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1: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:24:12 ID:Jv8
ワイが趣味で中国古典小説の三国志演義を訳したんで興味ある人は見ていってクレメンス
21:30から開始します
あと、タイトル募集中なんでいい案あったらよろしくやで

過去の第九回まで
http://tihourekisimatome.blog.jp/archives/cat_864690.html?p=2
http://tihourekisimatome.blog.jp/archives/cat_864690.html?p=3

2: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:24:57 ID:pvo
期待
3: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:26:34 ID:Jv8
>>2
素人訳なんでそんな期待しないでくれな

4: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:29:34 ID:Jv8
三国志演義知らない人に説明すると中国の2,3世紀くらいに国が三つに分かれる三国時代ってのがあって、その時代の興亡の物語や
とにかく面白いんで初見さんでもぜひ見てってくれやで

では開始します

5: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:29:53 ID:Jv8

三国演義

第一回 桃園で宴をして豪傑三人は義を結び 黄巾を斬って英雄は初めて功を立てる

詞に曰く、

滾々と流れる長江の水は東に向かい、波しぶきは英雄を掬い尽くす。
是非や成敗も転じれば虚しくなり、青山は元のまま、何度も来る夕陽は赤いまま。
白髪の漁師は長江の中州で、秋月や春風を見慣れている。
一壺の濁酒で会うことを喜び、古今の多くの出来事は、全て笑い話の中に。

6: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:30:52 ID:Jv8

さて、天下の大勢は、分かれて久しければ必ず合し、合して久しければ必ず分かれるものです。
周の末期には七国が分かれて争い、秦に併合されました。秦が滅びた後は、楚・漢に分かれて争うも、ふたたび漢に併合されました。
漢朝は高祖が白蛇を斬って義を起こすことから始まり、やがて天下は統一されました。
後に光武帝が再興しましたが、天下が献帝まで伝えられると、遂に三国に分かれることになりました。
その乱れのわけを推察すれば、桓・霊の二帝から始まったといえましょう。桓帝は善人を拘束し、宦官を信任しました。
桓帝が崩御し、霊帝が即位すると、大将軍の竇武・太傅の陳蕃が互いを輔佐しました。
この時、宦官の曹節らが権力を弄したため、竇武・陳蕃は彼らを誅殺しようと謀りましたが、事は秘密にならず、かえって害されてしまいました。
宦官はこれ以降ますます横柄になりました。

10: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:33:35 ID:dxO
>>6
これ横柄じゃなくて専横ちゃうの?

14: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:34:30 ID:Jv8
>>10
ちょっと待って
原文調べてみる

16: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:36:05 ID:Jv8
>>10
原文「愈横」やから横柄でええと思う

12: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:33:52 ID:pvo
>>6
宦官がのさばり善人が死ぬのホンマ胸糞悪い

7: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:31:52 ID:Jv8

建寧二年の四月望日、霊帝は温徳殿におりました。玉座に上ろうとすると、殿の角から狂風が吹き、一匹の大きな青蛇が現れ、梁の上から飛び降り、椅子の上で蟠りました。
霊帝が驚いて倒れたため、周りの者は急いで救って宮中に入れましたが、百官は皆、逃げ出しておりました。
しばらくすると蛇は見えなくなりました。すると、突然激しい雷と大雨が起こり、雹も降り、夜中になってようやく止んだものの、壊された家屋は数えきれないほどでした。
建寧四年の二月には、洛陽で地震が起こり、海水も氾濫し、海沿いの住民はことごとく大浪にさらわれて海に沈んでしまいました。
光和元年には雌の鶏が雄になりました。六月の朔日には、十丈余りの黒い気が現れ、温徳殿の中に入り込みました。
秋七月には、玉堂に虹が現れ、五原の崖がことごとく崩壊しました。
種々の凶兆は、一つに止まりませんでした。

13: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:33:58 ID:Hlm
>>7
性転換は草 凶兆系に多いよな

