(遅報)歴史まとめ

歴史関係の記事を紹介している2chまとめサイトです。歴史関係のスレ(ほぼなんj)をまとめています。良かったらご覧ください。

2016年07月

1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/07/25(月) 21:41:24.69 ID:YRqsLP170
第二次世界大戦の「わかってて起こしている」感が嫌い

もっと第一次大戦を顧みるべき
歴史的にも戦史的にも第二次大戦よりよっぽど面白いで。
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1469450484/ 続きを読む
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1: 三毛猫 φ ★@\(^o^)/ 2016/07/25(月) 10:10:18.03 ID:CAP_USER9
まんたんウェブ 7月25日 10時6分配信

 俳優の堺雅人さんが主演するNHK大河ドラマ「真田丸」の第29回「異変」が24日に放送され、平均視聴率は17.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録した。

 「真田丸」の平均視聴率は、初回が19.9%(関東地区、ビデオリサーチ調べ・以下同)で、第2回では「八重の桜」以来、3年ぶりの大台乗せとなる20.1%を記録。その後も高視聴率を記録している。

 「真田丸」は、堺さんが真田幸村の名でも知られている戦国時代の人気武将・真田信繁を演じ、戦国時代に信州の小さな領主のもとに生まれた信繁が、家族とともに知恵と勇気と努力で乱世を生き抜く姿を描いている。三谷幸喜さんが2004年放送の「新選組!」以来、12年ぶりに大河ドラマの脚本を手がけ、長澤まさみさんや大泉洋さん、草刈正雄さんらが出演している。

 第29回「異変」は、信繁(堺さん)が秀吉(小日向文世さん)の肝いりで、大谷吉継
(片岡愛之助さん)の娘・春(松岡茉優さん)を正室に迎える……という展開だった。また、秀吉が誰の目にも明らかなほど衰えていく姿も描かれた。「真田丸」はNHK総合で毎週日曜午後8時ほかで放送。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160725-00000002-mantan-ent
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1469409018/続きを読む
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1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/07/25(月) 08:48:43.20 ID:EIUJIF/J0
教えて
http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1469404123/ 続きを読む
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1: ニライカナイφ ★ 2016/07/24(日) 20:39:19.91 ID:CAP_USER9
◆映画とはだいぶ違う。米軍に関する10の真実

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米軍と聞くと、「ファミコンウォーズがで~るぞ~!」とかフルメタルジャケットとかハートマン軍曹の「親身なシゴキ」「心温まる叱責」や、「逃げるやつはベトコンだ、逃げないやつは訓練されたベトコンだ」とかしか思い浮かばないレベルの私にとっては目から鱗の記事が特集されていた。

アメリカには3億3,000万人以上が暮らしているが、そのうち軍に所属するのは140万人(0.4%)のみだそうだ。
また、2014年の段階で、国内にいる兵役経験者の数は2,200万人である。

ほとんどの人は入隊しようなどと考えたこともなく、それを目にするのは唯一ハリウッドの映画くらいのものだという。
そうした映画は兵士の日常を正しく描いていることもあるが、嘘も登場する。

おかげでかなりの誤解がまかり通っているようで、ここで改めて米軍に関する10の真実とやらを見ていこう。

10. 「軍に行くか?刑務所に入るか?」は誤り

入隊前には徹底的な身辺調査が行われる。これはFBIが担当しており、少年院の記録も調べられる。
2006年、バージニア州アーリントン在住の男性が過重暴行罪を認め、弁護士は懲役の代わりに兵役につかせるよう判事の説得を試みた。
判事はこれを認めるが、軍からは拒否される。
軍の規定には強制による入隊を認めない旨が明確に記載されているからだ。

9. ブートキャンプは脱落者を作ることが目的ではない

基礎トレーニングでの失敗率は記録されており、14%を超えてはいけない。
だが、軍では落第させるように設計された訓練はほとんどないのだ。
人を入隊させるにはコストがかかるからで、除隊させるよりも再テストを受けさせた方が財政的な負担が少ない。

SEALsをはじめとする特殊部隊のような合格が非常に難しものもある。
だが、基礎トレーニングは一般市民を軍人にすることを目的とする。
どの部署も入隊間もない者のほとんどが肉体的にも精神的にも準備ができていないことを理解している。

基礎トレーニングはそうした新米が兵士、海兵隊員、あるいは空軍兵になる準備を手助けするためのものだ。
だが、これを終えたからといって訓練は終わりではない。その後もずっと訓練は継続される。

8. 陸軍や海軍への入隊は歩兵になることと同義ではない

陸軍や海軍の基礎トレーニングでは歩兵スキルの訓練も実施されるが、だからといって全員が歩兵になるわけではない。
基礎トレーニング終了後、上級個人トレーニングに進み、それぞれが担う役割に応じたトレーニングを積む。
陸軍には調理師、整備士、電気技師、諜報要員など、100以上もの専門職がある。

