napo1814
1: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)19:49:04 ID:gIY
伝説系は抜きにして
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1491994144/



2: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)19:51:02 ID:tjW
軍の規模や目的地までの距離によるんやろうけど5キロ/日くらいとなんかで見たことある

3: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)19:51:42 ID:gIY
>>2
そんな遅いんか?

4: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)19:52:26 ID:6WP
>>3
何千何万人が歩いてくと考えると

7: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)19:53:19 ID:tjW
>>3
昔がどの程度かしらんけど近代以前は道路もあらへんし
そもそも戦える状態の兵士を前線に送らなあかんからあんまり急いでもしょうがないんやで

5: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)19:52:32 ID:FIE
歩度は平地で時速3.5~4Kmって習ったけどな…

10: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)19:53:51 ID:gIY
>>5
それ自衛隊やろ
昔のが知りたいんや

11: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)19:54:06 ID:2Re
>>10
どんくらい昔やねん

13: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)19:54:39 ID:gIY
>>11
ローマとか戦国時代とか
あの辺って伝説ばっかで一般的な話残ってへんし

6: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)19:52:48 ID:mK0
中国大返し定期

19: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)20:00:39 ID:tjW
古い資料で行軍の日時まで確認できるのは稀やで
だいたいざっくり

20: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)20:05:38 ID:gIY
ていうか昔の記録って明らかに盛ってるの多いのがな

21: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)20:22:08 ID:JEE
勝ったがわが書いてるしな

23: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)20:26:57 ID:z0K
古代ローマと大陸軍が機械化以前だと最高か?

25: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)20:31:56 ID:ia9
マケドニアの東征とかあれどんだけ時間かかったんや

26: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)03:56:01 ID:00C
普通に歩いて時速1.5km。でも装備の重さと隊列の関係で結構遅くなるだろから1kmくらいか
で、日が昇ってから落ちるまで途中休憩や水の確保、陣営の準備挟んで8時間歩いたととすれば8km日

ただ暑かったり寒かったり雨が降ったり、途中で登り道に出くわしたりするとさらに落ちるだろうから6,7kmくらいがええとこやないの?

24: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)20:29:17 ID:tjW
そういえばローマ軍は道路ある場所を急いだときが25キロ日であって普段からそんなに急いでたわけではないらしいで

27: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)03:58:24 ID:00C
ていうか古代や戦国時代の行軍って水どうしてたんやろ
大軍養うだけの瓶を一緒に運んでたんかな?夏とかやと水が腐りそうやけど

28: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)04:05:48 ID:00C
あと靴もきになるわ
ローマ軍の兵士とかすぐ履きつぶしてたんやないの?代わりが用意されてたんかな?

29: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)04:07:22 ID:hvo
いいとこ7、8km
訓練されたのなら場合により15~20kmかそれ以上の例も稀にって感じだった気がする

30: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)04:12:02 ID:00C
>>29
非戦闘員も訓練してたんやろうか
古代なんてレーションみたいなコンパクトな飯がないから運ぶ人ら必須やろうし

31: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)04:14:58 ID:hvo
>>30
兵站要員については難しいなあ
ワイが昔ガバガバ計算したのでは兵站要員を戦闘員と完全に区別した場合は全軍の45~55%は兵站に費やす計算やった。例えこうでなくともかなりの割合を割かなきゃとても円滑には運べない
でもそこまで整った軍隊はたぶん早くともナポレオン以降やないと無理そうやから水に限らず現地調達は当たり前やったと思う
特に馬なんざ一頭あたり1日10kg以上の干し草を消費するし膨大やで
つまり昔になればなるほど非戦闘員とはそんな区別なかったんやないかなあ

33: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)04:18:55 ID:00C
>>31
それこそ草木の根まで食い尽くしながら移動してたかもしれへんのやな
しかし水の確保は本当に大変そうや川から離れると一気に喉乾いた状態に

39: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)04:24:38 ID:00C
いろいろ考えると、昔は水や食料確保できるように町や農村の近く通りながらいってたのかもしれへんな
くっそ遠回りしてそうや

40: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)04:30:04 ID:00C
てか食料調達の時間もあって1日20km進むとかバケモンやな

43: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)04:54:37 ID:dA7
道も兵站も貧弱やったから自然と行軍路なんて大軍率いるなら決まりきったルートしか選べんかったんやろな
だから城砦に意味があると

