1: ニライカナイφ ★ 2018/05/18(金) 16:44:05.40 ID:CAP_USER9
◆【萌える日本史講座】古代の「聖帝」裏付け? 仁徳天皇陵は500メートル以上の超巨大古墳だった
国内最大の仁徳天皇陵古墳(堺市、全長486メートル、5世紀前半)が、築造当初は現在より約40メートル長い525メートル以上あったことが宮内庁の調査で明らかになった。
現在は水で覆われている周濠(しゅうごう)内の地形を測量して判明した。
エジプトにあるクフ王のピラミッド、中国・秦始皇帝陵(しんのしこうていりょう)と並ぶ世界三大墳墓とされる同古墳。
500メートルの大台を超える規模は、「仁に篤(あつ)く徳が高い」という名の聖帝にふさわしい威容を示したともいえる。
被葬者の謎にどこまで迫ることができたのか。
■周濠の底を測ってみたら…
現在の全長は大正時代の測量に基づいて算定されたが、研究者の間では、水がたまっている周濠まで墳丘が続いていると考えられ、今回の調査はこうした推測が裏付けられた。
宮内庁の調査は平成28年に実施。測量機器をボートに載せて音波やレーザーを周濠の底に当てる方法で水面下の地形を調べた結果、周濠まで墳丘が広がっていることが分かったという。
従来、同古墳の総面積は48万平方メートルで、甲子園球場12個分に相当すると推定されてきた。30年ほど前には大手建設会社が築造コストを試算。
1日最大2千人が働いたと仮定して完成までに15年8カ月、総事業費は800億円とはじき出した。
今回の調査で墳丘が一回り大きくなることで、さらに大規模な国家プロジェクトだったことが浮かび上がった。
■被葬者に近づいた?
「宮殿から国を眺めると、人家から炊煙(すいえん)が上がっていない。
人民が貧しく飯を炊くこともできないのだ。苦しみをやわらげるため3年間課税を免除した」
古事記や日本書紀は、仁徳天皇が人々の生活を何より大切にしたことを記す。
「仁徳」という名の通り、歴代天皇の中でもとりわけ聖帝であることが強調されている。
さらに、日本書紀には仁徳天皇陵の場所について、百舌鳥(もず)に葬られたと記す。
今回調査された仁徳天皇陵古墳は、百舌鳥と呼ばれる地域にあたる。
500メートルを超える巨大古墳の被葬者は、聖帝である仁徳天皇こそふさわしい-。
宮内庁による調査結果は、日本書紀の記述や伝承を裏付けるようなインパクトを与えた。
ただし、そう簡単に結論づけられないのが歴史の奥深さでもある。
今から40~50年ほど前まで、研究者の間では「あれだけ巨大な古墳の被葬者は、聖帝である仁徳天皇以外にあり得ない」との見方が一般的だったが、今では「可能性は五分五分」という。
同古墳から見つかった埴輪(はにわ)などから、築造時期が「5世紀前半~中頃」と考えられるようになったからだ。
仁徳天皇が亡くなったのは399年とされ、古墳の築造時期と最大で半世紀ほどずれる。
ただし、仁徳天皇は中国の歴史書に記された倭の五王「讃(さん)」ともいわれ、讃は438年までに死去したことから、こちらの説をとると仁徳天皇陵として矛盾はない。
今回の調査では、築造時期特定につながるような発掘調査は行われておらず、被葬者論争の決着にはまだまだ時間がかかりそうだ。
■豊臣秀吉も花見に興じた仁徳陵
今では周囲を柵で囲まれ、厳重に立ち入りが規制されているが、江戸時代までは出入りが可能だった。
墳丘を覆う雑木は地元の人たちが薪(まき)として利用し、タケノコやマツタケを収穫。
水をたたえた周濠ではフナやコイ、エビなども捕ったという。
江戸時代の絵図を見ると、被葬者を納めた石室があるとされる墳丘の後円部に仁徳天皇をまつる御廟所(ごびょうしょ)があり、見事な枝ぶりの桜もあったという。
江戸時代以前には、豊臣秀吉が花見に訪れたというエピソードも残る。
