
>>191
・粛清マン
・力こそパワーな征服者
・時々名君プロパガンダを決める

結局、バランス最高の荘王がナンバーワンや!
という結論に達するのぅ

187: 名無しさん@おーぷん 2016/12/29(木)00:43:39 ID:vLS
>>183
大雑把に言っちまえば荘王もやはり楚王、暴君とされる歴代楚王と共通する属性を持ってる
運と国内外の情勢が明暗を分けた

共王は俺も好きだが
楚王としては少々異質な謙虚かつ誠実な姿勢で楚を統治した共王の徳の高さは衰退の兆しor一因だと思う

182: 名無しさん@おーぷん 2016/12/28(水)21:21:14 ID:ji6
お、イッチきとるやんけ乙やでー
そして絶対復讐するマンこと伍君神のジッチャン出とるやないか

184: 名無しさん@おーぷん 2016/12/28(水)22:46:43 ID:sZr
>>182
その復讐するマンの祖父だけど世代的にはちょっと疑問はある。
復讐を果たすのがBC506だから、BC611に歴史に登場するのが早すぎる気もする

186: 名無しさん@おーぷん 2016/12/28(水)23:43:11 ID:ji6
>>184 
そういやそうやな 
昔の人は子供作るの早いし 
ホントは曽祖父とかぐらいなのかな 

188: 名無しさん@おーぷん 2016/12/29(木)09:14:08 ID:W1A
>>186
実は伍挙のパッパの伍参がBC597に現れるというのが、
その世代問題解決のヒントかもしれないと思う。
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8D%E5%8F%82
伍参の記事日本語はなかったが中国語版ならあった。(出典が左伝らしい)

189: 名無しさん@おーぷん 2016/12/29(木)22:55:44 ID:vLS
なんらかの理由で世代とばしてこじつけてるのかもな

190: 名無しさん@おーぷん 2016/12/30(金)10:45:40 ID:sYq
誰かが親子の順番を逆に書き間違えただけとも考えられる

193: 名無しさん@おーぷん 2016/12/31(土)15:41:04 ID:1C6
平王とか霊王とかやらかしているけれどアレは無能じゃないよな、むしろ有能な部類。

194: 名無しさん@おーぷん 2016/12/31(土)19:13:37 ID:Jj5
その暴君霊王と距離が近かったことが伍氏粛清の遠因になった、という見方を宮城谷小説で見た。

206: 名無しさん@おーぷん 2017/01/05(木)22:18:53 ID:D7T
荘王編は長くなりそうやな

207: 名無しさん@おーぷん 2017/01/06(金)08:15:56 ID:M3l
晋の文公に次ぐくらいの規模になりそう

212: 名無しさん@おーぷん 2017/01/10(火)20:00:17 ID:8la
「鳴かず飛ばず」の語源か。
現在だと、ちょっと意味変わってきちゃってるよな。
「活躍しないままでいる」みたいな感じに、前半部分だけで終わっちゃってる。

220: 名無しさん@おーぷん 2017/01/12(木)21:20:53 ID:Xic
同年
楚都郢


彡(゚)(゚)「なんやと!!異民族どもが!?」

(*^◯^*)「そうなんだ!!ぼくらの大飢饉をこれ幸いと、一斉に裏切りやがったんだ!!」 ←子揚

(*^◯^*)「東、西、南の三方から一斉に攻め込んできたんだ!!さすがにまずいんだ!!」


彡(゚)(゚)「クソが!!舐めおってからに!!皆殺しにしたるわ!!」

(*^◯^*)「それは駄目なんだ!!食べ物が足りないから大軍が作れないんだ!!」

(*^◯^*)「ここはとりあえず都から逃げ出して様子を見るしかないんだ!!」


彡(-)(-)「なんと…くやしいンゴねえ…」


(・8・)「お待ちください。遷都はなりません。こちらが楽に逃げ込めるような場所なら、敵も楽に追ってくるでしょう。」 ←蔿賈

(・8・)「ここは、むしろ開き直って出兵なさるべきです。」

(・8・)「敵の中心になっているのは庸です。それ以外の連中は、凶作で我々が出撃できないと高を括って攻めてきているだけです。」

(・8・)「我々が庸に向け出撃すれば、取り巻き連中はみなびっくりして逃げ散ってしまうでしょう。」

(・8・)「さすれば、もともとバラバラに暮らしている奴らのことです。自分の集落に逃げ帰って、他人のことを気にする余裕などありますまい。」


彡(゚)(゚)「確かに…それもそうやな…」

彡(゚)(゚)「よっしゃ。兵糧あるだけでええから出陣や。」


この年、楚の大凶作を見た周辺部族は一斉に叛逆した。
西南方からは戎の諸族が侵入し、阜山に達した。
また、別の戎の部族が東南方から侵入。陽丘に達し、さらに訾枝に侵入した。
更に、庸は楚から離叛して蛮の諸部族を結集して楚に攻め込み、麇も濮の諸部族を選の地に集結させ、楚への侵攻を図った。
臣下の良否を見極めるためとはいえ、荘王はいささか遊びすぎたと言える。

この危機に際して、楚では大夫たちが阪高への遷都を言い出した。
しかし、これに蔿賈は反対し、叛乱の中心となっている庸への出兵を提案した。
そして、荘王がこれを受け入れ、庸に出兵すると、蔿賈の予想通り選の諸族は解散したのである。

ちなみに子揚は子文の子で、この時令尹となっていた。

221: 名無しさん@おーぷん 2017/01/12(木)21:21:12 ID:Xic



(・8・)「さすがに庸は遠いな…まだ廬に着いたところだ…」

(・8・)「しかしこれではやっぱり食糧が足りない…敵と戦う前に飢え死にしてしまいそうだな…どうしたもんか…」


(・8・)「ん?あれは誰だ?」


戢黎「ようこそお越しくださいました。ここからは私が先導致します。」

戢黎「城の備蓄の食糧をご用意致しました。どうぞ兵糧の足しになさって下さい。」


(・8・)「おお、これはかたじけない!!恩に着ますぞ!!」

(・8・)「早速出発だ!!」

222: 名無しさん@おーぷん 2017/01/12(木)21:21:42 ID:Xic

句噬


(・8・)「ようやくここまできた…もうすぐ庸に着くぞ…」ガツガツ

(・8・)「今日はここに泊まるとして、明日はどう攻めかけたもんかな…」モグモグ


戢黎「将軍、いよいよですな。この調子なら、明日には庸が見えるはずです。」


(・8・)「おおこれは戢黎どの。どうもおつかれさまです。」ムシャムシャ

(・8・)「ここまで来られたのも、戢黎どののおかげですぞ。恩に着まする。」グチャグチャ


戢黎「…将軍?失礼ですが…お食事が随分粗末ですな。」


(・8・)「ああこれですか。これは兵士たちのいつもの夕食ですよ。」ゴックン

(・8・)「なにぶん食糧不足の折ですので。将も贅沢などしていられないのです。」ゲプー


戢黎「なるほど…」


庸に向かった楚の主力軍が廬を通過すると、かつて燮と闘克を謀殺したあの戢黎が、廬の穀倉を開いて出迎えた。
そして、そのまま楚軍は戢黎を伴って進撃し、句噬に宿泊した。

この時、楚軍では将士が兵糧を分け合い、全員で同じ食事をしたという。
兵糧不足によりやむを得ずそうなったのだろうが、これで楚軍の士気は大いに高まったことであろう。
将士が同じ釜の飯を食って士気を高める方法は、後に戦国時代の呉起が採用して一躍脚光を浴びることになる。

223: 名無しさん@おーぷん 2017/01/12(木)21:22:00 ID:Xic
戢黎「そうだ。この私、今から部下を何人か連れて偵察に行って参りたく存じます。」

戢黎「庸の方城の状況を観察して参りますので、それをもとに作戦を立てましょう。」

戢黎「私はこのあたりには詳しいですし、夜闇に紛れれば敵に見つかることもありますまい。」


(・8・)「なるほど…それは良い考えだ。是非お願い致します。」


翌未明
庸の方城


戢黎「なるほど…かなり城兵が多いな…」ヒソヒソ

子揚窗「庸の連中め…思いのほか用心深いですね…これは一筋縄ではいかなさそうですぞ…」ヒソヒソ

224: 名無しさん@おーぷん 2017/01/12(木)21:22:19 ID:Xic
戢黎「よし…そろそろ明るくなってきたな…引き返すか…」ソロソロ

子揚窗「そうですね…見つからないように慎重に行かないと…」ヌキアシサシアシ


道に落ちていた木の枝「バァァァッッッッッキィィィィィィィンwwwwwwwww」


城兵「何の音だ!!誰かいるのか!!」

城兵「怪しい奴等がいるぞ!!とっ捕まえろ!!」


戢黎「しまった!走れ!!」スタコラサッサ~


子揚窗「あっ!ちょっとまってください!!」ズッコケェ


句噬に駐屯した楚軍は、戢黎を先行させて庸に侵入させた。
しかし戢黎は庸の方城に達したが、庸の兵に発見・追撃されてしまう。
戢黎は句噬に逃げ帰ったが、戢黎の部下の子揚窗は城兵に捕獲されてしまった。

225: 名無しさん@おーぷん 2017/01/12(木)21:22:43 ID:Xic
三日後
句噬


(・8・)「そうですか…庸の守りは固そうですか…」

戢黎「はい…遠目に伺っただけですので確かなことはわかりませんが…」

戢黎「自分で言い出した任務も果たせず…部下を失って…お恥ずかしい限りです…」

(・8・)「…」


ガサッ


(・8・)「誰だ!?」


子揚窗「…将軍…ただいま戻りました…」フラフラ

戢黎「子揚窗!!無事だったのか!!」

子揚窗「はい…三日拘留されましたが…隙を見てなんとか逃げて参りました…」

子揚窗「庸の城内は蛮族の兵でいっぱいでした…おそらくここにいる兵力だけでは対応しきれません…」

子揚窗「ここは王に更に兵を率いて御親政戴き、兵力を増強してから戦うべきかと思います…」


(・8・)「むむむむむ…止むを得んか…」


潘尫「お待ち下さい!!」


庸の捕虜となった子揚窗だったが、三日後に隙を見て脱出し、庸の兵力が巨大であることを伝えた。
そして、荘王に自ら追加の兵を率いて出撃してもらい、態勢を整えるべきであると提言したのである。

ところが、潘尫がこれに反対した。

226: 名無しさん@おーぷん 2017/01/12(木)21:23:24 ID:Xic
潘尫「郢にはもう兵糧はありません。追加の兵力など無理な話ですな。」

潘尫「仮に王にお越しいただくとしても、この兵力だけで敵をなんとかする方法が必要です。」

潘尫「そこで、ここはもう一度戦ってわざと敗れてやりましょう。そうして敵を驕らせ、味方を憤激させるのです。」

潘尫「敵は所詮烏合の衆です。驕らせればじきに隙を見せるでしょう。」


(・8・)「なるほど…ならちょっとやってみるか…」





彡(゚)(゚)「なんやと!?あいつら負けおったんか!!」

(*^◯^*)「七戦七敗らしいんだ!やっぱり兵力が足りなかったみたいなんだ!」


彡(゚)(゚)「なんちゅうこっちゃ…こうしちゃおられへんで…」ソワソワ

彡(゚)(゚)「こうなったら援軍出すぞ!!ワイ自ら出陣したるで!!」

(*^◯^*)「それはさすがに無理なんだ!郢にはもう米粒一つ残っちゃいないんだ!」


彡(゚)(゚)「なんと…」


彡(●)(●)「もうこうなったらワイ一人でも行ったるわ!!馬車の準備や!!」


(*^◯^*)「ファッ!?」


潘尫の策は、敵にわざと負けて、庸軍の中に隙を作るというものであった。
楚軍はこれに従い、庸軍と七戦し七敗した。

一方そのころ、郢では荘王がなんと駅馬車に飛び乗り、本軍にむけて単身急いでいた。

227: 名無しさん@おーぷん 2017/01/12(木)21:23:43 ID:Xic
臨品


(・8・)「おい…予定通り負けてやったけど…一向に隙が見えないじゃないか…」

潘尫「いえ、敵は確実にこちらを侮っております。敵の布陣や警戒態勢は明らかに緩んできています。」

潘尫「ただ、庸の兵力の大きさが正直想像以上でした…隙は確かにあるのですが、それを衝く兵力がありません…」

(・8・)「まずい…このままではジリ貧だ…」


ドドドドドドドドド


(・8・)「なんだ!?なんの音だ!?」

戢黎「大軍です!!正体不明の大軍が現れました!!」

(・8・)「なんだと!?もしや敵の新手か!?」


???「ハハハハハ!!随分待たしたな!!」


潘尫「…いや、違う!!先頭におられるあの方は…」


彡(^)(^)「よろしくニキーwww」


潘?「あれは王だ!!王が援軍を率いて駆けつけて下さったんだ!!」

228: 名無しさん@おーぷん 2017/01/12(木)21:24:07 ID:Xic
彡(^)(^)「おうおう。お前らエライ難儀しとるそうやないか。」

彡(^)(^)「せやけど、ワイが来たからにはもう安心やで。この大軍で、庸なんざ一気に叩き潰したろやないか。」


(・8・)「王!!本当にありがとうございます!!」

潘尫「しかし王…その兵はどこから連れてこられたのですか?」

潘尫「もはや兵糧など残っていなかったはずでは?」


彡(゚)(゚)「ああ、こいつらは秦と巴の兵隊や。」

彡(゚)(゚)「ワイ等のピンチに、わざわざ駆けつけてくれたんやで。」


潘尫「そうでしたか…」


彡(^)(^)「ほんなら今すぐ出発や!!二手に分かれて庸を挟み撃ちやで!!」

彡(^)(^)「そしたら庸にくっついとる蛮族どもなんざ、震え上がってすぐ寝返りおるやろ!!」

彡(^)(^)「全軍出撃や!!」


(・8・)「はっ!!」


単身郢を飛び出した荘王だったが、これは単に激情に任せただけの行動ではなく、荘王なりの勝算があってのことであった。
荘王はなんと、同盟国の秦と巴に出兵を要請したのである。秦と巴はこれに応え、それぞれ軍を出動させた。
そのため、臨品で荘王が本軍に追いついた時には、楚軍の兵力は何倍にも膨れ上がっていた。

