1: 右大臣・大ちゃん之弼 ★ 2017/08/05(土) 19:39:37.23 ID:CAP_USER9
あの偉人たちは「定年後」どんな生活をしていたのだろうか? まずは、征夷大将軍として鎌倉幕府を開いた源頼朝(1147~1199)。日本の歴史の転換を成し遂げた人物であるが、その晩年は謎に包まれている。歴史研究家の河合敦氏(多摩大学客員教授)が解説する。

「鎌倉幕府の正史『吾妻鑑』には、頼朝が死ぬ前後の1196年1月から1199年1月までの3年間の記述が欠落しているのです。同時代の他の文献には、頼朝の死は“急死”とも“過労”とも“糖尿病”とも記されている。

『吾妻鑑』では死因を“相模川大橋の落成式の帰りに落馬し、それがもとで亡くなった”としていますが、それが記されたのは頼朝が死んでから13年後です。つまり、死因は定かでないうえに、『吾妻鑑』は幕府に都合良く書き換えられた可能性があります。そのため、頼朝は暗殺されたという説も根強いのです」

「三方一両損」の“大岡裁き”で名を残す江戸時代の町奉行・大岡忠相(1677~1752)はこんな目に遭った。

 忠相が町奉行の時代、江戸では米価が低迷しているのに、その他の物価が上がるという現象が起きた。そうなると、米で給料を受け取る武士たちは生活に困る。

「忠相は“両替商が金と銀の為替を不正に操作している”と思い込み、両替商を厳しく処罰しました。怒った両替商たちが幕府の高官に談判した結果、忠相は旗本でありながら大名の役職である寺社奉行に配置転換されました。

その頃の寺社奉行は若手大名のポスト。60歳を過ぎて赴任した忠相は、若い奉行たちから『ここはあなたのような人が来るところではない』と追い返されるなど、“陰湿なイジメ”を受けたという記録があります」(前出・河合氏)

 名裁判官といえど、争いの当事者になればその能力は役に立たなかったようだ。

 頓知(とんち)の問答で知られ、アニメにもなった禅僧の一休宗純(1394~1481)は、臨終の間際に「死にとうない」と、率直ではあるがごく普通のつまらない言葉を残している。死に際まで頓知を利かせる余裕はなかったのだろうか。

※週刊ポスト2017年8月11日号


https://www.news-postseven.com/archives/20170805_600717.html?PAGE=1#container
2017.08.05 16:00
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1501929577/
10: 名無しさん@1周年 2017/08/05(土) 19:47:04.61 ID:GKvaIuSH0
>>1
一休の最期の言葉、全然つまらなくないだろ。
僧職にあるものが87歳にして、なお生に執着するってすごいやん。

19: 名無しさん@1周年 2017/08/05(土) 19:52:29.95 ID:QpK260xy0
>>10
あとで「だったっけ?」とかけろっと言いそうなのが禅僧

45: 名無しさん@1周年 2017/08/05(土) 22:03:13.99 ID:68zwDO+k0
>>10
まだ若き修行僧の頃の一休は「生きるのが辛くて死にたい」と言っていた

それが年を取ってから若い愛人を作り人生を謳歌し始めてしまったので
病の床で愛人と別れたくないから「死にとうない」と言って逝ってしまった

人はこうも変わるものなんだなと・・・

22: 名無しさん@1周年 2017/08/05(土) 19:58:19.84 ID:P7vsRJCX0
>>1
町奉行が、幕府に嫌われてるだけで、別に越前の問題ではない。
片割れの鳥居だってロクな死に方ではない。