46: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)05:08:01 ID:Gpc
>>43
城塞の意味は今もあるで
兵站ってのは「軍隊の駅(物資の運搬口)」って意味や
せやから、今も基地は弾薬なんかの物資を保管しておくところで、それが軍隊の力の生命線になる

もちろん敵もそこを狙うから基地を強くするっていみで城塞は無価値ではないんや

45: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)05:00:25 ID:vad
兵卒はつらいとこや

49: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)14:14:51 ID:BrQ
なんか伸びとるな
調べたら、17世紀頃、迅速で有名だったナポレオンでも一日16から19キロ程度なんやな
ただナポレオンは普通分60歩のところを分120歩のスピードで歩いてたらしいけど

50: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)14:20:21 ID:BrQ
あと同じ17世紀のヨーロッパやと長距離行軍のときは一日7キロ弱くらいでも結構早い方に分類されてたっぽい
それでも兵士ボロボロになっとったらしいから相当大変なんやな

51: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)14:20:58 ID:BrQ
それと靴がかなり発展してる現代の自衛隊も1時間4キロ(1歩1mとして分70歩くらい)で昼夜昼夜通して歩いて25キロくらいらしいし行軍って遅いんやな
あと休み時間が多いわ
6時間歩くと4,5時間は休んでるっぽい

53: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)14:24:26 ID:bpn
そら(現代でも30kg近い装備で行軍中も警戒しながら進まなあかんのやから)そうよ

54: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)14:32:18 ID:BrQ
>>53
しかも1日行軍したら終わりやないしな
次の日も歩くor次の日は戦うのかもしれへんのやからあんまり急いで疲れ貯めたらアカンはこれ

55: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)14:34:34 ID:GfL
やっぱり機械化部隊って偉大やわ
パットンなんかコブラ作戦で1日70km前進したからな

56: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)14:41:26 ID:BrQ
>>55
ほんまやな
テクノロジー万歳や

58: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)14:51:30 ID:GfL
>>56
なおこれ以上の機動力を誇る軍隊が13世紀には存在した模様

59: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)14:54:52 ID:BrQ
>>58
モンゴルか?
あれって軽騎兵のみの軍団が馬を潰す勢いで乗り換えまくって70キロくらいやなかったけ

61: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)14:58:29 ID:GfL
>>59
せやせや
あとあいつら兵站ごと移動できるから殆ど補給の心配がいらんというのが怖い

63: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)15:02:18 ID:BrQ
>>61
モンゴルは家畜連れて進んでるとかなり遅くなりそうな気がするんやけどどうなんやろ

62: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)14:59:37 ID:tdl
モンゴルはロマンの塊やな
自給自足でどこでも生きてけると同義やないか

65: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)15:07:04 ID:wg8
モンゴルとまともにぶつかった宋とか金とかかわいそう
13世紀にこんな奴らに野戦で勝てるわけねーだろ

70: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)15:10:57 ID:ooX
モンゴルは中国の平原を皆殺しにして放牧地にするとかガチで検討するほどのロマン溢れる鬼畜

57: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)14:49:39 ID:BrQ
とりあえず兵站・靴・道・栄養状態を考えるとマケドニアが一日25ロっていうのはおそらく盛ってるわ

60: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)14:58:27 ID:ooX
ローマの場合やと一日20~25km
強行軍やと30超えやったで
靴は支給品のかかと付きのサンダルみたいなやくやな

64: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)15:04:20 ID:ooX
日本やと北畠顕家が奥州から取って返した一日40kmで800km踏破したのが最速かな?

66: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)15:07:06 ID:BrQ
>>64
16日で600キロやなかったけ

15: 名無しさん@おーぷん 2017/04/12(水)19:55:09 ID:6WP
ローマは道路整備してるから早そう

68: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)15:10:09 ID:yGL
>>15
”ローマは道路整備してるから早そう”

ローマの重装歩兵は約50Kg の鎧をつけ、短槍、剣を身に着け
10日分の食料、寝袋代わりの毛布、炊事道具などを担いで
1日40㎞を行軍した。
驚異的だが、道路網が発達してたおかげだ。

