1: みつを ★ 2018/09/09(日) 19:47:47.07 ID:CAP_USER9
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20180907-OYT1T50046.html

潜伏キリシタンが伝承、禁教期の元号入り暦発見
2018年9月9日 18時48分

 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産がある五島市・奈留島で、江戸時代の1850年(嘉永3年)の日付やキリスト教の記念日が記された潜伏キリシタンの暦が見つかった。1614年の禁教令発令後、1859年の開国までは国外から宣教師が入ってきていないことから、専門家は「禁教期に信者が暦を伝承したことを裏付ける貴重な証拠」と注目している。

 暦があったのは、世界文化遺産に登録されたキリシタン関連遺産の構成資産「奈留島の江上集落」と同じ西海岸に位置する同市奈留町浦、水産会社経営吉田茂樹さん(65)の自宅。先祖を祭る祭壇で杉箱に入れたままになっていたのを、「禁教期のキリシタン研究会」の柿森和年世話人が確認した。

 暦は十数ページの和紙に書かれ、「嘉永」の元号の日付が入っている。マリアがイエスを身ごもった受胎告知を祝う2月26日の「さんた丸や」(サンタマリア=聖母マリア)の記述から始まり、日曜日を意味する「どみんご」、日本で宣教が始まった日などが記されている。同じ内容を新しい和紙に書き写したものもあり、劣化した暦を更新したとみられる。

 暦の内容は、1634年の教会暦を日本の太陰暦に改編し、年間行事や儀礼の基準とされた「バスチャン暦」とほぼ同じ。潜伏キリシタンが信仰を続ける上で欠かせず、暦を管理する役職者が組織のリーダーを務めるほど重視されていた。

 暦が保管されていた杉箱には、殉教者の衣服とされる布きれも入っていた。集落では、隠れキリシタンの組織が昭和40年代まで残っており、死者を送る際に衣服の切れ端を持たせる習慣があったという。

 柿森世話人は「潜伏キリシタンの暦は各地で見つかっているが、元号が入っているものは珍しい。時代が分かる暦の中では、最も古い部類になるのではないか」と指摘。吉田さんは「先祖が代々伝承してきたもので、これからも大切に保管していきたい」と話した。(坂田元司)

奈留島で見つかった潜伏キリシタンの暦。右上が古い暦で、左上が新しく書き写したもの。右下は暦が入っていた杉箱
20180907-OYT1I50009-1
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1536490067/
6: 名無しさん@1周年 2018/09/09(日) 19:57:24.97 ID:gtymdH1u0
受胎告知は春分の日だと思ってたが2月になってるのか

54: 名無しさん@1周年 2018/09/10(月) 01:04:32.51 ID:GwZgRynD0
旧暦と二十四節気を混同するアホレベルではないことを前提にレスするけど、 

天保暦以前のいわゆる旧暦(太陰太陽暦)は、その閏月挿入の準拠としての二十四節気を標準装備していて、 
この二十四節気は太陽暦そのものだから、 
「なんちゃってグレゴリオ暦(=カトリック教会暦)っぽいもの」をそこから導くのは、そんなに難しいことじゃないんだよね。 
しかも、一般の暦にも、曜日(七曜)まで記されているものが多かった。 
当時は、キリシタン以外には、今の大安仏滅のような迷信ネタとして使われていた。 

ただ、さすがに途中で二十四節気の干渉は免れなかったらしく、 
クリスマスがいつのまにか冬至に化けたりしていたらしい。また、天保暦までは当時基準の平気法で二十四節気計算をしていたから、 
春分日は、グレゴリオ暦3月21日より2日程度ずれることが多かった。そうすると、復活祭の計算が微妙にずれる。

11: 名無しさん@1周年 2018/09/09(日) 20:06:29.46 ID:MvbBZioP0
「隠れキリシタン」って習ったのに
なんで急に潜伏になってんの?
いつ変わったの?

16: 名無しさん@1周年 2018/09/09(日) 20:32:28.67 ID:7PWUDKV+0
昭和40年代まで残ってた隠れキリシタンの組織ってのも
単なる村の風習が残ってただけじゃないの?

57: 名無しさん@1周年 2018/09/10(月) 01:10:29.12 ID:wP/mnc2W0
調べたら、潜伏キリシタンと隠れキリシタンは別派ということみたいだな

65: 名無しさん@1周年 2018/09/10(月) 15:58:17.58 ID:p25iBtEi0
>>57
潜伏キリシタンは明治以後にカトリックに戻ったりしたが、カクレキリシタンはキリスト教と土着の風俗がミックスされた独自の信仰を続けた。