1: しじみ ★ 2018/08/06(月) 14:10:33.86 ID:CAP_USER
英ケンブリッジ大学と米フロリダ大学の学者らは、メキシコで栄えたマヤ文明が滅亡した原因を明らかにした。Discover Magazineが伝えた。
「マヤ先住民の文化を滅ぼしたのは、長期にわたる干ばつで、この干ばつにより地域の平均降水量は50〜70%減少し、湿度は7%下がった。最も深刻な干ばつは950年頃に始まり、マヤ文明滅亡の時期と一致している」という。
学者らは、ユカタン半島中央部に位置するチチャンカナブ湖の堆積岩の水を分析した。水が蒸発する際に同位体組成は少し変化するため、堆積した石膏に関連する水の同位体レベルを変化させたり、
「堆積された」湖の水の同位体レベルを比較することによって、8世紀から9世紀初期に発生した気候変動の様相を復元することができた。
ちょうどこの時期、ユカタン半島を恐ろしい干ばつが襲い、先住民は自らの土地から離れなければならなかった。
Discover Magazineは「食べるために主に穀物を育てていた民族にとって、気候変動は(死刑)判決となった。この時期、人口はほぼ90%減少した」と伝えている。
都市の貯水池や運河の複雑なシステムでさえ、マヤを救うことはできなかったという。
学者らによると、これまでの発掘調査で、マヤ文明の滅亡が内紛と関連していたことが示された。これは貯水池をめぐる争いだった可能性もある。
マヤ文明は250年から800年まで存在した。石の建造物やピラミッド、寺院などがつくられ、世界中で知られている今もメキシコや中米の別の国に、マヤ族の子孫が暮らしている。
https://sptnkne.ws/jndM
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/scienceplus/1533532233/「マヤ先住民の文化を滅ぼしたのは、長期にわたる干ばつで、この干ばつにより地域の平均降水量は50〜70%減少し、湿度は7%下がった。最も深刻な干ばつは950年頃に始まり、マヤ文明滅亡の時期と一致している」という。
学者らは、ユカタン半島中央部に位置するチチャンカナブ湖の堆積岩の水を分析した。水が蒸発する際に同位体組成は少し変化するため、堆積した石膏に関連する水の同位体レベルを変化させたり、
「堆積された」湖の水の同位体レベルを比較することによって、8世紀から9世紀初期に発生した気候変動の様相を復元することができた。
ちょうどこの時期、ユカタン半島を恐ろしい干ばつが襲い、先住民は自らの土地から離れなければならなかった。
Discover Magazineは「食べるために主に穀物を育てていた民族にとって、気候変動は(死刑)判決となった。この時期、人口はほぼ90%減少した」と伝えている。
都市の貯水池や運河の複雑なシステムでさえ、マヤを救うことはできなかったという。
学者らによると、これまでの発掘調査で、マヤ文明の滅亡が内紛と関連していたことが示された。これは貯水池をめぐる争いだった可能性もある。
マヤ文明は250年から800年まで存在した。石の建造物やピラミッド、寺院などがつくられ、世界中で知られている今もメキシコや中米の別の国に、マヤ族の子孫が暮らしている。
https://sptnkne.ws/jndM
23: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/08/06(月) 15:18:27.16 ID:PWersify
>>1
マヤ文明が滅亡ってのはおかしくね?
最盛期は800年ごろに終わったけど、白人が来るまでマヤ文明は衰退しつつも残っていたはず
マヤ文明が滅亡ってのはおかしくね?
