three_kingdoms155

99: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:35:35 ID:i1a

蒋琬、字公、零陵湘郷人也。弱冠與外弟泉陵劉敏、?知名。

蒋琬は、字を公といい、零陵郡湘郷県の人である。弱冠(20歳)にして外弟(いとこ)である泉陵の劉敏と、ともに名を知られた。
https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1542887890/

101: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:36:07 ID:BFV
劉敏さんって結構働くのよな
105: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:37:14 ID:i1a

、以州書佐随先主入蜀、除広都長。先主、嘗因遊観、奄至広都、見琬衆事不理時又沈酔、先主大怒、将加罪戮。

蒋琬は、州の書佐として先主(劉備)に随行して蜀に入り、広都の長に任命された。先主は、かつて遊覧をして、急に広都に行き、蒋琬が諸事を処理せずその時泥酔しているのを見ると、先主は大いに怒り、処刑しようとした。

108: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:37:45 ID:BFV
蒋琬さんは余事に無頓着やからなぁ

113: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:40:14 ID:i1a
>>108 
あとあとやるけど無頓着わかるわ

116: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:40:52 ID:BFV
>>113
楊儀のくだんやろわかるで

121: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:43:24 ID:i1a
>>116 
そうそう 
そこらへん

110: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:38:38 ID:i1a

軍師将軍諸葛亮、請曰「蒋琬、社稷之器、非百里之才也。其為政、以安民為本、不以脩飾為先。願主公、重加察之」先主雅敬亮、乃不加罪、倉卒、但免官而已。

軍師将軍の諸葛亮は、願い出た「蒋琬は、社稷(=国家を担う)の器で、百里(=県程度)の才ではありません。その為政は、民を安んじることを根本とし、(うわべを)飾り立てることを先としません。
願わくは主公、なにとぞそのことをお察しください」先主は諸葛亮を敬愛していたので、処罰せず、その場で、免官するだけにした。

114: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:40:14 ID:bUP
魏延と楊儀で楊儀を選ぶ無能采配

119: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:42:29 ID:b5z
>>114
魏延に選んだら蜀軍が五丈原で壊滅してそう

120: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:43:15 ID:BFV
>>114
だれもついてこなそう
丞相府の連中からは浮いてるし

121: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:43:24 ID:i1a
>>114 
丞相府の長史やから順当なんやないかと

128: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:45:57 ID:BFV
>>121
魏延ってことのき前軍師?司馬?

130: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:47:14 ID:i1a
>>128 
前軍師やったはず 
これも自信ない

147: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:53:19 ID:BFV
>>130
参軍事は開府級将軍につく幕僚だってさ

159: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:56:43 ID:BFV
>>155
魏延は丞相府の位よりも朝廷から下された官位を重視してそう

170: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:00:16 ID:i1a
>>159
それはあるかも
演義独自の台詞だけど「長史ごときの命令になんで従わなければならないんだ!」ってのがあるんだよね
それが文長の気持ちぴったりと言い表してたり

115: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:40:29 ID:i1a

、見推之後、夜夢、有一牛頭在門前流血滂沱、意甚悪之、呼問占夢趙直。直曰「夫、見血者事分明也。牛角及鼻、公字之象。君、位必当至公、大吉之徵也」頃之、為什邡令。

蒋琬は、取り調べの後、夜夢で、一匹の牛の頭が門前にあり血がたくさん流れているところを見たので、不気味に思い、夢占いの趙直を呼んで問うた。
趙直は言った「そもそも、血を見るは政事に明るいという意味です。牛の角や鼻は、公の字の形です。君は、位は必ず公となり、大吉の予兆です」しばらくして、什邡の令となった。

118: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:42:10 ID:i1a

先主為漢中王、入為尚書郎。建興元年、丞相亮開府、辟為東曹掾。挙茂才、固譲劉、陰化、延、廖淳。

先主が漢中王になると、蒋琬は(政府に)入って尚書郎となった。建興元年(223年)、丞相の諸葛亮は丞相府を開き、蒋琬を招いて東曹掾とした。茂才に推挙したが、蒋琬は固辞して劉邕、陰化、延、廖淳に譲った。

