1: しじみ ★ 2018/06/02(土) 21:54:16.14 ID:CAP_USER
 1590年8月の夕暮れ時、ホープウェル号という英国船が、北米大陸の東海岸沖に錨を下ろした。
ロアノーク島から上る一筋の煙を見て、船上にいたジョン・ホワイト総督は「入植地にまだ誰かいて、私たちの帰りを待っていてくれたと思った」

 北米大陸に英国が最初に建設したこの入植地を、彼が去ったのは3年前で、その時は男女子ども合わせて100人以上が暮らしていた。
総督は本国で物資の補給をしたらすぐに戻るつもりだったが、スペインとの戦争が勃発したため、帰還が遅れていた。

 ホワイトたちはようやく島に上陸したが、期待とは裏腹に、そこには誰もいなかった。
砂浜を越えたところで、彼らは「CRO」と刻まれた木を見つける。
それは事前に決めていた暗号だった。その決まりとは、島を去るときには行き先を木か柱に刻んでいく、さらに緊急事態の場合には十字も彫っていく、というものだった。

 無人の集落には、十字など災難を意味するものはなかったが、「CROATOAN」と刻まれた柱が見つかった。
柱は防御柵の一部で、ホワイトがいた頃にはなかったものだった。
入植者たちが敵の襲来に備えていたことは明らかだ。

 CROATOAN――クロアトアンとは、ロアノーク島の南にある細長い島と、そこに住む先住民の両方を指す。クロアトアン族はカロライナ・アルゴンキン語を話し、英国からの入植者と良好な関係を築いていた。

 ホワイトは80キロしか離れていないクロアトアン島を捜索したかったが、十分な物資もなく、ほかにも難題を抱えていたため、仕方なく英国に戻った。
帰国すると入植事業を支援していたウォルター・ローリー卿の関心が、北米ではなく、アイルランドの土地獲得に移っていた。
結局ホワイトはロアノーク島に戻ることはできず、115人の入植者は見捨てられ、忘れ去られた。

 それから400年、ロアノーク島の調査は何度か行われたものの、入植者がどこへ消えたのかの謎は解けないままだった。

 ノースカロライナ大学チャペルヒル校で経済学を教えるブレント・レーンは、入植者たちが消えたロアノーク島の伝説に少年時代から魅せられ、ホワイトが描いた地図の復刻版を持っている。2011年、その地図を眺めていた彼はあることに気づいた。
2カ所に小さな紙片が原画の上から貼られているのだ。

 レーンの度重なる要請を受け、大英博物館が原画に光を当ててみたところ、砦を意味する星形が1カ所の紙片の下から浮かび上がってきた。意外だったのはその場所だ。
入植地であるロアノーク島ではなく、80キロほど離れたアルベマール湾の西端に面する陸地だった。
ホワイトが残した記述のなかに、入植者たちがロアノーク島から西に約80キロ離れた本土に移転を計画していたというものがあるが、これは地図の星の位置と一致する。

 さらに紙片を詳しく調べると、砦の輪郭がほとんど見えないほどの薄さで描かれているのがわかった。
尿をインク代わりにして描いたのかもしれない。つまり、紙片は何らかの誤りを修正するというより、知られてはいけないことを隠す意図で貼られた可能性があるのだ。

 この発見を受けて、ロアノーク入植地の考古学的な調査を専門とするノースカロライナ州のNPO「ファースト・コロニー基金」は、ホワイトの地図の砦の場所に狙いを定め、「サイトX」と名づけて調査に乗り出している。
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ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/053100238/
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1527944056/
ロアノーク植民地( - しょくみんち、英: Roanoke Colony)は、現在のアメリカ合衆国ノースカロライナ州デア郡のロアノーク島にあった植民地。

ロアノーク植民地はウォルター・ローリーにより出資、組織化された殖民事業である。バージニア植民地内に恒久的開拓地を設立するために、16世紀後半に、ラルフ・レーンとリチャード・グレンビル(ローリーの従兄弟)によって実行された。1585年から1587年にかけて数度の植民地建設が試みられたが、どれも放棄されるか開拓者が死亡するかした。最後の100名余の開拓者集団は、おりからの英西戦争のためにイングランドからの補給がないまま3年が経過した後に全員姿を消していることが確認された。開拓者たちの行方は分かっておらず、以後ロアノークは「失われた植民地」と呼ばれ語り継がれることになり、研究・考察が進められている。
ロアノーク植民地 - Wikipedia
2: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/06/02(土) 22:05:47.33 ID:u666D8QL
レイフ・エリクソンのほうが興味がある

3: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/06/02(土) 22:10:05.62 ID:vWhboWO+
侵略が失敗しただけの事

8: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/06/02(土) 23:06:52.19 ID:ueQI5Cph
はいはい。どうせ 
アメリア・イアハートは日本軍に○○されたのレベルだろ

10: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/06/03(日) 00:23:30.43 ID:10yuK5iu
カナダにバイキングの入植あとがある11世紀ぐらいの

4: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/06/02(土) 22:16:11.03 ID:mx+Fd1DL
1585年
最初に本土海岸や地域の先住民集落を探検した後、アクアスコゴック族集落のインディアンに銀のカップを盗んだという疑いが及んだ。
この報復のために、訪問した最後の集落を略奪して燃やし、その酋長を火あぶりの刑にした。

第二の開拓者
1587年、ローリーは新たに117人の植民者遠征隊を派遣した。

近隣にいるクロアタン族との関係を再構築し、前年ラルフ・レーンが攻撃した部族との関係を修復しようとした。
しかし不満を感じていた部族は新しい植民者達との会見を拒んだ。
それから間もなく、ジョージ・ハウという植民者が一人アルベマール・サウンド(海峡)でカニを探しているときに先住民に殺された。
植民者達はラルフ・レーンが隊長を務めていたときに起こった事を知って、自分たちの生命が脅かされていることを恐れ、
ホワイト知事にイングランドへ戻り植民地の事情を説明し援助を求めるよう説得した。
ホワイトがイングランドに向けて出発したとき、植民地には115人の男女植民者が残った。
  

  _ノ乙(、ン、)ノ 謎なのかなぁ…