荘王はこの大軍を二手にわけ、子越には石渓から、子貝には仞から、それぞれ庸に侵入させた。
すると、楚軍の威容を見た蛮の諸族は震え上がり、一斉に庸を裏切って楚に服従した。
骨抜きとなった庸軍は、かねてからの連勝で油断し、防備を怠っていたこともあって、なすすべなく楚軍に壊滅させられてしまう。
荘王は電光石火の早業で、一気に庸を滅ぼしたのである。

232: 名無しさん@おーぷん 2017/01/14(土)19:30:19 ID:CFX
イッチオツ
危機的な状況が続きますねえ~
このギリギリの緊張感が大国楚を強くするのかな

233: 名無しさん@おーぷん 2017/01/14(土)23:45:16 ID:dTk
危機は上手く使えば活力になるね。まあ…元が弱小国だったらここで終わるけど

にしても地政学的に助けないと自国がヤバイのは理解できるが、秦は楚の為に働きすぎだw

235: 名無しさん@おーぷん 2017/01/16(月)07:51:03 ID:bwD
>>233
あまり秦にうまみがないよな

236: 名無しさん@おーぷん 2017/01/17(火)23:19:48 ID:hyB
たとえ大赤字でもやらなきゃならんのが外交安全保障ってヤツよ

237: 名無しさん@おーぷん 2017/01/19(木)09:31:02 ID:H2r
低コストで恩を売れればいいけど、
緊急時にはそうも言ってられないか

240: 名無しさん@おーぷん 2017/01/30(月)20:01:38 ID:dGn
春秋中期は初期よりも史料が多くて大変なんやろなあ

242: 名無しさん@おーぷん 2017/02/06(月)00:45:22 ID:Rzf
前608年



彡(^)(^)「蛮族どもを追っぱらって3年、楚もやっと昔の勢い取り戻してきたンゴ!!」

彡(^)(^)「今の晋はバカ殿とヘタレ宰相のズッコケコンビや!!このチャンスを逃す手はないで!!」


鄭穆公「…あの…降伏します…」


彡(^)(^)「ほれ見いや!!早速ワイのとこへスリ寄ってきおったわ!!」

彡(^)(^)「蔿賈!!今から兵隊連れて鄭へ行ってこい!!」

彡(^)(^)「そのうち晋軍が攻めて来おるやろから、それをボコボコにしたるんや!!」

彡(^)(^)「ワイも陳と宋を叩きに行くで!!」


(・8・)「わかりました。お任せください。」


前611年以降、荘王は積極的に親政を行い、有能な臣下を駆使して楚の再建を図った。
すると前608年、晋一色に染まっていた中原諸侯の中で、鄭が楚に講和を求めてきた。
これは、当時の晋の首脳が一致せず、政策が迷走して諸侯の信頼を裏切り続けたためであった。

無論荘王はこれを受け入れ、蔿賈を将とする楚軍を派遣して鄭を防衛させ、自らは別に兵を率いて陳と宋を侵した。
これに対し晋は、衛・宋・陳と連合して鄭を攻撃する。
しかしここで守将の蔿賈は、なんと果敢に鄭から出撃し、北林で晋連合軍に奇襲をかけたのである。
そのため晋連合軍は敗走し、結局鄭を攻めることなく解散してしまった。

243: 名無しさん@おーぷん 2017/02/06(月)00:45:43 ID:Rzf
前607年


彡(゚)(゚)「何?また晋が鄭に攻めてきおったやと?」

彡(゚)(゚)「ヘタレのくせに性懲りもなく…クソが…」

彡(゚)(゚)「子越!!鄭を守ったれ!!」

(`o´)「はっ!」


鄭都新鄭


(`o´)「こんにちは。私は楚の司馬の子越です。王命により鄭を救援に参りました。」

鄭穆公「おお!助かりますわ!!どうもおおきに!!」


(`o´)「では、早速敵を叩きに行ってきます。鄭公はここで見物しといてください。」

鄭穆公「…ェ…しかし敵は晋宋衛陳の連合軍でっせ。なかなかの大軍らしいし、ここは城に籠って様子見るんがええんちゃいまっか?」

(`o´)「いいえ。楚は諸侯を従わせようとしているのに、晋と戦うことを恐れてなどおられません。」

(`o´)「所詮敵は寄せ集めの腰抜けどもです。負けはしませんよ。」

鄭穆公「はあ…そないでっか…」


(`o´)(それに去年…同じ状況で蔿賈は晋軍を破っている…)

(`o´)(出世競争であいつに負けるわけにはいかない…なんとしても勝って手柄を立ててやるぞ…)


この年、秦が晋を侵し、焦城を攻撃した。
これに対し、晋では宰相の趙盾が軍を率いて焦を救援し、更に南下して陰地で宋・衛・陳の軍と合流、鄭に侵攻した。
前年の北林の敗戦への報復である。

すると成王は、今度は鄭に子越を派遣した。

244: 名無しさん@おーぷん 2017/02/06(月)00:46:39 ID:Rzf
新鄭近郊
晋連合軍陣中


趙盾「いよいよ鄭ですな!!我らの威勢に鄭は手も足も出ないようですぞ!!」

趙盾「楚軍が鄭の救援に入ったようですが、まあどうせ城に籠って見ているだけでしょう!!楽な戦いですな!!」

宋将・衛将・陳将「は?お前去年もそんなこと言って負けたじゃないか。」(そうですね!!これも周王と晋公、そして趙氏の徳の賜物です!!)

趙盾「wwwwww」


斥候兵「大変です!!楚軍が鄭から出撃してきた模様です!!」

趙盾「ファッ!?」

宋将・衛将・陳将「ほらみろ…どうすんだよこれ…」(向こうから出てくるとは手間が省けましたな!!一気に揉み潰してやりましょう!!)


趙盾「…撤退しましょう。」

宋将・衛将・陳将「…え?」

趙盾「聞けば楚将の子越の一族は楚で随分羽振りが良いそうですね。」

趙盾「きっとそのうち調子に乗りすぎて自滅するでしょうから、ここはひとつ、その増長ぶりを高みの見物といこうではありませんか。」

趙盾「連合軍はここで解散します。みなさんはるばるお疲れさまでした。周王に従わぬ鄭を叩きのめして、今回も大勝利でしたな。」

趙盾「私は政務が忙しいので失礼しますね。では。」スタコラサッサ~


宋将・衛将・陳将「…逃げやがった…」(なるほど!!さすがは趙氏ですね!!実に深いお考えだ!!感服つかまつりましたぞ!!)


子越は、前年の蔿賈と同じく、城から果敢に出撃し、晋連合軍を待ち受けた。
すると、これを見た趙盾は、なんと戦いもせず鄭から撤退してしまったのである。
趙盾去り際に曰く「彼宗競于楚、殆將斃矣、姑益其疾。」(『春秋左氏伝』)
おそらく、晋の大臣の意思が統一できていない状態で戦うのは危険との判断であろう。
しかしこの捨て台詞は、誰がどう見ても負け犬の遠吠えでしかない。
楚の威勢が晋を本格的に圧迫し始めたのである。

253: 名無しさん@おーぷん 2017/02/06(月)21:05:10 ID:xxl
>>244
本音と建前が入れ替わってますぞw

245: 名無しさん@おーぷん 2017/02/06(月)00:46:58 ID:Rzf
同年

晋霊公薨去、晋成公即位


翌年
楚都郢


彡(゚)(゚)「なんやと?また晋が鄭を攻めた?」

(*^◯^*)「そうなんだ!君主が変わって喪中のはずなのに、遠慮もなにもない奴らなんだ!!」

彡(゚)(゚)「…あ…まあ…それはワイも人のことはよう言わんけど…」

彡(゚)(゚)「また助けたらなあかんな。出陣の用意や。」

彡(゚)(゚)「行きしに一丁異民族でも叩いとこか。」


伊水沿岸


ワーワーワーワー


(*^◯^*)「やったんだ!!ちっぽけな異民族なんかひとひねりなんだ!!」

彡(-)(-)「せやな…まあさすがに兵隊の数がちゃうからな…」

(*^◯^*)「そしたらそろそろ鄭に行くんだ!!出発進行なんだ!!」


彡(゚)(゚)「…いや、ちょっと待て。やっぱ鄭行きは止めや。」

彡(゚)(゚)「もう鄭は晋に降伏したそうやないか。急いで行く必要あれへん。」

彡(゚)(゚)「洛水目指してこのまま北上せい。」

(*^◯^*) !?


前607年、晋では晋霊公が殺されて晋成公が立ち、趙盾に代わって郤缺が宰相となった。
すると翌年、晋は早速兵を発し、鄭に侵攻して郔に達した。
そして晋の猛威をおそれた鄭は、あっさり晋に降伏してしまう。

これに対し荘王は自ら大軍を率いて北上し、伊水沿岸の陸渾という地に住んでいた戎を撃った。
ところが、戎を蹴散らした荘王は、何故か鄭に向かわなかった。

246: 名無しさん@おーぷん 2017/02/06(月)00:47:33 ID:Rzf
(*^◯^*)「…ェ…でも…そこまで行ったら、もうほとんど周の領土なんだ!ちょっと踏み込み過ぎなんだ!!」

彡(゚)(゚)「構へん。周軍が出てきおったって、こんだけ兵隊おったら勝てるやろ。」

彡(゚)(゚)「ええか?このまま鄭を取り合って晋とやりおうたって、いつまでも埒が明かへんやろが。」

彡(゚)(゚)「ここは一発、ワイ等の力を中原の連中に見せつけたらなあかんねや。」

彡(゚)(゚)「川渡りの準備をせい!!」

(*^◯^*)「」


洛水沿岸


彡(゚)(゚)「そろそろ周の国境やな…もうここらでええやろ…」

(*^◯^*)「王…ほんとに大丈夫なんだ…?」ソワソワ

彡(゚)(゚)「大丈夫や!アイツ等にそんな根性あれへんわい!!」

彡(゚)(゚)「さあ演習や!!天下にワイ等の勢いを見せつけたるんや!!」


なんと荘王は、伊水から更に北上して洛水に達し、なんと周の領域に踏み込んだのである。
そして、そこで大胆にも軍事演習を行った。
楚が周をも滅ぼしうる力をもっていることを、中原全土に強烈にアピールしたのである。

たちまち周の朝廷は大騒ぎとなった。本来なら出兵して楚軍を排除すべきであるが、当然ながら衰弱した周にそんなことは不可能である。
やむを得ず、当時の周王瑜(諡:定王。周襄王の孫。)は、苦し紛れに王孫満という使者を楚軍の陣へ遣わした。
彼は前627年、秦軍が鄭を攻める途中に成周を通過した際、まだ幼かったにも関わらず、秦軍の様子を見てその敗亡を予見したという名士であった。(秦穆公編参照)

247: 名無しさん@おーぷん 2017/02/06(月)00:48:16 ID:Rzf
楚軍陣中


王孫満「はじめまして楚公。私、周王の使いで参りました王孫満と申します。」

彡(^)(^)「おお御苦労さん。ワイは楚王の旅ですわ。」


彡(^)(^)「王孫どのよ。聞けば、周には夏や商から伝わる秘宝の鼎が9つあるそうでんな。」

彡(^)(^)「そいつらは大きさや目方はどんなもんなんかいな?ワイは前からずっと知りたかったんや。」

王孫満 !?


