229: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:19:36 ID:i1a
◆
董允、字休昭、掌軍中郎将和之子也。先主立太子、允以選為舍人、徙洗馬。後主、襲位、遷黄門侍郎。
董允は、字を休昭といい、掌軍中郎将董和の子である。先主(劉備)が太子(劉禅)を立てると、董允は選ばれて舍人となり、洗馬に転任した。後主(劉禅)は、帝位を継ぐと、黄門侍郎に転任させた。
董允、字休昭、掌軍中郎将和之子也。先主立太子、允以選為舍人、徙洗馬。後主、襲位、遷黄門侍郎。
董允は、字を休昭といい、掌軍中郎将董和の子である。先主(劉備)が太子(劉禅)を立てると、董允は選ばれて舍人となり、洗馬に転任した。後主(劉禅)は、帝位を継ぐと、黄門侍郎に転任させた。
233: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:20:54 ID:i1a
◆
丞相亮、将北征住漢中。慮後主富於春秋朱紫難別、以允秉心公亮、欲任以宮省之事。
丞相の諸葛亮が、北伐しようとして漢中に駐屯した。後主(劉禅)が春秋に富み(=年若く)是非を判断できないのを心配して、董允が公明さを守るゆえ、宮や省の事を任せようとした。
丞相亮、将北征住漢中。慮後主富於春秋朱紫難別、以允秉心公亮、欲任以宮省之事。
丞相の諸葛亮が、北伐しようとして漢中に駐屯した。後主(劉禅)が春秋に富み(=年若く)是非を判断できないのを心配して、董允が公明さを守るゆえ、宮や省の事を任せようとした。
237: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:22:07 ID:i1a
◆
諸葛亮の出師の表の一部が掲載されているが以前訳しているので省略
郭攸之、費禕、董允には宮中のことをすべて任せてもよい、進言を怠れば処罰するようにと上奏
諸葛亮の出師の表の一部が掲載されているが以前訳しているので省略
郭攸之、費禕、董允には宮中のことをすべて任せてもよい、進言を怠れば処罰するようにと上奏
238: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:22:23 ID:i1a
◆
亮尋請禕、為参軍。允遷為侍中、領虎賁中郎将、統宿衛親兵。攸之、性素和順、備員而已。献納之任、允皆専之矣。
諸葛亮はついで費禕に願い、参軍とした。董允を侍中に昇進させ、虎賁中郎将を兼任させ、宿直する近衛兵を統括させた。郭攸之は、人におとなしく従う性格で、官員としているだけだった。献策の任は、董允がすべて担当した。
亮尋請禕、為参軍。允遷為侍中、領虎賁中郎将、統宿衛親兵。攸之、性素和順、備員而已。献納之任、允皆専之矣。
諸葛亮はついで費禕に願い、参軍とした。董允を侍中に昇進させ、虎賁中郎将を兼任させ、宿直する近衛兵を統括させた。郭攸之は、人におとなしく従う性格で、官員としているだけだった。献策の任は、董允がすべて担当した。
241: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:23:31 ID:i1a
◆
允、処事為防制、甚尽匡救之理。後主常欲、采択以充後宮。允以為、古者天子后妃之数不過十二、今嬪嬙已具、不宜増益、終執不聴。後主、益厳憚之。
董允は、事に当たっては(後主の過ちを)防ぎ、正して助ける道理を尽くしていた。後主は常に、美女を選んで後宮を満たしたいと思っていた。
董允は、古の天子の后や妃は数が十二を越えない、今宮女は揃っており、増やすのはよくないとして、最後まで聞き入れなかった。後主は、厳しさによってますます彼をはばかるようになった。
允、処事為防制、甚尽匡救之理。後主常欲、采択以充後宮。允以為、古者天子后妃之数不過十二、今嬪嬙已具、不宜増益、終執不聴。後主、益厳憚之。
董允は、事に当たっては(後主の過ちを)防ぎ、正して助ける道理を尽くしていた。後主は常に、美女を選んで後宮を満たしたいと思っていた。
董允は、古の天子の后や妃は数が十二を越えない、今宮女は揃っており、増やすのはよくないとして、最後まで聞き入れなかった。後主は、厳しさによってますます彼をはばかるようになった。
246: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:25:15 ID:eNC
董和じゃなく允の方か
248: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:26:04 ID:i1a
>>246
せやで
重要度でいったら黄権や馬忠に劣るがワイがすきというそれだけの理由です
せやで
重要度でいったら黄権や馬忠に劣るがワイがすきというそれだけの理由です
247: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:25:15 ID:i1a
