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\フォトギャラリー公開!/
第45回「#西郷立つ」を写真でプレイバック!
あのシーンの余韻、味わいもんそ。

#大河ドラマ #西郷どん
nhk.or.jp/segodon/story/… pic.twitter.com/f2q3DuhYZF
薩摩に叛乱の兆しアリと聞き旧会津藩士たちがアップをはじめました #西郷どん pic.twitter.com/ROjEUdIlBM
敬天愛人
(けいてん あいじん)

「天を敬い、人を愛する」

#西郷どん pic.twitter.com/odPsTCc4wu
月岡芳年「鹿児島暴徒出陣図」
薩軍が出陣した日、鹿児島は60年ぶりといわれる大雪が降った。
#西郷どん pic.twitter.com/PBe0U4Fw0y
今日の回途中でも流れた、吉之助の娘菊草(菊子)の歌。
愛加那さんを思い出させる哀愁を帯びた歌声が、この最期の戦へと向かっていく旅立ちに相応し過ぎて泣ける…😭。
彼女は後年大山巌の弟と結婚し4人の子を授かるも、幸薄い中40代で亡くなったようです。

#西郷ど
pic.twitter.com/rroIEaRr4P P
今週の西郷どんを見ました

なんか「ちょっと話してくる」みたいなテンションで表現されていましたけど募兵、調練、編成までして出発してんだから完全に出陣だよねこれ
織田信長とか豊臣秀吉が「ちょっと話してくる」って言ってるようなもんじゃん

#西郷どん pic.twitter.com/TUKL4QXkso
フランスの絵入り新聞 "Le Monde illustré" に掲載された、西郷隆盛と薩軍将兵の想像図。
#西郷どん pic.twitter.com/CGdmzf50sX
だから庄内藩を! 寛大に許した場面は! どこだよ!! #西郷どん
庄内藩と西郷の間に何があったのか分かりにくい以前に唐突感しか湧いてこない……( ̄▽ ̄;)
#西郷どん
先週「佐賀の乱がやられたようだな…」ってツイートを見て噴き出してたけど、他の乱さん達は数秒のナレで瞬殺されてて更に噴き出した。
#西郷どん
西郷隆盛を「シサツ」しろと命令したのは、山県有朋は後に「あれは刺殺でなく視察」と言っている。
西郷隆盛暗殺はあったなかったのは実は証拠はないが、中原を拷問して「暗殺があった」と蜂起の理由にしたのは史実。
#西郷どん
私学校党が政府の火薬庫・弾薬庫を襲った時、西郷が「しまった」と言ったというのはあまりに有名です。
このとき桐野利秋(半次郎)は「犯人が自首して罪を待つべき」としていて、この時点では主戦派ではなかったようなのです。
#西郷どん
続きはこちら↓
yukarino.jp/articles/94230…
#小栗さくら #ユカリノ
この私学校生徒の武器弾薬奪取西郷隆盛の「しもた」から、西郷隆盛は常に非戦派で戦争しなかったので暗殺を理由に西郷隆盛を監禁して、桐野利秋らが勝手にカリスマ西郷隆盛を利用して戦争した説ってのもある。だから西郷隆盛は西南戦争で殆ど指揮を取らなかったと。#西郷どん
この時密偵として拷問された中原尚雄は後に救出され、高知県、山梨県、福岡県で県警部長を歴任し大正3年まで生きた。拷問の際両手の生爪を剥がれたため生涯自分で足袋を履けず、姪に手伝わせていたという。
#西郷どん
吉之助さぁは桐野たちがシサツをわざと取り違えて、政府に対する蜂起の理由にしたの、気づいてた気がするのよね

中原に問いかけて泣き出したのは、たぶん自分を殺せと命令した政府に対してではなくて、そこまで追い込まれた自分の生徒たちが哀れで泣いたんじゃないだろうか

#西郷どん
桐野利秋(半次郎)は、薩摩に帰ってから西南戦争まで、吉野郷の宇都谷で開墾に精を出すことが多かったといいます。
一方で桐野は、私学校生徒の品行がよろしくないと、距離を置いていたフシがあるようです。
#西郷どん
薩摩が強くなるために働いた赤松小三郎を暗殺した中村半次郎が「国のために働いた西郷先生を殺そうとする大久保はあんまりじゃ!」と声を震わすの、実に含蓄ある(´・ω・`)
#西郷どん
この「シサツ」が「刺殺」なのか「視察」なのかは、今だに、いや当時から議論が分かれているそうです。カナ打文の電信というのがまた...。なお拷問を受けた中原尚雄は、後に救い出されて東京に移送。警察関係の要職を歴任し天寿を全うします。 #西郷どん
西郷は親しかった桂久武宛てに、前原一誠らが蜂起した「萩の乱」を「愉快な知らせ」だと書き送っています。