蒙古軍も先遣隊レベルなら1日100㎞近くは簡単に移動した。
家畜を伴っての移動は遅かったと思うが。

69: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)15:10:33 ID:6S7
飯の量のが圧倒的だろ
1食300gとして1日1kg、1ヶ月で30kg運ばないといけないし1ヶ月しか持たないともいう
今みたいに車はないし、それこそ牛馬全開で使って大半が輸送兵でもどうだろっていうぐらい
これに武器防具とか加えると行軍できるだけで凄い軍隊だわ

71: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)15:13:19 ID:BrQ
>>69
飯と水まで考えるともう想像つかんよな
昔は穀物だけで栄養賄うためにかなりの量食ってたとかいうし

73: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)15:26:12 ID:yGL
>>69
”飯の量のが圧倒的だろ”

中国の戦い方は、
・穀物の実るころ先遣隊が敵地に侵入。
・農民を蹴散らして、可能な限りの農地を確保し、糧食を確保。
・本隊を導きいれる。
・上を繰り返す。
敵の反応が早く、退路を断たれれば、上級の兵は馬で逃げ出せるが
下級の兵は敵に囲まれて餓死するしかなかった。

長平の戦いで白起将軍が土卒40万人を生き埋めにして殺したというけれど
食料を断たれて餓死した兵士も多かったに違いない。

81: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)15:56:42 ID:F9y
>>69
乾物多かったからどうなんやろな
傘g鍋がわりになるとか聞いたことあるんやが

85: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)16:09:44 ID:yGL
>>81
”乾物多かったからどうなんやろな”

ギリシャ、ローマでは。行軍中の兵士達は麦を炒って、荒く砕いたもの
(黄な粉を荒いもの)にオリーブ油を加えてこね、餅状にしたもの
が主食で、この他に少量の干し肉と干した果物を食べてたそうな、

87: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)16:29:12 ID:F9y
>>85
ほえーそんなんで補えるんかいな
てか今の時代の貧弱顎やと無理やな

72: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)15:21:24 ID:v2c
軍楽隊とゆうペースメイカー

74: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)15:28:45 ID:fan
賎ヶ岳の戦いの時も秀吉軍が5時間で52キロ走ったらしいな

76: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)15:30:50 ID:BrQ
>>74
その辺は眉唾っぽくてなぁ
そもそも武将は戦場に時計持っていったり日時計作ったりして記録しとったんかね

75: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)15:29:05 ID:00C
よく昔の人は今の人より体力あったみたいにいう人いるけどどうなんかね

78: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)15:35:12 ID:BrQ
>>75
行軍語るうえで出て来る問題やな
とくに古代あたりやとかなり貧相な飯食ってた奴らがそんな体力あんのかいっていう
普段歩きまくってたから現代人より体力あるよ派の人も多いけど

79: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)15:40:15 ID:yGL
>>78
秀吉の有名な大返しのときは下級の兵士は具足を脱ぎ捨てて
それこそ褌一つで走ったんじゃなかったかな。
具足は到着先で用意した。

金があった秀吉らしいやり方だ。

80: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)15:50:47 ID:v2c
>>79
秀吉軍の武士は甲冑を着て運ぶ甲着(かぶとぎ)って小者を連れてて武士は身軽な服装で移動して甲冑は甲着に着せて運んでた
甲冑を着るのは行李に入れて運ぶより楽なため

90: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)22:57:16 ID:00C
日本やと室町ごろで偉い人の平均身長が155くらいらしいから歩幅も結構変わるはずやで

83: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)16:04:56 ID:GfL
アッピア街道はイタリアの20世紀における自動車の普及が他国より早かった理由にもなってるからすごE
やっぱり機械以上に道路が重要やね

84: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)16:05:38 ID:GfL
東部戦線の泥沼も文字通り街道がぬかるんでろくに動けなかったのも理由やしなあ

88: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)16:30:16 ID:GfL
なお砲兵の移動スピード

89: 名無しさん@おーぷん 2017/04/13(木)16:57:32 ID:yGL
ナポレオンのグランダルメは行軍速度が非常に速かったことで有名。
行軍ルートの選定を現場に任せ、競争させることで。目的の
集結地に、当時の常識の半分の時間で到着したという。
主要な街道だけでなく間道まで使ったそうで、道という道が兵士で
あふれ、敵軍の間諜達は兵がどこに向かっているのかわからず、
混乱したそうだ。