12: 名無しさん@1周年 2017/08/05(土) 19:48:35.94 ID:5iQa1tFm0
おくま事件で大岡忠相のキチガイっぷりったら酷いものだ

14: 名無しさん@1周年 2017/08/05(土) 19:49:23.83 ID:ZvUGfJNt0
参考画像

105: 名無しさん@1周年 2017/08/06(日) 08:06:50.30 ID:bsGhnIUQ0
>>14
どう見ても偽黄門御一行様です

20: 名無しさん@1周年 2017/08/05(土) 19:53:55.40 ID:ypfX+8fJ0
大岡忠相でさえジャップのイジメ文化には逆らえんのか‥‥

24: 名無しさん@1周年 2017/08/05(土) 19:59:25.87 ID:dV7Fp5+H0
つーか、暴れん坊将軍が馬鹿だったの

大名じゃないのに寺社奉行にしたから、詰め所に入れなかった
途中で気づいて、寺社奉行の専用の詰め所設置した

85: 名無しさん@1周年 2017/08/06(日) 01:03:28.96 ID:4xxksvdC0
>>24
暴れん坊将軍は江戸っ子じゃないからな
そういう機微が分からんかったんだろうな

31: 名無しさん@1周年 2017/08/05(土) 20:11:40.96 ID:dV7Fp5+H0
でも、大岡忠相は、加増してもらって大名になってるから、結果的にラッキーなんだよね

35: 名無しさん@1周年 2017/08/05(土) 20:16:16.46 ID:NXJizjfC0
60過ぎても異動させられたのか
息子に跡目を譲って楽隠居だとばかり

37: 名無しさん@1周年 2017/08/05(土) 20:24:22.48 ID:QskHMt3I0
>臨終の間際に「死にとうない」と、率直ではあるがごく普通のつまらない言葉を残している。
>死に際まで頓知を利かせる余裕はなかったのだろうか。

書いたヤツの人間性が表れてるな
軽蔑するわ

38: 名無しさん@1周年 2017/08/05(土) 20:24:48.10 ID:FhnNPBsA0
「武士 家督相続年齢」で、ぐぐったらこんなこと書いてあった
武士の相続
http://history.c.ooco.jp/souzoku.htm
> まず、家督相続であるが子の成長に合わせ、自分は隠居しなければならない。元服する
>年齢は15歳が普通であり、隠居年齢は50歳が適齢であったようである。武士は軍役を
>担うのが建前であるから、あまり高齢で現役というのは無理があることになる。
還暦過ぎてもなぜ隠居しなかったんだろ?

41: 名無しさん@1周年 2017/08/05(土) 21:01:43.78 ID:bdIQCuc70
>>38
親子で出仕するとか幕府でも藩でも普通にあるぞ
別に家長でなければならないわけではない

72: 名無しさん@1周年 2017/08/05(土) 23:31:57.57 ID:jf3QZ9wV0
>>38
太田なんぽ(なおじろう)などは悲劇的だ。
息子が今で言う神経症、いやもっとひどいのか?になって
隠居したくても隠居できず。
 やむを得ず現役を続けて、72歳だったか、登城中に落馬して
(たぶん、脳卒中を起こし)世を去る。

42: 名無しさん@1周年 2017/08/05(土) 21:04:07.68 ID:xRcwW/8T0
毎日が日曜日なら楽しいだろなと思ってたこともあったけど暇だね 何しよう

49: 名無しさん@1周年 2017/08/05(土) 22:34:39.15 ID:JcC/XHHm0
寺社奉行って三奉行の筆頭だから、町奉行より格上だったはずだけど

64: 名無しさん@1周年 2017/08/05(土) 23:13:58.94 ID:mYTKwfHi0
>>49
そう栄転には違いない。
若手キャリアのポジションにノンキャリが紛れ込んだようなもんだな

51: 名無しさん@1周年 2017/08/05(土) 22:36:35.31 ID:FVqsU47U0
寺社奉行は奏者番を兼ねるのが普通やったけど、大岡は奏者番じゃなかったからな
寺社奉行として出仕したところ、ここは奏者番のいる場所やでって言われたの

68: 名無しさん@1周年 2017/08/05(土) 23:21:54.31 ID:mh9oMJc30
>>51
大河ドラマの八代将軍吉宗でそのシーン見た

53: 名無しさん@1周年 2017/08/05(土) 22:39:56.41 ID:JcC/XHHm0
でもその頃は1万石もらってて旗本と言うより大名だったから、いじめなんてあり得るかねえ

54: 名無しさん@1周年 2017/08/05(土) 22:43:22.08 ID:X9orrohu0
蔵前の札差しのように悪人とされた者たちが江戸から消えるまで、さぞや独りで渡り合うのは
大変だったと思われる

