1: 樽悶 ★ 2018/07/29(日) 18:42:06.28 ID:CAP_USER9
家族から寄贈された阿南惟幾の刀=竹田市竹田町
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 竹田市ゆかりの陸軍大将、阿南惟幾(あなみ・これちか)(1887~1945年)の刀が、家族から阿南惟幾顕彰会(会長・首藤勝次市長)に寄贈された。8月7~17日に広瀬神社(竹田町)境内の記念館で一般公開。市総合文化ホールのオープニング企画展「竹田で出会う美しい日本」(10月7~14日)でも展示する。

 阿南は竹田市玉来出身。内務官吏の父・尚の転勤で東京などを転々としたが、本籍は竹田市に置いた。鈴木貫太郎内閣で陸軍大臣を務め、太平洋戦争末期に戦争継続を主張。ポツダム宣言受諾が決定し、8月15日に自決した。

 刀は長さ83センチ。白さやには「濃州関住人奈良太郎藤原兼永以大華耐錆鋼作之」と彫刻している。市教委文化財課の工藤心平学芸員(36)は「日本初のステンレス鋼製の刀を手掛けた藤原兼永が作った。強靱(きょうじん)さと鋭利さが特徴で、歴史的価値が高い」と評価する。

 今年1月、東京に住む娘が「古里に刀が納まれば父が喜ぶ」と打診。首藤会長と受け取りに行った白井幸光事務局長(71)は「命を懸けて陸軍内部の戦争続行論を沈静化させたとされる人物で、広瀬神社に顕彰碑もある。ゆかりの品で、歴史に目を向ける人が増えたら」と話した。

大分合同新聞 2018/07/29 03:01
https://oita-press.co.jp/1010000000/2018/07/29/JD0057154540
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1532857326/
121: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 20:49:22.34 ID:AfoJwunj0
>>1
米内を斬れとは一体何だったのか(´・ω・`)

3: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 18:44:01.99 ID:umFtr6XJ0
阿南は本土決戦の強硬派だろ

53: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 19:28:05.38 ID:sqLrlu7i0
>>3
だが、陸軍をまとめたのも阿南だ。

66: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 19:35:12.99 ID:/OyegR+60
>>53
つまり国内政治しかできなかったってこと。
見え透いたハッタリかまして国内政局を泳いだだけだ。
日本と日本人のことなんて考えてないよ。

158: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 22:17:55.63 ID:QNq+4byL0
>>66
命まで差し出すのを、はったりとか泳ぐとか言わないと思うよ

80: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 19:53:54.57 ID:8J3vJaBRO
>>53 元侍従長(鈴木貫太郎総理)と元侍従武官(阿南陸相)のどちらかが欠けた内閣だったら、戦争継続だったろうな。共に昭和天皇の側近だったから、御聖断まで持っていけた。

5: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 18:44:54.86 ID:j3vgsBQU0
戦争継続を主張したのか続行論を沈静化させたのか
どっちやねん!はっきりせーや

55: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 19:29:01.91 ID:sqLrlu7i0
>>5
どっちも。

どっちかしかないとなぜ思った?

22: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 19:02:31.40 ID:4seg+9to0
>>5
継戦派の一番上に乗っかることで終戦を助けた

27: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 19:08:38.00 ID:cTlHrFBv0
>>5
最後の御前会議までは戦争継続派だったけど、
天皇の決意を聞いてからは、すみやかに戦争を終わらせる気になったみたいだな。
鈴木首相にこれまでのことすまなかったと詫びたというからな。
首相も、ああ、この人死ぬつもりだな、と思ったらしいな。
阿南も自分が動かなければ、たとえ暴発する参謀が出てきても、クーデターは成功しないと思っていたみたいだ。
最後の陸相として、自分が死ぬことは覚悟していたようだが、
阿南としては、文句のあるやつはおれを見習って自決しろ、というつもりだったのかもしれない。

7: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 18:47:50.70 ID:hyewAa8D0
いまさら美化してんじゃねぇ、
責任の取り方は戦争責任の重軽を明確にすること、それが内部の者にしか出来ない責任の取り方。
過大な国費と兵士を浪費しながら、一番肝心な責任の取り方を回避して自己満足の縊死に逃げた軍人。

その責任回避が帝国陸軍の伝統、今も自衛隊に息づく。

58: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 19:30:49.14 ID:sqLrlu7i0
>>7
一番の責任は戦争を止めること。

現実にクーデターは起こってしまったが、阿南は自分の役目を果たして陸軍をまとめている。

実際東部軍を動かずクーデターは失敗している。

60: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 19:31:55.16 ID:NgrIsaQj0
>>58
東部軍司令官だっけ、クーデターを止めたの、あれは立派だった

