566: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:02:36 ID:Rpv
諸葛亮、字孔明、琅邪陽都人也。漢司隸校尉諸葛豐後也。父珪、字君貢、漢末爲太山郡丞。亮、早孤。
諸葛亮は字を孔明といい、琅邪郡陽都の人である。漢の司隸校尉諸葛豊の後裔である。父諸葛珪は字を君貢といい、漢末に太山郡の丞であった。諸葛亮は早くして孤児となった。
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1501927686/諸葛亮は字を孔明といい、琅邪郡陽都の人である。漢の司隸校尉諸葛豊の後裔である。父諸葛珪は字を君貢といい、漢末に太山郡の丞であった。諸葛亮は早くして孤児となった。
567: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:03:28 ID:Rpv
從父玄、爲袁術、所署豫章太守。玄、將亮及亮弟均、之官。會漢朝、更選朱皓代玄。玄、素與荊州牧劉表有舊、往依之。玄卒。
おじの諸葛玄は袁術に豫章太守に任命された。諸葛玄は諸葛亮とその弟の諸葛均を率いて官職に就いた。そのとき漢朝は改めて朱皓を諸葛玄の代わりに選んだ。諸葛玄は平素より荊州牧劉表と旧交があったため、行ってこれを頼った。諸葛玄が亡くなった。
おじの諸葛玄は袁術に豫章太守に任命された。諸葛玄は諸葛亮とその弟の諸葛均を率いて官職に就いた。そのとき漢朝は改めて朱皓を諸葛玄の代わりに選んだ。諸葛玄は平素より荊州牧劉表と旧交があったため、行ってこれを頼った。諸葛玄が亡くなった。
568: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:04:11 ID:Rpv
諸葛亮は自ら田畑を耕し、好んで梁父吟(※1)を歌った。身長は八尺(193.6cm)で、常に自らを管仲(※2)、楽毅(※3)に比していたが、その時代の人で認めるものはいなかった。ただ博陵の崔州平、潁川の徐庶元直は諸葛亮と友好を結び、その通りだと信じていた。
586: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:18:19 ID:5aL
>>568
管仲楽毅に例えるという間違いなく中二病炸裂させてるエピソード好き
なお間違いではなかった模様
管仲楽毅に例えるという間違いなく中二病炸裂させてるエピソード好き
なお間違いではなかった模様
587: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:19:27 ID:Rpv
>>586
流石に楽毅には劣るけど管仲とはいい勝負やとワイは思うで
諸葛ってやっぱすげーわ
流石に楽毅には劣るけど管仲とはいい勝負やとワイは思うで
諸葛ってやっぱすげーわ
569: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:04:22 ID:Rpv
※1斉の晏嬰の知略を称えた詩
※2斉の桓公に仕えた名宰相 持ち前の政治力で斉を強国に変え、桓公を覇者に持ち上げた人物
産業を促進させ、有能な人材を引き上げ、軍事力を高めた
魏の管寧の祖先でもある
当時強大であった斉を倒したいという昭王の意向を受け、連合を組んで攻めることを進言した
その後、趙、魏、韓、秦を説得して味方に引き入れ、七十余りある斉の城を莒、即墨の二つ以外すべて陥落させた
570: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:05:23 ID:Rpv
時、先主屯新野。徐庶見先主、先主器之、謂先主曰「諸葛孔明者、臥龍也。將軍、豈願見之乎」
時に先主(劉備)は新野に駐屯していた。徐庶は劉備に会い、劉備はこれを目にかけ、(徐庶は)劉備に言った「諸葛孔明(諸葛亮)という者は伏した龍です。将軍はどうしてこれを見ようとしないのですか」
時に先主(劉備)は新野に駐屯していた。徐庶は劉備に会い、劉備はこれを目にかけ、(徐庶は)劉備に言った「諸葛孔明(諸葛亮)という者は伏した龍です。将軍はどうしてこれを見ようとしないのですか」
571: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:06:15 ID:Rpv
先主曰「君、與?來」庶曰「此人、可就見、不可屈致也。將軍、宜枉駕顧之」由是、先主遂詣亮。
劉備は言った「君が共に連れて来てくれ」徐庶は言った「この人は見に行くことが出来ますが、連れて来ることは出来ません。将軍が来訪されて会いに行くのがよろしいでしょう」こうして劉備は遂に諸葛亮の元へ赴いた。
劉備は言った「君が共に連れて来てくれ」徐庶は言った「この人は見に行くことが出来ますが、連れて来ることは出来ません。将軍が来訪されて会いに行くのがよろしいでしょう」こうして劉備は遂に諸葛亮の元へ赴いた。
572: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:07:59 ID:Rpv
凡三往、乃見。因、屏人、曰「漢室傾?、姦臣竊命、主上蒙塵。孤、不度德量力、欲信大義於天下。
おおよそ三度行き、会うことが出来た。こうして人払いして言った「漢室は傾き崩れ、奸臣は天命を窺い、天子は都を逃げられました。私は徳を量らず力を量らず、天下に大義を示そうとしている。
おおよそ三度行き、会うことが出来た。こうして人払いして言った「漢室は傾き崩れ、奸臣は天命を窺い、天子は都を逃げられました。私は徳を量らず力を量らず、天下に大義を示そうとしている。
573: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:08:45 ID:Rpv
而智術淺短、遂用猖獗、至于今日。然、志猶未已。君謂計、將安出?」
しかし知略は浅はかで、遂に悪事を用いずに今日に至る。しかれども、志は未だ止まない。君はどのように計るべきだと言うか?」
しかし知略は浅はかで、遂に悪事を用いずに今日に至る。しかれども、志は未だ止まない。君はどのように計るべきだと言うか?」
574: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:09:38 ID:Rpv
亮答曰「自董卓已來、豪傑並起。跨州連郡者、不可勝數。曹操、比於袁紹則名微而衆寡。然、操遂能克紹、以弱爲強者、非惟天時、抑亦人謀也。
諸葛亮は答えて言った「董卓がやって来てから、豪傑が並び立ちました。州を跨ぎ群を連ねる者は数えることが出来ません。曹操は袁紹と比べると名は小さく寡兵でした。しかしながら、曹操は遂に袁紹に勝ち、弱者は強者となって、それはただ天の時を得たのではなく、人の謀によるものです。
諸葛亮は答えて言った「董卓がやって来てから、豪傑が並び立ちました。州を跨ぎ群を連ねる者は数えることが出来ません。曹操は袁紹と比べると名は小さく寡兵でした。しかしながら、曹操は遂に袁紹に勝ち、弱者は強者となって、それはただ天の時を得たのではなく、人の謀によるものです。
575: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:10:33 ID:Rpv
今操已擁百萬之衆、挾天子而令諸侯、此誠不可與爭鋒。孫權、據有江東、已?三世、國險而民附、賢能爲之用、此可以爲援而不可圖也。
今、曹操は既に百万の兵を擁し、天子を差し挟んで諸侯に号令し、これは誠に鋒を争うべきではありません。孫権は江東に拠り既に三世の歴史があり、国は険阻で民は懐き、賢者を用い、これは援助を貰うべきで計ってはなりません。
今、曹操は既に百万の兵を擁し、天子を差し挟んで諸侯に号令し、これは誠に鋒を争うべきではありません。孫権は江東に拠り既に三世の歴史があり、国は険阻で民は懐き、賢者を用い、これは援助を貰うべきで計ってはなりません。
576: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:11:19 ID:Rpv
荊州、北據漢沔、利盡南海、東連?會、西通巴蜀、此用武之國、而其主不能守。此、殆天所以資將軍、將軍豈有意乎?
荊州は北を漢水、沔水に拠り、南の海はことごとく利があり、東は呉会に連なって、西は巴蜀に通じ、これは武を用いる国ですが、その主は守りきることが出来ません。これは天が将軍に与えた所で、将軍はその意がありますか?
荊州は北を漢水、沔水に拠り、南の海はことごとく利があり、東は呉会に連なって、西は巴蜀に通じ、これは武を用いる国ですが、その主は守りきることが出来ません。これは天が将軍に与えた所で、将軍はその意がありますか?
577: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:12:06 ID:Rpv
益州、險塞沃野千里天府之土、高祖因之以成帝業。劉璋、闇弱。張魯在北、民殷國富而不知存恤、智能之士、思得明君。
益州は険阻で肥沃な千里の土地があり、高祖はこれによって帝業を成しました(※)。劉璋は暗愚です。張魯は北にあり、民は多く国は富んでおりますが哀れみを知らず、智恵のある士は名君を得たいと思っております。
※高祖は漢を興した劉邦のことで、彼は項羽に命じられて蜀に流されたが、ここを基盤とし、後に項羽を破り帝位に就いた
益州は険阻で肥沃な千里の土地があり、高祖はこれによって帝業を成しました(※)。劉璋は暗愚です。張魯は北にあり、民は多く国は富んでおりますが哀れみを知らず、智恵のある士は名君を得たいと思っております。
※高祖は漢を興した劉邦のことで、彼は項羽に命じられて蜀に流されたが、ここを基盤とし、後に項羽を破り帝位に就いた
578: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:13:07 ID:Rpv
將軍、既帝室之冑、信義著於四海、總攬英雄、思賢如?。若跨有荊益、保其巖阻、西和諸戎、南撫夷越、外結好孫權、?脩政理。
将軍は帝室の末裔で、信義は天下に及び、英雄を掌握し、賢者を渇望しておられます。もし荊州、益州を所有されるならその険阻を保ち、西の諸々の異民族と和を講じ、南の異民族を慰撫し、外で孫権と誼を結び、内に政を修めるのです。
将軍は帝室の末裔で、信義は天下に及び、英雄を掌握し、賢者を渇望しておられます。もし荊州、益州を所有されるならその険阻を保ち、西の諸々の異民族と和を講じ、南の異民族を慰撫し、外で孫権と誼を結び、内に政を修めるのです。
579: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:14:11 ID:Rpv
天下有變、則命一上將、將荊州之軍以向宛洛、將軍身率益州之衆出於秦川、百姓孰敢不?食壺漿以迎將軍者乎。誠如是則霸業可成、漢室可興矣」
天下に変があれば一人の上将に命じ、荊州の軍を率いて宛、洛陽に向かい、将軍は益州の兵を自ら率いて秦川に出れば、百姓のいずれも食事や飲み物をもって将軍を迎えぬ者がおりましょうか。誠にこの通りにすれば覇業を成すことが出来、漢室が再興されましょう」
天下に変があれば一人の上将に命じ、荊州の軍を率いて宛、洛陽に向かい、将軍は益州の兵を自ら率いて秦川に出れば、百姓のいずれも食事や飲み物をもって将軍を迎えぬ者がおりましょうか。誠にこの通りにすれば覇業を成すことが出来、漢室が再興されましょう」
580: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:15:11 ID:Rpv
ここまでが有名な天下三分の計やな
劉備がこれ以降この諸葛亮の策に従って動いていくことは先主(劉備)伝などを読んでいけばわかるで
劉備がこれ以降この諸葛亮の策に従って動いていくことは先主(劉備)伝などを読んでいけばわかるで
581: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:15:24 ID:Rpv
先主曰「善」於是、與亮情好日密。關羽張飛等不悅、先主解之曰「孤之有孔明、猶魚之有水也。願諸君勿復言」羽飛乃止。
劉備は言った「良し」これにおいて、諸葛亮との親密さは日に日に密となった。関羽、張飛らは喜ばず、劉備はこれを説明して言った「私に孔明(諸葛亮)があるのは、魚に水があるのと同じだ。諸君は再び言わないでくれ」関羽、張飛はこうして言わなくなった。
劉備は言った「良し」これにおいて、諸葛亮との親密さは日に日に密となった。関羽、張飛らは喜ばず、劉備はこれを説明して言った「私に孔明(諸葛亮)があるのは、魚に水があるのと同じだ。諸君は再び言わないでくれ」関羽、張飛はこうして言わなくなった。
584: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:16:59 ID:Rpv
劉表長子琦、亦深器亮。表、受後妻之言、愛少子琮、不悅於琦。琦、?欲與亮謀自安之術、亮輒拒塞未與處畫。
劉表の長男劉琦もまた諸葛亮を評価した。劉表は後妻の言葉を受けて、幼子の劉琮を愛し、劉琦を喜ばなかった。劉琦は度々諸葛亮と自らを安んずる術を計ろうとしたが、諸葛亮はその度拒んで計画はしなかった。
劉表の長男劉琦もまた諸葛亮を評価した。劉表は後妻の言葉を受けて、幼子の劉琮を愛し、劉琦を喜ばなかった。劉琦は度々諸葛亮と自らを安んずる術を計ろうとしたが、諸葛亮はその度拒んで計画はしなかった。
585: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:18:00 ID:Rpv
琦乃將亮、游觀後園、共上高樓、飲宴之間、令人去梯、因謂亮曰「今日、上不至天、下不至地。言、出子口、入於吾耳。可以言未?」
劉琦はこうして諸葛亮と共に裏の園を遊覧し、共に高楼に上り、宴の間に人に梯子を片付けさせ、諸葛亮に言って曰く「今日のことは、上は天に届かず、下は地に届きません。言葉はあなたの口から出て、私の耳に入るだけです。言うべきことはありませんか?」
劉琦はこうして諸葛亮と共に裏の園を遊覧し、共に高楼に上り、宴の間に人に梯子を片付けさせ、諸葛亮に言って曰く「今日のことは、上は天に届かず、下は地に届きません。言葉はあなたの口から出て、私の耳に入るだけです。言うべきことはありませんか?」
588: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:19:40 ID:Rpv
亮答曰「君不見、申生在?而危、重耳在外而安乎?」琦意感悟、陰規出計。會?祖死、得出、遂爲江夏太守。
諸葛亮は答えて言った「君は申生の内にあって危うく、重耳の外にあって安きを見ないのですか(※)」劉琦はその意を悟り、密かに外に出ることを計った。この時黄祖は死んでおり、外に出ることが出来、遂に江夏太守となった。
諸葛亮は答えて言った「君は申生の内にあって危うく、重耳の外にあって安きを見ないのですか(※)」劉琦はその意を悟り、密かに外に出ることを計った。この時黄祖は死んでおり、外に出ることが出来、遂に江夏太守となった。
589: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:19:48 ID:Rpv
※晋の献公の寵姫であった驪姫は自分の子の奚斉を王位に就かせるため申生を暗殺し、重耳も殺そうとした
重耳は首都から遠ざけられていたことを幸いに、国外へ逃亡したため命を長らえた
後に重耳は王位を取り戻すこととなる
重耳は首都から遠ざけられていたことを幸いに、国外へ逃亡したため命を長らえた
後に重耳は王位を取り戻すこととなる
590: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:20:45 ID:Rpv
俄而表卒、琮聞曹公來征、遣使請降。先主、在樊聞之、率其衆南行。
まもなく劉表が亡くなり、劉琮は曹操が征伐しに来ると聞き、使者を遣わして降伏を請うた。劉備は樊に居てこれを聞き、そこの民衆を率いて南行した。
まもなく劉表が亡くなり、劉琮は曹操が征伐しに来ると聞き、使者を遣わして降伏を請うた。劉備は樊に居てこれを聞き、そこの民衆を率いて南行した。
591: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:22:28 ID:5aL
孔明は嫁の月英が蔡瑁の姪なんだよな
荊州でもめっちゃいい所に逆玉の腰してんのに劉表に仕える気なしとか良い根性しとるわ
荊州でもめっちゃいい所に逆玉の腰してんのに劉表に仕える気なしとか良い根性しとるわ
593: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:23:46 ID:Rpv
>>591
後で出て来るけど諸葛亮って隠者みたいに過ごそうとしてたんだよね
結局使えなくて正解だし
後で出て来るけど諸葛亮って隠者みたいに過ごそうとしてたんだよね
結局使えなくて正解だし
592: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:22:33 ID:Rpv
亮與徐庶並從、爲曹公所追破、獲庶母。庶、辭先主而指其心曰「本欲與將軍共圖王霸之業者、以此方寸之地也。
諸葛亮と徐庶は揃って従い、曹操に追われて破られ、徐庶の母が捕らわれた。徐庶は劉備に別れを告げてその心を示して言った「本来なら将軍と共に王道覇道の業を、この一寸四方の場所(※)で図ろうと思っておりました。
※心臓のこと
昔の人は心臓で思考すると考えていた
594: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:23:58 ID:Rpv
今已失老母、方寸亂矣、無益於事。請、從此別」遂詣曹公。
今既に老母を失い、一寸四方は乱れ、事において益はありません。ここで別れることを請います」遂に曹操の下に行った。
今既に老母を失い、一寸四方は乱れ、事において益はありません。ここで別れることを請います」遂に曹操の下に行った。
600: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:29:15 ID:5aL
>>592、594
ここの徐庶の胸中は色々と妄想できるなぁ
母親の事は別にして、もう劉備には付いていけへんわって感じだったかもしれん
ここの徐庶の胸中は色々と妄想できるなぁ
母親の事は別にして、もう劉備には付いていけへんわって感じだったかもしれん
601: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:30:12 ID:Rpv