最盛期は800年ごろに終わったけど、白人が来るまでマヤ文明は衰退しつつも残っていたはず
35: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/08/06(月) 16:59:37.26 ID:VI0fka3O
>>23はそれ以前の衰退の原因についてだろう
最後はスペインに植民地化されて終わったけど
絵文書とか結構残ってたのに、カソリックの連中がほとんど焚書してしまったらしい
キリシタンバテレンめ
最後はスペインに植民地化されて終わったけど
絵文書とか結構残ってたのに、カソリックの連中がほとんど焚書してしまったらしい
キリシタンバテレンめ
55: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/08/06(月) 22:08:50.79 ID:2IfzobQS
>>1
スレタイ詐欺だろww
なぜ旱魃によって滅亡して
なぜ対処できなかったのか
ひとつも解説してねぇww
スレタイ詐欺だろww
なぜ旱魃によって滅亡して
なぜ対処できなかったのか
ひとつも解説してねぇww
62: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/08/07(火) 02:07:14.80 ID:kcj59rWB
なぜ対処できなかったのか
というか
その時期に、それだけのかんばつに対応できる文明があったのか?
というか
その時期に、それだけのかんばつに対応できる文明があったのか?
11: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/08/06(月) 14:34:09.43 ID:a8CmsRf7
まあ学者サン が唱える説というのは、決まって後付け説だからなー。
自説にとって都合がいいように、あれこれ脚色するのが常。
自説にとって都合がいいように、あれこれ脚色するのが常。
16: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/08/06(月) 14:51:36.21 ID:bKSJVDEz
>>11
ヒエログリフを解読するやつもいるくらいだからバカに出来ないw
ヒエログリフを解読するやつもいるくらいだからバカに出来ないw
27: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/08/06(月) 15:35:44.70 ID:k/aah7Mk
湿度が問題なんだろう
36: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/08/06(月) 17:00:57.74 ID:1QDhFMKy
>>27
ジャングルでも、地盤が石灰岩質で降雨は染み込んでしまう。マヤ文明最盛期
でも、水利は重要課題。セノーテって泉に、人身御供や財宝を投げ入れて雨乞い
してたみたいだし。
ジャングルでも、地盤が石灰岩質で降雨は染み込んでしまう。マヤ文明最盛期
でも、水利は重要課題。セノーテって泉に、人身御供や財宝を投げ入れて雨乞い
してたみたいだし。
30: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/08/06(月) 16:10:18.59 ID:7dRUmASP
干ばつの痕跡があるのだから、何らかの引き金にはなっただろう。
現代でも水をめぐっての争いは色々あるし、当時はすぐ大きな争いになってもおかしくはないな。
大移動や大規模移住先が無いのも水や食料で争った結果か。
現代でも水をめぐっての争いは色々あるし、当時はすぐ大きな争いになってもおかしくはないな。
大移動や大規模移住先が無いのも水や食料で争った結果か。
31: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/08/06(月) 16:22:04.98 ID:ADjwmNYS
ゆかたん可愛いよ
33: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/08/06(月) 16:29:28.76 ID:ylwLHYqK
干ばつ、洪水の繰り返しだな。
スペイン人で決定的、略奪、虐殺もあるが伝染病も持ち込む。
スペイン人で決定的、略奪、虐殺もあるが伝染病も持ち込む。
38: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/08/06(月) 17:19:25.32 ID:JIK2vKFa
人口が1/10に激減するくらいの気候変化ってすごいな
同時期の地球上の別地域はどうだったんだろ
同時期の地球上の別地域はどうだったんだろ
40: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/08/06(月) 17:25:32.59 ID:HHrDE56D
そりゃ木を切りまくれば保水能力が落ちて干ばつになるよ
だからマヤ人は都を何度も移さなきゃならなかったって歴史学者が検証しているだろ
だからマヤ人は都を何度も移さなきゃならなかったって歴史学者が検証しているだろ
41: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/08/06(月) 17:26:29.40 ID:1ay0I1nC
日本でも消滅した村とかあるからな
65: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/08/07(火) 05:13:04.15 ID:HBe02MbY
ユカタン半島あたりの年間雨量ってどうもデータが混乱してるんだよなあ
ユカタン半島の年間雨量は2000mmって本には書いてあるんだが
今のユカタン半島の北西部のメリダなんて1000㎜しか雨が降らん
東側のキンタナ・ロー州のチェトマルで1300mm
南西部カンペチェ州のカンペチェも1060㎜しか降らない
もっと南のベリーズとかなら確かに1900㎜になったり、ずっと南西のタバスコ州なら2000㎜オーバーだったりする
全体としては北の方が雨量が少ない
有名なリゾート地のカンクンも1000㎜くらいだね
あと、ユカタン半島って今では乾季と雨季のある程度ある森林が広がっている、事になっているが
全体として標高300mまでの丘が所々にあるだけのなだらかな地形だなあ
確か、熱帯だと標高400mくらいの山がうまく海からの季節風を受けるような地形だとそこが水源になる場合もあるが
ユカタン半島にはそういう山が一切ないって事になる
タバスコ州やベリーズあたりのもっと雨の多い地域の森林の水分を、そこから連続性の高い森林地域により
全体に水分を持ってくるような形でしか水分を保持できないって事かな??