王孫満(なんだ…鼎をよこせとでも言うつもりなのか…あるいは鼎だけじゃなく天下そのものも…)

王孫満(こりゃ返事次第じゃエライことになるかもしれない…参ったな…)


王孫満「…なにか勘違いされているようですが、鼎は所詮は鼎です。鼎の大小は、天下を治める徳の大小とは関係ありませんよ。」


彡(゚)(゚)「あ゛!?」


王孫満「」ビクッ


王孫満が荘王に面会すると、荘王は突然、周の秘宝の九鼎の話を始めた。
そして、王孫満に、その大小を問うたのである。
九鼎とは、虞(帝舜の時代のこと)・夏・商という歴代の王朝に受け継がれてきた9つの巨大な鼎のこと。
それの情報を要求するということは、九鼎そのもの、ひいては天下を丸ごと要求しているのと同じである。
この苦境に、王孫満は徐に答弁を始めた。

ちなみに、九鼎の存在から、「鼎」の字は単なる三本足の調理道具を意味するに留まらず、天下そのものをも象徴するようになった。
「鼎味」と言えば、料理の味というより、むしろ天下の政治のことを表すのである。
また、この荘王の故事が元になって、「鼎の軽重を問う」という成句が生まれた。

248: 名無しさん@おーぷん 2017/02/06(月)00:48:30 ID:Rzf
彡(゚)(゚)「何をわけのわからんこと言うとんねん。ちゃんと答えんかい。」

彡(゚)(゚)「ええか?楚の鏃を集めて鋳つぶしたら、ワイは鼎の9つくらいすぐ作れるんやで。」


王孫満(くそっ…こんどは脅しかよ…どこまでも兇暴な野郎だな…)

王孫満(でもだめだ…ここで折れちゃだめだ…)


王孫満「…あなたは御存知ないのですか?九鼎は昔、虞と夏の徳が栄えた頃、あらゆる物の形を鋳込むために作られたのです。」

王孫満「何でも描いてありますから、民はこれを参照することで、神異と姦怪を弁別できるようになりました。」

王孫満「そのため、民は悪気や魑魅魍魎の類にも遭遇しなくなって、上下融和し、天佑を受けてこられたのです。」

王孫満「やがて夏では桀が徳を失ったため、夏は滅んで九鼎は商に受け継がれ、商で紂王が徳を失うと、九鼎は周に遷りました。」


彡(゚)(゚)「…お…おう…」

249: 名無しさん@おーぷん 2017/02/06(月)00:49:18 ID:Rzf
王孫満「つまり、徳が大きければ、たとえ鼎が軽くとも、他所へ遷ることがない以上、鼎は重いと言えます。」

王孫満「また逆に、姦邪・混乱に陥れば、たとえ鼎が重くとも、他所へ遷ってしまうわけですから、鼎が軽いのと同じことなのです。」

王孫満「そもそも、天が徳のある人を助けるには期限があります。」

王孫満「かつて我らが先王の成王が成周に鼎を安置した際、占いを行ったところ、周は30代、700年続くと出ました。」

王孫満「以来まだ450年ほどしか経っておりませんから、周の天命は依然去っておりません。」

王孫満「いかに周が衰えたといっても、鼎の重さなど問うても仕方のないことですよ。」


彡(゚)(゚)(なんかもう一息ようわからんな…話がちょっと難しすぎるで…)

彡(゚)(゚)(さっきは徳の話やったのにいつの間にか占いの話ンなっとるし…)


彡(-)(-)(まあええわ…これが周の底力っちゅうことやろな…)


彡(゚)(゚)「…そうでっか…ようわかりましたわ…」

彡(゚)(゚)「ほなワイはそろそろ国に帰らしてもらいますわ。どうもご苦労さんでしたな。」


王孫満 ホッ


王孫満は荘王の威嚇にも怯まず、持てる知識を総動員して、なんとか荘王の問いをやりすごした。
すると荘王は、それ以上の威嚇を行わず、速やかに周から去ったのであった。
荘王はそのまま帰国し、軍の一部を鄭に送って、鄭の変節を咎めさせた。

しかしはっきり言えば、王孫満の答弁は言い訳程度のものでしかなく、これで荘王が引き下がった理由はよくわからない。
即ち、そのまま周を攻撃し、九鼎を持ち帰ることもできたはずなのである。
荘王が楚を出発する時点では周への侵攻を考えておらず、成周攻撃に必要な準備が整っていなかった可能性はある。
あるいは荘王は、王孫満の答弁に、周の歴史と文化の重厚さを感じ取ったのかもしれない。

なにはともあれ、この事件は中原に巨大な衝撃を与えた。諸侯は嫌でも楚の武力と向き合わねばならなくなったのである。
同時に、荘王と王孫満の名は、「問鼎軽重」の句と共に末代まで語り継がれることになった。

255: 名無しさん@おーぷん 2017/02/07(火)00:06:03 ID:NZc
前605年
楚都郢


(*^◯^*)「急に王に呼び出されたんだ!きっととんでもない事件が起きたんだ!」


朝廷


彡(゚)(゚)「おお子揚。来たか。」

(*^◯^*)「急に一体なんの御用なんだ?ぼく以外誰も来てないみたいだけど…」

彡(゚)(゚)「ああ実はな…今日はお前にな…」スッ

(*^◯^*) ??


彡(●)(●)「死んでもらうわ。」キラッ


ズシャアッ


(*●◯●*)「ぎゃああああああっ!!!!」バタッ

256: 名無しさん@おーぷん 2017/02/07(火)00:06:54 ID:NZc
彡(●)(●)「どうや…ワイの剣捌き…なかなかのもんやろ…」


(*;Q;*)「あ…ああ…痛いよ…血が…血が…」ズリズリ

(*;Q;*)「…どうして…こんなこと…」ピクピク


彡(●)(●)「…どうして…やと?」

彡(●)(●)「…そんなもんオドレの胸に訊いてみんかい…もうとっくに調べはついとるんや…」ケンフリカザシ~

(*;Q;*)「…そんな…ぼくはなにも…」

(*;Q;*)「…嫌だ…やめて…死にたくない…」


ドシュッ


(*●Q●*) チーン


彡(●)(●)「…くたばったか…クソが…」


蔿賈 ニヤッ


この年、荘王は突然令尹の子揚を誅殺した。後任は子越が務めることになった。
なんとも不可解な事件である。史書にはその罪状などは一切書かれていない。

実はこの事件の陰には、なんと蔿賈の讒言があったのである。
当時の朝廷での大臣の席次は、主席が令尹の子揚、次席が司馬の子越、そしてこれに次いで工正の蔿賈となっていた。
そして、ここから蔿賈は更なる高位を望み、子揚を荘王に讒訴したのだという。
結局それは成功し、蔿賈は司馬の位を射止めたのであった。

とはいえ讒言の詳細について、史書には「譖」と一言あるだけで、ほとんど何もわからない。
聡明な荘王が、大した証拠もなく令尹をいきなり処刑してしまうというのも不可思議である。
果たして真相は如何に。

257: 名無しさん@おーぷん 2017/02/07(火)00:07:07 ID:NZc
子越邸


蔿賈「子越どの、令尹就任おめでとうございます。いよいよ貴殿の時代ですな。」ニヤニヤ

蔿賈「そして私も貴殿の後任となりました。全く光栄なことです。」ニヤニヤ

(`o´)「お…おう…」


(`o´)(こいつ…よくもいけしゃあしゃあと…)

(`o´)(噂じゃ…こいつが王にあることないこと吹き込んだそうじゃないか…)

(`o´)(出世のためならなんだってやるってのか…本当に油断ならん野郎だ…)

258: 名無しさん@おーぷん 2017/02/07(火)00:07:22 ID:NZc
(`o´)(待てよ…なんで王はこいつの言うことなんか鵜呑みにしたんだ…)

(`o´)(もしかして…王ははじめから子揚を殺すつもりだったのか…)

(`o´)(俺たち若敖氏が大きすぎるから…わざわざ蔿賈に讒言させて…)


(`o´)(だとすると…次は絶対にこの俺だ…難癖つけて殺しにきやがるかも…)

(`o´)(…なら先手を打つまでだ!!簡単には殺られねえぞ!!)


(`o´)「者共!!出会え出会え!!こいつをとっ捕まえろ!!」


ヘイタイワラワラ


蔿賈「ひっ!?お前ら何をするやめくぁwせdrftgyふじこlp」


(`o´)「すぐに郢を出るぞ!!急いで準備しろ!!」


蔿賈の強引な手段に怒ったのが子越である。子揚と子越は従兄弟同士だったのだ。
子越は蔿賈を捕えると轑陽に幽閉し、自身は若敖氏の兵力を結集して荘王に反旗を翻した。

259: 名無しさん@おーぷん 2017/02/07(火)00:07:34 ID:NZc
楚都郢


彡(゚)(゚)「なんやと!?蔿賈が死んだ!?」

潘尫「はい…令尹の手にかかって…誠に残念です…」

彡(゚)(゚)「なんと…ほんで子越は今どないしとんねん!!」

潘尫「それが、どうやら烝野に陣取って、この郢を狙っているようです。」

潘尫「令尹のもとには若敖氏の私兵が結集しております。生半可な兵力ではありません。」

彡(゚)(゚)「そうか…まずいな…今は内乱なんかしとる場合やないのに…」

彡(゚)(゚)「使者を送れ!!なんとかして子越を宥めるんや!!」

彡(゚)(゚)「なんならこっちから人質出したって構へんで!!」


烝野


(`o´)「なんだと!講和しろってのか!!」

(`o´)「そんなもん信用できるかよ!!郢に戻った途端殺されるに決まってるじゃないか!!」

(`o´)「帰れ!!戦場で決着をつけてやると王に伝えろ!!」


使者「…」


子越は幽閉した蔿賈を殺し、烝野に陣取って荘王を攻撃する構えを見せた。
事態を重く見た荘王は講和の使者を送り、先代三代(文・成・穆)の子孫を人質にするとさえ言った。
しかし、子越はこれを拒否してしまう。子越はもはや荘王を欠片も信用していなかったのであろう。

やむなく荘王は出陣。両軍は皐滸の地で向かい合った。

260: 名無しさん@おーぷん 2017/02/07(火)00:07:52 ID:NZc
七月戊戌
皐滸


彡(-)(-)「とうとう戦いンなってしもた…確かに若敖氏は目障りやったけど、滅ぼすつもりはさらさらなかったんやけどな…」

彡(゚)(゚)「しゃあないな。全軍突撃!!」


ワーワーワーワー


(`o´)「それ!!突撃だ!!突撃だ!!若敖氏の力を見せてやれ!!」


ドドドドドドドドドド


(`o´)「ははははは!!脆いわ脆いわ!!」

(`o´)「オラオラどうした!!天下の楚軍も俺たち抜きじゃ形無しか!!」


ドドドドドドドドドド


彡(゚)(゚)「なんと…アイツ等めちゃくちゃ強いやんけ…」

彡;(゚)(゚)「まずい…このままやったら負けてまうで…」


七月戊戌の日、ついに両軍は衝突した。
兵数では王軍が勝っていただろうが、なにしろ子越は楚随一の猛将である。
形勢は若敖氏が優勢となり、その先鋒が荘王に迫った。

261: 名無しさん@おーぷん 2017/02/07(火)00:09:09 ID:NZc
潘尫「王!!敵が迫っております!!少し後方へ下がられませ!!」

彡;(゚)(゚)「そんな…こんなはずやないのに…」


(`o´)「おっ!?あれは王じゃねえか!!」ユミカマエ~

彡;(゚)(゚)「アカン!!見つかってもうた!!」

(`o´)「子揚の怨み、思い知れえええええ!!!」シュッ


ジャアアアアアアアアアアン


彡;(゚)(゚)「ヒエッ…なんちゅう強弓や…危うく漏らすとこやった…」ブリュッ


(`o´)「うぬっ!!外したか!!」

(`o´)「だがまだだ!!二の矢を喰らえ!!」シュッ


ドスウウウウウウウウウウウン


(`o´)「くそっ残念!!また逸れたか!!」


子越は猛烈に王軍を押し続け、ついに荘王を発見した。
子越が矢を射かけると、矢は轅を飛び越え、鼓の台を貫通して銅鑼にまで達する。
続く二の矢はまたも轅を飛び越え、兵車の屋根傘を貫いた。

262: 名無しさん@おーぷん 2017/02/07(火)00:09:58 ID:NZc
彡;(゚)(゚)「ヒョッ…たっ…助かった…」ブリブリブリ

彡;(゚)(゚)「せやけどまずい…味方がビビッて腰が引けてもうとる…」ブリュンブリュン


彡;(゚)(゚)「せや!!潘尫!!直ちに全軍に通達や!!」ブピッ

彡;(゚)(゚)「子越は王室の宝の矢を2本盗んどったけど、もう撃ち尽くしおった、とな!!」ププププププ

潘尫「はっ!!」


ワーワーワーワー


(`o´)「なんだ…なんだか急に敵の雰囲気が変わったぞ…」

(`o´;)「さんざん脅してやったのに…なんであんなに勢いよく向かってくるんだよ…」


彡;(゚)(゚)「よっしゃ!!通達が効いてきたで!!形勢逆転や!!」

彡;(゚)(゚)「全軍総攻撃や!!一気に押しつぶせ!!」


子越の強弓に恐れをなした王軍は、恐れて退却しかかった。
しかし、ここで荘王は機転を効かし、王軍にこう通達したのである。
「吾先君文王克息、獲三矢焉、伯棼竊其二、盡於是矣。」(『春秋左氏伝』)
これに勇気を得た王軍は勢いを取り戻し、そのまま子越の軍を押し返しはじめた。
結局王軍が大勝。子越は戦死した。

263: 名無しさん@おーぷん 2017/02/07(火)00:11:30 ID:NZc
楚都郢


彡(゚)(゚)「ふう…危ないところやったな…なんとか勝てて良かった…」


克黄「王。ただいま戻りました。」

彡(゚)(゚)「おお、お前は克黄やないか。はるばるお使いご苦労さん。」


克黄「…王、私は若敖氏の一員です。此度の子越の不始末、申し訳のしようもございません。」

克黄「私も処罰を受けたく存じます。どうぞ私を免職なさり、司法の裁きを受けさせて下さい。」


彡(゚)(゚)「ああ、そのことやったら気にせんでええで。お前はこのまま仕事を続けるんや。」

彡(゚)(゚)「お前の爺さんの子文はそれはそれは偉い宰相やった。その後継ぎを絶やしてしもたら、誰も国のために働かんようンなってまうわ。」

克黄「そんな…ありがたき幸せです…」


彡(゚)(゚)「しかし…子揚・子越・蔿賈が一遍に消えてもうたな…新しい大臣を選ばなあかん…」

彡(゚)(゚)「蔿艾猟!!お前がやれ!!」


('ω`)「はっ!!懸命に努めます!!」 ←蔿艾猟


子越は死んだが、若敖氏全体が滅んだわけではなかった。
子揚の子の克黄は、子越の叛乱の直前に使者として斉に行っており、帰国途中、宋で叛乱の顛末を知った。
従者たちは皆処刑を恐れて帰国を嫌がったが、克黄は以下のように彼らを諭した。
「君命を棄てれば、誰も受け入れてくれぬ。国君は天であって、天からは逃れられない。」
そう言った克黄は堂々と帰国し、自ら司法官のもとに拘禁されるよう請うた。
すると、荘王は「子文無後、何以勸善」(『春秋左氏伝』)と言って克黄を許し、元の官職に復帰させたのである。

とはいえこの一件で、荘王は完全に若敖氏を支配下におくことに成功した。荘王が真の意味で国家を掌握したのである。
そして、新体制の令尹として荘王が選んだのは、蔿賈の子の蔿艾猟であった。
集権化のために犠牲となった蔿賈への、荘王なりの返礼であろうか。

266: 名無しさん@おーぷん 2017/02/07(火)21:12:01 ID:VZr

いやー盛大な脱糞でしたなー荘王

265: 名無しさん@おーぷん 2017/02/07(火)08:45:32 ID:gow
乙やでー
この内乱の間に、晋や中原諸国は何をしていたのか・・?