それ以前の板垣退助に対する言葉からも、新政府に対し言論だけではどうにもならないと感じていたように思えます。
#西郷どん
大久保「ないごて?ないごてじゃ吉之助さあ!」

は……?そうなるように仕掛けてたんじゃなかったの?(´・ω・`)
#西郷どん
#西郷どん 物語の経糸は、人の思いを引き寄せすぎる(そして決して解決しないまま手放す)西郷という男の、自らの空虚を知るが故の苦悩。横糸は有能な実務家である友、大久保とのねじれる愛憎。ロマンチックですよね。いろいろ足りないパーツはあったと思いますが、ブロマンスの美は一貫してた。
今日の回とか、話を丁寧に積み上げてれば感動的な話だったんだろうなぁと思うと、すごい惜しい。 #西郷どん
井伊家は大河ドラマで6年連続登場だったこと、知ってますか?#西郷どん
2013「八重の桜」井伊直弼(榎木孝明)
2014「軍師官兵衛」井伊直政(東幹久)
2015「花燃ゆ」井伊直弼(高橋英樹)
2016「真田丸」井伊直孝隊
2017「おんな城主直虎」井伊直虎(柴咲コウ)
2018「西郷どん」井伊直弼(佐野史郎)
西郷は私学校とは一線を画し、基本的に幹部に一任していたが、その幹部が桐野のような反政府・侵略主義者であったので、「西郷王国」はその坩堝と化した。しかし、西郷はそうした傾向を抑制はしたものの、否定はせず、結果としてその傾向を助長させたことは否めない。#西郷どん
明治政府にとって、「西郷王国」は脅威でしかなく、木戸孝允から鹿児島を放置していると非難され続けた大久保利通にとっては、出身地だけにかえって、もう座視できない緊急の課題となってしまった。#西郷どん
明治6年政変からわずか2年後、大久保政権は自らの手で征韓の一歩を踏み出し、朝鮮との国交が樹立された。この一報が鹿児島に届くと、西郷は激しく政府を非難した。このあたり、大久保との対立を軸に置くのであれば、ドラマでも見てみたかったかも。#西郷どん
そもそも、鹿児島には海軍鹿児島造船所や滝之上・敷根火薬製造所など日本最大級で最新鋭の武器・火薬工場があった。海軍が使用する弾薬はすべて鹿児島製であり、大量の武器弾薬が生産・備蓄されていて、以前から政府の頭痛の種であった。#西郷どん
小根古に狩猟に出かけていた西郷は2月1日、末弟の小兵衛から襲撃を知らされて「しまった」とつぶやき鹿児島に急行した。3日、武村の自宅に着いた西郷は参集していた私学校生徒たちに向かって、「おはんたちは、何たる事をしでかしたか」と大声で怒鳴りつけた。しかし、西郷は仲間を殴らない。#西郷どん
西郷は、自分への暗殺嫌疑で挙兵することに、大義面分が乏しいと考え、実際には気が進まなかったらしい。しかし、明治以降の西郷は、部下に任せるが責任は自分が取るとの方針を堅持しており、積極的に挙兵を肯定はしなかったが、否定もあえてしなかったに過ぎない。#西郷どん
西郷は陸軍大将であり、国軍のトップである。しかも、西郷は明治維新における最大の功労者であり、その西郷に弓を引く軍隊など現れないと踏んだ。川村純義や樺山資紀などの旧薩摩藩出身の軍幹部は、こぞって西郷を迎え入れるとさえ本気で信じていたようだ。#西郷どん
そもそも、西郷は下野して3年余りの間、鹿児島から一歩も出ようとはせず、狩猟と農耕に明け暮れていた。時代の進歩からは全く取り残されており、しかも、情報収集を怠っていた。当然、旧態依然とした情勢判断のままであり、西郷自身が「西郷神話」を一番信じていたのかも知れない。#西郷どん
ブログ「敬天愛人」に『西郷どん』感想&小解説(第45回) 「西郷隆盛暗殺計画」を掲載しました。西南戦争勃発の契機ともなった西郷暗殺計画について検証しました。是非ご覧下さい!

#西郷どん #大河ドラマ #西郷隆盛 #西郷どん感想 #西郷どん解説 #私学校 #西郷暗殺

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