122: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:43:52 ID:u4t
趙直さん魏延の時に出てきたり蜀では意外と出てくるわね

126: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:45:24 ID:i1a
>>122 
趙直夢占いで有名やったらしい 
他にも誰か占ってたけど忘れちゃった

134: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:49:05 ID:u4t
>>126
何祇と魏延と蒋琬の3人みたいやね

138: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:50:25 ID:i1a
>>134 
サンガツ 
覚えてなかった

123: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:43:56 ID:i1a

亮教答曰「思惟、背親捨徳以殄百姓、衆人既不隠於心。実又、使遠近不解其義。是以、君宜顕其功挙、以明此選之清重也」遷、為参軍。

諸葛亮は諭しの返答した「思うに、親しい人に背き徳を捨てて百姓を滅ぼせば、人々は同情しないだろう。本当にまた、遠近にそのわけを理解させられないだろう。
それゆえ、君は功によって推挙されたことをはっきりさせ、この選挙の正しさ重要さを明らかにしてくれ」昇進して、参軍となった。

127: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:45:36 ID:i1a

五年亮住漢中、琬與長史張裔、統留府事。八年、代裔為長史、加撫軍将軍。亮数外出、?常足食足兵、以相供給。

建興五年(227年)諸葛亮が漢中に駐屯すると、蒋琬は長史の張裔と、留守の丞相府を統括した。建興八年(230年)、張裔に代わって長史となり、撫軍将軍を加えられた。諸葛亮がたびたび外征すると、蒋琬はつねに糧食を充足させ兵卒を充足させ、供給した。

129: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:46:41 ID:ghq
趙直さんみたいな後付けくさい占いの逸話はなんなんやろ
何祗の死期とかわざわざ付け足してどうにかなるもんでもないし

133: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:49:01 ID:i1a
>>129
夢は魂が分離してみるもんだと昔の人は考えてたらしい
そんで「何々の夢見た」←これが伝承としていつしか真実味を帯びて史官が記録した説

131: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:47:24 ID:i1a

亮毎言「公琬、託志忠雅。当與吾共賛王業者也」密表後主曰「臣若不幸、後事宜以付琬。」

諸葛亮はつねに言った「公蒋琬の字)の、志は忠義にある。私とともに王業を助けるべき者だ」後主に密かに上奏した「臣にもし不幸があれば、後事は琬に託してください。」

135: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:49:09 ID:i1a

亮卒、以琬為尚書令、俄而加、行都護、仮節、領益州刺史、遷大将軍、録尚書事、封安陽亭侯。

諸葛亮が亡くなると、蒋琬を尚書令とし、すぐに、都護を代行させ、節を貸し与え、益州刺史とし、大将軍、録尚書事に昇進させ、安陽亭侯に封じた。

139: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:50:35 ID:i1a

時新喪元帥、遠近危悚。琬、出類抜萃、処群僚之右、既無戚容、又無喜色、神守挙止有如平日。由是、衆望漸服。

この時元帥を失ったばかりなので、誰もが危惧していた。蒋琬は、人々の中から抜擢され、群臣の右(上)となったが、憂えた顔をせず、喜んだ顔もせず、精神や挙動は日頃と同じだった。そのため、人々はだんだんと心服した。

141: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:51:40 ID:BFV
>>139
あーあこの人何も考えてないよ

145: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:53:01 ID:i1a

延熙元年、詔琬曰「寇難未弭、曹叡驕凶。遼東三郡苦其暴虐、遂相糾結、與之離隔。叡、大興衆役、還相攻伐。曩秦之亡、勝広首難。今有此変、斯乃天時。

延熙元年(238年)、(後主劉禅は)蒋琬に詔を下した「賊の難はいまだ止まず、曹叡は傲慢凶悪である。遼東三郡はその暴虐に苦しみ、ついに集結して、彼から離反した。曹叡は、兵卒を大挙し、かえって攻撃した。
昔の秦の敗亡は、勝広(※)が難の始まりとなった。今この変があるのは、これこそ天の時である。