◆
尚書令蒋琬、領益州刺史、上疏以譲費禕及允。又表「允、内侍歴年、翼賛王室、宜賜爵土以褒勲労」允固辞不受。
尚書令の蒋琬は、益州刺史を兼任すると、上奏して費禕と董允に譲ろうとした。また上表した「董允は、内侍を歴任し、王室を助けておりますので、爵位と領土を賜って勲功と功労を褒賞すべきでしょう」董允は固辞して受けなかった。
尚書令蒋琬、領益州刺史、上疏以譲費禕及允。又表「允、内侍歴年、翼賛王室、宜賜爵土以褒勲労」允固辞不受。
尚書令の蒋琬は、益州刺史を兼任すると、上奏して費禕と董允に譲ろうとした。また上表した「董允は、内侍を歴任し、王室を助けておりますので、爵位と領土を賜って勲功と功労を褒賞すべきでしょう」董允は固辞して受けなかった。
249: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:26:20 ID:i1a
◆
後主漸長大、愛宦人黄皓。皓、便辟佞慧、欲自容入。
後主は次第に成長し、宦官の黄皓を寵愛するようになった。黄皓は、媚びへつらい口が上手くて頭がよく、取り入ろうとした。
後主漸長大、愛宦人黄皓。皓、便辟佞慧、欲自容入。
後主は次第に成長し、宦官の黄皓を寵愛するようになった。黄皓は、媚びへつらい口が上手くて頭がよく、取り入ろうとした。
251: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:27:35 ID:i1a
◆
允常上則正色匡主、下則数責於皓。皓畏允、不敢為非。終允之世、皓位不過黄門丞。
董允は常に上は顔色を正して主を正し、下は何度も黄皓を責めた。黄皓は董允を恐れ、悪事を働こうとしなかった。董允が亡くなるまで、黄皓の位は黄門丞に過ぎなかった。
允常上則正色匡主、下則数責於皓。皓畏允、不敢為非。終允之世、皓位不過黄門丞。
董允は常に上は顔色を正して主を正し、下は何度も黄皓を責めた。黄皓は董允を恐れ、悪事を働こうとしなかった。董允が亡くなるまで、黄皓の位は黄門丞に過ぎなかった。
253: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:28:45 ID:i1a
◆
允嘗與尚書令費禕、中典軍胡済等、共期遊宴。厳駕已?、而郎中襄陽董恢、詣允脩敬。恢、年少官微、見允停出、逡巡求去。
董允はかつて尚書令の費禕、中典軍の胡済らと、ともに遊んで酒宴することを約束していた。車をすでに用意したところ、郎中の襄陽の董恢が、董允を訪ねて敬意を表そうとした。董恢は、年若く官位が低かったので、董允が出発を止めようとしているのを見ると、ためらって去ろうとした。
允嘗與尚書令費禕、中典軍胡済等、共期遊宴。厳駕已?、而郎中襄陽董恢、詣允脩敬。恢、年少官微、見允停出、逡巡求去。
董允はかつて尚書令の費禕、中典軍の胡済らと、ともに遊んで酒宴することを約束していた。車をすでに用意したところ、郎中の襄陽の董恢が、董允を訪ねて敬意を表そうとした。董恢は、年若く官位が低かったので、董允が出発を止めようとしているのを見ると、ためらって去ろうとした。
255: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:28:51 ID:BFV
費禕と董允の車の逸話やけど
費禕は博打打ちっぽいし「スッて徒歩もざら。車があるだけラッキー」くらいのギャンブラー根性やったのかもしれん
費禕は博打打ちっぽいし「スッて徒歩もざら。車があるだけラッキー」くらいのギャンブラー根性やったのかもしれん
259: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:30:38 ID:i1a
◆
允不許、曰「本所以出者、欲與同好遊談也。今君已自屈、方展闊積。舍此之談、就彼之宴、非所謂也」
董允は許さず、言った「もともと出発しようとしていたのは、同好の者と遊んで話したかったからだ。今君は自らへりくだって、蘊蓄を述べようとしている。この話を無視して、あちらの酒宴に行くのは、ありえないことだ」
允不許、曰「本所以出者、欲與同好遊談也。今君已自屈、方展闊積。舍此之談、就彼之宴、非所謂也」
董允は許さず、言った「もともと出発しようとしていたのは、同好の者と遊んで話したかったからだ。今君は自らへりくだって、蘊蓄を述べようとしている。この話を無視して、あちらの酒宴に行くのは、ありえないことだ」
260: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:30:42 ID:BFV
董允とか典型的な引き締め役やな
271: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:34:57 ID:i1a
>>260
こういう人物は前に出ないが重要やな
今回紹介できてよかったわ
