(遅報)歴史まとめ

歴史関係の記事を紹介している2chまとめサイトです。歴史関係のスレ(ほぼなんj)をまとめています。良かったらご覧ください。

2016年04月

1: 孤高の旅人 ★ 2016/04/28(木) 21:56:24.13 ID:CAP_USER*.net
破壊されたバーミヤン壁画を日本で復元
4月28日 21時31分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160428/k10010502891000.html

15年前にアフガニスタンのタリバン政権に破壊された世界的な文化遺産、バーミヤンの大仏の天井にあった壁画を日本の研究者らが東京で復元し、公開しました。

この壁画はペルシャやギリシャの神話などをモチーフに、バーミヤンの大仏の天井部分に描かれ、東西文明の交流を象徴する6世紀の貴重な文化財として知られていましたが、2001年にタリバン政権によって大仏とともに破壊されました。
東京芸術大学の研究チームは粘土などを使って天井部分を再現したうえで、破壊される前に撮影された150枚の壁画の写真を基に、最新のデジタル技術と日本画の技法を使って、およそ1年かけて復元に当たり8メートル四方の巨大な壁画が完成しました。
28日は、アフガニスタンからの留学生らおよそ40人が東京・上野の東京芸術大学に招かれて、完成した壁画を見学し、復元に当たった研究者は、破壊された壁画と同じ顔料を使ったことや細部にもこだわったことなどを紹介しました。
見学したバーミヤン出身の留学生の男性は「大仏と壁画がタリバンに破壊されたとき本当に心を痛めた。まるで現地に来たかのような完成度の高い壁画ができ感激している」と話していました。
壁画は東京芸術大学大学美術館で、6月まで一般公開されています。
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1461848184/
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1: リサとギャスパール ★ 2016/04/28(木) 22:45:11.51 ID:CAP_USER*.net
 ペリーの黒船来航よりも62年前に、和歌山県串本町に停泊した記録が残る米国商船「グレース号」の乗組員の航海日誌が米国で発見され、28日、同町が発表した。
同町によると、グレース号の寄港を乗組員が記した資料が確認されたのは初めてという。

 同町によると、グレース号は寛政3(1791)年、紀伊大島に別の船とともに停泊したことが古文書に残っている。
同町は、これが日米の最初の接触だったとして、昭和50年に「日米修好記念館」を開設。今年は修好225周年として、関係資料を探していた。

 航海日誌はグレース号の乗組員、サミュエル・デラノ氏(1769~1853年)のもの。米ボストン郊外に暮らすデラノ氏の子孫が現地の歴史協会に寄贈していたという。

縦約40センチ、横約30センチで全77ページ。1791年5月1日の記載では、「(紀伊大島の)土地の大勢の人々が一団になって乗船した。
彼らは薪と米を数袋も持って来て、船長に贈った」などと住民たちとの交流もあるという。

 米国で調査した同県太地町歴史資料室の桜井敬人室長は「伝聞などではなく、鎖国政策下の日米の交流を記した貴重な発見」としている。

no title

アメリカのボストンで発見されたグレース号の船員が記した航海日誌(スコット・リドレー氏提供)
http://www.sankei.com/west/news/160428/wst1604280071-n1.html
2016.4.28 21:34
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1461851111/
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1: じっぷら卒 ★ 2016/04/29(金) 11:06:51.51 ID:CAP_USER*.net
スペイン南部で、水道管の工事に当たっていた作業員らが、総重量600キロに及ぶ古代ローマ時代の硬貨を発見した。
地元当局が28日、発表した。

同国セビリアにある考古学博物館のアナ・ナバロ館長は、記者会見で「これらは極めて珍しく、同様の発見事例はほとんど存在しない」と見つかった硬貨についてコメントしている。
同博物館は、これらの硬貨の管理に当たっている。

3世紀後期から4世紀初頭の時代のものとみられるこれらの青銅貨は、セビリア近郊の町トマレスで27日に、アンフォラ型のつぼに入った状態で発見された。

ナバロ館長は、見つかった硬貨の価値について正確な推計を明示しなかったが、「間違いなく数百万ユーロ」に相当するとしている。

 古代ローマ皇帝のマクシミアヌス(Maximianus)とコンスタンティヌス(Constantine)の像が刻まれたこれらの硬貨には、摩耗や損傷の形跡がほとんどみられないことから、流通した貨幣ではないと思われる。またこれらの硬貨は、当時の軍隊や文官らに給与を支払うために用意されたものだったと考えられるという。