現在のように立ち入りが禁じられたのは明治以降。
天皇中心の国づくりを急いだ維新政府が、天皇陵を神聖化するため管理を強化し、墳丘全体に松や杉など19万本を植えて現在の姿になった。
同古墳を含む百舌鳥・古市(ふるいち)古墳群の世界文化遺産登録の可否は、来年夏に決まる。
今も地元では「仁徳さん」「ご陵さん」と呼ばれる仁徳天皇陵。秀吉が愛し、時代を超えて人々に親しまれ続ける。
画像:
産経WEST 2018.5.18 06:00
http://www.sankei.com/west/news/180518/wst1805180005-n1.html
国内最大の仁徳天皇陵古墳(堺市、全長486メートル、5世紀前半)が、築造当初は現在より約40メートル長い525メートル以上あったことが宮内庁の調査で明らかになった。
現在は水で覆われている周濠(しゅうごう)内の地形を測量して判明した。
エジプトにあるクフ王のピラミッド、中国・秦始皇帝陵(しんのしこうていりょう)と並ぶ世界三大墳墓とされる同古墳。
500メートルの大台を超える規模は、「仁に篤(あつ)く徳が高い」という名の聖帝にふさわしい威容を示したともいえる。
被葬者の謎にどこまで迫ることができたのか。
■周濠の底を測ってみたら…
現在の全長は大正時代の測量に基づいて算定されたが、研究者の間では、水がたまっている周濠まで墳丘が続いていると考えられ、今回の調査はこうした推測が裏付けられた。
宮内庁の調査は平成28年に実施。測量機器をボートに載せて音波やレーザーを周濠の底に当てる方法で水面下の地形を調べた結果、周濠まで墳丘が広がっていることが分かったという。
従来、同古墳の総面積は48万平方メートルで、甲子園球場12個分に相当すると推定されてきた。30年ほど前には大手建設会社が築造コストを試算。
1日最大2千人が働いたと仮定して完成までに15年8カ月、総事業費は800億円とはじき出した。
今回の調査で墳丘が一回り大きくなることで、さらに大規模な国家プロジェクトだったことが浮かび上がった。
■被葬者に近づいた?
「宮殿から国を眺めると、人家から炊煙(すいえん)が上がっていない。
人民が貧しく飯を炊くこともできないのだ。苦しみをやわらげるため3年間課税を免除した」
古事記や日本書紀は、仁徳天皇が人々の生活を何より大切にしたことを記す。
「仁徳」という名の通り、歴代天皇の中でもとりわけ聖帝であることが強調されている。
さらに、日本書紀には仁徳天皇陵の場所について、百舌鳥(もず)に葬られたと記す。
今回調査された仁徳天皇陵古墳は、百舌鳥と呼ばれる地域にあたる。
500メートルを超える巨大古墳の被葬者は、聖帝である仁徳天皇こそふさわしい-。
宮内庁による調査結果は、日本書紀の記述や伝承を裏付けるようなインパクトを与えた。
ただし、そう簡単に結論づけられないのが歴史の奥深さでもある。
今から40~50年ほど前まで、研究者の間では「あれだけ巨大な古墳の被葬者は、聖帝である仁徳天皇以外にあり得ない」との見方が一般的だったが、今では「可能性は五分五分」という。
同古墳から見つかった埴輪(はにわ)などから、築造時期が「5世紀前半~中頃」と考えられるようになったからだ。
仁徳天皇が亡くなったのは399年とされ、古墳の築造時期と最大で半世紀ほどずれる。
ただし、仁徳天皇は中国の歴史書に記された倭の五王「讃(さん)」ともいわれ、讃は438年までに死去したことから、こちらの説をとると仁徳天皇陵として矛盾はない。
今回の調査では、築造時期特定につながるような発掘調査は行われておらず、被葬者論争の決着にはまだまだ時間がかかりそうだ。
■豊臣秀吉も花見に興じた仁徳陵
今では周囲を柵で囲まれ、厳重に立ち入りが規制されているが、江戸時代までは出入りが可能だった。