>>600
ワイは劉備にずっと仕えていたいって感じに読んでたわ
そういう考えも面白いな
ワイは劉備にずっと仕えていたいって感じに読んでたわ
そういう考えも面白いな
595: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:24:58 ID:Rpv
先主至於夏口、亮曰「事急矣、請奉命求救於孫將軍」時、權擁軍在柴桑、觀望成敗。
劉備が夏口に到ると、諸葛亮は言った「事は急であり命を奉じて孫将軍(孫権)に救援を求めることを請います」この時、孫権は柴桑に居て軍を擁し、勝敗を傍観していた。
劉備が夏口に到ると、諸葛亮は言った「事は急であり命を奉じて孫将軍(孫権)に救援を求めることを請います」この時、孫権は柴桑に居て軍を擁し、勝敗を傍観していた。
596: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:26:23 ID:Rpv
亮?權曰「海?大亂。將軍、起兵據有江東。劉豫州、亦收衆漢南、與曹操並爭天下。
諸葛亮は孫権に説いて言った「天下は大いに乱れております。将軍は兵を興して江東に拠っております。劉豫州(劉備殿)もまた漢南の人々を収め、曹操と並んで天下を争っております。
597: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:27:22 ID:Rpv
今操、芟夷大難、略已平矣、遂破荊州、威震四海。英雄無所用武、故豫州遁逃至此。
今曹操は大難を除去し、大方平定し、遂に荊州を破り、天下を震撼させました。英雄は武を用いる所が無く、故に劉備殿は遁走するに至ったのです。
今曹操は大難を除去し、大方平定し、遂に荊州を破り、天下を震撼させました。英雄は武を用いる所が無く、故に劉備殿は遁走するに至ったのです。
599: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:28:10 ID:Rpv
將軍、量力而處之。若能以?越之衆、與中國抗衡、不如早與之?。若不能當、何不案兵束甲北面而事之。
将軍は力を量ってこれに対処されてください。もし呉越の兵をもって中原と拮抗出来るなら、早くこれと絶交するに越したことはありません。もし当たることが出来ないなら、どうして兵を参照し、甲冑を束ねて、北に行きこれに仕えないのでしょうか。
将軍は力を量ってこれに対処されてください。もし呉越の兵をもって中原と拮抗出来るなら、早くこれと絶交するに越したことはありません。もし当たることが出来ないなら、どうして兵を参照し、甲冑を束ねて、北に行きこれに仕えないのでしょうか。
601: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:30:12 ID:Rpv
>>599
すまんこれも誤訳や
中国では皇帝は南面、臣下は北面するって概念があるから
北に行くってわけではないで
すまんこれも誤訳や
中国では皇帝は南面、臣下は北面するって概念があるから
北に行くってわけではないで
602: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:30:29 ID:Rpv
今將軍、外託服從之名、而?懷猶豫之計。事急而不斷、禍至無日矣」
今将軍は外に服従の名を託し、内に猶予の計を抱いておられます。事が急であるのに決断しないなら、日を措かずして禍は至るでしょう」
今将軍は外に服従の名を託し、内に猶予の計を抱いておられます。事が急であるのに決断しないなら、日を措かずして禍は至るでしょう」
603: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:30:59 ID:5aL
この辺は魯粛伝と合わせると面白いよな
ヤツの身も蓋も無い打算だけの説得と、それにホイホイ乗る孫権は草生える
タテマエってものがあるだろうに、こんなん史書に載せるなよって感じだった
ヤツの身も蓋も無い打算だけの説得と、それにホイホイ乗る孫権は草生える
タテマエってものがあるだろうに、こんなん史書に載せるなよって感じだった
604: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:32:08 ID:Rpv
>>603
ぶっちゃけ陳寿は孫権なんてどうでもいいと思ってるからしかたないね
三国の君主のなかで唯一皇帝扱いされてないし
ぶっちゃけ陳寿は孫権なんてどうでもいいと思ってるからしかたないね
三国の君主のなかで唯一皇帝扱いされてないし
606: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:33:20 ID:5aL
>>604
確かに曹操や劉備なら絶対あんな書き方しないやろうなぁ
確かに曹操や劉備なら絶対あんな書き方しないやろうなぁ
605: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:32:19 ID:Rpv
權曰「苟如君言、劉豫州、何不遂事之乎」
孫権は言った「いやしくも君が言う通りなら、劉備殿は、何故これに仕えないのか」
孫権は言った「いやしくも君が言う通りなら、劉備殿は、何故これに仕えないのか」
607: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:34:20 ID:Rpv
亮曰「田橫、齊之壯士耳、猶守義不辱。況劉豫州、王室之冑、英才蓋世。
諸葛亮は言った「田横(※)は斉の壮士であるだけでしたが、なお義を守り辱められませんでした。ましては劉備殿は王室の末裔で、英才は世を蓋います。
諸葛亮は言った「田横(※)は斉の壮士であるだけでしたが、なお義を守り辱められませんでした。ましては劉備殿は王室の末裔で、英才は世を蓋います。
608: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:34:32 ID:Rpv
※秦末期の斉の王
高祖が天下を取ると以前より高祖と確執があったことから殺されるのを恐れて逃亡した
後に高祖に呼び出されると断り切れないと悟り、かつて共に王であった高祖の下に付き、自分が煮殺した酈食其の弟である酈商と同僚となることを恥じて自害した
高祖が天下を取ると以前より高祖と確執があったことから殺されるのを恐れて逃亡した
後に高祖に呼び出されると断り切れないと悟り、かつて共に王であった高祖の下に付き、自分が煮殺した酈食其の弟である酈商と同僚となることを恥じて自害した
609: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:35:23 ID:Rpv
衆士慕仰、若水之歸海。若事之不濟、此乃天也。安能復爲之下乎」
衆人は仰いで慕い、水を海に帰すがごときです。もし大事が成せなければ、それは天命でありましょう。どうしてまた(曹操の)下となれるのでしょう」
衆人は仰いで慕い、水を海に帰すがごときです。もし大事が成せなければ、それは天命でありましょう。どうしてまた(曹操の)下となれるのでしょう」
612: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:36:38 ID:Rpv
權勃然曰「吾不能、舉全?之地十萬之衆、受制於人。吾計、決矣。非劉豫州莫可以當曹操者。然、豫州新敗之後。安能抗此難乎」
孫権は勃発して言った「私は呉の全ての地の十万の兵を挙げ、人に制約を受けることなど出来ない。我が計は決まった。劉備殿でなければ曹操と当たる者などいないだろう。しかしながら、劉備殿は新たに敗れた後だ。どうしてこの難に対抗できるのか」
孫権は勃発して言った「私は呉の全ての地の十万の兵を挙げ、人に制約を受けることなど出来ない。我が計は決まった。劉備殿でなければ曹操と当たる者などいないだろう。しかしながら、劉備殿は新たに敗れた後だ。どうしてこの難に対抗できるのか」
613: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:37:10 ID:5aL
孔明「このまま降ったらお前は曹操以下なのは当然として劉備以下なんやでプゲラ」
心臓に毛が生えてると言わざるを得ない
心臓に毛が生えてると言わざるを得ない
615: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:38:21 ID:Rpv
>>613
藺相如みたいに命がけの説得だったのかもしくはものすごい鈍感だったか
前者だと思いたい
藺相如みたいに命がけの説得だったのかもしくはものすごい鈍感だったか
前者だと思いたい
614: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:37:39 ID:Rpv
亮曰「豫州軍、雖敗於長阪、今戰士還者及關羽水軍精甲萬人。劉琦合江夏戰士亦不下萬人。
諸葛亮は言った「劉備殿は長阪において敗れたといえども、今帰還した兵士と関羽の水軍の精鋭は併せて一万人です。劉琦の江夏の兵士を併せるとまた一万人を下りません。
諸葛亮は言った「劉備殿は長阪において敗れたといえども、今帰還した兵士と関羽の水軍の精鋭は併せて一万人です。劉琦の江夏の兵士を併せるとまた一万人を下りません。
616: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:38:36 ID:Rpv
曹操之衆、遠來疲弊。聞、追豫州、輕騎一日一夜行三百餘里。此所謂『彊弩之末、勢不能穿魯縞』者也。
曹操の兵士は遠方より来ております。聞くところによると、劉備殿を追って軽騎兵は一日中三百里余りを行軍したそうです。これはいわゆる『強弩の末、魯縞に入る能わず(※)』というものです。
曹操の兵士は遠方より来ております。聞くところによると、劉備殿を追って軽騎兵は一日中三百里余りを行軍したそうです。これはいわゆる『強弩の末、魯縞に入る能わず(※)』というものです。
617: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:38:45 ID:Rpv
※『史記』韓長孺列伝及び『漢書』韓安国伝より
強弩であっても最後には魯の絹を射貫くことは出来ない
勢いのある者でも終いには衰えて何も出来なくなってしまうことの例え
強弩であっても最後には魯の絹を射貫くことは出来ない
勢いのある者でも終いには衰えて何も出来なくなってしまうことの例え
618: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:39:36 ID:Rpv
故、兵法忌之、曰『必蹶上將軍』且、北方之人、不習水戰。又、荊州之民附操者、?兵勢耳、非心服也。
故に兵法はこれを忌み嫌い、曰く『必ず上将軍は倒れる(※)』です。かつ北方の人は水上戦に不慣れです。また、荊州の民で曹操に付いている者は、兵の勢いに迫られただけで、心服しているのではありません。
故に兵法はこれを忌み嫌い、曰く『必ず上将軍は倒れる(※)』です。かつ北方の人は水上戦に不慣れです。また、荊州の民で曹操に付いている者は、兵の勢いに迫られただけで、心服しているのではありません。
619: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:39:42 ID:uZB
諸葛亮は将軍としては大したことないって風潮あるけど、こいつの編み出した兵法は唐の頃猛威を振るったんよな
将軍としてのカテゴリーは軍人としてより理論家なんだろうな、グラウゼヴィッツとかそんな感じ
将軍としてのカテゴリーは軍人としてより理論家なんだろうな、グラウゼヴィッツとかそんな感じ
621: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:41:20 ID:Rpv
>>619
『李衛公問対』の李靖とかが参考にしとるしな
でもクラウゼヴィッツがわからん
『李衛公問対』の李靖とかが参考にしとるしな
でもクラウゼヴィッツがわからん
624: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:43:03 ID:5aL
全くの余談やけど超名将のはずの李靖が封神演義に転生して??のダメ親父になっとるのが、どうしてこうなった感がある
620: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:39:48 ID:Rpv
※『孫子』軍争篇より
『五十里先の利を争う時は、上将軍が倒れ、それはその半分が行きつくだけだからである』からの抜粋
五十里先の利益を求めて行軍を急がせると兵士の半分が脱落してしまい、先鋒の上将軍が倒されてしまうと言う意味
『五十里先の利を争う時は、上将軍が倒れ、それはその半分が行きつくだけだからである』からの抜粋
五十里先の利益を求めて行軍を急がせると兵士の半分が脱落してしまい、先鋒の上将軍が倒されてしまうと言う意味
622: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:41:33 ID:Rpv
今將軍、誠能命猛將統兵數萬、與豫州協規同力、破操軍必矣。操軍破、必北還。如此則荊?之勢彊、鼎足之形成矣。
今将軍が猛将に数万の兵を統率させて、劉備殿と協力すれば、曹操軍が敗れるのは必至です。曹操が敗れれば、必ず北に帰ります。こうすれば荊、呉の勢力は強くなり、鼎の足の形(※)となります。
※鼎の足は三本あり、即ち天下三分の形勢のことを指す
今将軍が猛将に数万の兵を統率させて、劉備殿と協力すれば、曹操軍が敗れるのは必至です。曹操が敗れれば、必ず北に帰ります。こうすれば荊、呉の勢力は強くなり、鼎の足の形(※)となります。
※鼎の足は三本あり、即ち天下三分の形勢のことを指す
623: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:42:32 ID:Rpv
成敗之機、在於今日」權大悅、?遣周瑜、程普、魯肅等水軍三萬。隨亮詣先主、?力拒曹公。
成功と失敗の機会は、今日においてあります」孫権は大いに喜び、すぐに周瑜、程普、魯粛ら水軍三万を遣わした。諸葛亮に随行させて劉備の元に行かせ、力を併せて曹操を拒ませた。
成功と失敗の機会は、今日においてあります」孫権は大いに喜び、すぐに周瑜、程普、魯粛ら水軍三万を遣わした。諸葛亮に随行させて劉備の元に行かせ、力を併せて曹操を拒ませた。
625: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:43:10 ID:Rpv
曹公、敗於赤壁、引軍歸?。先主遂收江南、以亮爲軍師中郎將、使督零陵、桂陽、長沙三郡。調其賦?、以充軍實。
曹操は赤壁において敗れ、軍を退かせ鄴に帰った。劉備は遂に江南を収め、諸葛亮を軍師中郎将とし、零陵、桂陽、長沙の三郡を督させた。賦税を調達し、軍費に充てた。
曹操は赤壁において敗れ、軍を退かせ鄴に帰った。劉備は遂に江南を収め、諸葛亮を軍師中郎将とし、零陵、桂陽、長沙の三郡を督させた。賦税を調達し、軍費に充てた。
630: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:46:01 ID:5aL
>>625
ここでようやく行政官諸葛亮が水を得たって感じやな
ここでようやく行政官諸葛亮が水を得たって感じやな
634: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:47:39 ID:Rpv
>>630
そういえばここからやな
そういえばここからやな
627: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:44:14 ID:Rpv
建安十六年益州牧劉璋、遣法正迎先主、使?張魯。亮、與關羽鎭荊州。
建安十六年(211年)、益州牧劉璋は法正を遣わして劉備を迎え、張魯を攻撃させた。諸葛亮は関羽と共に荊州を鎮めていた。
建安十六年(211年)、益州牧劉璋は法正を遣わして劉備を迎え、張魯を攻撃させた。諸葛亮は関羽と共に荊州を鎮めていた。
628: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:44:15 ID:uZB
南船北馬やな、実際魏はまともに長江を超えられなかったし
ただ、長期間荊州北部を抑えられて、トヨと司馬炎とかいう有能が揃って、呉がガタガタになったら流石に破られたけど
ただ、長期間荊州北部を抑えられて、トヨと司馬炎とかいう有能が揃って、呉がガタガタになったら流石に破られたけど
631: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:46:06 ID:Rpv
>>628
まさにその通りやと思うわ
それに加えてその時は蜀を下して川上を有してたしな
まさにその通りやと思うわ
それに加えてその時は蜀を下して川上を有してたしな
629: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:45:14 ID:5aL
赤壁本編は行間で終わってて草
まぁこの人の伝やとこんなもんか
まぁこの人の伝やとこんなもんか
631: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:46:06 ID:Rpv
>>629
意外やと思うけど正史の赤壁って皆こんなもんなんや
意外やと思うけど正史の赤壁って皆こんなもんなんや
632: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:46:16 ID:Rpv
先主、自葭萌還、攻璋。亮、與張飛趙雲等、率衆泝江、分定郡縣、與先主共圍成都。
劉備は葭萌から翻って劉璋を攻めた。諸葛亮は張飛、趙雲らと共に兵を率いて長江を遡り、分かれて郡県を平定し、劉備と共に成都を包囲した。
劉備は葭萌から翻って劉璋を攻めた。諸葛亮は張飛、趙雲らと共に兵を率いて長江を遡り、分かれて郡県を平定し、劉備と共に成都を包囲した。
633: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:46:31 ID:uZB
そういえば南蛮王孟獲を打ち破ったのは正史だと諸葛亮ではないんだっけ?