森を切り開くと、>>1にあるように年間雨量が50~70%も減るのか
ここをどんどん切り開いて森を無くしたら、南の方の水分を連続させることが出来なくなったって事かなあ?
でも、ベリーズの1900㎜とメリダの1000㎜をいい具合にデータをとっかえひっかえして「ユカタン半島の年間雨量は50%も減りました」(キリッ
みたいなインチキレポートを出されても困るw
ユカタン半島の年間雨量は2000mmって本には書いてあるんだが
今のユカタン半島の北西部のメリダなんて1000㎜しか雨が降らん
東側のキンタナ・ロー州のチェトマルで1300mm
南西部カンペチェ州のカンペチェも1060㎜しか降らない
もっと南のベリーズとかなら確かに1900㎜になったり、ずっと南西のタバスコ州なら2000㎜オーバーだったりする
全体としては北の方が雨量が少ない
有名なリゾート地のカンクンも1000㎜くらいだね
あと、ユカタン半島って今では乾季と雨季のある程度ある森林が広がっている、事になっているが
全体として標高300mまでの丘が所々にあるだけのなだらかな地形だなあ
確か、熱帯だと標高400mくらいの山がうまく海からの季節風を受けるような地形だとそこが水源になる場合もあるが
ユカタン半島にはそういう山が一切ないって事になる
タバスコ州やベリーズあたりのもっと雨の多い地域の森林の水分を、そこから連続性の高い森林地域により
全体に水分を持ってくるような形でしか水分を保持できないって事かな??
森を切り開くと、>>1にあるように年間雨量が50~70%も減るのか
ここをどんどん切り開いて森を無くしたら、南の方の水分を連続させることが出来なくなったって事かなあ?
でも、ベリーズの1900㎜とメリダの1000㎜をいい具合にデータをとっかえひっかえして「ユカタン半島の年間雨量は50%も減りました」(キリッ
みたいなインチキレポートを出されても困るw
66: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/08/07(火) 05:24:35.60 ID:HBe02MbY
マヤ文明は
>北から順にマヤ低地北部、マヤ低地南部、マヤ高地の三地域に分かれている
で、ユカタン半島北部がマヤ低地北部、付け根の方がマヤ低地南部か
有名な遺跡のあるパレンケはマヤ低地南部と
今でもタバスコ州なんかは雨量が多いんだが、そこから南南東に100㎞も進んだ所にバレンケがある
南にそれなりに高い山があるから本来は水源も確保出来ている筈が、半島全体で森が無くなって
北の方から乾いてしまったのかなあ
だが基本的には海に囲まれた地域ゆえ、乾燥するといっても限界があるw
だから乾いたなりに出来る農業を腹を括って続ければ文明を維持できたのか、
8世紀以降のマヤ文明はむしろサバナ気候の北部に重心が移ったって事かなあ
https://ja.wikipedia.org/wiki/マヤ文明
ウィキを見ながらまあ色々と考えを巡らせてみる
>北から順にマヤ低地北部、マヤ低地南部、マヤ高地の三地域に分かれている
で、ユカタン半島北部がマヤ低地北部、付け根の方がマヤ低地南部か
有名な遺跡のあるパレンケはマヤ低地南部と
今でもタバスコ州なんかは雨量が多いんだが、そこから南南東に100㎞も進んだ所にバレンケがある