墳丘を覆う雑木は地元の人たちが薪(まき)として利用し、タケノコやマツタケを収穫。
水をたたえた周濠ではフナやコイ、エビなども捕ったという。
江戸時代の絵図を見ると、被葬者を納めた石室があるとされる墳丘の後円部に仁徳天皇をまつる御廟所(ごびょうしょ)があり、見事な枝ぶりの桜もあったという。
江戸時代以前には、豊臣秀吉が花見に訪れたというエピソードも残る。
現在のように立ち入りが禁じられたのは明治以降。
天皇中心の国づくりを急いだ維新政府が、天皇陵を神聖化するため管理を強化し、墳丘全体に松や杉など19万本を植えて現在の姿になった。
同古墳を含む百舌鳥・古市(ふるいち)古墳群の世界文化遺産登録の可否は、来年夏に決まる。
今も地元では「仁徳さん」「ご陵さん」と呼ばれる仁徳天皇陵。秀吉が愛し、時代を超えて人々に親しまれ続ける。
画像:
産経WEST 2018.5.18 06:00
http://www.sankei.com/west/news/180518/wst1805180005-n1.html
3: 名無しさん@1周年 2018/05/18(金) 16:44:50.02 ID:hEKakkLH0
退かぬ媚びぬ
5: 名無しさん@1周年 2018/05/18(金) 16:45:01.25 ID:xUIAGfb70
以後サウザー禁止な
33: 名無しさん@1周年 2018/05/18(金) 16:53:27.99 ID:3gt4zxWL0
>エジプトにあるクフ王のピラミッド、中国・秦始皇帝陵(しんのしこうていりょう)と並ぶ世界三大墳墓とされる同古墳
こんな風に言われてるなんて知らんかった
日本限定の言い方?
こんな風に言われてるなんて知らんかった
日本限定の言い方?
52: 名無しさん@1周年 2018/05/18(金) 16:56:47.64 ID:8NsO0rho0
210: 名無しさん@1周年 2018/05/18(金) 17:43:08.21 ID:YBk3H5ff0
>>52
仁徳天皇陵、やるじゃな~い♪
仁徳天皇陵、やるじゃな~い♪
259: 名無しさん@1周年 2018/05/18(金) 18:06:07.44 ID:1ZTVscbT0
>>52
ピラミッドには150m近く積み上げた「高さ」があり、
始皇帝陵には地下30mになる広大な地下宮殿の「深さ」がある。
それぞれ「重力」や「地下水」を克服する様々な知恵を凝らした難工事だ。
ただ広いというだけで大仙古墳がそれらに匹敵するとは到底思えない。
ピラミッドには150m近く積み上げた「高さ」があり、
始皇帝陵には地下30mになる広大な地下宮殿の「深さ」がある。
それぞれ「重力」や「地下水」を克服する様々な知恵を凝らした難工事だ。
ただ広いというだけで大仙古墳がそれらに匹敵するとは到底思えない。
172: 名無しさん@1周年 2018/05/18(金) 17:32:24.18 ID:/kxaQE8V0
日本では世界三大といって宣伝しているが
世界では墳墓の大きさ(面積)ではなく量(積載量)で判断するのが主流
これだと日本でも2番手になってしまう
だから世界遺産への登録も上手くいっていない
一番は別だから
また、墳墓の大きさが大きいだけで周辺の付属する併設埋葬品や神殿などを合わせる計算だと
ピラミッドや始皇帝領などと比較すると小規模になってしまう
世界では墳墓の大きさ(面積)ではなく量(積載量)で判断するのが主流
これだと日本でも2番手になってしまう
だから世界遺産への登録も上手くいっていない
一番は別だから
また、墳墓の大きさが大きいだけで周辺の付属する併設埋葬品や神殿などを合わせる計算だと
ピラミッドや始皇帝領などと比較すると小規模になってしまう