9: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:32:59 ID:Jv8

霊帝が詔を下して群臣に災害の理由を問うと、議郎の蔡?が上奏しました。
「虹が落ち、鶏が雄と化したのは、婦人や宦官が政に干渉したためです」
言葉はすこぶる実直でした。
霊帝は上奏を見ると嘆息しながらお手洗いに行きました。曹節はそれを後ろから覗き見て、全て周りの者に密告したため、蔡?は他の事に託つけて罪に陥れられ、郷里に帰らされました。
後に張譲・趙忠・封?・段珪・曹節・侯覧・蹇碩・程曠・夏惲・郭勝の十人は組んで奸悪を行い、「十常侍」と号されるようになりました。
霊帝は張譲を尊敬して信任し、「阿父」と呼びました。
朝政によって天下が破壊されたため、天下の人は乱を起こそうと考えるようになり、盗賊が蜂起しました。

11: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:33:51 ID:Jv8

この時、鉅鹿郡に三人の兄弟がおり、一人の名は張角、一人の名は張宝、一人の名は張梁といいました。
張角は元々秀才に落第し、山に入って薬を採って暮らしておりましたが、そこである老人に出会いました。
その老人は碧眼に童顔で、手に藜杖を持っておりました。
老人は張角を洞窟の中に呼び入れると呼んで、天書を三巻授けてから、言いました。
「この書物の名は『太平要術』という。汝はこれを習得し、天に代わって教化を伝え、あまねく世の人を救うがよい。
もし異心を生じさせれば、必ず報いを受けるであろう」
張角は拝礼しながら老人に姓名を問いました。
老人は言いました。
「我こそは南華老仙である」
言い終えると、一陣の清風と化して去って行きました。

15: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:34:59 ID:Jv8

張角はこの書を手に入れると、日夜習得に励み、風を呼び、雨を呼べるようになったので、自らを「太平道人」と号しました。
中平元年の正月に疫病が流行すると、張角はお札や水を施し、人のために病を治し、『大賢良師』と自称するようになりました。
張角には五百人余りの弟子がおりました。彼らは四方を放浪しており、皆お札を書き呪文を唱えることが出来ました。
これ以降、徒党が日に日に多くなったので、張角は三十六方を立てました。大方は一万人余り、小方は六・七千人とし、各々に指導者を立てて「将軍」と称させ、流言を広めさせました。
「蒼天已に死す、黄天まさに立つべし、?甲子に在りて、天下大吉」
さらに人々には白い土で「甲子」の二文字を家の門に書かせました。
青・幽・徐・冀・荊・揚・?・豫の八州の人々は、家ごとに大賢良師張角の名字を奉じました。

17: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:36:17 ID:Jv8

張角は同士の馬元義に金や絹を持たせて密かに宦官の封?と結ばせ、内応を約束させました。
張角は二人の弟に相談しました。
「民の心は手に入れ難いものだが、今、民は我らに帰服している。この勢いに乗じて天下を取らないのは、とても惜しいことだ」
こうして密かに黄旗を作り、事を起こす期日を決める一方、弟子の唐周に書を持たせて封?に報告させました。
しかし、唐周はすぐさま省中に変事を告げに行きました。
霊帝は大将軍の何進を召して兵を整えさせ、馬元義を捕らえて彼を斬ると、ついで封?らの一党も捕らえて投獄しました。

18: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:37:15 ID:Jv8

張角は事が露見したと知るや、その夜のうちに兵を挙げ、「天公将軍」と自称しました。張宝は「地公将軍」と称し、張梁は「人公将軍」と称しました。
そこで、人々に対して言いました。
「今、漢の命運は終わりを告げ、大聖人が現れた。汝らは皆天に順じ、正道に従い、太平を楽しむがよかろう」
四方の百姓で黄巾をつけ、張角に従って反逆した者は、四・五十万人もおりました。
賊の勢力は大きかったため、官軍は恐れおののいて逃げ出すありさまでました。
何進は、各処に守りを固め、賊を討って功を立てよとの詔を速やかに下すよう、霊帝に上奏しました。
その一方で、中郎将の盧植・皇甫嵩・朱儁にそれぞれ精鋭を引き連れ、三路に分かれて賊を討伐するよう命じました。

