1: イセモル ★ 2017/05/17(水) 08:55:46.42 ID:CAP_USER9
永谷園に「お茶漬け」について取材した。

5月17日は「お茶漬けの日」。

永谷園を創業した永谷嘉男氏の先祖で、江戸時代にお茶の製法を発明し煎茶の創始者として祀られている「永谷宗七郎(宗円)」氏の偉業をたたえ、同社が命日である5月17日に制定した。

お茶漬けのルーツは平安時代に

同社によると、お茶漬けのルーツは平安時代にさかのぼるという。

平安時代の文献に、ご飯に水やお湯をかけた手軽な食事「水飯」や「湯漬け」がたびたび登場するが、これがお茶漬けのルーツと言われているそう。

戦国時代には簡便な湯漬けは武士に愛され、織田信長と斎藤道三の初対面の際にも湯漬けを食べながらの一席となったという記録がある。

江戸時代になると、ありふれている事や容易なことが「こんなことは茶漬めしだ」と例えられるほど、お茶漬けは庶民の日常生活に浸透。

茶漬けを始めとする簡単な料理を出す「茶漬屋」も流行し、江戸各地に名物茶漬けが誕生した。

60年で140億食以上

「お茶漬けの日」制定のキッカケとなった永谷園の「お茶漬け海苔」は、永谷宗円から数え10代目で同社を創業した永谷嘉男と、その父親である9代目の親子が完成させ、1952年(昭和27年)に発売した。

発売からの60年間で食べられた同商品の数は、なんと140億食以上。これまでに食べられた小袋を縦につなげると、地球35周分もの長さになるとか。

また、使われたお湯の量は210万KL以上、ご飯の量は140万トン以上。

これまで売り上げたお茶漬けの「あられ」の数は2450億本以上で、横に並べると500万kmを超え、地球から月を6往復以上する距離に匹敵するという。

*****
引用ここまで
お茶漬けには牛乳が合う等の話は下記引用元でご確認ください|ω・)
https://irorio.jp/nagasawamaki/20170517/400296/
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1494978946/

3: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 08:58:00.77 ID:KbTiJW4S0
茶粥とは違うの?

15: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 09:01:24.77 ID:824FeOsc0
>>3
生米と茶葉を一緒に炊くのが茶粥。手間がかかる。

177: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 11:54:56.28 ID:S9xLdiI+0
>>3
朝炊いて時間経って固くなった飯に水や湯掛けて
喰いやすく再生させるのが湯漬け(金持ちは茶漬け)の起源

粥は煮るから別物

12: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 09:00:12.10 ID:xPg25XO70
お湯かお茶か論争

20: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 09:03:56.01 ID:8Qs+pGO50
昔は冷めたご飯を暖かく食べるだけのものだった 

いわゆる湯漬けって奴

193: (関東・甲信越) 2017/05/17(水) 12:46:18.83 ID:RftF9qH/O
>>20>>40>>70>>95 にあるように朝炊いて櫃に移して喰う。 
もちろん朝炊いて朝喰うのは当主筋で、食客はきのうの朝炊いた冷や飯を食った。それは残して備えるためであった。 
残して備える考えかたは米そのものにもある。備蓄しておいたいちばん古い米蔵を開けて順番に籾を脱穀し玄米を衝いて喰った。 
こうして後へ後へ食い物を残していくのは異変に備える常のかたちだ。

55: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 09:18:50.67 ID:GzUkBCgCO
そも、炊飯は朝の一回だけ!な時代。昼は握り飯、晩は湯漬けが当たり前だった。 
戦場だと"干し飯"を湯戻ししたり…

71: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 09:29:49.83 ID:NGNfk8SP0
湯漬けか。 
信玄も湯漬けが好きだったらしいな。

244: 名無しさん@1周年 2017/05/18(木) 06:42:53.60 ID:yop7L1bx0
勘違いしてるのがいるが、別にご飯に水だけとかお湯だけかけるってわけじゃない 
その大名によって違った付け合せみたいなのがあった、例えば味噌乗せたり塩魚乗せたりとかな

7: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 08:58:52.29 ID:c7m0wDlo0
北条氏政が汁かけ飯について
こだわりの一言↓

9: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 08:59:16.49 ID:96+A8QSF0
食べる分だけ汁をかける
少しずつ少しずつ
CcTANisUkAAmaN8
41: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 09:10:47.04 ID:5nsvrXUn0
>>29
貴族的な顔してるから許すわ