277: 名無しさん@おーぷん 2017/02/16(木)12:58:08 ID:BVH
>>265
どうしていたも何も晋は当時君主がアホ(霊公)でお隣の秦からの圧力も結構すごくて外に向けての身動きとりづらい状態だし
斉は桓公死後のゴタゴタで衰えてからまだ完全に立ち直れてないし
他の国なんて常に自国のことでいっぱいいっぱいで他所の国にちょっかい出してる余裕なんかない

279: 名無しさん@おーぷん 2017/02/16(木)21:01:11 ID:Rs5
>>277
このあたりだと既に晋は成公になってたと思うが

280: 名無しさん@おーぷん 2017/02/16(木)23:31:43 ID:1uE
>>279
おっとホントだ
1~2年の差で成公に代わったとったか

283: 名無しさん@おーぷん 2017/02/18(土)07:50:08 ID:FKr
>>280
それでも霊公の後始末で動けなかったんかねえ

284: 名無しさん@おーぷん 2017/02/23(木)23:39:56 ID:p9I
>>283
かなー?
まあただこの時代(春秋)はまだ戦国時代に比べてぬるいところがあるから
晋側も相手が攻めてきたら対応すればいいやぐらいの意識だったのかもしれんし
もちろん君主が替わったばかりで動きづらいってのもあったと思うけど

何せこの頃はまだ小国潰されて大国に吸収されることはあっても
大国同士が相手を潰す(滅ぼす)勢いで激烈に争ったりする時代じゃないしね
単に「力比べして上下はっきりさせようや」ってレベルに留まってるのが春秋時代

322: 名無しさん@おーぷん 2017/03/11(土)22:15:21 ID:vdu
>>284 

当時は人口が少ないのと交通が不自由なのが大きいんやで 
仮にどっかの城占領したって、兵隊が足らんから維持できへんのや 
秦穆公が鄭の攻略諦めた時を思い出してくれるとありがたいで

267: 名無しさん@おーぷん 2017/02/08(水)08:32:42 ID:WhP
一見ただの情実人事に見えるが・・(以下略
ここに面白さがあるともいえる

268: 名無しさん@おーぷん 2017/02/08(水)19:16:55 ID:Zu4
さしたる罪状のない功臣を強引に殺害、内乱勃発させた荘王が
粛清に深く関与した蔿氏を登用し集権続行すんのは当然よー
それに情実人事をしない英主なんてあり得ないし

269: 名無しさん@おーぷん 2017/02/09(木)11:08:27 ID:dBR
蔿艾猟が楚の歴史に残る名宰相だったのがポイントよ

270: 名無しさん@おーぷん 2017/02/13(月)12:16:37 ID:XzE
蔿賈「(讒言しては)いかんのか?」
子越「バツポチー」

271: 名無しさん@おーぷん 2017/02/13(月)22:38:03 ID:EOU
費無忌「ポジションはワイと同じやねんけどな」

272: 名無しさん@おーぷん 2017/02/15(水)06:35:41 ID:AK9
荘王の時代に生まれて粛せ…王権強化に貢献する役回りだったらあんたもそれなの良臣扱いだったかもな

273: 名無しさん@おーぷん 2017/02/15(水)07:32:06 ID:H8T
ていうか費氏ってどこから生じたんやろ・・
やはり地名かな?

274: 名無しさん@おーぷん 2017/02/15(水)14:01:21 ID:AK9
費という地名で一番メジャーなのは山東省の費県、だいたい魯国内
そこから生じた氏であるならば外国人の可能性が高いね

275: 名無しさん@おーぷん 2017/02/15(水)17:57:54 ID:65j
春秋時代の暴君暗君は外国人や身分の低い人物を重用する傾向がある。
まあ古代中国に限らない普遍的な現象だけど

276: 名無しさん@おーぷん 2017/02/16(木)09:20:22 ID:eot
名君だってそういう人を登用してるけどな

278: 名無しさん@おーぷん 2017/02/16(木)20:01:38 ID:ZXF
>>276
トップダウン、独裁型を指向する君主はそうなりがち

282: 名無しさん@おーぷん 2017/02/17(金)22:05:23 ID:3cR
覇者は逸話が多いからイッチも大変やなぁ……

285: 名無しさん@おーぷん 2017/02/27(月)20:42:09 ID:42a
小国「どっちか消えてくれないとずっといたちごっこみたいになってかなわん」

288: 名無しさん@おーぷん 2017/03/05(日)23:45:58 ID:nLs
蔿艾猟について。

※スルー可


蔿艾猟がまだ幼かった頃のこと。ある日、彼は家の外で双頭の蛇を見て大いに驚いた。
現在ならただの畸形で済んでしまうところだが、どういうわけか当時、双頭の蛇を見た者は死ぬと信じられていたのである。
蔿艾猟は咄嗟に蛇を殺し、他人が見ることのないよう地面に埋めてしまった。
そして、そのまま蔿艾猟は泣きながら帰宅し、母に事の顚末を告げたところ、母は以下のように言って蔿艾猟を慰めたという。
「あなたは隠れた善行を行った。そういう人には天が福を与えてくれるといいます。死ぬことはありませんよ。」

やがて蔿艾猟は令尹となると、その大器を存分に発揮しはじめる。
父の蔿賈は果敢な猛将であったが、蔿艾猟はどちらかというと内政に長じた文官であった。
前598年には沂という地に城壁を建築。
この時、蔿艾猟は工事の見積もりから工程の日限、はては材料や用具の個数に至るまで詳細に管理した。
そして、人夫には食糧を与え、要所要所に監督係を配置し、更に自ら城の四方を巡視したのである。
その結果、城壁はわずか30余日で完成したという。重機も何もなく、杵と畚と人力しか使えないこの時代には驚くべきことだ。

しかし、蔿艾猟の才能は城壁の建設程度には収まらなかった。
前598年から、荘王崩御の前591年まで、蔿艾猟は8年の歳月を費やして、淮河の流域に芍陂という巨大な貯水池を建設したのである。
芍陂の水は一帯の農業を振興し、荘王の覇業を支えた。また、近郊の寿春城は大いに栄えて、戦国時代には楚の首都になっている。

そして、戦国時代末期に楚が滅んでも芍陂は残り、代々活用され続けた。
宋代に一度荒廃したものの、第二次大戦後補修され、現在も利用されている。
現在の芍陂(安豊塘)の大きさは全周およそ30km、堤防の高さは30m以上にもなる。
建設当時の規模は正確にはわからないが、それでも相当巨大な施設であったろうことは想像に難くない。
2600年の時を経てなお、蔿艾猟の天才は光を放ち続けているのである。

289: 名無しさん@おーぷん 2017/03/05(日)23:46:18 ID:nLs
前604年


彡(゚)(゚)「内輪もめも片付いたし、いよいよ天下平定や!!」

彡(゚)(゚)「まずは鄭と陳を攻撃やで!!」


晋成公「させへんで!!」

郤缺「こちらも出兵しますぞ!!」


彡(゚)(゚)「ぐぬぬ…」


前603年


彡(゚)(゚)「今年こそは勝つやで!!」

晋成公「させへんで!!」

彡(゚)(゚)「むむむ…」


前602年

前601年




前605年以降、荘王は中原への勢力拡大を目指して毎年のように出兵を繰り返し、晋と激しく角逐した。
内紛をおさめて集権化を果たし、同時に蔿艾猟などの功績で国力が増大したためであろう。

前605年:鄭霊公、暗殺される。冬、楚軍が鄭に侵攻。
前604年:楚軍、鄭に侵攻し陳と講和。これに対し晋軍は鄭を救援して陳に侵攻。
前603年:楚軍、鄭に侵攻し降伏させる。
前602年:鄭、晋と和睦。
前601年:陳、晋と和睦。これに対し楚軍は陳に侵攻し降伏させる。
前600年:晋軍、陳に侵攻するが、晋成公薨去に伴い撤退。一方楚軍は鄭に侵攻したため晋軍は鄭を救援。楚軍は鄭軍に敗れる。
前599年:鄭が楚と和睦したため、晋諸侯軍は鄭に侵攻し降伏させる。これに対し楚軍は鄭に侵攻するも、救援の晋軍に敗れる。
前598年:楚軍、陳での叛乱に乗じて陳を一時占領。また、鄭を攻撃して降伏させるが、鄭はすぐさま晋に内通。

晋楚衝突の主な戦場になったのは鄭と陳であった。地理的な不運だけで、大変な迷惑を被ることになったのである。

290: 名無しさん@おーぷん 2017/03/05(日)23:46:35 ID:nLs
前598年
楚都郢


彡(゚)(゚)「陳で叛乱やと?」

('ω`)「はい。夏徴舒という者が陳公を殺して自ら陳公を名乗り、太子と大臣二人を追放したそうです。」

彡(゚)(゚)「よっしゃ。ほんなら一丁、ワイが行って収めたろやないか。」


陳都宛丘


彡(゚)(゚)「とりあえず陳まで来ったけど、城門が閉まっとるな…」

('ω`)「さすがにこの大軍容ですし、警戒しているのでしょうね。」


彡(゚)(゚)「せや!!」


彡(^)(^)「陳のみなさん!!ワイは楚王の旅っちゅうもんや!!」

彡(^)(^)「今日ワイがここまで来たんは他でもない!!主殺しの犯人をぶっ殺しにきたんやで!!」

彡(^)(^)「みんなには手荒なことはせえへんから安心してや!!」


城兵 ザワ…ザワザワ…


ギギーッ


彡(^)(^)「よっしゃ!!門が開いたで!!」


前599年、陳の夏徴舒という大夫が陳霊公を殺害し、自ら即位するという事件が起きた。
これを好機と見た荘王は、翌年に陳に侵攻。夏徴舒を拘束し、車裂きの刑に処した。

この時、荘王は「夏徴舒を討つのみだ」と言って城兵を安心させ、城門を開かせたという。

291: 名無しさん@おーぷん 2017/03/05(日)23:46:53 ID:nLs
夏徴舒の叛乱について。


夏徴舒は、陳の大夫夏御叔と、その正婦夏姫との間に産まれた子である。
夏御叔は陳宣公の孫で、臣籍に降って夏氏を名乗っていた。
そして一方の夏姫は、あの子沢山の鄭穆公の娘であった。
鄭のような格の高い国の公女が、一大夫にすぎない夏徴舒に嫁ぐというのは不思議であるが、理由は不明である。

さて、夏姫は夏御叔に嫁ぐ前に、公子蛮という人物と結婚していたが、公子蛮は早死してしまったという。
そして夏御叔と再婚したが、不幸なことに、夏御叔も間もなくこの世を去り、夏姫は再び寡婦となってしまった。

この夏姫に目をつけたのが、陳霊公と、孔寧・儀行父という2人の大夫である。
この3人は、なんと入れ替わり立ち代わり夏姫の寝床に忍び込み、姦通を重ねたのだ。
夏姫は超絶した美人であったようだが、それにしてもこれはいささかやりすぎである。

そして前599年、3人は夏姫邸で宴会を開き、そこでふざけて夏姫と夏徴舒を散々に侮辱した。
すると夏徴舒は激昂し、弓矢を執って厩舎の陰に潜み、宴会を終えて帰ろうとする霊公を射殺してしまう。
2大夫は射殺はされなかったが、そのまま楚に亡命してしまった。

霊公を射殺した夏徴舒は、そのまま公宮を占領し、自ら陳公を自称した。
しかし、上記のように荘王に攻められ、処刑されてしまう。
夏姫は楚軍に拘束され、楚に連行されて連尹襄老という大夫の妻となった。

ところが、夏姫の数奇な運命は、これだけでは終わらなかったのである。

300: 名無しさん@おーぷん 2017/03/07(火)16:39:22 ID:5bf
>陳の霊公と、孔寧・儀行父
3人がクソすぎて草もないレベルなんだよなあ

302: 名無しさん@おーぷん 2017/03/08(水)20:29:07 ID:XgO
お、イッチ来とるやんけ
乙やでー

>>300
「霊」の諡号は伊達じゃないってことやな
まあたまにそこまで悪くないのに次代と不仲で悪諡贈られることもあるけど
斉の霊公みたいに

301: 名無しさん@おーぷん 2017/03/07(火)16:50:57 ID:5bf
霊公「夏徴舒はお前に似ているぞw」
儀行父「公にこそ似ておりますw」
この↑暴言が決定打だけど、他にも
夏姫の下着を身に着けて自慢しあったりなどヤリたい放題

303: 名無しさん@おーぷん 2017/03/09(木)12:20:15 ID:me6
鄭の霊公だってもともと幽だったのを霊に改めたくらいだしな

292: 名無しさん@おーぷん 2017/03/05(日)23:47:07 ID:nLs
('ω`)「大した苦労もなく片付いて良かったですね。」

('ω`)「これで諸侯も王のお力を思い知ったことでしょう。覇王に向けて一歩全身なさいましたな。」

彡(-)(-)「おう…まあ…せやな…」

('ω`)「ではそろそろ帰りましょうか。」


彡(゚)(゚)「…いや、ちょっと待った。ここは帰ったらもったいないで。」

('ω`) ??

彡(゚)(゚)「考えてみいや。ワイ等は今まで10年も陳を取り合って晋と戦ってきたんやぞ。」

彡(゚)(゚)「陳なんざ、何回従わしたって裏切りおる。このままやり合うたかて埒が明かんやろ。」

彡(゚)(゚)「いっそこの機会に、思い切って楚の領土にしたったらどうやろか。」

('ω`) !!

