1: サーバル ★ 2017/08/21(月) 13:46:36.10 ID:CAP_USER9
8/21(月) 10:29配信

朝日新聞デジタル
 室町時代の1498(明応7)年に九州で発生したとされる「日向灘地震」は、実際には存在しなかった可能性が高いとする調査結果を、東京大地震研究所の原田智也特任助教らがまとめた。理科年表などにも掲載されている地震だが、根拠となった軍記は「記述の信頼性が非常に低い」という。

 マグニチュード(M)7~7・5の日向灘地震があったという説は、江戸時代の読み物「九州軍記」に描かれた地震被害に基づいて1987年に提唱された。九州で山崩れ、地面が裂けるなどの現象が起き、民家はすべて壊れ死者多数とされた。

 原田さんらは今回、九州軍記の信頼性について、改めて調べ直した。軍記は1601年に書かれ、別の人が修正を加えて1607年に完成。地震後100年以上経ってから、できていた。被害地域の名や人的な被害数などの具体的な記述がないうえ、同じ時刻に地震が起きたという記録は、ほかの史料には見当たらないことが分かった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170821-00000008-asahi-soci
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1503290796/
3: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 13:48:29.58 ID:wjWHkhmP0
昔のことなんか
わかんないね

5: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 13:50:22.66 ID:NZ1yhyHH0
古文書の地震の記録を調べるニーズが出来てる

6: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 13:50:41.35 ID:97ZvRcoc0
宣教師によってもたらされた大予言ノリにかぶれたにわかが
軍記かいたとかなトカナ

8: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 13:51:52.54 ID:3re8A4mf0
う~ん
地質調査とかから
結論を導き出したわけじゃないのか

71: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 15:14:32.35 ID:jbndVECI0
>>8
まずそれがあって調査なのかと思ったが
違うんかね

11: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 13:52:53.20 ID:Rv/Ja9Z80
文献になると思ったらラノベだったってことか・・・

12: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 13:53:45.22 ID:3MUanuc/0
16: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 13:56:00.92 ID:mSHisFTq0
>>12
どこを探してたんだ

17: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 13:56:54.72 ID:/N6wbBCV0
日本は世界でも稀に見る古文書の豊かな国だったのに
太平洋戦争でアメリカに焼かれて永遠に失われたね
馬鹿な指導者はアメリカの空襲を受けることになるとは夢にも思ってなかったんだよね

47: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 14:26:55.33 ID:2cWacoez0
>>17
空襲で焼失した重要な文献ってどのくらいあるんだ?
応仁の乱とかで失われているもの方が圧倒的に多い気がするんだが。

73: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 15:20:03.44 ID:jbndVECI0
>>17
そこらへんホントはどうなのか知りたいな
なんかほとんど文献とか残ってないような気がするが

最近コルテスのアステカ征服読んでるんだけど
コルテス自身が学問があって
スペイン王に報告書としてリアルタイムで書いて送ってたり
あとで部下が「真実のメキシコ征服」とか書いて発表したりしてるから
色々と検証ができたりしてかなり具体的なところまで想像できる(最後は想像だが)

日本の戦国時代なんかほとんど妄想に近いんじゃないか

向こうはコルテスの時代ですでに報告書が売られて
ベストセラーになって読まれたりしてるからな

89: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 16:43:21.08 ID:gLZuBpx+0
>>73
スペイン王国は西欧で最も発達した国だったが
それでも室町幕府盛期や江戸幕府初期と大差無い程度

報告書だのと言っても日本のぺラい判書や注進状と変わり無い情報量で
その手の文書の集成なら日本にも同水準の物が在る

而もコルテスのわ報告書でも何でも無いしリアルタイムでも無い
同じ様な軍記物わ日本国内でも沢山ある
その日本も同時代の明に比べると些細な分量の文書記録でしかない

106: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 19:20:58.55 ID:jbndVECI0
>>89
コルテスの報告書簡がペラい?

https://archive.org/details/despatchesofhern0cort
↑この本が470ページあるのに

コルテスの第一書簡は失われてしまったが
第二書簡書かれたのは1520年。

一度首都のテノチティトランから追い出された後に出直して
再征服を目指す前のことだ

何といったい勘違いしてるんだ?

