1: しじみ ★ 2018/02/23(金) 00:47:54.04 ID:CAP_USER
 中国江蘇省南京市で、墓室の壁に絵が描かれた大型の壁画墓がみつかり、
南北朝時代の南朝、梁(りょう、502~557年)の皇太子、
昭明太子(しょうめいたいし、蕭統〈しょうとう〉、501~531)の墓の可能性が高いことが分かった。
昭明太子は、日本の平安文学などにも影響を及ぼした詩文集「文選(もんぜん)」の編纂(へんさん)者として知られる。
中国で皇帝陵クラスの墓が発掘調査されるのは異例で、日中の研究者は注目している。

 調査を指導した南京大学歴史学院の張学鋒教授(考古学)によれば、
南京市博物館考古部(現南京市考古研究所)が2013年1~6月、南京市北東部で発掘調査。
れんがを積み重ねた大型墓2基(南京獅子沖南朝大墓)が出土した。
東側の1号墓の墓室は全長14・2メートル、幅6・4メートル。
西側の2号墓は全長15・2メートル、幅6・48メートル。
いずれの墓も大きく破壊されていたが、その規模は南朝のほかの皇帝陵に匹敵する。

 墓室のれんがには壁画が描かれ、1号墓の壁には南朝皇帝陵で描かれることの多い
「竹林七賢(ちくりんしちけん)図」「羽人(うじん)戯虎図」があった。
「竹林の七賢」は3~4世紀ごろの7人の知識人。
社会の混乱で儒教が衰えた一方で、個人主義や虚無主義的な論議(清談〈せいだん〉)が流行。
7人は自由奔放な生活を送り、竹林の中で議論するのを好んだとされ、七賢図は南朝で好まれた絵のモチーフとなった。


■画像一覧

1号墓の「竹林七賢図」の一部
AS20180215000853_comm
「竹林の七賢」の拓本
AS20180215000859_commL
1号墓の「竹林の七賢」の模写
c_AS20180215000861_comm
2号墓に表現された空を飛ぶ仙人(飛仙)の壁画
AS20180215000864_comm
2013年に発掘調査された大型墓(南京獅子沖南朝大墓)。右は1号墓、左は2号墓
AS20180215000852_commL

昭明太子が生きた時代の東アジア
AS20180215000867_commL

朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASL1Z5QPBL1ZPTFC019.html
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1519314474/
6: 名無しのひみつ 2018/02/23(金) 01:16:37.30 ID:vdEM8jvL
昭めんたいこ?

11: 名無しのひみつ 2018/02/23(金) 02:30:43.58 ID:02a+Aubp
日本との関連はなさそうだな。ちょっと期待したが

14: 名無しのひみつ 2018/02/23(金) 03:45:34.98 ID:MUwp49BU
>>11
残念ですね。
このニュースは、昭明太子すなわち蕭統のお墓が見つかったということで、その弟は
日本のことを本に書いているのでちょっと期待しますよね。

良く分からない人に説明すると、この蕭統さんという人は、梁の武帝の長子です。
そして武帝の七男、つまり、昭明太子の弟が、梁の元帝の蕭繹さんです。

元帝(蕭繹)は、荊州刺史を務めていた西暦526~539年頃に、『梁職貢図』を作っていて、
その図の説明図に、日本のことが書いてあるのです

なお、梁の昭明太子蕭統の三男が、蕭サツで、西魏政権の手によって後梁の天子として
即位させられて、おじさんの蕭繹と対立し続けました。というか、蕭サツというのが、
本当の敵であった西魏に国を売ったバカだったのです。

15: 名無しのひみつ 2018/02/23(金) 04:03:32.27 ID:MUwp49BU
尤も、元帝も西魏の力を利用して、蜀の地を得たのですが、それがもとで、西魏に蜀を
与えてしまうという大失敗をしたのでした。
甥っ子の蕭サツは、首都江陵の周辺八百里だけを領土とする、名目上の天子に
祭り上げられて、おじさんの蕭繹をとっつかまえて、土嚢をいくつもおじさんの上に載せて
圧し殺してしまいました。

なんか北朝鮮みたいですね。怖いですね。ではサイナラ

20: 名無しのひみつ 2018/02/23(金) 06:48:53.98 ID:AOJOa1NK
>>15
蕭繹もなかなかの暴君だから自業自得だけどな

23: 名無しのひみつ 2018/02/23(金) 06:56:28.98 ID:YYWSvpID
5年前に発掘されてんのに今?
制作まで5年かかったとか

24: 名無しのひみつ 2018/02/23(金) 07:05:26.53 ID:HqW9r3ZS
これって浮き彫り?
一見地味だけど1,500年前にすごい技術だな

28: 名無しのひみつ 2018/02/23(金) 08:30:27.20 ID:rPesNLZv
>>24
技術もだが労力も凄かったろうな

25: 名無しのひみつ 2018/02/23(金) 07:09:07.09 ID:rD4mtbhi
詩文がお好きだった陳舜臣先生が存命であればさぞや喜ばれたであろうな

30: 名無しのひみつ 2018/02/23(金) 09:28:13.30 ID:PyeDFPV9
早熟の天才だったが30歳くらいの時、水の事故が元で亡くなったけど、長生きしたとしても宇宙大将軍にぶっ殺されたかも知れん。
どちらが幸せだったのかねえ。

39: 名無しのひみつ 2018/02/23(金) 23:10:05.36 ID:RRARnQtg
昭明太子が長生きしてたら宇宙大将軍なんか狂った小物のままで終わってただろうな。

31: 名無しのひみつ 2018/02/23(金) 09:39:31.43 ID:Jaov7uOC
武帝が長生きしすぎだわ
梁ってほとんどこの人の治世じゃん

32: 名無しのひみつ 2018/02/23(金) 10:39:13.38 ID:2zTZBdYn
金目の物は墓荒らしがみんな持ち逃げしたのか

37: 名無しのひみつ 2018/02/23(金) 17:23:30.75 ID:0WuxPJcp
竹林の七賢なのに背景の植物は竹じゃないんだな

41: 名無しのひみつ 2018/02/24(土) 01:45:31.12 ID:a5vvQV8j
21世紀になってから凄い発見が相次いでいてびっくりする。

2009年 
曹操の墓と頭蓋骨発見

2011年 
梁元帝蕭繹の『職貢図』で、失われたと思われていた題記(説明文)を、趙燦鵬氏が発見。
これは、張庚の『諸番職貢圖巻』という史料で、高句麗、新羅、倭国、百済の題記が含まれる。
とくに新羅の題記は新発見で、高句麗題記の一部は、日本にのみ残っている『翰苑』に欠
けている部分を補足できた。

2013年
蕭繹の兄の昭明太子蕭統の墓発見