海軍では基礎トレーニングの一環としてきちんとした歩兵訓練を実施している。
海兵隊員は歩兵学校に通い、「海兵隊全員が何よりもまずライフル銃兵」であることを教え込まれる。
とはいえ、もちろん海軍にも通訳、整備士、調理師など、さまざまな非戦闘系の役職がある。

カラパイア 2016年07月23日
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52221867.html

>>2以降へ続きます。
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1469360359/ 続きを読む
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1: 的井 圭一 ★ 2016/07/24(日) 17:14:19.28 ID:CAP_USER9 BE:511393199-PLT(15074)
sssp://img.2ch.net/premium/1051729.gif
■佐々木小次郎「物干竿」のウソ

 天下泰平の世上は、日本刀のブームだという。とりわけ女子中高生が、ゲームの影響をうけて刀剣美術館に列をなしているとか。
 筆者はこれこそが、日本刀の正常な姿だ、と思う。日本刀はつまるところ、鑑賞のためにしか存在しないのだから。

 刀剣女子(? のみならず、日本刀愛好家の方々に尋ねたい。

 侍が腰に差した刀を、どうすれば抜けるか。これはかんたん、鞘走らせれば誰でも抜ける(腕の長さ、腰などチェックポイントはあるが)。
 では、どうやって鞘の中に本身(俗にいう真剣のこと)を納刀するのか。
鋒(刃物の先端)は切れる。鞘口(その形状から鯉口ともいう)をおそるおそるのぞき込みながら、右腕を前につき出すようにして、刀を納める時代劇などみたことがない。
 剣には残心というものがあり、敵を倒したとしても、注意力は前方にむけられていなければならなかった。鞘口をのぞき込んでいては、ふいに倒れた者に斬りつけられるかもしれない。

 東軍流十七代宗家、タイ捨流の免許皆伝として古流剣術を稽古し、真剣を実際に扱い、歴史学の分野においても、『日本武術・武道大事典』を編纂するなど、武術と刀剣との関わりを深く研究・理解してきた著者が、刀剣のおこり・発達、武人・文人に関するさまざまなエピソードを披瀝する類書なき新書である。

 顔を正面にすえたまま、鞘口をみないで、鋒で手や指、腕を傷つけないように、どうすれば納刀できるのか。

 時代劇の場数をふんでいない役者の場合は、鞘に納める途中から映す。チャリン、と音をさせて。
 すこしキャリアの積んだ役者ならば、左手の親指と人差し指をつかって鋒を手挟み、棟=峰(刃の反対側の部分)が手前になるように、鞘口から刀身を入れていく。

 これならば、前を向いていてもできる。

 ただ、本当に修行した手練れは、刀身を汗のついた指でさわったりはしない。後の手入れが、日本刀は大変なのだ。
 指で挟まずに鞘口に峰の部分をあて、静かに感覚で中へ入れていくのだが、これができる使い手はきわめて少ない。
 つまり、剣豪・佐々木小次郎の「物干竿」と呼ばれる刀――あの長い刀を肩にしょって、抜くことはできないし、ましてや、納めることは不可能であった。
 いつも思う。日本伝来の古武術と日本刀は実によく似た宿命を負っている、と。

■戦場でもほとんど役に立たない
 “一朝ことあるときのために”――武術は日々、鍛錬されるのだが、今の世の中にはまずもって、身辺に迫るあやうい事態など、そうそう出くわすものではない。

 実践のなかで技を使えば、逮捕され、相手の治療費を請求される。日本刀も同じだ。第一、腰に刀を差して歩けば、それだけでつかまってしまう。

 というよりも、この日本独特の武器=日本刀は、一度として戦場で主要の武器になったことはなかった。

 圧倒的殺傷性をもつのが弓(のちには鉄砲)で、これが戦場全体の60%となる。それに次いだのは薙刀(のち槍)で20%、では次にこそ刀が来るかと思えば、残念ながら3位は投石であった。

 日本刀の戦場における殺傷率は、10%にもとどいていない。切腹や斬首のイメージが強いから、よほど活躍したように思われてきたのだろうが……。

 江戸時代、弓や鉄砲はむろん、槍までもが往来を規制され、刀も定寸が定められた。つまり、泰平の時代の日本刀は、日本刀と対決するだけで良く、異種の武器を想定する必要がなくなってしまう。

 しかも、一度鞘走れば最後は、斬られなくとも切腹に追い込まれるのが、江戸時代の無言の合意であった(仇討ちは別)。
だから、普段は誰も、日本刀を抜かなかった。無礼討ち=斬り捨て御免、は絵空事でしかなかったのである。

 では、この日本刀に神が宿り、日本人の魂などという大それたイメージが定着したのはなぜ、であったのだろうか。すべては歴史の変遷の中に、具体的な答えがあった。

 その答えをうけて結論めかしていえば、日本刀は刀身の美しさを、もとの持ち主、刀匠をしのびつつ、時代を思い浮かべながら鑑賞するのが、一番無難で正しい接し方なのかもしれない。

文/加来耕三(歴史家・作家)