95: 名無しさん@1周年 2018/05/18(金) 17:05:24.62 ID:X9z7jJgK0
戦後の焚書でたくさんの事実が葬られた
111: 名無しさん@1周年 2018/05/18(金) 17:08:35.52 ID:b31eVQLy0
119: 名無しさん@1周年 2018/05/18(金) 17:10:13.84 ID:Ahm75YZQ0
仁徳さんでないとした場合は誰のお墓説が有力なの
149: 名無しさん@1周年 2018/05/18(金) 17:20:41.27 ID:FL865X3N0
>>119
土蜘蛛とか熊襲とか蝦夷とか出雲とか色んな諸勢力がいたっぽいけど
2世紀後半から4世紀前半まで空白の4世紀と言われていて歴史がすっぽり抜けていてわからない
仁徳天皇陵はまさに空白の4世紀を埋める古墳だけど発掘許可が降りないから研究が進まないのが現状
土蜘蛛とか熊襲とか蝦夷とか出雲とか色んな諸勢力がいたっぽいけど
2世紀後半から4世紀前半まで空白の4世紀と言われていて歴史がすっぽり抜けていてわからない
仁徳天皇陵はまさに空白の4世紀を埋める古墳だけど発掘許可が降りないから研究が進まないのが現状
199: 名無しさん@1周年 2018/05/18(金) 17:38:48.08 ID:wHwXP2xt0
大仙古墳だろ? むかしは仁徳天皇陵だったけど、ホントに被葬者が仁徳天皇かどうか確定してないって理由で大仙古墳と呼ばれるようになった筈
209: 名無しさん@1周年 2018/05/18(金) 17:42:32.94 ID:auY0VCbW0
>人民が貧しく飯を炊くこともできないのだ。苦しみをやわらげるため3年間課税を免除した
ご先祖様 こんな昔から税金に苦しめられてたのね
ご先祖様 こんな昔から税金に苦しめられてたのね
313: 名無しさん@1周年 2018/05/18(金) 18:26:52.96 ID:STXmPGJ30
>江戸時代までは出入りが可能だった。
>墳丘を覆う雑木は地元の人たちが薪(まき)として利用し、タケノコやマツタケを収穫。
>水をたたえた周濠ではフナやコイ、エビなども捕ったという。
生活の一部やね。
>墳丘を覆う雑木は地元の人たちが薪(まき)として利用し、タケノコやマツタケを収穫。
>水をたたえた周濠ではフナやコイ、エビなども捕ったという。
生活の一部やね。
322: 名無しさん@1周年 2018/05/18(金) 18:28:39.77 ID:6tyPWZQl0
通勤路なので毎日見てるが、あの林は植たものなのか
373: 名無しさん@1周年 2018/05/18(金) 18:43:01.51 ID:NawyK+va0
古墳は治水灌漑事業の結果の盛土だという人もいるね
だから、日本中の大工事が終わった途端に古墳時代も終わったとという人もいる
だから、日本中の大工事が終わった途端に古墳時代も終わったとという人もいる
396: 名無しさん@1周年 2018/05/18(金) 18:49:33.40 ID:gQL8pw8j0
出土品の年代から、近くの反正か履中陵が真の仁徳天皇陵って言われてるな。
532: 名無しさん@1周年 2018/05/18(金) 19:35:53.69 ID:Fcg0TI5b0
変に易姓革命説ねじ込んだもんだから
陵墓の比定もメチャクチャになっちゃったんだよね。
陵墓の比定もメチャクチャになっちゃったんだよね。
481: 名無しさん@1周年 2018/05/18(金) 19:19:07.60 ID:3rBREiNn0
この人どこが聖人なんだろうね
数年納税を免除した、灌漑を整備したぐらいでしょ?
それに大規模なお墓造らせるなんて民を慈しむ心があるのかも疑問。
結局、自分がどれだけ偉いか周りに誇示したかっただろ?
