1: 風吹けば名無し 2018/02/26(月) 04:01:37.24 ID:2v4ggqp20
広く流通している都市伝説として、1870年(明治3年)から1878年(明治11年)までイギリスのポーツマス市に留学していた東郷平八郎が留学先で食べたビーフシチューの味を非常に気に入り、
日本へ帰国後に艦上食として作らせようとしたが、命じられた料理長はビーフシチューを知らず、東郷の話からイメージして醤油と砂糖を使って作ったのが始まりという話がある。
しかし、当時の日本では既にビーフシチューやその変形であるハヤシライスが洋食屋での一般的メニューとして存在していた。
また、牛肉を醤油と砂糖で煮るのは牛鍋や牛肉の大和煮と同様の手法であることなどから、代用したという説は、単なる都市伝説に過ぎない[1]。
この都市伝説は、舞鶴市が「肉じゃが発祥の地」として宣伝する際のジョークとしてプロモーションしていたことが始まりである。
ヤフートピックスに「肉じゃが発祥地」を巡る舞鶴市・呉市のバトルが掲載されましたが、何故肉じゃがの誕生に東郷平八郎や舞鶴が関わる伝説が生まれたのかの経緯について、Yahoo!ニュースに記事にしました → 「肉じゃが発祥の地」をめぐる真相(dragoner) - Y!ニュース news.yahoo.co.jp/byline/dragone…
— dragoner@日曜東V36a(@dragoner_JP)Thu Mar 15 06:39:08 +0000 2018
dragonerさんが指摘しているごとく、東郷平八郎肉じゃが起源伝説は舞鶴の清水孝夫さんが平成7年に創作した架空のストーリーであり、事実ではありません。そして重要なことは、この伝説が作り話であることを、創作者の清水さんが事あるごとに公表していたことです。 goo.gl/Vk5YYY
— 近代食文化研究会(@ksk18681912)Thu Mar 15 18:07:15 +0000 2018
毎日新聞1999年8月10日大阪夕刊には、次のように書かれています。 pic.twitter.com/ONfgcWyBQS
— 近代食文化研究会(@ksk18681912)Thu Mar 15 18:07:15 +0000 2018
dragonerさんが紹介していると学会会誌34所収の「肉じゃが海軍起源説はこうして捏造された」にも引用されていますが、月刊地域づくり2001年3月号においても、清水さんは東郷平八郎伝説が自らの創作であると認めています。 goo.gl/kHFxdj pic.twitter.com/comJYSu2Sz
— 近代食文化研究会(@ksk18681912)Thu Mar 15 18:11:24 +0000 2018
こうして舞鶴を肉じゃがで盛り上げた清水孝夫さんは、平成22年にお亡くなりになられました。ところが清水さんの死後、東郷平八郎肉じゃが伝説が清水さんの創作であることが忘れ去られ、あたかも事実であるがごとくひとり歩きするようになってしまいました。
— 近代食文化研究会(@ksk18681912)Thu Mar 15 18:11:25 +0000 2018
すると、ヒット数が0件になります。ということは、明治時代の有名人の話なのに、1995年以前のネットには存在しないということになります。おかしいですね。 pic.twitter.com/yhoOKTsoFk
— 近代食文化研究会(@ksk18681912)Fri Mar 16 18:14:54 +0000 2018
いうまでもありませんが、清水孝夫さんが東郷平八郎肉じゃが伝説を創作したのが平成7年(1995年)なので、それ以前のネット上に情報が存在しないのは当然のことなのです。
— 近代食文化研究会(@ksk18681912)Fri Mar 16 18:14:54 +0000 2018
とはいえ、1995年といえばWindows95が発売された年。それ以前はネット情報の総量が少ないので、たまたま東郷平八郎と肉じゃが存在しなかった、という言い訳もできます。なので別のケースを検証してみましょう。よこすか海軍カレーです。
— 近代食文化研究会(@ksk18681912)Fri Mar 16 18:14:54 +0000 2018
東郷平八郎ほどではありませんが、高木兼寛は軍の糧食史では有名な人です。「有名人がでたらデマと疑え」が食物史の原則。早速日付指定検索で検証してみましょう。
— 近代食文化研究会(@ksk18681912)Fri Mar 16 18:14:55 +0000 2018
”海軍カレー””高木兼寛”で検索すると、横須賀海軍カレー関連の情報がたくさんヒットします。ところが、 pic.twitter.com/jNHd5bTq8x