64: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 19:35:00.28 ID:lxJCFKFf0
>>60
あの東部軍司令官もその後自決したんじゃなかったかな
マンガみたいなカイゼル髭の司令官

93: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 20:12:40.76 ID:eUlTojBN0
>>64
確か終戦後1カ月ぐらいたって終戦のゴタゴタが片付いてから自決したと思う

97: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 20:18:55.70 ID:RJIiu38W0
>>64
田中静壱大将だな。

15: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 18:55:51.54 ID:zvwSOmc10
腹を切った刀なのか

65: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 19:35:07.89 ID:sqLrlu7i0
>>15
わからんけど、腹は士官用の短剣で切ったのではないかな。

映画は長刀使ってるけど、現実にあれで切腹は失敗のリスクがある。

81: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 19:54:08.26 ID:lYxLRlPh0
>>15
切腹用の短刀は任官時に用意してたんだよ。
軍刀拵の長刀は切腹には使わないんだぜ!坊やw

16: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 18:56:49.82 ID:LeASQ3wc0
笹川良平からもらった短刀で自刃したんだよな。でもその短刀は行方不明。

21: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 19:02:13.90 ID:vYOGyHXS0
真実はわからん

ポツダム宣言の受諾をめぐって、戦争継続を強固に主張。最終的には昭和天皇の聖断を受け入れ、鈴木首相に一連の態度をわびた上で自決した。阿南の自決で陸軍内部に強かった戦争続行論は沈静化し、暴発を回避したとされる。

35: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 19:16:42.31 ID:G+s2Hzso0
阿南さんの本を読んだことがあるが、陸軍大臣に就く前は、人望が厚く聖将扱いだったからな。

37: 2018/07/29(日) 19:18:25.17 ID:FNLkDYX/0
天皇の首を差し出すのか
って意見に最後まで対立点を見出だせなかった。陸軍統制能力もあまりない
阿南は戦も下手だった。2次長沙を指揮したが無意味かつ弾不足くくのろすばす
ただ人望はあった。
つか

153: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 22:09:56.08 ID:sqLrlu7i0
>>37
そもそも東條と同じく、人事とか軍政とかの人だから統帥の人ではない。

でも東條とは人望で全く違った。東條三等兵と揶揄する人は戦前戦中戦後と絶え間なく存在し、東條は気に入らない話を耳にすると個人的な恨みで個人にあたるなど実際に小人物であることを自分で証明している。

阿南を小人物という評は同時代の阿南を知る人からは誰も出ない。

165: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 22:28:59.41 ID:SUuO1TBH0
>>153
陸軍幼年学校長時代に226事件が起きて、
直後に、軍人は政治介入するべきでないと、
訓示してるね。

血気盛んな若い将校達が、
法を超越しても守るべき道がある、
とクーデター正当化を主張しても、
法を守らず道を守るなんてあるものか、
と反論したりしてる。

52: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 19:27:54.60 ID:584hhaDt0
親族かしらんけど、同じ名字の中国大好き外交官おったよね?
もう引退して悠々自適かね?

77: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 19:49:37.04 ID:TevwPgAC0
>>52
息子

82: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 19:54:51.30 ID:8uV6sYsb0
もうちょっと早めに陸軍おさえてくれてればねw

83: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 19:55:47.07 ID:KZuj4l7M0
陸軍の継戦派(中心は阿南)がなぜ昭和20年に継戦の主張したのか。
それは天皇と外務省のポツダム宣言受諾路線では自分たちは休戦当事者になれないからだ。
もう一戦、本土決戦をやって米軍に出血させWW1型の休戦をやることを考えていた。
WW1ではルーデンドルフがやめると言って負けたにもかかわらず、終戦後もドイツ国防軍が全てを仕切った。
何か神がかりのやけくその精神論を考えていたわけではない。
陸軍という組織の存続を最優先に考えての計画だった。

132: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 21:00:18.37 ID:i+3ZHR080
1945年7月27日
最高戦争指導会議で陸軍大臣の阿南惟幾はポツダム宣言の全面拒否を主張

1945年8月10日
御前会議で阿南惟幾と梅津美治郎(陸軍参謀総長)が
戦争の継続と本土決戦を強硬に主張


阿南はほんとクズだよ

139: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 21:05:25.67 ID:QajY1o250
陸軍強硬派を抑える為の腹芸見事でした

143: 名無しさん@1周年 2018/07/29(日) 21:14:50.50 ID:8J3vJaBRO
>>139 鈴木が2・26事件で生き残り、尚且つ、同じ内閣に居たからこそ、腹芸が活きる状況になったね