 ナバロ館長は、「大半が新たに鋳造されたもので、一部はただの青銅ではなく、銀メッキが施されていた可能性が高い」としている。

 地元当局は、水道管工事を一時中断。近く、当地で考古学的な発掘調査を実施する計画だ。

 紀元前218年から5世紀初頭に西ゴート族に敗れるまで、ローマはイベリア半島(Iberian Peninsula)を支配した。
no title 
http://www.afpbb.com/articles/-/3085702
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1461895611/
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1: あしだまな ★ 2016/04/29(金) 13:55:48.70 ID:CAP_USER*.net
古代中国で魏・呉・蜀が覇権を争った三国時代の話は、おもに「三国志」として日本でも広く認知されている。
日本でも、原典に忠実な小説から始まり、アニメ・ゲーム文化との邂逅により、数え切れないほどの派生作品を生み出してきた。
これらの作品は中国にも「逆輸入」されているが、そのために中国の若者における「三国志」に対する認識の崩壊が生じているという。

 中国メディア・騰訊網は11日、「文化的侵略? 日本のアニメ・ゲームが若者の『三国』に対する認知を破壊した」と題した記事を掲載した。
記事は、日本のアニメ・ゲーム業界において三国時代のストーリを題材にしたものが続々と出現、「史実に基づかない多くのシーンが、中国の若者の頭に浮かぶようになった」と説明。
「われわれはすでに、日本のアニメ・ゲーム文化によって洗脳された世代の人間なのだ」と論じた。

 そのうえで、「一騎当千」、「龍狼伝」、「SDガンダム三国伝」、「恋姫†無双シリーズ」など、「三国志」から派生した作品の一例として紹介している。
そして「中国の古典名著が異邦人によって書き改められている。5000年の歴史文化を持つ大国のメンツはどこにあるのか」とした。

 以前、「三国志」と並ぶ中国古典の名著である「西遊記」が中国より先に日本でテレビドラマ化され、三蔵法師を女性が演じたことを知った中国のネットユーザーから衝撃の声が出たことを紹介したことがある。
三蔵の「女性化」にしろ、「三国志」の非常に大胆な派生にしろ、中国では「国宝」的な作品ゆえ、実現は難しかったのではないだろうか。

 もし、これらの作品によって中国の若者の「三国志」観が崩壊することを危惧するのであれば、原著に忠実で、かつ彼らの興味を引くような文化コンテンツを自前で作り上げるべきだろう。
単に「小説を読め」と言っても、なかなか振り向いてはくれない。(編集担当:今関忠馬)
http://news.searchina.net/id/1608706?page=1
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1461905748/ 続きを読む
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1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/04/30(土) 03:22:31.39 ID:x/BKbP8P0.net
これは蕭何
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1461954151/
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1: 紅あずま ★ 2016/04/29(金) 00:06:41.47 ID:CAP_USER*.net
エリザベス女王90歳 素顔がのぞく珍言集
ユーモアあふれる人柄がうかがえる過去の発言を振り返る
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/04/90-2.php
 4月21日に90歳の誕生日を迎えたイギリスのエリザベス女王。
25歳で即位して以来、在任期間は64年に達し、昨年ビクトリア女王の在位最長記録を更新。
さらに同年、サウジアラビアのアブドラ国王が死去したことで、世界最高齢の君主となった。

 誕生日当日には、夫のエディンバラ公フィリップ殿下(94)とウィンザー城下で市民の祝福に笑顔で応え、誕生日を記念して国内や英連邦諸国1000カ所以上でともされるかがり火の点火式にも参加。
公式な祝賀行事は6月に盛大に行われる予定で(バッキンガム宮殿前の大通りで1万人近いゲストを招いた巨大パーティーなど)、誕生日フィーバーはまだ続きそうだ。

 今も精力的に公務をこなし続ける姿が(昨年だけで341に上る)、国民から高い支持を集めている。
公の場ではどんな時も節度ある姿勢を崩さない女王だが、実際はユーモアあふれる人柄だと、身近な人々は口をそろえる。
そんな素顔がうかがえるこれまでの発言を振り返ってみると......。

■ものすごく年を取った気分にさせてくれて感謝します

昨年催された英連邦サミットのレセプションパーティーのスピーチにて。カナダのトゥルドー首相(44)が、女王が1935年以来、同国と重ねてきた長い歴史をたたえる演説をした後で

■そうよ、でもこういうのじゃないわ

画家ルシアン・フロイドの作品を見にギャラリーを訪れた際のこと。裸の女性の絵ばかりが並ぶコーナーで、キュレーターに「フロイドは陛下の肖像画も描いたんですよね?」と聞かれ、声をひそめてこう答えた

■今日は皆さんから私がちゃんと見えるといいのですが

91年の訪米中の議会演説で。この2日前にホワイトハウスで開かれた会見で、演壇の高さがブッシュ大統領に合わせたままだったため、女王の姿がほとんど見えない事態に。米政府の失態をユーモアで丸く収めた

■あなたに何かあっても困らないけど、他の首脳はそうはいかないのよ

湾岸戦争の最中だった90年にバグダッドを電撃訪問し、フセイン大統領と会談したヒース英元首相が、他国の首脳もフセインと話し合うべきだと言った際、ユーモアたっぷりに答えて

■ギターは長いことされているの?

