1: アーモンドクッキー ★ 2018/08/30(木) 17:03:01.33 ID:CAP_USER9
京都市中京区元法然寺町(錦小路烏丸東入ル)の平安京跡から、豊臣秀吉が16世紀末に京都で行った土地区画整理事業「天正の地割り」で埋められたとみられる濠(ほり)跡が出土し
29日、民間調査団体「関西文化財調査会」が発表した。濠は「へ」の字に折れ曲がる特殊な形。調査地の町名から法然寺にかかわる遺構の可能性もあるという。現地説明会は9月1日午前11時から。

駐車場建設に伴い、平安京左京四条三坊十四町の約250平方メートルを調査。濠跡は幅が約4メートル、深さは最深部で約1・7メートルの逆台形。東西から北西に約120度屈曲していた。
濠の底の両端からは橋脚の礎石のような石も出た。濠に水が流れていたが底に泥はなく、常に清掃されていたらしい。完成時期は不明だが、出土した土器から16世紀末に一気に埋められたことが判明。
このため同調査会は秀吉が天正18(1590)年に始めた地割りに伴い埋められた可能性が高いとみている。また濠の正確な用途は不明としながら、今に残る町名から法然寺の関連遺構の可能性も指摘している。

法然寺は鎌倉時代の武士で、のちに僧に転じた熊谷直実が建てたとされるが、秀吉が天正19年、南東約800メートルの寺町に移転させている。
同調査会の吉川義彦代表は「京内の濠跡は条坊にのっとり直線で出るのが一般だけに、曲がった形で出るのは珍しい。
法然寺につながる遺物がなく性格付けは難しいが、中世から近世にかけての町の変遷を知る貴重な遺構」と話している。

2018.8.30 08:32 産経デジタル
https://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/180830/lif18083008320003-n1.html

ビルに囲まれた調査地の一角から出土した巨大な濠跡。秀吉が地割りで埋めた可能性が高い=京都市中京区
lif18083008320003-p1
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1535616181/
9: 名無しさん@1周年 2018/08/30(木) 17:13:35.56 ID:Ya4ELIV/0
これは保存だな

11: 名無しさん@1周年 2018/08/30(木) 17:23:44.32 ID:xP+e7DOK0
何か建てようとしたのに大変だな

16: 名無しさん@1周年 2018/08/30(木) 18:19:56.59 ID:hnBngbBd0
また埋め戻すんだろ

17: 関西人 2018/08/30(木) 18:24:58.29 ID:OOp4/W750
熊谷直実…青葉の笛か、

18: 名無しさん@1周年 2018/08/30(木) 19:26:14.05 ID:fDO5k2Kq0
秀吉のせいでいくつかの通りがクランクになってんだよね

25: 名無しさん@1周年 2018/08/30(木) 20:50:00.56 ID:qNRDVZkJ0
俺は近世史に詳しいわけじゃないが、秀吉って賢いよなあ ブレーンがいたのかもしれんが
土地をコントロールすることの重要性をきちんと認識してたんだからなあ
彼じゃなくても天下とったらやっただろうけど

27: 名無しさん@1周年 2018/08/30(木) 22:00:26.58 ID:aDW5BJ2I0
>>25 
戦術よりも戦略の構築、租税を含めた経済と行政手腕

あり得ないレベルでクレバーだわ