※秦末の農民反乱の指導者陳勝と呉広のこと
陳勝は秦の苛政に追いつめられて挙兵、一時は秦朝を脅かすほどの大勢力となったが、秦の将に敗れて味方に殺された
呉広は陳勝の部下
二人は直接秦を滅ぼしたわけではないが、これが秦の滅亡のきっかけとなった

154: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:54:29 ID:u4t
陳勝呉広を陳呉って書くと呉に失礼だから勝広にしたのだろうけど勝広だと某縦縞のGMが浮かぶわね...

153: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:54:15 ID:i1a

君其治厳、総帥諸軍、屯住漢中。須呉挙動、東西掎角、以乗其釁」又命琬開府。明年就加為大司馬。

君は(軍を)厳しく統治して、諸軍を統率し、漢中に駐屯せよ。呉の挙動を見て、東西で掎角の勢(挟撃の態勢)を作り、その隙に乗じるのだ」また蒋琬に開府させた。翌年になると大司馬を加えた。

157: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:55:34 ID:i1a

東曹掾楊戯、素性簡略、?與言論、時不応答。或欲搆戯、於?曰「公、與戯語而不見応。戯之慢上、不亦甚乎」

東曹掾の楊戯は、生まれつき大雑把で、蒋琬と議論すると、時に答えないことがあった。ある者が楊戯を陥れようとし、蒋琬に言った「公が、楊戯に話したのに答えませんでした。楊戯の傲慢さは、酷いものではないでしょうか」

160: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:56:56 ID:i1a

曰「人心不同、各如其面。面従後言、古人之所誡也。戯、欲賛吾是耶則非其本心、欲反吾言則顕吾之非。是以黙然、是戯之快也」

蒋琬は言った「人の心は同じではなく、まるで各人の顔のようだ。対面して従って後に(違うことを)言うのは、古人も戒めている。
楊戯は、私に賛成しようとしてもそれは本心ではないし、私の言葉に反対すれば私の間違いが明らかになってしまう。それで黙っていたのであって、これが楊戯の良さなのだ」

163: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:57:54 ID:BFV
>>160
まーた何にも考えてないよ

161: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:57:27 ID:BFV
蒋琬の凄さは孔明死後の蜀を取りまとめて幾ばくもなく軍事行動を図れるまで立て直したことだから

165: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)21:58:27 ID:i1a

又、督農楊敏、曾毀曰「作事憒憒、誠非及前人」或以白?、主者請推治敏。曰「吾実不如前人、無可推也」

また、督農の楊敏が、かつて蒋琬を毀損した「事を行えば混乱し、まことに先人(諸葛亮)に及ばない」ある人が蒋琬に申し上げ、担当が楊敏の取り調べを願った。蒋琬は言った「私はまことに先人に及ばないゆえ、取り調べることもない」

172: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:00:23 ID:i1a

主者、重拠聴不推。則乞問其憒憒之状、曰「苟其不如則事不当理。事不当理則??矣。復何問邪」

担当は、重ねて取り調べないわけを聞いた。すなわち混乱のことについて詰問を願い出ると、蒋琬は言った「仮にも及ばなければ事は処理できない。事が処理できなければ混乱する。また何を問うのだ」

177: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:01:27 ID:i1a

後、敏坐事繋獄。衆人猶懼其必死。、心無適莫、得免重罪。其好悪存道、皆此類也。

後に、楊敏はある事件に連座して獄に繋がれた。人々は必ず死ぬだろうと心配した。蒋琬は、私情を挟まなかったので、重罪を免れた。その好悪(の情)と道理に従うことは、すべてこの通りであった。

179: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:02:51 ID:bUP
劉璋配下って案外有能多かったのではと思う