北条五代は系列同じ顔で代重ねるごとに整ってきてるのが面白い

16: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 09:01:59.61 ID:qQqMgBw20
 
「茶」つっても塩の効いた出汁だからな。そりゃ美味い。

子供の頃にお茶漬けという言葉を初めて聞いた時、「緑茶にご飯とかマズイだろwww」と思ったものだ。
まあ食ったら「これお茶じゃねーし…」と思ったのも懐かしい思い出。

しかしなんで塩のきいた出汁を「茶」つーんだろうな。
いまだにわからん。

21: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 09:04:03.12 ID:824FeOsc0
>>16
酒の締めで番茶をかけるだけだったが飲み屋で佃煮をつけて出すようになった

24: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 09:05:11.96 ID:RAhBIgq10
深夜に帰宅した時、茶碗と永谷園が用意されていたので、「さすが嫁。ごめんな、ありがとう」
という気持ちで炊飯器を開けたら米がなかった時のイライラ感は異常

32: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 09:07:58.18 ID:QnI21UZlO
時代小説読んでると
ご飯に水だけぶっかけて
食べてたりするけど
不味いだけやろ

40: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 09:10:27.46 ID:8Y3BgUIE0
用心棒で三船敏郎が冷えた飯に湯かけただけの湯漬けを食うんだけど
妙に美味そうなんだよな

102: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 09:52:08.27 ID:oh6XJB2R0
大河の太平記とか見てると湯漬けが旨そうに見えるから不思議

38: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 09:09:26.50 ID:8CL7Un4h0
ここまで、ぶぶ漬けなし

80: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 09:38:41.19 ID:cdDYwV4g0
まあ、歌舞伎に茶漬け食べる場面があるんだから、江戸時代には既にあったんだろう

86: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 09:44:42.83 ID:DvOLVOJg0
>平安時代の文献に、ご飯に水やお湯をかけた手軽な食事「水飯」や「湯漬け」がたびたび登場するが、
これがお茶漬けのルーツと言われているそう。


「お茶」の要素が入ってないとアカンだろ

ごはんに水か湯をかけて食べるとか
あまりに原始的な形態すぎる

92: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 09:49:09.40 ID:sHOPHB170
>>86
昔の人たちからしたら
お茶みたいな高価で貴重なモノを
ご飯にかけるとかもったいと思ってたんじゃねえの

87: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 09:46:03.61 ID:G5VyJ+uy0
戦国時代は茶は高価で、抹茶だったし

茶漬けは元禄くらいからだね

98: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 09:50:45.61 ID:ZjQQvVnp0
干し飯(一旦炊いた飯を乾燥させ、バラバラにほぐしたもの)
焼き飯(生の米を炒ったもの)

が江戸時代まで有りまして、湯漬けはこれを美味しく食べる手段だったわけ。

99: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 09:51:28.87 ID:GzUkBCgCO
江戸期、煎茶が庶民に広まってから湯漬け→茶漬けへと変遷したものかと。

104: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 09:55:33.38 ID:qBQrIfNu0
今昔物語に水飯の笑い話がのっていたな。
太り過ぎた男がダイエットめざし医者の勧めで水飯を取り入れたが効果がない
苦情を受けた医者が食事の様子を見に行くと想像を絶するお代りの連続で大量に喰ってたって話
小魚の酢漬け的なのがおかずの中心だったような記憶

109: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 10:00:16.09 ID:qBQrIfNu0
三条中納言、水飯を食う語 (現代語訳)
探したらあった。
http://yamanekoya.jp/konzyaku/konzyaku_28_23_trans.html

110: 名無しさん@1周年 2017/05/17(水) 10:00:53.43 ID:DvOLVOJg0
茶漬けのルーツに湯漬けとか入れだしたらどこまでもさかのぼれるよな
なんで平安時代なんだ

>乙巳の変の折、蘇我入鹿の暗殺を命じられた佐伯子麻呂と葛城稚犬養網田が、
宮中におもむく前、水をかけた飯を食べて臨んだ、という逸話が『日本書紀』に
おける記述にみられることから、少なくとも飛鳥時代までには、上流社会に
おいてこの食べ方が一般的であったことをうかがい知ることができる。