1: 紅あずま ★ 2018/01/02(火) 02:53:14.81 ID:CAP_USER9
古書の中から発見された隕石小片の正体を分析、極地研などの研究
財経新聞:2017年12月31日 17:36
http://www.zaikei.co.jp/article/20171231/418934.html
分析した隕石。図中の黒線は5mm。国立科学博物館所蔵。(画像:国立極地研究所発表資料より)
1950年代、京都の土御門家(つちみかどけ)の古典籍の中から、約0.1gの隕石小片が発見された。
紙包みが同梱されており、1817年12月29日に落下した八王子隕石についての記述と、1866年6月7日に落下した曽根隕石についての記述があった。
長らく、この隕石小片は八王子隕石の断片の一つであると信じられてきたのだが、果たしてそれは正しかったのか。
それについて今回分析を行ったのが、国立極地研究所、九州大学、国文学研究資料館、総合研究大学院大学からなる研究グループである。
1817年、つまり文化十四年の隕石は相当な多数が八王子一帯に降り注いだらしい。
それに関する様々な記録が残されており、また発見された隕石の一部は江戸幕府勘定奉行所に届けられて天文方の調査するところともなったのだが、
既に散逸しており、確かに間違いなく八王子隕石の一つである、と裏付けられる現物は残っていない。
一方、曽根隕石というのは、京都に落ちた約17キログラムの隕石である。現在、京都府が所蔵し、国立科学博物館が寄託を受け展示している。
この隕石小片が八王子隕石であると証明することは非常に難しい。比定に用いるべき他の八王子隕石が存在しないからである。
だが、曽根隕石の方は前述のようにサンプルがあるので、比定が可能である。
ただ、わずか0.1グラムの小片を分析することは、従来の技術では困難であった。
それで今までこの隕石の正体は謎のままであったのだが、今回は、「はやぶさ」のサンプルリターンによって得られた微細片の分析にも用いられた、最新の分析技術が用いられ、鑑定が行われることになった。
結果としては、この小片は「H5普通コンドライト」という種類の隕石であり、曽根隕石と全く同一のものである、ということが分かった。
H5普通コンドライトは地球に降り注ぐ隕石の18%を占めるごく一般的な隕石であるので、八王子隕石と曽根隕石が同じタイプの隕石だった、という可能性はまだ残るが、いずれにせよ、これ以上のことは現状では謎のままである。
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1514829194/財経新聞:2017年12月31日 17:36
http://www.zaikei.co.jp/article/20171231/418934.html
分析した隕石。図中の黒線は5mm。国立科学博物館所蔵。(画像:国立極地研究所発表資料より)
1950年代、京都の土御門家(つちみかどけ)の古典籍の中から、約0.1gの隕石小片が発見された。
紙包みが同梱されており、1817年12月29日に落下した八王子隕石についての記述と、1866年6月7日に落下した曽根隕石についての記述があった。
長らく、この隕石小片は八王子隕石の断片の一つであると信じられてきたのだが、果たしてそれは正しかったのか。
それについて今回分析を行ったのが、国立極地研究所、九州大学、国文学研究資料館、総合研究大学院大学からなる研究グループである。
1817年、つまり文化十四年の隕石は相当な多数が八王子一帯に降り注いだらしい。
それに関する様々な記録が残されており、また発見された隕石の一部は江戸幕府勘定奉行所に届けられて天文方の調査するところともなったのだが、
既に散逸しており、確かに間違いなく八王子隕石の一つである、と裏付けられる現物は残っていない。
一方、曽根隕石というのは、京都に落ちた約17キログラムの隕石である。現在、京都府が所蔵し、国立科学博物館が寄託を受け展示している。
この隕石小片が八王子隕石であると証明することは非常に難しい。比定に用いるべき他の八王子隕石が存在しないからである。
だが、曽根隕石の方は前述のようにサンプルがあるので、比定が可能である。
ただ、わずか0.1グラムの小片を分析することは、従来の技術では困難であった。
それで今までこの隕石の正体は謎のままであったのだが、今回は、「はやぶさ」のサンプルリターンによって得られた微細片の分析にも用いられた、最新の分析技術が用いられ、鑑定が行われることになった。
結果としては、この小片は「H5普通コンドライト」という種類の隕石であり、曽根隕石と全く同一のものである、ということが分かった。
H5普通コンドライトは地球に降り注ぐ隕石の18%を占めるごく一般的な隕石であるので、八王子隕石と曽根隕石が同じタイプの隕石だった、という可能性はまだ残るが、いずれにせよ、これ以上のことは現状では謎のままである。
30: 名無しさん@1周年 2018/01/02(火) 04:38:53.29 ID:sQKBAPMf0
>>1
> 江戸幕府勘定奉行所に届けられて天文方の調査するところ
幕府に天文方なんて組織があったのかよ
なにしてたんだ?w
> 江戸幕府勘定奉行所に届けられて天文方の調査するところ
幕府に天文方なんて組織があったのかよ
なにしてたんだ?w