05年、バッキンガム宮殿で英音楽界のスターたちを招いたレセプションで、エリック・クラプトンに尋ねて。レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジにも「あなたもギタリストなの?」と笑顔で質問

[2016年5月 3日号掲載]
Newsweek:2016年4月28日(木)15時30分
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1461856001/
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1: 紅あずま ★ 2016/04/27(水) 16:01:14.18 ID:CAP_USER*.net
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/04/post-4997.php

 第一次世界大戦中の有名な「ガリポリの戦い」で、オーストラリア出身の兵士トム・スケイヒルは、非常に危険な任務だった旗振り役を担った。
足元で爆弾が爆発して失明し、帰還させられたが、戦争の英雄として称賛された。

 終戦後、スケイヒルは戦闘の経験を題材にした詩集を上梓し、「盲目の兵士詩人」として好評を博した。
オーストラリアや米国を巡回して詩の朗読会を行い、観客を魅了した。
セオドア・ルーズベルト大統領もスケイヒルとともに壇上に上がり、「私が知る誰よりも、トム・スケイヒルと一緒にステージに立っていることを誇りに思う」と述べている。
米国で治療を受けた後に、スケイヒルの失明は突如回復した。

 だが、伝記作家のジェフ・ブラウンリッグによると、スケイヒルは本当の姿を偽っていたようだ。
実際は、戦闘の危険から逃れるために盲目を装っていたというのだ。

 それだけではない。
酔っぱらって講演した後に、ろれつが回らなかったことを、検証不能な「戦争による障害」が原因だと述べた。
また、レーニンやムッソリーニに会ったと主張した(そのような証拠はない)。
さらに、8日間しか現場にいなかったにも関わらず、ガリポリの戦いでの長期にわたる戦闘経験について語った。

 スケイヒルが行ったように、自己を飾り立てるための嘘を並び立てて上手く切り抜けるには、非常に大胆でなくてはならない。
スケイヒルは、一般に知りうる限り正式な心理検査を受けたことはなかったが、現代の多くの研究者たちであればこの人物を精神病質(サイコパシー)の典型例と判断するだろう。

 その上スケイヒルは、「成功したサイコパス」とも呼ばれる厄介な特性を体現していた。
 一般的な認識とは異なり、多くのサイコパスは、冷血漢でも精神異常の殺人鬼でもない。 彼らの多くは、自らの特性を生かして人生で欲しい物を獲得し、多くの場合は他人を犠牲にしながら、一般人の中でうまく生活している。

「サイコパスはすべて犯罪者」は刑務所ばかりで観察したから

 サイコパシーを簡単に定義することはできないが、多くの心理学者はそれを人格障害であると見なしている。
表面的には魅力的に見えるものの、計り知れないほど不誠実で冷淡で、罪悪感が欠如しており、衝動的欲望を抑えることができない。
複数の研究によると、サイコパスは一般人口の約1パーセントを占めており、理由はよく分かっていないものの、その多くは男性だという。

 サイコパシーの人たちは、そうでない人々よりも犯罪に手を染める可能性が高い。
そうした犯罪者はほとんど常に、自分の行為が道徳的に間違っていることを認識している。
それが自分にとって問題にならないだけなのだ。
いっぽう、一般的な認識とは反対に、暴力的になるサイコパスはごく少数に過ぎない。

 サイコパシーの研究者はサイコパスを探す際に、そうした人々が多く見つかりそうな場所に目を向ける傾向がある。
そのため多くの研究は刑務所や拘置所で行われてきた。
つい最近まで、サイコパシーに関する理論や調査のほとんどにおいて、犯罪者など、明らかに挫折した人物に焦点が当てられてきたのはこうした理由のためだ。

 だが、サイコパシーの傾向をもつ多くの人々は、刑務所や拘置所にはいない。
実際のところ、一部のサイコパスは、大胆さといったサイコパシーの特徴を利用して、職業上の成功を達成している可能性がある。

精神の中核にある異常

「成功したサイコパス」という存在は論争の的だった。
おそらくその理由の一部は、多くの学者たちが、そのような実例を見たことがないと主張しているためだ。
「成功したサイコパス」という概念自体が非論理的であると言う人もいれば、「成功したサイコパス」という言葉自体が論理矛盾だと主張する人さえいる。