19: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:38:18 ID:Jv8

さて、張角の一軍は、前進して幽州の境まで侵略しておりました。
幽州太守の劉焉は、江夏郡竟陵県の出身で、漢の魯恭王の末裔でした。この時賊兵がやって来たと聞くと、校尉の鄒靖を召して討議しました。
鄒靖は言いました。
「賊軍は多勢、我が軍は無勢なので、明公は速やかに義兵を募集して敵に応じるのです」
劉焉はその話の通りだと思い、ただちに立て札を出して義兵を募集しました。
立て札が涿県に出されると、涿県の中から一人の英雄を引き出しました。
その人は読書をあまり好まないものの、性格は寛容で、口数が少なく、喜びや怒りを表に出さず、元より大志があり、もっぱら天下の豪傑と交わりを結ぶのを好んでおりました。
身長は七尺五寸で、両耳は肩まで垂れ、両手は膝を越え、耳は自分の目で見ることが出来るほど長く、顔は冠玉のよう、唇は脂を塗ったようでした。
彼は中山靖王劉勝の末裔、漢の景帝閣下の玄孫で、姓を劉、名を備、字を玄徳といいました。

20: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:38:20 ID:hGK
出ました後漢将軍三羽烏

22: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:39:09 ID:Jv8
>>20
三人組扱いで草
これでも結構活躍するんやで

25: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:39:52 ID:hGK
>>22

どっちかっていうと皇甫朱ペアと盧董ペアやね

21: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:39:01 ID:hGK
州なのに太守
しかも劉焉とかいうマジで不思議改変

26: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:39:56 ID:Jv8
>>21
突っ込まれなければそれまでだけど演義はこういう間違い結構ある
特に地理の間違いは酷いけどあえて原文ママにしてるで

23: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:39:14 ID:pvo
この身体的特徴いつも草

27: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:40:30 ID:Jv8
>>23
半年くらい前にやった時は妖怪の集まり扱いされとったわ

30: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:41:39 ID:pvo
張飛金持ってたんかい
>>27
さすがに草

24: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:39:21 ID:Jv8

昔、劉勝の子の劉貞は、漢の武帝の時代に涿鹿亭侯に封じられましたが、後に酌金を払わずに侯の位を失いました。そのために末裔が涿県に残っていたのでした。
玄徳の祖父は劉雄といい、父は劉弘といいました。劉弘はかつて孝廉に挙げられて官吏になりましたが、早くに亡くなりました。
玄徳は幼くして父を失いましたが、母に孝行を尽くし、家が貧しかったので、わらじを売り、むしろを織ることで生計を立てておりました。
家はこの県の楼桑村にありました。家の東南には一本の大きな桑の木があり、高さは五丈余りで、遥かにこれを望むと、生い茂っていて車蓋のようでした。
それを見た占い師はこう言いました。
「この家からは必ず貴人が出るだろう」
玄徳は幼い時、郷里の子供と樹の下で遊ぶと、こう言いました。
「私は天子になり、このような車蓋のある馬車に乗るぞ」
すると、叔父の劉元起はその言葉を素晴らしいと思って言いました。
「この子は常人ではない!」
玄徳の家が貧しいと知ると、常に彼らに援助をしました。
玄徳は十五歳になると、母に遊学に出され、鄭玄・盧植に師事し、公孫瓚らと友になりました。
劉焉が立て札を出して義兵を募集した時、玄徳は二十八歲でした。

28: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:40:42 ID:Jv8

玄徳はこの立て札を見ると、憤って長嘆しました。
すると、後ろである人が声を荒げました。
「大丈夫たるものが、国家のために力を尽くさず、長嘆していてよいものか?」
玄徳が振り返ってその人を見てみると、身長は八尺、豹の頭に環の眼、燕の頷に虎の鬚といった容貌で、声は巨大な雷のごとく、勢いは奔走する馬のようでした。
玄徳は彼の容貌が非凡だと見ると、彼に姓名を問いました。
その人は言いました。
「某は姓を張、名を飛、字を翼徳と申し、代々?郡に住み、少しばかりの田畑を持ち、酒や豚を売りながら、もっぱら天下の豪傑と交わりを結ぶのを好んでいる。
今、公は立て札を見ながら嘆いていたが、いったいどういうわけだ」
玄徳は言いました。
「私は漢室の宗族で、姓は劉、名は備と申します。
今、黄巾が乱を起こしていると聞き、賊を破って民を安んじたいと願っておりますが、恨めしくも力がないために、長嘆していたのです」
張飛は言いました。
「私にはいささかの資金がある。郷里の勇士を招き、公と共に大事を起こしたいが、どうだ?」
玄徳ははなはだ喜び、共に村の酒店へ行って酒を飲むことにしました。