93: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 16:49:08.03 ID:pJcKrnP70
>>73
日本の戦国時代は、文字に習熟した公家や僧侶がいた京都周辺とそれ以外の地方とで文献史料の密度が違いすぎる。
川中島の合戦とか川越夜戦とか正確な年月日すら長い間不明だった

27: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 14:02:51.19 ID:OfHpIq370
まさか
・発生したとされる日から年月が100年過ぎている
・具体的な数的被災状況が記されていない
・同時期の資料に記録がない
これだけで否定してる?
断層調べてこりゃないなってならまだ信用できるが

107: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 19:33:57.30 ID:tkVUsfRg0
>>27
同時期の史料に記載がないってのは非常に大きいよ、むしろなんで地質学的な裏付けもないままこれまで日向灘地震が実際にあったと信じられてきてたのか不思議なくらいだ

28: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 14:03:04.77 ID:6CeAVG1u0
つうてもこれ以外に何回も起きてるからあんま意味ないな

30: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 14:05:25.03 ID:pcbYr2er0
>>28
意味は有るよ。周期説があやふやになる

31: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 14:06:50.87 ID:HuY4UPhb0
>江戸時代の読み物「九州軍記」
この手のものが信用できないのはマジ。

41: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 14:11:56.71 ID:9yrABqYk0
しかし、これが全くのデタラメって言うんなら、何のために、こんなのを作ったんだ?
それも100年も経ってから
盛りはあるにせよ、絶対に何かしらの地震はあったと思うけどな

91: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 16:44:34.10 ID:Bct7neVH0
>>41
架空戦記みたいなもんじゃね?

46: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 14:24:50.33 ID:Obl4QNgK0
でたらめというより写本する際に別の地震と取り違えた可能性とかあるのかな?

50: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 14:41:16.53 ID:NZOIM4/K0
寺の過去帳を調べると、亡くなった人の数とかある程度推測出来る。
記録は完全ではないし、寺ごと消滅したらどうしようも無いが。

多くの災害の死亡者数は、そうやって調べる事も多い、軍記とかには庶民の数とかもっと曖昧にしか載らないだろ。

51: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 14:41:36.31 ID:Uibh8JIG0
明応7年6月11日未~申刻(15時頃)に
京都、奈良、熊野、三河、甲斐で強震
遠江で山崩れ、紀伊や三河で津波が起った
明応地震としてもされる

別に九州軍記だけじゃないんだけど
畿内や東海地方に明応地震としても
記録されてるし名前だけの問題でしょ(´・ω・`)

53: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 14:48:48.47 ID:Uibh8JIG0
『御湯殿の上の日記』、『後法興院記』、『続史愚抄』など 
幾つかの史料に地震の記録は残ってる(´・ω・`)

57: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 14:53:35.71 ID:cRdJYqhN0
江戸時代の読み物で室町期の話。いかにも眉唾w

74: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 15:21:49.91 ID:W2UGMkTd0
でもこういうのって
地層に残った痕跡とか調べてるわけじゃないんだね
室町のころの、地割れとか山が崩れたとか
家屋倒壊とかさ
いまの大地震クラスがきたわけじゃなくて、震度3位のゆらゆらでも、地面がゆれたらすごい恐怖だろうし掘っ建て小屋は倒れるだろうし
伝承していく上で、山は崩れて地面も割れまくったとか話は盛るだろうね

77: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 15:35:31.97 ID:jbndVECI0
> 地震被害の記述には、具体的な地名が無く、大地震による一般的な被害の描写である印象を受ける。また、この地震記述と酷似した記述が、『九州軍記』より前に成立した『太平記』や『平家物語』といった軍記物語にみられる。
さらに、軍記には、この地震が巳刻に発生したと記述されているが、この時刻は、明応七年八月廿五日(ユリウス暦1498年9月11日)の明応東海地震の発生時刻である辰刻に近い。
実際、同時代史料である『親長卿記』や『塔寺八幡宮長帳』では、明応東海地震の発生時刻を巳刻と記している。
したがって、軍記の作者が、明応東海地震と六月十一日の地震を混同していた、あるいは、混同して記された文献に基づいて、六月十一日の地震とその被害を描写した可能性がある。そう考えると、同じく軍記に記された
「今度ノ地震ハ九国ノミニ不限、四国・中国・畿内・東海・北国・奥州ノ果迄モ残ル所ナシ、」という記述も、それほど不自然ではなくなる。


↑明応東海地震のことを間違って書いちゃったということだな

96: 名無しさん@1周年 2017/08/21(月) 17:15:46.14 ID:U7mrJBpM0
こういうの多いらしいけどね
一揆とか全国で頻繁にあったと思ったら
字を学ぶために作られたもので、しかも 書き写すする段階で、その土地、年代に合わせて変えるから