62: 名無しさん@1周年 2017/08/05(土) 23:09:07.06 ID:bdIQCuc70
「死にとうない」ってのは仙厓義梵の話なのかと思ってたが一休宗純にもあったのね 
悟りを開いた高僧としてしかるべき言葉を遺して死ぬのを期待されてるのであえて俗なセリフを吐いてみせるってのも禅僧ならでは

75: 名無しさん@1周年 2017/08/05(土) 23:38:51.77 ID:58pMmNwr0
昔読んだ一休さんの伝記では「死にとうない」ってのは
死の間際でも生に執着できるほど人生ってのは面白い、また逆に
人生がいくら面白くても必ず人間は死んでしまうのだから悔いのないように生きようっていう教えだと書いてかったけどな
まあ大岡越前も与えられた環境で得るものがあっただろうし受け取り方次第だってことよ

76: 名無しさん@1周年 2017/08/05(土) 23:39:33.13 ID:AgJxAYyK0
まあ大岡越前は大変よねえ。同僚が上様にドンドン粛清されるんだから

「上様がこのような所に来られるはずがない」
「恐れ多くも上様の名を騙る不届き者(痴れ者)だ」
「こ奴は上様ではない」
「上様の顔を忘れた」
「何をほざくか素浪人が」
「この者はめ組の用心棒よ」
「ここで死ねばただの徳田新之助」
「上様とて構わぬ」
「かくなる上は、お手向かいいたしますぞ」
「八代将軍も今宵限りよ」
「ここで死ねばただの狼藉者」
「上様のお命頂戴致せ」
「あいにく此処は我が屋敷。上様だろうとて殺してしまえば五里霧中」
「お一人でお忍びとはもっけの幸い」
「何をほざくか吉宗。良い所に現れたものよ」
「飛んで火に入る夏の虫とはこの事よのぉ」
「吉宗の首を我が殿、宗春公に差し出せ」
「もはやこれまで、かくなる上は……」
「上様に取り付いた死神になりましょう」
「腹を切るのは拙者ではなく、上様の方じゃ」
「上様……、お手向かい致しますぞ……!」
「悪党らしく死に花を咲かせてくれるわ」
「そこまでばれているのなら、毒を食うは皿まで」
「もはやこれまで、斬れ! 斬れ!」
「我ら幕閣(幕臣、幕客)あっての上様ではないか」
「上様と太刀交えるは武門の誉れ」
「そんな事をしては、こっちの身の破滅」

77: 名無しさん@1周年 2017/08/05(土) 23:44:55.64 ID:wmOVhZvf0
>>76
粛清されまくっても幕政に問題が出てないから、
そいつらの後任の悪人達もみんな優秀だったんだろうね。

100: 名無しさん@1周年 2017/08/06(日) 07:43:29.73 ID:MPoikVKOO
>>76
よう集められた
見事じゃ

88: 名無しさん@1周年 2017/08/06(日) 04:28:00.23 ID:yKFwEtj00
大河ドラマの吉宗で
江戸城の食事会で幹部の部屋に席がない!って
越前がゴネてるシーンがあったけど
あれもイジメだったのか

90: 名無しさん@1周年 2017/08/06(日) 04:30:07.94 ID:7yGrR8PP0
町奉行って激務過ぎて死ぬ人多かったんだっけ?

98: 名無しさん@1周年 2017/08/06(日) 07:18:58.97 ID:S1Qo11O80
>>90
都知事と警視総監と
高裁判事とか全部兼ねてるぐらいの
激務だから
あとは消防のトップとか

110: 名無しさん@1周年 2017/08/06(日) 09:13:06.99 ID:i9o0eTvr0
大岡はあまりの激務で長年痔に苦しんでたらしいけどな。
歩くのもままならない状態で倹約幕府も例外的に忠相だけは籠屋の利用を認めてたとか。

107: 名無しさん@1周年 2017/08/06(日) 08:27:35.47 ID:EsWd97GY0
鬼の平蔵ってさ、よくこのやり方で冤罪生み出さずに逮捕できたよね?www
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