29: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:41:31 ID:Hlm
???「乱を以って乱を制す!」

31: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:41:54 ID:hGK
張飛の外見描写がいつみても秀逸
劉関張の容貌っていい感じで釣り合って手すき

34: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:42:53 ID:Jv8
>>31
後漢の班超に基づいていたりする

37: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:44:21 ID:hGK
>>34
出た
歴史家兄妹の特異点
すこ

32: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:41:57 ID:Jv8

まさに飲んでいると、一人の大男が車を押しながらやって来て、店の門の前に車を止めました。
店に入って座ると、すぐさま店員を呼びつけて言いました。
「早く酒を飲ませろ。私は城に入って軍に身を投じるのだ」
玄徳がその人を見てみると、身長は九尺、髯の長さは二尺、顔は熟した棗のごとく、唇は脂を塗ったようで、丹鳳の眼に、臥した蚕の眉をしており、容貌は堂々、威風は凛々としておりました。玄徳は彼を招いて同席させると、姓名を問いました。
その人は言いました。
「私は姓を関、名を羽、字を長生といい、後に雲長と改め、河東郡解良県の出身です。
地元の豪族が権勢を恃んで人を侮辱していたので、私はその者を殺し、江湖に難を逃れてから、もう五・六年になります。
今、ここでは義兵を募って賊を破ろうとしていると聞いたので、特に応募しに参った次第です」
そこで玄徳は己の志を彼に告げると、雲長は大いに喜びました。こうして皆で張飛の屋敷に行って大事を協議しました。

33: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:42:37 ID:hGK
ここ張飛だけオリジナル外面やんな

35: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:43:08 ID:Jv8

すると、張飛が言いました。
「私の屋敷の裏には桃園がありますが、今まさに花が開いて盛んなので、明日、園の中で天地を祭り、我ら三人で兄弟の契りを結び、心を一つにしてから、大事を図ることにいたしませんか?」
玄徳、雲長は声を揃えて答えました。
「それはとてもよい」
次の日、桃園の中に黒い牛と白い馬を用意して祭礼の支度をすると、三人は香を焚いて再拝しながら誓いました。
「劉備、関羽、張飛は、姓が違いますが、すでに兄弟の契りを結んだため、心を一つにして協力し合い、苦しみを救い危うきを助け、上は国家に報い、下は庶民を安んじ、同年同月同日に生まれずとも、同年同月同日に死ぬことを願います。
皇天后土よ、この心をご照覧ください。義に背き恩を忘れれば、天も人も共に我らを殺してください!」
誓いが終わると、玄徳が兄となり、関羽が次兄、張飛が末弟となりました。
天地を祭るのを止め、牛を捌いて酒を用意し、郷里の勇士を集めると、三百人余りが集まりました。皆、桃園で酔うまで痛飲しました。

36: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:44:14 ID:Jv8

次の日、武器を集めましたが、恨めしくも馬がありませんでした。
まさに思案していると、ある者が、二人の客が共を引き連れ、一群の馬を追いながら、屋敷に来たと報せました。
玄徳は言いました。
「これは天の助けだ!」
三人は屋敷を出て迎え入れました。やって来た二人の客というのは中山の大商人で、一人の名は張世平、一人の名は蘇双といいました。
彼らは毎年北に行って馬を売っておりましたが、近頃、賊が現れたために、帰って来たのでした。
玄徳は二人を屋敷に呼び入れ、酒を用意して歓待しながら、賊を討ち民を安んじようとする気持ちを訴えました。
二人の客は大いに喜び、良馬五十匹を送りました。さらに金銀五百両、鋼一千斤を贈り、資金にさせました。
玄徳は二人の客に感謝して別れると、ただちに名匠に双股の剣を打たせました。
雲長は青龍偃月刀を造らせました。この刀はまたの名を『冷艶鋸』といい、重さは八十二斤でした。張飛は丈八の点鋼矛を造らせました。
各々は全身に鎧を纏い、郷里の勇士五百人余りを集めると、鄒靖に会いに行きました。鄒靖は太守の劉焉に引き合わせました。
三人は拝謁すると、各々の姓名を名乗りました。玄徳が宗族であると話すと、劉焉は大いに喜んで玄徳を甥と認めました。

