1: 1984 ★ 2018/02/28(水) 11:39:12.91 ID:CAP_USER9
兵庫県姫路市教育委員会は26日、江戸時代に姫路藩の家老として財政再建に尽力した河合寸翁(すんのう)(1767~1841年)の生誕250年を記念して作った小中学生向けの学習冊子「姫路藩の救世主 名家老・河合寸翁」で、漢字や振り仮名、年表の表記など計9カ所に誤りがあったと発表した。

市教委文化財課によると、寸翁の幼名「猪之吉」が「猪之助」になっていたほか、年表中で藩校・好古堂が完成した年は「1816年 50才」が正しいが、「1814年 48才」と誤記していた。

 1月に配布した冊子(A4判24ページ)は、担当職員が昨年5~10月、複数の資料を参考にしながら作製。他の職員も加わりチェックを重ねたが、誤りに気づかなかったという。

 同課は「子ども向けの冊子のため、見やすさや分かりやすさを重視するあまりチェックがおろそかになってしまった」と陳謝。冊子を配布した小中学校に正誤表を配布して対応したという。(三島大一郎)

ソース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180227-00000021-kobenext-l28
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1519785552/
河合 道臣(かわい ひろおみ/みちおみ)は、江戸時代後期の姫路藩家老。一般には晩年の号の寸翁(すんのう)で知られる。酒井氏4代に50年余にわたって仕え、姫路藩の財政再建に貢献した。

道臣は質素倹約令を布いて出費を抑制させる一方、文化6年(1809年)頃から領内各地に固寧倉(義倉)を設けて農民を救済し、藩治に努めた。従来の農政では農民に倹約を説きつつ、それで浮いた米を藩が搾取していたが、道臣は領民に生活資金を低利で融資したり、米を無利息で貸すなど画期的な政策を打ち出した。この政策は藩内で反対も多かったが、疲弊した領民を再起させ、固寧倉の設置で飢饉をしのげるようになるなど、藩内の安定につながった。更に朝鮮人参やサトウキビなどの高付加価値な商品作物も栽培させることで、藩の収入増が図られた。

姫路藩では新田開発は従来から行われていたが、道臣の時期には主に播磨灘沿岸で推進され、新田での年貢減免策もとった。海岸部では飾磨港をはじめとする港湾の整備に努め、米や特産品などの流通に備えた。加えて城下では小麦粉、菜種油、砂糖など諸国からの物産を集積させ、商業を奨励した。

道臣の業績として特筆されるのは、特産品販売に関する改革である。藩内を流れる市川・加古川流域は木綿の産地だったが、従来は大坂商人を介して販売していたため販売値が高くなっていた。道臣は木綿を藩の専売とし、大坂商人を通さず直接江戸へ売り込むことを計画した。これは先例が無かったため事前に入念な市場調査をし、幕府役人や江戸の問屋と折衝を重ねた上、文政6年(1823年)から江戸での木綿専売に成功する。色が白く薄地で柔らかい姫路木綿は「姫玉」「玉川晒」として、江戸で好評を博した。また、木綿と同様に塩・皮革・竜山石・鉄製品なども専売とした。これによって藩は莫大な利益を得、道臣は27年かけて藩の負債完済を成し遂げた。
11: 名無しさん@1周年 2018/02/28(水) 12:00:03.59 ID:3NNFYugR0
>姫路藩救世主

なんか知らんけど笑える

13: 名無しさん@1周年 2018/02/28(水) 12:08:39.52 ID:1tezZyL00
落書きし甲斐がある胸像だな。
1024px-Statue_of_Kawai_Sun-no

16: 名無しさん@1周年 2018/02/28(水) 12:21:02.20 ID:2DrO3gHa0
かりんとうの誕生話かな?

19: 名無しさん@1周年 2018/02/28(水) 12:30:04.82 ID:e2/iVebb0
江戸時代の藩政改革は大体倹約とセットなので財界からは嫌われる

23: 名無しさん@1周年 2018/02/28(水) 12:50:51.38 ID:H+MTxR6A0
鮭が至高の存在だと思っていたとか記述されてるのかね

32: 名無しさん@1周年 2018/02/28(水) 16:04:53.19 ID:VA9o0n/20
姫路藩救世主伝説