日本刀が戦場で「主要な武器」になったことは一度もない! 殺傷率は「投石」以下 知られざる意外な真実 (現代ビジネス) - Yahoo!ニュース 7月24日(日)11時31分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160724-00049214-gendaibiz-soci
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1469348059/続きを読む
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1: Egg ★@\(^o^)/ 2016/07/23(土) 11:55:21.87 ID:CAP_USER9
大河ドラマのみならず、映画にゲームにマンガと、現代でも圧倒的な人気を誇る「真田幸村」。関ヶ原の戦いから14年後、徳川家康が豊臣家を滅亡させようとした「大坂冬の陣・夏の陣」で、幸村は日本の歴史にその名を刻むことになりますが、実はそれまでは歴史の表舞台に一切登場していませんでした。そんな幸村の実像に迫るべく、今回はTOKYO FMの番組の中で戦国時代に詳しいお2人に教えてもらいました。

◆「現代の役者が武士を演じる難しさとは」
~俳優 榎木孝明さん

今回の「真田丸」で大河ドラマの出演は9本目でしたが、役者という立場からすると時代劇は我を捨てて役に殉じることが大切です。たとえば本物の「一国一城の主」なんて現代にはまずいないでしょう。それを現代人の感覚で演じてしまうと人物が小さくなりすぎてしまうんです。武士の覚悟を「肚(はら)」と言いますが、その表現が現代では難しくなっていると感じています。

今回の「真田丸」は真田幸村が主役という時代劇の王道。今日の選択が明日の生死を分けるサバイバルゲームの時代の中、人間の本当の覚悟の仕方が描かれると思います。特に大坂冬の陣・夏の陣では、大坂方の武士たちはいかに華々しく死んでいくかが課題になります。2回目の夏の陣なんて、やる前から勝敗はほぼ見えていました。それでも幸村は「あわよくば家康の首をとって華々しく散っていこう」とします。そんな覚悟を表現するのは現代人の役者にとって難しいことです。

正直、私も昔は「俺が俺が」という役者でした。たとえば「真田太平記」で角兵衛を演じたときもそうです。ただ、あの役は架空の三男坊だったので、たまたまやりたい放題な演技がぴったりでしたが。でも映画「天と地と」に出演したときに、「自分の延長」の演技では上杉謙信を演じきれませんでした。そこから我を捨てて役作りするようになっていったんです。

ちなみに戦国時代の戦闘は、本当はすごく地味です。互いに甲冑を着ているので、刀で殺そうと思ったら首筋や脇の下といった隙間を狙って刺すしかありません。馬に乗っている大将なら長槍で叩き落として、みんなで寄ってたかって殺します。さらに合戦中はトイレに行く暇がないので基本的に垂れ流し。逆に食事も必要ですから、何千何万という人に食事を作る部隊もいました。遠征が長期になれば途中で農民を仲間に引き入れて現地で調達するのも重要になります。映画やドラマではあまり描かれませんが、そういう裏の戦いもあったはずです。


◆「手紙から窺われる真田家の人々の実像は」
~歴史学者/ドラマ『真田丸』時代考証 丸島和洋さん

戦国時代は手紙がたくさん残っているのですが、当時は手紙に感情を書く人はあまりいませんでした。その中で一番個人的な感情を書いたのは毛利元就で、延々とグチを書いた手紙が残っています。次いで織田信長と上杉謙信もわりと感情を書く人で、信長は「アイツをぶっ殺してスカッとした」みたいな手紙がありますし、謙信は「馬鹿者」という言葉をよく使いました。

そして真田信繁(幸村)も戦国時代にしてはめずらしく手紙で感情を表に出す人でした。関ヶ原で西軍が負けた後、信繁は謹慎していた九度山から私信をたくさん書いていますが「もう一度会いたい」「やることがない」などと綴っています。また大坂冬の陣が終わった後に書かれた手紙は「私のことはこの世にいないものと思ってほしい」など厭世観に溢れる内容。ちなみに同じ時期、後藤又兵衛も手紙を書いていますが、こちらは「明日のことが分からないというのは楽しいものですな」と豪傑らしい文章です。それに比べれば信繁は繊細な印象を受けます。

一方、豊臣政権下では諸大名が有力者と連絡をとるための担当者が決まっていたのですが、真田家の担当が石田三成だったため、三成と非常に親しかったのが信繁の兄・信之です。「ちょっと遊びに行っていい?」くらいの、現代ならショートメールみたいな短い私信が残っています。だから関ヶ原で三成はまさか信之が敵になるとは思っていなかったでしょう。その後、信之は松代藩10万石の基礎を築き、4代将軍の家綱まで仕えて91歳でやっと隠居。享年93で亡くなっています。

しかし石田三成は信之が家康側についたことを最後まで知りませんでした。三成が真田家に依頼したのは会津の上杉景勝との連絡だったのですが、三成はその連絡ついでに「信之の様子はどう?」みたいなことを父・昌幸に尋ねています。しかし昌幸はそこをうまく誤魔化して、自分が狙う「甲斐と信濃2カ国」を三成に約束させるんです。いかにも食えない戦国武将らしかったのが昌幸でした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160723-00010000-tokyofm-life
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1469242521/続きを読む
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