38: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:44:22 ID:pvo
実は関羽が最年長という話は正史にあったっけ

39: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:44:32 ID:hGK
>>38
ないです

43: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:45:37 ID:hGK
前も言った気がするけど
やっぱ蓋勲出してほしいンゴねぇ

44: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:47:30 ID:Jv8

数日もせぬうちに、ある人が、黄巾の賊将の程遠志が五万の兵を率いて?郡に侵略したと知らせました。
劉焉は、鄒靖に玄徳ら三人を引き連れ、五百の兵を率いて敵を破りに行くよう命じました。
玄徳らは欣然としながら軍を率いて前進し、真っ直ぐと大興山の麓まで行くと、賊と対峙しました。
賊軍は皆、髪を縛らず、黄巾を巻いておりました。この時、両軍が対峙すると、玄徳は馬を出しました。左には雲長、右には翼徳がおり、鞭を揚げながら大いに罵りました。
「国に背く逆賊め、どうして早く降伏しないのだ!」

46: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:48:06 ID:hGK
こころざし程遠しとかこれいかに

51: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:49:27 ID:Jv8
>>46
程って姓と分けて考えると志を遠くするってめっちゃええ名なんやけどな

47: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:48:09 ID:pvo
いきなり「降伏しないの?」は草

49: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:48:47 ID:Jv8

程遠志は大いに怒り、副将の鄧茂を戦いに出しました。
張飛は丈八蛇矛を構えながらすぐに迎え撃ちに行きました。張飛が手を起こすと、鄧茂は心臓を刺され、身を翻して馬から落ちました。
程遠志は鄧茂を失うと、馬を叩いて刀を舞わせながら、真っ直ぐと張飛に向かいました。
すると、今度は雲長が大刀を舞わせながら、馬を走らせて迎え撃ちに行きました。
程遠志はそれを見ると、一驚を喫しましたが、手向かう暇もなく、雲長が刀を起こして振るうと、真っ二つにされました。
後世の人が彼ら二人を詩で称賛していいますには、

英雄が鋒を露わにするのは今朝、一人は矛を試し一人は刀を試す。
初めて出陣して威力を示し、三分に姓名が残る。

賊軍は程遠志が斬られたのを見ると、皆、戈を倒して逃げ出しました。
玄徳が軍を指揮して追いかけると、計りきれないほどの者が投降し、大勝を得て帰還しました。
劉焉は自ら迎えに行き、恩賞を与えて兵士たちを慰労しました。

50: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:49:21 ID:Mes
黄巾の乱が終わったあとで「賊」ってワードが出てきたらそれは曹操のことなのすき

53: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:50:52 ID:Jv8
>>50
演義は忠義とっても大切にするから簒奪した曹操は賊の象徴扱いや

56: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:51:32 ID:hGK
>>53
曹操は簒奪してないで(詭弁)

58: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:52:19 ID:pvo
>>56
曹操「わしは文王でええ」

ぐうカッコいい

60: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:52:46 ID:hGK
>>58
曹丕「パッパは文王……簒奪しなきゃ(使命感)」

59: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:52:30 ID:Jv8
>>56
簒奪はしてないんやけどその基盤を作ったからな
曹操自身も王位を侵したし

52: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:50:15 ID:Jv8

次の日、青州太守の龔景から手紙を受け取りました。そこには黄巾賊が城を包囲して陥落寸前なので、救援を求めたいと書かれておりました。
劉焉は玄徳に相談しました。
玄徳は言いました。
「備が救いに行きます」
そこで、劉焉は鄒靖に兵五千を率いて、玄徳・関・張と共に青州に行くよう命じました。
賊軍は救援の兵が来たと知ると、兵を分けて混戦に持ち込みました。玄徳は寡兵では勝てず、三十里後退して陣を敷きました。
玄徳は関・張に言いました。
「賊は多勢だが我らは少数だ。奇兵を出さねば勝てまい」
こうして関公には一千の軍を引き連れて山の左に伏せ、張飛には一千の軍を引き連れて山の右に伏せ、鉦を鳴らすのを合図に、一斉に出て呼応するように命じました。