293: 名無しさん@おーぷん 2017/03/05(日)23:47:23 ID:nLs
楚都郢


申叔時「王、ただいまもどりました。」

彡(^)(^)「おうご苦労さん。長旅お疲れさまやで。」


彡(^)(^)「聞いとるかもしれんけど、ワイは今度陳を攻め取ったったんや。これで中原の連中もワイの力を思い知ったことやろな。」

申叔時「…そうですか。では私はこれで失礼致します。」タチアガリ~


彡(゚)(゚)「お、おい。ちょっと待たんかい。」

彡(゚)(゚)「せっかく領土広がったんや。お祝いの一つも言うたらどうやねん。」


申叔時「…王。夏徴舒の主殺しの罪は確かに大きく、それを討伐された王の処遇は真に正しきものです。」

申叔時「されど、陳を楚の領土にしてしまうのはやりすぎです。勝手に畑を横切ったというだけで、人の牽く牛を奪ってしまうようなものです。」

申叔時「初めは正義を標榜していたのに結局陳の富を貪るというのでは、とても諸侯はついてきますまい。」


彡(゚)(゚)「…あ…う…まあ確かに…」


夏徴舒を処刑した荘王は、なんと楚軍を宛丘に留め、占領政治を開始した。
宛丘入城の際は、ただ夏徴舒殺害のみが目的だと吹聴していたのに、そのまま陳を乗っ取ってしまったのだ。
何度講和しても裏切る陳に、完全に愛想を尽かしてしまったのであろう。

しかし、これに申叔時という臣が異を唱えた。
当時彼は斉に使いしていたが、帰国して復命するや、荘王を諫めたのである。
そして、これを尤もと思った荘王は陳から撤兵した。
陳は、晋に亡命していた陳霊公の子の午(成公)が継ぐことになった。

294: 名無しさん@おーぷん 2017/03/05(日)23:47:51 ID:nLs
前597年



彡(゚)(゚)「また鄭を攻めるで!!」


鄭都新鄭近郊
楚軍陣中


彡(^)(^)「どうや鄭公!!ワイの力を思い知ったか!!」

('ω`)「鄭軍は今回は頑固に抵抗していますが、城から討って出る勇気まではないようですね。」


彡(^)(^)「ほなそろそろ引き揚げよか。もうすぐ晋軍が来おる頃やしな。」


数日後


彡(゚)(゚)「なんやと?晋は兵隊集めすらしてへんのか?」

彡(゚)(゚)「ほんならもっかい攻撃や!!全軍反転!!」


前598年、楚軍は鄭を攻め、辰陵で荘王と鄭襄公が会盟した。
ところが、なんと鄭は会盟の直後に晋に内通したのである。
そのためこの年、荘王は三軍を率い、またも新鄭を包囲・攻撃した。

この時、鄭では降伏か抗戦かで論争となり、防衛戦17日目に占いを行ったところ、降伏が不吉、抗戦が吉と出た。
そのため、鄭では指揮官も兵士も、涙を流しながら必死で楚軍と戦った。
当時の人にとって、占いは現代の戦争シミュレーションのようなもの。
抗戦が吉と出たからには、肚を括って戦い抜くしかないのである。

荘王は一旦兵を退いたが、やがて再び鄭城に攻めかかった。

295: 名無しさん@おーぷん 2017/03/05(日)23:48:13 ID:nLs
3ヶ月後


('ω`)「ついに城を制圧致しました!!」

彡(゚)(゚)「おお!!やったか!!」

彡(゚)(゚)「とうとう晋軍は来んかったな…一体何を考えとるんやら…」

彡(^)(^)「まあええわ。結果オーライやで。」


新鄭城内
大通り


鄭襄公「楚王。お待ちしておりました。」ドゲザシ~

鄭襄公「私は愚かにも天意に叛いて王を怒らせ、ここまでお出まし戴くことになりました。」

鄭襄公「これはひとえに私の罪でありますから、如何なる御命令にも従いまする。島流し、奴隷降格、なんでもお申し付け下さい。」

鄭襄公「しかし、もし従来の楚鄭両国の親交を思い起こされ、我が祖、厲王・宣王・桓公・武公のために祭祀を絶やさず、属国として鄭を存続させていただければ。」

鄭襄公「これに勝る幸せはございません。こちらが願うべきことではありませんが、何卒ご考慮のほどを。」


再攻撃から三ヶ月後、ついに新鄭は陥落した。
鄭襄公は降伏の証として、上裸となり羊を牽いて、城内の大通りで自ら荘王を迎えた。
かつて、商の微子が周武王に降伏した際の様式に倣ったのである。

309: 名無しさん@おーぷん 2017/03/11(土)22:03:41 ID:vdu
彡(゚)(゚)「…どないしよかな…許したろかな…」

伍参「王!!なりませんぞ!!それでは甘すぎまする!!」

伍参「これは鄭一国を得るための戦いです!!そこで容赦などする必要がありましょうか!!」


彡(゚)(゚)「まあそう言いなや。あんだけ謙虚な振る舞いやないか。」

彡(゚)(゚)「あんだけへりくだって物の言える奴や。鄭の国民にも信用を大事にして接しとることやろ。」

彡(゚)(゚)「確かに今まで散々裏切ってくれたけど、まだ望みはあるで。」

彡(゚)(゚)「すぐに撤退や。一日分退いて和睦するんや。」


六月



彡(゚)(゚)「せっかく鄭まで来たんやし、馬に黄河の水でも飲ましたろかな。」

( ・`公・´)「そうですね。早速手配致します。」 ←子反


('ω`)「王!!晋軍が出撃したそうです!!」

('ω`)「敵はとんでもない大軍ですぞ!!三軍が揃って出撃してきたようです!!」

彡(゚)(゚)「そうか…とうとう来おったか…」


鄭襄公の必死の懇願に心打たれた荘王は、襄公に配慮して直ちに兵を一舍退き、さらに人質を交わして講和した。
荘王は、陳に続き、鄭でも度量を見せつけた恰好になった。

そして、講和直後の六月、ついに晋軍が鄭の救援のため出動した。
しかも、その規模はこれまでのような生半可な兵力ではなかった。荀林父を中軍の将とし、晋の三軍がそろって南下しはじめたのである。
過去、晋楚の三軍が揃って対峙したことは一度もない。
当時の中国全体、いや世界中でも類を見ない、未曽有の大会戦が始まろうとしていた。

326: 名無しさん@おーぷん 2017/03/14(火)22:03:27 ID:qrR
乙やで

>>309
>世界中でも類を見ない、未曽有の大会戦が始まろうとしていた。
これはちょっと言い過ぎやね。
邲の戦いに匹敵すると思われる会戦はそれなりにある。
西アジア&エジプトという古代中国をはるかに凌ぐ先進地域が存在するので…

327: 名無しさん@おーぷん 2017/03/14(火)22:19:45 ID:BK6
>>326
BC597というとアッシリアが滅んで四王国時代やったな。
当時の戦争の兵員規模はどれくらいなんやろ?

329: 名無しさん@おーぷん 2017/03/14(火)22:52:59 ID:qrR
>>327
もっと昔の新王国時代のエジプトとヒッタイトが歩兵数万・戦車数千台規模の会戦を行ってるし
アッシリアは最盛期で10万前後の動員力があったとされる。少なくとも春秋の超大国と同程度のスケールはあると思われ。
春秋戦国に勝るとも劣らない群雄割拠状態で、後にペロポネソス戦争とかいう一大戦役を遂行するギリシャの諸勢力も同様。

330: 名無しさん@おーぷん 2017/03/15(水)07:48:49 ID:ucZ
>>329
だよな。
いくら乾燥地とはいえあれだけの広域で、
数万もかき集められないわけないよな

331: 名無しさん@おーぷん 2017/03/15(水)23:39:26 ID:RTB
トゥキディテスの戦史はマジでおもろい
正直、史記とか春秋など先秦を扱った文献にはこれに匹敵するものは無い

>>330
そら空前の大帝国たるアケメネス朝やマケドニアの躍進を支えた地力は並じゃないわ
鉄器使用が千年以上早いのと海上交通が盛んなのは大きい

328: 名無しさん@おーぷん 2017/03/14(火)22:24:46 ID:pL3
>>326
人口面で言うと連作障害の無い稲作で人口爆発した楚以下江南と
一粒が900倍とか分けわからん数字叩き出す粟主食の中原諸国だと
麦作地域より徴兵出来る兵が桁違い…

333: 名無しさん@おーぷん 2017/03/24(金)10:01:40 ID:8Ue
>>309 >>326 
周が殷を滅ぼした時は周が40万人殷が70万人だったらしい・・ 
非戦闘員や誇張もあるだろうけど・・

310: 名無しさん@おーぷん 2017/03/11(土)22:04:38 ID:vdu
彡(゚)(゚)「よっしゃ。引き揚げるで。もう鄭は降伏さしたったし、今更晋と戦う必要なんかないんや。」

彡(゚)(゚)「それに一昨年は晋軍相手に痛い目に遭わされた。無理に戦ってまた負けたらつまらんで。」

('ω`)「私も賛成です。無益な戦は避けるべきでしょう。」


伍参「王!なりません!!ここで退いてどうなさいますか!!」

伍参「成王は重耳相手に戦を避けたせいで、天下の覇権を失ったではありませんか!!」


('ω`#)「黙れ!!今まで我々が何回戦争してきたと思っているんだ!!」

('ω`#)「もし今回戦って負けてみろ!!お前の肉を食いつくしたって済まない事態になるぞ!!」


伍参「…では、もし勝ったらどうします?」


('ω`#)「…なんだと?」


新鄭攻略後、荘王は軍を北上させて郔に達した。
そして、そこからさらに北上して黄河の水を馬に飲ませ、引き揚げようとしたところで晋軍南下の報に接した。

楚軍陣中では、南下する晋軍と交戦するか否か、蔿艾猟と伍参の間で激しい論争となった。

311: 名無しさん@おーぷん 2017/03/11(土)22:04:55 ID:vdu
伍参「もし勝ったら、令尹には戦がわからぬ、ということになるでしょうな。」

伍参「それに、もし負ければ、私は死んで屍骸は敵に持ち去られるでしょうから、令尹とて私の肉を食うことなどとてもできますまい。」


('ω`#)「…あ゛あ゛あ゛!?何を言うか貴様ああああ!!!」


彡(゚)(゚)「…2人ともわかった。もうええ。ようわかった。」

彡(゚)(゚)「ここは撤退や。伍参の覚悟は立派やけど、理屈は令尹が正しい思うわ。」

彡(゚)(゚)「令尹の言う通り、もし負けたら誰も責任なんか取りきれへんねん。伍参が死んだかて何にもなれへんわい。」


伍参「…」


('ω`)「…ご英断と存じます。直ちに撤退いたしましょう。」


結局、楚軍は撤退することとなり、蔿艾猟がその指揮をとった。
兵車は南向きに直され、軍旗も南下しはじめたのである。

ちなみに、かつて荘王の放蕩を鳥に喩えて諫めた伍挙は、この伍参の子であるという。
しかし伍挙は、それから80年近くも後の前538年にも史書に登場する。さすがにどう考えても不自然である。
おそらく、実際に荘王を諫めたのは、伍挙ではなく伍参だったのだろう。
とはいえ、『史記』に「伍挙」とある以上、逸話としては伍挙のものとせざるをえない。

312: 名無しさん@おーぷん 2017/03/11(土)22:05:13 ID:vdu
彡(-)(-)(…結局引き揚げることにしたけど…ほんまにこれで良かったんやろか…)


伍参「…王…本当はまだ迷っておられるのではありませんか?」

彡(゚)(゚)「うーん…確かにここで退くのはちょっと弱気すぎる気もするんや…」

彡(゚)(゚)「このままやと、いずれまた鄭が裏切って元通りンなるやろしな…」


伍参「そのことなのですが、実は今、晋軍は全くまとまっていないそうなのです。」

彡(゚)(゚)「ん?どういうことや?」


伍参「そもそも、今の晋公は幼く、今回は出陣しておりません。そのため、敵の大将は宰相の荀林父です。」

伍参「しかし、荀林父は就任してまだ時が浅く、命令を徹底させる力がありません。」

伍参「そして、その佐の先榖は身勝手で命令に従う気がなく、三軍の将軍たちも独自に動くことができないのです。」

伍参「将が命令を出さないとなれば、部下も誰に従えばよいかわかりません。今の晋軍は、とても勝てる状態ではありますまい。」


彡(゚)(゚)「なんと…」


楚軍は一旦撤退を始めたが、伍挙は諦めていなかった。
伍挙はもう一度荘王に直訴し、晋軍のまとまりのない実態を説明した。
実際この時、晋軍陣中でも楚軍と交戦するか否かで意見がまとまらず、交戦派の先榖が不戦派の荀林父・士会らと対立していた。
そして、先榖の独断専横に引きずられ、晋軍全体が目標もなくずるずると南下しているというのが実情だったのである。

ちなみにこの時、晋軍の将佐の編成は以下のようになっていた。
上軍 将:士会 佐:郤克(郤缺の子)
中軍 将:荀林父 佐:先榖(先克の子)
下軍 将:趙朔(趙盾の子) 佐:欒書(欒盾の子)
郤缺は前年までは宰相だったようだが、この時には既に姿を消している。

313: 名無しさん@おーぷん 2017/03/11(土)22:06:26 ID:vdu
伍参「そもそも、こちらは楚の国王自ら、はるばる出向いて戦に臨んでおるのです!!」ドゲザシ~

伍参「然るに、荀林父の如き臣下風情を恐れて撤退したとなれば、末代まで国家の恥となってしまいます!!」バシンバシン(額を地面にたたきつける音)