数年納税を免除した、灌漑を整備したぐらいでしょ?
それに大規模なお墓造らせるなんて民を慈しむ心があるのかも疑問。
結局、自分がどれだけ偉いか周りに誇示したかっただろ?
541: 名無しさん@1周年 2018/05/18(金) 19:38:55.77 ID:HXsA7RKi0
【天皇の中の天皇】大阪のことを御守り下さっている仁徳天皇とはどういうお人柄だったのか?
仁徳天皇といえば、墓域面積が世界最大だとされている仁徳天皇陵(大仙陵古墳)が有名ですよね。果たして、どんな人物だったのでしょうか?
仁徳天皇(313年即位?)は凄かった。
民のために、自らをも犠牲になって政治を行った人物です。
高台から庶民の生活を眺めていると、いくら待っても煙が上がってこない事に気付きます。 仁徳天皇は驚きます。「食事の支度をする時間だというのに、どうしてかまどから煙があがっていないのだ(謎)」
やがて、天皇は気がつくのです。 「そうだったのか・・・(悲) 日照りや水害が続いており、民の生活は困窮していたんだね。 まさか炊く米すらなかったとは・・・」
民の生活はどん底です。
そこで、部下たちにたずねます。
「現在、朝廷の食糧はどのぐらいあるのだ?」
「ハッ!およそ3年分あります」
仁徳天皇は決断を下します。
「三年間、すべての税金を免除するのだ。それだけではない。労役も免除するのだ。 わしはこの状況を見てみぬふりをしたくないのだよ。少しでも民の負担を軽減させ、生活が安定するまでは我々も我慢しようではないか。」
一年過ぎ、もう一年過ぎ。
天皇は衣を新調せず、宮垣は崩壊状態・・・ 敷地内の草木はがボーボー、屋根は穴があいていました。(雨漏りが耐えない状況だったのですね)
それでも信念を曲げることなく、無税を続けておりました。 そして、約束の3年後(´▽`) 高台から民の生活を眺めていると・・・ かまどから、煙が上がっているではありませんか^0^
ここで、仁徳天皇の名言が生まれます。
「朕はすでに富んでいる。民は宝なり」
天皇の奥さんは驚きます。
「宮中はすでに崩壊状態よ!おまけに私の服もボロボロです(怒) 全然富んではおりませぬ・・・」
すると仁徳天皇
「政治とはな、民を本としなければいけないのだよ。その民が富んでいるのだから、朕も富んだ事を意味するのだ」 こういって、信じられない事を訴えるのです。
「さらに3年間、民の税金を免除とするとしよう」
しかし、ここで困った事が発生します。服はなんとかなりますが、食べるものがありません。そこで、貴人のための労働奉仕集団を作り、自給自足の体制を整えたのです。
すると・・・
「私達のために、そこまでしなくても・・・・(涙)」
やがて、民の中から「どうしても税金を納めたい。納めさせて欲しいのです」というものも現れます。しかし、仁徳天皇は一向に首を縦に振りません。 すると、今度は誰から促されたわけでもなく、自分の意思で宮中の修繕を行おうとする民が現れるのです。
「私たちは豊かになった。お願いですから税金を受け取ってほしいのです。 宮中の復旧を手伝わせて欲しいのです」 こうした声が日増しに強くなってくるのです。
自分の生活を犠牲にしてまで民を救おうとした仁徳天皇。
こうして、さらに3年の歳月が流れ、納税と宮中の修繕を認める事となるのです。
日本書紀によると、仁徳天皇陵(大仙陵古墳)は仁徳天皇が生前中に工事を始めたものだと書かれています。
あれだけお墓が大きな理由。もしかしたら、仁徳天皇に対する感謝する気持が関係しているのかもしれませんね(^^) (雑学研究家 安田 泰淳)
http://www.cocoro-skip.com/sp/jinbutsu/60032.html
仁徳天皇といえば、墓域面積が世界最大だとされている仁徳天皇陵(大仙陵古墳)が有名ですよね。果たして、どんな人物だったのでしょうか?