54: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:51:11 ID:hGK
また州だ太守や

59: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:52:30 ID:Jv8
>>54
演義の間違いをいちいち突っ込むとめんどくさいことになるで

55: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:51:28 ID:Jv8

次の日、玄徳と鄒靖は軍を引き連れ、太鼓を鳴らさせながら進みました。賊軍が迎え撃つと、玄徳は軍を引き連れてただちに撤退しました。
賊軍は勢いに乗じて追いかけましたが、山嶺を過ぎようとすると、玄徳の軍中で一斉に鉦が鳴り、左右から二つの軍が一斉に出てきました。
玄徳も軍を指揮し、反転してふたたび戦ったので、三路から挟撃された賊軍は大敗しました。
そのまま青州城下まで追撃すると、太守の龔景も民兵を率いて城から出陣し、戦いを助けました。
賊軍は大敗し、極めて多くの者が殺されたので、遂に青州の包囲は解けました。
後世の人が玄徳を詩で称賛していいますには、

謀を巡らし算を決して神のごとき功、二匹の虎も一匹の龍に謙譲しなければ。
初めて出陣して偉業を成すのは、自身に分鼎の運命があるから。

龔景が軍を労うと、鄒靖は帰還しようとしました。その時、玄徳は言いました。
「近頃、中郎将の盧植と賊の首領張角が広宗で戦っていると聞きました。
備は昔、盧植に師事していたので、彼を助けに行きたいのです」
こうして鄒靖は軍を引き連れて帰還することにし、玄徳と関・張は五百人の手勢を引き連れて広宗に行きました。

57: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:52:18 ID:hGK
所どころ挟まれる詩のせいで安っぽく感じるのはワイだけだんやろか?

63: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:54:06 ID:Jv8
>>57
詩はいろいろ訳し方あるんやけど前回ハンコとかめっちゃ不評きたんでこの訳し方にしたんや
嫌やったらまた書き下しとかにしてもええけど急には出来ないから第六十回以降くらいから反映させるで

66: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:54:38 ID:hGK
>>63
イッチは悪くないんやで
羅漢中が悪い

61: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:52:51 ID:Jv8

盧植の軍中に到着すると、帳に入って挨拶をし、やって来た理由をつぶさに述べました。
盧植は大いに喜び、帳の前に留めて命を待たせました。
この時、張角の賊軍は十五万、盧植の兵は五万で、広宗で対峙しておりましたが、勝負はついていませんでした。
盧植は玄徳に言いました。
「今、私はここで賊を包囲しているが、この他に賊将の弟の張梁・張宝が潁川で皇甫嵩・朱儁と対峙しておる。
私がさらに一千の官軍を貸してやるから、お前は手勢を引き連れて潁川に行き、様子を探って期日を決め、賊を破って捕らえてくれ」
玄徳は命を授かると、その夜のうちに軍を引き連れて潁川に行きました。
この時、皇甫嵩・朱儁が軍を率いて賊を拒むと、賊は不利になって長社に退き、草原に陣を敷いておりました。
皇甫嵩が朱儁に計を授けました。
「賊は草原に陣を敷いているので、火を用いて攻めるべきだ」
こうして兵士に束の草を一組持たせ、密かに埋伏させました。
その夜、突然強風が起こりました。二更を過ぎた頃、一斉に火を放ち、皇甫嵩と朱儁はそれぞれ兵を率いて賊の陣を攻撃しました。
火炎が天を満たしたため、賊軍は驚き慌て、馬に鞍を乗せられず、人は甲冑をつけられず、四散して逃げました。

64: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:54:09 ID:pvo
皇甫嵩とかいう名将

65: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:54:24 ID:Jv8

夜明けまで戦うと、張梁・張宝は敗残兵を引き連れ、血路を開いて逃げ出しました。
突然一隊の兵馬が現れました。彼らは全員紅旗を立てながら前に来て、退路を断ちました。
先頭に出て来た将は、身長七尺、細い眼に長い髯、官職は騎都尉、沛国?郡の出身で、姓は曹、名は操、字は孟徳という人物でした。
曹操の父の曹嵩は、元の姓を夏侯氏といいましたが、中常侍の曹騰の養子となったため、姓が曹になっていたのでした。
曹嵩は曹操を産みました。彼は小字を阿瞞、またの名を吉利といいました。

