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\フォトギャラリー公開!/
第37回「#江戸無血開城」を写真でプレイバック!
あのシーンの余韻、味わいもんそ。

#大河ドラマ #西郷どん
nhk.or.jp/segodon/story/… pic.twitter.com/yojRKJmoAo
#西郷どん

江戸城無血開城って、「居留民の安全確保」の面もかなり大きいよね… pic.twitter.com/gYeFSYzrYh
徳川慶喜は大正2年まで長命し、76歳で亡くなっています。
老人性肺炎に罹り医者がサジを投げたところ、急に体調が持ち直し、枕元の親族と談笑するほどになったとか。
一同が安心して立ち去ると俄かに危篤状態となり、死去しています。
死ぬ間際まで「二心様」であったような…。 #西郷どん pic.twitter.com/0uKntDFGdR
なお、大抵のドラマではやらない明け渡し後の江戸城(手塚治虫『陽だまりの樹』) #西郷どん pic.twitter.com/50FmVsbPhR
勝麟太郎(勝海舟)のお屋敷より数倍大きな、右手にある『真田信濃守』のお屋敷の文字に目を奪われる 真田丸クラスタ。

#西郷どん pic.twitter.com/TwCCE5Mi55
徳川慶喜の大奥からの嫌われっぷりは半端ないし。
よくわからんが人に嫌われる徳川慶喜と
よくわからんが人に好かれる西郷隆盛という対比。
#西郷どん
天保6年生まれの天璋院篤姫は、この時32歳(満年齢)。
同じく天保6年生まれは坂本龍馬、土方歳三、小松帯刀、松平容保、前島密、五代友厚、井上馨、有栖川熾仁など幕末から明治に活躍した多士済々の顔ぶれです。
まさに「花の天保6年組」ですね。
#西郷どん
勝海舟は江戸城無血開城前には瓦版屋を駆使して世論操作していたんだよな。瓦版屋が刷った瓦版が"徳川慶喜は国内を混乱させないために恭順している。だから徳川慶喜は偉い。徳川慶喜を初代日本大統領に" と言う内容で。つまり、勝海舟はメディア戦略のパイオニアだった。#西郷どん
勝海舟は徳川慶喜とは険悪な仲だったけど、瓦版屋に徳川慶喜の擁護論を刷らせてでも江戸城への攻撃を食い止めようとした辺り、感情は割り切れる男だったんだよな。#西郷どん
西郷と勝安房の2回目の会見の場に、中村半次郎と川路正之進(のち利良) が控えていたが、勝の記録には、中村と村田新八とある。こちらの方が信憑性ありそう。おそらく、のちの西南戦争開戦への伏線か。
#西郷どん
徳川慶喜はロッシュがいる京から逃げてきたというが。
実際には1868年1月3日戊辰戦争→1月6日徳川慶喜江戸へ逃亡→1月19日ロッシュ江戸に来て面会を求める。
とすぐ追いかけてくるので京離れる意味はあんまりない。
ま、そりゃフランスから来てるので京でも江戸も同じ。
#西郷どん
ドラマでは、幕府に援助を申し出たフランスが薩摩を欲しがっていたが、実際、幕府との借款により大量の軍需物資提供を行ったフランスが要求したのは、柴田三千雄氏・柴田朝子氏「幕末におけるフランスの対日政策」(『史学雑誌』76~8)によれば、フランスの対日生糸貿易の独占だったらしい。 #西郷どん
徳川慶喜「逃げることしかできなかったのだ」
会津・新選組「せやろか」
#西郷どん
西郷が天璋院ばかりか、前将軍慶喜とまで会うのはどうか? まだ江戸城は開城していないし、敵味方だし、何より身分制という大きな壁を無視しているなあ。歴史的なリアリティが犠牲になっている。
#西郷どん
西郷隆盛が優しいから徳川慶喜を斬れなかったのでなく、幕府軍の兵力が怖くて江戸城無血開城が新政府にとって美味しすぎる譲歩案だったというのが史実っぽい。
#西郷どん
天璋院さまが慶喜公の首と自分の命までかけたお願い聞いてくれなかったのにエンケンさんの魔法で急に戦を取り下げる吉之助さあに困惑して語気を荒げる桂さんの気持ちわかる〜〜
#西郷どん
唐突に二宮尊徳を持ち出して重農主義者アピールである。
#西郷どん
有能さと、嫌われることで有名な大村益次郎きた!
#西郷どん
マジでさ 皮肉抜きだんだがさ この前まであんなに戦争したがってらいた理由も分からなきゃ突然今回になってやめる気になった理由も分からないんだが誰か見てる人教えてください
#西郷どん
今回、慶喜がフランスから日本を守るために逃げたと言っていて、暗に西郷の「フランスに薩摩を売ろうとした」という思い込みを否定したんだけど、それに対して西郷が、誤解をしていたと言わず、ただ納得してお疲れ様でしただけだったので、そこらへんがこの大河の足りないところと改めて。 #西郷どん