仁徳天皇(313年即位?)は凄かった。
民のために、自らをも犠牲になって政治を行った人物です。
高台から庶民の生活を眺めていると、いくら待っても煙が上がってこない事に気付きます。 仁徳天皇は驚きます。「食事の支度をする時間だというのに、どうしてかまどから煙があがっていないのだ(謎)」
やがて、天皇は気がつくのです。 「そうだったのか・・・(悲) 日照りや水害が続いており、民の生活は困窮していたんだね。 まさか炊く米すらなかったとは・・・」
民の生活はどん底です。
そこで、部下たちにたずねます。
「現在、朝廷の食糧はどのぐらいあるのだ?」
「ハッ!およそ3年分あります」
仁徳天皇は決断を下します。
「三年間、すべての税金を免除するのだ。それだけではない。労役も免除するのだ。 わしはこの状況を見てみぬふりをしたくないのだよ。少しでも民の負担を軽減させ、生活が安定するまでは我々も我慢しようではないか。」
一年過ぎ、もう一年過ぎ。
天皇は衣を新調せず、宮垣は崩壊状態・・・ 敷地内の草木はがボーボー、屋根は穴があいていました。(雨漏りが耐えない状況だったのですね)
それでも信念を曲げることなく、無税を続けておりました。 そして、約束の3年後(´▽`) 高台から民の生活を眺めていると・・・ かまどから、煙が上がっているではありませんか^0^
ここで、仁徳天皇の名言が生まれます。
「朕はすでに富んでいる。民は宝なり」
天皇の奥さんは驚きます。
「宮中はすでに崩壊状態よ!おまけに私の服もボロボロです(怒) 全然富んではおりませぬ・・・」
すると仁徳天皇
「政治とはな、民を本としなければいけないのだよ。その民が富んでいるのだから、朕も富んだ事を意味するのだ」 こういって、信じられない事を訴えるのです。
「さらに3年間、民の税金を免除とするとしよう」
しかし、ここで困った事が発生します。服はなんとかなりますが、食べるものがありません。そこで、貴人のための労働奉仕集団を作り、自給自足の体制を整えたのです。
すると・・・
「私達のために、そこまでしなくても・・・・(涙)」
やがて、民の中から「どうしても税金を納めたい。納めさせて欲しいのです」というものも現れます。しかし、仁徳天皇は一向に首を縦に振りません。 すると、今度は誰から促されたわけでもなく、自分の意思で宮中の修繕を行おうとする民が現れるのです。
「私たちは豊かになった。お願いですから税金を受け取ってほしいのです。 宮中の復旧を手伝わせて欲しいのです」 こうした声が日増しに強くなってくるのです。
自分の生活を犠牲にしてまで民を救おうとした仁徳天皇。
こうして、さらに3年の歳月が流れ、納税と宮中の修繕を認める事となるのです。
日本書紀によると、仁徳天皇陵(大仙陵古墳)は仁徳天皇が生前中に工事を始めたものだと書かれています。
あれだけお墓が大きな理由。もしかしたら、仁徳天皇に対する感謝する気持が関係しているのかもしれませんね(^^) (雑学研究家 安田 泰淳)
http://www.cocoro-skip.com/sp/jinbutsu/60032.html
505: 名無しさん@1周年 2018/05/18(金) 19:25:32.45 ID:9tPhJ6Ni0
宮内庁もせめてこの古墳くらいは、誰か特定出来るよう学術調査やってくれ
この墓がそんなに仁徳天皇じゃないって結果が出ると、まずいのかよ
この墓がそんなに仁徳天皇じゃないって結果が出ると、まずいのかよ
コメント
コメント一覧
なんだこいつ左翼か?