67: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:55:15 ID:Jv8

曹操は幼い時から狩猟を好み、歌舞を好み、権謀術数があり、機知に富んでおりました。
曹操には叔父がおりましたが、曹操が放蕩で節度が無いのを見ると、それに怒って曹嵩に言いつけたことがありました。曹嵩は曹操を責めました。
曹操は突然一計を思いつき、叔父が会いに来ると偽って地面に倒れ、中風のようにみせました。
叔父が驚いて曹嵩にそのこと告げると、曹嵩は急いで見に行きましたが、曹操は何事もないようにしてみせました。
曹嵩は言いました。
「叔父はお前を中風になったと言った。今はもう治ったのか?」
曹操は言いました。
「子は元よりそのような病になどなっておりません。叔父は私が嫌いなので、そのように騙したのでしょう」
曹嵩はその言葉を信じてしまいました。
後に叔父が曹操の過ちを話しても、曹嵩は全く聞かなくなりました。そのため、これ以降も曹操は好き勝手に放蕩することが出来ました。

68: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:55:34 ID:hGK
>曹嵩は曹操を産みました

この文の違和感よ
分かっちゃいるけど

70: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:56:19 ID:pvo
>>68
草生える

72: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:56:59 ID:Jv8
>>68
ワイも初見では草生えたけど中国語を訳すから変にならざるを得ない

71: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:56:21 ID:Jv8

また、時の人に橋玄という者がおり、曹操に対して言いました。
「天下はまさに乱れようとしているので、世に抜きん出た才能でなければ治められない。天下を安んじられる者は、君であろうか?」
南陽の何?も曹操に会うと言いました。
「漢室は滅びようとしている。天下を安んじられる者は、この人に違いない」
汝南の許劭は、人物を鑑定することが出来ました。曹操は彼に会いに行って問いました。
「私はどのような人物だ?」
許劭は答えませんでした。
また問うと、許劭は言いました。
「子は治世の能臣、乱世の奸雄だ。」
曹操はその言葉を聞くと大いに喜びました。

73: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:57:29 ID:Mes
曹操七尺で劉備七尺五寸だから曹操たいしてチビじゃないよな

75: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:58:48 ID:Jv8
>>73
東漢の一尺は23で計算すればええから曹操は161cm
戦前の日本人とか考えてもまあ普通くらい

74: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:57:33 ID:Jv8

二十歳になると、孝廉に挙げられ、郎となり、洛陽北都尉に任命されました。
任じられると、すぐに十本余りの五色の棒を県の四方の門に用意し、禁を犯した者がいれば、富豪ですら罰を与えました。
中常侍の蹇碩の叔父が刀を提げながら夜に通行したことがありましたが、曹操は夜の巡回で捕らえると、彼をも棒で責めました。
そのため、内外であえて禁を犯す者はいなくなり、威名が響き渡るようになりました。後に頓丘令になりました。
黄巾の乱が起こると騎都尉になり、五千の騎兵・歩兵を引き連れて潁川に行き、戦いを助けることとなりました。
ちょうど張梁・張宝が敗走していたため、曹操はそれを遮って、大いに戦ったところ、一万人余りを斬首し、極めて多くの旗・鉦・太鼓・馬を奪いました。
張梁、張宝は必死に戦って脱出しました。曹操は皇甫嵩・朱儁に会ってから、すぐに兵を引き連れて張梁・張宝を追撃しました。

76: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)21:59:05 ID:Jv8

さて、玄徳は関・張を引き連れて潁川に行きました。
すると、喚声が聞こえ、また火の光が天を輝かせていたので、急いで兵を引き連れてその場に向かいましたが、賊はすでに敗れておりました。
玄徳が皇甫嵩・朱儁に会い、盧植の考えをつぶさに伝えたところ、皇甫嵩は言いました。
「張梁・張宝は勢いがなくなり、戦力が乏しくなったので、広宗に行き張角を頼るに決まっている。玄徳は今夜のうちに助けに行ってくれ」
玄徳は命を授かり、兵を率いて引き返しました。道半ばまで行くと、一群の兵馬が檻車を護送しているのが見えました。
車の中の囚人は、なんと盧植でした。玄徳は大いに驚き、鞍から落ちるように馬を下り、そのわけを問いました。