そして孟獲も官僚として出世してるとか
そして孟獲も官僚として出世してるとか
634: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:47:39 ID:Rpv
>>633
それは調べたことなかったわ
一応諸葛亮が南征したのは記録にあるけど孟獲を倒したとは書かれてへんし
それは調べたことなかったわ
一応諸葛亮が南征したのは記録にあるけど孟獲を倒したとは書かれてへんし
636: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:48:58 ID:5aL
>>633
そもそも孟獲は反乱の首謀者ですないですし
見りゃ解るけどあの辺は演義一ハチャメチャやってるから色々違いが面白いよな
そもそも孟獲は反乱の首謀者ですないですし
見りゃ解るけどあの辺は演義一ハチャメチャやってるから色々違いが面白いよな
635: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:47:50 ID:Rpv
成都平、以亮爲軍師將軍、署左將軍府事。先主外出、亮常鎭守成都、足食足兵。
成都が平定されると軍師将軍とし、左将軍府に割り当てた。劉備は外に出ると諸葛亮は常に成都を鎮め、食を充足させ兵を充足させた。
成都が平定されると軍師将軍とし、左将軍府に割り当てた。劉備は外に出ると諸葛亮は常に成都を鎮め、食を充足させ兵を充足させた。
637: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:49:21 ID:uZB
実は諸葛亮って軍を率いたのは結構遅いんだよな、ホウトウが死んでからだったと思うが
この辺りを見れば、劉備は諸葛亮をどう見てたかわかる、完全に宰相、政治家として扱って、ホウトウは軍の参謀だわ
この辺りを見れば、劉備は諸葛亮をどう見てたかわかる、完全に宰相、政治家として扱って、ホウトウは軍の参謀だわ
639: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:50:28 ID:Rpv
>>637
なるほど
確かに諸葛亮は龐統の後に入蜀したな
なるほど
確かに諸葛亮は龐統の後に入蜀したな
638: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:49:27 ID:Rpv
二十六年羣下、勸先主稱尊號、先主未許、亮?曰「昔、?漢耿?等、初勸世祖?帝位、世祖辭讓前後數四。
建安二十六年(221年)、群臣は劉備に尊号を称する(帝位に就く)ことを勧め、劉備が許諾しないと、諸葛亮は説いて言った「昔、呉漢、耿弇らは、初め世祖に帝位に即位することを勧め、世祖は断ること前後四回を数えました(※)。
※世祖は王莽を倒し漢を再興させた光武帝劉秀のこと
呉漢、耿弇、後述の耿純はその主だった配下
建安二十六年(221年)、群臣は劉備に尊号を称する(帝位に就く)ことを勧め、劉備が許諾しないと、諸葛亮は説いて言った「昔、呉漢、耿弇らは、初め世祖に帝位に即位することを勧め、世祖は断ること前後四回を数えました(※)。
※世祖は王莽を倒し漢を再興させた光武帝劉秀のこと
呉漢、耿弇、後述の耿純はその主だった配下
640: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:50:45 ID:Rpv
耿純進言曰『天下英雄、喁喁、冀有所望。如不從議者、士大夫各歸求主、無爲從公也』世祖、感純言深至、遂然諾之。
耿純は進言して言いました『天下の英雄は仰ぎ慕い、(帝位を)所望することをこいねがっております。もしこの議論をする者に従わなければ、士大夫は各々帰って主を求め、公に従うことは無いでしょう』世祖は耿純の言葉に深く感じ入り、遂にこれを許諾しました。
耿純は進言して言いました『天下の英雄は仰ぎ慕い、(帝位を)所望することをこいねがっております。もしこの議論をする者に従わなければ、士大夫は各々帰って主を求め、公に従うことは無いでしょう』世祖は耿純の言葉に深く感じ入り、遂にこれを許諾しました。
642: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:52:16 ID:5aL
忠誠心MAXの呂布というべき光武帝自慢のキリングマシーン呉漢
当事の蜀を征したヤツを引き合いの出すのも何か意味がありそう
当事の蜀を征したヤツを引き合いの出すのも何か意味がありそう
646: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:55:10 ID:Rpv
>>642
ここだとむしろ蜀を東漢と重ねあわせてるんではないかと
ここだとむしろ蜀を東漢と重ねあわせてるんではないかと
649: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:56:27 ID:uZB
>>642
君主の地元を略奪して、君主の親戚を暴発させる痛恨のミスをやらかしたからな
なお蜀も略奪した模様
君主の地元を略奪して、君主の親戚を暴発させる痛恨のミスをやらかしたからな
なお蜀も略奪した模様
644: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:52:26 ID:uZB
コウジュンって光武帝の頃、城を落としまくった人やっけ?それとも蕭何みたいな人やっけ?
646: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:55:10 ID:Rpv
>>644
雲台二十八将っていう将軍たちの一人やったかと
でも詳しくないから曖昧な事言えへん
雲台二十八将っていう将軍たちの一人やったかと
でも詳しくないから曖昧な事言えへん
648: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:56:03 ID:5aL
>>644
どっちかというと前者やけど早くに軍人引退して地方の行政担当して、そちらでも成果上げた人やな
蕭何ポジは寇恂って人かな、兵糧確保の達人
どっちかというと前者やけど早くに軍人引退して地方の行政担当して、そちらでも成果上げた人やな
蕭何ポジは寇恂って人かな、兵糧確保の達人
651: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:57:04 ID:5aL
光武帝と雲台二十八将の活躍もめちゃくちゃ面白いから、もっとメジャーになってほC
653: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:58:22 ID:Rpv
>>651
あそこらへんで面白い作品が日本にないのが惜しまれる
封神とか楊家将とか以下の知名度かも
あそこらへんで面白い作品が日本にないのが惜しまれる
封神とか楊家将とか以下の知名度かも
660: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:00:14 ID:OM1
>>653
わりとまじめに例のやる夫スレが一番面白い光武帝の読み物やと言われとるからな
わりとまじめに例のやる夫スレが一番面白い光武帝の読み物やと言われとるからな
645: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:52:38 ID:Rpv
今曹氏?漢、天下無主。大王劉氏、苗族、紹世而起。今?帝位、乃其宜也。士大夫隨大王久勤苦者、亦欲望尺寸之功、如純言耳」先主於是?帝位。
今曹氏は漢を簒奪し、天下に主がありません。大王である劉氏は跡継ぎの一族で、世を受け継ごうと決起しました。今帝位に即位することはよろしきことです。士大夫で大王に付き従って久しく苦労を勤めた者は、また少しばかりの功を欲し、耿純の言葉通りです」
今曹氏は漢を簒奪し、天下に主がありません。大王である劉氏は跡継ぎの一族で、世を受け継ごうと決起しました。今帝位に即位することはよろしきことです。士大夫で大王に付き従って久しく苦労を勤めた者は、また少しばかりの功を欲し、耿純の言葉通りです」
647: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:55:25 ID:Rpv
策亮爲丞相、曰「朕、遭家不造、奉承大統。兢兢業業、不敢康寧、思靖百姓、懼未能綏。
諸葛亮を丞相にする木片に曰く「朕は劉家の造営が出来ないことに際し、皇統を承り奉った。不安に怯え、あえて安寧にせず、百姓を安んじることを思い、恐れ多くも未だに安んじられていない。
諸葛亮を丞相にする木片に曰く「朕は劉家の造営が出来ないことに際し、皇統を承り奉った。不安に怯え、あえて安寧にせず、百姓を安んじることを思い、恐れ多くも未だに安んじられていない。
650: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:56:48 ID:Rpv
於戲、丞相亮、其悉朕意、無怠輔朕之闕、助宣重光、以照明天下。君其?哉」亮、以丞相、?尚書事、假節。張飛卒後、領司隸校尉。
ああ、丞相亮よ、朕の意に沿って尽くし、朕の欠けた所を怠らず補佐し、重き光のように助け、天下を明るく照らすのだ。君はそれに努めるのだ」諸葛亮を丞相として尚書の担当に任命し、仮節とした。張飛の死後、司隸校尉を領した。
ああ、丞相亮よ、朕の意に沿って尽くし、朕の欠けた所を怠らず補佐し、重き光のように助け、天下を明るく照らすのだ。君はそれに努めるのだ」諸葛亮を丞相として尚書の担当に任命し、仮節とした。張飛の死後、司隸校尉を領した。
652: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:57:59 ID:0od
劉備に足りなかったのは韓信やな
658: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:59:55 ID:Rpv
>>652
蕭何はいて陳平もいるんだけど張良と韓信にあたるやつが見当たらんな
英布彭越に似たやつもいるけど
蕭何はいて陳平もいるんだけど張良と韓信にあたるやつが見当たらんな
英布彭越に似たやつもいるけど
686: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:08:45 ID:0od
>>658
張良=孫乾、伊籍、トウシじゃなあ
孔明がこの位置で陳平に法と鳳ならまだええけど
張良=孫乾、伊籍、トウシじゃなあ
孔明がこの位置で陳平に法と鳳ならまだええけど
690: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:10:41 ID:Rpv
>>686
その人物並べられるとやっぱ人材不足やなぁ
その人物並べられるとやっぱ人材不足やなぁ
655: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:58:45 ID:VRE
人望はあるが人材が足りない
656: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:58:51 ID:5aL
諸葛亮「蕭何と張良と韓信ぜんぶやるぞ(吐血しながら)」
654: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:58:34 ID:Rpv
章武三年春、先主於永安病篤、召亮於成都、屬以後事。謂亮曰「君才十倍曹丕、必能安國、終定大事。若嗣子可輔、輔之。如其不才、君可自取」
章武三年(223年)春、劉備は永安において病が篤くなり、諸葛亮は成都より召され、後の事を託された。諸葛亮に言って曰く「君の才は曹丕の十倍で必ず国を安んずることが出来、終いには大事を定められる。もし嗣子が補佐すべきなら補佐してくれ。その才が無いなら君が自ら取ってくれ」
章武三年(223年)春、劉備は永安において病が篤くなり、諸葛亮は成都より召され、後の事を託された。諸葛亮に言って曰く「君の才は曹丕の十倍で必ず国を安んずることが出来、終いには大事を定められる。もし嗣子が補佐すべきなら補佐してくれ。その才が無いなら君が自ら取ってくれ」
663: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:01:53 ID:5aL
>>654
神遺言にして呪い遺言好き
神遺言にして呪い遺言好き
666: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:03:13 ID:Rpv
>>663
これ言われたら頑張らなアカンってなるわな
挙句過労死みたいな死に方するという
これ言われたら頑張らなアカンってなるわな
挙句過労死みたいな死に方するという
657: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)19:59:49 ID:VRE
やっぱ帝位以降は結構カットされるんやな
まぁ関係ないしな
まぁ関係ないしな
661: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:00:53 ID:Rpv
>>657
基本的に他の伝に詳しいことは乗せないからね
ここで抜け落ちたのは先主伝他に載ってると思うで
基本的に他の伝に詳しいことは乗せないからね
ここで抜け落ちたのは先主伝他に載ってると思うで
659: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:00:13 ID:Rpv
亮涕泣曰「臣敢竭股肱之力、效忠貞之節。繼之以死」先主又爲詔、敕後主、曰「汝與丞相從事、事之如父」
諸葛亮は涙を流して言った「私は敢えて臣下としての力を尽くし、忠節を尽くしましょう。これを継いで死にます」劉備はまた詔して後主(劉禅)に勅命して言った「汝は丞相に従い、父のように仕えよ」
諸葛亮は涙を流して言った「私は敢えて臣下としての力を尽くし、忠節を尽くしましょう。これを継いで死にます」劉備はまた詔して後主(劉禅)に勅命して言った「汝は丞相に従い、父のように仕えよ」
662: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:01:05 ID:Rpv
建興元年、封亮武?侯、開府治事。頃之、又領益州牧。政事、無巨細、咸決於亮。
建興元年(223年)、諸葛亮を武郷侯に封じ、府を開かせ事業を治めさせた。この頃、また益州牧を領させた。政治は大小なく皆諸葛亮が決定した。
建興元年(223年)、諸葛亮を武郷侯に封じ、府を開かせ事業を治めさせた。この頃、また益州牧を領させた。政治は大小なく皆諸葛亮が決定した。
665: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:02:32 ID:Rpv
南中諸郡、並皆叛亂。亮、以新遭大喪、故未便加兵。且遣使聘?、因結和親、遂爲與國。
南中の諸軍が揃って反乱した。諸葛亮は新たに喪にあったとし、ただちに兵を加えなかった。かつ、使者を遣わして呉に礼物を持って訪問させ、和を結び、遂に同盟国となった。
南中の諸軍が揃って反乱した。諸葛亮は新たに喪にあったとし、ただちに兵を加えなかった。かつ、使者を遣わして呉に礼物を持って訪問させ、和を結び、遂に同盟国となった。
668: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:03:33 ID:Rpv
三年春、亮率衆南征、其秋悉平。軍資所出、國以富饒、乃治戎講武、以俟大舉。
建興三年(225年)春、諸葛亮は兵を率いて南征し、その秋にことごとく平定した。軍事物資の出る所となり、国はこうして豊かになり、こうして異民族を治めて武道を習わせ、大挙を待った。
建興三年(225年)春、諸葛亮は兵を率いて南征し、その秋にことごとく平定した。軍事物資の出る所となり、国はこうして豊かになり、こうして異民族を治めて武道を習わせ、大挙を待った。
669: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:03:52 ID:uZB
諸葛亮は間違いなく過労死やわ
司馬懿も諸葛亮の様子を聞いて長くないと思ったらしいし
司馬懿も諸葛亮の様子を聞いて長くないと思ったらしいし
671: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:04:44 ID:Rpv
>>669
せやな
あの遺言で縛りつけられてこうなったと
せやな
あの遺言で縛りつけられてこうなったと
672: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:04:54 ID:Rpv
五年、率諸軍、北駐漢中。臨發、上疏曰。先帝創業、未半而中道崩殂(※)。
建興五年(227年)、諸軍を率いて北に行き、漢中に駐屯した。出発するに臨んで上奏して言った。先帝の創業は未だ道半ばにして崩御されました。
建興五年(227年)、諸軍を率いて北に行き、漢中に駐屯した。出発するに臨んで上奏して言った。先帝の創業は未だ道半ばにして崩御されました。
673: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:05:11 ID:Rpv
※殂は天子の死という意味
晋は魏を正統な王朝としているため劉備を天子と認めてはいけないはずであるが陳寿は敢えてこの文字を用いている
他にも劉氏の妻に皇后という文字を用いており、陳寿は決死の覚悟で蜀(劉氏の主張では漢)を正統な王朝と主張している
晋は魏を正統な王朝としているため劉備を天子と認めてはいけないはずであるが陳寿は敢えてこの文字を用いている
他にも劉氏の妻に皇后という文字を用いており、陳寿は決死の覚悟で蜀(劉氏の主張では漢)を正統な王朝と主張している
674: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:05:31 ID:VRE
あいつは重用してはいけない
なお呪いの力が足りなかった模様
なお呪いの力が足りなかった模様
677: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:06:26 ID:Rpv
>>674
馬を山に登らせてはいけない(戒め)
馬を山に登らせてはいけない(戒め)
675: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:05:37 ID:OM1
せめて?統 法正どっちか生きとればな…
676: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:06:22 ID:uZB
北伐を詳しく調べればわかるけど、ホンマ馬謖のやらかしは罪深いからな
最大、最初、最後の大チャンスを生兵法でぶち壊したわけだし、登山家と罵られるのも残当
最大、最初、最後の大チャンスを生兵法でぶち壊したわけだし、登山家と罵られるのも残当
683: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:08:24 ID:OM1
蜀のアンドリュー・フォークこと馬謖死刑囚
688: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:09:13 ID:5aL
だがみんな待って欲しい
馬謖がやらかしたと言っても、精々損失は三千で本体は無傷やった訳や
張郃の魏軍の決戦するって選択もあった
それを選ばず、せっかく確保した地域も放棄して総撤退したのは諸葛亮
勿論蜀はバクチに出る訳にはいかない状態だったのは解るけど、別の可能性もあったんだよなとは言いたい
馬謖がやらかしたと言っても、精々損失は三千で本体は無傷やった訳や
張郃の魏軍の決戦するって選択もあった
それを選ばず、せっかく確保した地域も放棄して総撤退したのは諸葛亮
勿論蜀はバクチに出る訳にはいかない状態だったのは解るけど、別の可能性もあったんだよなとは言いたい
690: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:10:41 ID:Rpv
>>688
あとで語るけど諸葛亮は進軍しようとしてたで
拠点がなくて撤退したんや
あとで語るけど諸葛亮は進軍しようとしてたで
拠点がなくて撤退したんや
678: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:06:37 ID:Rpv
今天下三分、益州疲弊、此誠危急存亡之秋也。然、侍衞之臣不懈於?、忠志之士忘身於外者。蓋追先帝之殊遇、欲報之於陛下也。
今天下は三分され、益州は疲弊し、これはまさに危急存亡の時であります。しかしながら、侍従する臣下が内において怠けず、忠義の士が外において自身のことを忘れます。それは先帝の厚遇を追慕し、これを陛下に報いようとしているからです。
今天下は三分され、益州は疲弊し、これはまさに危急存亡の時であります。しかしながら、侍従する臣下が内において怠けず、忠義の士が外において自身のことを忘れます。それは先帝の厚遇を追慕し、これを陛下に報いようとしているからです。
681: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:07:58 ID:Rpv
あ、ちなみにこれ出師の表ね
682: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:08:08 ID:Rpv
誠宜開張聖德、以光先帝遺德、恢弘志士之氣、不宜妄自菲薄、引?失義、以塞忠諫之路也。
誠に聖徳を開き、先帝の遺徳を輝かせ、志ある士の気を押し広め、妄りに自らを劣っているとし、(誤った)例えを引いて義を失い、忠ある諌めを塞がないのがよろしいでしょう。
誠に聖徳を開き、先帝の遺徳を輝かせ、志ある士の気を押し広め、妄りに自らを劣っているとし、(誤った)例えを引いて義を失い、忠ある諌めを塞がないのがよろしいでしょう。
687: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:09:04 ID:Rpv
宮中府中?爲一體、陟罰臧否、不宜異同。若有作姦犯科及爲忠善者、宜付有司論其刑賞、以昭陛下平明之理、不宜偏私、使?外異法也。
宮の中、丞相府の中を共に一体とし、良き人を奨励し、悪人を懲罰し、相違はよろしくありませんもし罪を犯した者と忠善な者が居れば、その刑罰褒賞を論じて役人に付け、陛下のはっきりとした理で明らかにし、私心を偏らせることはよろしくなく、内外に法を違えさせてはなりません。
宮の中、丞相府の中を共に一体とし、良き人を奨励し、悪人を懲罰し、相違はよろしくありませんもし罪を犯した者と忠善な者が居れば、その刑罰褒賞を論じて役人に付け、陛下のはっきりとした理で明らかにし、私心を偏らせることはよろしくなく、内外に法を違えさせてはなりません。
691: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:10:55 ID:Rpv
侍中侍郎郭攸之、費禕、董允等、此皆良實、志慮忠純。是以先帝簡拔以遺陛下。愚以爲、宮中之事、事無大小、悉以咨之、然後施行、必能裨補闕漏、有所廣益。
侍中侍郎の郭攸之、費禕、董允らは皆誠実で、志は忠実です。これは先帝が抜擢して陛下に残されたのです。愚かに思いますに、宮中のことは、大小なく、ことごとく彼らに相談し、しかる後に施行すれば、必ず欠けたる所を補い、広く益することが出来ます。
侍中侍郎の郭攸之、費禕、董允らは皆誠実で、志は忠実です。これは先帝が抜擢して陛下に残されたのです。愚かに思いますに、宮中のことは、大小なく、ことごとく彼らに相談し、しかる後に施行すれば、必ず欠けたる所を補い、広く益することが出来ます。
692: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:11:03 ID:uZB
出師の表を読んで涙を流さないものは忠臣ではないらしい
695: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:12:09 ID:VRE
>>692
よしっ!皇帝は臣ではないからいいな!