体積で言ったらピラミッドも大したことないことになるぞ。そんなもん全然関係ない。
天皇陵(たぶん)→現存王朝の祖廟→立ち入り禁止→維持管理できない→世界遺産になれない
ってこと。
古墳の調査をさっさとして欲しい
その時の形状変化もあるだろうね
※1
左翼ではなく反日でしょ
そもそも左翼は愛国心溢れる反体制派の事だから
残念だ
ただ単に石積み上げただけなら他の2つと同等って感じするけども
嘘ついてまでイデオロギーを推すのは左右関係なくダメだろって言ってるだけなのにアホかお前は
懲戒請求事件の訴状がきてるぞ
半島に帰れよキムチ
エラ出てるぞ
仁徳天皇は河内湖の灌漑も進めるなどもしているという伝承も残っていることから、大規模な公共事業を起こして生産力を飛躍的に高めたというのは確かだと思う
掘ればいいってもんじゃないからなあ
高松塚の右往左往も完全決着した訳じゃないし、発掘調査に慎重になるのも分かるわ
>世界では墳墓の大きさ(面積)ではなく量(積載量)で判断するのが主流
>これだと日本でも2番手になってしまう
>だから世界遺産への登録も上手くいっていない
>一番は別だから
これはみんな大間違いです。古墳のことをよく調べていない素人です。信用しないように
体積も世界一になる可能性を秘めている古墳は仁徳天皇陵だけなのです。
体積は応神天皇陵は小さな堀だが砂地の古市なので水がよく枯れる。大きさは全長420m体積は143万立方メートル堀野須個から図った体積だ。仁徳天皇陵は粘土質で水は枯れずに年々水位が上がる百舌鳥地方の古墳だこのため水面に出ている部分の測量を科学者と大学生が精密の調査して測量をした。仁徳天皇量の体積は水面に出ている部分だけでも165万立方メートルもあった。水中の部分は水位が1m下がるごとに仁徳陵は13万立法メートル増える。1m水位が下がると応神領と大差がつくのだ応神量は水が空の時の体積だから対抗できない。仁徳亮は水面下3,5mまで525mも墳丘が伸びている。3,5mの深さから図ると高さも3,5m高くなることを忘れてはいけない墳丘の広がりを考えると220万㎥となりクフ王のピラミッドに近くなる。応神天皇量は比較にならない。さらに6,5mたまっているヘドロの下に古墳の裾がありレーザースキャンで607mもある。深さ10mも下から計ると当然高さも10mも高くなる。全長607mでたkじゃさが10m高くなった(10mの深さは高さ10mになる)仁徳天皇陵の体積は355万㎥になり始皇帝陵だけでなくケツァコアトルのピラミッドの体積も超えて面積だけでなく体積も世界最大の古墳になるのだ。わかったかい。
この図での仁徳天皇陵の大きさならわかりやすいな動画だ濠の底は水の2倍以上もヘドロがたまり墳丘の大草は最終的には630m、体積385万立方メートルにもなるという
宮内庁3次元調査仁徳天皇陵は最後に乗っているソースはつないでみること
体積を分かりやすく整理します
・仁徳天皇陵
水面上 墳丘長 486m 後円部径 249m 高さ 35,8m
前方部 307m 高さ 34m 体積140万立方メートル
・濠底から 墳丘長 525.1m 後円部径 286,33m
高さ 40m 前方部 347m 高さ 38m 体積 210万立方メートル
・ヘドロの底から 墳丘長 630m 後円部径 340m 高さ 48m
前方部 378m 高さ 48m 体積 385万立方メートル
以上が仁徳天皇陵のデーター
墳丘長 425m 後円部径 250m 高さ 35m 前方部 300m
高さ 36m 体積143万立方メートル
・クフ王のピラミッド
240m四方 高さ260m 体積260万立方メートル
・秦の始皇帝陵
354m✖345m 高さ67m体積300万立方メートル
こうしてみると仁徳天皇陵が面積も体積もずば抜けて世界一であることがわかる。
高さ260m×
高さ146m〇
前方部 378m 高さ 48m 体積 385万立方メートル
水抜き調査をすぐに行い 体積も世界一のジャンボ古墳 仁徳天皇陵の謎をすぐに調べるべきだ