77: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)22:00:14 ID:Jv8

盧植は言いました。
「私は張角を包囲して、まさに撃破するところであったが、角に妖術を使われたため、すぐには勝てなかった。
その時、朝廷が黄門の左豊に様子を探るよう命じたのだが、なんと彼は私に賄賂を求めて来たのだ。
私が『兵糧ですら欠乏しているのに、どうして使者に渡す銭がありましょうか?』と答えると、左豊は恨みを抱き、帰ると朝廷に、私が塁を高くして戦わず、軍の心を緩めたと上奏したので、朝廷は怒りに震え、中郎将の董卓を遣わした。
朝廷は彼に我が軍を率いさせ、代わりに私を都に戻らせて罪を問おうとしているのだ」

78: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)22:00:23 ID:pvo
宦官定期

79: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)22:01:12 ID:Jv8

張飛はそれを聞き終えると大いに怒り、護送の兵を斬って盧植を救おうとしました。
玄徳は急いでそれを制止しました。
「朝廷にも公正な議論があるだろうに、お前はどうしてそうせっかちなのだ?」
兵士は盧植を囲んで去って行きました。
関公が言いました。
「盧中郎が逮捕され、別人が兵を率いているのなら、我らには頼れる人がいないので、とりあえず涿郡に帰りましょう」
玄徳はその言葉に従い、軍を引き連れて北に向かいました。二日も行軍しないうちに、突然山の背後から喚声が大いに起こりました。
玄徳が関・張を引き連れて馬を走らせ、高い岡に登って望んでみると、漢軍が大敗しており、次いで黄巾が山を満たし、野を塞ぎ、地を覆いながらやって来るのが見えました。
旗の上には「天公将軍」と大書されておりました。
玄徳は言いました。
「あれは張角だ!速やかに戦え」
三人は馬を飛ばし、軍を引き連れて迎え撃ちに行きました。
張角は董卓を破り、勢いに乗じて追撃していたところでしたが、突然三人に不意打ちされたため、軍は大いに乱れ、五十里余り敗走しました。

80: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)22:01:42 ID:Mes
董卓とかいう馬超や馬騰と同郷とは思えない政治力の持ち主

83: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)22:03:37 ID:Jv8
>>80
董卓は政治って点においても優れてるよな
半端な人物なら一時期ですら天下は握れてない

84: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)22:04:57 ID:hGK
>>80
自分の経済圏は確保した上で粗悪貨幣を鋳造して経済不能に陥れるとか

81: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)22:02:09 ID:Jv8

三人は董卓を救って陣まで行きました。董卓は三人に現在は何の職に就いているかと問いました。玄徳は言いました。
「無官です」
すると董卓は彼をはなはだ軽んじ、礼もしませんでした。
玄徳が出て来ると、張飛は大いに怒って言いました。
「我らは自ら死闘に赴き、奴を助けたのに、奴はあのように無礼な態度を取りました!奴を殺さなければ、私の気が収まりません!」
こうしてただちに刀を提げて帳に向かい、董卓を殺そうとしました。
まさにこれは、

人情と権勢と利欲とは古も今も変わらない、誰が英雄とは無官だとわかるものか。
爽快な翼徳のごとき人がいれば、世の恩知らずを全て誅してくれるだろう!

はてさて、董卓の生命はどうなるのでしょうか?まずは次回の説き明かしをお聞きください。

82: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)22:02:22 ID:hGK
劉備=玄徳
関羽=関公
諸葛亮=孔明

張飛=張飛

やっぱ張飛は庶民なんすねぇ

83: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)22:03:37 ID:Jv8
>>82
三国演義では劉備と諸葛亮は主人公やから字、関羽は神になった影響で関公か雲長で呼ばれる
張飛が庶民だからってわけではなく上の三人が特別なんや

85: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)22:05:15 ID:Jv8
じゃあこれで三国演義の第一回は終わりや
付き合ってくれた人サンガツ
次は来週8/4の21:30からやるで

初回やから6,7人くらいやったけどこれからもっと増えるんかな?
打ち切りにならないように願いたい

86: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)22:05:39 ID:pvo
待っとるで

88: 名無しさん@おーぷん 2018/07/28(土)22:07:15 ID:Mes
期待しとるで
演義は曹操が強くなってからがおもろい