よしっ!皇帝は臣ではないからいいな!
694: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:12:07 ID:5aL
部下の諸葛亮が言っちゃうよ。
前の皇帝がやりたいこと半分もやらずに死んじゃった・・・んで天下が3つに分かれてて「ウチ」(蜀)はボロボロなの!
コレ、マジやばいみたいな!?
ぶっちゃけ、蜀のみんなが頑張ってんのはさ、あんたのためじゃなくて親父さんに恩返しするためだから。
だからさ、あんたも親父さんみたいに頑張らなくちゃだめなのよ。
あんたさあ、よく「どーせ俺なんか」って言うでしょ、あれマジでやめなよ。
屁理屈こねて他人のアドバイス無視したり、よくないよ。
みんな仲間じゃん、そこらへんグダグダだとダメだと思うんだよね。
ヤバいことやる奴とか、いい人とか、いろいろいるけど、みんな区別してけじめつけなきゃさあ。
えこひいきして、筋曲げちゃだめってこと。
郭ちゃんや費ーさんや董くんは真面目で使えるからって親父さんが残してくれた部下なんだから わかんないことはなんでもこいつらに聞けばいいよ。
こいつらがOKだしたんなら何やっても大丈夫。
将軍の向さんも真面目で、親父さんが「こいつマジ使える」って言ってたから、 うちらが遠征した後の軍事面はこいつに任せておけば大丈夫。
きっと役に立つよ。
賢くて善良な人を採用してたから前の前の国家は大発展したけど、バカばっかり採用してた前の国家はつぶれちゃったよね。
「前の皇帝はバカばっか」って親父さんと二人で嘆いてたもんですよ。
さっき名前出した連中はみんな賢くて善良だから、こいつらは使いなさい。いいから使いなさい。
私なんかもともと片田舎のニートで終わるはずだったんだけど、 あんたの親父さんは「いやお前さんはすごい人だから」って三回もスカウト来てくれた。
そりゃもう感激して社会人なるっきゃないでしょ。
ま、負け戦ばっかりだったからわらにもすがる思いだったかもね。もう二十一年前だよ。
親父さん、亡くなるときに「息子バカだから後頼むわ」って言ってたよ。あ、バカってのはオフレコ。
とりあえず田舎のほうが騒がしかったから、なんとか親父さんのやってたこと立て直そうと 南蛮まで行ってきて騒動を治めてきましたよ。
あ、どっかのエロゲでロリ王国になってるらしいですがあれはデマです、デマ。
で、南蛮も落ち着いて、兵隊もずいぶん強くなりました。
とっとと軍隊出して、首都とか奪還しましょう。親父さんの悲願だし、これが私の仕事だから。
国の中でいろいろやるのはさっきの連中の仕事。
私は軍隊率いて戦ってきますから、とっとと許可出してくださいな。
もしダメだったら親父さんの墓の前で「孔明は口先だけだからぶっ殺した」って墓参りしてOK。
さっきの連中がサボってるなら、ついでに処罰してくれてOK。
あんたもちゃんと仕事して、身は慎んで、親父さんの期待に背かないように。
親父さんは私の恩人でしたよ。
あの人のためなら異国の地で戦うのも本望ですよ。
はわわ、ご主人様、なんだか泣けちゃいます。
前の皇帝がやりたいこと半分もやらずに死んじゃった・・・んで天下が3つに分かれてて「ウチ」(蜀)はボロボロなの!
コレ、マジやばいみたいな!?
ぶっちゃけ、蜀のみんなが頑張ってんのはさ、あんたのためじゃなくて親父さんに恩返しするためだから。
だからさ、あんたも親父さんみたいに頑張らなくちゃだめなのよ。
あんたさあ、よく「どーせ俺なんか」って言うでしょ、あれマジでやめなよ。
屁理屈こねて他人のアドバイス無視したり、よくないよ。
みんな仲間じゃん、そこらへんグダグダだとダメだと思うんだよね。
ヤバいことやる奴とか、いい人とか、いろいろいるけど、みんな区別してけじめつけなきゃさあ。
えこひいきして、筋曲げちゃだめってこと。
郭ちゃんや費ーさんや董くんは真面目で使えるからって親父さんが残してくれた部下なんだから わかんないことはなんでもこいつらに聞けばいいよ。
こいつらがOKだしたんなら何やっても大丈夫。
将軍の向さんも真面目で、親父さんが「こいつマジ使える」って言ってたから、 うちらが遠征した後の軍事面はこいつに任せておけば大丈夫。
きっと役に立つよ。
賢くて善良な人を採用してたから前の前の国家は大発展したけど、バカばっかり採用してた前の国家はつぶれちゃったよね。
「前の皇帝はバカばっか」って親父さんと二人で嘆いてたもんですよ。
さっき名前出した連中はみんな賢くて善良だから、こいつらは使いなさい。いいから使いなさい。
私なんかもともと片田舎のニートで終わるはずだったんだけど、 あんたの親父さんは「いやお前さんはすごい人だから」って三回もスカウト来てくれた。
そりゃもう感激して社会人なるっきゃないでしょ。
ま、負け戦ばっかりだったからわらにもすがる思いだったかもね。もう二十一年前だよ。
親父さん、亡くなるときに「息子バカだから後頼むわ」って言ってたよ。あ、バカってのはオフレコ。
とりあえず田舎のほうが騒がしかったから、なんとか親父さんのやってたこと立て直そうと 南蛮まで行ってきて騒動を治めてきましたよ。
あ、どっかのエロゲでロリ王国になってるらしいですがあれはデマです、デマ。
で、南蛮も落ち着いて、兵隊もずいぶん強くなりました。
とっとと軍隊出して、首都とか奪還しましょう。親父さんの悲願だし、これが私の仕事だから。
国の中でいろいろやるのはさっきの連中の仕事。
私は軍隊率いて戦ってきますから、とっとと許可出してくださいな。
もしダメだったら親父さんの墓の前で「孔明は口先だけだからぶっ殺した」って墓参りしてOK。
さっきの連中がサボってるなら、ついでに処罰してくれてOK。
あんたもちゃんと仕事して、身は慎んで、親父さんの期待に背かないように。
親父さんは私の恩人でしたよ。
あの人のためなら異国の地で戦うのも本望ですよ。
はわわ、ご主人様、なんだか泣けちゃいます。
697: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:12:39 ID:Rpv
將軍向寵、性行淑均、曉暢軍事、試用於昔日、先帝稱之曰能。是以衆議舉寵、爲督。愚以爲、營中之事、悉以咨之、必能使行陳和睦、優劣得所。
将軍向寵は性格が素直で、軍事に明るく、昔試しに用いたら、先帝は有能だと称えました。皆は議論して向寵を推挙し、督としました。愚かに思いますに、軍営のことはことごとく彼に相談すれば、必ず軍を和睦させ、優劣を決めることが出来ます。
将軍向寵は性格が素直で、軍事に明るく、昔試しに用いたら、先帝は有能だと称えました。皆は議論して向寵を推挙し、督としました。愚かに思いますに、軍営のことはことごとく彼に相談すれば、必ず軍を和睦させ、優劣を決めることが出来ます。
699: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:13:56 ID:Rpv
親賢臣、遠小人、此先漢所以興隆也。親小人、遠賢臣、此後漢所以傾?也。
賢臣と親しみ、小人を遠ざけ、こうして前漢の興隆する所となりました。小人と親しみ、賢臣を遠ざけたので、後漢が傾倒する所となりました。
賢臣と親しみ、小人を遠ざけ、こうして前漢の興隆する所となりました。小人と親しみ、賢臣を遠ざけたので、後漢が傾倒する所となりました。
700: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:14:28 ID:uZB
蜀の全てを知る諸葛亮だからこそバクチできなかったんやろうと思うわ
なんせ蜀が魏に勝ってることって、守りが固いのといい鉄があることくらいで、それ以外は大差で負けとるわけやし
なんせ蜀が魏に勝ってることって、守りが固いのといい鉄があることくらいで、それ以外は大差で負けとるわけやし
704: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:16:08 ID:Rpv
>>700
危険な賭けが出来るやつだけが名将ってわけやないもんね
危険な賭けが出来るやつだけが名将ってわけやないもんね
705: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:16:13 ID:OM1
>>700
得れる情報にも限度があるし、ゲームと違ってやり直しもきかんしなぁ
得れる情報にも限度があるし、ゲームと違ってやり直しもきかんしなぁ
701: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:14:51 ID:Rpv
先帝在時、?與臣論此事、未嘗不歎息痛恨於桓靈也。侍中、尚書、長史、參軍、此悉貞良死節之臣。願陛下親之信之、則漢室之隆、可計日而待也。
先帝が居た時、度々私とこのことを論じ、かつて桓帝、霊帝(※)のことを嘆息、痛恨しておりました。願わくば陛下はこれを親しみ、これを信じれば、すなわち漢室は興隆し、日を数えて待つことが出来ます。
※献帝より前の皇帝
前述の通り賢臣を遠ざけ小人と親しんだので漢の衰退の要因となった
先帝が居た時、度々私とこのことを論じ、かつて桓帝、霊帝(※)のことを嘆息、痛恨しておりました。願わくば陛下はこれを親しみ、これを信じれば、すなわち漢室は興隆し、日を数えて待つことが出来ます。
※献帝より前の皇帝
前述の通り賢臣を遠ざけ小人と親しんだので漢の衰退の要因となった
702: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:15:14 ID:0od
蜀に結構有能おったんやな
イリョウでケイシュウ組死にすぎだわ
馬良が痛すぎる
イリョウでケイシュウ組死にすぎだわ
馬良が痛すぎる
704: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:16:08 ID:Rpv
>>702
黄権、馬良は本当に痛い
どっちか残ってたら孔明の負担が軽減されてた
黄権、馬良は本当に痛い
どっちか残ってたら孔明の負担が軽減されてた
708: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:18:23 ID:VRE
黄権が余を裏切ったのではない。余が黄権を裏切ったのだ
706: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:17:03 ID:Rpv
臣、本布衣、躬耕於南陽。苟全性命於亂世、不求聞達於諸侯。
私は本来無官であり、自ら南陽で耕作をしておりました。いやしくも乱世において生命を全うするため、諸侯に知られることを求めませんでした。
私は本来無官であり、自ら南陽で耕作をしておりました。いやしくも乱世において生命を全うするため、諸侯に知られることを求めませんでした。
707: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:18:14 ID:Rpv
先帝、不以臣卑鄙、猥自枉屈、三顧臣於草廬之中、諮臣以當世之事。由是感激、遂許先帝以驅馳。
先帝は私を卑しいとせず、自ら赴き、草廬の中に私を三たび顧みて、私に当世のことを尋ねられました。これによって感激し遂に先帝の元に馳せ参じることを許諾しました。
先帝は私を卑しいとせず、自ら赴き、草廬の中に私を三たび顧みて、私に当世のことを尋ねられました。これによって感激し遂に先帝の元に馳せ参じることを許諾しました。
710: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:18:50 ID:Rpv
後、?傾覆、受任於敗軍之際、奉命於危難之閒、爾來二十有一年矣。
後に傾倒して敗軍となった(長阪での敗戦の)際に任を受けました。危機の間に命を奉じて二十一年になります。
後に傾倒して敗軍となった(長阪での敗戦の)際に任を受けました。危機の間に命を奉じて二十一年になります。
711: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:19:33 ID:Rpv
先帝、知臣謹慎、故臨崩寄臣以大事也。受命以來、夙夜憂歎、恐託付不效以傷先帝之明。故、五月渡瀘、深入不毛。
先帝は私の慎み深さを知り、ゆえに崩御に臨んで大事を私に託しました。命を受けて以来、一日中憂いて嘆き、託されたことに答えられず先帝の威光を傷つけることを恐れております。ゆえに五月に瀘水を渡り、深く不毛な土地(南方)に入ったのです。
先帝は私の慎み深さを知り、ゆえに崩御に臨んで大事を私に託しました。命を受けて以来、一日中憂いて嘆き、託されたことに答えられず先帝の威光を傷つけることを恐れております。ゆえに五月に瀘水を渡り、深く不毛な土地(南方)に入ったのです。
712: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:20:38 ID:uZB
夷陵のやらかしは蜀にとって致命傷やもんな
荊州が確保できないから本来のものではないルートで北伐しなきゃいけなくなったし、次世代の人材もゴッソリ死んだ
特に黄権が痛いわ、諸葛亮以外で唯一軍司令官ができる人やったのに
荊州が確保できないから本来のものではないルートで北伐しなきゃいけなくなったし、次世代の人材もゴッソリ死んだ
特に黄権が痛いわ、諸葛亮以外で唯一軍司令官ができる人やったのに
716: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:23:00 ID:Rpv
>>712
やっぱおしいよなぁ
漢中の功績とか考えていたらどれほど助かったことか
やっぱおしいよなぁ
漢中の功績とか考えていたらどれほど助かったことか
719: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:24:32 ID:OM1
>>712
戸次川の戦いでの長宗我部みたいなもんやな
あっちは後継者 期待の若手全滅やったけど
戸次川の戦いでの長宗我部みたいなもんやな
あっちは後継者 期待の若手全滅やったけど
723: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:25:59 ID:VRE
>>719
当主が狂うに御家騒動もセットとかいうアレ
当主が狂うに御家騒動もセットとかいうアレ
713: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:20:46 ID:Rpv
今南方已定、兵甲已足。當獎率三軍、北定中原。庶竭駑鈍、攘除姦凶、興復漢室、還于舊都。此、臣所以報先帝而忠陛下之職分也。
今南方は既に平定され、兵と甲冑は足りております。まさに三軍を奨励して率い、北に行き中原を定めるべきです。
今南方は既に平定され、兵と甲冑は足りております。まさに三軍を奨励して率い、北に行き中原を定めるべきです。
714: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:21:01 ID:5aL
黄権は失ったが馬忠を得たぞ!