彡(-)(-)「確かに…それもそうやな…」


彡(゚)(゚)「よっしゃ!!やっぱり引き返すで!!」

彡(゚)(゚)「全軍反転!!北に進撃や!!」


('ω`)「ファッ!?」


伍挙の言葉に推された荘王は、決定を覆し、再び軍を北上させて管の地に宿営した。
まさに朝令暮改。楚軍の将士はさぞ混乱したことであろう。
荘王の気分次第で重大な指令がいとも容易く決定・変更されてしまう。荘王への集権化の副作用である。

晋楚の両軍は、ともに明確な意思を持たぬまま、邲の地で睨み合うことになった。

314: 名無しさん@おーぷん 2017/03/11(土)22:06:44 ID:vdu



('ω`)「王!!まさか本当に戦われるおつもりですか!?」

('ω`)「敵は大軍ですぞ!!勝っても負けても甚大な被害が出まする!!」


彡(゚)(゚)「いや、ワイは別に戦う気はあれへんで。」

彡(゚)(゚)「ただ、晋軍にビビッて逃げ出すようなことはしとないんや。」


彡(゚)(゚)「少宰!!今から晋軍に挨拶しに行ってこい!!」

彡(゚)(゚)「こっちは戦うつもりないっちゅうことを伝えてくるんや!!」


少宰「はっ!!」


荘王は引き返して晋軍と対峙したが、無理に戦おうとは考えていなかった。
本当のところはさっさと帰国しても良かったのだろうが、荘王はあくまで体面にこだわったのである。
少宰の官にあった者が使者となって、晋軍に不戦を申込みに出発した。

315: 名無しさん@おーぷん 2017/03/11(土)22:07:14 ID:vdu
しばらくして


少宰「王。ただいまもどりました。」

彡(゚)(゚)「おお御苦労さん。相手はなんか言うとったか?」


少宰「それが…妙なことに、相手によって言う事が違うのです。」

少宰「はじめに私が晋陣に入った時は、士会が応対し、『戦う気はない』と言っておりました。」

少宰「ところが、帰ろうとすると先榖の使者が現れて、『さっきのはまちがいで、戦うより他なし』と言ったのです。」


彡(゚)(゚)「は?なんやねんそれ…」


彡(゚)(゚)「しゃあない。悪いけどもう一遍行って確認してきてくれへんか。」

彡(゚)(゚)「できたら、講和の会盟の時間や場所まで決めてしもてくれや。」


少宰「わかりました。」


少宰が晋陣に到着して口上を述べると、はじめは士会が応対し、晋軍も戦う意思のないことを伝えた。
ところが、しばらくすると今度は先榖の使者として趙括(趙盾の子)が現れ、今度は宣戦布告のようなことを述べた。

不審に思った荘王は再度使者を送り、荀林父と会談させて和議を約束し、会盟の日時まで取り決めた。
そもそもこの段階で晋楚両軍が衝突しても、双方ともにほとんど得るものがない。
無事に講和の約束も交わされ、会戦は完全に回避されたかに思われた。

316: 名無しさん@おーぷん 2017/03/11(土)22:07:36 ID:vdu
数日後

楚軍本営


彡(^)(^)「いや~、一時はどないなるか思たけど、何とか無事に終わりそうやな。」

少宰「はい。大変めでたいことです。これも王の徳の賜物であります。」

彡(^)(^)「まあまあ、相手が大人しゅうしてくれてよかったで。」

少宰「そうですね。二回目に行った時は、先?ももう何も言ってきませんでしたから。」


少宰「しかし、晋の迎えの使者がなかなか来ませんね。もうすぐ来るはずなのですが…」


ワーワー


彡(゚)(゚)「ん?何事や?兵隊の喧嘩か?」


('ω`)「王!!大変です!!敵襲です!!」

('ω`)「晋の使者が、連れてきた兵隊と一緒にいきなり襲ってきました!!」


彡(●)(●)「はああああああああ!?なんやとおおおおおおおおお!?」


楚側の会盟の代表者を迎える使者として、晋は趙旃(趙穿の子)と魏錡(魏犨の子)を送り込んできた。
ところが、この人選は最悪であった。この2人は筋金入りの交戦派だったのだ。
2人は高位を望みながら果たせず、現状に不満を持ち、勝手に講和を妨害してやろうと考えたのである。

まず、魏錡が楚軍の前線に侵入して荒らし回り、散々に挑発してから引き揚げた。この時、潘党(潘尫の子)が追撃したが追いつけなかった。
そして、続いて夜に趙旃が手勢を率いて楚軍に侵入。大胆にも荘王のいる本営に接近し、奇襲をかけた。

317: 名無しさん@おーぷん 2017/03/11(土)22:07:53 ID:vdu
('ω`)「ただ、敵はほんの小勢でした。まもなく追い払えそうです。」

彡(●)(●)「そ、そうか…そりゃよかった…」

彡(●)(●)「しっかし一体こりゃどういうことや!!ワイ等は騙されたんか!!」


(■R■)「一大事です!!晋軍が大挙して晋軍してきましたぞ!!」 ←潘党


彡(●)(●)「なんと…ほんまに騙し討ちかいな…」


('ω`)「仕方がない!!直ちにこちらも攻撃だ!!全軍突撃!!」

('ω`)「こちらが敵に迫ってやれ!!敵にこちらへ迫らせるな!!」


(■R■)「はっ!!」


趙旃は荘王の意表を衝いたが、兵力が足りなかったのか、荘王の親衛隊に逆に撃破されてしまった。
親衛隊隊長だった屈蕩は逃げる趙旃に組み付き、捕獲こそできなかったものの、趙旃の甲の草摺をむしり取ったという。

そしてこの時晋軍では、趙旃と魏錡が荘王に無礼を働いたときに備えて、運搬車を迎えに出していた。
ところが、その立てた砂塵を遠目に望んだ潘党は、晋軍が進撃してきたものと誤認してしまい、ただちに本営に急報を送った。
そのため、本営では晋軍への攻撃が決定された。
楚軍の全兵力が、いきなり全速で突撃したのである。

無防備の晋軍はひとたまりもなく大崩壊した。

318: 名無しさん@おーぷん 2017/03/11(土)22:08:20 ID:vdu
('ω`)「進め進め!!敵に立ち直る隙を与えるな!!」

彡(●)(●)「クソが…ワイを騙しおって…絶対許さんで…」


(■R■)「王!!敵の中軍・下軍は潰走いたしました!!」

(■R■)「現在、わが右軍が追撃しております!!」


彡(●)(●)「そうか!!ようやった!!」

彡(●)(●)「ほんならお前は左軍と合流して、敵の上軍を叩いてこい!!」


(■R■)「はっ!!」


晋軍のうち、中軍と下軍は最初の一撃で潰走した。
突然出現した楚軍相手に、荀林父はなすすべを知らず、咄嗟に太鼓を叩いて叫んだ。
「先済者有賞!!」 (『春秋左氏伝』)
逃げて黄河を先に渡った者に褒美を与えるというのである。
そのため、兵士たちは一斉に逃げはじめ、河畔に着くと我先にと舟に群がった。
先に舟に乗った者は、後から舟縁に縋りつく者の指を切り落としたため、舟中には切断された指が積み上がり、両手で掬うほどになったという。

319: 名無しさん@おーぷん 2017/03/11(土)22:08:52 ID:vdu
敖山
晋上軍陣地附近


(■R■)「あれが敵の上軍か…叩き潰して手柄をたててやるぞ…」

(■R■)「全軍突撃!!」


ワーワーワーワー


(■R■)「くそっ!!なんだか手強いな!!」


士会「うろたえるな!!戦いながら徐々に退くのだ!!」

士会「私から離れるな!!逃げれば死ぬぞ!!」


(■R■)「ちっ…取り逃がしてしまったか…」


晋軍で唯一残った上軍には、楚左軍と潘党の手勢40乗が合同で攻撃を仕掛けた。
しかし、晋上軍を率いていたのは名将の士会である。
士会は自ら殿に立って奮戦した。かつて城濮の合戦での子玉と同じような戦い方をしたのだろう。
そのため、晋上軍だけは敗走せず、退却することができた。

320: 名無しさん@おーぷん 2017/03/11(土)22:09:15 ID:vdu
衡雍


('ω`)「王。大勝利おめでとうごいざいます。」

彡(-)(-)「…なんか知らんけど敵はエライヘボかったな…これでもう当分あいつらも大人しゅうしとるやろか…」

彡(゚)(-)「ただ…エライひどい戦ンなってしもたな…」 チラッ


屍骸・屍骸・屍骸・屍骸…


(■R■)「それではひとつ、敵の屍骸を集めて、大きな京観を作ってやるのは如何でしょうか。」

(■R■)「大勝利を記念し、その功績を子孫にまで伝えるのです。」


彡(゚)(゚)「…いや、それはあかん。いくらなんでもやりすぎや。」

彡(゚)(゚)「『武』っちゅう漢字は『戈を止める』と書くやないか。戦争して人をようけ殺すんは所詮暴力に過ぎんのやで。」

彡(゚)(゚)「暴力じゃ戦争は止まんし、諸侯かてついて来ん。子孫に伝えるもんなんかあれへんわい。」

彡(゚)(゚)「だいたい、京観っちゅうのは不届きな叛逆者を殺した時に作るもんや。」

彡(゚)(゚)「せやけど、晋の兵はそんなんやない。むしろ主に命捧げた忠義の男やろが。それで京観なんざ作ったらあかんわ。」


合戦の翌日、楚軍は衡雍の地に宿泊した。
ここで潘党は、晋軍の屍骸を集めて京観を築こうと言い出した。
京観とは、屍骸を積み上げ土を盛って作る塚のことである。
なんともえげつないことを考えるものだが、古代の中国では戦勝記念によくおこなわれたことである。
後の楚漢戦争や三国時代には、それこそ無数の京観が築きあげられた。

しかし、荘王は受け入れなかった。
荘王自身、晋楚の全軍が衝突するという空前の大会戦で、とてつもない数の死者が出てしまったことを悔いていたのかもしれない。
晋軍は無論のこと、勝った楚軍にしても、夏姫の再婚相手の連尹襄老は戦死、荘王の子の榖臣も捕虜となるなど、損害は決して浅くなかった。
また、今回の合戦が大義も目的もない、なりゆき任せの戦闘に終始してしまったことを反省していた部分もあるだろう。

とはいえ、大勝利は大勝利である。
天下の覇権は完全に楚に移ったのだ。

343: 名無しさん@おーぷん 2017/04/05(水)03:24:43 ID:igp
楚都郢


鄭襄公「王。大勝利おめでとうございます。」

許昭公「もはや王を止められる者などどこにもおりません。我ら八百諸侯、これからも王のため末永く御奉仕させていただきます。」

彡(^)(^)「いやいやwwwそんな持ち上げられたら照れてまうやんけwww」


('ω`)「王!!宋が陳に侵入したそうですぞ!!」

彡(゚)(゚)「ファッ!?なんやいきなり!?」

('ω`)「なんでも先日、晋と宋などの諸侯が盟約を結び、我が国に従う国を討つと決めたそうで…」

彡(゚)(゚)「ほぉ…それで馬鹿正直に攻めおったわけか…」

彡(゚)(゚)「いくらなんでも馬鹿すぎるやろ…晋がアテんならんことが全然わかっとらんへんのかいな…」


彡(゚)(゚)「出陣や!!宋に目にモノ見したれ!!」

('ω`)「はっ!!」


邲で楚軍が大勝すると、鄭襄公と許昭公は早速楚に赴き、改めて楚への服従を誓った。
史上初めて晋楚が正面衝突し、はっきり実力差が示されたのであるから、彼らにとっては他に選択肢などなかったのであろう。

これに対抗して、晋は清丘の地に宋・衛・曹を招集し、晋諸侯連合の結束を確認すると共に、離叛する者を討つことで合意した。
宋はこれに則り、直ちに楚盟下の陳に侵攻したのであるが、この時なんと衛が陳を救援したため、清丘の盟約は早速破られることになった。
衛としても、晋の尻馬に乗って楚と事を構えるのは不利と判断したのであろう。晋の威厳はすでに無きに等しくなっていたのだ。

そして荘王は、翌年の前596年、報復として宋に侵攻した。

344: 名無しさん@おーぷん 2017/04/05(水)03:25:09 ID:igp
前595年


申舟「王。御命令により、参上仕りました。」

馮「今日は一体どのような御用命でしょうか。」

彡(^)(^)「おお申舟に馮、待っとったで。」

彡(^)(^)「今日呼び出したんは他でもないねんけど、今から急いで使者に立ってくれへんか。」

彡(^)(^)「申舟は斉、馮は晋に行ってほしいんや。」

申舟「わかりました。すぐに参ります。」

馮「しかし王。道中、宋と鄭を通らねばなりませんが、両国への挨拶の品は如何致しましょうか。」


彡(^)(^)「ああ、そのことやったら気にせんでええで。」


彡(^)(^)「挨拶なんざ要らん。堂々と素通りしたったらええ。」


申舟・馮「ファッ!?」


この年の夏、晋軍が鄭を攻めた。
侵攻にあたって、晋はわざわざ諸侯にこのことを告知し、鄭領内で派手に閲兵式を行って引き揚げた。
直接武力を使うことなく、宣伝戦で最大限の効果を得ようとしたのである。
なんとも狡猾な手段だが、これがこの時期の晋の限界だとも言える。

しかし、これに怯えた鄭は、公孫の子張を人質として楚に送り、更に鄭襄公自身が再び楚に赴いて、晋の脅威を訴えた。
そして荘王はこれを受けて、報復として前年に引き続き宋を攻めることを考えた。

荘王が目をつけたのは、かつて孟諸沢で宋昭公を鞭打った、あの申舟であった。

345: 名無しさん@おーぷん 2017/04/05(水)03:25:26 ID:igp
馮「王…それは両国に対し甚だ失礼ですぞ…?」

申舟「その通りです!!無断で道を借りるなど、属国扱いも良いところではありませんか!!」

申舟「それでも、鄭はまだ悧巧ですから、無闇に怒ったりはしますまい。馮どのはおそらく無事で済むでしょう。」

申舟「しかし、私は宋を通らねばなりません!!孟諸沢のことで、私は宋に大変怨まれておるのですぞ!!」

申舟「あの馬鹿で頑固な宋のことです!!素通りなどしたら、私は必ず殺されてしまうでしょう!!」


彡(^)(^)「いやwwwそんなことないやろwww言うて大丈夫や大丈夫やwww」


彡(●)(●)「それに万一お前が殺されたって、ワイが宋攻めて絶対仇討ったるわいwww心配しなやwww」


申舟「」(アカン)


荘王は、申舟と公子の馮に命じて、それぞれ斉と晋に使いするよう命じた。
そして、道中通る国に対しては、なんと挨拶なしに素通りするよう命じたのである。
即ち、申舟は宋を、馮は鄭を、それぞれ勝手に通過することになったのである。

申舟は猛烈に抗議したが、荘王は聞く耳を持たなかった。
半ば死を覚悟した申舟は、やむなく嫡子の申犀を荘王に謁見させ、家督が申犀に滞りなく移行するよう手配してから、斉に向け出発した。

346: 名無しさん@おーぷん 2017/04/05(水)03:26:15 ID:igp
宋領内


申舟「頼むぞ…頼むから見逃してくれよ…」


ガサッ


申舟 !?

