1: 記憶たどり。 ★ 2018/08/20(月) 05:43:27.43 ID:CAP_USER9
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180820/k10011582511000.html

今から150年余り前、幕末の将軍、徳川家茂と慶喜が西洋諸国との間に取り交わした外交文書に使用した印の実物が確認されました。
調査にあたった専門家は「江戸時代に国を代表して押された印が残されていたのは非常に驚きで、大変貴重な発見だ」と話しています。

見つかったのは、「文武両道の政治を行う」という意味の「経文緯武」と彫られた縦・横9.2センチ、重さ2.7キロの銀印で、徳川家に伝わる資料などを管理する徳川記念財団が蔵を整理した際に、漆塗りの箱の中に残されていました。

東京大学史料編纂所の保谷徹所長などが調べたところ、幕末に西洋諸国との外交が始まったあと、14代将軍の徳川家茂と15代将軍の慶喜が国の代表として外交文書などに使用していた印の実物と確認されました。

この印は安政5年、西暦1858年に結ばれた日米修好通商条約の批准書などに将軍の署名とともに押されたことが、残された書面から確認できますが、実物がどこにあるのかわかっていませんでした。

保谷所長は「今回見つかった印は、将軍が当時の日本の主権者であることを明らかにするために使われた。江戸時代に国を代表して押された印が残されていたのは非常に驚きで、大変貴重な発見だ」と話しています。

この印は、来月15日から新潟県立歴史博物館で開かれる「徳川の栄華」展で、来月30日までの期間限定で公開される予定です。


外交迫られ 正式な印を製作

東京大学史料編纂所の保谷徹所長によりますと、今回見つかった印は、安政4年、西暦1857年に幕府が製作を指示した記録が残されています。

その翌年の安政5年にアメリカやイギリスなど5か国との間に修好通商条約が結ばれ、翌安政6年に取り交わした批准書のうち、少なくとも日米、日英、日仏の書面には、将軍・家茂の署名とともにこの印が押されていることが確認できたということです。

また、文久遣欧使節を派遣した際の信任状にも使われているということです。次の慶喜の時期には、慶応3年(西暦1867年)にデンマークとの間に取り交わした条約の批准書や、同じ年に弟の徳川昭武を将軍の名代としてパリ万国博覧会に派遣した際の信任状などに使用されています。

この印が作られる3年前には、アメリカとの間で日米和親条約が結ばれていますが、印は使用しておらず、当時の老中の署名があるだけでした。

しかし、その後、西洋諸国とのさらなる外交を迫られたことから、外交諮問役だった林復斎の進言により、文書に使う正式な印を製作することになったということです。

保谷所長は「幕末に和親条約を結び、外国とのつきあいが始まるということで、外国の書簡に一定の印を押したほうがいいだろうと幕府が諮問をして印章を作らせました。作られて以降は、将軍が相手国に送る国書にはこの印が押されていると思います」と話しています。

origin_1 (3)
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1534711407/
147: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 15:28:26.94 ID:UvkvaEY+0
>>1
江戸時代から、大日本帝国だったの?

182: 名無しさん@1周年 2018/08/21(火) 07:24:09.88 ID:c2Up0iJ40
>>147
そうみたい
幕末に小栗上野介たちがアメリカに行った時とかも大日本帝国を使ってる
ウィキペディアの大日本帝国の項目に書いてあった

3: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 05:50:34.30 ID:am2++vpa0
既に大日本帝国じゃん

7: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 05:55:20.00 ID:plx8B+GT0
>>3
徳川幕府とか鎌倉幕府とか言うけど幕府という言葉自体後世の造語

13: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 06:05:19.20 ID:B531h6adO
>>7
江戸後期になると、当時の文献にも幕府という名称は出てくる

165: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 20:49:23.53 ID:O1qKJRE30
>>13
江戸時代末期にはじめて武家政権の意味で幕府が使われたんだよね

だから江戸幕府を開いたってのは
当時は言わなかった

103: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 11:14:47.90 ID:PaGMRe/30
>>3
国号は日本。
外交文書に書かれる国名は日本国、大日本国、日本帝国、大日本帝国と揺らぎがあった。
大は天子(皇帝)がいる国であることを示すもの(例 大漢、大唐)。
帝国という言葉は西洋諸国の国名表記(英語のkingdamなど)にならったものだろう。

144: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 15:20:46.99 ID:Z1qtGUuu0
>>103
大の意味はじめて知りました。
なら大韓民国って、全く意味のない国号ですねww

160: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 19:59:36.08 ID:PaGMRe/30
>>144
日清戦争の結果、李氏朝鮮が清朝から独立して大韓帝国になった(漢字圏の古い価値観では王は帝の臣扱いになるからね)。
日韓併合を経て第二次大戦後に連合国占領下から独立する際に南朝鮮側の有力者に大韓という呼称にこだわった者がいて
大韓民国という意味不明な国名になった。

157: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 18:43:59.59 ID:9faF6K8V0
>>3
ウィキペ

万延元年遣米使節の正使新見正興、副使村垣範正、監察小栗忠順は
1860年、日米修好通商条約を批准した安政五年条約批准条約交換証書上で、
日本側を「大日本帝国 大君の全権」と記した。

12: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 06:04:56.18 ID:rjfsXdBj0
しかし皇室と違って、保存がいい加減でガサツ、大政奉還の後、編纂資料心得係つくっとけ

17: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 06:18:48.16 ID:C+OrCEAs0
面白いがなんて書体なんだろう
「文」の字がラピュタのロボット兵に見え