でもしばらくは南方に貼り付けざるを得ないのが勿体無い
でもしばらくは南方に貼り付けざるを得ないのが勿体無い
722: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:25:41 ID:uZB
夷陵の布陣を見る限り、黄権は別働隊を率いて呉軍の側面が背後をつく感じなんだよね
陸遜の仕掛けがもう少し遅ければ蜀の大勝利もあったけど、肝心の本体が壊滅してしまった模様
陸遜の仕掛けがもう少し遅ければ蜀の大勝利もあったけど、肝心の本体が壊滅してしまった模様
727: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:27:40 ID:Rpv
>>722
別働隊にしたがゆえに帰れなくなって魏に降伏やからな
別働隊にしたがゆえに帰れなくなって魏に降伏やからな
715: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:22:21 ID:Rpv
さっき孟獲の話が出てたからここでいうけどご覧の通り正史本文には孟獲のことは載ってないんやで
勘違いしてはならないのが注には載ってるで
信憑性の話までは今回は止めとくわ
勘違いしてはならないのが注には載ってるで
信憑性の話までは今回は止めとくわ
717: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:23:18 ID:Rpv
至於斟酌損益、進盡忠言、則攸之、?、允之任也。願陛下、託臣以討賊興復之效。不效則治臣之罪、以告先帝之靈。責攸之、?、允等之慢、以彰其咎。
損益を取捨し、忠言を尽くし進めるのはすなわち郭攸之、費禕、董允の任務であります。願わくば陛下は私に賊(魏)を討ち復興に尽くすことを託してください。尽くせなければ私の罪を正し、先帝の霊に告げて下さい。郭攸之、費禕、董允らの怠慢を明らかにして咎めて下さい。
損益を取捨し、忠言を尽くし進めるのはすなわち郭攸之、費禕、董允の任務であります。願わくば陛下は私に賊(魏)を討ち復興に尽くすことを託してください。尽くせなければ私の罪を正し、先帝の霊に告げて下さい。郭攸之、費禕、董允らの怠慢を明らかにして咎めて下さい。
718: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:24:24 ID:Rpv
陛下亦宜自謀、以諮諏善道、察納雅言。深追先帝遺詔、臣不勝受恩感激。
陛下もまた自ら謀り、善い行いを尋ねられて正しき言葉を察して納めて下さい。先帝の遺命を深く追われれば、私は恩を受けるより感激が勝ります。
陛下もまた自ら謀り、善い行いを尋ねられて正しき言葉を察して納めて下さい。先帝の遺命を深く追われれば、私は恩を受けるより感激が勝ります。
721: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:25:12 ID:Rpv
今當遠離、臨表涕零、不知所言。遂行、屯于?陽。
今遠きに離れておりますが、上表に臨み涙をこぼし、言うことがございません。遂に行軍して沔陽に駐屯した。
今遠きに離れておりますが、上表に臨み涙をこぼし、言うことがございません。遂に行軍して沔陽に駐屯した。
725: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:26:26 ID:5aL
益州南方の蜂起って裏で孫権がちょっかい出した結果っぽいんよな
ほんま陰険やであの酒乱
ほんま陰険やであの酒乱
726: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:27:34 ID:0od
>>725
楽斉とか有能いたからなあ
楽斉とか有能いたからなあ
727: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:27:40 ID:Rpv
>>725
後方の攪乱は当然といえば当然
孫権が陰険なのは認めるけど
後方の攪乱は当然といえば当然
孫権が陰険なのは認めるけど
732: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:30:13 ID:uZB
>>725
重臣の家を燃やしたり馬車から身を乗り出して虎狩りしやがるからな
なお狩のことを咎められると、装甲馬車にして身を乗り出して狩をした模様
重臣の家を燃やしたり馬車から身を乗り出して虎狩りしやがるからな
なお狩のことを咎められると、装甲馬車にして身を乗り出して狩をした模様
728: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:27:54 ID:Rpv
六年春、揚聲由斜谷道取?、使趙雲鄧芝爲疑軍據箕谷、魏大將軍曹真舉衆拒之。
建興六年(228年)春、斜谷道から郿を取ると声を揚げ、趙雲、鄧芝を偽の軍として箕谷に拠らせ、魏の大将軍曹真は兵を挙げてこれを拒んだ。
建興六年(228年)春、斜谷道から郿を取ると声を揚げ、趙雲、鄧芝を偽の軍として箕谷に拠らせ、魏の大将軍曹真は兵を挙げてこれを拒んだ。
729: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:29:11 ID:Rpv
亮身率諸軍攻祁山、戎陳整齊、賞罰肅而號令明。南安、天水、安定三郡叛魏、應亮、關中響震。
諸葛亮は諸軍を率いて祁山を攻め、陣は整然とし、賞罰は粛然とし、号令は明瞭であった。南安、天水、安定の三郡は魏に叛き、諸葛亮に応じ、関中は震撼した。
諸葛亮は諸軍を率いて祁山を攻め、陣は整然とし、賞罰は粛然とし、号令は明瞭であった。南安、天水、安定の三郡は魏に叛き、諸葛亮に応じ、関中は震撼した。
753: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:42:05 ID:5aL
>>729
ここで無抵抗で降伏した三郡と違い、隴西太守の游楚って魏将が頑強に抵抗したお陰で全部の目論見が崩れたんよな
あー勿体なす
ここで無抵抗で降伏した三郡と違い、隴西太守の游楚って魏将が頑強に抵抗したお陰で全部の目論見が崩れたんよな
あー勿体なす
730: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:29:47 ID:VRE
これは勝てますわ、Vやねん!
731: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:30:04 ID:Rpv
魏明帝、西鎭長安、命張?拒亮。亮使馬謖督諸軍在前、與?戰于街亭。謖、違亮節度、舉動失宜、大爲?所破。
魏の明帝(曹叡)は西に行き長安を鎮め、張郃に命じて諸葛亮を拒ませた。諸葛亮は馬謖を遣わして諸軍を督させ前線に送り、張郃と街亭で戦わせた。馬謖は諸葛亮の命令に違え、挙動はよろしきを失っており、大いに張郃に破られる所となった。
魏の明帝(曹叡)は西に行き長安を鎮め、張郃に命じて諸葛亮を拒ませた。諸葛亮は馬謖を遣わして諸軍を督させ前線に送り、張郃と街亭で戦わせた。馬謖は諸葛亮の命令に違え、挙動はよろしきを失っており、大いに張郃に破られる所となった。
733: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:30:58 ID:Rpv
亮、拔西縣千餘家、還于漢中。戮謖、以謝衆。
諸葛亮は西県の千余りの家を抜いて、漢中に帰った。馬謖を殺して兵たちに謝罪した。
諸葛亮は西県の千余りの家を抜いて、漢中に帰った。馬謖を殺して兵たちに謝罪した。
734: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:31:38 ID:OM1
ファッキュー馬謖
735: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:31:57 ID:VRE
凌遅刑不可避
736: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:32:05 ID:Rpv
上疏曰「臣、以弱才、叨竊非據、親秉旄鉞、以厲三軍。不能訓章明法、臨事而懼、至有街亭違命之闕、箕谷不戒之失。
上奏して言った「私は才が少ないのに、拠らざるべき所(高い地位)を受け、自ら総帥となって三軍を励ましております。文を教え法を明らかにしておりましたが、事に臨んで恐れ、街亭では命に違えられ欠ける所があり、箕谷では戒めを守らず失態に至りました。
上奏して言った「私は才が少ないのに、拠らざるべき所(高い地位)を受け、自ら総帥となって三軍を励ましております。文を教え法を明らかにしておりましたが、事に臨んで恐れ、街亭では命に違えられ欠ける所があり、箕谷では戒めを守らず失態に至りました。
739: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:33:08 ID:Rpv
咎皆在臣授任無方。臣明、不知人、恤事多闇。
咎は皆私の任ずる方針が悪いからです。私は明らかに人を知らず、事を計るにとても暗いからです。
咎は皆私の任ずる方針が悪いからです。私は明らかに人を知らず、事を計るにとても暗いからです。
740: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:33:59 ID:Rpv
春秋、責帥、臣職是當。請自貶三等、以督厥咎」於是、以亮爲右將軍、行丞相事、所總統如前。
『春秋』では責は総帥にあるとしており、私の職はこれに当たります。自らを三等級貶め、督を咎めることを請います」こうして諸葛亮は右将軍となり、丞相の事を代行し、統括することは以前の通りであった。
『春秋』では責は総帥にあるとしており、私の職はこれに当たります。自らを三等級貶め、督を咎めることを請います」こうして諸葛亮は右将軍となり、丞相の事を代行し、統括することは以前の通りであった。
741: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:34:48 ID:Rpv
冬、亮復出散關、圍陳倉。曹真拒之、亮糧盡而還。魏將王雙率騎追亮、亮與戰、破之、斬雙。
冬、諸葛亮はまた散関に出陣し、陳倉を囲んだ。曹真がこれを拒み、諸葛亮は軍糧が尽きて帰った。魏の将王双は騎馬を率いて諸葛亮を追い、諸葛亮は戦って、これを破り、王双を斬った。
冬、諸葛亮はまた散関に出陣し、陳倉を囲んだ。曹真がこれを拒み、諸葛亮は軍糧が尽きて帰った。魏の将王双は騎馬を率いて諸葛亮を追い、諸葛亮は戦って、これを破り、王双を斬った。
742: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:35:45 ID:Rpv
七年、亮遣陳式攻武都、陰平。魏雍州刺史郭淮率衆、欲?式。亮自出、至建威。淮、退還。遂平二郡。
建興七年(229年)、諸葛亮は陳式を遣わして武都、陰平を攻めさせた。魏の雍州刺史郭淮は兵を率いて陳式を迎撃した。諸葛亮は自ら出陣して、建威に到った。郭淮は撤退して帰った。遂に二郡は平定された。
建興七年(229年)、諸葛亮は陳式を遣わして武都、陰平を攻めさせた。魏の雍州刺史郭淮は兵を率いて陳式を迎撃した。諸葛亮は自ら出陣して、建威に到った。郭淮は撤退して帰った。遂に二郡は平定された。
743: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:37:18 ID:Rpv
詔策亮曰「街亭之役、咎由馬謖。而君引愆、深自貶抑、重違君意、聽順所守。前年燿師、馘斬王雙。今?爰征、郭淮遁走。降集?羌、興復二郡、威鎭凶暴、功勳顯然。
諸葛亮への詔の木片に曰く「街亭の役は馬謖の咎に由来する。しかし君は過ちを引き受け、深く自らを貶め、君に意に違えぬよう、聞き入れたのだ。前年軍を輝かせ、王双を斬った。
今年も征伐し、郭淮を遁走させた。氐、羌(※)を降伏させ、二郡を復興させ、威によって凶暴を鎮め、勲功を顕わにした。
※異民族のこと
諸葛亮への詔の木片に曰く「街亭の役は馬謖の咎に由来する。しかし君は過ちを引き受け、深く自らを貶め、君に意に違えぬよう、聞き入れたのだ。前年軍を輝かせ、王双を斬った。
今年も征伐し、郭淮を遁走させた。氐、羌(※)を降伏させ、二郡を復興させ、威によって凶暴を鎮め、勲功を顕わにした。
※異民族のこと
745: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:38:14 ID:Rpv
方今天下騷擾、元惡未梟、君受大任、幹國之重。而久自?損、非所以光揚洪烈矣。今、復君丞相、君其勿辭。」
ただいま天下の秩序は乱れており、元凶は未だ晒し首になっておらず、君は大任を受け、国の重鎮となった。しかし、久しく自らを貶めるのは、業績を輝かせる所とはならない。今、君を丞相に復職させるが、君は固辞しないでくれ。
ただいま天下の秩序は乱れており、元凶は未だ晒し首になっておらず、君は大任を受け、国の重鎮となった。しかし、久しく自らを貶めるのは、業績を輝かせる所とはならない。今、君を丞相に復職させるが、君は固辞しないでくれ。
747: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:38:27 ID:5aL
あれ、そういや孟達をお手紙で嵌め殺した逸話って正史に載ってないんけ?
748: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:39:30 ID:Rpv
>>747
司馬懿のやつか?
確か別の伝やった気がする
確証ないから宿題にさせてクレメンス
司馬懿のやつか?