こういう人物は前に出ないが重要やな
今回紹介できてよかったわ
263: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:31:23 ID:u4t
董允から漂う実家の母親感
264: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:31:58 ID:i1a
◆
乃命解驂、禕等罷駕不行。其守正下士、凡此類也。
こうして繋いでいた馬を解かせ、費禕らは車を止めて行かなかった。正しきを守り士にへりくだることは、おおよそこの通りであった。
乃命解驂、禕等罷駕不行。其守正下士、凡此類也。
こうして繋いでいた馬を解かせ、費禕らは車を止めて行かなかった。正しきを守り士にへりくだることは、おおよそこの通りであった。
267: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:33:38 ID:i1a
◆
延熙六年、加輔国将軍。七年、以侍中守尚書令、為大将軍費禕副貳。九年、卒。
延熙六年(243年)、輔国将軍を加えられた。延熙七年(244年)、侍中守尚書令のまま、大将軍費禕の副官になった副貳。延熙九年(246年)に、亡くなった。
延熙六年、加輔国将軍。七年、以侍中守尚書令、為大将軍費禕副貳。九年、卒。
延熙六年(243年)、輔国将軍を加えられた。延熙七年(244年)、侍中守尚書令のまま、大将軍費禕の副官になった副貳。延熙九年(246年)に、亡くなった。
272: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:35:01 ID:eNC
費禕は天才で工作とか策略もやるタイプで
董允は張昭みたいになんでも言う品行方正ご意見番タイプやったんにゃなあ
董允は張昭みたいになんでも言う品行方正ご意見番タイプやったんにゃなあ
276: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:35:46 ID:BFV
>>272
費禕は黒いからなぁ
同じ不遇をかこつ仲間を売る奴やで
費禕は黒いからなぁ
同じ不遇をかこつ仲間を売る奴やで
274: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:35:34 ID:i1a
◆
評曰。(中略)馬良、貞実、称為令士。(中略)董允、匡主、義形於色。(中略)皆、蜀臣之良矣。(後略)
評にいう。(中略)馬良は、篤実で、よき士と称賛された。(中略)董允は、主を正し、義が顔色に表れていた。(中略)みな(董和・劉巴・馬良、陳震・董允)、蜀臣のよき人物であった。(後略)
評曰。(中略)馬良、貞実、称為令士。(中略)董允、匡主、義形於色。(中略)皆、蜀臣之良矣。(後略)
評にいう。(中略)馬良は、篤実で、よき士と称賛された。(中略)董允は、主を正し、義が顔色に表れていた。(中略)みな(董和・劉巴・馬良、陳震・董允)、蜀臣のよき人物であった。(後略)
277: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:36:24 ID:BFV
>>274
義の顔色ってどんな顔つきやろ……
義の顔色ってどんな顔つきやろ……
283: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)22:39:59 ID:i1a
>>277
ワイは正しいことをしようとする気持ちが顔にまで出てたくらいの意味で取ってる
ワイは正しいことをしようとする気持ちが顔にまで出てたくらいの意味で取ってる
309: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)23:01:25 ID:u4t
イッチおつやで
310: 名無しさん@おーぷん 2018/11/22(木)23:01:49 ID:i1a
>>309
こちらこそ見てくれて乙やで~
こちらこそ見てくれて乙やで~
コメント
コメント一覧
コイツらまともに文章読まないくせに、逆張り思考で魏延上げまくるからな
たまに擁護で言われるできる奴に信頼せて任せてたって感じでは少なくともなさそう
あの辺の人事に劉禅の意思が反映されてる形跡ないもんな
現状への不満だけならともかく、費禕の対応も当然だわ
直後の付陳祗伝で陳祗に寵愛を傾け、日ごとに董允を怨むようになったとあって
陳祗に諡号を送り董允には送ってないんだから間違いないだろうな
蜀人は董允を含めて四相と呼び黃皓が専横を振るった時代に董允を追慕しないものはいなかったと書かれるぐらいだから董允の名声は明らかに陳祗以上だし
故に家臣が善人かつ有能であればいいほうへ行くし、小悪党などであれば悪いほうへ行く
むしろ呉の孫皓のような「やらかす無能」のような奴じゃなくてよかった