— 近代食文化研究会(@ksk18681912)Fri Mar 16 18:14:55 +0000 2018
そこで日付を1998年の1月1日から12月31日に変更して検索すると、先程の「カレーの街よこすか推進委員会」が1件だけヒットします。つまり、高木兼寛が海軍カレーの祖と主張したのは「カレーの街よこすか推進委員会」が初めてなのです。 pic.twitter.com/b1UIjtU6Ut
— 近代食文化研究会(@ksk18681912)Fri Mar 16 18:14:56 +0000 2018
よこすか海軍カレーは、舞鶴の肉じゃが街おこしを模倣し平成11年に立ち上がった、つい最近生まれたプロジェクトです。舞鶴において東郷平八郎が肉じゃが誕生のきっかけを作ったというストーリーが作られたように、横須賀においても日本のカレーは海軍が発明したというストーリーが作られました。
— 近代食文化研究会(@ksk18681912)Mon Mar 19 18:09:58 +0000 2018
「カレーの街よこすか推進委員会」は、高木兼寛が海軍にカレーを導入したという根拠、資料を一度も提示したことがありません。これも東郷平八郎の肉じゃが伝説と同じです。
— 近代食文化研究会(@ksk18681912)Fri Mar 16 18:14:57 +0000 2018
コメント
コメント一覧
まだまだネット創世記だわ
実際にやってみたら東郷平八郎だけなら95年以前でもそれなりに引っかかるけど
"東郷平八郎" "肉じゃが"だと96年4月が最初みたいなんで、この話は結構信憑性がありそうですけどね
さっきサンドイッチをWikiで調べたら第4代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギューにちなんで名づけられたらしいがその伯爵はサンドイッチを発明したわけでも推奨したわけでもないらしい
なんでその人にちなんだんやろ…
壺に帰れゴミ
"高木兼寛"30件未満、"東郷平八郎"70件
とか話しにならんわ
そもそもgoogle創業が1998年9月4日だ
アホはお前でしょ
簡単に釣られてんなチンカス
あれやこれやの逸話は全部真っ赤な嘘
だいたい横須賀海軍カレーですら元は平成10年に、ご当地グルメで地域おこしを狙った横須賀商工会議所の連中が、軍港の歴史を活かしたモノを売りにしようと、時の横総監と話し合い作り出した代物
今もあちこちに「出港中曜日感覚を忘れないために昔から金曜日はカレーだった」などと書かれているが、金曜にカレーが出るようになったのは平成4年から。
それまでカレーの日は土曜だった。
そして当の海軍では、まず主食が麦飯でカレーには合わない。かつ兵員の食器にスプーンもカレー皿も無い。
食器が揃っているのは士官だけで、兵隊の食器は基本ホーロー引きの茶碗、汁椀、湯飲みに小皿だけ。
確かに戦前の海軍でもカレーは食されていたが、毎週ではなく時々食べられる程度
毎週カレーなんか出された日には洗剤も無い当時の軍艦において班員の食器を洗浄するシャリ番(食卓番。班内の最下級の兵員などが担当する食事当番)の負担と、洗浄に使用する真水の消費量がとんでもないことになる。
確かに昔のレシピで作った漁籃亭のカレーは旨かったが、嘘の歴史を捏造する海自と横須賀市にはほとほと嫌気がさしたものだ。
当時横監防衛部に勤務していたが、当時は今ほどフェイクニュースに対する意識が高く無く、日々捏造される海軍カレーの記事に心底嫌悪感を抱いたものだ。
今も海軍カレーが昔からの伝統のように語られるが、まったくのデマだからな?
もう一度言う。
海軍カレーなどという伝統は存在しない。
もっとも現在の海自においては金曜日イコールカレーの図式が出来ているので曜日感覚云々の話はあながち間違いとは言えないがな。
インド洋やソマリア沖に派遣された際は「帰国まであと何回カレー食えばいいのか?」と思ったものだ。
幹部を含む現役自衛官も歴史を知らぬが者が多いのでついでに言っておく。
海自内部ではく職種をあらわす用語で「マーク」というものがあるが、あれは元々の語源は海軍の術科学校を出た学生は階級章の上に教育修了のマークが付いたところから来ているんだが、海自の現役諸官もそのことは知らんらしい。
こうやって歴史だの伝統だのは形骸化していくのだろう。
海自はよく「伝統」という言葉を使いたがるが、現在の海自に海軍の伝統など無い。
断言する。
辛うじて伝統を保っているのは士官室におけるものと(かなり防大ナイズされているが)、生徒部・航空学生出身者の上下関係に基づく文化の継承だけだ。
ネット右翼のスルースキルは低いからね
しょうがないね