「成功したサイコパス」は賛否のある概念だが、新しいものではない。
1941年にアメリカの精神科医ハーヴェイ・クレックリーは、古典的名著とされている著書『The Mask of Sanity(正気の仮面)』の中で、この矛盾した条件について初めて指摘している。
クレックリーによると、サイコパスとは、表面的には魅力があり正常だが、その背後に、共感力の欠如と深い異常性を隠し持つ両面的な存在だという。

〈続きは掲載元でどうぞ〉
Newsweek JP:2016年4月26日(火)18時00分  
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1461740474/
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1: 紅あずま ★ 2016/04/27(水) 11:04:20.46 ID:CAP_USER*.net
巨大恐竜の赤ちゃん、自力で生活していた
急成長、自活、餓死・・・マダガスカルの赤ちゃん恐竜の短く過酷な一生
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/042500152/

 インド洋の島国、マダガスカルで見つかった巨大恐竜の赤ちゃんの化石から、この恐竜の生まれて間もないころの暮らしが見えてきた。
2016年4月22日号の科学誌「サイエンス」に論文が発表された。

 マダガスカルの7000万~6600万年前の地層から見つかったこの赤ちゃん化石は、ティタノサウルス類の恐竜ラペトサウルス(Rapetosaurus krausei)のもの。
ティタノサウルス類は、竜脚類と呼ばれる長い首をもつ巨大な草食恐竜のグループのひとつだ。

 米マカレスター大学の古生物学者クリスティナ・カリー・ロジャース氏は、2001年にラペトサウルスを新種として命名して以来、この巨大恐竜の研究を続けている。

 同氏は、マダガスカルで発掘したカメやワニの化石の中から、赤ちゃんラペトサウルスの小さな化石をいくつも発見。
これまでほとんど知られていない赤ちゃん恐竜の生態を詳しく調べることが可能になった。

 カリー・ロジャース氏によると、これまで竜脚類恐竜の化石は、卵の中の胎児や若い個体は少数ながら見つかっていたものの、その中間にあたる赤ちゃん個体について詳しく知ることのできる化石がなかった。
今回新たに発見された骨は、まさに「掘り出し物」だった。

「私たちは、この骨から最大限のデータを収集しようと、解剖学的構造や体の大きさの推定、顕微鏡やマイクロCTスキャナーによる骨の詳細な分析まで、あらゆる調査を行いました」とカリー・ロジャース氏は語る。

■みるみるうちに成長

「私たちが調べた骨の奥深くの組織には、微妙な乱れがありました。私たちはこれを『孵化線(hatchling line)』と呼んでいます」とカリー・ロジャース氏。
この線は、恐竜の赤ちゃんが卵の中から出てくる際にかかった負荷からの回復期間を示している。

 古生物学者たちはこの線から、恐竜の誕生時と死亡時の体の大きさを推定した。
骨の成長の仕方を考えると、この赤ちゃんラペトサウルスは生後39~77日に死亡したものと推定された。

 驚いたことに、孵化した際には3.4kgだった体重は、死亡時には約40kgになっていた。
米デモイン大学の古生物学者サラ・ウェルニング氏は、「チワワが6週間でグレートデーンになるようなものです」と言う。
なお、彼女はこの研究には関与していない。

 幼体の骨の形は成体のものに近く、骨が再形成された痕跡は赤ちゃん恐竜が活発に動きまわっていたことを示している。
これらの手がかりを考え合わせると、「ラペトサウルスはあまり親の世話にはならず、孵化後は自力で生きていたと考えられます」とカリー・ロジャース氏。

■過酷な環境で餓死した

 赤ちゃん恐竜の骨からは、その死因も明らかになった。
保存されていた軟骨を詳細に調べた結果は、死因が餓死だったことを示している。
これは、マダガスカルのこの地域が先史時代には過酷な環境で、おそらく乾期には多くの赤ちゃん恐竜が命を落としたと考えられていることに一致する。

 ラペトサウルスの赤ちゃんが餌を求めて自力で歩きまわっていたことについては、ウェルニング氏も同意する。
彼女によると、ラペトサウルスの赤ちゃんは、巨大な成体になるずっと前から重い体を支える準備ができていて、明らかに「過剰スペック」なのだという。

「つまり彼らは、将来の高層化を見越して、超高層ビル用の基礎の上に平屋を建てたような体をしていたのです」とウェルニング氏。
同氏は、今回の研究は、すべての恐竜が同じような幼年時代を送っていたわけではないことを実感させるものだと言う。
恐竜の赤ちゃんの中には、生まれてすぐに自力で走り回っていたものもいれば、長い間巣の中で育てられたものもいたのだろう。
文=Brian Switek/訳=三枝小夜子
rapetosaurus-krausei-a-prehistoric-era-sergey-krasovskiy
National Geographic:2016.04.26
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1461722660/
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