確か別の伝やった気がする
確証ないから宿題にさせてクレメンス
749: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:39:45 ID:Rpv
九年、亮復出祁山。以木牛運、糧盡退軍。與魏將張?交戰、射殺?。
建興九年(231年)、諸葛亮はまた祁山に出陣した。木牛(※)で運搬したが、軍糧が尽きて軍を退いた。魏の将張郃と交戦し、張郃を射殺した。
※木牛と後出の流馬は運搬道具
建興九年(231年)、諸葛亮はまた祁山に出陣した。木牛(※)で運搬したが、軍糧が尽きて軍を退いた。魏の将張郃と交戦し、張郃を射殺した。
※木牛と後出の流馬は運搬道具
750: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:40:52 ID:Rpv
十二年春、亮悉大衆、由斜谷出。以流馬運。據武功五丈原、與司馬宣王對於渭南。
建興十二年(234年)春、諸葛亮は兵士を全て使い、斜谷に出陣した。流馬で運搬した。武功郡五丈原で司馬宣王(司馬懿)と渭南において対峙した。
建興十二年(234年)春、諸葛亮は兵士を全て使い、斜谷に出陣した。流馬で運搬した。武功郡五丈原で司馬宣王(司馬懿)と渭南において対峙した。
751: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:41:20 ID:VRE
矢が膝に当たってしまってな…
752: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:41:41 ID:Rpv
亮?患糧不繼、使己志不申。是以、分兵屯田、爲久駐之基。耕者雜於渭濱居民之間、而百姓安堵、軍無私焉。相持百餘日。
諸葛亮は常に軍糧が続かなく、己が志を明らか出来ないことを憂いていた。こうして兵を分けて屯田し、久しく駐屯する基地とした。耕す者は渭水で民間と雑居したが、百姓は安堵し、軍に私心はなかった。相対して百余日となった。
諸葛亮は常に軍糧が続かなく、己が志を明らか出来ないことを憂いていた。こうして兵を分けて屯田し、久しく駐屯する基地とした。耕す者は渭水で民間と雑居したが、百姓は安堵し、軍に私心はなかった。相対して百余日となった。
755: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:42:35 ID:Rpv
其年八月、亮疾病、卒于軍、時年五十四。及軍退、宣王案行其營壘處所、曰「天下奇才也。」
その年の八月、諸葛亮は病となり、軍の中で亡くなり、その時の年齢は五十四であった。軍を退くに及んで宣王(司馬懿)は軍営のある所に行き、言った「天下の奇才である。」
その年の八月、諸葛亮は病となり、軍の中で亡くなり、その時の年齢は五十四であった。軍を退くに及んで宣王(司馬懿)は軍営のある所に行き、言った「天下の奇才である。」
756: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:43:37 ID:Rpv
亮、遺命葬漢中定軍山、因山爲墳、冢足容棺、斂以時服、不須器物。
諸葛亮は遺命を出して漢中の定軍山に埋葬し、山に墳墓を作らせ、塚は棺を入れるのに十分な大きさで、朝廷に賜った服を着せ、道具を収めさせなかった。
諸葛亮は遺命を出して漢中の定軍山に埋葬し、山に墳墓を作らせ、塚は棺を入れるのに十分な大きさで、朝廷に賜った服を着せ、道具を収めさせなかった。
757: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:44:32 ID:Rpv
六軍を整えて出征しない年は無く、神の如き武威を輝かせ、威は八方を鎮め、勲功を季漢(※1)に立て、伊尹、周公旦(※2)の大功に参加しようとしていた。
758: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:44:41 ID:Rpv
※1末の漢の意
劉氏の主張では漢を継いで即位したことになっているので自国を漢と称した
蜀とは名乗っていない
劉氏の主張では漢を継いで即位したことになっているので自国を漢と称した
蜀とは名乗っていない
※2伊尹は殷、周公旦は周の建国に貢献したことからここで引用されている
759: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:45:20 ID:OM1
54かぁ…
時代を考えても若く感じるのう
時代を考えても若く感じるのう
760: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:46:01 ID:Rpv
如何不弔、事臨垂克、遘疾隕喪。朕用傷悼、肝心若裂。夫、崇德序功、紀行命諡、所以光昭將來、刊載不朽。
どうして弔わずにいられるのか、事業に臨んで後世に残す前に、病に倒れ亡くなった。朕は傷み入り、心は張り裂けそうである。徳を崇め、功をはしがき、行いを記し、諡をするのは、光を将来に残し、不朽に載せるためである。
どうして弔わずにいられるのか、事業に臨んで後世に残す前に、病に倒れ亡くなった。朕は傷み入り、心は張り裂けそうである。徳を崇め、功をはしがき、行いを記し、諡をするのは、光を将来に残し、不朽に載せるためである。
762: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:47:01 ID:Rpv
今使使持節左中郎將杜瓊、贈君丞相武?侯印綬、諡君爲忠武侯。魂而有靈、嘉茲寵榮。嗚呼哀哉、嗚呼哀哉。」
今使持節、左中郎将杜瓊を遣わして、君に丞相、武郷侯の印綬を贈り、君に諡して忠武侯にしよう。魂に霊があるなら、寵愛と栄誉をめでたく思ってくれ。ああ悲しいかな、ああ悲しいかな。」
今使持節、左中郎将杜瓊を遣わして、君に丞相、武郷侯の印綬を贈り、君に諡して忠武侯にしよう。魂に霊があるなら、寵愛と栄誉をめでたく思ってくれ。ああ悲しいかな、ああ悲しいかな。」
763: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:47:20 ID:VRE
スーパー北伐マシーンがやってくる
765: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:48:09 ID:Rpv
初、亮自表後主曰「成都有桑八百株、薄田十五頃、子弟衣食、自有餘饒。至於臣在外任、無別調度、隨身衣食、悉仰於官。不別治生以長尺寸。
以前、諸葛亮は劉禅に上表して言った「成都には桑が八百株、痩せた田が十五頃、子弟の衣食は豊富にあります。私が外で任務に当たっても、身の回りの道具はいらず、わが身に必要な衣食は全て官より頂戴します。別に心の内にそれ以上のことを望みません。
以前、諸葛亮は劉禅に上表して言った「成都には桑が八百株、痩せた田が十五頃、子弟の衣食は豊富にあります。私が外で任務に当たっても、身の回りの道具はいらず、わが身に必要な衣食は全て官より頂戴します。別に心の内にそれ以上のことを望みません。
766: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:49:04 ID:Rpv
若臣死之日、不使?有餘帛外有贏財以負陛下」及卒、如其所言。
もし私が死ぬ日が来ても、内に余った絹があり、外に財が得られ、陛下に(苦労を)負わせません」亡くなるに及んでその言葉通りであった。
もし私が死ぬ日が来ても、内に余った絹があり、外に財が得られ、陛下に(苦労を)負わせません」亡くなるに及んでその言葉通りであった。
767: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:49:36 ID:5aL
北伐そのものより出師の表や劉禅の弔辞に方がジックリやっとる
思ってた以上にアッサリ記述なんやね
思ってた以上にアッサリ記述なんやね
770: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:50:25 ID:Rpv
>>767
正史ってそんなもんや
あくまで記録やからね
正史ってそんなもんや
あくまで記録やからね
769: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:50:12 ID:VRE
絶対に入れたる感で書いたんやろなぁ
768: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:49:58 ID:Rpv
諸葛亮の性は思考することに長じていた。損益連弩(※1)、木牛流馬は皆その工夫から出た。兵法を流布し、八陣図を作り、皆その要点を得ていた。諸葛亮の言葉、教え、書、上奏は見るべきところが多く、別に一つの集(※2)となっている。
※1 連射式の弩
※1 連射式の弩
※2 諸葛氏集のこと
771: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:50:49 ID:uZB
北伐マシーン生姜繊維は結構優勢やったんやけどな、夷陵に次ぐ大敗をやらかしてゲームセットや
773: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:52:15 ID:Rpv
>>771
味方が来ないとかいう敗因
味方が来ないとかいう敗因
787: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:56:57 ID:uZB
>>773
味方が来なかったのに加えて、敵将がトウガイとチンタイという当時最強クラスの名将やからな
段谷の戦い以前は長安以西総取り目前やったのにこの敗北で諸葛亮以来のベテラン大量喪失や、まさに半ばで失速したベイスの如くや
味方が来なかったのに加えて、敵将がトウガイとチンタイという当時最強クラスの名将やからな
段谷の戦い以前は長安以西総取り目前やったのにこの敗北で諸葛亮以来のベテラン大量喪失や、まさに半ばで失速したベイスの如くや
793: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:59:11 ID:Rpv
>>787
胡済ってホント何で来なかったんやろな
ただでさえ不利なのにこんなの勝てるわけないやん
胡済ってホント何で来なかったんやろな
ただでさえ不利なのにこんなの勝てるわけないやん
772: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:50:56 ID:Rpv
景耀六年春、詔、爲亮立廟於?陽。秋、魏鎭西將軍鍾會征蜀、至漢川、祭亮之廟。令軍士、不得於亮墓所左右、芻牧樵採。
景耀六年(263年)春、詔勅して諸葛亮の廟を沔陽に立てさせた。秋、魏の鎮西将軍鍾会は蜀を征伐し、漢川に到り、諸葛亮の廟を祭った。兵士に命じて諸葛亮の墓所の周りで草を刈り牛馬を飼うこと、木こりをすることをさせなかった。
景耀六年(263年)春、詔勅して諸葛亮の廟を沔陽に立てさせた。秋、魏の鎮西将軍鍾会は蜀を征伐し、漢川に到り、諸葛亮の廟を祭った。兵士に命じて諸葛亮の墓所の周りで草を刈り牛馬を飼うこと、木こりをすることをさせなかった。
774: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:52:25 ID:Rpv
亮弟均、官至長水校尉。亮子瞻、嗣爵。
諸葛亮の弟諸葛均の官職は長水校尉に至った。諸葛亮の子諸葛瞻が爵位を継いだ。
諸葛亮の弟諸葛均の官職は長水校尉に至った。諸葛亮の子諸葛瞻が爵位を継いだ。
775: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:52:56 ID:Rpv
※諸葛氏集目録を省略
本文と内容がかぶるため
本文と内容がかぶるため
778: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:53:31 ID:Rpv
評曰。諸葛亮之爲相國也、撫百姓、示儀軌、約官職、從權制、開誠心、布公道。
評に曰く。諸葛亮は相国になると、百姓を慰撫し、規則を示し、官職を引き締め、権勢に従い、真心を開き公道を敷いた。
評に曰く。諸葛亮は相国になると、百姓を慰撫し、規則を示し、官職を引き締め、権勢に従い、真心を開き公道を敷いた。
779: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:54:25 ID:0od
諸葛は一族全員有能やなあ
夏候は一人あかんけど
夏候は一人あかんけど
782: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:55:18 ID:Rpv
>>779
楙のことか覇のことかで悩むな
楙のことか覇のことかで悩むな
792: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:59:05 ID:0od
>>782
楙のせいで長安攻める案出て蜀分裂したから有能なんかもな
楙のせいで長安攻める案出て蜀分裂したから有能なんかもな
794: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:59:42 ID:Rpv
>>792
風吹けば桶屋が儲かる理論
風吹けば桶屋が儲かる理論
780: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:54:36 ID:Rpv
盡忠益時者、雖讎必賞。犯法怠慢者、雖親必罰。服罪輸情者、雖重必釋。游辭巧飾者、雖輕必戮。
忠を尽くして時勢に益がある者は、仇といえども必ず賞した。法を犯した者は、親しいといえども必ず罰した。罪に服し情に負けた者は、重罪といえども必ず釈した。浮ついた言葉を巧みに飾った者は、軽罪といえども必ず殺した。
忠を尽くして時勢に益がある者は、仇といえども必ず賞した。法を犯した者は、親しいといえども必ず罰した。罪に服し情に負けた者は、重罪といえども必ず釈した。浮ついた言葉を巧みに飾った者は、軽罪といえども必ず殺した。
781: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:55:10 ID:VRE
法正「せやせや」
783: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:55:30 ID:Rpv
善、無微而不賞。惡、無纖而不貶。庶事精練、物理其本、循名責實、?偽不齒。
善が少しも無ければ賞さなかった。悪が少しも無ければ貶めなかった。庶事に精通し、物事はその本を正し、名実共にあるように努め、嘘偽りを歯牙にかけなかった。
善が少しも無ければ賞さなかった。悪が少しも無ければ貶めなかった。庶事に精通し、物事はその本を正し、名実共にあるように努め、嘘偽りを歯牙にかけなかった。
785: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:55:50 ID:VRE
諸葛一族で無能がいまーす
そーれーはー
そーれーはー
788: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:57:01 ID:Rpv
>>785
一人だけ「恪」が違うやつがいるな
一人だけ「恪」が違うやつがいるな
795: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:00:22 ID:5aL
諸葛格は有能ですー調子に乗りまくってただけですー
無能なのは孔明の毒にも薬にもならない息子ですー
とワイは思う
無能なのは孔明の毒にも薬にもならない息子ですー
とワイは思う
786: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:56:31 ID:Rpv
終、於邦域之?、咸畏而愛之。刑政雖峻而無怨者、以其用心平而勸戒明也。可謂識治之良才、管蕭之亞匹矣。
終いには国内の内において、皆畏れつつこれを愛した。刑政が厳しいといえども怨む者がいないのは、その心を用いることが公平で賞罰が明らかであったからである。治世を知る良才は管仲、蕭何(※)に限りなく匹敵に近いと言うべきである。
※秦末漢初の政治家で漢の初代相国
国を良く治め、軍を後方から支えれば兵士、糧食を切らしたことがなく、高祖が項羽を破るのに大きく貢献した
終いには国内の内において、皆畏れつつこれを愛した。刑政が厳しいといえども怨む者がいないのは、その心を用いることが公平で賞罰が明らかであったからである。治世を知る良才は管仲、蕭何(※)に限りなく匹敵に近いと言うべきである。
※秦末漢初の政治家で漢の初代相国
国を良く治め、軍を後方から支えれば兵士、糧食を切らしたことがなく、高祖が項羽を破るのに大きく貢献した
790: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)20:57:36 ID:Rpv
然、連年動衆、未能成功、蓋應變將略、非其所長歟。
しかれども、連年兵を動かして成功出来なかったのは、けだし応変の計略を得意としなかったからであろうか。
しかれども、連年兵を動かして成功出来なかったのは、けだし応変の計略を得意としなかったからであろうか。
801: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:02:51 ID:5aL
>>790
最期が疑問系なのが良くも悪くも考えさせる書き方するよな
最期が疑問系なのが良くも悪くも考えさせる書き方するよな
805: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:04:12 ID:Rpv
>>801
敢えて陳寿はこうしてるとワイは思う
陳寿も完全には批判したくなかったんやろ
敢えて陳寿はこうしてるとワイは思う
陳寿も完全には批判したくなかったんやろ
796: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:00:33 ID:Rpv
おまけ
諸葛亮の軍事能力考察
本文の紹介はこれで終わりでここからは諸葛亮の軍事能力考察や
見たい人だけが見て行く感じでオナシャス
諸葛亮の軍事能力考察
本文の紹介はこれで終わりでここからは諸葛亮の軍事能力考察や
見たい人だけが見て行く感じでオナシャス
799: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:01:50 ID:Rpv
諸葛亮はよく軍事が下手と言われるが果たしてそれは本当なのか考察してみたい。
北伐以前にも劉璋時代の益州攻略、劉備死亡後の益州四郡の反乱の制圧などで戦っており、それは諸葛亮の能力の高さを十分表顕するものであるが、記載が少なく、また比較となりうる人物もいないため、今回は北伐に絞って検証することにした。
北伐以前にも劉璋時代の益州攻略、劉備死亡後の益州四郡の反乱の制圧などで戦っており、それは諸葛亮の能力の高さを十分表顕するものであるが、記載が少なく、また比較となりうる人物もいないため、今回は北伐に絞って検証することにした。
800: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:02:47 ID:Rpv
第一次北伐
まず諸葛亮は建興六年(228年)の春に斜谷道から郿を取ると喧伝し、趙雲、鄧芝を囮にして箕谷に進軍させる。ここで曹真を釣り出すことに成功する。
まず諸葛亮は建興六年(228年)の春に斜谷道から郿を取ると喧伝し、趙雲、鄧芝を囮にして箕谷に進軍させる。ここで曹真を釣り出すことに成功する。
803: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:03:14 ID:0od
劉備の戦闘能力が異常だっただけやろなあ
806: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:04:12 ID:VRE
人をみる目がない
808: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:04:59 ID:OM1
>>806
劉備が異常なんだよなぁ
劉備が異常なんだよなぁ
807: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:04:26 ID:Rpv
こうした後諸葛亮は祁山を攻めに行く。備えの無かった南安、天水、安定の三郡は魏に離反する。ここまでの戦略は戦わずに三郡を得て完璧と言ってもいいほどだった。
この事が起こると曹叡は長安に行き張郃を派遣する。これに対抗すべく諸葛亮は馬謖を街亭に遣わす。人々の議論では魏延か呉壱がいいと言われていたが結局諸葛亮は馬謖を遣わした。これが諸葛亮の大きなミスとなる。
この事が起こると曹叡は長安に行き張郃を派遣する。これに対抗すべく諸葛亮は馬謖を街亭に遣わす。人々の議論では魏延か呉壱がいいと言われていたが結局諸葛亮は馬謖を遣わした。これが諸葛亮の大きなミスとなる。
809: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:05:18 ID:Rpv
馬謖は諸葛亮の命令に違反し、砦に拠らず山に登ってしまった。その山は水路がなく、また馬謖自身の命令も繁雑だったため、張郃に包囲されると簡単に破られてしまう。
それでも諸葛亮は進軍したが結局拠点にする場所がなかったため撤退した。戦果としては西県の千余りの家を引き抜いたことだけであった。
それでも諸葛亮は進軍したが結局拠点にする場所がなかったため撤退した。戦果としては西県の千余りの家を引き抜いたことだけであった。
817: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:08:49 ID:5aL
>>809
これが本当に惜しい
さっきも言ったが野戦に望む可能性は無かったんだろうか
あるいは占拠した三郡のいずれかに拠るとか
これが本当に惜しい
さっきも言ったが野戦に望む可能性は無かったんだろうか
あるいは占拠した三郡のいずれかに拠るとか
818: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:10:11 ID:Rpv
>>817
史書から状況なんてわからんが恐らく野戦だと数で負けて不利とかやったんやろなぁ
史書から状況なんてわからんが恐らく野戦だと数で負けて不利とかやったんやろなぁ
810: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:06:08 ID:Rpv
直接長安方面に行くと見せかけて祁山に出て戦わずに三郡を奪ったその戦略自体は間違っていなかったと考える。
ただ人選は間違っていた。魏延が命令違反をする人物だと見抜いていた諸葛亮は彼を使わなかったのはよいとして何故呉壱を使わなかったのだろうか?