31: 名無しさん@1周年 2018/01/02(火) 04:50:09.96 ID:gx+JXydy0
>>30
平安時代から無修正で、ずれにずれまくった暦を尾何とかしようとした。
平安時代から無修正で、ずれにずれまくった暦を尾何とかしようとした。
33: 名無しさん@1周年 2018/01/02(火) 05:18:39.43 ID:Jhif0cdN0
>>30
昔は太陰暦だから天体観測は重要だったんだよ
脳味噌ヘラヘラの人には分からないだろうが
昔は太陰暦だから天体観測は重要だったんだよ
脳味噌ヘラヘラの人には分からないだろうが
61: 名無しさん@1周年 2018/01/02(火) 09:44:46.81 ID:Kr0vS/Cv0
>>30
測量には不可欠。
伊能忠敬や間宮林蔵も天文学を学んだ。
測量には不可欠。
伊能忠敬や間宮林蔵も天文学を学んだ。
51: 名無しさん@1周年 2018/01/02(火) 07:33:09.96 ID:tB8tweBm0
10: 名無しさん@1周年 2018/01/02(火) 02:59:18.86 ID:mPeUJaz/0
何回見ても土蜘蛛家にしか見えん
17: 名無しさん@1周年 2018/01/02(火) 03:13:11.72 ID:LK618jYO0
呪いをする陰陽師の土御門が何のために石ころを採集していたのか
19: 名無しさん@1周年 2018/01/02(火) 03:24:46.14 ID:GdhdFejN0
25: 名無しさん@1周年 2018/01/02(火) 03:40:10.36 ID:/XnEZjNW0
>>17
天地明察読んだらいいよ。
暦に関する家として出てる
天地明察読んだらいいよ。
暦に関する家として出てる
28: 名無しさん@1周年 2018/01/02(火) 03:48:16.50 ID:LK618jYO0
>>25
暦に関する家というのはわかっている
その暦で呪いをするわけだ
しかし隕石の収集と暦は無関係なわけで
暦に関する家というのはわかっている
その暦で呪いをするわけだ
しかし隕石の収集と暦は無関係なわけで
35: 名無しさん@1周年 2018/01/02(火) 05:42:22.60 ID:fDZzxeCL0
>>28
天体と暦はもろ関係あるやろ
天体と暦はもろ関係あるやろ
49: 名無しさん@1周年 2018/01/02(火) 07:31:16.33 ID:tB8tweBm0
>>28
何言ってんの?
安倍氏(土御門家)は天体現象も具に記録してるんだが。それが陰陽博士の仕事だろ
何言ってんの?
安倍氏(土御門家)は天体現象も具に記録してるんだが。それが陰陽博士の仕事だろ
18: 名無しさん@1周年 2018/01/02(火) 03:20:41.69 ID:KfiqCX4k0
八王子上空で爆発して降り注いだのかな
見たかったなあ
見たかったなあ
32: 【鶏】 【76円】 2018/01/02(火) 05:17:58.36 ID:L+eXfHBm0
日記に八王子隕石と曽根隕石のことが書かれていて、破片が挟まってたからどちらかの隕石かと思われていたのを鑑定したら、曽根隕石でしたという話のどこに速報性が…
八王子隕石は失われてるから八王子隕石だったらビッグチャンスだったの?
八王子隕石は失われてるから八王子隕石だったらビッグチャンスだったの?
42: 名無しさん@1周年 2018/01/02(火) 06:51:57.77 ID:67lVk1Tl0
陰陽師って天文道も司っていたんだったっけ
44: 名無しさん@1周年 2018/01/02(火) 07:01:30.86 ID:PmLt0yXX0
この種の貴重なサンプルも京都だから残ったので
東京や大阪のは焼け野原にされて失われてしまったのも多いんだろうな
東京や大阪のは焼け野原にされて失われてしまったのも多いんだろうな
47: 名無しさん@1周年 2018/01/02(火) 07:21:08.48 ID:WdjFn3JE0
当主が道楽で集めていて土産にあげたのだっけ
72: 名無しさん@1周年 2018/01/02(火) 12:04:24.67 ID:R7NcKRto0
>江戸幕府勘定奉行所に届けられて天文方の調査するところともなったのだが、
>既に散逸しており
幕府と現政権の連続性がないのが惜しい。
御一新をやらずに、徳川慶喜大統領で近代化していたらよかったのに。
>既に散逸しており
幕府と現政権の連続性がないのが惜しい。
御一新をやらずに、徳川慶喜大統領で近代化していたらよかったのに。
コメント
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勘定所には江戸城本丸の「御殿勘定所」と大手門の「下勘定所」があって、どちらも城内にあった。
勘定奉行には町奉行のように専用の公邸兼官邸(いわゆる奉行所)が無く、奉行は自宅から城内の勘定所へ出勤していた。
件の隕石が勘定奉行に届けられたのは、幕領の行政は郡代・代官を通して勘定奉行の管轄だったから。
なので天文方の手に渡るまで、八王子代官→勘定奉行→老中→若年寄→天文方とリレーされたと思われる。
余談だが、町奉行の役所も「奉行所」とは呼ばれず「御番所」と呼ばれていた。
遠国奉行の役所も同様で、史料を見ると単に「御役所」と書かれている。
奉行所という語が一般的になるのは明治以降。