183: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:03:46 ID:eNC
>>179
劉焉が割りと野望ありな人やったし人材多いね

184: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:04:52 ID:BFV
>>179
黄巾の動乱がなかったから
と思ったけど馬相がいたわ

185: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:04:57 ID:i1a
>>179 
わかる 
劉備が登用できなかった人物含めて逸材揃ってたよな

181: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:03:08 ID:i1a

以為、昔諸葛亮数闚秦川、道険運艱竟不能克、不若乗水東下。

蒋琬は、昔諸葛亮がしばしば秦川を窺いながら、道が険しく運送が困難なためについに勝てなかったことから、水を進んで東に行った方がよいと考えた。

182: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:03:44 ID:BFV
上庸√もワンチャンあったと思うのよね
呉さえなんとかなれば

185: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:04:57 ID:i1a
>>182 
このIFみてみたいランキング上位やわ

186: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:05:14 ID:i1a

乃多作舟船、欲由漢沔、襲魏興上庸。会旧疾連動、未時得行。

そこで多くの舟船(舟は小型、船は大型)を造り、漢水と沔水を経由して、魏興と上庸を襲おうとした。たまたま持病が続けざまに再発し、行けなかった。

187: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:05:36 ID:b5z
蒋琬「北伐するぞ」
劉禅「ええで」
費禕「駄目です」
蒋琬「」
うーんこの

189: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:06:18 ID:i1a

而衆論咸謂、如不克捷、還路甚難、非長策也。於是、遣尚書令費禕、中監軍姜維等、喻指。

人々の議論ではみな、勝てなければ、帰還はとても難しく、良策ではないとして。そのため、尚書令の費禕、中監軍の姜維らを遣わして、その旨を伝えさせた。

193: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:07:46 ID:i1a

蒋琬の上奏があるが省略
「魏は九州に跨り深く根を張っておりますが、呉と協力すればいくらかの土地を取ることはできましょう。
しかし、呉は協力を求めても、ためらって果たそうとしません。この艱難を思えば、寝食を忘れるほどです。
そこで費禕らと議論しました。涼州の胡の要地は、進退に便利で、賊も目をつけており、しかも羌や胡は漢に心を寄せております。
利害を考えれば、優先するべきでしょう。姜維を涼州刺史としてください。もし姜維が行って河右を保持できたならば、臣は軍を率いて姜維の後詰めとなります。
涪は水陸のどこにも通じており、緊急のことがあっても対応できます。もし東北の方に問題があっても、駆けつけるのは難しくないでしょう」
蒋琬は帰還して涪に留まることになった。

199: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:10:32 ID:BFV
>>193
涪は万能
みたいなこと言ってるけど興平の役の時には王平が「涪にいると漢中に行くのに大変」っていってるんだよなぁ

194: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:09:01 ID:i1a

疾転増劇、至九年卒、諡曰恭。

病がさらに重くなり、延熙九年(246年)になって亡くなり、恭と諡された。

197: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:10:15 ID:eNC
蒋琬って魯粛と諸葛謹みたいな軍事にまで明るい人物やったんか

205: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:12:59 ID:i1a
>>197 
戦ってないから測定不能やが何の取り柄もないなら全権任されるはずもない 
…と思ったけど後主が適当に放り投げてる可能性も否めなかった

198: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:10:15 ID:i1a

評曰。蒋琬、方整有威重。費禕、寬済而博愛。咸、承諸葛之成規、因循而不革。是以、辺境無虞、邦家和一。然、猶未盡、治小之宜、居静之理也。

評にいう。蒋琬は、厳正にして威厳があった。費禕は、寛容で博愛であった。みな、諸葛の作った制度を受け継ぎ、それに従って改めなかった。そのため、辺境に憂いはなく、国家は一つとなった。
しかしながら、小さきを治める適宜な方法(蒋琬に対して)や、静かに住まわるやり方(費禕に対して)が出来なかった。