宋兵・宋兵・宋兵「よろしくニキ―www」

申舟「」


楚都郢


('ω`)「王!!申舟どのが宋で殺されたそうですぞ!!」


彡(゚)(゚)「そうか…」スクッ

彡(゚)(゚)「今すぐ出陣や!!国中の兵隊かき集めたれ!!」ダッ

彡(゚)(゚)「ワイも出陣するやで!!」ゼンリョクシッソウ


('ω`)「あっ、王!!お待ち下さい!!」アタフタ


案の定、申舟は宋で拘束され、あえなく処刑されてしまった。。
この時、宋の左師(宰相みたいなもの)の華元曰く、
「我が国を通過するのに挨拶もせぬとは、我が国を属国扱いしておる。属国扱いは亡国同然だ。
しかし使者を殺しても、楚が攻めて来ればやはり亡国。どちらにせよ同じことだ。」
後に我が国の海軍大将永井修身も、太平洋戦争開戦にあたって似たような発言をしている。おそらくこの故事を踏まえたものであろう。

そして、申舟処刑の報に接した荘王は、報せを聞くや袂を奮って立ち上がり、宮殿から走り出た。
近臣達はあわてて追いすがり、履物は庭先で、剣は宮門で、車は市場でやっと追いついたという。
楚軍はそのまま宋にむけ出撃。9月、宋を包囲した。

347: 名無しさん@おーぷん 2017/04/05(水)03:26:31 ID:igp
前594年

宋都商丘近郊・楚軍陣中


彡(゚)(゚)「なにをモタモタしとるんや!!まだ落とされへんのか!!」

('ω`)「はい…申し訳ございません…」

('ω`)「なかなか骨のある連中です…鄭や陳とはわけが違いますな…」


魯宣公「あの…降伏します…」

彡(゚)(゚)「おっ!ほんまか!!」


( ・`公・´)「おめでとうございます!!これで中原制覇まで、残るは衛と宋だけになりましたな!!」

彡(゚)(゚)「せやな…いよいよ大詰めやで…」


圧倒的な楚軍に対し、宋軍は孤軍で奮闘した。
包囲開始から3ヶ月経ち、年が改まっても、商丘の城壁は楚兵を撥ねかえし続けた。

しかしこの間に、魯は公孫帰父を荘王のもとに派遣し、楚に服従することを明らかにした。
これで、楚の盟下にない中原諸侯は宋と衛を残すのみとなった。
しかし、宋は楚軍に包囲されて風前の灯であり、衛も3年前に晋との盟約を破っている。

荘王の覇業は、とうとう完成目前のところまでやっていきたのである。

348: 名無しさん@おーぷん 2017/04/05(水)03:26:44 ID:igp
晋都絳


楽嬰斉「晋公!!我が国は楚軍に厳しく包囲されております!!食糧も武器も足らず、いつ陥落するともわからぬ有様です!!」

楽嬰斉「どうか晋公のお力で我が国をお救い下さい!!」


晋景公「…そうか…それはかわいそうに…」

晋景公「どうしようかな…もう一度だけ楚と戦ってみるか…」


伯宗「いけません。出兵はなりませんぞ。ことわざに『如何に鞭が長くとも、馬の腹までは届かない』という通りです。」

伯宗「今、天は楚に味方しておるのです。如何に晋が強くとも、天には背けませぬ。」

伯宗「それに『高いも低いも心持ち次第』とも申します。汚水であっても、河川や湖沼はこれを受け入れるのです。」

伯宗「山林や草野は猛獣・毒蛇の類にも潜伏を許しますし、美玉は瑕瑾をも包み込むではありませんか。」

伯宗「国君は恥辱を忍ぶ。これが天の道と申すものです。どうか、楚の勢いが衰えるまでじっとお待ちください。」


頑強に抵抗した宋だったが、さすがに独力では楚軍を退けられないことを知り、楽嬰斉を晋に送って援軍を要請させた。
しかし、晋では伯宗が出兵に反対した。

349: 名無しさん@おーぷん 2017/04/05(水)03:27:07 ID:igp
晋景公「そうか…なんとも口惜しいことだ…」

晋景公「しかし、このまま宋を見殺しにして良いのか?宋は今でも晋のために戦っているのだぞ。」


伯宗「止むを得ませぬ。ここは壮士を一人派遣致しましょう。」

伯宗「『晋軍は間もなく到着する』と嘘を伝え、宋の戦意を掻き立ててやるのです。」


晋景公「止むを得ぬか…残酷なことだが仕方ないな…」

晋景公「解揚!!お前が行ってこい!!」


解揚「はっ!!」


伯宗に説得され、晋では援軍を出さないことに決めた。
代わりに、解揚という大夫が使者となり、宋に嘘八百を伝えることになった。
この解揚は、かつて前608年に北林で楚軍が晋軍を破った際に楚の捕虜になったという人物である。

しかし、晋が楚に対して劣勢だとはいっても、往時の城濮の合戦の頃と較べればまだマシだったはずだ。
城濮の合戦では、晋は兵術と外交術を駆使して優勢を築いたが、今回の晋にはそんな芸当はできなかった。
晋文公・狐偃・先軫と晋景公・荀林父・士会との器の差と捉えるべきであろうか。
それとも、超大国となったが故に、かえって大勝負に出られなくなったと理解すべきであろうか。

いずれにせよ、晋の信用は完全に失われたのである。

350: 名無しさん@おーぷん 2017/04/05(水)03:28:19 ID:igp
鄭領内


解揚「急がねば…宋が降伏してしまう前に…」ドドドドドド


ガサッ

解揚 !?

鄭兵・鄭兵・鄭兵「よろしくニキーwww」

解揚「」


楚軍陣中


( ・`公・´)「王。晋の密使を捕えました。」

彡(゚)(゚)「ほう。どんな野郎か、その面拝んだろやないか。」


解揚「私は晋の大夫、解揚と申す者だ。」

解揚「晋の三軍は悉く立ち、もう間もなく到着致す。その旨、宋に伝えようとしたのだ。」


彡(゚)(゚)「なるほど…それはそれは…」


解揚は宋に向けて猛進した。
しかし道中、鄭で鄭兵に発見され、拘束されてしまう。
捕虜となった解揚は、そのまま荘王のもとへ送られた。

しかし、申舟といい解揚といい、いとも簡単に捕まってしまうものである。
当時、交通事情は非常に悪く、人の通れる道も、広大な国土の割には非常に少なかった。
また、大河を渡るには舟と船着き場が必要だが、これもまた当時はごく僅かしかなかったことだろう。
従って、そういうポイントを抑えられてしまうと、人が秘密裏に往来することは、実は我々の想像よりずっと困難だったのかもしれない。

351: 名無しさん@おーぷん 2017/04/05(水)03:28:35 ID:igp
彡(゚)(゚)「…まあ、意地張っても無駄や。晋軍が来ェへんことくらい、ワイはとっくにお見通しやねん。」

彡(゚)(゚)「ほんでお前も、使命も果たせずこんなとこで捕まってもうとる。ほんま御苦労さんやで。」

解揚「…」


彡(゚)(゚)「…まあ、せやけどモノは相談や。」

彡(゚)(゚)「ワイもお前も幸せンなる素敵な話があんねんけど。」

解揚 ??


彡(゚)(゚)「ほれ。ワイは金持ちなんや。ここに財産の一部があんねん。」キンギンザイホウ

彡(゚)(゚)「これをそっくりお前にくれてやろうと思うねんけど。」

解揚 !!


彡(゚)(゚)「もちろんただではやらんで。」

彡(゚)(゚)「商丘に向かって、『晋軍は来ェへんから降伏せい』と叫ぶんや。」


解揚と面会した荘王は、解揚に厚く贈賄し、晋軍が来ないことを宋に伝えさせようとした。
荘王自身、長い攻城戦に疲れ、宋兵の戦意を挫く必要を感じていたのであろう。

352: 名無しさん@おーぷん 2017/04/05(水)03:28:54 ID:igp
解揚「…断る。金に迷って使命を抛棄できるものか。」


彡(゚)(゚)「ほお…お堅いこって…」

彡(^)(^)「まあそう言いなや。こんだけ金あったら、どこへ逃げたかて遊んで暮らせるやろ。」

彡(^)(^)「お前も昔ワイ等の捕虜ンなった身や。晋におったって、どうせいつまでも冷飯喰らいちゃうんかい。」


解揚「…しつこいぞ。断ると言ったら断る。何度も言わせるな。」


彡(^)(^)「またまた…まあ、確かにお前の気持ちはようわかるで。その心意気、ホンマ立派や思うわ。」

彡(^)(^)「せやけど、このままいつまでも問答しとったって、お前が使命を果たされへんことには変わりないんや。」

彡(^)(^)「ほんなら、ここで金受け取っといたほうがなんぼ悧巧やと思わへんか?」

彡(^)(^)「どうせ商丘が落ちることには変わらへんのや。だれもお前を恨んだりせェへんわい。」


解揚「…」

解揚「…った。」


彡(゚)(゚)「ん?何やて?今何ちゅうた?」


解揚「…わかった。言う通りにする。」


彡(^)(^)「おっ!!ほんまか!!いや~、話せばわかると思とったで。」

彡(^)(^)「ほな早速言うたってくれや。あそこに物見の車があるから、そこで一丁頼むわ。」


解揚「…」


解揚は荘王の誘いを断ったが、荘王は食い下がった。
そして、3度目にやっと解揚は承知したのである。
解揚は楼車の櫓に上り、商丘に向かって口を開いた。

353: 名無しさん@おーぷん 2017/04/05(水)03:29:22 ID:igp
解揚「宋の皆様!!私は晋の大夫、解揚と申す者だ!!」

解揚「晋公のお言葉をお伝え致す!!」


彡(^)(^)「はえ~。なんともエエ声やな~。」


解揚 ニヤッ


解揚「宋を救うため、晋の全軍は既に出撃しておる!!」

解揚「あと数日で晋軍は楚軍を排除するであろう!!それまでもう少し、耐え抜かれよ!!」


彡(●)(●)「ファッ!?」


宋兵・宋兵・宋兵 ワーワーワーワー


彡(●)(●)「解揚おおおおおおおおおお!!!貴様ああああああああああ!!!」

彡(●)(●)「謀ったなああああああああ!!よくもワイを騙しおったなああああああああ!!!」

彡(●)(●)「ワイは貴様を信用してやったと言うのにいいいいいいいい!!!貴様はワイを裏切りおってええええええええ!!!」

彡(●)(●)「今すぐぶっ殺したるわああああああああ!!!!誰かあいつを引きずり降ろせええええええええ!!!!」 ハモノダシー


解揚は商丘に向かって、なんと元の使命通りの嘘八百を叫んだ。
これに荘王は激怒。直ちに解揚を処刑しようとした。

354: 名無しさん@おーぷん 2017/04/05(水)03:30:17 ID:igp
解揚「楚公よ。あなたは国君の命令が如何なるものかわかっておられぬようだ。」

解揚「国君は臣下に、2つの相反する命令を受けさせたりはしない。逆に臣下も、国君から2つの命令を受けたりはしないものではないか。」

解揚「楚公が私に贈賄して口上を翻せと命じたことこそ、それをお分かりでない証拠だ。」

解揚「臣下たるもの、一度命令を受ければ、死んでもそれを棄てたりはせぬ。贈物などでどうして心が揺らごうか。」

解揚「楚公の求めを承けたのも、晋公の命令を果たすために過ぎぬ。殺されても命令が果たされれば私は満足なのだ。」

解揚「殺したくば殺すがいい。我が主晋公には命令を固持せる臣下あり、自分は死処を得たり。私はそれで満足だ。」


彡(●)(●)「…」


彡(゚)(゚)「…そうか…そら大したことや…」 ハモノナオシー


彡(-)(-)「…もうええ。子反、あいつを放したれ。」

( ・`公・´)「…ェ…よろしいのですか?」

彡(-)(-)「構わへん。今更殺したかて、宋の兵隊が元気無くすわけやないんや。」


荘王の激しい怒りに曝されても、解揚は全く動じず、堂々と弁舌を展開してみせた。
そして、これに心打たれた荘王は、解揚を殺すことなく、そのまま解放したという。
解揚の忠誠と度胸、そして荘王の度量を示す逸話である。