18: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 06:18:56.36 ID:nLjI9eR30
>江戸時代に国を代表して押された印が残されていたのは非常に驚きで、大変貴重な発見だ」と話しています。

保管のきく材質なのにそんなに簡単になくなるのかよ

107: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 11:22:10.44 ID:PaGMRe/30
>>18
明治維新と廃藩置県の混乱で大名家の文物が流出したり紛失したりはよくあった。

21: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 06:21:32.57 ID:C+OrCEAs0
銀印ってメッキかな
純銀だったら盗難されて鋳潰されてるだろう

32: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 06:36:30.71 ID:muw8l6Es0
>>21
2.7kgの純銀塊でも16万円程度だぞ

40: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 06:48:46.88 ID:C+OrCEAs0
>>32
昔の日本は銀本位制じゃないの?

22: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 06:23:41.53 ID:/Xqo+Ivh0
こういうものが残されているなんて。
先の大戦の時に徴収もされず良かったねと思うけど。
やっぱり、旧徳川家って、大東亜戦争時に、優遇措置を受けられたりしたん??

27: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 06:29:11.35 ID:qCpO2HIB0
>>22
国宝級の刀剣だって残ってるんだしそりゃ優遇はされたんだろ

44: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 06:56:30.38 ID:PBjTO4sq0
カッコいい印だぜ

57: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 07:57:06.69 ID:tDjF8wOC0
将軍家のものは散逸してるのが多いらしいな。
15代は江戸城に入ったことがなく、幕府の最後は例の無血開城。
多くは残したままで、明け渡したんだろうな。

盆栽は皇室が受け継ぎ、今もあるとかないとか。

58: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 07:57:59.24 ID:PBjTO4sq0
明治天皇と薩長の方が偉くなったから
徳川は重視されなくなった証拠

64: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 08:05:36.34 ID:d92tyBzT0
この文書の大日本帝国の「帝」って天皇という認識?

とすると、実質的には徳川将軍が権力を握っていても
形式的には天皇が最高権威者というのが、幕府の公式見解なのか。

79: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 08:49:22.02 ID:ykeGPzpw0
>>64
勅許問題が持ち上がるのも朝廷権威の高まりがあってこそな。
幕府の権威はペリー来航前からがた落ちだった。末端とはいえ幕臣の
大塩平八郎が反乱するくらいだし。
余談だが、大塩は将軍の介入による大坂統治の改善を期待していたらしい。
幕臣として将軍への忠誠はあったよう。

83: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 08:53:44.20 ID:f4DwL5+E0
>>79
江戸城で勅使と面会するときも、ずっと将軍が上座だったのに、
幕末には逆に勅使が上座になったらしいしな

67: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 08:12:06.08 ID:TjgWF2mI0
> 徳川記念財団が蔵を整理した際に、漆塗りの箱の中に残されていました。


今まで蔵の中のもの全部調べてなかったんかいっ!!!

85: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 09:02:12.47 ID:ykeGPzpw0
>>67
税金の関係からゴニョゴニョ・・
徳川家の財団といえば、尾張徳川家のが戦前から設立されていて
有名だが、宗家の財団設立は最近だったはず。

93: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 10:02:25.52 ID:tDjF8wOC0
敗戦後の財産税と、相続税で多くの華族が財産を手放し、文化財も散逸したらしい。 
尾張徳川家は、財団を作ってたからたくさん残ってるとか。 
紀伊徳川家は、先々代が大散財をして財産を使い果たした。

73: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 08:31:52.00 ID:IA6aqNov0
印の発見よりも、江戸時代の時点で「大日本帝国外国事務老中」って肩書名乗ってる方に興味ある

74: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 08:34:44.56 ID:/oJkwflN0
>>73
あれだな
こういうのも薩長政府がパクったんだな
薩長が自分達が作ったみたいに言ってるのが幕府のパクリばかりだからな

84: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 08:55:58.39 ID:ykeGPzpw0
>>74
国家の連続性を鮮明にするのと理屈としても断絶はしてないから、
国号変更する理由がなかった。幕府が「大日本帝国」としてのも大政委任論
で主権は天皇にあると考えたからだ。
新井白石はこの論理が幕府にとって災いすると気付いて修正を試みようとしたが
果たせなかった。

163: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 20:32:32.98 ID:wfNW2n6L0
>>84
新井白石ってすごい人だな

173: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 23:55:04.25 ID:os/ocE3l0
>>163
白石は儒学者、その中でも朱子学者だから
この手の名分論は専門だよ

78: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 08:43:14.56 ID:kf/Ii+/X0
重さ2.7キロ...て、結構な重さだなw 筋トレに使えそう。

101: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 11:02:00.74 ID:dO+8sMpD0
銀と言う事は手入れをしていないと真っ黒になってるな

102: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 11:07:26.43 ID:T1VLxCCU0
これは中々面白い発見じゃね
国交を持たざるを得なかった当時の日本が外交下手なのはしょうがないとしても、出来るだけ国際社会の常識を学ぼうとしていた証拠でもある
そして国号が変わっていないのだから明治維新で対外的に国体は変わってないよっていうことにもなる
まぁ「維新」だからそもそもそうなんだけど、当時の日本の指導者層がこの辺の流儀をしっかり身に着けてるってことだもんね

110: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 11:53:39.63 ID:xw8ZX3G20
こういうものの管理や捜索って案外いい加減で(´・ω・`)
亡失したとされているものもちゃんと探せば結構出てくるのかもしれないね