ただ人選は間違っていた。魏延が命令違反をする人物だと見抜いていた諸葛亮は彼を使わなかったのはよいとして何故呉壱を使わなかったのだろうか?
811: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:06:49 ID:uZB
即断速攻を得意とし、大兵力と地の利を有していた司馬懿がガン篭りをしてるってヤバイと思うわ
814: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:07:41 ID:Rpv
>>811
これ
魏は勢力で勝るのに守ってるだけってのがやばい
これ
魏は勢力で勝るのに守ってるだけってのがやばい
812: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:07:01 ID:Rpv
第二次北伐
曹真は諸葛亮が陳倉に攻めてくると予想し郝昭、王生を派遣して築城をさせていた。予想通り諸葛亮は建興六年(228年)冬または七年(229年)春に陳倉を包囲。
曹真は諸葛亮が陳倉に攻めてくると予想し郝昭、王生を派遣して築城をさせていた。予想通り諸葛亮は建興六年(228年)冬または七年(229年)春に陳倉を包囲。
813: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:07:20 ID:A82
信頼して送り出した将が命令違反して戦犯になるとか佐久間盛政とキャラ被ってるよなぁ
815: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:08:09 ID:Rpv
『魏略』には郝昭が千人余りの軍で諸葛亮の数万の軍を防いだという記載があるが恐らくそれは嘘。
魏略は適当なことが書いてあることで有名だが、これもその一つで、曹真伝を見るに進攻ルートを読み、将軍を派遣し、築城までさせているのに最前線に千人余りしか配置していないというのは流石に考えられない。
諸葛亮は陳倉を攻めたころには恐らく厳重に守りを固められており、途中で費曜らの将軍も派遣されている。蜀は攻めきれず兵糧が底をついて撤退する。帰り際に王双が追撃すると返り討ちにして斬り殺す。
魏略は適当なことが書いてあることで有名だが、これもその一つで、曹真伝を見るに進攻ルートを読み、将軍を派遣し、築城までさせているのに最前線に千人余りしか配置していないというのは流石に考えられない。
諸葛亮は陳倉を攻めたころには恐らく厳重に守りを固められており、途中で費曜らの将軍も派遣されている。蜀は攻めきれず兵糧が底をついて撤退する。帰り際に王双が追撃すると返り討ちにして斬り殺す。
816: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:08:09 ID:VRE
魏延出してたらどうなってたやろな
818: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:10:11 ID:Rpv
>>816
魏延が命令に従えば街亭以西は掌握出来てたかもしれん
魏延が命令に従えば街亭以西は掌握出来てたかもしれん
819: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:11:20 ID:Rpv
第三次北伐
建興七年(229年)の春に陳式を遣わして武都・陰平を攻めさせる。郭淮がそれを止めようとすると諸葛亮は自ら兵を引き連れて建威まで牽制に行ったので、郭淮は撤退し、二郡は蜀の所属となった。
ここで注目して欲しいのが第二次北伐から日数があまり経っていないということ。陳倉の包囲、王双との対峙、撤退の期間を考えるとかなり早い。
建興七年(229年)の春に陳式を遣わして武都・陰平を攻めさせる。郭淮がそれを止めようとすると諸葛亮は自ら兵を引き連れて建威まで牽制に行ったので、郭淮は撤退し、二郡は蜀の所属となった。
ここで注目して欲しいのが第二次北伐から日数があまり経っていないということ。陳倉の包囲、王双との対峙、撤退の期間を考えるとかなり早い。
820: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:12:01 ID:0od
呉懿と張翼と馬忠は上手く使えたら魏と闘えたかもな
824: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:13:40 ID:Rpv
>>820
呉壱はなんで使わんかったんやろ?
ホンマ謎や
呉壱はなんで使わんかったんやろ?
ホンマ謎や
821: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:12:01 ID:5aL
第二次と第三次は同一セットと考えてもええかもね
822: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:12:15 ID:VRE
継続してたんやろなぁ
824: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:13:40 ID:Rpv
>>821 、822
これがワイの考え
負けやなくて攻めの方向を変えたんやないかと
これがワイの考え
負けやなくて攻めの方向を変えたんやないかと
823: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:12:31 ID:Rpv
あまりにも日数が近すぎるからこれは敵を誘導する策だと主張する人もいるがそれは流石に都合の良すぎる考えだと個人的には思う。
ただ漢中には第三次北伐を行える兵糧があったのに陳倉に運ばせず、撤退してからすぐに武都・陰平を攻めに行ったということは、むしろ攻めの目標を変えただけではないかというのが私の考え。
ただ漢中には第三次北伐を行える兵糧があったのに陳倉に運ばせず、撤退してからすぐに武都・陰平を攻めに行ったということは、むしろ攻めの目標を変えただけではないかというのが私の考え。
826: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:13:56 ID:Rpv
第四次北伐
建興九年(231年)の春二月に祁山に出陣。第四次北伐の詳細は司馬氏に憚ってか本文に書かれていないが注釈の『漢晋春秋』には事細かに記載されている。
それはまず上邽で郭淮・費曜らと交戦して撃破し、次いで司馬懿と直接対決すると三千の首、五千のくろがねの鎧、三千百の弩を獲得する大勝をあげるといった内容。
建興九年(231年)の春二月に祁山に出陣。第四次北伐の詳細は司馬氏に憚ってか本文に書かれていないが注釈の『漢晋春秋』には事細かに記載されている。
それはまず上邽で郭淮・費曜らと交戦して撃破し、次いで司馬懿と直接対決すると三千の首、五千のくろがねの鎧、三千百の弩を獲得する大勝をあげるといった内容。
827: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:13:58 ID:0od
武都なら異民族の手前やし懐柔できるやついないと厳しいな
834: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:16:35 ID:5aL
>>828
馬超が生きてれば戦略レベルで違ったと思うわ
あいつの存在は涼州では強烈やったろうし
馬超が生きてれば戦略レベルで違ったと思うわ
あいつの存在は涼州では強烈やったろうし
838: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:17:58 ID:0od
>>834
その後考えても西側の異民族強すぎるわな
その後考えても西側の異民族強すぎるわな
829: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:15:11 ID:Rpv
>>827
異民族か
馬氏や姜維とかかな?
異民族か
馬氏や姜維とかかな?
831: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:15:14 ID:VRE
勝てそうにないのではなく糧食が尽きたから…すぐ回復したんで他攻めるからと言い訳しないといけないレベルの伏魔殿と化してたわけでもないやろしなぁ…
837: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:17:55 ID:5aL
>>832
ここの李厳の行動謎なんだよなぁ
なんであんま見え見えの嘘ついたのか
ここの李厳の行動謎なんだよなぁ
なんであんま見え見えの嘘ついたのか
839: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:19:21 ID:Rpv
>>837
あれは本当に謎
勝ってたのに撤退させた罪を恐れてのことかもしれんが嘘が明らかで群臣の誰にも擁護されとらんとか
あれは本当に謎
勝ってたのに撤退させた罪を恐れてのことかもしれんが嘘が明らかで群臣の誰にも擁護されとらんとか
833: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:16:31 ID:Rpv
第五次北伐
建興十二年(234年)の春二月に五丈原に駐屯し渭南で司馬懿と対峙。第五次北伐中に諸葛亮は軍を西に動かして注意を引きつけ陽遂を攻めるという策をとったが郭淮に見破られて備えをされていたため攻め落とせなかった。
この年の八月に死去。司馬懿が残された軍営を見ると「天下の奇才」と評した。
建興十二年(234年)の春二月に五丈原に駐屯し渭南で司馬懿と対峙。第五次北伐中に諸葛亮は軍を西に動かして注意を引きつけ陽遂を攻めるという策をとったが郭淮に見破られて備えをされていたため攻め落とせなかった。
この年の八月に死去。司馬懿が残された軍営を見ると「天下の奇才」と評した。
835: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:17:24 ID:uZB
西方の異民族は馬超がいればなあ、戦闘力以外にも西方へのコネクションも見込まれていたというのに、FAしてすぐしにやがった
こいつが60代まで現役なら北伐は全く違ったものになってたやろうに
こいつが60代まで現役なら北伐は全く違ったものになってたやろうに
836: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:17:36 ID:Rpv
北伐のおおよその流れはこのようなもの。
総評すると諸葛亮の北伐中における失敗は第一次の人選ミスのみであり、郭淮を撃破、司馬懿に大勝、王双、張郃を撤退戦という不利な状況から殺害、二郡の奪取といったそれを補って余りあるくらいの軍事における有能なエピソードがあることがわかる。
総評すると諸葛亮の北伐中における失敗は第一次の人選ミスのみであり、郭淮を撃破、司馬懿に大勝、王双、張郃を撤退戦という不利な状況から殺害、二郡の奪取といったそれを補って余りあるくらいの軍事における有能なエピソードがあることがわかる。
840: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:19:34 ID:Rpv
また撤退についても
第一次 馬謖が命令違反を犯したため
第二次 防備を固められており攻める方向を変えるため
第三次 勝利
第四次 長雨で兵糧の供給が続かなかったため
第五次 諸葛亮自身が死んだため
と、負けて撤退した以外のことが原因になっている。
第一次 馬謖が命令違反を犯したため
第二次 防備を固められており攻める方向を変えるため
第三次 勝利
第四次 長雨で兵糧の供給が続かなかったため
第五次 諸葛亮自身が死んだため
と、負けて撤退した以外のことが原因になっている。
841: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:20:01 ID:VRE
やっぱ登山家は糞やな
842: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:20:42 ID:Rpv
官渡の曹操、石亭の陸遜はどちらも敵を大破しているがそれでもわずかばかりの土地すら得られなかった。赤壁後の周瑜ですら一年を費やしてようやく一郡を奪えた程度である。この事から考えれば二郡しか奪えなかった諸葛亮も決して戦が下手とはいえない。
845: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:21:43 ID:VRE
そ、曹操は袁紹を恐れてたから…
847: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:22:45 ID:Rpv
>>845
先主伝でやったけど完全になめてたやんけ
先主伝でやったけど完全になめてたやんけ
844: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:21:32 ID:Rpv
さらに功を成すには自身の力だけではどうにもならないことが多い。秦の王翦の功には李信が二十万の軍を大敗させてからすぐに六十万の軍を出せる国力が背景にあった。
漢の韓信には張良、蕭何、英布、彭越をはじめとした能臣や名将がいて、それは馬謖、李厳、魏延とは比べものにはならない。
諸葛亮にはこのような兵力も将もなかったのである。
漢の韓信には張良、蕭何、英布、彭越をはじめとした能臣や名将がいて、それは馬謖、李厳、魏延とは比べものにはならない。
諸葛亮にはこのような兵力も将もなかったのである。
846: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:22:02 ID:0od
ベトナム方面は相変わらず反乱しまくって都会に戻りたいやつらかかえて天下の4分の3とった魏と勝負は無理やな
847: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:22:45 ID:Rpv
>>846
国力の差は大きいよな
国力の差は大きいよな
849: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:23:26 ID:Rpv
ましてや諸葛亮は天候や寿命にも恵まれていなかった。このような中これ程の成果を出したのである。
考えて欲しい、司馬懿に対し大勝出来る将軍が三国志の中にどれほどいようか?
これをもって私は諸葛亮が三国時代最強の軍事能力を持った人物だと結論付けたい。
考えて欲しい、司馬懿に対し大勝出来る将軍が三国志の中にどれほどいようか?
これをもって私は諸葛亮が三国時代最強の軍事能力を持った人物だと結論付けたい。
851: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:24:50 ID:Rpv
以上で諸葛亮伝の紹介は終わりや
853: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:25:29 ID:5aL
しかし隴西地方の確保という大目的を達せなければ、結局蜀はジリ貧になる
そこに一番近づけた第一次を棒に振ったのが痛恨の極み
厳しいようやがそこが孔明の限界やったんやろうなと思う
無論トップクラスで有能な軍司令という前提やで
その上で国力全てを賭けれるような大博打を打てる大胆さを持てていたらと勿体無く感じる
そこに一番近づけた第一次を棒に振ったのが痛恨の極み
厳しいようやがそこが孔明の限界やったんやろうなと思う
無論トップクラスで有能な軍司令という前提やで
その上で国力全てを賭けれるような大博打を打てる大胆さを持てていたらと勿体無く感じる
865: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:35:11 ID:Rpv
>>853
そういう賭けが出来んと成功は難しいんかな
そういう賭けが出来んと成功は難しいんかな
855: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:26:09 ID:VRE
おもろかったで
858: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:28:19 ID:OM1
やっぱ運の部分も大きいわな
859: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:29:33 ID:uZB
北伐の西方確保の目的って西域との貿易目的やと思うわ
866: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:35:11 ID:5aL
>>859
それも大きいやろうなぁ
南方のシルクロードの別窓口は確保しとるから、両方手に入れればウハウハやったろう
それも大きいやろうなぁ
南方のシルクロードの別窓口は確保しとるから、両方手に入れればウハウハやったろう
860: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:31:31 ID:5aL
ところで木牛牛馬ってなんじゃ?と思って調べてたら中国には巨大な車輪を持つ一輪手押し車があった
g
一般的な木牛竜馬の想像図とは全然違うけど、輸送能力が劇的に改善したんならこういうのだったんかなと妄想が捗る
g
一般的な木牛竜馬の想像図とは全然違うけど、輸送能力が劇的に改善したんならこういうのだったんかなと妄想が捗る
864: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:34:54 ID:len
演義だと周瑜が孔明のライバル役だけど
正史だと周瑜どんな感じなんだろ
正史だと周瑜どんな感じなんだろ
868: 名無しさん@おーぷん 2017/08/06(日)21:37:28 ID:Rpv
>>864
赤壁関連は創作多く諸葛亮と周瑜がライバルってこと自体も正史には載ってないことなんや
赤壁関連は創作多く諸葛亮と周瑜がライバルってこと自体も正史には載ってないことなんや
882: 名無しさん@おーぷん 2017/08/07(月)00:47:03 ID:IcM
諸葛亮は人材を育てられんかったんか?
883: 名無しさん@おーぷん 2017/08/07(月)08:41:10 ID:OTX
>>882
とんでもない
諸葛亮の後継者で四相の次席である蒋琬は、失態により劉備が処断しかけたのを諸葛亮が取り成し後に大成した
蒋琬は諸葛亮遠征中は成都の政治軍事を預かり、その死後も人々の不安を抑え、混乱なく蜀の軌道を整える事に成功している
馬謖ばかり悪辣に取り上げられるが、蒋琬に関しては劉備が見誤り孔明が慧眼であるという全く逆の事をやってる
とんでもない
諸葛亮の後継者で四相の次席である蒋琬は、失態により劉備が処断しかけたのを諸葛亮が取り成し後に大成した
蒋琬は諸葛亮遠征中は成都の政治軍事を預かり、その死後も人々の不安を抑え、混乱なく蜀の軌道を整える事に成功している
馬謖ばかり悪辣に取り上げられるが、蒋琬に関しては劉備が見誤り孔明が慧眼であるという全く逆の事をやってる
883: 名無しさん@おーぷん 2017/08/07(月)08:41:10 ID:OTX
また>>780や>>786にもあるように信賞必罰を徹底しても人に怨まれる事がなく、
自らが罷免した廖立や李厳からも、いつか諸葛亮が再び引き上げてくれると信じていた
こういう人の元で人間が育たないという事の方がないと思うで
自らが罷免した廖立や李厳からも、いつか諸葛亮が再び引き上げてくれると信じていた
こういう人の元で人間が育たないという事の方がないと思うで
コメント
コメント一覧
>>その上で国力全てを賭けれるような大博打を打てる大胆さを
持てていたらと勿体無く感じる
これができる人材がいなかったから統一されず「三国」志になったんやろな
あの曹操ですら尻を叩く軍師がおらんと損切りしてすぐ撤退してしまう
結果国力は最強、赤壁・漢中防衛戦の損害自体は軽微だったが
人生で何度とはない統一の「機会」を失い続けた
李厳は諸葛亮の死を知って、もう地位を取り戻すのは無理だと嘆いた程だしな
自分を罰した人間が自分をいつか引き立ててくれると信じさせる事が出来る人間てそういるもんじゃない
荊州のみならず主君の劉備を筆頭に多くの名将を失ってなお幼い主君と国家のために北伐を敢行し続けた諸葛亮の心中を察すると涙せずにはいられない
地元がらみの英雄伝を聞いて育ったのかも知れんね。
※3
それは、むしろ李厳に舐められてね?