南にそれなりに高い山があるから本来は水源も確保出来ている筈が、半島全体で森が無くなって
北の方から乾いてしまったのかなあ
だが基本的には海に囲まれた地域ゆえ、乾燥するといっても限界があるw
だから乾いたなりに出来る農業を腹を括って続ければ文明を維持できたのか、
8世紀以降のマヤ文明はむしろサバナ気候の北部に重心が移ったって事かなあ
https://ja.wikipedia.org/wiki/マヤ文明
ウィキを見ながらまあ色々と考えを巡らせてみる
60: ニュースソース検討中@自治議論スレ 2018/08/07(火) 01:03:40.03 ID:Osy0xOtz
やっぱ文明は大河下流域に限る。
コメント
コメント一覧
「干ばつ来たから水資源は全てオレ様のモノ」
「オマエにくれてやるぐらいなら貯水池ブチ壊すわw」
という人間らしい流れで衰退したって事だな
鉄器の普及により灌漑や開墾がより容易になった
原始農耕が行われた地域は農地化が楽な大河流域のステップ地帯
古代日本も森林沼沢地だらけで鉄器の伝来と農耕がほぼ同時期
気候変動で結構文明崩壊してますよ
広大な大陸だと水源枯渇したらかなり遠方から水引いてこなけりゃなりませんからね、技術や膨大な労力が
文明を養うに足る水が不足すれば潰れます
この時期、マヤの古典古代都市国家文明が崩壊しているだけじゃなくて、
日本では弥生時代に形成された地域社会が解体して、古くからの定住地の多くが放棄されている。この変動が原因になって律令制が事実上放棄されて荘園公領制への変動が開始され、地方では新しい統治形態に対応して武士が誕生する。
ユーラシア大陸では新羅や渤海といった唐制に倣った周縁国家が滅亡するのと同時に、契丹の遼帝国のように、農耕定住地帯も安定統治する統治しシステムを確立した
新しいタイプの遊牧国家が成立し、遊牧国家から農耕定住地帯への永続的な影響力が増してくる。
西ヨーロッパではカロリング朝フランク王国の統合が解体し、西のフランス王国に東の神聖ローマ帝国という中世から近世にかけての基本の国際関係ラインを構成する二頭体制が確立する。
西ユーラシアのイスラーム世界を忘れてた。
10世紀は年表上の記録は少ないけど、アッバース朝のカリフ権力が事実上解体しているのがこの時期だ。つまり、西アジア世界のカリフ権による統合が失われ、トルコ系遊牧軍団の政権確立への道が開かれた。
3世紀の寒冷化は日本の古墳時代と同時代なんで、日本の古気象学では「古墳寒冷期」って言われてるね。
寒冷化によって牧畜文化圏の家畜の大量死、農耕文化圏の作物の不作が深刻化して、華北の農民が江南に南下、モンゴル高原の牧畜民が華北に南下することで中国の三国時代~五胡十六国の乱世を来した末に南北朝時代に帰結している。
もちろん、ユーラシアの西端では豚と牛の牧畜に深く依存するゲルマン系諸族が食い詰めて、ライン川とドナウ川の国境線を超えてローマ帝国に武装難民として流入。
ところが、日本列島では逆に弥生時代の国同士の熾烈な殺し合い、「倭国大乱」を収拾してヤマト政権のもとに安定した古墳時代を築いている。これは、14世紀から19世紀の小氷期の最も熾烈だった17~19世紀に長期安定政権を築いた江戸幕府とパラレルな現象と言えるかもしれない。
みんなで協力してって体力ない奴から死んでいくディストピアみたいになりそう