ちなみに、似たような話は我が国にもある。
1575年、奥平貞昌の籠る長篠城を武田勝頼軍が包囲した際、援軍を求めるため鳥居強右衛門という奥平氏の家臣が城を脱出。
強右衛門は岡崎城に辿り着き、織田信長と徳川家康の率いる大軍が救援のため結集していることを知った。
喜び勇んだ強右衛門は、更にそれを長篠城に戻って伝えようとしたが、途中で武田の兵に捕えられてしまう。
城兵の頑強な抵抗に手を焼いていた勝頼は、織田軍の到着前に城を落とす必要に迫られた。
そこで勝頼は、武田の重臣として厚遇することと引き換えに、「援軍は来ない」と城に向けて叫ぶよう求めた。
ところが強右衛門は解揚の如く、城に向けて援軍が来ることを伝えたのである。
そして、荘王は解揚を許したが、勝頼はその場で強右衛門を殺してしまったという。
その後、長篠城は武田軍の猛攻をしのぎ切り、設楽原で織田軍と交戦した武田軍は壊滅的な敗北を喫する。世にいう長篠の合戦である。

355: 名無しさん@おーぷん 2017/04/05(水)03:30:52 ID:igp
五月


彡(゚)(-)「なんや…まだ落ちへんのかいな…一体いつンなったら勝てんねん…」 グタ~

(-ω-;)「申し訳ございません…もう城内の食糧は尽きる頃だと思うのですが…」

彡(-)(-);「ホンマなんちゅう連中や…鄭はなんぼ頑張っても3ヶ月しか保たんかったというのに…」


彡(-)(-)「もうこれ以上国を空けとくわけにはいかんな…兵隊どもを農地に帰したらなあかん…」

(-ω-;)「そうですね…こちらの食糧も底をついてきましたし…」


彡(゚)(゚)「しゃあない。引き揚げや。」


???「王!!お待ちください!!」


彡(゚)(゚)「ん?」


なんと五月になっても、商丘は落ちなかった。
前年の九月以来、実に八(九?)ヶ月にも亘って、楚の大軍が宋にくぎ付けとなったのだ。
この時代、戦時の兵士は平時の農民である。
貴重な労働力である大量の青年男子が、長期間何も生産せず、ただただ毎日大量の食糧を消費していった。
そのため、楚の国力は大きく損なわれてしまった。

さすがに荘王も宋の攻略を諦め、帰国しようとした。

356: 名無しさん@おーぷん 2017/04/05(水)03:31:05 ID:igp
申犀「王!!わが父との約束をお忘れですか!!」

申犀「ここで退いたら、父が何のために死んだのかわかりませぬ!!」


彡(゚)(゚);「いや…う…せやけど…」


申叔時「…王。私に考えがございます。」

申叔時「このまま商丘の包囲は続けるとして、同時に農業をおこなえば良いのです。」

申叔時「屋室を作り、かつてこのあたりで耕作していた者を呼び戻すのです。」

申叔時「さすれば食糧問題は解決です。宋もさすがに持久戦を恐れ、降伏するでしょう。」


彡(゚)(゚)「なるほど…それはええな…」


荘王の帰国を妨げたのは、あの申舟の子の申犀であった。
申犀は、「必ず仇を討つ」という約束を盾に取り、猛然と荘王に迫ったのである。これに荘王は返答できなかった。

そこで、荘王の兵車を御していた申叔時が知恵を出した。
則ち、商丘城外で農業を行い、食糧を生産するというのである。
この案は受け入れられ、楚軍は商丘の包囲を継続することができた。

357: 名無しさん@おーぷん 2017/04/05(水)03:31:19 ID:igp
数日後
楚軍右軍本陣



( ・`公・´)「申叔時もうまいこと考えるもんだぜ…俺も退くのは嫌だったから嬉しいかぎりだ…」

( -`公-´)「さて、今日はもう遅いしそろそろ寝るか…」

( -`公-´)zzz



???「子反どの…子反どの…」

( -`公-´)「…ん…なんだ…誰か呼んだか…」

( -`公・´)「こんな夜中に何事だ…」


華元「こんばんは。」


( ●`公●´)「ヒッ!?」


華元「おっと、お静かに。」ハモノキラッ


( ●`公●´;)「」


ある晩、楚の子反の陣中に、なんと宋の華元が侵入した。
華元は夜闇に紛れ、なんと大胆にも子反の寝台に登ったのである。
目覚めた子反はさぞ驚いたことであろう。

358: 名無しさん@おーぷん 2017/04/05(水)03:31:32 ID:igp
( ・`公・´;)「な…なんだ貴様…俺を殺しに来やがったのか…」

華元「そんな、まさか。殺す気ならとっくに殺していますよ。」

華元「今日は子反どのに和平の仲介をお願いしにきたのです。」

( ・`公・´;)「は…?そんなもん、お前らが降伏したら済むことだろうが。俺に何を期待してやがるんだよ。」


華元「いいえ。それがそうも参らぬのです。」

華元「今、我が城内には食糧もなく、子を交換して喰い、死人の骨を割いて炊事の燃料にしている有様です。」

華元「しかし、我々にも誇りというものがある。たとえ皆殺しにされようとも、城下で降伏するようなことだけは御免です。」

華元「そちらが一舎兵を退き、我々の立場を尊重して下さるならば、我々はいつでも和睦致しましょう。」


( ・`公・´;)「…そうか…そこまでの覚悟か…」


( ・`公・´;)「わかった。私が王に掛け合ってやろう。この子反も男だ。この名にかけて約束しよう。」

華元「…ありがたき幸せです…」


華元の目的は、宋と楚の和睦を子反に仲介してもらうことであった。
長い戦いで楚軍も疲弊していたが、宋軍はもっと疲弊していたのである。
もはや両軍ともに、和睦することに依存はなく、その上で華元は、宋と楚が対等の立場で和睦することを求めたのである。

362: 名無しさん@おーぷん 2017/04/05(水)03:43:32 ID:igp
楚軍本陣


( ・`公・´)「…ということを華元が申しておりました。」

彡(-)(-)「そうか…降伏は嫌か…」

彡(゚)(゚)「まあええやろ。これ以上戦争引き延ばすこともあれへんわ。」

彡(゚)(゚)「降伏でも和睦でも、どっちにしたかて宋がワイ等の側につくことは変わらんねん。」


彡(゚)(゚)「一日退くぞ!!すぐ準備せい!!」

( ・`公・´)「はっ!!」


子反は華元の言葉を受け入れ、子反に説得されて荘王も和睦に賛成した。
楚軍は直ちに1舎退き、そこで宋と和睦の盟約を交わした。
長い長い攻城戦の末、ついに宋を盟下に引き込むことに成功したのである。

ただ、ここで一つ不思議なことがある。
荘王は一体何のために申舟を死なせたのであろうか。
宋を攻める口実作り、ということはありえない。宋が楚の盟下にない、というだけで口実としては充分だからである。

荘王が何かの理由で申舟を嫌っていたのだろうか。
過去を顧みれば、かつて申舟が宋昭公を鞭打ったことが、荘王の即位直後に諸侯が一斉に離叛する原因の一つになった。
荘王としては申舟のような、荒っぽく考えの浅い直情径行型の臣下は覇業の邪魔だったのだろう。

359: 名無しさん@おーぷん 2017/04/05(水)03:33:28 ID:igp
前591年
楚都郢


彡(゚)(゚);「なんや…最近体がいうこと聞かへん…」ゲホゲホ

彡(゚)(゚);「ワイはまだそんな歳やないんや…まだまだやりたいこともようけあんねん…」ゴホゴホ

彡(-)(-);「もしここでワイが死んだらどないなるか…」ハアハア

彡(-)(-);「蔿艾猟や申叔時はともかく…子反も子重もあんまり頼りンならん奴等や…」

彡(-)(-);「まだまだワイが頑張らなあかんのに…ワイが…」

彡(-)(-);「ワイ…が…」


┏━━━━━┓
┃ / \ ┃
┃/   \┃
┃ (゚)(゚)ミ ┃
┃ ノ   ミ ┃
┃ つ  ( ┃
┃  )  ( ┃
┗━━━━━┛
  荘王崩御


この年、荘王は崩御した。
荘王の在位は24年間であり、即位時に弱年であったことを考えれば、決して天寿を全うしたとは言い難い。
中原では衛が晋の盟下に残っており、また晋自体が勢いを盛り返していたこともあって、荘王の覇業も完成したとは言い切れない状況だった。
更に荘王は、子反や子重といった重臣たちの器量に疑問をもっていたようで、それを憂うあまり食事をとらないこともあったという。
末期の床でも、まだまだ現世への未練は少からず残っていたことであろう。

360: 名無しさん@おーぷん 2017/04/05(水)03:33:40 ID:igp
荘王は、長い長い楚の歴史のなかでも最高の名君とされる。
父王から大国を受け継ぎ、時に苦しみながらも経営を進め、ついに中原の大半を制圧した。
蔿艾猟や伍参のような名臣を数多く登用し、また多くの美談にも彩られた、非常に華やかな君主であった。

また、荘王の出現は、中国全体の歴史を考える上でも非常に重要な意味をもっている。
荘王は春秋五覇には必ず入る人物であるが、では、そもそも覇者とはなんだったか。
中原のまとめ役となり、異民族の侵入から中原諸侯を守る存在である。
そして斉桓晋文の頃は、その異民族の最たるものが楚であった。
ところが、荘王の時代には、楚はむしろ中原側の存在であり、侵入してくる周辺の野蛮な異民族と戦っているのである(荘王の即位直後など)。
そして、荘王自身の行動も、荒々しい野蛮人というよりは、むしろ中原の「君子」といった色合いが濃い。

そもそもこの時代の特徴として、黄河文明圏の拡大がある。
かつて中原にしか存在しなかった黄河文明が、いつのまにか周囲の異民族に受け入れられ、その影響を拡げていったのである。
その結果、斉桓公・晋文公・秦穆公といった、黄河文明的な名君が周辺領域に続々と誕生した。
そして、荘王の出現は、黄河文明が長江流域にまで及んだことの証である。
黄河文明の拡大現象はこの後も続き、やがては呉・越・狄までもが呑みこまれてゆくことになる。

さて、荘王の後は嫡子の共王(審)が継ぐことになった。
共王は慎重で温和な人物であり、しばらくは荘王の遺産を無難に経営してゆく。
しかし前576年、鄢陵の地で再び晋楚の全軍が衝突する大会戦が勃発。
この時、晋軍の軍師を務めていたのは、あの子越の子の苗賁皇であった。いわば荘王の負の遺産である。
この負の遺産のために、楚軍は合戦に敗れ、荘王以来の覇権を失ってしまうのである。


楚荘王編おわり

364: 名無しさん@おーぷん 2017/04/05(水)20:02:21 ID:zwc
お、来とるやんけ
イッチ乙やでー
小ネタ楽しみまっとる


>>黄河文明圏の拡大
>>黄河文明が、いつのまにか周囲の異民族に受け入れられ

古今東西(現代でさえも)先進文明の浸透力、同化力はホント半端ねえからね
ほっといても勝手に先方さんの方で受容して染まっていく

365: 名無しさん@おーぷん 2017/04/05(水)22:32:44 ID:AED
ついに荘王編完結したねー、イッチ乙

>>黄河文明が、いつのまにか周囲の異民族に受け入れられ
>>古今東西(現代でさえも)先進文明の浸透力、同化力はホント半端ねえからね
>>ほっといても勝手に先方さんの方で受容して染まっていく

これはどうかねぇ…ちと大雑把、単純すぎるストーリーだと思われる
黄河文明的なもの=中原的なもの、だとすると関中政権たる周は何なのか?ってなるし

368: 名無しさん@おーぷん 2017/04/06(木)00:10:24 ID:vX1
>>365
いや一般的な話しとしてね
別に黄河文明だけじゃなくこの時代限定でもなく
それこそ近現代の欧米の文化・思想(民主主義、近代立憲主義、人権思想、法制度の根幹をなす法哲学等々)の受容と融合とかも含めてね
まあ近現代ぐらいの時代まで進んでくると流石に受容側でも独自性失うほど同化されちまうことはないけど

369: 名無しさん@おーぷん 2017/04/06(木)00:15:22 ID:vX1
つまり今回のケースを取り出して精査して言った訳じゃないっす
紛らわしかったら済まんね

366: 名無しさん@おーぷん 2017/04/05(水)23:11:27 ID:sm1
長江流域にも独特の文化圏があったと聞くけど、この頃にはもう融合しちゃったのかな?

367: 名無しさん@おーぷん 2017/04/05(水)23:47:42 ID:AED
長江中下流域に興った諸文化は北に劣らぬ勢力を誇ったようだけど
ある時期を境に急速に衰え壊滅状態に、洪水等が原因に挙げられるけど詳しくはわからない
そこに殷周に先行する二里頭文化や殷周が侵入する
殷系と思われる植民都市が長江に近い場所、後の楚地で発見されている

370: 名無しさん@おーぷん 2017/04/06(木)19:35:11 ID:8JO
文明圏の拡大、同化(漢化)ってのは結局のところ軍事力、人口侵略などの直接的なパワーによるところ大ですよ。
軍事的に中華が制圧できなかった内蒙古や東北三省のほぼ完全な漢化は新中国になってからだし
むしろ文化的には劣ってるはずの塞外民族の武力進出で胡化が激しく漢民族のアイデンティティは常に揺らいでる。

371: 名無しさん@おーぷん 2017/04/06(木)22:10:09 ID:piC
西周以前から楚は中原との戦争・対抗・臣従という濃厚な交流を行っているので
中原と楚の一体化はもっと遡れる希ガス