魏延にも舐められてるし、法律にうるさい割には、配下の統制が甘いと言うか、お人好しだね。
仕えている王朝の始祖が逆賊に大敗しているなんて陳寿も書けるわけもないし
大敗してたら、諸将が攻撃すべしなんて主張しないだろ。先に動いたら負けと言うときに膠着状態が生まれる訳で、それが分からん部下に示すためのお芝居でしょ。
いや何言ってんだ?
別に罰を受けた者が二度と挽回出来ないという法があったわけでもなし
膠着状態ってのは戦力が互角のときに生じるもんだろ?
歴戦の魏の諸将が開戦を強硬に主張したということは客観的に圧倒的な戦力差があったと考えるのが当然
それでも司馬懿が開戦を拒んだ理由を説明して貰わないとその意見には賛同できんな
李厳のやらかした事から考えたら、普通復帰は無理だろ。本人もそれ分かってるから、諸葛亮が死んだら、流石に再登板は無いって思ったんでしょ。
※10
そもそも、そんな圧倒的な戦力差は無いよ。小説のイメージ先行だな。魏軍と蜀軍が何人ずついたと思う?
もう一つ言うと、小牧長久手とか見ても分かるように、防御側の方が有利になる場合は、圧倒的な戦力差があっても、膠着状態になります!
御納得いただけました?
少なくとも、李世民とかは司馬懿の方が戦力的に優位だったのに、
諸葛亮を恐れて前進せず、諸葛亮が死亡した後に追撃して
蜀軍が反転してきたらまた逃げた、これで良将といえるのだろうか、
と疑問を呈したりしてますね。
また、同時代の呉の学者さんとかも、国力9分の1の諸葛亮相手に
引きこもるとは、諸葛亮>司馬懿と言わざるを得ないだろう、
的に述べたりしてますよ。
当時からも後世からも、諸葛亮>司馬懿的に評価されているのは、
普通の史実なわけですしねえ。
それと司馬懿が大敗したと言う話と何が関係あるの?
大敗したことがあると言うなら、根拠がいるでしょ。
いやいや、司馬懿の大敗は、正史本文でしっかりと裏をとる事が出来ますよ。
スレ主さんは諸葛亮伝の紹介だから、触れなかったのか、
それともご存じなかったのかは存じあげませんが、
三国志正史王平伝を参照しますれば、第4次北伐の時の記述で、
司馬懿が諸葛亮の本隊に攻撃をかけ、張コウが王平の陣に攻撃をかけた、
という漢晋春秋とそっくりな戦いの記述が存在しておりますわけでして。
その戦いの結果は、「王平は張コウの攻撃を凌ぎきって撃退した。」
的に書かれており、これも漢晋春秋の記述と同様ですね。
で、司馬懿と諸葛亮の本隊同士の戦いの結果については記述されておりませんが、
この戦い以後も普通に蜀軍は対陣を続けており、李厳問題が起きた結果として
撤収する事になり、追撃してきた張コウを打ち倒した、という流れですので、
普通に考慮しますれば、晋書とは異なり、
「少なくとも諸葛亮本隊が司馬懿本隊を撃退した事は確実」という事が
明瞭に類推する事が可能であると思われるわけでして。
で、その結果を陳寿が正史に明記する事を避けた、という事実から考慮しますれば
この戦いの結果は、漢晋春秋が記しておりますように、
陳寿が司馬一族に憚って明記する事を避ける程の、蜀軍の大勝利であった、
というのも、これまた普通に類推が可能であると思われますねえ。
追記として、資治通鑑においては、この時の戦いについて、
漢晋春秋と同じ蜀軍の勝利と戦果を記しており、
元となる記録などが存在し、漢晋春秋や資治通鑑がそれを採用した、
という事が類推可能なのではないかと思われるわけですが、
如何なものでしょうかねえ。
宋代はもう三国志演義の基となる講談が定着してて、蜀を正統とする漢晋春秋の説は広く受けいれられてる。信じるに値しないとまでは言わないが、晋書の記述が全く退けられるべきとも思わない。編纂時、司馬懿を低く評価したとされる李世民でさえ、司馬懿は神武で東方の戦績を見れば、蜀との戦いの様子は主君を欺いているのでは、とも述べている。
諸葛亮は負けても、代わる人材が無い一方で、司馬懿は曹真・曹爽と対蜀司令官を交代させられているのを見ると、事実は別として替えのきく人材だった。
敗北は更迭に繋がりかねない事からも、大敗には違和感がある。
いやいやいや、それは無理だと思うのですがねえ。
正史王平伝ではしっかりと、第4次北伐の時にこの戦いが存在した事が
明記されているわけでして。戦いを否定する事も、
それに参戦した武将が魏側では司馬懿・張コウ、といういずれも当時の魏軍の
ナンバー1とナンバー2である事からも十分に否定されると思いますしねえ。
それに大敗、とは言っても、打ち倒された兵が3千、ともなりますれば
負傷した兵がその3~4倍としましても、最大で魏軍の被害は1万5千程の死傷、
司馬懿の軍が5~6万、あるいは10万近くに達していたならば、
十分にまだ守りをしっかりと固めて守勢に徹すれば、対峙を続ける事は
可能なように思えますしねえ。
いやいやいや、資治通鑑は別に漢晋春秋だから受け入れた、というのではなく、
普通に妥当性があると思われるから、書いたのだと思いますがねえ。
正史・漢晋春秋で、明らかに同一の記録などを基にしていると思われる程に
この戦いは共通項が多く、正史が書いてないのは、ただただ
「諸葛亮本隊と司馬懿本隊の戦いの結果がどうであったか」という事柄
だけなわけですしねえ。
で、司馬懿が大勝したというなら、陳寿は堂々と三国志にその事柄を
明記すればよかったわけですしねえ。
劉備の夷陵の敗北も明記しておりますのに、「司馬懿が勝利していたならば」
司馬一族にかなり気を使って三国志を書いていた陳寿が、
この戦いの結果を記さない理由は存在しないですし、むしろ記さなかった事で
司馬一族から批判を受けても仕方の事柄なわけですしねえ。
これらを考慮しますれば、司馬一族にかなり気を使って記述している陳寿が
明記する事を避けており、司馬一族からも、その事で批判されない、
むしろ書かない事で批判されない事柄、と考慮しますれば、
それは晋王朝の祖である司馬懿の、諸葛亮軍に対する敗北、というのが
類推として、非常に妥当であるように思われるわけですしねえ。
ここら辺は如何なものでしょうかねえ。
>晋書の記述が全く退けられるべきとも思わない。
いや、全く退けられるべきだと思いますけれどねえ。
この場合に関してましてはねえ。
晋書の記述では、司馬懿が諸葛亮軍を打ち破って完全勝利して、
数万もの損害(夷陵にも匹敵する損害ですねえ。)を蜀軍に与え、
それによって、諸葛亮はそのまま蜀に撤収した、という話になっておりますが、
これだけの大勝を司馬懿がした、というのであれば、
文字通り蜀軍は再起不能に近い損害を受けた事になるでしょうし、
そのまま戦線を維持する事も不可能でしたでしょうし、
(そもそも、晋書的にはそのまま蜀軍は本国に撤収しているわけですし)
そもそもの話として、上記の第4次北伐における司馬懿と諸葛亮の戦いは
5月(昔の太陰暦で言うならば、ちょうど夏ですねえ。)にあった、
と書かれておりますが、
諸葛亮の撤収は正史三国志によりますれば秋であったとされており、
司馬懿が完全勝利して、蜀軍はそのまま国に撤収した、とされている
晋書の記述とは明確な程の矛盾が存在しているわけですが、
この件についてはどう思われますかねえ?
貴方には残念な話かもしれないとは思うのですが、晋書は小説とかの内容も
取り込んでいて、その信憑性は全正史でもトップレベルの下位にある、と
されておりますように、普通にこれは正史との矛盾が大きすぎて、
無理がありすぎると思われますけれどねえ。
>蜀との戦いの様子は主君を欺いているのでは、とも述べている。
こんな事述べてましたっけえ?どのような記述であるか、ご紹介の方を
いただきたいのですけれどねえ。
李世民は普通に、司馬懿の方が戦力的に優位だったのに、
諸葛亮を恐れて前進せず、諸葛亮が死亡した後に追撃して
蜀軍が反転してきたらまた逃げた、これで良将といえるのだろうか、
と疑問を呈したりしてるのですけれどねえ。
>司馬懿は曹真・曹爽と対蜀司令官を交代させられているのを見ると、
司馬懿は曹真と司令官を交代させられた事はなかったように思われるのですがねえ。
演義の話と混同なされておられたりしておりませんかねえ。
まず蜀方面軍司令官は曹真が最初、次が司馬懿、司馬懿が中央に移動した後に、
政治権力の争いで、曹爽が軍功を求めて蜀征伐軍を開始、という感じですから、
貴方の言うような流れとは異なりが生じておりますような気がするのですがねえ。
ついでに、司馬懿は蜀軍が李厳問題で本国に帰国した後に、
追撃して張コウを打ち倒されたりもしておりますが、
それでも一応蜀軍を帰国させた、という事で魏朝廷に報告し、
褒賞をいただいているわけですしねえ。
むしろ、諸葛亮に野戦で敗北した司馬懿としては、後はひたすら粘って
蜀軍が撤収するのを待つしかなかったのではないかと思われるわけですしねえ。
で、蜀側には李厳問題が起こり、司馬懿が望んだのとは異なる形ではありましたが、
ともあれ、蜀軍には帰国していただく事が出来、司馬懿は褒賞をいただく事が
できました、というだけの話でしかないと思われるのですがねえ。
戦いを否定する事も、
それに参戦した武将が魏側では司馬懿・張コウ、
を
戦いを否定する事も、
その戦いが小競り合いであったというようにご主張なされる事も
それに参戦した武将が魏側では司馬懿・張コウ、
というのに修正しておきますねえ。失敬でしたねえ。
君の李世民の評価ってのは、晋書の論だろ?
まず、司馬懿の才略を誉めて、次に武功を誉める。諸葛亮を倒さないとはそれで良将だろうか?と疑問を呈す。
文帝明帝に忠義だったのに、あれは嘘か?東でのあの鮮やかな手並みが西で発揮できないのか?
そもそも、偽りの心があったのだ。悪名を後生に残しては何にもならない。
ざっくり訳だけど、こんな感じ。
それで良将と言えるか、いやいやこんな理由がと種明かしをしてるわけだ。李世民が編纂させた、晋書見る限り諸葛亮の方が凄いとは思わない筈だよ。
それ以上は国家の体裁を保てまい。
晋書は志怪小説の類いを採用しているので、荒唐無稽とされるが、一方で唐までに編纂された晋書を参考にしてあり、粗漏あるとは言え、漢晋春秋と違って完本が残っている点に価値がある。概ね記述が同じなのに、結果だけ違うのは何故かね?
漢晋春秋自体は、蜀を正統として、晋王朝の末期に書かれた。何で陳寿は遠慮して、習鑿歯は遠慮しないのか、考えを聞かせて欲しいね。
んん~?何かその訳し方は妙な感じがすると思うのですけれどねえ。
「諸葛亮が生きている時はそれを恐れて戦おうとしなかった。
(以下略)これで良将と言えるのだろうか?
文帝明帝に仕え、国家の重鎮となった。しかし皇帝から後を託されながら
それに答えようとはしなかった。皇帝の陵が乾かないうちに宰相を殺したのは
忠臣と言えるのだろうか?」と言って
問題になりますのはその後で、原文的に言うならば、
「善を尽くすやり方がこのようであった、というのは惑うものである。」
「征討の策は東では賢で西では愚かであったのはどういう事か?」
「補佐の心が前は忠烈であったのに、なんで後になって乱れたのか?」
となっておりまして、要は司馬懿の忠誠心が後になって揺らいだ事を述べて
いると思われるわけでして、「諸葛亮を恐れて前進せず」的な事を
否定しているとはどうにも思われないわけですしねえ。
っていうか、結局の所、他の部分で述べられている、
貴方の第4次北伐での司馬懿と諸葛亮の戦いについては、
これまでに述べてきたように、晋書を参考にするのは無理がある、というのは
ご納得なされた、という事でよろしいのでしょうかねえ?
いや、ですからあ、何度も何度も述べておりますように、
晋書の記述は無理がありすぎるんですってば。
1.晋書の記述では、司馬懿が諸葛亮相手に完全勝利して、
蜀軍はそのまま本国に撤収した事になっているが、
実際には夏に戦いがあったはずなのに、秋まで諸葛亮は対峙を続け、
李厳問題が起こった事で撤収している。この時点で晋書との記述は
明確に矛盾している。
2.晋書の記述通りに司馬懿が勝利したのなら、
陳寿は普通にそれを書くはずなのに、陳寿は王平の勝利だけを書き、
司馬懿と諸葛亮の戦いがあった事は明記しているのに、その結果について
明記する事は避けている。司馬一族に気を使って書いていた陳寿なら、
もし司馬懿が勝利していたなら、これを書かないのは不自然、というか
司馬一族からそれを理由に糾弾される可能性が非常に高い。
この時点でも矛盾が大いに発生している。
3.後世の資治通鑑なども晋書の記述は全く参考にしていない。
というか、晋書の戦いの経過は正史に書かれた戦いの流れの記述とも
明確に矛盾している。
言ってみれば、正史王平伝と漢晋春秋でおおむね情報が一致しているが、
晋書の場合は、その前提や戦いの流れ、などからして大いに異なる。
言ってみれば、三国志・漢晋春秋に対して、晋書だけが異常に浮いている状態。
この矛盾点についてもお答えいただきたいですかねえ。
とりあえず、これらの矛盾点についてお答えになる事から
お始めになられていただきたいですかねえ。
>一方で唐までに編纂された晋書を参考にしてあり、
戦乱の中で乱れに乱れまくって小説とか誇大な話とかが
たくさん紛れてしまった結果、正史の中でも信憑性において
大いに疑義を呈されている状況なんですけど。
>粗漏あるとは言え、漢晋春秋と違って完本が残っている点に価値がある。
だからなんなんですかと。※27にも書きましたように、
上記にも書きましたように、第4次北伐の所は正史三国志と比しても
矛盾が生じまくっている、というのが実態なのに、完本が残ってるから
なんだというのですか、としか、こちらには言えないのですけれどねえ。
>概ね記述が同じなのに、結果だけ違うのは何故かね?
いやいやいや、何度も言ってるように、都合悪い所は必死にスルーしようと
躍起になられるのはやめていただきたいのですけれどねえ。
晋書の記述は、※27にもありますように、正史三国志と比しても、
矛盾が大量に生じている状態なのですけれど、これについて
まず整合性をつけてお答えになる事からお始めになられていただきたいと
思いますので、お願いいたしますねー。
>何で陳寿は遠慮して、習鑿歯は遠慮しないのか、考えを聞かせて欲しいね。
陳寿は晋王朝の黎明期と隆盛期に生きていた人間ですから、
司馬一族の勢力が強い時代には、それを憚るのは極めて当然なわけで、
対して習鑿歯は司馬一族の勢いが減少し、簒奪も恐れられている時代に
生きた人間です。さらに習鑿歯は蜀も正統なる王朝として認めており、
それが司馬懿を打ち破った、という史実を記すのに、
特に遠慮をする必要性自体を
感じなかった、というのが妥当だと思われますが。
とりあえず、貴方にはまず聞かれている数々の矛盾事項などについて
整合性をつけてご回答になられる事からお始めになられていただきたいと
思いますので、よろしくお願いいたしますねー。
どう見ても敗軍の落ち目の劉備軍を、孫権軍と対等扱いの同盟に持ち込んだだけでなく、
その後の天下三分の形勢まで暗に認めさせる形になってるのが凄すぎる。
驚嘆すべき交渉術だと思う。
土地は無いが人はいたと言うのが、この時代では有利に働いたな。孫権は逆に人はいないが土地はあった。